転生したメイドですが、大切なお嬢様の様子がちょっとおかしい 作:春川レイ
空が不気味な赤みを帯びてきた。長い夜の終わりが来たらしい。夜明けを迎えて、世界が目を覚ましつつある。
誰かが近づいてくる足音が聞こえて、レベッカは顔を上げた。
ほとんど同時に、扉が開く。
「……」
扉の向こうから、サミュエルが姿を現した。レベッカの顔を見て、冷たく笑う。
「来い、キャロル」
サミュエルが近づいてきて、強い力で腕を掴まれた。無理矢理立たされる。レベッカは抵抗することもなく、それに従った。
強引に腕を引っ張られ、歩かされる。レベッカはようやく小さな部屋から外へと出ることが出来た。
サミュエルが無言でレベッカの腕を引っ張りながら歩き続ける。
「--私を、どうするんですか?」
レベッカが声をかけると、サミュエルは肩をすくめて答えた。
「すぐに分かる。今まで好き勝手やっていた分、お前には働いてもらわなくては」
「……」
何も答えないレベッカに構わず、サミュエルは淡々と言葉を続けた。
「その無駄に強い魔力を必要としている方がいるんだ。お前は今から行くところで、精々可愛がってもらえ、キャロル。リオンフォール家の人間として」
その言葉を聞いたレベッカの肩がピクリと動く。
そして、小さく声を漏らした。
「--ちがう」
「は?」
その声を耳にしたサミュエルが、顔をしかめながらレベッカへと視線を向けてきた。
「なんだ?」
「……違う。私は、違う」
眉をひそめるサミュエルに構わず、レベッカは言葉を重ねた。
「--私は、」
こんな状況だというのに、やっぱり心の中に浮かんだのは、大切な女の子の姿だった。
『ベッカ』
あの輝くような緑の瞳。
真っ直ぐに自分を見てくる大きな瞳--
もう一度、見たい。
もう一度、小さな身体を抱き締めたい。
--もう一度、会いたい。
祈るような気持ちで、レベッカは一瞬目を閉じる。誰も助けてくれない。世界に救いはない。奇跡なんて、存在しない。
だけど、たった一つだけ、確かなことがあると、自分は知っている。
--あの温かい場所に、帰りたい
自分の居場所は、お嬢様の隣だ。
それだけは、間違っていない。絶対に。
誰が否定しようとも、それだけは確実だ。
世界が壊れても、全部消えてしまっても、それは変わらない。
お嬢様の隣にいられれば、それで幸せだ。
他には、何もいらない。
『ベッカ』
お嬢様。
ごめんなさい。申し訳ありません。
私は、馬鹿なメイドです。
あなたのそばを離れた不甲斐ないメイドです。
どんな罰でも受けます。でも、どうか、どうか--
私があなたのそばにいることを、どうか許してください。
あなたの笑顔を見ることを許してください。
あなたが、笑顔でいてくれたら、私はきっと立ち上がれるから。
きっと、強くなれるから。
--だから
「私は」
もう一度、声を出す。サミュエルに掴まれたまま、手を強く握る。
ここで諦めるなんて、絶対にダメだ。
このまま、終わるわけにはいかない。
帰りたい。
帰りたい、帰りたい、帰りたい--!
お嬢様に会いたい。
このままじゃ、終われない。
だから、動かなくては。
--帰りたい、お嬢様のところへ
もう一度、心の中で祈るように叫んだ。
祈りは、きっと、力になる。
『ベッカ』
また、あの声で名前を呼んでほしいから。
私の、名前を。
もう一度、呼んでください、お嬢様
--私の、名前
「私は」
レベッカは顔を上げて、真っ直ぐにサミュエルを見据えた。サミュエルがその視線に圧されたように眉をひそめる。
「私は、キャロルじゃない。--レベッカです。今も、これから先も、ずっと」
そう言い放った瞬間、レベッカは勢いよく足を動かした。サミュエルの股間を強く蹴りあげる。
声にならない叫びをあげて、サミュエルはレベッカから手を離した。
レベッカは素早くサミュエルから身体を離し、その場から逃げ出した。
一目散に走る。必死に足を動かして、出口を探す。まずはここから脱出しなければならない。
キョロキョロと辺りを見回しながら、走り続ける。やがて、階段を見つけた。かなり長い階段だ。
「キャロル!」
その階段を降りようと足を踏み出したその時、後ろからブランカの声が聞こえて、レベッカは振り返った。同時にブランカがレベッカの腕を掴む。
レベッカが振り向くと、眉を吊り上げたブランカがそこに立っていた。
「離して、ブランカお姉様」
レベッカが冷静に声を出すと、ブランカは強い視線で睨み返してきた。
「キャロル、あなた、何を考えているの!?」
「私は、帰ります」
「あなた、自分が何をしているのか分かって--」
「ええ、分かっているわ。お姉様。--何も分かっていないのはあなたの方よ」
レベッカの言葉に、ブランカが困惑したような表情をした。そんなブランカを見据えながら、レベッカは言葉を重ねる。
「--お姉様。もうやめて。本当は分かっているんでしょう?私を売ったとしても--あなたの幸せには繋がらない」
その言葉に、ブランカが息を呑む。
そんなブランカに、レベッカは容赦なく言葉をぶつけた。
「私が、いつもいいとこ取りだって、……運がいいって言ってたわね。教えてあげる。違うわ。そうじゃない。私は運がいいんじゃなくて……ブランカお姉様と違って、自分から行動しているだけよ!!」
「……っ、」
「どうしていつも待ってばかりなの?どうして自分から何も言わないの?何も行動しないの?お姉様は昔からそう……誰かが助けてくれるまで、ずっと黙って待ってる……それじゃあ、何も変わらない!!お姉様の結婚生活の時だって、お姉様は嫌みを言われても、やっぱりずーっと声も出さずに助けを待ってるだけだったんでしょう?……自分から何かした?抵抗したの?--助けてって、叫べばよかったのよ!!」
「何を……っ」
「今だって、そうよ!どうして何もしないまま、迎えが来るのを待つだけなの?このままずーっと一歩も動かないつもり?好きな人のところに戻りたいのなら、自分からここを出るべきなのよ!!」
次の瞬間、突然凄まじい力でブランカが飛びかかってきた。あまりにも素早い動きに、レベッカは対応出来ない。気がついた時、ブランカはレベッカの身体を押し倒していた。そのまま恐ろしい形相でレベッカの首を締め付けてくる。
「……あんたに、何が、分かるのよ……っ!」
怒りで顔を真っ赤に染めたブランカが、涙目でレベッカを睨みながら声を出した。
「キャロル、あんたに、あんたに、何が分かるってのよ……っ、ふざけるんじゃ、ないわよ……この死に損ないが……っ!!」
ブランカの両手が喉を圧迫している。苦しい。息を吸えないし、吐けない。
「……ぅ……っ」
必死に抵抗して、ブランカの手首を掴むが、ブランカは更に強い力で首を締め付けてきた。
--まずい、これ……殺される……!
レベッカは必死に抵抗して、もがき続けた。
その時、すぐ近くでココの声がした。
「ブランカ様!」
その声が聞こえた直後、ブランカの手が首から離れた。喉が解放されて、肺に空気が入ってくる。
「何よ!離してよ!!」
ブランカが何事か叫んでいたが、それに構わずレベッカは大きくむせ込んだ。必死に呼吸を整えながら、顔を上げる。そこには、ブランカを必死に抑えているココの姿があった。
「ブランカ様、落ち着いてください!!」
「離しなさい、使用人の分際で--」
ブランカが叫び、再びレベッカを睨む。
レベッカもそれを見返しながら、喉を抑える。そして、必死に立ち上がろうとしたその時だった。
ココがレベッカの背後を見て、大きく目を見開いた。
「ジュリ--」
ココが何かを言う前に、ガン、と不思議な音がして、同時に衝撃が走った。今まで感じたことのないほどの、激しい痛みが襲ってくる。
背後から殴られた、と認識した瞬間、視界がぐらりと揺れて、回転した。ジュリエットの怒りに満ちた恐ろしい顔が微かに見える。手に何かを抱えているが、よく見えない。
どうやら、ジュリエットが何か硬い鈍器のような物で自分を殴ったらしい、と気づいた。そのままジュリエットの足が素早く動く。レベッカの胸を強く蹴りつけてきた。その衝撃に身体が揺れる。視界がチカチカした。
「ジュリエット様!!」
ココの悲鳴のような声が聞こえたのと同時に、レベッカの身体は階段の方へと倒れる。そのまま勢いよく転落していった。
「何をやっているんだ!?」
サミュエルの大きな声が聞こえた。
階段から転落したレベッカは、床に激しく叩きつけられる。それと同時に、強く頭を打った。咄嗟に目を閉じる。
痛い。あまりの痛みに息をするのも苦しい。視界が、真っ暗だ。目を開けたいのに、開かない。起き上がろうとしたが、身体が動かない。手足の感覚が消えた。意識が朦朧とする。全身が痛くて痛くて、たまらない。
その時、ドタバタと足音が聞こえた。
「馬鹿が!!お前達、何をやっているんだ!?」
「だって、お兄様、あいつが!」
「ご、ごめんなさい、お兄様……」
遠くで兄や姉達の声が聞こえる。
全員がこちらへと近づいてくる気配がした。
「おい、まずいぞ……かなり出血している」
「い、医者を呼んだ方が……」
「やめてよ!!バレたら、私達、何もかも終わりよ!!」
「じゃあ、どうするんだ!?このままだと--」
倒れているレベッカの周囲で3人が騒ぐ。
レベッカはようやく、ゆっくりと目を開ける事が出来た。ぼんやりと視界に何かが入ってくる。
それは、震えながらこちらを見ているココの姿だった。
涙を流しながら、何か小さく呟いている。
「ご、ごめんなさい……ごめんな、さい……」
何を謝っているのだろう、とぼんやり考えながらも、レベッカは唯一動く唇を必死に動かした。小さな声でココに話しかける。
「……く、び」
「え?」
声がよく聞こえなかったらしいココが、オロオロしながらレベッカの口元に耳を寄せてきた。
「……くび……とって……」
ようやく声を出すと、ココが困惑したように瞳を揺らす。一瞬躊躇ったようにした後、すぐに頷いた。小さな手を、レベッカの首に近づけてくる。
パチン、と首輪の外れる小さな音が、レベッカの耳に届いた。
「おい、何をやっている!?」
サミュエルの声が響いたのと同時に、レベッカの唇も動いた。
「……リー……シー」
次の瞬間、強い衝撃を感じた。
咄嗟にレベッカは目を閉じた。
一体何が起きたのだろう。何がなんだか分からない。
とても、大きな音がする。サミュエルとジュリエットの悲鳴。ブランカの泣き声。そして物が割れたり、壊れるような音がした。
レベッカは周囲の音に反応する気力もなく、目を閉じたまま、ぼんやりとしていた。濁りきった頭で考え続ける。
ああ、もう疲れた。眠い。
もう、動けない。
ダメだ。私は、帰らなくちゃ。
お嬢様が、待ってる--
『--おい』
聞き覚えのある声が聞こえる。その声に反応して、レベッカは再び瞳を薄く開いた。
『大丈夫か?私の声が聞こえるか?』
リースエラゴの声が聞こえたはずなのに、白い竜の姿は見えなかった。
代わりに視界に入ってきたのは、激しく燃える炎だった。
--あれ?
--なんで燃えているんだろう?
『もう声も出ないか……頭も打っているし、出血も……かなりひどいな……』
リースエラゴの心配そうな声が聞こえる。
一体、彼女はどこにいるのだろう。声は聞こえるのに、何も見えない。
『--おい、聞こえるか?お前、このままだと死ぬぞ』
その言葉に言い返そうとして、レベッカは微かに唇を開くが、声を出すことは出来なかった。
『私の言った通りだろう?小さな人の子よ』
すぐ近くで、声が聞こえた。まるで子どもに言い聞かせるような優しい声だ。
『お前に、人の生きる世界は合わない。もう分かっているだろう?この世界は、醜いんだ。下劣で浅ましい、欲深い心が満ちている。弱き者を支配しようとする愚かさがあふれている』
違う。
違いますよ、リーシー。
レベッカは心の中でリースエラゴに答えた。
--私は、知っている。
私は、知っているんです。
あなたの言う通り、世界は醜いかもしれないけれど。
優しい光は、確かにあるんです。
絶対に、それは失くならない。
永遠に、消えることはないんです。
だから、私は--
『--それでも、お前は、この世界で生きるのを望むか?レベッカ』
リースエラゴの言葉に、レベッカは心の中で叫んだ。
私は、生きたい。
お嬢様の隣で。
再び心の中にウェンディの笑顔が浮かび上がる。
--お嬢様
--ウェンディ様
もう一度名前を呼びたかったのに、やっぱり声は出なかった。
レベッカの意識はそのままゆっくりと沈んでいく。そして、静かになった。
◆◆◆
--お嬢様
美しい宝石のような緑の瞳が開いた。
レベッカの声が聞こえたような気がして、ウェンディ・ティア・コードウェルは周囲を見渡す。
誰もいない。
確かに声が聞こえた、と思ったのに、大好きなメイドの姿は見えなかった。
「……ベッカ?」
ウェンディの孤独に満ちた声が響く。
しかし、その声は誰にも聞かれることなく、闇の中へと吸い込まれていった。
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これにて第2部は終了となります。少しダークな雰囲気になりました。不快になられた方がいましたら、申し訳ありません。
次より、最終章となります。不定期な更新になりますが、必ず完結まで頑張りますので、よろしくお願いいたします。