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「―――言峰士郎、お前はどうして矢面に立とうとしない」
豪華客船、その一室。
茶柱佐枝に与えられた客室で、二人は視線を交わす。
試験三日目午後。
ベッドの上にスーツ姿のまま半身を横たえ、リラックスした姿勢のまま茶柱はそのような言葉を投げかけた。その音の先にいるのは椅子に座るDクラス、いや三学年で最も優れていると茶柱が判断している男だ。
茶柱にとって綾小路以上に油断ならない存在であり、当初は関わろうとする気さえなかった。
担任である茶柱にだけ閲覧出来たその経歴。異常で歪で悪逆な事件に絡んでいるという疑いをかけられている優秀な生徒。安易に触れれば、火傷どころでは済まない、そう考えていた。
では、何故今になり接触しているのか。
単に言えば不安だったからだ。茶柱の推測ではその男は入学と同時にクラス、いや学年全体を掌握出来ていたはず。それほどに長けた人心掌握術とカリスマ性をその男は持っている。
これまでの経歴がそれを物語っているのだ。
だが、目の前の男―――言峰士郎はそれをしなかった。
何故、という疑問。言峰士郎は何を為そうとしているのか。何を狙っているのか。
まるで潜伏するかのように内なる力を秘めたまま日々を過ごす言峰を見て、茶柱は漠然とした不安に駆られていた。
何かを待っている、そうとしか思えなかった。
かつて言峰が通っていた中学に留まらず近隣の学校、果てには県外にまでその手は及び、幾つかは廃校にまで追いやられてる。
なのに何故、この男は何の処罰もなく、そして誰にもその所業を知られていないのか。
茶柱だけは知っている。
言峰士郎は一切の証拠を残さず、一切自らの手を汚さずに他人を死に追い込むことができる。
誰の印象にも残らず、疑惑もかけられることなく、それを遂行していたのだから。
ただ、言峰士郎はやり過ぎた。
通っていた中学校が廃校になれば、その中でも唯一何の被害も受けていなかった生徒が怪しまれるのは当然だ。
事実、こうして茶柱に情報が回ってきている。
彼の周囲は誰も疑わなかった。
みんな口を揃えて言うのだ。
―――彼はそんなことをできるような生徒じゃない。
するしない、ではなくできない。
目を通した資料の中でその証言を知った時、茶柱は恐怖に身を震わせた。
言峰士郎は待っていたのだ。
誰もが自分を疑わず、目的を遂行出来る瞬間を。例え証拠があったとしても、それでも尚、誰もが言峰の容疑を否定する。そう言った状況が完成するのを待っていた。
善人の皮を被ることで内に秘めた邪悪を秘匿し、敢えて優秀止まりな生徒を演じることで、そんな事が出来るはずない、と周囲を納得させた。
恐ろしい化物だ。
茶柱はそう確信した時、最早近付くことさえ恐れていた。当初は綾小路清隆という異質な生徒を使いDクラスからの脱却を考えていたが、すぐに改めた。
言峰士郎がいる限り、このクラス間闘争で負けるはずがない、と。
しかしどうだ。
今、言峰士郎はどうしている。
何もしていない。
少なくとも茶柱が認知する限りでは目立った動きは見せていなかった。
あくまで優秀ないち生徒を演じ続けている。
それが、茶柱佐枝にはとてつもなく不安だったのだ。
警鐘を鳴らしているのだ。
―――言峰士郎はこの学校を食い潰す気だ。今までそうしてきたかように、今回も。
ただ、この学校には教師の目が届く範囲が広い。各施設に備え付けられた監視カメラ、端末でのメッセージのやり取り、以前と比べてかなり動きにくくなってはいる。
だが、目の前の男ならばいずれ―――、
「何が言いたいのですか? 茶柱先生」
穏やかな声音に思考が断たれた。
依然として投げやりな言葉に相手を見下すかのような態度を取り続けている茶柱だったが、言峰は気にする様子もなく微笑を浮かべたままだ。
「お前には支配者としての力がある。それこそ、お前が関与してきたと思われる残虐な事件がそれを証明している」
「⋯⋯事件ですか、全く身に覚えがない話です」
「だろうな。今や疑いを持っているのは私だけだ。お前の企みは成功しているよ」
「私にはそのような力はありませんよ」
「そう思わせるために、今は潜伏を続けているのか?」
「はぁ⋯⋯茶柱先生、一生徒に過大評価は良くないですよ。あなた達は公平に分け隔てなく生徒を見るべきだ」
「見ているさ。私は少なくともそのつもりだ」
ああ、そうだろう。
茶柱は言峰士郎という存在を正当に評価している。この悪魔の子がどのような目的でどういった行動をとるのかは未だ不明だが、それでも善人ではないことは明白だ。
寧ろ、他の教員こそ言峰士郎という存在を公平に見ていないと言えるだろう。
他クラスの担任を初め、用務員に至るまでその全てが言峰士郎を信頼している。その猫被りに騙されている。いや、猫被りという可愛らしい表現が通用するのは櫛田桔梗程度だろうか。
きっと、これから言峰士郎が事に及んだ時、教員たちは誰もが疑いを持たないはずだ。
言峰はそういう風に自らを演じている。
そんなことをするような、ではなく彼はそんなことが出来ない。
そう思わせることが可能な人心掌握術。彼の気分次第でカルト教団なぞ簡単に作れてしまうだろう。
故に、茶柱はその真意を、目的を聞き出すまで不安を抱え続ける。
だが、茶柱とて教師だ。
自らの教え子が間違った道を進もうとしているのなら、正す必要がある。自分にそんなこと事が出来るかは置いておいて、そうなるように務める義務がある。
最早、彼女にとってクラス間の壁なぞ考えている暇はない。
教師として、言峰士郎という悪性を抱え込んだ生徒に救いの手を差し伸べなければならない。
茶柱にはそう思うだけの人情と教師としての責任感があった。
「私は、お前を異常だと非難するつもりは無い」
姿勢を正し、茶柱は真摯に言峰へと向き直った。
今までの態度は決して舐め腐っていたわけじゃない。挑発的な意味は微塵も込めていなかった。
ただ、怖かったからだ。今もこうして言峰と単独で接触するのに怖気ている自分がいる。それを悟られたくなかった。
教師が、自分が受け持つ生徒に怯えているなど、笑い話でしかない。
「俺は異常に見える、ということですか?」
「視点の問題だろう。お前の過去を知らない者は疑念すら抱かない。私も、お前の素性を知らなければただの優秀な生徒として認識していただろう。その悪逆な行いに気付きすらしなかったはずだ」
「悪逆とは酷い言い方ですね」
「お前の悪辣さを肯定するつもりは無い。ただ、だからといってその全てを非難するつもりは無いんだ」
「茶柱先生は面白いことをおっしゃいますね。社会的に見て悪というのは問答無用で裁かれるべきです。そこに一切の猶予は与えられてない」
「それは⋯⋯」
言峰士郎。
旧姓・三上士郎。茶柱佐枝は三上家の異常さを知らなかった。
三上家は第二次世界大戦後に創設された特異な一族である。三つの国家が優秀な遺伝子のみを掻き集めて作り出す天然の天才。人はどこまで行けるのか、という実験、その成果。
三上家は日本で行われたその実験の結果だ。
日本中で精査された選りすぐりの遺伝子を取り込み続け、その果てに生まれたのが三上士郎だった。
神に至る実験。三上とはそういうものなのだ。
本来、言峰士郎はその最高傑作として三上家を存続させなければならなかった。
ただ唯一の欠陥があるとすれば、それは―――、
「俺は茶柱先生、貴女を尊敬しているんですよ」
「何を―――」
「俺の過去を知って、俺の悪逆非道な行いを知って、それでも教師として接してくれている。救いの手を差し伸べようとしている」
言峰はゆっくりと立ち上がった。
「俺は自らの悪を知ったその日から、誰かに救いをもたらそうとは微塵も思わなかったんです。世界に産み落とされたことを憎み、善良なるものとして祭り上げられたことを恨んだ。俺は生まれてきたくなんかなかった―――」
「そ、それでも私はお前を―――」
「茶柱先生、今もこうして俺を恐れている貴女だから尊敬できる。そして、夢想してしまうんです、ありもしない情景を」
闇を孕んだ瞳が茶柱を覗き込んだ。深淵の如き底のない暗闇。まるで呑み込まれてしまいそうで、茶柱の思考が歪む。
上手く言葉が出てこない。どう声をかけたらいいのか、漏れ出るのはたどたどしい吐息だけだった。
「もし、俺が自らの悪を自覚する前に貴方と出会えていれば、救いの手を取っていたのなら、きっとその時は―――いえ、こんな話はなんの意味もありませんでした」
「こ、とみね」
「どちらにせよ、いずれは破綻していたんでしょう。俺は世間と同じ物の捉え方ができない。世間が善良を尊び、美しきものを愛でれるのならば、俺は悪逆を尊び、穢らわしいものを愛す。どうしても俺はこの世界で生きられない」
言峰士郎という存在にとってこの世界は生きにくくて仕方なかったはずだ。自分がやりたくないことを是として、生き甲斐を否とする。苦痛でしか無かったはずなのだ。
根本からズレている人間が、正常だけを肯定する社会で生きていけるはずがない。悪を為したいという欲求を生まれ持っていた者に善を説いても理解できないだけなのだ。
「安心してください茶柱先生。俺は貴女をどうこうするつもりはありません。ただ見ていて欲しいんです。貴女が救済しようとした悪人がどのような惨禍を撒き散らすのか」
「ダメだ言峰―――」
「あと少しで土台が完成するんです。坂柳に敗北することによって俺の地位は揺るがないものとなる。頭痛と吐き気に苛まれ続けたあの日までの自分に、我慢を強いられてきた俺自身に報いる時が来たんですよ」
ガチャり、と扉に手を伸ばし、言峰は
その表情は、茶柱には
「ありがとうございました茶柱先生。俺は貴女を肯定しますよ」
「言峰、私は―――」
立ち上がり手を伸ばす茶柱だったが、言峰はそれを遮るように扉を閉めた。
縋るように伸ばされた手が虚空を彷徨い、やがて力なく落ちる。
扉一枚。二人を隔てるそれは、心の距離のようで、どうしてもその背中は遠く見えるのだ。
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「お待ちしておりました言峰くん」
「ああ、随分と待たせたみたいだな。すまなかった」
「お構いなく。お陰で準備はしっかり出来ましたから」
コツン、とカップが置かれた。
日差しが二人を照らし、その卓上に置かれたチェスボードと二つのティーカップを映し出す。
言峰士郎と坂柳有栖は両者ともに笑みを浮かべ席に着いていた。
「ギャラリーが多いみたいだが?」
「貴方との決着の為に私が呼んだんです。各クラスの重鎮がこの対局を見守ってくれます」
「敗者が晒し上げられるわけか」
「ええ、言い方は悪いですがその通りです。この場で、貴方との優劣を示したかったもので」
この空間にいるのは二人だけではなかった。
Aクラスを始めとしてざまざまな生徒たち、リーダー格である葛城、一之瀬、龍園、堀北など、神妙な面持ちで両者の対局を静かに待っていた。
集まった生徒の総数は数え切れないほどだった。
「大丈夫かな、言峰くん」
「大丈夫さ、櫛田さん。士郎が負けるはずないよ」
「そうだよねっ」
櫛田の不安げな言葉に平田は安堵させるかのように言葉を紡いだ。
それを胡乱気な表情を隠そうともせずに堀北は見つめている。楽観的過ぎて頭を抱えたくなっていた。
「堀北は士郎が勝つと思うのか?」
綾小路はそんな様を見ながら堀北に声をかけた。
堀北は思案するように眉を顰めるながら答える。
「どうでしょうね。言峰くんの実力を疑うつもりはないけれど、坂柳さんが勝算のない勝負を仕掛けるとも思えないわ」
「そうだな。坂柳の性格から見て、勝てるという自信ありきのものだろう。でも士郎の方も勝算が無ければそんな勝負受けないと思うが」
「その辺は二人のチェスの腕前を見てみないと分からないわね。言峰くんなら何かしらの対策をしているはずだけど」
答えは出ない。
綾小路もこの勝敗の行方を推測するのは至難だった。両者の腕前を知らない以上、その推測は無意味なものだ。
しかし気になるのはAクラスで坂柳に従っていた女子生徒だ。確か神室真澄だったか。
何処か焦ったような表情をしている。しきりに周囲を見渡しているし、貧乏ゆすりの如くつま先を床にうちつけている。
そして視界に龍園の姿が映った。
二人の対局をにやにやと見つめている。またろくでもないことを考えていそうな男だ。
「始まるわよ」
堀北の言葉に意識が引き戻され、綾小路は言峰と坂柳の二人へと視線を移す。
「さて、一応聞いてみますが先手、後手どちらになさいますか?」
「ふむ。決め方は?」
「私から仕掛けた勝負です。言峰くんに判断を委ねましょう」
「そうか、ならコイントスで決めよう」
そう言うと言峰はポケットから一枚のコインを取り出した。
坂柳は瞠目しつつも問いかける。
「事前に準備なさっていたのですか?」
「ああ、こんなこともあろうかと拝借しておいた」
「ふふ、期待してしまいます。貴方はどれほど強いのか」
「それはこのゲームで時期にわかるだろう」
言峰がコインを親指と人差し指で支えた。
「表で」
坂柳のその言葉と同時にキィン、と甲高い音を奏で、コインが宙を舞う。幾回にも回転を重ねたコインはやがて言峰の手の甲へと落ちた。包み込むように左手が重ねられる。
「表だな。先手は君だ」
「―――?」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません。では先手を打たせてもらいます」
坂柳の手がチェスの駒へと伸ばされる。
掴んだのはポーンだった。
「始めましょうか」
「ああ、よろしく頼む」
「はい。よろしくお願いします言峰くん」
二人の対局が始まった。
・茶柱佐枝
もし仮に幼少期に出会っていれば茶柱先生ルートも有り得たかもしれない。先生にゾッコンからの三上家崩壊。
また、Aクラス昇格RTAが始まる。
てかなんで茶柱先生ってあんなにエロいんですか。えっちすぎます。
・三上家
テラフォーマーズのニュートン家みたいなものだと思ってください。本編に関わってくることは無いです。あくまで設定だけ。
歴史は浅い家ですけど子供の数が段違いに多いので分家含めて三百人近く居ます。子供の中で一番優秀な男子に政府が選りすぐった優秀な遺伝子を持つ女性と関係を持たせる。その中で最も優秀な子供が、と繰り返している。その結果生まれたのが士郎くん。
因みに母親は遺伝子関係なく父親が一目惚れした結果の奥さんです。