ひぐらしのなく頃に・短~中編集   作:フィリング【ハーメルン Ver.】

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―――少女は笑顔で言の葉を放った。少年には馴染みのない口調がその笑顔の歪さを雄弁に物語っていた。なにより、少年が好きだった少し照れつつもはにかむ笑顔とは程遠かった。だが、この瞬間に少女が見せた表情を少年は終ぞ忘れることが出来なかった。―――彼はそれを「美しい」と感じてしまったのだから―――

罪滅し編の「在り得たかもしれない」お話。
基本的に設定面では罪滅し編に準拠していますが、レナの父親や圭一の両親、鉄平が来るタイミングは内容の都合上変えているので、そこについてもご了承ください。また、終盤はやや蛇足気味な為、読後感を大事にしたい方はTIPSと題した部分の前で読み終わって下さっても構いません。


掛け違えた「憧れ」

 部活メンバー達と過ごす時間は灰色の日々に疲れた心を救った一方で、そうした日常を全力で楽しむ事が前原圭一にとっての『贖罪』であり、それを守る為にはどんな事でもやるという『覚悟』が彼にはあった。

 そして、毎朝あの待ち合わせ場所に咲いている彼女の向日葵のような笑顔は、その守るべき日常の象徴であった──―

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「……めて! もうやめて、圭一くん!」

 彼女の声が耳に届くと同時に、圭一はようやく自分が何かに熱中していたことを自覚した。

「大丈夫だから……! もう大丈夫だから、もうやめて……!」

 何をやめるというのか? 圭一の(もや)がかかった頭の中では、彼をそこまで熱中させた「こと」は未だに輪郭を伴わなかった。だが、彼女が次にかけた言葉でそれはようやく形を得た。

「もう死んだから! ……終わった、終わったから……だから……」

 竜宮レナは彼の視界に写り込むと、そのまま言葉を紡いだ。

「もう終わっていいんだよ、圭一くん……」

 そこに至って、圭一は自分の手から腕までが鉄分を多く含んだ赤に覆われていることにようやく気付いた。と同時に、それまで固く握っていたであろうバットが(てのひら)から放たれたことにも気付く。

「レナ……? 俺は一体……」

「良かった……気付いたんだね……」

 圭一が改めて意識を向けると、レナは後ろから圭一に抱きつく形で彼を抑えようとしていたことが分かった。ようやく我に返った圭一に安心したのか、彼女は圭一から離れると向き合う形で幾ばかりか安堵したかのような笑顔を見せた。その姿を見ると、全身に汚れは付いていたものの圭一と違って血が付着した様子はなかった。圭一が再びレナの表情に目を向けると、彼女は一転して悲しげな表情で謝罪を繰り返していた。

「ごめんね……圭一くん、ごめんね……」

(なんで、レナが謝るんだ……)

 そう訝しみつつ、レナの首元にくっきりと残る痕を見た瞬間、ようやく圭一はこの状況に至る経緯を思い出した。

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 最近のレナに元気が無さそうだったのは鈍感としばしば言われる圭一でもなんとなくは勘づいていた。だが、そこからゴミ山に様子を見に行こうと決めるに至った理由は「虫の知らせ」としか言いようがなかった。普段ならば不要であろうバットを携帯したのも同じ理由からだった。

(ハハッ、もし何もなければ、レナへの言い訳を考えないとなぁ……そもそもレナがいない可能性だってある訳だし……)

 レナがゴミ山に居る確信があった訳でもない。これまでの付き合いからなんとなくそうだろうと思っただけだし、彼女が他の場所でかぁいいモノを見つけて虜になっている可能性だって十分にあった。実際、ゴミ山に着いた時もすぐにはレナの姿が見つからず、諦めて帰ろうとする直前だった。人が争っているような音が微かに聞こえてきたのはそのときだった。

(ん……? なんだ?)

 そこで目にした光景こそが、レナを派手な格好をした女が今にも手にかけようとしていた場面だった。

(……レナ……レナ!!)

 圭一の脳裏に彼女がいなくなってしまった世界の「想像」が一瞬でよぎる。レナが遠い場所に行ってしまう想像は嫌に質感を伴っており、このままではそれが現実のものになってしまうという恐怖は瞬く間に彼の思考を支配した。

 ──―あの笑顔だけは、それだけは……! 

 そこから圭一の記憶はなくなっており、気が付くと──―

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ようやく落ち着いた圭一は、しかし、人一人を撲殺してしまった目の前の状況に対して脳の処理が追い付いてないようで、完全に呆然としていた。

「俺は……ここまでやるつもりは……」

 古い機械の如くすっかり処理落ちしてしまった圭一と対照的に、その近くに居るレナの脳では様々な感情と考えが目まぐるしく行き交っていた。

 ──―レナが圭一にとっての日常の象徴であったように、圭一もレナにとっての幸せな日々を示すものであった。好意を持つ一人の異性であるだけでなく、レナにとっての日常は彼抜きにはもはや存在し得なかった。だからこそ、圭一には汚れた部分を知らずに自分をいつまでも明るくさせて欲しかった。

 しかし、眼前に起こってしまった状況はそれとは最も程遠い場所にあった。血塗れの圭一は、それ自体が幸せな日常を崩壊させる意味合いを持ち合わせるようだった。なにより、彼を図らずも巻き込んでしまった罪悪感が彼女を苛んでいた。

(私が……私が圭一くんを守らなきゃ……)

 意図しない形であったが、あれだけレナの家庭を脅かしていた「悪」は潰れた頭部を無様に曝け出していた。その様子はさながら叩き割られたザクロのようであり、死んだ人間はこんなものなのかという妙な感傷をレナに抱かせていた。

(お父さんを脅かす敵はもういない……圭一くんを守っていれば、レナのお家も守られる……)

 いずれにせよ、ここまで関わった圭一を放置することはレナには有り得ない選択肢だった。殺されそうになっていた自分をここまでして守ってくれた好きな男の子であれば、尚更だった。

「圭一くん」

 レナが呼び掛けると、意気消沈していたはずの圭一は自らの行為が持つ意味の大きさを既に悟ったようで、今にも泣き出しそうな表情をこちらに向けた。

「レナ……俺はどうすれば……」

 普段の勝気な言動からはとても想像できないようなその表情を見た瞬間、レナは歪な庇護欲が湧いたことを自覚する。

(圭一くんのそんな顔、初めて見たな……私が、「他でもない」私が、こんな顔にさせちゃったんだね……)

 己の黒い独占欲が湧き上がるのを感じつつ、レナは言葉を続けた。

「圭一くん、よく聞いてね? この死体はレナがなんとかするし、圭一くんもちゃんと守る。だからレナの言うことをよく聞いて欲しいの。とりあえず、レナの隠れ家で待っていてくれるかな? レナは色々と道具をお家から取ってくるから」

 ところが、それまで完全に生気を失った圭一の表情が俄かに活気を取り戻し、その口から意外な言葉が出てきた。

「そ……それは、それはダメだ。レナにそこまでさせられない」

「え?」

「俺は……俺は自首してくるよ。お前はむしろ被害者に近いようなもんだし、ここで俺を通報すればまだなんのお咎めもなく済む。でも、この死体に関わればそうはいかない。レナまで警察に捕まるのは避けなきゃ……」

 レナは愕然とする思いで一杯だった。冗談じゃなかった。圭一のいない日常なんて、居続ける意味はなかった。彼が居る日常に戻りたかったからこそ、彼女はここまで一人でがんばってきたのだ。圭一が関わってしまったことで、戻るべき日常がその形を無くしてしまったら本末転倒なのだ。

 レナがそう思って次の言葉を発する前に、圭一は次の言葉を発していた。

「分かってくれ……お前を守りたくてここに来たのに、危険に巻き込むようなことはできない。お前には笑ったままでいて欲しいんだ……だから頼む、俺を警察に通報してくれ。今ならまだ間に合うから……」

 その言葉を聞いた瞬間、ずっとささくれだっていたレナの心は幾ばかりか救われる思いだった。

(圭一くんは本当に優しいんだね……でも、それじゃダメなの)

 キミがいない日常なんて、意味がないんだから──―

「圭一くん。レナは圭一くんの気持ちは嬉しいよ。本当に嬉しいな。でも、レナを本当に守りたいなら、圭一くんが警察に自首するのは悪手だと思うな。圭一くんは大事なところを勘違いしているかな、かな」

 レナがそう言うと、落ち着きを僅かばかり取り戻した圭一は訝しむような目をしながら問い掛けてきた。

「どうして、自首するのがいけないんだ……?」

 頭が潰れ、見る影もなくなった死体を軽蔑の目線で見下しながら、レナはその疑問に答えた。竜宮家が父子家庭であること、父親が間宮リナに入れ込んでいたこと、リナの本性が美人局であること、そして、

「この事件が明らかになれば、レナとお父さんも警察に調べられると思う。そうすると、不審に思ったこの女の仲間も私たちが怪しいことに自然に気が付く。そこまでいけば、いつ奴らがレナ達を逆恨みで襲ってくるか分からない。分かる? 圭一くんが本当にレナを守りたいと思ってくれているなら、この事件自体をなかったことにしないといけないの」

 そうやって出来の悪い生徒を詰るような口調で言いつつも、レナはその可能性が低いと思い至っていた。ガラの悪い連中ほど警察沙汰になることを恐れるだろうから、一度この事件が明らかになれば、警察が関わったばかりの竜宮家には手を出さないであろう。だが、そこまで考えが至ったレナと異なり、頭が一杯の圭一にはこの理由付けは多少なりとも響いたようで、覚悟が定まりつつあったその顔には悩みの色がくっきりと表れ始めた。手応えを感じたレナは更に畳み掛けていく。

「それに、圭一くんはこの前の約束を忘れちゃったのかな? 水鉄砲の決着、まだついていないのにいなくなっちゃうの? 魅ぃちゃんだったら敵前逃亡だー! って言うところだと思うな?」

「そ、それは……」

 レナと交わした約束、そして、部活メンバーの名前が出されたことで一度固まったはずの決意は更に鈍ったようであった。仲間たちの悲しむ顔でも想像したのだろう。レナはあと一押しだと感じ、とどめの言葉を放った。

「圭一くん、圭一くんはこの場限りでレナを守ることが出来れば満足なのかな? そうだね、もし後でレナになにかあっても警察署の中に居れば仕方なかったって言い訳が立つもんね。自分はやるべきことをやったと満足していられるもんね」

「違う! 俺はそんなんじゃない! そんなつもりで俺はレナを助けたんじゃない!」

「そうだよね。圭一くんはそんな口先だけの人じゃないよね。レナはちゃんと分かっているよ」

 ここでレナは一転して優しい口調になる。

「だからこそ、圭一くんにはこれからもレナを守って欲しいな。それに、レナは圭一くんがいない日々なんて嫌だな。圭一くんだって、レナが急にいなくなったら嫌でしょ?」

「そんなの……当たり前だろ……レナがいなくなるなんて」

 圭一は苦しげな表情でそう答える。

「うん。だから、この死体は隠して、事件そのものをなかったことにしないといけないの。ちゃんとレナがなんとかして、警察から圭一くんを守ってあげるから、圭一くんもレナを守って欲しいな。圭一くんはそれでも嫌かな……?」

「嫌……じゃない……」

「うん、圭一くんならきっとそう答えてくれると思ったよ。圭一くんはそんな人じゃないもんね。ありがとうね」

 そう言って、レナは圭一の頭を優しく撫でる。欺瞞に満ちた論理で圭一を説き伏せたことに対する自己嫌悪を感じながらも、思い通りの展開になったことに密かな達成感を抱く。レナに説得された圭一は戸惑いを隠せない様子であったが、レナが撫で始めるとずっと張りつめていた心の糸が少しはほぐれたらしく、ずっとされるがままとなっていた。

 そんな圭一の様子が飼い主に撫でられて安心する犬を連想させ、こんな場違いな状況ながら持ち帰りたいとの思いをレナは抱いた。

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 その後、ぐったりしつつも少しは落ち着いた圭一をゴミ山の隠れ家に連れていくと、タオルで血を拭いてもらいつつ、ゆっくり休みながらしばらく待っていて欲しい、と伝え、レナは自身の家に引き返していった。リナの死体はとりあえず見つかりにくい場所に圭一と一緒に移動させたものの、まだまだ安心できるような隠し場所ではなく、「処理」が必要なことには違いなかった。

 幸か不幸かレナの服には血がほとんど付着しておらず、仮に人とすれ違ってもよほどのことが無い限りは怪しまれる心配はなかった。

 そうして竜宮家まで着いた瞬間であった。

「おう、お前が竜宮の娘か」

 玄関の前に居たのは喫茶店でリナと一緒に見かけた北条鉄平であった。

(面倒だな……)

 この男の姿を見た瞬間、レナは心の中で舌打ちする思いだった。

 今日は父親が不在であった為、さすがに在宅者がいない家には押し入るのは避けたのであろう。せっかく美人局で体裁を整えたのに空き巣と思われて捕まってしまっては意味がないと考えたのが伝わってくる辺り、典型的な小悪党だとレナは改めて感じた。

「おどれの父親を出せぇ、言うとるんじゃ!! 聞き出さなきゃいかん事があるんや、早う連れてこんかい!! ああ!?」

(ああ、お願いだから黙って……本当に醜いな……)

 レナが何も言ってこないので、おそらく本人は自身の脅しが効果覿面だとでも思っているのだろうが、事情を知っていると滑稽でしかなく、心の中で嘲笑するしかなかった。

 どうにも、父親がいないと美人局のネタばらしとして恐喝できないので、娘に連れてこいというつもりらしい。リナが居れば彼女に連れてきてもらう選択肢もあったろうが、その選択肢が永久になくなったことを知るのはまだレナと圭一だけであった。

(どうしようか……)

 連れてこいという言い方をしている以上、レナがこの場を一旦離脱することは然程難しくないだろう。だが、圭一を説き伏せてまで死体を隠蔽することを決めた以上は鉄平がリナになんらかの異常をあったことに勘づくまで時間がかかることも十分に考えられる。

(……殺すか)

 この男を放置することはリスクと不安定要因が大きすぎるとの判断に至るまではそこまでの時間を要しなかった。それに、この男による北条沙都子の虐待もそう昔の話ではなく、余計な悪影響を及ぼすことは避けたかった。レナはそう決めると、

「ごめんなさい、私も父がどこにいるかは分からなくて……それより、私が間違っていなければ鉄平さんですよね? リナさんからあなたを呼ぶように言われまして……」

「あぁ、リナが?」

「はい。最近進めている件について、急いで来て欲しいって言っていました!」

 こうした言い方であれば鉄平は応じざるを得ない。「最近進めている件」という言い方も本来はリナと鉄平の間でしか通じないだろうし、わざわざ今日のタイミングで竜宮家を訪れている以上、「急いで来て欲しい」要件は是が非でも気になるに違いない。

 そして、予想通りというか、

「あぁ……? チッ、わぁったわ! 早よ連れていかんかね!」

「ごめんなさい、私もすぐにお連れしたいんですけど……」

「今度はなんね!?」

「……お手洗いだけ先に済ませてもいいですか……?」

 やや呆気に取られた鉄平だったが、すぐに「さっさと行ってこんね!」と怒鳴ると、玄関の前で煙草を吸い始めた。

 お手洗いと言ったのはもちろん方便である。レナは自分の部屋に行くと、鉈を取り出し、「すぐ」には怪しまれないように袋に入れた。

 橙色(だいだいいろ)に染まっていた空は夜色へと移ろいつつあった──―

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ──―さすがに遅すぎる。

 空が鉛丹色(えんたんいろ)から露草色(つゆくさいろ)に移る頃には、圭一もレナの帰りが遅すぎると思いつつあった。死体を隠蔽する為の道具を取りに行ったにしては、やけに時間がかかっているのだ。レナが誰かに知らせに行った可能性も一瞬頭に浮かんだが、それならば圭一をああまでして説得した理由が見当たらない以上は有り得なかった。なによりも、レナを疑う選択肢など、すぐにでも頭から追い出したかった。

 そうなると、レナになんらかのトラブルが発生した可能性しか考えられなかった。圭一が考えられる中で一番あり得そうだったのは、レナが語ってくれた話の中で出てきた北条鉄平という美人局の共犯者だった。リナがレナを襲っていた以上、鉄平だって危害を加えるかもしれない。沙都子を虐待していた過去についても、圭一が鉄平をより唾棄することを強めるだけであった。

 ──―なにかあってからじゃ遅すぎる。

 リナに殺されそうになっていた瞬間のレナの顔が脳裏に蘇る。生命の灯がいまにも消えそうなあの苦しそうな顔ほど圭一が見たくないレナの表情はなかった。

 ──―行こう。

 もちろん、レナに重々言われたように、圭一がゴミ山を抜け出るのはリスクが大きすぎた。レナが渡してくれたタオルで多少はマシになったとはいえ、圭一は血を完全には拭き切れておらず、人に見られれば明らかに訝しがられる状態であった。しかし、レナを心配する気持ちにはもう抑えが利かなかったし、入相の空の下ではきっと気付かれにくいはずだとの判断もあった。

 圭一はゴミ山を抜けると、以前に行ったことがあるレナの家までの道を、人目を気にしつつ走った。今この瞬間にもレナに再び危害が加えられているのではないかと気が気ではなかった。

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そして、月の光はその瞬間をありありと照らした。

 圭一がその場面をその視界を入れた瞬間には、鉈は無慈悲にも生命を刈り取っていた。

 後に残されたのは殺人者から目撃者となった少年と、共犯者から殺人者となった少女のみであった。

 少女は少年に気付くと、少し怒ったように言葉をかける。

「あれ、圭一くん? どうして、そこにいるのかな、かな?」

「……どうしてだ……」

「圭一くんには待っていて欲しいって伝えたはずだよ。勝手に宝の山を抜け出したなんて、レナはちょっと悲しいかな、かな!」

「どうして、お前まで人を殺しちまったんだよ!?」

 驚いた表情の少女に、少年は痛恨の表情でそのまま言葉を投げかける。

「お前には……レナにだけは、そんなことをして欲しくなかったんだよ……」

 その言葉を聞くと、少女はあっけらかんと言い放つ。

「レナがお父さん……ううん、圭一くんを守る為にも邪魔だったから。それに」

 そして、

「『私』が『圭一』と同じ罪を背負いたかったから」

 少女は笑顔で言の葉を放った。少年には馴染みのない口調がその笑顔の歪さを雄弁に物語っていた。なにより、少年が好きだった少し照れつつもはにかむ笑顔とは程遠かった。

 だが、この瞬間に少女が見せた表情を少年は終ぞ忘れることが出来なかった。

 ──―彼はそれを「美しい」と感じてしまったのだから──―

 月の光は少女の服に生まれた白と赤のグラデーションを艶やかに映し出し、意味を失った肉体から流れる鉄分を多く含んだ液体は彼女の周りを彩る為の舞台のように広がっていた。そして、返り血が付いた少女の唇はまるで口紅を差したかのように官能的なものと少年には見えた。

(ああ、そうか……)

 その瞬間、少年が自分もこの「喜劇」の中で当に狂ってしまったことを悟った。

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 その後、レナは圭一と共に二体の肉人形の処理に勤しんだ。

 圭一は彼女が鉄平を殺害したことにだいぶショックを受けていたようだが、呆然としていてもどうにもならないと悟ったらしく、何度か作業の凄惨さに顔をしかめつつも処理と隠蔽を献身的に手伝ってくれた。二人で進めたおかげで結果的には一晩でバットや鉈の遺棄を含めた全ての作業を終わらせることができた。

 作業を完了した後にレナがふと振り返ると、動かなくなった身体を棄てた場所の前で圭一は微かに逡巡するかの表情を見せていた。これで果たして良かったのかを今一度悩んでいるようでもあった。

(……がんばった圭一くんには、ご褒美をあげないとね)

 レナはそっと圭一の横に立つと、指を絡ませた。普段の圭一であれば間違いなく赤面する場面であったろうが、今の彼にはそれに反応するだけの気力も余裕もなかった。彼女はそのままニッコリ笑いかけながら言葉をかけた。

「……圭一くん」

「……なんだよ、レナ……」

「絶対に後悔させないからね。レナがきっと圭一くんを守ってあげるから」

「ああ……」

 言葉としての反応はあまりにも乏しいものであったが、手をギュッと握り返したことが圭一の返答であった。レナはそれに満足すると、彼の手を引きながら歩き始めた。

「そしたら、レナも圭一くんもだいぶ汚れちゃったし、綺麗にしないとね! 圭一くん、レナのお家に来られるかな、かな?」

「あ、ああ……」

 幸か不幸か、圭一の両親は東京への出張で家には不在で、怪しまれることを気にする必要はなかった。

(なんなら、圭一くんをお世話してあげたって後で言ってあげればいいよね)

 圭一はもう限界らしく、レナは糸が切れた人形を引っ張っているかのような感覚を受けた。持ち帰りするのは人形ではなくレナにとって大事に守るべき対象だったのだが。

 

 その後、お風呂場で血糊などをしっかり落とした後、二人は彼女が作り置きしておいた食事を黙々と食べた。その頃には圭一の顔にもだいぶ生気が戻り、レナが圭一と添い寝する形で寝ようとすることに羞恥心から抵抗する程度には気力が戻っていた。

「いや、それは良くないだろ……レナの親父さんにも申し訳ないし……俺はソファーか床にでも寝るよ」

「だーめ。今の圭一くん、レナが守ってあげないといけない状態なんだよ? 大人しく一緒に寝よ!」

「いや、だとしても……」

「それに、レナを守ってくれる圭一くんだったら、レナは一緒に寝ても怖くないかな、かな。……寝ているときも守ってくれる、でしょ?」

 レナがそこまで言うと、圭一は観念した表情を見せた。二人は一緒のベッドに入ったものの、なおも遠慮したのか圭一は掛け布団の中でレナから距離を取った。

 二人とも疲労困憊だったこともあり、しばらくは沈黙が場を支配していた。が、しばらくすると、嗚咽がレナの耳に入ってきた。

(圭一くん、泣いてる……?)

 気になったレナは声をかけた。

「圭一くん、どうしたのかな……かな?」

「……なぁ、レナ……」

「うん」

「ここからは俺が勝手に喋るだけだ」

「……うん」

「それでも良ければ聞いてくれないか……?」

「うん……圭一くんの話だったら、レナはどんな内容でも聞くよ」

「……ありがとな」

 そう前置きすると、圭一はぽつぽつと語り始めた。

「俺さ、実は東京でろくでもないことをしでかして、それから逃げるように雛見沢に来たんだ。本当にどうしようもない奴だったんだ、俺は。だからこそ、雛見沢では誠心誠意、真っ当に生きようと誓ったんだ」

「……うん」

 圭一の独白にレナは相槌を打つ。

「……あの女を殺したことに気付いた瞬間さ、やってしまったことの大きさに震えたよ。でも、レナを守る為だったと思えば、まだ冷静になれたんだ。……俺、レナの笑顔が好きだからさ、せめてそれは守れたと思ったんだよ……」

「……圭一くんはちゃんとあいつからレナを守ってくれたよ……?」

「違うんだ……月の下で見たかったのは、本当はあの笑顔じゃなかったんだ……レナの笑顔は俺にとってのかけがえのない日常の一つだったのに……」

「……圭一くん」

「お前には……レナにだけは『あの』笑顔のままで居て欲しかったんだ……」

 そこまで言うと、圭一の嗚咽はますますひどくなり、泣いていると明確に分かるようになった。

 レナは圭一の頭をこちらに向けさせると、自分の胸に抱き寄せた。

「圭一くん、ごめんね……ちゃんとレナが守ってあげるから、レナの中でいっぱい泣いていいからね……」

「レナ、レナぁ……」

 圭一の目からはより一層涙が零れ落ち、それは彼の後悔の度合いをそのまま示しているようだった。

 それを見ながら、レナはある思いに至っていた。

(そっか……圭一くんもレナと同じように思ってくれていたんだね……)

 圭一がレナにとって幸せな日々の象徴であるように、レナも圭一にとって日常の象徴だったのだろう。リナを殺してまでそれを守りたかっただけに、レナの手が血に染まってしまったことがショックだったのだとレナは今の圭一を見ながら考え付いていた。

(……二人とも、大切なものを失くしちゃったね……)

 嗚咽を溢し続ける圭一を慰めながら、レナも考えていた。今の圭一は、レナにとって幸せな日々の象徴だった圭一とはあまりにもかけ離れている。いや、リナの命を奪った瞬間から「その」圭一はいなくなってしまったと言っていい。

 だが、かといって、レナには圭一を「手放す」つもりは毛頭なかった。共犯者としての意味合いももちろんあったが、それ以上に今の圭一を形作ったのが他でもないレナであることへのほの暗い悦びが生まれつつあった。

(大丈夫だよ、圭一くん。圭一くんはレナがちゃんと「守って」あげるからね……)

 そうして、泣き疲れてウトウトする圭一に顔を近づけると、赤く腫れぼったくなってしまった目尻にそっと口付けを交わした。

(さようなら、レナを明るくさせてくれた「あの」圭一くん……)

 

 ──―それは、互いに『憧れ』が喪失してしまったことを示す、悲しい口付けだった──―

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 TIPS「翌日の分校」

 

 翌日の朝、いつもの場所で待ち合わせをしていた園崎魅音が見た光景は様々な意味で衝撃的であった。

 レナの表情はやたら明るかったものの、それは普段と比べてどこか空虚さを感じさせる笑顔だった。逆に、圭一は表面上は笑顔を取り繕っていたものの、明らかに心をどこかに落としてしまったかのように生気がなかった。

 だが、なによりも目を引いたのは二人が恥ずかしがる様子もなく手をつなぎながら歩いてきたことであった。しかも、その繋ぎ方は俗に言う「恋人繋ぎ」と呼ばれるものであり、魅音は二人の様子が昨日までとあまりにも違うことに困惑せざるを得なかった。

「魅ぃちゃん、おはよう!」

「おはよう、魅音」

「あ、あぁ……おはよう、二人とも」

 二人の堂々とした様子に色々と面食らった魅音だったが、さすがに指摘する必要があると思い、それとなく聞いてみる。

「ね、ねぇ、二人とも。今日はなんだかいつもと違くないかな? おじさん、色々とびっくりしちゃったんだけど……」

 そして、

「あ、ドッキリでしょ! やだなー、もう! 信じかけちゃったじゃん!」

 とある可能性に賭けてみる。だが、その線はすぐに潰えることになった。

「ドッキリ?? 魅ぃちゃん、なんのことかな、かな?」

「え……え? 圭ちゃんも本気で言ってる?」

「……俺たちはいつも通りだぞ、魅音」

 ここに至って、魅音はこの現状に対してこれ以上突っ込むことを断念した。

「そ、そっかぁ……はは、ははは! こりゃ私もまだまだだね! そしたら、ちょっとおじさんは先に行くよ! 二人とも遅刻しちゃダメだからね!」

 そう言って駆け出しながら、魅音は嚙み締めるように呟いた。

「……おじさん、振られちゃったなぁ……」

 

 その後、休憩時間も二人の距離感は分校での注目の的であった。授業が終わる度にレナは圭一の隣に来、放課後に至ってはまるで後ろから抱きつく形でレナが圭一に密着していた。

 さすがに目に余ったのか、沙都子は二人の隣に来ると、

「ちょっと! お二人とも、いささかやりすぎなんじゃありませんこと!?」

「みー、圭一とレナはイチャイチャでラブラブなのですよ~」

 いつの間にか古手梨花も来ており、こちらは揶揄するような声をかける。だが、

「やだなー、沙都子ちゃんも梨花ちゃんも。レナは疲れている圭一くんを守ってあげているだけだよ!」

「は……? 守る……?」

「そう。圭一くんは昨日レナをいっぱい助けてくれたけど、その代わりとっても疲れちゃったの。だから、元気になるまでレナが圭一くんにもしものことがないように守ってあげているの!」

「そ、そうでございますか……」

 沙都子はレナの発言が要領を得ないものに思えたらしく、狐に化かされたような表情を浮かべていた。だが、梨花は何かに思い至ったようで、

「みー、そしたら、圭一に何かあったらレナはどうするのですか?」

「そうだね……」

 そこでレナは言葉を切ると、

「何かした人はただじゃおかないかな」

 と短く重い口調で言った。それは、まるで沙都子や梨花が圭一に何かしたら、ただでは済まないことを警告するようでもあった。だが、すぐにレナは表情を柔らかい口調になり、

「そうだ! 部活がないなら、今日は久々にちゃんとした宝探ししたいかな、かな! 圭一くん、一緒に来てくれるよね?」

 と有無を言わせない形で圭一を誘うと、圭一も、

「……ああ、行くか」

 と短く応えた。そうして、二人は登校時と同じように、手を繋ぎながら教室を出ていった。

「むー、今日のお二人は明らかに変ですわ……付き合っているなら付き合っているで圭一さんももう少しデレデレしてそうなものですけれど……魅音さんも『今日は悪いけど、一人になりたいんだ。ごめんね』と言ってさっさと帰ってしまわれましたし……梨花はどう思います?」

「……みー。僕にも分からないのです。不思議なこともあるものなのです~」

「そうですわよね……」

 と、沙都子が再びうんうん唸っている横で、梨花はなんとなくの目星を付けていた。

(レナのあの口ぶりからすると、圭一がレナを間宮リナか北条鉄平のどちらかから助けたと見て良さそうね。でも、それにしては圭一の様子がおかしいわ……沙都子が虐待される最悪の世界で鉄平を殺したときでも、あそこまでは無気力にはならなかったはず……それに、あの様子だとまるで──―)

 ──―竜宮レナが前原圭一を「監視下」に置いている──―

 そう表現するほかなかった。

(あまりにも歪んでいるわね……)

 これまでの「経験」から圭一とレナが互いに好意を抱いていることは知っていた梨花だったが、こうした形での「成就」は彼女を驚かせるものだった。

 

 その後も沙都子の横でしばらく思案していた梨花だったが、一つの結論が出るに従って頭脳労働を放棄した。

(いずれにせよ、このカケラもダメでしょうね。雛見沢症候群の末期発症ではないみたいだけれど、あの状態の圭一とレナはロクに頼れないわね。さて、歪な関係に陥った二人の破綻が周りを巻き込むのか、それとも世界の終わりが先に来るのか……やれやれ、このカケラは終わるまで退屈せずには済みそうね)

 

 ベルンカステルの魔女を自称する「繰り返す者」が鳥籠を最初に破るまでにあり得たカケラの一つ。その結末を誰も覚えないまま、カケラは時空の海に打ち棄てられている──―




瞼にする口付けは「憧れ」を示しているとのことです。

なお、こちらのお話の執筆にあたっては、置き傘様の小説( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15147014 )及び、十川様のイラスト( https://www.pixiv.net/artworks/89704763 )に着想を得ています。
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