本番までの時間は、酷く濃密だった。
「ほらほらネイチャちゃん、遅れているわよ! あたしはいつもこのストレートで息を入れているから、参考にしてみて」
「はいっ!」
トレーナーは腕を組み、マルゼンスキーとマンツーマンでトレーニングをするナイスネイチャを見守っていた。
マルゼンスキーはレースまでの時間を全て、ナイスネイチャに使ってくれると言ってくれた。
伝説と評して過言でもないマルゼンスキーは、ウマ娘ならではの視点で実に的確にアドバイスをしてくれる。
トレーナーである自分はただ、見守っているだけ。
「トレーナーさん! ぼーっとしてないで! ちゃんとネイチャちゃんを見てあげて!」
「Sorry……。気合を入れ直す」
芝の上でマルゼンスキーが大きな声で叱責する。トレーナーは両頬を叩き、気合を入れ直す。
「はぁ……はぁ……どう? トレーナーさん」
しばらく走り込みをした後、ナイスネイチャとマルゼンスキーが戻ってきた。
ナイスネイチャはタオルで汗を拭いながら、走りの評価を求める。
トレーナーは即答した。
「No……。レースに出るにはまだ足りない」
「うぐっ……! そっかぁ……そうですよね」
「But……。だが、熱で倒れていた分の“速さ”は取り戻していたと思う。自分はそう思った。マルゼンスキーはどうだろうか?」
「そうねぇ……」
マルゼンスキーは形の良い顎に指を添えた。考え込む彼女に一切の汗は見られない。まだまだ本気では無いということの証左だ。
「一日の遅れは完全に取り戻したと思うわ。後はそこからどれだけ伸ばせるかなんだけど……」
ちらりと、マルゼンスキーはナイスネイチャを見た。
「実力はそのままってところね」
「Yeah……。全く速くなっていない」
「辛辣すぎない!? いや、まぁ……自覚はありますけどね?」
両名からの歯に衣着せぬ発言に、ナイスネイチャはすっかりダメージを負っていた。
だが、二人に悪意は一切ない。ただ、純粋な気持ちでナイスネイチャに言葉をかけているのだ。
ナイスネイチャにとって、それは百も承知のため、非常に複雑なのだ。
「そりゃどこかのアニメの主人公じゃないんだし、急に実力は伸びませんって……」
「Why……? 君が主人公じゃないと誰が言ったんだ? 自分たちの友情、そして努力、あとは勝利を掴むだけの道理だろう?」
トレーナーの真っ直ぐな瞳に、ナイスネイチャは皮肉を言うことすらためらってしまった。
「……ごめんトレーナーさん。少しだけナーバスになってたみたい。マルゼン先輩! もう一本お願いします!」
「オーケイ! 何本でも付き合うわよ!」
トレーナーはマルゼンスキーから発せられる妙に耳に馴染むイントネーションに、つい質問してしまった。
「Say……。マルゼンスキー、それはもしかして自分の真似か?」
「イエース! 良く分かったわねトレーナーさん!」
「あーマルゼン先輩ずるい! アタシもいつか真似しようと思ってたのに!」
「あらあら。ネイチャちゃん、もしかしてヤキモチ?」
途端、ナイスネイチャは顔を真っ赤にしながら、反論する。
「そ、そんなわけないじゃないですか! やだなーもう! あっはっはっ!」
トレーナーは全く意味が分かっていなかった。
分かることはナイスネイチャが笑う時に動く筋肉の鼓動だけだった。
「トレーナーさんも隅に置けないわね~このっこのっ」
「Why……。マルゼンスキー、そのエルボーには何の意味が込められているんだ……?」
「分からない?」
「Yes……。筋肉の躍動には人一倍敏感な自分が、君とナイスネイチャの動作には何も読み取れない……」
すると、マルゼンスキーとナイスネイチャが途端に死んだ目に変わった。
「ネイチャちゃん、練習続けよっか」
「……はい」
今、ナイスネイチャとマルゼンスキーの心は一つだった。
トレーナーを置いてきぼりにして、二人は練習を再開する。
「ネイチャちゃん、苦労するわね」
トレーナーには決して聞こえない声量で、ナイスネイチャに語りかけるマルゼンスキー。
「はい……」
返答するナイスネイチャの声はワントーン落ちていた。
だが、マルゼンスキーはまさかの一言をのたまう。
「でも油断していたらあたしがトレーナーさんを掻っ攫うからヨロピコ」
「は、はぁぁぁぁ!? ま、まままままマルゼン先輩!? 何言ってらっしゃるんですか!?!?!?」
「あたし、ああいうトレーナーさんなら一緒に頂点目指しても良いかな? って本気で思っているから、もしネイチャちゃんがトレーナーさんを譲ってくれるなら――」
マルゼンスキーが最後の言葉を言い切る前に、ナイスネイチャの速度が二倍ほど向上した。
「譲りませんからー!」
「あらら。少し吹っかけたら思った以上に反応してくれたわね。ふふっ、かーわい。でもね」
マルゼンスキーは脚の回転を一段階上げた。
「あたしの前は、誰にも走らせないわよ!」
一瞬でナイスネイチャを抜き去ったマルゼンスキー。追い抜き際、マルゼンスキーはぼそりと言った。
「――あぁでも、トレーナーさんを掻っ攫うって言ったのだけは、本当の気持ちだけどね?」
マルゼンスキーはこれからも虎視眈々とトレーナーの事を狙い続けるだろう。
ナイスネイチャは謎の不安感と焦りのせいか分からないが、妙に速度が上がり、自己ベストを更新できてしまったのは、この後に分かった話である。
ナイスネイチャとマルゼンスキーの間で飛び散る微笑ましい火花。
偶然通りかかったアグネスデジタルがその光景を目撃し、尊さで気絶したのは誰も知らない。
第10筋肉でした。
すまん、アグネスデジタル唐突に登場させたかったんですわ()
次回、最終回となります!
最後までよろしくおねがいします!
モチベ上がるので、感想よろしくおねがいします!