少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第13話

 「・・・・・・どういう事ですか」

 

 「そのままの意味だよ。キミには今年から他の生徒の担当になってほしい」

 

 硬い声で聞き返したトレーナーに秋川さつきは感情の読めない微笑みを湛えたまま繰り返すように答え、さらにその続きを口にした。

 

 「理想としては入学してきた新入生達も交えたチームを組んで欲しいかな。キミの基準だと加入するための合格ラインはかなり高くなるだろうけど、その辺の裁量は全面的に任せたいと思う」

 

 「そうじゃありません。なぜシンザンとの契約を解除しなければならないのかを聞いているんです」

 

 「分不相応だからさ。キミの優秀さは僕もよく知るところだ。慢性的なトレーナー不足に悩まされているこの状況で、芽の出そうにない種に水や肥料を回す余裕はないからね」

 

 「ご自身がいま何を(おっしゃ)ったか自覚していますか? 学園の長の言葉にしては余りにも冷酷すぎる。トレーナーとして到底納得することは出来ません」

 

 「()()()()()()()()()()()()()使()()()()()

 

 秋川さつきはそう断言した。

 何らかの根拠と確信を持った者の静かで強い語気。

 押し黙ったトレーナーの前で出されたお茶にようやく口を付けた秋川さつきの口元には、もうさっきまでの微笑みは無かった。

 

 「『もはや戦後ではない』。高度経済成長を迎え消費意欲の高まったこの国では、それほど一般的ではなかったウマ娘のレースにも高い注目が集まっている。

 それを成した第一のスターがコダマだ。

 ウマ娘としての容姿と競技者としての『脚の速さ』、偶然にも特急電車と同じ名前という『運の良さ』により得た知名度、そして不振と故障を乗り越え勝利を飾った『強さ』で灯されたこの火を、僕は大火に至るまで(おこ)さなければならない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 競走ウマ娘の世界を発展させて更に上へと押し上げるためには2人目の彼女が、大復興の象徴となる存在が必要なんだよ」

 

 「シンザンはそれ足り得ないと言うんですか」

 

 知らずトレーナーは身を乗り出していた。

 彼らは皆、担当したウマ娘が華々しい結果を残すことを願って彼女らを育て鍛える。そんな彼女らをたとえ直接的な言い回しでなくとも花開く器でないと言われて黙っていられようはずも無かった。

 

 「彼女のここまでの戦績を知らない訳ではないでしょう。デビュー戦含めて4連勝、それも最低でも2バ身離しての圧勝だ。同期の中でも特に優れた結果を出しているのに、何故そうまであなたは彼女を蔑ろにするんですか?」

 

 「勝てそうなレースを選んでいるだけでしょう」

 

 割って入ったのは日聖ミツヱだった。

 皺の刻まれた顔から覗く鋭い眼差しが、淡々と問い詰めるようにトレーナーに突き刺さる。

 

 「確かに数字を見れば優秀な成績と言えます。

 しかしその実情はどうですか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もし違うというのであれば、なぜ朝日杯に彼女を出走させなかったのですか? 彼女は先に挙げた2人ですら成し得ていない3連勝を誇っていたというのに」

 

 「彼女が今後勝ち続けるために必要なものを手に入れさせる為です。彼女らと走れなかった憤りは確実に次のレースで発揮される」

 

 「その憤っているはずの彼女は随分のんびりと過ごしているようですが、貴方は彼女の側を離れて何をしているのですか? 自主練のメニューを渡していないなどという事はないでしょうが、今の彼女にレースを走るに足る心構えがあるのかは甚だ疑問と言う他ない」

 

 「彼女が抱えている問題を解決するために動いている所です。休んでいるという事は彼女自身がそれを必要としているからでしょう。ここまでのレースのスケジュールを考えれば何らおかしな事ではない」

 

 「だとしてもこれまでの練習の態度は? お世辞にも真面目とは言い難いだろう。怠け癖を指導され続けて尚あの調子では早晩埋もれて消えるのがオチだと思うけれど。

 (もっと)も、キミが今まで何の指導もせず好き放題させていただけというのであれば話は変わってくるけどね」

 

 「あれは生来の気質です。言って矯正するよりもそれに沿う形でトレーニングさせた方が効率がいい」

 

 2人の指摘はどれも当然のものだ。

 トレーナーとてシンザンの手抜き癖に向き合う方法は模索している最中だし、客観的に見れば彼女らの意見の方に分があるのだろう。

 しかしだからといってハイそうですね分かりましたと受け入れられる訳がない。

 これまでの努力や結果を今になって黙らせつつある言葉で否定されたトレーナーは、苛立ちも顕に眉を吊り上げる。

 

 「お二人がシンザンを認めようとしない理由は分かりました。しかし自分は彼女のそういった面を含めた上での計画を立てているんです。その道半ばで素質無しと断じられるのは横暴が過ぎる」

 

 「・・・・・・・・・、」

 

 「理事長の理念は分かります。優秀であるという評価はありがたいですが、自分はシンザンの担当を降りるつもりはありません。チーム結成の件も含めてお断りさせて─────」

 

 

 「ああ言えばこう言うね。キミは」

 

 

 凍てついた。

 目を細めて一言、ただそれだけで周囲の温度が氷点下まで冷え込んだような錯覚に陥る。

 吐き出す言葉は冷気の如く。脊髄に氷柱を突き立てられたトレーナーに、白い(もや)すら見えるような吐息と共に薄氷の下の本性を剥き出した。

 

 「これが思い付きの提案だとでも思うのかい? 1人のウマ娘からトレーナーを奪う選択を直近の印象だけで決定したとでも?随分とこちらを無礼(なめ)てくれるね。

 全生徒の日頃の授業態度やトレーニングへの姿勢、全て把握した上での話に決まっているだろう」

 

 「だとしても」

 

 「確かにキミは優秀だ。彼女には光るものがあるのかもしれない。しかしそれを自ら磨こうとしない者に差し伸べる手はこの学園には存在しないんだよ。

 努力なんて大前提、そうして磨かれた才能が激突し続けて最後に最も煌びやかな宝石が残る。ここはそういう場所だろう。

 ・・・・・・分かるかな? そもそもこちらは()()()()が拒否を許される程の軽い命令は下してないんだよ」

 

 「──────、」

 

 「まあ、とはいえこちらの言葉の選択が誤解を与えたのも事実。言い方を変えようか」

 

 極地のように冷たく、氷山のように重い言葉。

 淡々と列挙される厳然たる事実は口を挟む余地など1つも与えられる事はなかった。

 瞳に暗く冷たい光を灯して口元を扇で隠した秋川さつきはどこまでも感情を排した判断を下す。

 一大組織の長として目的の達成を成す為には、個人の思いは些事に過ぎぬと。

 

 

 「辞令を出そう。1週間以内にシンザンとの担当契約を解消し、その後に新たにチームを発足させる事を命じる。尚そのチームにシンザンを在籍させる事は認められないものする」

 

 

 バンッッッ!!!と硬いものを強く叩く音。

 秋川さつきの命令を聞いたトレーナーが、目の前のテーブルを両手で叩いて立ち上がったのだ。

 僅かに眉を上げる秋川さつき。

 圧し潰すような氷の意思に反抗したのは、誇りを持ってこの場所に心血を注ぐ者の熱だった。

 

 

 「─────外すのなら俺を殺してからにしろ」

 

 

 低く唸るように突っぱねた。

 対極の温度を持つ2人の意志が理事長室内で対流を起こしている。

 扱い難そうなこの駒を()()()()()()()と双眸を細めて思案する秋川さつきの前で、トレーナーは一歩も退かずに彼女を睨み付けた。

 しばし膠着する空気。

 そんな中で風向きをトレーナーの方へと誘導したのは、意外にも日聖ミツヱだった。

 

 「機会を与えてみてはいかがですか?」

 

 「と言うと?」

 

 「シンザンの姿勢に問題があるのは事実ですが、そんな彼女を曲がりなりにも4連勝させている彼の評価は高い。良い結果を出しているコンビを強引に解消させたとなれば他のトレーナーや生徒達の不信に繋がる可能性もあるでしょう。

 勝ち続けているだけに周囲を納得させるだけの根拠が薄いのです。

 そして我々が下した決定に対して彼が勝ち星を盾にするのであれば─────、近く行われる大きなレースの結果で判断するのが妥当な折衷案かと」

 

 「・・・・・・成る程ね。黒星も合わせれば説得力は盤石になるし、結果を重んじる者同士それで決めた方が後腐れもない。それに僕の言う条件を満たすチームを結成させるには(いささ)か時期も早いから、機会を与える時間も丁度良くあるという訳だ」

 

 ふむ、と脳内の算盤を弾く秋川さつき。

 日聖ミツヱの案を採るかそれとも手っ取り早く処理するか、しばし合理と損得の勘定を計算して比較していた彼女は、宙を見ていた目をきょろりと眼前のトレーナーに向けた。

 

 「次のレースは決まっているのかな」

 

 「はい。3月の『スプリングステークス』です」

 

 「なら丁度いい。コダマを育てたキミの実績に免じて、こちらから少し歩み寄ろうじゃないか」

 

 閉じた扇で秋川さつきはトレーナーを指す。

 淡々と口からでる言葉はやはりさっきと同じように有無を言わさぬ冷たさと硬さだったが、トレーナーにとっては春と冬ほどの違いがあるものだった。

 

 「キミ達の処遇はそのレースの結果によって決めるものとする。そこで彼女が1着を獲ればキミと彼女のコンビは継続、そうならなければ僕の辞令に従ってもらおう。

 これが最大限の譲歩だ、これも拒否するというのであればこちらも粛々と強硬手段に移ろう」

 

 「(たが)えはありませんね?」

 

 「勿論。書面にでも起こそうか?」

 

 「いえ、結構です。貴女の言葉を信じましょう」

 

 「決まりだね。じゃあ話は終わりだ、戻っていいよ。・・・・・・誠実にいこうじゃないか。()()()()

 

 

 失礼します、と一礼して理事長室を出る。

 扉を閉めて2人の魔物が巣食う部屋から遠ざかることおよそ20歩と少し、トレーナーはぴたりと歩みを止める。緊張から解放された身体の機能が、ようやく自分の役割を思い出したのだ。

 

 「〜〜〜〜〜〜っ、ぶはっ!!! はっ、はァっ!」

 

 膝に手をついて必死に酸素を取り込むトレーナー。

 呼吸する事すら忘れていた。

 秋川さつきと日聖ミツヱ。2人と衝突する立場に立った時に感じる圧迫感たるや、終わってみるとよくぞここまで歯向かえたものだと自分の胆力を疑う。

 どんな才能と教育があればあんな氷山のような圧が出せるのか。『所詮は女と舐めてかかった横柄なスポンサーが(ことごと)く縮み上がって帰っていった』という逸話の真偽を実体験で証明してしまった。

 

 だが、自分はやり切った。

 譲れない一線は首の皮1枚で繋がったのだ。

 

 顔に張り付く冷や汗を拭い喘鳴を整える。

 勝てるだけの力が彼女にはある。ならば自分がやるべき事は、その力を可能な限り引き出す事だけ。

 ─────こんな道半ばで終わってたまるか。

 心を引き締めたトレーナーは、意地と矜持を胸に燃やして再び歩き出す。

 

 緊張からの解放感で意識に余裕が無かったからか。

 理事長室から出た瞬間、嗅いだ覚えのあるシャンプーの香りが鼻を(よぎ)った事に、トレーナーが気付く事はなかった。

 

 

 

 「あなたは優しいね」

 

 トレーナーが退室した後、秋川さつきは隣に立つ日聖ミツヱにそう言った。

 

 「我ながら目的以外が見えなくなりがちで困る。今でさえ氷の女と言われているのに、貴女がいなければ僕は今ごろ雪女とでも呼ばれているかもしれない」

 

 「差し出がましい真似だったでしょうか」

 

 「いや、助かったよ。僕にとっても彼にとってもベストの提案をしてくれたと思う。だけど、僕とあなたでは少しだけ考えにズレがあるようだ」

 

 日聖ミツヱの目をじっと見つめる秋川さつき。

 しかしそれは上司としての訓戒ではない。

 同じ視座に立つ者としての意見を述べ、また相手にもそれを求めるという議論に近しいものだった。

 

 「あなたがウマ娘とトレーナーの繋がりを尊重する理由は理解している。だけどもうあなたが経験した悲しい時代は終わったし、ご友人が味わった悲痛な別れももう無いんだ。

 追い風が吹く時代だからこそ僕たちに緩みは許されない。危機感と焦燥という、最も強く闘争心を駆り立てる感情を忘れさせてはならないんだよ」

 

 「負の要因が力を生むという主張に対しては議論の余地があるでしょう。しかし私は優しさから彼に機会を与える事を進言したのではありません」

 

 「つまり?」

 

 「憂いを晴らして勇気を与える。暗い時代にも光を灯す。たとえその結末が辛苦に満ちたものになろうとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 貴女の理念と最後通牒を受けてなお噛み付いた彼の覚悟で、シンザンがそのように変わる可能性もあるいはゼロではないと考えたのです」

 

 「そうならなければ?」

 

 「あのトレーナーはシンザンには過ぎた導き手だった。それまでの話です」

 

 淡々とそう答えた日聖ミツヱに、秋川さつきはくつくつと喉を鳴らして笑う。

 合理的ではないだろうが、本当に優しさとは違う。ただ可能性としてあるかもしれない取りこぼしを拾っただけ。

 結局、考えの方向性は同じなのだ。

 それを改めて理解した秋川さつきは、扇を懐に仕舞いながら揶揄うように己の秘書に言う。

 

 「ミツヱさん。あなたも大概()()()(ひと)だ」

 

 「私も伊達に(しわ)を刻んでいませんよ。・・・・・・ともあれ、自覚するべきです。

 結果がものを言う世界においても、第三者はその過程も評価の対象にしているという事。

 相手が自分を尊重しているという事は、相手は自身を蔑ろにしているという事。

 そして、自分の自由の代償を背負うのが自分であるとは限らない事を」

 

 「? ・・・・・・さあ、懸案にも解決の目処が立ったし、仕事を片付けよう。そろそろ僕も一息入れる時間が欲しいからね」

 

 「かしこまりました」

 

 自分ではなくここにはいない誰かに言い聞かせるような日聖ミツヱの言葉をひとまず流し、秋川さつきは仕事に戻る。

 ─────盗み聞きしたのはただの好奇心だった。

 理事長室の出入り口、両開きの扉の出口側。

 トレーナーが押し開けた扉の影に隠れるように縮こまったシンザンが、耳を伏せて俯いていた。

 

 

     ◆

 

 

 「シンザン。俺にも仕事というものがあってな」

 

 「いいじゃん。担当ウマ娘のコンディションの管理も仕事の内って前に言ってただろ」

 

 「同じ時に『お出かけに仕事を持ち込むな』ってお前に言われた覚えがあるんだが」

 

 「それはそれ。これはこれ」

 

 「あ、はい」

 

 『気分転換したいから散歩に付き合え』。

 唐突にそう言われてトレーナー室から引き摺り出されたトレーナーは、シンザンと2人並んで河川敷の道を歩いていた。

 ・・・・・・が、駆り出されて以降会話がない。

 てっきり前回のように無限のホスピタリティ精神を要求してくるものと考えていたのだが、今回はいやに静かというか何というか。

 しおらしい。

 そうだ、()()()()()()()

 いつもより耳が倒れており、何かを言い淀むように頭を動かしている。

 

 (何か相談したい事があるのか・・・・・・?)

 

 少しずつそんな疑念が鎌首をもたげてくる。

 彼女が腹を括って言い出すのを待つべきかそれとも自分から聞いてみるべきか、逡巡している内に先に口を開いたのはシンザンの方だった。

 

 「トレーナーさんはさ。後悔とかしたりする?」

 

 「後悔?」

 

 「そのー、さ。ああしとけば良かったとか、こうするんじゃ無かったとか、そういう。小さいのじゃなくて、そこそこ大きめのやつ」

 

 「そんなのは多かれ少なかれ誰でも抱えてるものだと思うけど、本当にどうしたんだ? 俺の勘だけど、お前が聞きたいことってもっと具体的な、『何を後悔してるか』って話じゃないか?」

 

 シンザンの言葉が僅かに止まる。

 伏せられた目線がトレーナーの目と合わさる事はない。少しの沈黙が流れた後、彼女の口から出てきた言葉にトレーナーは思わず息を呑んでいた。

 

 

 「・・・・・・あたしを担当にした事、後悔してる?」

 

 

 余りにも。余りにも()()()()()言葉。

 自分に対して絶対の自信と価値を自負する彼女らしからぬ弱気な問いかけに、トレーナーは肯定と否定の選択肢が頭から消えた。

 

 「・・・・・・本当にどうしたんだ。急に」

 

 「()()()()()()()()()()()()()んだけどね。自分を尊重してくれる人は自身をほったらかしにしてるとか色々聞いちゃって。それにトレーナーさん自身も、えーと、あたしが真面目じゃないせいであれこれ言われてるみたいだしさ。

 ()()()()()()()()()()()、偉い人がトレーナーさんとあたしの契約を解消させようとしてるなんて話も耳に入ってきちゃったし」 

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 「ウメからも散々言われた事だけどさ。今のあたしって、あんたの優しさでレースに出れてるようなもんなんだよね。あたし自身がどうにもならない所をあんたは受け入れてくれてるけど、周りはそうじゃないんだよ。

 あんたにしたって、あたしがもっと真面目に練習してくれたらとは間違いなく思ってるだろうしさ」

 

 そう言ってシンザンはトレーナーの目を見た。

 いつかトレーナーが飲み込まれそうになった彼女の瞳に宿る光が、今は不安げに揺れている。

 きっと否定してくれると信じていて、だけどどこかで疑ってしまっていて。これからもこの人に頼って許されるのか悩んでいるその姿は、ちゃんと年相応の少女に見えた。

 

 

 

 「トレーナーさん。もっと手の掛からない真面目なウマ娘を捕まえれば良かったって、そう思った事はないって心から言い切れる?」

 

 「まあマジで手が掛かるなコイツとは思ってる」

 

 「オイ」

 

 想像以上に直で返ってきた。

 余りにも悪びれる様子のないトレーナーの態度にビックリするほど低い声が出たシンザンを他所に、トレーナーは『何だそんな事か』と安心すらしていそうな顔をしていた。

 

 「前も言ったかどうかは忘れたけど、気性はウマ娘それぞれだ。確かに真面目な子ならトレーニングはやりやすいけど、気難しい子だって方向性を噛み合わせれば爆発的に伸びるんだ。一概にどれが優れてるなんて結論は出ないよ」

 

 「そりゃ手抜き癖のあたしにも当てはまるのかい?」

 

 「事実として今まで勝ってきてるだろ? そしてこれから先もずっと勝たせ続けてみせる。お前とならそれが出来ると思ってるし、その確信はお前の走りを見た時から今までずっと変わらない」

 

 いつになく小さくなっている彼女の背中を、トレーナーの手のひらが強めに叩く。

 いかにも男らしい粗雑な励ましだが、そこから伝わる力は何よりの説得力として働きかけるだろう。

 この人になら寄りかかっても大丈夫だという、何より原始的な安心感として。

 

 「揺らぐな、シンザン。自分の強さと価値をあそこまで強く信じられるのなら、俺の事くらい同じだけ信じてみせろ」

 

 シンザンは少しだけ目を丸くしてトレーナーを見て、ぷいと顔を逸らした。

 言葉に対する返答はない。

 まさか何か言葉を間違えてしまったのかとトレーナーが不安になり始めたそんな時、どむんっ、と身体の横から衝撃。

 いつかと同じ展開だった。

 また何故か横から身体をぶつけてきたシンザンに、説明を求めるようにトレーナーは話しかける。

 

 「あの、シンザン? 今度は何だ?」

 

 「ん?」

 

 もう一回。どむんっ。

 軽くぶつかってくるだけでも、ウマ娘の膂力の前にトレーナーは簡単にたたらを踏んだ。

 

 「ちょ、シンザン強い。前回よりも力が強い」

 

 「んん?」

 

 もう1回、もう1回。

 立て続けに弾かれるトレーナーがどんどん道の脇へと追いやられていく。

 

 「シンザンさーん?? シンザン様ー???」

 

 「んー? ふふ、ふふふっ」

 

 行動の理由は相変わらず明かさないままだった。

 何かの気が収まるまで彼女はトレーナーに身体ごとぶつかり続け、最終的にトレーナーは河川敷から転がり落ちた。

 ひどく腑に落ちない表情で草の生えた斜面にひっくり返っているトレーナーを、シンザンはしゃがんで見下ろしている。

 気弱な姿はどこにもない。

 瞳と表情に決して揺れない自信を宿した、いつも通りの彼女の姿だった。

 

 「もう大丈夫。心配いらないよ」

 

 ありがとね、と。

 憂いは晴れた。光は灯った。

 ならば、後は走るだけ。

 ニコニコと笑う彼女に、トレーナーは草まみれで転がったまま親指を立てて返事をした。

 

 

 

 そして2ヶ月後、その時は来た。

 

 3月29日『スプリングステークス』。

 

 彼女たちの命運が懸かった、未来を決める大一番。

 

 シンザンにとって初めての重賞で、そして彼女とウメノチカラが初めて激突するレースだった。


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