『ジュニア
「はっ、はぁっ、な、何なのよあの子・・・・・・」
「不真面目なんじゃなかったの・・・・・・!?」
膝に手を着き肩で息をするウマ娘たちが咀嚼しても中々飲み込めない結末を喘鳴と共に吐き出した。
『逃げ』というものは難しい。
高いスピードと豊富なスタミナが必要なのは勿論だが何より、
レースの展開に左右されない・自分の走りが出来るという強みはあるが、それは裏を返せば『駆け引きの余地が
先頭で逃げるペースを基準に後ろのウマ娘がペースを固定して脚を溜め、先頭が疲労したと見るやスパートをかけて差しに来る。
余程のフィジカルか手練れでなければ捕まってしまうのが『逃げ』という作戦で─────、まだ戦略を練れる段階にある者がいないデビュー戦、モノを言ったのはシンザンのフィジカルだった。
「へえ、あれが会長の言う『シンザン』か」
観客席の高い場所から見下ろしながら、頬杖をつく鹿毛のウマ娘が面白くなさそうにボヤく。
その隣には誰もが顔を知る栗毛のウマ娘・コダマが柔和に笑っていた。
「随分と千切ったじゃねえか。デビュー戦アタマ差で負けたの思い出すなあ畜生」
「そっか、リュウさんもメイクデビューはここでしたね。頼もしい後輩じゃないですか」
「いやそうだけどよお。会長はどう思うんだ? 随分アイツを目にかけてるみてーだけども」
「もちろん期待以上ですが・・・・・・それ以上にホッとしました。不真面目な態度で不甲斐ない結果を出された日にはと考えると、今日まで気が気ではなくて」
うふふと笑うコダマに対して、『リュウさん』と呼ばれた鹿毛のウマ娘が顔を引き攣らせつつ彼女から若干の距離を取る。
彼女は自分の脚を気に病み続ける元トレーナーを立ち直らせる役割を、彼が次にスカウトしたウマ娘・・・・・・つまり自分の後釜に求めているようだった。
しかし時代を創ったこの二冠ウマ娘が求める最低水準は、即ち『自分と同じレベル』に他ならない。
皆に優しい生徒会長にして
「さて、早いですが移動しましょう。彼女には労いの言葉も掛けたいですし、まだ見るべきものも残っていますから」
「へ? レース以外にチェックするもんあるか?」
「ウイニングライブですよ。そこまで完璧にこなしてこそレースに生きるウマ娘なのですから」
ほら早く早く、と。
そう言ってコダマは席を立って観客席の出入り口に向かいつつ鹿毛のウマ娘に手招きをした。
どうやらそこまでチェックされるらしい。そこいらの姑よりも重箱の隅をつつこうとしている。
そこまでやるなら後釜に任せず自分でやればいいのにと思うが、彼女の中では明確な線引きが為されているのだろう。
走りきった自分は
過去から吹っ切らせられるのは、これからを走る者であると。
「・・・・・・後輩がここまで圧かけられてんなら、オレもキッチリ見せるべきもん見せとかねえとな」
よしっ!と。
気持ちを締め直すように自分の両頬を手で打って、リュウフォーレルも立ち上がる。
見据えるは月末、秋の盾。
夢に見れども出走すら叶わぬ者が殆どの、最高峰の一角のレースだった。
◆
「や。終わったよ、トレーナーさん」
ガッツポーズもそこそこに即行で引き上げてきたシンザンがトレーナーの方へと駆けてきた。
観客席とコースを隔てる
「
「ああ、正直驚いた。てっきり先行で走ると思ってたよ。初戦の逃げでここまで突き放すのは並大抵の事じゃない」
「そのつもりだったけどね、周りのペースを見てたら緩めなくてもいけるなって。これでペース配分の感覚は身に付いたって事だし、もうラップ走やらなくていいだろ?」
「継続だバカタレ」
「んえぇぇえ」
元より真面目とは言い難い練習態度の中でも特に萎えきるのがラップ走なのだが、よもや自分の勝利を盾に交渉を仕掛けてくるとは思わなかった。
交渉を跳ね除けられてグダッと
「それよりこの後のウイニングライブだ。もちろん休憩はあるけど、シャワーだの化粧だのと詰まってるからそうのんびりは出来ないぞ。ダンスに関しては教官に任せて余り関わってないけど大丈夫か?」
「ああ、そうだったそうだった。大丈夫、ちゃんと覚えて来てるよ。面倒だからセンターの振り付けしか練習してなかったけど」
「怖いことを言うなぁ・・・・・・」
もし1着を逃していたらどうするつもりだったんだろうか。
他のポジションになっても踊れるように厳命しなければ・・・・・・知らぬ間に担当ウマ娘がステージ上であわや棒立ちという危機に直面していたことを知ったトレーナーの背筋にストレートな寒気が走る。
さーて汗流そ、とさっさと歩いていくシンザンに続くようにトレーナーも控え室へと急いだ。
鍛えて送り出すだけがトレーナーではない。
レース後のクールダウンや脚のチェックなど、ウマ娘のあらゆるメンテナンスもトレーナーの役割だ。
そして地下馬道を戻る道すがら、シンザンの前に立つ影が3つ。
「・・・・・・お疲れ様です。凄まじい走りでした」
「1着おめでとうございます。恥ずかしながら、シンちゃんがあそこまで強かったとは私も見抜けませんでした」
「やあやあ、ありがとね。・・・・・・1人だけ労ってくれそうな雰囲気じゃあないみたいだけど」
中央に仁王立ちして行手を阻むウメノチカラと、その両脇で彼女を宥めようとしているバリモスニセイとカネケヤキだ。
実際、2人が腕を抑えていなければ彼女はシンザンに掴みかかっていただろう。ウメノチカラの瞳には、それだけの怒りと屈辱が赤々と燃えていた。
その様子で何となく用件を察したシンザンに、ウメノチカラは理性の表面張力が限界に達している声で問うた。
「端的に聞こう。なぜあの時は手を抜いた」
「本気になる必要が無かったからね」
怒りを猛らせる友の前。多少なり気圧されるか萎縮するような対面で、シンザンはあまりにもあっけらかんとそう答えた。
「まあ縁に恵まれてね、あの時あたしはもうトレーナーが決まってるようなものだったんだよ。だから体裁として見栄えが悪くない順位を取っとけばよかったんだ。いらない所で疲れる必要はないだろ?」
「勝負を舐めているのか?」
「そんな事はないさ。ただあたしが戦うべきところはあそこじゃなかっただけ」
「お前は─────」
叫ぼうとして、やめた。
勝負を愚弄する行いや1つ1つのレースに皆が懸けている想いを説いても、彼女には何ら意味がない。
自分の物差しでものを言ったところで、彼女にとってのそれは自分と同じ大きさとは限らないのだ。
強張っていた身体から力を抜く。
ウメノチカラの胸に渦巻く怒りと屈辱は、ただ唯一共通していた価値観に向けて吐き出された。
「─────・・・・・・次は負かす。完膚なきまでに」
「うん。あたしが勝つよ」
確信。規定事項であるような物言い。
せっかく区切りが付きそうだった炎が再燃しそうになっているウメノチカラの横を通り過ぎゆくシンザンに、カネケヤキが思い出したように声を発する。
「シンちゃん。レース前に何かあったんですか?」
「?」
「ほらその、レース前に何か言い争ってるようだったので。見たところ一方的に何かを言われていたみたいでしたが、あの子と何かあったのかなって」
「あー、あの子ね。あの子、あの子・・・・・・」
しばし口の中で呟いて記憶を辿るシンザン。
時間にしておよそ5秒と少しだろうか。
レース前に会話を交わした記憶から出走していたメンバーの顔を思い出し、そして
「
それで話を打ち切った。
もちろんその理由はシンザンが最初から最後まで彼女の顔を見ていなかったからなのだが、顔を見ていたとしても彼女が覚えていたかは怪しい。そのレベルで無関心だった事は、何ら気にしていない彼女の口振りから容易に察せられる。
そんじゃね、と軽く手を振って歩き去っていくシンザンに、3人は背筋に薄寒いものを走らせた。
───自分達は今、何か恐ろしいモノの片鱗と目を合わせたのではないか。
遠ざかっていく足音に、3人は深淵に潜む化物の
そんな底知れない彼女も舞台で歌って踊るのだ。
記念すべき初めてのウイニングライブ。
先に1着を飾ったウメノチカラやカネケヤキの舞台を見ていたのもあってか、『自分が勝者である』という晴れ姿を全身で誇示できるウイニングライブに対するシンザンのモチベーションはパドックの時と比べれば遥かに意欲的だった。
・・・・・・この時までは、意欲的だったのだ。
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
沈黙があった。
ライブの衣装に着替えて化粧を施し、そして姿見の前に立ったシンザンと隣にいるトレーナーは一様に口を閉ざしている。
シンザンはともかく、すぐ側で見ている自分が無言なのはマズいとトレーナーも理解しているのだろう。
浮かんでくる感想に含まれる単語や文節たちに変換に変換を重ね、どうにかこうにか当たり障りない言葉に変えてトレーナーはシンザンに声をかけた。
「その、似合ってる。いいと思うぞ? 華やかさとは違う魅力があるな。垢抜けない素朴な可愛さというか親しみを感じるというか、そう、安心感を覚えるというかさ・・・・・・」
「濁さず正直に言ったらどうだい」
「野暮ったいなぁ」
「正直に言ってんじゃねえよ」
予想以上に最短距離で
気遣いが辛くて正直に言えとはいったが、実際は言われずとも分かっているのだ。
自分のボディラインはこうも平凡というかずんぐりむっくりとしていただろうか?
普段は気にする事も無かったが、こういう華やかな衣装を着るとどうにも衣装が浮いてしまうようだ。
流石にメイクには何の問題もないが、そのせいで尚のこと田舎者の背伸び感が出ているというか・・・・・・
これで衆目の前で歌い踊れと言われると・・・・・・
「トレーナーさん。あたし本当にコレで出なきゃ駄目かい。2着のホシツキって子と代わってもらうとか出来ないのかい」
「お前センターの振り付けしか練習してないだろうが。それにウイニングライブってのは自分を応援してくれた人に対する感謝と礼儀だ。1番人気にまで推されたのなら尚更な」
「でもさあ」
「コダマがキレるぞ」
反論が止まった。
我儘を言っている自覚もあったのだろうが、彼女に怒られるのは流石に嫌だったらしい。彼女を『すっげえ怖い』と評したあの朝に何があったのだろう。
だが出ずに済むなら出ずに済ませたいとはまだ考えているようで、頭頂部の耳は浮かない気分を反映してペタンと伏せられたままだ。
「大丈夫、笑顔で歌って踊る姿は走りと負けない位に自分を輝かせてくれる。そもそも可愛くない訳じゃないんだ、野暮ったいと思う奴なんていないさ」
「いま目の前にいるんだけど」
「それに何より・・・・・・」
「?」
「・・・・・・俺が純粋に、歌って踊るシンザンを見たい。担当したウマ娘がセンターに立つ姿は、トレーナーにとっては何よりの誇りだからな」
やはり沈黙。
照れ臭いことを言ってみたが駄目か、とトレーナーが肩を落としそうになる。
だがその時、それを聞いて伏せられたシンザンの耳がゆっくりと持ち上がっていくのを見た。
ふーーーーーっ、と長く息を吐く姿は、うだうだ言っていた腹をようやく括ったという覚悟の証だった。
「トレーナーさん。考えてみればウイニングライブで、舞台衣装じゃなくて別の服を着て踊ってるウマ娘がいるよね」
「? ああ、それは『八大競走』後のウイニングライブだな。重賞レースの中でも特に最高峰とされるレースで、そこで3着以内に入ったウマ娘はその後の舞台で
「うん、だよね」
切り替えるように首を振り、姿見から視線を切る。
決意を宿した瞳で慣らすように肩を回す姿は、何ならレースの前よりも戦いに赴く風体をしている。
突然の変貌に静かに驚いているトレーナーを尻目に、シンザンは控え室のドアを開けた。
「─────このライブ終わったらすぐ一緒に考えるよ。あたしにバッチリ似合う衣装」
そして始まった彼女が主役のステージ。
見た目の野暮ったさから観客の意識を逸らすために、シンザンは覚えた歌を演歌の声と節回しで歌うという奇策に打って出た。
当初は動揺していた観客たちだが予想だにしない彼女の美声に最終的には喝采を贈るに至り、観ていたコダマも「これはこれで」と頷いたとか何とか・・・・・・
ともかく、シンザンは文句無しの圧勝でメイクデビューを飾った。
彼女は翌月の『月間トゥインクル』の小欄に、ウメノチカラやカネケヤキと共に筆者の期待を添えて名前を記される事となる。
『期待の新人』というウイニングライブの様子を交えて付けられたその称号が、今後どれだけ大きくなっていくのか。
この時はまだ、誰も知らない。