ようこそ愉悦至上主義者のいる教室へ   作:凡人なアセロラ

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大変遅くなりました。生きてます。

あけましておめでとうございます(


共同戦線(1)

 受胎告知。キリスト教の聖典、『新約聖書』に書かれているエピソードの1つ。聖告、処女聖マリアのお告げ、生神女福音とも言う。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事だ。

 

 聖母マリアはその祝福を喜んだのだろうか。

 子を孕み、生の誕生を祝う。当たり前の感性、常識の範疇。彼女は、産まれてくる我が子を愛しみ、慈愛をもって微笑んだ。

 

 では、キリストはどうだ。

 この世に生まれ落ちることに、何を覚えた。どんな感情を抱いた。聖人として生きることを余儀なくされ、正しさの下に生きる彼は、幸福を享受出来たのだろうか。

 

 懐妊。受胎。

 母親は喜ぶはずだ。

 

 自らの意思で子を成し、我が子の誕生を待ち侘びるだろう。

 

 しかし、受胎した子は、それを喜ばしく思うのか。

 

 悪としてこの世に生まれ落ちた男にとって、その誕生は祝福される出来事だったのだろうか。

 今日の社会は、悪を許さない。法の下、いや多数派の意思の下で正義を、正しさを強制されている。

 

 オレには理解出来ない。

 しかし、言峰士郎にとって、この世に生まれ落ちたことこそが、なによりの悲劇だったのではないだろうか。

 

 

 

 1

 

 

 

「僕は卑劣な人間なんだ」

 

 初めて紡がれた言葉は、何処か寂しげであった。

 オレはその言葉の真意を読み取れず、僅かに首を傾げ、先を促した。

 

「中学生の頃、自分可愛さで、僕は親友を見殺しにした」

 

 続いて洋介の口から飛び出したのは驚愕の事実だった。

 あの洋介が、と視線を向ければ、普段からは想像出来ない自嘲するような表情。

 許しを乞うように項垂れる姿を見て、オレは視線を彷徨わせる。

 

「僕は中学二年生になるまで、クラスであまり目立たない生徒だった」

 

「⋯⋯ちょっと想像できないな」

 

「だろうね。今とは全然違うから」

 

 苦笑いを浮かべ、また視線を海へと向ける。

 客船のデッキで、オレと洋介は肩を並べて立っていた。潮の香りを混ぜ合わせた冷たい風が心地良い。

 海面に浮かぶ滲んだ月を眺めながら洋介は続けた。

 

「目立ちもせず、かと言って影も薄すぎず。友達もそこそこ。本当に普通だった。そんな僕には小さい頃から仲良しだった幼馴染の杉村くんって男の子がいたんだ。小学校は六年間同じクラスで家も近所だったから毎日一緒に登校してた」

 

 懐かしむように、洋介は儚げな表情で、洋介は過去を思い返す。

 

「中学一年生になって初めて別のクラスになった。それでも最初は一緒に登下校していたんだけど、ある日を境にそれも減ってきて、いずれ僕はクラスの子とばかり遊ぶようになった」

 

 それ自体はどこにでも転がっている話ではないだろうか。

 人は環境に左右される。ごく自然なことだ。友人関係が変わるのだって別におかしなことじゃない。

 ただ、洋介が言いたいのは、そういうことでは無いのだろう。

 

「僕は気付かなかった。杉村くんが虐めにあっていたことも知らずに、のうのうと日々を過ごしていた」

 

 手すりを強く握り締め、何かを堪えるように洋介が言う。

 

「何度か杉村くんは、僕に対してSOSを発信していた。不自然に怪我をしていたり、痣ができたり。だけど僕は友達と遊ぶことを優先して本気で取り合わなかった。杉村くんは元々気が強い人だったから喧嘩っ早いところがあった」

 

「⋯⋯」

 

「僕は、見て見ぬふりをしてた。本当は気付いてたんだ。彼が、虐められてるのに、気付いていて、我が身可愛さに、それを無視した」

 

 これも、またありふれた話ではないだろうか。

 オレは当事者じゃない。だから、洋介を責める権利を持たない。

 

「怖かったんだ。彼を助ければ、今度は自分が虐められるんじゃないか。助けたい、という意思に反して僕の身体はそれを拒絶した」

 

「その話は、士郎に?」

 

「したよ。⋯⋯彼と仲良くなって、教会に訪れて、僕は懺悔した。あの日の後悔を、吐き出したくて堪らなかった」

 

「士郎は許したのか?」

 

「君も知ってるだろ? 士郎は優しいんだ。だから、僕に必要な言葉をくれなかった。一切の慰めもしなかった」

 

 言峰士郎という人間は優しい。

 だからこそ、その人間の成長に繋がらない行為は一切しない。かつて堀北に厳しい言葉を投げかけたように、決して甘やかしたりなんかしないのだ。

 

「彼は僕に叱責すらしなかった。ただ寛容的に話を聞いただけだった。士郎は、僕にとって最も欲しい言葉も、言われたくなかったことも、言わなかった」

 

「だろうな」

 

「ただ事実だけを突きつけたんだ。僕の薄汚く、矮小で、卑劣な本心を突きつけた」

 

「そうか」

 

「士郎はこう言ったんだ。君が求めているのは、許しだ。自らの浅ましさを正当化することだ。それを求めている限り、君は一生目を逸らし続ける」

 

 士郎らしく厳しい発破だ。

 その言葉の意味をオレは理解した。

 

「士郎の言う通りさ。僕は自らを肯定して欲しかった。そんなことないよって、言って欲しかった。罪を正当化したかっただけなんだ」

 

「洋介が変わったのはそれが原因だったのか?」

 

「杉村くんが飛び降りてからだよ。彼は今も死なず、ただベッドの上で眠ったまま。その償いがしたかった」

 

「それは償いじゃない」

 

「―――」

 

 何となく洋介と杉村くんがどういう末路を迎えたのか把握した。

 だからこそ、オレは洋介の履き違えを正すべきだろう。このままではきっと士郎は洋介を見限るかもしれない。

 平田洋介は間違ったまま進もうとしている。

 

「洋介がやっているのは償いでは無い。明らかな慰めだ。自らを正当化するだけの為に、自慰に過ぎない」

 

「それ、は」

 

「お前はまだ何も変われてない。洋介、お前初めから知っていたんじゃないか?」

 

「ち、ちがう! 僕は知らなかった」

 

「お前は見て見ぬふりをしていたんだ。環境の変化を理由に自らを正当化していた。根本から変われてない。いつも自分を正当化する理由を探している。それが優等生の仮面を被ったお前の本性だ」

 

 洋介は未だに慰めを求めている。

 だが、オレも士郎もそんな安易な言葉を与えるほど無関心な人間ではない。

 

「お前が人気者を志しているのは正当化の為だ。いつしか自分が間違いを犯してしまった時に、それを許されようとしている。軽井沢を始めとした女子たちに、その行いを正当化してもらおうとしている。初めから今まで、何一つ変われていない」

 

「そ、んなことは」

 

「無いか? 無いと言いきれるか?」

 

 怯んだように肩を震わせたのをオレは見逃さなかった。

 

「それは償いじゃないぞ洋介。お前の自己満足だ。現にお前は軽井沢を救えていない。本当に償うつもりならば、偽装カップルなんかにはならなかったはずだ」

 

 そう、軽井沢と洋介の関係は偽装だ。

 あの話を聞かされた時から違和感はあった。軽井沢が助けを求めて、その結果が今の状態だと言うのなら、それは救いではない。

 洋介は自分の立ち位置の破綻を恐れて、何も出来ていない。

 

「やっぱり未だ克服出来てないんだな。軽井沢同様、お前自身もその立場に追いやられることを恐れている」

 

「⋯⋯そうだね。僕は怖いんだ」

 

「ただ、それでもお前は変わろうとはしていたんだ。その行い自体は間違ったものじゃない」

 

 当然、誰もが虐められる立場を嫌うだろう。

 それは洋介だけじゃない。軽井沢の時、何人の生徒が自らの破滅を恐れて目を逸らしてきたのか。

 この件に関しては、洋介を責めることは出来ないし、何より何もしていないオレが責める権利を持っていない。

 

 オレに出来ることは士郎と同じく、ただ自らの正義を教えることだけだ。

 

「―――ありがとう清隆。やっぱり、君は本気で僕のことを考えてくれてるんだね」

 

「親友だからな」

 

 微笑む洋介にオレは淡々と返した。

 ただ今の発言には引っ掛かりを覚える。君は、と洋介は言った。

 

 まるで士郎は違うかのような言い方だ。

 

「本当はね、気付いてたんだ」

 

「⋯⋯?」

 

「士郎は決して善人なんかじゃないって」

 

 どういう意味だろうか。

 オレから見て、士郎ほど善人で()()()としている人間はいないと思うが。

 

「軽井沢さんからは虐められてる人特有の匂いがした。士郎からは、杉村くんを虐めていた人と同じ匂いがしたんだ」

 

「知ってたんだな」

 

「清隆も勘づいてみたいだね。うん。僕は最初から分かってたんだよ。士郎は良い人だけど、あくまで善人じゃない」

 

 オレの場合は勘づいた訳じゃないが。

 士郎から感じ取った違和感に整合性を求めた結果、その答えに辿り着いただけだ。

 だからこそ、尚更に勘だけでその答えに至ったことを恐ろしく思う。

 

「でも、士郎はまだ何もしてない。全部が嘘じゃないと思うんだ。例え、取り繕った善意だとしても、本人が正しいと認識した行いなら偽善じゃない」

 

「そうだな」

 

「だから、僕は信じたい。士郎が非道な人間じゃないってことを」

 

 ―――君に軽井沢さんを見ていて欲しいんだ。

 

 洋介はそう締め括った。

 

 

 

 2

 

 

 

 ⋯⋯なんだこれ。

 激闘を繰り広げ、両方共にかなりのダメージを負ったオレたちは、先程までの対立とは打って変わって肩を並べる湯に浸かっていた。

 豪華客船の施設の一つである銭湯。備え付けられた窓から見える青空と海。学生ではとても手が届きそうにない景観だった。

 

 銭湯の利用者はたった五名。ほぼ貸切と言っていい。

 貸し出されていた水着を装着し、肩まで湯に浸かる三人をオレは何とも言えない表情で見つめる。

 いや、縁に腰を下ろし、足だけ湯につけている軽井沢が一番困惑してそうだが。

 

「で、何がしてぇんだこの状況」

 

 龍園が顔を顰めながら投げ掛けた。勿論、質問の相手は士郎である。高円寺と士郎はオレたちなぞお構いなしに湯を満喫していた。

 

「何かしたいのはお前の方だと思っていたが? 龍園」

 

「あぁ?」

 

「そもそもお前が俺の下に訪れたのは話したいことがあったからだろう?」

 

「チッ、まぁそうだ。想定外なことはあったがな」

 

 オレとしてもあの戦闘は想定外だった。

 善人としてこれまで過ごしてきた士郎ならば、オレという目撃者ができた時点であっさりと身を引くと思っていたのだ。それに加え、龍園という他クラスのリーダー格まで現れた。

 間違いなく状況としては士郎が不利だったのだが。

 

「―――士郎は目撃したことには何も言わないのか?」

 

「おかしなことを聞くなぁ清隆。前提を考えるといい」

 

 なるほど。

 士郎は目撃されたことを痛手と思っていないのか。それとも想定の範囲内だったのか。

 いや今回は前者だ。

 

 今まで、言峰士郎という人間は穏やかで、優しくて、クラスの為に身を粉にして動いてくれる善人だった。

 それをオレや龍園が声を荒らげたところで、評価が覆ることは無い。既に他の生徒へと刻まれた言峰士郎の評価はその程度では揺るがないか。

 

「龍園、先にオレの方からいいか?」

 

「別に構わねぇよ。さっさとしろ」

 

「助かる」

 

 龍園は士郎に話がありそうだが、先に解消しておきたいことがある。

 軽井沢の件だ。洋介から頼まれている以上、軽井沢を助けることを最優先にしなければならない。

 オレは士郎の方へと顔を向ける。

 闇を孕んだ底の無い瞳が、空虚なガラス玉が俺を映した。

 

 ⋯⋯視界の端に映る高円寺が鬱陶しい。無駄にポージングを取るのをやめてくれ。

 

「士郎、お前は軽井沢をどうするつもりだったんだ?」

 

「⋯⋯ふむ。どうするもなにも、それは彼女の選択次第だな。彼女の秘密をバラす、黙っておく。俺はどちらも愉しめる」

 

 名前を挙げられた軽井沢の肩が跳ねる。

 士郎に詰められた時を思い出したのか、僅かに身体が震えていた。スクール水着を身に纏う軽井沢は異様に士郎に対し怯えを見せている。

 無理もないか。

 

「洋介の件もある。オレは士郎の行いを止めたい」

 

「それは今後か? それとも今回だけか?」

 

「軽井沢に関わることだけだ。後はどうだっていい」

 

 実際、オレは士郎の行いに思うところはない。

 士郎が楽しんでいるのなら、オレも喜ばしく思う。他者をどう害そうとオレに関係は無いのだから。

 ただ今回は別だ。洋介との約束は反故に出来ない。

 

「そうか。⋯⋯わかった、軽井沢()()何もしないよ」

 

「それが聞ければ十分だ。ありがとう士郎」

 

「気にするな清隆。俺も洋介の意向を無視するつもりはない」

 

 穏やかに微笑む士郎にオレは安堵する。

 ただ今後も犠牲者は出るだろう。それだけは確信できる。

 

 それでも士郎の行いは悪いことばかりではない。

 例えば堀北や佐倉のように成長に繋がるきっかけにもなるのだ。

 

 何処に士郎の真意があるのかは定かではないが。

 

「済んだか?」

 

「ああ、すまない龍園」

 

「一時的とは言え共闘した仲だ。大目に見てやるよ」

 

 龍園は余裕のある面持ちで士郎を見る。

 髪をかきあげながら、不遜に言い放った。

 

「俺からの要件は一つだけだ」

 

「ふむ、何かね?」

 

「Aクラスを落とす。その為にも手を貸せ言峰」

 

 Cクラスの王、龍園翔は傲慢な態度で告げた。

 

 

 

「Aクラスを、か。理由を聞いても?」

 

「現状、Aクラス以外の3クラスは横並びに近い。だが、Aクラスだけが突出してしまってるのは分かってんだろ」

 

「ああ、先の無人島試験の結果だな」

 

「そうだ。それでも尚、落としきれてない。だが、今回の特別試験はマイナスがある。絶好の機会だと思わねぇか?」

 

 無人島試験では確かにマイナスが存在しなかった。

 しかし、今回の特別試験は優待者を当てられるとCPが引かれるというデメリットが存在する。

 尚且つ、三対一という構図を成り立たせることが出来る特殊な試験だ。

 

「優待者の共有、とまではいかねぇが。それでも法則を見つける手助けぐらいはできんだろ」

 

「裏切りを恐れるのは当然だな。しかし、法則を見抜いたとて、その時点で裏切ることも容易だと思うが?」

 

「だがテメェはそれをしねぇ。テメェはAクラスになんぞ興味ねぇだろ」

 

「正解だな。お前は俺の裏切りを心配する必要は無い」

 

 恐らくではあるが士郎は試験に積極的に参加しない。

 無人島試験でもその片鱗は見えていた。クラス間競走に一切の興味を抱いていないのだろう。

 見えているのはあくまで他者の苦悶にだけ。

 

 己の求める悦があるのならば、士郎は喜んで手を貸すだろうと、オレは思っている。

 

「先の無人島試験で葛城は失脚した。あれはもう前に立てねぇ。つまり次から出張ってくるのは坂柳だ」

 

「目も当てられない惨事だったな」

 

「抜かせ。だが、坂柳は()()完全にクラスを掌握できていねぇ。今がAクラスを俺たちの土俵まで引きずり下ろす絶好の機会」

 

 龍園の言いたいことは分かった。

 求めているのはスタートラインの強制だ。一時的に4クラスを同じ土俵に立たせることによって、今までの禍根を綺麗さっぱり解消しよう、と言いたいのだろう。

 恐らくだが士郎はこの要望を受ける。しかし、堀北たちには話さない筈だ。独断で動くと予想できる。

 

「話は理解した。が、その上で承諾できない部分がある」

 

「あ?」

 

「勝たせないのはAとB。そして、CクラスとDクラスも勝たない」

 

「何言って―――」

 

「俺はAクラスは相手にしない。お前が言った通り、クラス競走には興味が無い。だが、坂柳有栖、その個人には関心がある」

 

 つまりはまぁ、そういうことだろう。

 士郎はどのクラスも勝たせる気はなく、それでいてAクラスのリーダーの一人、坂柳有栖とのサシによる直接対決を望んでいる。

 

「チッ。だがptは貰うぞ」

 

「構わん。法則自体は独自で見つけろ。優待者情報はくれてやる」

 

「感謝はしねぇ」

 

「必要ない」

 

 そう言い切ると士郎は一人、サウナへと向かった。

 残された四人の間に沈黙が訪れる。なんだこれ、士郎オレを置いていくな。気まずいぞ。

 今からでも追い掛けるか、そう思い立ち上がろうとして―――、

 

「言峰の弱点についてだ」

 

 龍園の言葉に遮られた。

 

 

 

 




VS坂柳開幕です。
大変お待たせしました。

てかクリスマスとか正月に合わせて番外編書こうとしたのに何も間に合わなかったよ。
感想、評価おまちしてます。

番外編について何ですが、要望があれば

  • クリスマス番外編『ヒロインズとのお話』
  • 正月番外編『ぐだぐだ実力主義(ギャグ)』
  • 本編でいいよ

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