ノリに乗って執筆して限界を迎えました⋯⋯。
「こんにちは、言峰士郎くん。前回と同じく最後者です。もしかして、前と同じような問答がしたいのですか?」
「いや、そういう訳では無いよ坂柳有栖。教会を訪れる者には等しく同じ問いを投げかけている。例外はいるがな」
彼は苦笑しながらそう返してきた。
例外、と聞いて思い当たるのはDクラス、いやこの学校でも類を見ない変人と称される高円寺くんだ。
彼と高円寺くんは交友関係にあるという。それもただならぬものであり、私たちの想像の範疇を超えた関係だ。表現できるような言葉はなく、両者ともに尊重することも無く、妥協することも無く、無遠慮な関係にあるという。
散々彼のことを扱き下ろしてきたが、高円寺くんを御せるというその手腕だけは認めてやってもいいかもしれない。
つまるところ、彼を駒に出来れば高円寺くんすらも制御できる存在となるわけだ。
おまけというにはあまりにも大きな利益。ますます彼を駒として手元に置きたくなる。
「だが、橋本はともかく、鬼頭の方は話したことは無いな。改めて名乗らせてくれたまえ。私は言峰士郎。この教会で神父の真似事をやらせてもらっている」
鴉を彷彿とさせる漆黒のキャソック。
シャンデリアの光を受けて輝く十字架のネックレス。
片手に添えられる分厚い聖書。
神秘的な雰囲気を纏う柔和な笑みを浮かべた端正な顔立ち。
何故Dクラスなのか、何故不良品と呼ばれるのか。
その所以が最も知れない男、言峰士郎。
私に楯突いた哀れな劣等遺伝子。
今日は、彼の心をへし折る。
再起不能な程に、二度と私を侮れないように。
その為にこうして私自ら足を運んだ。
「早速ですが本題に入らせてもらいます。貴方の性根は十分に理解したつもりです。言峰くん、構いませんよね?」
「君は迂遠な言い回しを好むと思っていたが、私の勘違いだったようだな」
わざと言葉を遮るように放った言葉は、更に嫌味を乗せて私に返ってくる。本当に口だけは達者な男だ。
私に負けた犬のくせに、未だに幼子のように扱ってくる。ここまでコケにしてくる相手は初めてだ。
「節穴ですね。⋯⋯それでは簡潔に話すことにします。貴方は私との約束を守る気は無いのですか?」
「わざわざそのような質問をしてくるということは君は私が約束を破るような人間だと言いたいのかな?」
「違うのですか? 今もこうして契約違反を犯しているのは貴方ではないですか」
私は彼に表舞台から降りることを命じた。
二度とDクラスを率いる真似はしないように伝えたはずだ。
でなければ、綾小路くんが私との勝負の土俵に立つことはない。彼とのチェスは退屈しないものではあったが、だからといって綾小路くんとの勝負を捨てるわけにはいかない。
彼と決着をつけることで、ようやく私は証明できるのだ。
「そこまで言うのなら契約の内容を再確認しよう。君は私に勝者として『表舞台から降りること。また、優待者試験への参加を禁ずること』を命じたと思うが、異論は?」
「ええ、その通りです。しっかりと覚えているでは無いですか。尚更理解できませんね」
「そうは言われてもな。君の言った表舞台から降りることについて詳細に聞くことにしよう。『表舞台』というのはクラスを率いる行為、所謂リーダーとして試験に参加することで合ってるな?」
「はい。そうです」
「では言わせてもらうが今のDクラスのリーダーは私ではない。そして、平田でも櫛田でも軽井沢でも、君の愛しの綾小路でもない」
「ならば誰です?」
「堀北だ。Dクラスのリーダーは堀北鈴音だ。これはDクラス全員が周知する事実で、自他ともに堀北鈴音というリーダーを認めた結果だ。今の私はただのクラスメイトの一人に過ぎない」
堀北鈴音がリーダーとはどういうことか。
言峰くんの後任は平田くん、次点で櫛田さんあたりだと考えていた。綾小路くんが自ら名乗り出ることはないことも、Dクラスを窮地に追いやってようやくステージに登ることも予想出来た。
だが、堀北鈴音がリーダーというのは理解してやれない。
「彼女は協調性も、リーダーとしての才も、ましてや支配者としてのカリスマも持っていない。何故堀北さんをリーダーに?」
「確かにそうだ。リーダーに最も向いているのはやはり平田だろう。Bクラスを見ればわかるが一之瀬ほどリーダーに向いている人間はいない。つまり協調性があり、公平で、仲間思いな才能ある人間が適任だ。堀北は該当しないな」
「ええ、おっしゃる通りです。だからこそ貴方が彼女をリーダーに選んだ意図が読めません」
「選んだのは私ではない。Dクラスの総意なんだよ。お前にそれがどういう意味なのか理解することは出来ないよ。龍園ならまだしも完璧な支配者であるお前には」
結局、言峰士郎を表舞台から引きずり下ろしても、綾小路くんが代行することはなかったのだ。
ならばこそ、次の標的は堀北さんとなる訳だが。
「ともあれ、これで君の誤解は解けたようだな。私は契約違反なぞ起こしていないし、徹底的に遵守しているつもりだ」
「そうですね、今回は私に非があったようです。謝罪します言峰くん」
「必要ない。代わりと言ってはなんだが、一つゲームをしないか?」
「ええ、いいですよ。何のゲームを?」
チェスで負けたことを根に持っているのか彼はそのような提案をしてくる。まぁ構わない。
前回と同じく私の勝利は揺るがない。彼の底は知れた。
私には言峰士郎の限界が見えている。
「これを使ったゲームだ」
彼が取り出したのは四つの賽子だった。
何をするつもりだろうか。
「そうだな、まずは橋本。君から振ってみたまえ」
言峰くんはそう言って私の隣に立っていた橋本くんに四つの賽子を手渡す。
橋本くんは私の顔色を窺う。
「振ってください」
「はぁ⋯⋯仰せのままに」
橋本くんの掌から賽子が零れ落ちる。
赤いカーペットの上に音もなく散らばった賽子の目は全てバラバラ。規則性もないものだった。
「右から5665。いい出目ですね」
「そうだな。このゲームの意味を説明しようか。手段は賽子をただ振るだけ。たったそれだけで我々の格差を図るというものだ」
「なるほど、ギャンブルに近いものですね。残念ですが言峰くん、私はこの手のゲームで負けたことはありませんよ」
橋本くんが拾い集めた賽子を受け取り、今度は私が振る。
私は知っている。どんな数字が出るのかを。どのような結果が現れるのかを。
私は生まれついた勝者だ。良い出目以外を知らない。
「6666。最高の出目だな。君が語ってくれた天才の定義を思わず認めたくなってしまうほどだ」
「すげぇ⋯⋯!」
そうだろう。
私たち生まれついた勝者はことギャンブルにおいて負けることなぞない。運命は私たちに味方している。
幸運。天才として生まれたという事実が、それを物語っているのだから。
言峰くんは落ちた賽子を拾うと意味深に笑った。
その瞳に宿る澱んだ何かを見て、私の身体が固まる。この感覚はあの時と同じものだ。
「生憎だが坂柳、俺は自分の意思でない限り、この手のゲームで負けることが出来ないんだ」
掌から四つの賽子が落ちる。
音もなく綺麗に着地したそれを見て、私の頬を冷たいものが伝った。
「9999。まぁ俺から見れば6だが君たちから見れば全て9だろう?」
有り得ない。
どんな手を使った。どのような偶然でこうなる。
無造作に投げ出されたはずの賽子は位置こそバラバラであるが、転がることも無く全てが綺麗に平行だった。
「ところで、坂柳有栖。もう一度賽子を振ってみてくれないか?」
言峰くんは優雅な所作で賽子を一つ一つ広い、私の手に握らせる。
得体の知れない何かが私に忍び寄ってきている。
この感覚は、憤りなんかではなかった。
「俺が君の出す目を予言してやろう。君は右から4651の目を出すだろう」
言峰くんは祭壇の前まで戻ると高らかにそう宣言した。
/5
退屈そうに高円寺は溜め息を吐いた。
それを横目で見ながら端末から聞こえてくる音声に椎名は耳を傾ける。椎名の端末と言峰の端末は通話状態にある。こちらはミュートにしているが言峰側の会話は筒抜けだ。
椎名は無遠慮にソファに身を預ける高円寺へ問いかけた。
「高円寺くんはどうなると思いますか?」
高円寺はこの学校で最も言峰士郎を知っている。
その経歴から性格、本性までも知り得ている。つまるところ、最も言峰に近いのが傲岸不遜で自己愛の塊である高円寺だった。
「ふむ。まぁ答えてやるのは容易だが、その前にシェロについて語るとしようか。退屈しのぎにもなるしねぇ」
「是非聞きたいですね」
「私が初めて会った時は、なんとつまらない人間だと思ったよ。平等で公平な完璧主義者。自身が本気で見知らぬ他人の為に生まれてきたのだと信じて疑わない男だった。それが小学生だった時のシェロだ。話す価値すら無い退屈な凡人だと思ったものだよ」
「今もそうでは無いのですか?」
「在り方は変わらんよ。変わったのはシェロの内面の方さ。まぁこれについては語るつもりは無い。語る意義を見いだせないからねぇ」
高円寺は呑気に爪に鑢をかけながらニヤリと笑った。
器用に鼻歌交じりだ。
『本気で、そうなるとでも?』
『なるさ。俺は君の語る天才の定義を否定する材料を持っている。それを証明してやろう』
『誇大妄想もここまで来ると哀れなものですね⋯⋯!』
『これが妄想かどうかは君がその賽子を振ればわかる事だ』
端末から聞こえてくる会話は楽しげだ。いや実際愉しんでいるのは言峰の方だけだろう。坂柳の声音には焦りのようなものがある。
そうなるはずがない。そんなことが出来るはずがない。そう思考は導き出しているのに、彼女の第六感が警鐘を鳴らしているのだろう。
「シェロはリトルガールのいう定義に当てはまっている。優秀なDNAの下に生まれた天才。リトルガールが語る天才というのはシェロだ。その定義が本当に正しければだがねぇ」
「つまり、士郎くんのご両親は天才だったと?」
「ノンノン。それは違うねぇミステリーガール。その解釈は部分的にしかあっていない。シェロの家系そのものがリトルガールの言う天才の定義を立証する為のものさ」
「人工的に天才を作る家系ですか。三文小説みたいな話ですね」
「そう、酷くつまらない家系だった。だが、実験は成功したが、失敗でもあった」
「士郎くんは成功例だった。でも、あまりにも異常な才能故に遺伝子に関係がないと判断され、失敗となった。という解釈で合ってますか?」
「その通りさミステリーガール。君との会話は退屈しなくていい」
高円寺は今度は手鏡を覗き込みながら髪型を整え出した。
今は椎名しかいないし、視線を気にするような場所ではないと思うが。
内心そう思いながらも椎名はそれを口に出すことは無かった。
『どうした、何故渋る?』
『なんでもありません』
『ではどうして賽子を振ろうとしない。まさか、あそこまで赤裸々に自身の勝利を謳った君が逃げるようなことはしないだろう?』
『うるさいですね⋯⋯! 黙っててくださいっ』
声音から坂柳の肩が上下している様が脳裏に過ぎる。
小さくではあるが、坂柳を心配する声も聞こえてくる。
「シェロは失敗作だった。両親の。否、全ての血統を遥かに上回る才を生まれながらに授かっていた。天賦の才、天から与えられた贈り物。世界そのものに贔屓されていると言える」
高円寺の口角がみるみる上がっていくのがわかる。
「私はシェロとギャンブルはしない。あれに運勝負を挑むなぞ、負け戦に挑むようなものだ。私は勝てる勝負にしか手を出さないほど臆病ではないし、だからといって負けるとわかっている勝負に手を出すほど愚かではないつもりなのでねぇ」
「高円寺くんなら対抗できると思いますが」
「確かに対抗は出来るさ。けれども私はシェロほど愛されていないからねぇ」
「愛? 誰にですか?」
「世界にさ」
端末から息を呑む音が聞こえた。
続いて、言峰の愉しそうな声が流れる。同時に高円寺は高らかに笑った。
『4651。これが君の語る天才の定義を否定する証拠だ』
「―――言峰士郎は世界に愛されている」
「⋯⋯有り得、ない」
橋本から悲鳴にも似た声が漏れる。
鬼頭も瞠目したまま動けずにいるし、坂柳の表情は青ざめ、その額からは目に見えて分かるほど、冷や汗が流れている。
対し、言峰は終始余裕そうな表情を崩すことは無い。
賽子の出目が示したのは4651。奇しくも言峰が予言したものと一致する。
きっと高円寺あたりは高笑いを浮かべているだろう。
「君の言う天才の定義。全ての人間はDNAで優劣が決まるという考え。それを否定するのがこれさ」
「こんな、ことが」
「俺は凡俗な父と優秀の域を出ない母から生まれた。勿論、俺から見ればどれほど家系図を遡っても君ほど天才と言える者はいなかった。そして、その中で俺は君を超える天才として生まれている。どうだ? 否定するだけの証拠はあるだろう?」
「しかし、これが偶然でなければ何故コイントスの時に⋯⋯ッ!!」
「言っただろ? 俺は
「貴方は! 願っただけで望む結果を手に入れられると、そんな妄想を平然と語るのですね⋯⋯!」
「君も言っていたじゃないか。天才とは勝利を定められた者だと。いや、君は義務付けられた者、と言ったか」
有り得ない。
こんな結末なんて有り得ない。
坂柳の胸中を焦りが駆け巡る。
そして、一つの矛盾に辿り着いた。
「貴方は、私にチェスで敗北しています!」
「⋯⋯君は理解力が無いな。さっきも言ったんだが。俺は自分の意思でない限り、負けることが出来ない。つまり、まぁ負けようと思えば君に知覚されることなく負けることは出来る」
「嘘です! 見え透いた嘘―――」
いや、仮に言峰が坂柳を圧倒的に上回るチェスの腕を持っていたのなら不可能ではない。だが、そんなことは机上の空論のようなもの。それこそ、チェスの全てのパターンを記憶してない限りは、土台無理な話だ。
いや、引っかかるものがある。あれは確か、言峰とのチェスの最中に交えた会話で―――、
『必勝パターンがある。先手有利。将棋や囲碁に比べてパターンが少ない。詰め将棋のようなものだな』
『言ってくれますね。全てのパターンを把握していると?』
瞬間、坂柳の脳裏を過ぎったのはその一言だった。
まさか、本当に言峰士郎は全てのパターンを記憶しているというのか⋯⋯!
「君に負けることは決定事項だった。目的のために必要だったからな。しかし、だからといって先手有利なゲームで先手で負けることは明らかな実力差があるように思われてしまう。そうなると、君からは遊び相手にすらならない、と見なされかねない。だから、後手で尚且つ僅差で負ける必要があった」
「その為に、コインをわざわざ教師に借りた⋯⋯!」
「ああ、君が綾小路にご執心なことを知っていれば、自ずと俺を潰す為に接触してくる。綾小路を表舞台に引きずり出すには俺が邪魔だろうからな。そして、勝者として俺が表舞台から降りることを命じてくるのも予想出来た。君は俺を自尊心を守るために潰したくてたまらなかっただろうからな。俺を正面から打ち負かすことは君の中で決定事項だっただろう」
そうだ。
言峰が語る通りだ。
坂柳は自らの自尊心を守るために、格差を見せつけるために真正面から言峰を倒し、その上で綾小路を引きずり出そうとした。それが最も効率的であり、支配者として相応しい振る舞いだと考えた結果だ。
「前にも言ったが、この教会は様々な情報が入ってくる。当然、君たちAクラスの人間も訪れるから、君の情報が入ることも当然だ。君が好戦的な性格をしていて、何より自尊心が高いことは容易に推測できた。何より、君は自身の感情よりも、支配者としての在り方を重視しているとすぐに分かった」
「しかし、それは貴方がチェスで私に勝てたことの証明になっていません!」
「まぁそうだな。では五十七手目、c5ルークこれでどうだ?」
「⋯⋯確かにその一手で私の敗北は決定していたかもしれません。今そこから勝敗を覆す手を私は思いつきませんから。ですがっゲームの後からならいくらでも手を考えることは可能ですッ!」
「だろうな。それを証明するのはゲームの後だと難しい。ともあれ、話を戻すが君の自尊心を刺激する方法は簡単だった」
言峰は笑みを向ける。
それは手間のかかる幼子を諭すような柔らかい苦笑で―――、
「君は子供扱いされることを嫌う。その容姿故に、そのように侮られることに寛容になれない。尚更、それがただ愚かな凡人ではなくただ秀才の域を出ない思い上がった俺となれば」
「そこまで見越して⋯⋯!」
「ところで、君は自身を優等な遺伝子を持っていると捉えているらしいが、その先天性心疾患は劣等では無いのか?」
「―――」
ずっと考えないようにしていたこと。
坂柳が自らの定義を、その天才だという事実を否定してしまう証拠を言峰は提示してきた。
不意をついたその言葉に思わず何も言い返せない。
「龍園が謳っているように暴力も才能のひとつだ。それが欠けてしまっている君は本当に優等なDNAを継いでいると言えるか?」
一歩、言峰が踏み出す。
「君が定義する天才とは生まれながらに決まるのだろう? ならば、生まれながらに疾患を持っている君は、運動能力のない君はどういう立場でそのようなことを宣っているんだ?」
更に距離が縮まる。
「なぁ、坂柳。何故何も言わない―――」
瞬間、鬼頭が駆け出していた。
これ以上の主への蛮行を認めないと言わんばかりに言峰へと殴り掛かる。
「―――ガッ!」
その拳が届くよりも早く、言峰は内側に踏み込むように肉薄する。
その天与の恵体から放たれたのは八極拳の技のひとつ、代表的なまでに知られる鉄山靠。
鬼頭の意識外から迸る衝撃。凡そ人間から放たれたものとは思えないほどの一撃。
消え入る意識の中で、鬼頭の脳裏を過ったのは走行中の貨物トラックだった。
「―――なにが」
一秒にも満たない攻防に坂柳は理解が追いつかなかった。瞬きの間に鬼頭が壁に背を叩きつけられ倒れている。
一切の理解が及ばない範疇の出来事だった。
「意識を刈りとる程度の手加減はした。と言っても、力加減はしてないがね」
言峰は笑みを崩さずに言う。
全くもって意味がわからない。
「言峰ェッ!」
「待っ―――」
坂柳の制止を届かぬまま、今度は橋本が言峰へと飛びかかった。
「―――かはっ」
が、またも次の瞬間には橋本の肉体が坂柳の隣にあった会衆席に叩きつけられていた。衝撃で木片が散らばり、埃が舞う。
たった数秒で坂柳が用意した護衛、暴力装置が機能を失ってしまった。
「さて、君が用意していた護衛は力尽きたが、次はどうする?」
「こんなこと、外には真澄さんもいます⋯⋯! 貴方もただでは済まないはずですっ」
「あぁ、神室か。残念だが彼女は君に不利な証言しかしないだろう」
哀れなものを見るように言峰が嗤う。
それを見て、またもや坂柳の胸の奥から澱んだ何かが滲み出る。
「なにを⋯⋯!」
「彼女は鬼頭と橋本を除いて誰とも連絡をとっていない。勿論、俺ともな」
「まさか―――」
坂柳の脳裏を過ぎるのは先の神室との会話だった。
神室は言峰の連絡先を知らないと言った。そして、別の生徒を経由して居場所を聞くとも言っていた。
連絡先を知らない、という言葉に嘘はなかった。神室に坂柳から嘘を隠し通すほどの厚顔はない。
つまり、前提が違ったのだ。
初めから神室は言峰が教会にいることを知っていた。
坂柳はこの監視カメラもない学校側から死角となる場所におびき出されていた!
「因みに俺は普段、日曜日の午前中は教会に居ない。そして、今日は俺の部屋で高円寺と椎名の二人を部屋に招き、寛いでいる、ということになっている。カメラにも俺が二人を招き入れている映像は写っているだろうな」
「監視カメラを掻い潜って教会まで来たというのですか⋯⋯!」
「毎日寮から教会に行き来していれば、嫌でもカメラが目に付く。つまりはまぁ、そういうことだ」
「初めから、真澄さんは貴方側にいたと!? 接触は無かったはずです!」
「だが、いくらなんでも俺以外の交友関係まで見てはいなかっただろう?」
「別の人間を使って連絡を取り合って―――」
有り得ない。
有り得ない有り得ない有り得ない。
ここまで用意周到に準備していたなんて、一体誰が見抜けるというのか。
一体どんな目的があれば、こんなに緻密に計画を練れるというのだ。
「さて、君が俺に頭脳で劣っていることを証明した。君が俺に判断力で劣っていることを証明した。君が俺に身体能力で劣っている――これは君ではなく君の駒だが――ことを証明した。で、君は遺伝子上の天才ではない俺にもう一度、持論を語れるか?」
「―――」
「君は龍園が秩序の内側にいると宣っていたが、どの面してそのようなことを言えるんだ? 厚顔にも程があるだろう。俺がその気になればこの場で君を殺したとしても状況証拠から容疑者に俺が挙げられることも無い」
つまり、生死すら坂柳は言峰に握られている。
「格下と
男の人らしい大きな掌が、その指先が坂柳の頬を摘んだ。
「前にも言ったが君には欠点がある。故に支配者には程遠い」
その黒く澱んだ瞳が坂柳を覗き込む。
ああ、やっとこの胸の奥から滲む感情の正体がわかった。
これは―――恐怖だ。
同族嫌悪ではない。言峰は同族ではなかった。
坂柳が加虐嗜好だとすれば、言峰はもっと深く澱んだ何か。他者の苦悶と絶望のみを尊ぶ悪魔だ。
身体の震えが止まらない。
視界が滲む。
頬を伝う感触の正体が涙だと気付くまでにそう時間はかからなかった。
「利口だな。厄介な相手だと思っていたが⋯⋯蓋を開けてみれば存外可愛らしいものだ」
大地を思わせるほど武骨な言峰の太い指が坂柳の髪を撫でた。まるで、利口な犬を相手にするように、嘲った言動。
坂柳にその敗北を刻み込むかのように言峰は頭を撫でる。
その光景は互いの立場を明確に表している。
勝者と敗者。揺るぐことの無い格差だった。
「それでは、しっかりと敗北を噛み締めることだ。敗者の坂柳有栖」
言峰は手をひらひらと振って立ち去っていった。
物音ひとつ無くなり、静寂の中、僅かに聞こえるのは坂柳の嗚咽だった。ここまで明確に敗北したのは初めてだった。格差を見せつけられたのは初めてだった。
こんな屈辱を味わったのは、初めてだった。
がくり、と膝が折れる。
もはやその胸中にあるのは自身への失望、そして言峰への恐怖だけだ。
泣き崩れる坂柳の姿を、教会のステンドグラスが映していた。
これにてVS坂柳(後編)完結です。
次回はVS櫛田編に移ります。
感想返信は後日まとめてやります。
ちょっと疲れたので、申し訳ないです。
坂柳編は満足できるものでしたか?
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十分!
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まだまだ愉悦が足らん!
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お前には愉悦とは何かを教えてやらねば