ようこそ愉悦至上主義者のいる教室へ   作:凡人なアセロラ

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言峰士郎の独白(1/2)

 

 ―――告白しよう。

 俺は破綻者だ。

 

 生まれながらにして、万人が美しいというものを愛せず、醜悪で歪なものを貴んだ。善よりも悪を愛し、他者の苦痛や不幸でしか幸福を得られない欠陥品だったのだ。

 

 先天的に悪意を孕み、後天的に備え付けた良心の呵責に懊悩する毎日だった。

 

 だからこそ、俺はあの女に魅入ってしまったのかもしれない。

 

 

 

 1

 

 

 

「ねぇ、君も初めてなの?」

 

 しんしんと降り積もる雪の下、白い息を吐き出しながらその少女は俺に声を掛けてきた。

 中学一年生に上がったばかりの俺より、僅かに背の高い女だ。高校生位だろうか。首元に巻いたマフラーを引き下げながら微笑む彼女に視線を送り、返答する。

 

「そうです、少々興味が湧いたので」

 

「ふーん、神様を信じてるとかじゃないんだ?」

 

「どうでしょう。ただ現時点では信仰心は持ち合わせてないです」

 

 痛々しい笑みが似合う女だ。

 明らかに無理をしている、そう思わせた。左頬にテーピングされたガーゼから視線を離し、今度は俺から言葉を送る。

 

「そういう貴女は?」

 

「いたらいいなぁ、なんて思ってるかな」

 

「曖昧ですね」

 

「だね」

 

 互いに笑う。

 初対面ではあったが、俺はその女に興味を抱いていた。その心中で何を考えているのか、気になったのだ。

 

「君、名前は?」

 

「■■士郎です」

 

「私は■■■って言うの。これから同じ信仰者としてよろしくね?」

 

 寒さで悴み、赤みを帯びた指先。差し出された手を握り返す。

 ひんやりとした冷気と肌に微かに腕が震えた。

 

「うへぇ、ゴツゴツしてるね」

 

 女は俺の武骨な掌を確かめるように力を入れた。

 ■■家に生まれてから、肉体的に鍛えることを怠けたことは無い。常人よりも筋密度の高い肉体を持って生まれた俺は修練と共に成果を残している。

 

「何かやってるの?」

 

「ボクシング、バドミントン、卓球、キックボクシング⋯⋯まぁ色々な個人競技に手を出しています」

 

「凄いじゃん。私なんて何も誇れるものないよ?」

 

「寧ろ、ひとつの事に誠意を持って取り組めない節操なしだと思いますけどね」

 

 これは本音だ。

 父に言われるがまま、熱意も無くやる気もない状態であれやこれやに手を出している。

 そして、結果を出してしまうばかりに父も歯止めなく要求を重ねるのだ。

 

「時間だ、またね士郎くん」

 

 鐘の音が響く。

 彼女はにへら、と屈託のない笑みを浮かべ俺に背を向けた。

 彼女の進む先には同じ高校の制服を身にまとった男が待っている。恋人だろうか。かなり軽薄そうな見た目をしている特徴の少ない男だった。

 

「ええ、また後日にでも」

 

 この言葉が彼女に届いているかは知らない。ただ男を見た瞬間、僅かに肩が震えていたのを俺は見逃さなかった。

 

 降り積もった雪に己の軌跡を残しながら、教会を後にする彼女の背を見つめた。

 

「ふむ、恋人かね?」

 

 彼女の姿が見えなくなった頃、ふと背後から声が掛かる。

 声の先を振り向けば、そこに立っていたのは黒いキャソックに身を包んだ神父がいた。

 確か、言峰綺礼だったか。

 

「神父様、恋人ではありませんよ。初対面です」

 

「そうか。君は確か■■家の者だったな。失礼だが名前を聞いても?」

 

「士郎です。父とはご縁が?」

 

「士郎、そうか士郎か。⋯⋯いやなに、あの男の婚礼を祝福した身でね。その縁だ」

 

 言峰綺礼は感慨深そうにそう零した。

 キャソック越しにその完成された肉体が窺える。一つの武を極めた者の肉体。俺が目指すべき完成系の一。

 

「父は信仰心なぞ持ち合わせていなかったと思いますが」

 

「君の母君の要望だった。まぁ、元はと言えば君の母君と別の男の婚礼をする予定だったんだがね」

 

「⋯⋯それは、初耳です。しかし、そんな他人の身の上話を話しても大丈夫なのですか? 守秘義務と言ったものはあくまで貴方には課せられないと?」

 

「他人では無かろう。君の父親の話だ。私としても急な要望の変更で割を食った身でね、愚痴ぐらいは吐かせてもらいたい」

 

「よく言いますね。貴方、性格悪いでしょう?」

 

「君の方こそよく言う。両親に関心なぞないだろうに」

 

 覇気のない瞳から目を逸らす。何故か、俺の心の闇を覗かれたような気がした。

 神父は笑みを浮かべながら肩に積もった雪を払う。

 

「それで、■■家の者がどう言った心積りなのかね?」

 

「家は関係ありません。個人的に訪れただけですから」

 

「ほう。では信仰心と言うよりも懺悔に近いのかな?」

 

「⋯⋯まぁ、それが理由ですね。己の罪業を吐き出したかっただけなので」

 

 俺が抱える矛盾を誰かに肯定してもらいたかっただけなのだ。信仰心なぞは初めから持ち合わせていない。

 しかし、神に縋ればこの頭痛が治るとして、そうなればこの身を信仰に捧げることは吝かでもなかった。

 

「君さえ良ければ、神のお膝元に」

 

「いえ、もう来ることは無いでしょう。父はあまりいい顔をしないと思いますので」

 

「そうか。それは残念だ」

 

 ざく、と雪を踏み潰す。

 背後に佇む男に視線を向けることなく俺は教会から出るために歩き出した。白い息が頬を掠めて白銀の世界に溶ける。

 

「私は君がこの教会の戸を叩くことを待ち望んでいる」

 

 ―――そして、その時こそ、君の願いはようやく叶うだろう。

 

 しんしんと降り積もる雪の中、白銀の世界に佇む古びた教会。凍える両手をポケットに突っ込んで、振り返った。既に神父の姿はない。

 

 俺は底知れぬ苛立ちを抱いていた。

 

 

 

「帰ったか。今日は遅かったな士郎」

 

「申し訳ございません。夕食に遅れましたでしょうか?」

 

「そんなことは無い。寧ろ、私はお前が出した我欲を喜ばしく思うほどだ」

 

 父は朗らかにそう言った。

 どうやら俺が教会に行ったのは既に知られているらしい。一体どのような方法を使ったのかは知らないが、理由までは大丈夫だった。

 俺が取り繕った興味という言葉だけ耳に入ったか。

 

「さぁ、席に着け士郎。夕飯にしよう」

 

「はい。御同席致します」

 

「これ、■■お前も座らんか」

 

「はい旦那様」

 

 父の声掛けで俺と母が席に着く。その後使用人たちが夕飯を配膳し、対面する位置にいる父と母が先に料理に手を付けた。一口含み、飲み込んだのを確認してから俺も追随する。

 静かに何度か料理を口にした後、父はワインを手に取った。

 

「今年は寒さが長引いているな」

 

「はい。四月半ばというのにまだ雪は降っています。末までは続くでしょうか」

 

「お前の記念すべき入学式も雪の中行われた。桜が見れないのが残念だったが」

 

「そうですね。自分もそればかりが心残りです」

 

 ハンカチで口元を拭いながら父は笑顔を浮かべる。

 その姿を見て、鈍い痛みが後頭部に走った。

 

「それで、新しい環境には慣れたか?」

 

「先輩方、教師も良くしてくれています。また学校長も三学年の仲を深めたいという自分の要望に取り計らってくれました」

 

「おお、何かするのか?」

 

「再来週あたりで三学年合同のキャンプファイヤーを行う予定です。生徒会選挙に向けて、自分も顔を広める必要があるので、渡りに船でした」

 

「そうかそうか。お前は本当に優秀だな士郎」

 

 無能な男だ。

 ■■家として、本来なら当主にはなれないほどの落ちこぼれ。プライドと見栄ばかりが先行する哀れな存在。

 この男の他に当主に向いた人間がいなかったから、選ばれただけだ。

 

 能天気で、息子が何を考えているのか理解しようともしていない。

 ああ、吐き気がする。

 

 感情が交錯する。

 自らの中に沸き立つ悪感情を飲み込み、決して顔に出さないように取り繕う。

 

 俺は■■士郎だ。

 間違っても、そのような思考は許されない。

 

「どうかしたか? 士郎」

 

「いえ、少しばかり疲れが出てるみたいです」

 

「む、少しスケジュールが過密だったか?」

 

「そんなことはありません。自分の程度が低いためですから、父上は何も間違ってなどいませんよ」

 

「ならいいが⋯⋯」

 

 この空間にいるのは苦痛だ。

 俺に期待し、愛情を注ごうとするこの男の存在が苦痛でしかない。

 

 この男は俺を見てなどいない。

 ■■家の次期当主としか、俺を見ていない。

 

「ご馳走様でした。では、自分は先に失礼します。まだ予習が残ってますので」

 

「ああ、励みなさい」

 

「はい。良い夜を」

 

 使用人によって回収されていく食器を見送り、食堂を後にする。無駄に広く長い廊下。

 月明かりが差し込む光景。

 

 何故だが、教会で出会った女の顔が脳裏を過る。

 

「⋯⋯くだらない」

 

 暫く外を眺めていると、ガチャりと扉が開いた。

 

「あら、士郎。どうしたの?」

 

「いえ、特に何も。外を眺めていただけです」

 

「そう。風邪を引かない様にね」

 

 母だった。

 幾つ歳を重ねてもその美貌が衰えることはなく、父をして美しすぎた、と言わしめた。

 長い睫毛を瞬かせながら、母は俺の肩に手を置いた。

 

「まだ痛みは引かない?」

 

「はい」

 

「そう、教会に行ったのでしょう? 従兄さんには会った?」

 

「―――」

 

 どういうことだ。

 意味がわからない。

 

 あの神父と母に血の繋がりがあったのか? 

 

「あの、母―――」

 

「私を母と呼ばないで」

 

 平手が頬を叩いた。

 ジンジンと走る痛みに呆然としつつ、理由を求めて母を見つめた。

 

「全く穢らわしい。あの、男よ。あの男が全て、悪いのよ。ああ、シロウ⋯⋯」

 

 まただ。

 俺はまた間違えた。

 

 錯乱した様子で母は自室へと歩いていく。

 その姿を俺は追うことなく、見送った。

 

 母が正気では無いのを俺は昔から知っていた。

 幼少の頃より、母は父の前以外で『母』と呼ばれるのを嫌っていたのだ。嫌悪していると言ってもいい。

 ふたりの間に何があったのか、俺は知らない。

 

 ただ神父曰く、浅からぬ因縁がありそうな話だった。

 

 頭痛が止まない。

 吐き気が止まない。

 

 良心の呵責が身を焼き焦がす。

 

 そして、思い出した。

 

 俺は、あの女といる時だけは自らを痛めつける罪悪を忘れていたのだ。

 

 理由は分からない。

 

 ただ、また会いたい、そう思ってしまった。

 

 

 

 2

 

 

 

「うひゃあ、頭良いねぇ士郎くん」

 

「いえ、二次関数は中学で習う教程だと思いますけど」

 

「甘いよ。私は四則演算も不自由なんだっ」

 

「自らの不出来を自慢げに言われても⋯⋯」

 

 なんて返せばいいんだよ。

 思わず吐きそうになった悪態に、心中で驚嘆した。両親の前ですら崩れることの無い仮面。それが外れかけたのだ。

 やはり、俺は彼女といると気が緩んでいるのか? 

 

 教会の談話室。言峰神父より与えられた俺と彼女のみに許された空間。

 その一室で、俺は彼女に勉強を教えていた。どうやら学ぶという行為が苦手な彼女はこうして成績の良い俺を頼ったということらしい。

 それにしてもこの頭の悪さで良く高校に入れたものだ。

 

「推薦入学だったんだよ。だから何とか入学は出来たんだけどさ。まぁついていけないというか」

 

「分不相応なことをしましたね」

 

「辛辣だよっ」

 

 新しく増えた左目の腫れ。

 よく見れば彼女の右手には包帯が巻かれていた。いやそれだけでは無い、膝や太もも、ありとあらゆる肢体に傷を負っている。

 

「士郎くんはさ、将来何になりたいの?」

 

「俺は―――」

 

 答えようとして、言葉が出なかった。

 確かに俺は何を目指しているのだろうか。言われるがままに優等生を演じて、それで何がしたいのだろうか。

 分からない。俺はどうすればいいのか。

 

「分からないです。まだ何も」

 

「まぁ中学生じゃそんなものだよね。私はそうだなぁ、誰かと結婚してごく一般的な幸せな家庭を築けたらいいなぁ」

 

「今は幸せじゃないんですか?」

 

「ううん。幸せだよ。彼氏もいるし、両親もいる。学校に友達は居ないけど、ただ生きているだけで、幸せなんだ」

 

 俺とは程遠い価値観だ。

 そんな風に考えることが出来たらどれほど良かったか。

 

「幸せの在り方って人それぞれだし、士郎くんが感じる幸福も、私が感じる幸福も程度は違えど、同じ幸福じゃない?」

 

「はぁ⋯⋯」

 

「例えば、夢が叶うことを幸せだっていう人もいるし、努力が報われることを幸せだっていう人もいる。好きなことをする、好きな人といる、子供と遊ぶ、勉強をする。ありとあらゆる幸福の形があるんだから、私の感じる幸福も間違ってないんと思うんだっ! つまりLED照明完了!」

 

 照らしてどうすんだよ。

 

「先輩は勉強を幸せだと思わないんですよね?」

 

「うっ、まぁそうだけど」

 

「じゃあなんで今こうして勉強をしているんですか?」

 

「そりゃあ、必要だからじゃない? 何も全てが幸福に繋がるわけじゃないし、生きる為にはそれなりの苦痛が伴うものだよ。これは先達としての助言だねっ。あれ、私今めっちゃいいこと言わなかった?」

 

「いえ、当たり前のことを偉そうに言われても⋯⋯」

 

「士郎くん、なんだか最近口悪くない? なに? 反抗期?」

 

 反抗期か。

 親に反抗できるような気概のある人間だったら良かったがな。

 俺は父という存在に逆らうことが出来ない小さな人間だ。

 

「先輩、手が止まってますよ」

 

「うっ、頑張ります」

 

「はい。言峰神父に珈琲でも貰ってくるので大人しく続きを頑張ってください」

 

 いそいそとノートに教科書の問題を書き写す様を見ながら、俺は談話室を後にする。

 向かう先は言峰神父の元だ。礼拝堂にでも居るはずだが。

 

 礼拝堂に訪れると言峰神父はいた。

 祭壇の前で跪きながら、熱心に祈りを捧げている。その様は敬虔なクリスチャンを想起させた。信仰は俺を救ってくれるのだろうか。

 彼女は言峰神父同様、敬虔な信徒だった。神に縋り、毎日この場所に足を運ぶ。

 俺もその姿を見て、こうして毎日信仰を捧げている。

 

「言峰神父」

 

「士郎か。どうかしたか?」

 

 俺の声掛けに反応して言峰神父はゆっくりと立ち上がった。

 空虚な瞳がこちらに向けられる。

 

「珈琲を淹れさせて貰いたいのですが」

 

「構わんよ。談話室のものは自由に使っていい」

 

「言峰神父もどうですか?」

 

「⋯⋯そうだな。頂いておこう」

 

「わかりました」

 

 踵を返し、再び談話室に戻ろうとした矢先、その肩に手を置かれた。

 

「待ちたまえ、少し話をしないか?」

 

「構いませんが⋯⋯」

 

「ふむ。君が教会を訪れてそれなりの日数が経った。私が見る限り、君の信仰は本物だ。どうだね、見習としてここで神に奉仕する気は?」

 

「そうですね。正直言って有難い話です」

 

「ふむ、何か問題でも?」

 

「俺には時間が無い。こうして教会に何度も足を運べているのは一重にそれ以外を蔑ろにしているからに過ぎないんです。だから、父はあまりいい顔をしない」

 

「そうか―――」

 

 言峰神父は暫く考えを巡らせるように口元に手を当てた。

 そして、言い放つ。

 

「―――それも一興だな。■■の子倅、君に愉悦の何たるかを教えてやろう。耳を傾けるといい、我が同類よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

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