レース当日。
トレーナーとナイスネイチャ、ついでにマルゼンスキーはウマ娘とトレーナーが最後に言葉を交わせる場に来ていた。
「Yes……。ナイスネイチャ、ついにこの日が来たな」
「頑張ってね、ネイチャちゃん」
「……」
ナイスネイチャは黙っていた。
それが緊張だということを理解していたトレーナーは、更に言葉を続ける。
「Yeah……。ナイスネイチャ、君はこの瞬間まで努力をしてきた。あとはそうだな……」
「何?」
珍しく言い淀むトレーナー。そんな彼に、ナイスネイチャは首を傾げた。
「Break out……。当たって砕けろ」
「えぇ~……。トレーナーさんや? それは今からレースに挑むアタシにかける言葉にしては、少し縁起が悪くはありゃせんかい?」
おばあちゃん口調で、ナイスネイチャは冷静にツッコんだ。
だが、トレーナーの側からしたら、これは何も冗談のつもりではない。
「No……。言い方が悪かった。君は、もうこの後ひたすら走るだけなんだ。今までの事を振り返る暇はない。勝て、ただ勝利のために。自分はそう言いたかった」
ナイスネイチャから目をそらし、少しだけ恥ずかしそうに言うトレーナー。そんな彼に、ナイスネイチャは歩み寄った。
「What……。これは?」
「よくあるでしょ? 少年漫画で見る拳と拳をぶつけ合うアレ。ね、トレーナーさん、やらない?」
握り拳を軽く前に出し、ナイスネイチャは笑った。
担当ウマ娘からの申し出、これには全力で答えなければならない。トレーナーはそう心得た。
「Oh……。ぶつけ合う……、か。了解したナイスネイチャ。君のトレーナーだ。全力でやらせてもらおう」
直後! トレーナーの右肩から右指先にかけて約三倍の筋肉の膨張が見られた!
拳と拳をぶつけ合う。これを全力でのぶつけ合いと理解したトレーナーは全力で拳を振るうべく、己の筋肉を解放した!!!
さながら山のごとき筋肉。それを目の当たりにしたナイスネイチャは、至極冷静にツッコんだ。
「いや、レースに出る前にアタシのこと殺す気? トレーナーさんからのグーパンなんて、アタシの身体木っ端微塵になる未来しか見えないんだけど」
「Sorry……。自分のパンチの威力を忘れていた。自分のパンチは、インパクト時に身体の中にまで破壊が伝わる。……どれだけ手加減していてもナイスネイチャの骨格を歪めるのは間違いないだろう」
「思った以上にヤバい未来が待っていた」
すでにこの話題から逃げたかったナイスネイチャ。彼女は咳払いを一つすることにより、払拭することを選択した。
ここでナイスネイチャはふいに時間を確認した。もう行かなくてはならない。
だが彼女の心中は、実のある話ができなかった後悔……というより、こんな楽しい時間がもう終わるのかという寂しさだった。
「はぁ……この後、アタシは笑うか泣くかの二択なんですよねぇ……」
ふいに出た言葉。ナイスネイチャは別に口にするつもりはなく、心の内に留めておくつもりだった。だが、出てしまった。
思わず彼女は己の口を手で塞いだ。こんな弱音、レース前にはするべきでないからだ。
だが、トレーナーは“笑った”。
「ふおおおお!?」
「あ、あらまあ……」
「What……。どうした二人とも」
「と、トレーナーさんが笑った……!?」
「ネイチャちゃんが驚いているならあたしが驚くのも当たり前、よね……」
「So……。そんなに珍しいか?」
「「珍しい」」
ナイスネイチャとマルゼンスキーの声が揃った。
基本仏頂面だっただけに、この瞬間はレア中のレア。
しかし、からかうにも時間がない。ナイスネイチャはその笑顔の理由を聞いた。
「Yes……。君が今更、勝ち負けについて気にしすぎているとは思わなかった」
「そ、それどういう意味……?」
「Best……。君は全力でやった。今の今までずっと。後はその結果を受け止められるだけだと思っていた」
「あ~なるほどね。でもアタシ、そこまで柔軟な女じゃないんですけどねぇ」
「All right……」
「えっ!?」
「ひゃっ……!」
ナイスネイチャ、マルゼンスキーの順番に声を上げた。
二人のウマ娘はトレーナーの胸の中にすっぽりと収まっていた。
ナイスネイチャとマルゼンスキーは、共に顔を真っ赤にしていた。可燃物を近づければ、それだけで発火しそうなほどに熱く。
「これは自分の独り言だ」
英語もなく、トレーナーは話す。
「ナイスネイチャ。君はよくやった。今の今までよくやった。体調を崩してダウンしてもなお、君は不死鳥のように復活した。ならあとは頑張るだけだ。どんな結果になろうが、君はそれを飲み込める。君には、その度量があるのだから」
「ひゃ、ひゃい……」
続けて、トレーナーはマルゼンスキーへ顔を向ける。
「マルゼンスキー。君はその類まれなる実力を持ちながら、良く自分たちに協力してくれた。君の献身を、自分は生涯忘れない。だから、ありがとう。君の恩には報いたい、絶対に、何があろうとも」
「ふ~ん」
全く余裕がないナイスネイチャとは裏腹に、マルゼンスキーは獲物を追い詰めたような顔を浮かべていた。
ふいにトレーナーは自分の腕時計を見た。
「Let's……。ナイスネイチャ、時間だ。悔いのないように走ってくれ」
「――うん! あ、最後にトレーナーさんとマルゼン先輩にお願いしてもいいですか?」
トレーナーとマルゼンスキーは了承はしたが、首を傾げた。
マルゼンスキーは二人に背を向け、こう言った。
「背中を押してください。アタシがどこまでも走れるように」
ナイスネイチャの申し出を断る者は、この場に誰一人としていなかった。
こうして、二人に背中を押されたナイスネイチャは戦場の芝へと足をつけるのであった。
◆ ◆ ◆
運命の日から一週間後。
「Okay……。ナイスネイチャ、後もう少しペース上げられるだろうか?」
「がっ……てん!」
今日も練習場でナイスネイチャが走り込みをしていた。トレーナーはそれを見守っていた。
最終コーナーを回り、ゴールをしたナイスネイチャはゆっくり歩き、呼吸を整える。
「トレーナーさん! どう、タイムは!?」
「Hmm……。正直変わりない。練習でこれなら、本番はたぶん……」
「ううぅ~~! マジですかぁ!」
「ふふ、ネイチャちゃん。大丈夫よ、ネイチャちゃんはまだまだこれからなんだから! 少し休憩したら、今度はあたしと走ってみない?」
「マルゼン先輩と!? で、でも……」
もじもじするナイスネイチャを、マルゼンスキーは笑った。お腹を抱えて、非常に面白そうに。
「もー何言っているのよ! あたしとネイチャちゃんは“同じチーム”じゃない! 何を遠慮することがあるのよ!」
「うっ……! た、確かにそうですよね……。そう、なんですけどぉ!」
あのレース以降、マルゼンスキーは超強引にトレーナーが担当するウマ娘というカテゴリーに属することになった。そこには生徒会長シンボリルドルフにも協力してもらったという裏話もあるが、ここでは割愛する。
現実として、トレーナーの担当するウマ娘はナイスネイチャとマルゼンスキーの二人になった。
「あ、それとも!?」
静かにマルゼンスキーがナイスネイチャに耳打ちする。
「もしかして、トレーナーさんと二人きりじゃなくなったから気が気じゃない感じ?」
「なーーーー!?」
ナイスネイチャは思いっきり叫んだ。拗れそうになったので、とりあえずトレーナーを遥か遠くに追いやる。
「な、何でそんな話になったんですかねぇ!?」
「だってねぇ……ネイチャちゃんの顔、分かりやすいわよ?」
「嘘!? 隠してるのに!?」
ペタペタと顔を触るナイスネイチャを見て、マルゼンスキーは一層笑い声を強くする。いや、もはやマルゼンスキーは面白さのあまり、芝をガンガン叩いていた。
「あはは! ネイチャちゃんやっぱり可愛いわぁ!」
「は、はぁー!? はぁー!? べ、べべべべつにそんなことないんですけど!?」
「What……。二人とも、何を話している?」
「べーつに? 何でも無いわよ。ただ、ネイチャちゃんがかわいーって話よ」
「Yes……。それなら肯定出来る」
「え……!」
見る見るうちに顔を紅くするナイスネイチャ。
まさかの人物からの、まさかの言葉。隣で聞いていたマルゼンスキーも思わず口笛を吹いていた。
「きゅ、急に何の風の吹き回しなのトレーナーさん!? あ、アタシのこと可愛いって……」
「Yeah……。筋トレはその人の努力を映す鏡だ」
「ん?」
「Power……。筋トレ、つまり努力をしている者は美しい。だがナイスネイチャ、君を見ていたらその言葉はやや不適切だと気づいた。だから、ふさわしい言葉を探した」
「そ、それが……可愛いってこと?」
既にナイスネイチャの耳と尻尾が縦横無尽に動いていた。感情をコントロール出来ていない。
「Exactly……。自分の、心からの評価だ」
「あ……ありがと、トレーナーさん。でもそれを言うならアタシだって……」
そう言って、ナイスネイチャは言葉を続ける。
「トレーナーさんは結果の出せないアタシを見捨てないで、ずっと見守っていてくれた。それがどんなに嬉しかったか……。だからアタシは頑張れたんだ。アタシのために、トレーナーさんのために」
ナイスネイチャの熱を帯びた瞳が、トレーナーを貫く。
「アタシが一週間前のレースで、あの結果を出せたのは、本当に……トレーナーさんのおかげなんだよ。だから言わせて、ありがとうって」
――二着。
万年三位だったナイスネイチャが獲得した、ある意味大金星。
友情努力勝利が約束されているなんてことは絶対にない世界。だからこそ、この結果は大進歩だった。
万年三位のウマ娘がこの結果を勝ち取れたということは、確実に一つ壁を破ったということなのだから。
「Yeah……。礼は不要だ。何せ自分も感動させてもらったのだから」
トレーナーは空を見上げる。
「壁は超えられる、絶対に。自分は君にそれを教わった。だから、これで良い」
トレーナーはナイスネイチャへ手を差し出す。
「Teach……。これからも教え、教わろう。自分とナイスネイチャは、最高のパートナーだ」
「ふっふーん! ま、トレーナーさんにそう言われちゃ、頷くしかありませんよね~?」
いたずらっぽく笑い、ナイスネイチャは差し出された手を握り返した。
「これからもよろしくね、トレーナーさん!」
「Yes……。もちろんだ――ネイチャ」
「! い、今アタシのことあだ名で……」
「……気のせいだ、ナイスネイチャ」
「嘘だ! 英語抜けてるし! ねね? もう一回言ってよ!」
「No……。忘れてくれ……」
「忘れませーん!」
トレセン学園。
そこには二人のウマ娘とトレーナーがいた。
一人は不屈の精神を持ち、何度負けても決して折れぬウマ娘ナイスネイチャ。
一人は影すら踏ませぬ最速にして、皆のお姉さんであるウマ娘マルゼンスキー。
一人は筋肉。
三人の栄光への旅路は、これからようやく始まるのだ。
無性にナイスネイチャはワクワクしていた。
何せ、これからもこの筋肉トレーナーは、自分に色々な景色を見せてくれるのだろうから。
筋肉は全てを解決する――いつか、トレーナーはそう言った。ナイスネイチャは今でも“そんな訳はない”と思っている。
これからもツッコミ続けよう、それがすごく心地いいのだから。
「ねぇねぇトレーナーさん? この後、あたしの走りも見てくれないかしら?」
「ピピーっ! マルゼン先輩、すこーし距離が近いですよ! 腕を絡めないでくださーい!」
「え~? ケチケチしないでよ~。ね、良いでしょトレーナーさん?」
「Impressed……。マルゼンスキー、君もようやく自分の筋肉の素晴らしさに気づいたのか」
「いや、マルゼン先輩そういうつもりじゃないし!」
「What……。それなら君は何故そんなにうろたえているのだ?」
「うっ……! そ、それは……その……」
「What……」
「う、うるさーい! アタシの見てる前じゃとにかく駄目なんだからー!」
この物語は、筋肉まみれのトレーナーへ、ナイスネイチャがひたすらツッコミ続けるだけのお話だ。
【筋肉ダルマとナイスネイチャ 完】
これにて筋肉ダルマとナイスネイチャ完結です!
短い間でしたが、読んでいただき、ありがとうございました!
自分の中のナイスネイチャ、そして途中から参加したマルゼンスキーに対する解釈を余す所無く書ききれたと思います。
またやる気がむくむく湧いたらまた別のウマ娘を書いてみたいと思います。
ちなみにゴルシとマックイーンの絡みを書くのが大好きなので、もし書くことがあれば、今度はゴルマクになると思います。
最後に一言。
私の作品を読んでくれて、ありがとうございます。それだけで、とても嬉しいのです。
また、何かの作品の二次創作で会いましょう!今まで、ありがとうございました!
それではまた!