「…もしもし。あ、母さん?僕だけど。……うん。こっちは凄い雨。ニュースを見た限り明日の朝までは降るだろうって…」
受話器から母の声を聞きながら、ふと窓の外を見てみる。
遠くが白く霞んでしまうほどの大粒の雨が滝のように降っている。
横殴りの風で雨はベランダのガラス窓にも勢いよくぶつかり、欄干に落ちる雨粒は絶え間なく音を響かせている。
『─────のよ。わかった?』
「……え?あ、うん。」
母が何か言っていたのだけれど、外の風景につい気を取られて聞きそびれてしまった。……まあ「気をつけろ」という事を言っていたのだろう。多分。
『…ホントに?アナタ、あの人と一緒で人の話を聞いてるようで聞いてない所があるから…。あ、そう言えばお父さんが話しておきたい事があるんだって。代わるわね』
「え!?父さんが?」
あの寡黙な父が僕と話をしたいだなんて……珍しい事もあるものだ。
父とは昔からこれといった会話をした記憶が無い。あったとしても人生の節目、入学式や卒業式と言ったイベントの際に二言三言言葉を交わすだけなのだが。
あの人は無口であったのは知っていたし、僕も話す事が好きな人間ではなかったので「会話をする」という選択肢をとる事がお互いになかったのだ。
けれど、母からは良く「あの人は可愛い」だの「人との触れ合い方を知らない野良犬みたいな可愛さがある」だのと褒めてるのか貶してるのか分からない惚気を聞かされていたので、父のあの態度が彼なりの「愛情」だったのだろう…と思っている。
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『私だ。…………元気にやっているか?シンジ。』
「うん…僕は元気だよ父さん。ありがとう。」
父の声だ。「必要以上に語る言葉は持たない」が信条のようにして生きてきた父が、今こうして「まるで家族」のような会話をしている。
……普通のことなのに少し感慨深くなりうるっときてしまった。少しだけだけれど。
『……なら良い。…………今度の帰省の時なんだが、一緒に
「ねーシンジーーー!親にちゃぁんと『下宿に女連れ込んでます』って言ったぁ〜?!!」
鈴のように凛とした、けれど悪戯心が多めにトッピングされた酒の匂いまでもが伝わってくるような女の赤い声が父の言葉をかき消した。
「アスカ!?!?」
『………………』
「あ、シンジの親御さんでいらっしゃいますー?私、息子さんと
受話器の向こうの空気を例えるならば、「地獄」そのものと言っていいだろう。
息子が自分の下宿先に酔いどれ女を連れ込んでいるのだ、それも雨の日に。
アスカに奪い取られた受話器を取り返し、「やーんシンジったら大胆なんだから♡」とか言ってくねくねしている彼女を尻目に必死に弁明をしようとする。
「……と、父さん?あのこれは…」
『………………責任は取るんだぞ。』
「父さん!?!?!?!?!?!?あ、切れた……」
ヤバい…なんだか恐ろしい勘違いをされている気がする……
「なぁーによーぅ、据え膳食わぬ……は男の恥って学…ばなかった……の…?……ぐぅ……zzz…」
アスカは僕のベッドの上でうねうねしていたかと思えば、今は半分夢心地で馬鹿みたいに幸せそうな顔をしながらうとうとしている。
このままにしておくのもアレなので、毛布を取り出して彼女の上にかけ、寝顔がよく見られる位置に腰掛けた。
いつもこんな感じに大人しかったら良いんだけれどな……
赤ん坊のようにあどけない無防備な寝顔を晒しているアスカは、まるで眠り姫のようにすやすやと寝入っている。
風呂上がりにビールをキメるという、誰に教わったのか酔っぱらいコースど真ん中を突っ走った彼女は、部屋着用の薄黄色のワンピースを着て顔を真っ赤にしながら父さんに陽気な
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いつも赤い髪飾りで綺麗にまとめられている黄土色がかった金髪は、アスカが寝息を立てる度にふわふわと揺れている。
きめ細かく白い肌はアルコールのせいか少し頬に赤みが差しているが、それが返って透き通るような美しさを強調させている。
「んぅ……」
仰向けに眠っていた彼女が寝返りをうち、こちらに身体を向ける。
少し開いた唇は、血色も良く艶やかだ。
いつもは自信に満ち溢れて勝気な表情を作るつり眉や、宝石のように大きく綺麗な碧い瞳も今は穏やかに閉じられていて、本来の垂れがかった目尻が強調されたその様子は「綺麗」よりも「可愛い」の方が似合うだろうか。
はだけた服の隙間から、ほんの少しだけ彼女の谷間と胸の端の膨らみがほのかに浮き上がっている。
気を抜けば魅入ってしまいそうなそこから目を離し、彼女の頬を指でつついてみる。
「zzz…んにゅ…」
金の糸が数本さらさらと指に触れ、小さな産毛に白い肌、うっすらと赤みが差している頬は、まるで桃のような柔らかさだった。
顔をもっと近くで見たい。1人用のベッドに寝ている彼女の近くに腰掛けていた状態から、顔を真正面に見られるよう自分も横になってみる。
つついていた指先から手のひらに変えて彼女の頬を撫でる。
「ん………ふふ…♪」
彼女は今、どんな夢を見ているのだろうか?
僕の手に頬をすりつけながら、赤子のようにとても可愛らしい微笑みを零している。
そんな彼女の動きで、指の時には気づかなかった体温を意識してしまう。
今、目の前に自分とは違う体温、「温もり」を持つ人がこんな近くに居る。
そんな事実に何か感慨深いモノを感じつつ、少し涎を出しながら眠るアスカの顔に僕は見蕩れていた。
手に彼女の吐息が少しかかり、その部分だけがじわじわと、温かく湿っていくのがわかる。
少しこそばゆくなった僕は、手の位置を変えようと身動ぎした。
「…………ぁむ」
「……!?」
アスカの唇に親指が触れ、反射的に彼女はそれを軽く食んだのだ。
口紅が塗られていない唇に薄く唾液が潤いを与えていて、生暖かくて柔らかい感触が指を包んでいる。
そのある種インモラルな光景に、僕はひどくおかしい程に興奮してしまった。
身体の芯から熱い何かが下から上へと沸き上がり、無性に彼女を
心臓の鐘打つ音がまるで外にも聞こえるかのように高まっていく。
身体中の血液が、その熱を排出する場所を探し、狭い通路に殺到するかのような、そういう興奮で身体が揺れている。
今も自分の指を軽く食んでいる彼女の唇に意識が集中していく。
耳には何も音が入らなくなり、土砂降りの雨音も、窓に吹き付け揺らす風の音も消え、唯一聞こえる音は自分の心臓の高鳴りだけ。
視界に映るのは、彼女の
あの艶やかで
柔らかな
唇で。
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カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
雨は上がり、澄んだ空気が濡れた街を鮮明に浮かび上がらせている。
私は未だ熱が抜けずにいる火照った頬を両手で抑えながら昨日の出来事を思い返そうとしていた。
「…………まさかコイツにあんな一面があったなんて…」
そう独りごちりながら隣で寝ている男の顔を見やる。
昨晩の事なぞ何処へやら、この男はまるで大人しそうな草食動物でございと言わんばかりの穏やかな寝顔を晒している。
……なんて幸せな寝顔だろうか…………ちょっとイラっときちゃった。
「…………いつもこれくらいのがっつきを見せなさいよこの朴念仁鈍感変態バカシンジ!!!!」
「グハァッ!?」
ベッドの上に立ち、身悶えする彼を見下ろしながら私は言い放った。
「ほら!さっさと起きる!外は晴れたみたいだし出かけるわよ!今日は一日中付き合ってもらうんだから!」