少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第14話

     ◆

 

 

 3月29日、東京レース場。バ場状態は良。

 晴れ渡る空の下に押しかけた大勢の観客達の騒めきが春風に乗って流れていく。

 今日のスプリングステークスは4月に開催される八大競走『皐月賞』に挑む前の腕試し、つまりウマ娘たちが世代の主役に名乗りを上げるレースだ。これから本格的なクラシック級で走る彼女たちを応援するファンの注目度も高い。

 出走するウマ娘達が三々五々にストレッチをしているパドックの周囲に集った観客達は、銘々に誰が勝利を掴むかの話で盛り上がっている。

 

 「やあ。お前は誰が勝つと思う?」

 

 「そりゃやっぱりブルタカチホさ。メイクデビューから3連勝、弥生賞じゃ2着だけどアタマ差だ。練習内容も好調って話だし、今回は彼女で決まりだよ」

 

 「俺はウメノチカラだと思うな。順位の浮き沈みは激しいけど朝日杯での走りは本物だよ。あの負けん気は絶対に一着を獲ってくれるさ」

 

 「私なんかはトキノパレード辺りが─────」

 

 ああでもないこうでもないと各々の知識と勘で誰が勝者となるのかを議論する観客達。これから始まる勝負への期待と興奮か、彼らの声はどこか陽気に弾んでいるようだった。

 大勢に推されているファン人気の高いウマ娘は大勢の口からその名前が出てくるし、そうなれば必然その声はパドックのウマ娘に届く。

 自分を応援してくれている人がいる。その実感はウマ娘にとって最大の力になる。

 どこかから自分の名前が聞こえてきてひっそりと笑みを深める者もいれば、応援してくれたのが誰かが分かればそちらに笑顔で手を振る者もいた。

 観客の側にもこういう小さな触れ合いからファンと呼べる程レースに入れ込む者も多数存在するのだが、同時刻、学園で紅茶を啜っている彼女は、少なくとも今はその情緒からは切り離されていた。

 

 「流石にスプリングステークス。皆いい表情をしているね」

 

 画面越しだとよく分からないけど、と。

 最適な温度で淹れられた茶葉の香りを楽しみながら、秋川さつきはテレビの前に座っていた。

 

 「連勝中だけにシンザンもクラシック級の注目株ではあるけど、彼女以上に調子を上げている実力者は何人もいるし、まあ彼との賭けは僕の勝ちだろう。

 あの後も彼女はろくにトレーニングをしなかったようだしね」

 

 「初めての重賞レースというのも少なからずメンタルに影響を与えそうです。参考までに貴女の見立てでは誰が1着になると思いますか?」

 

 「ウメノチカラかな」

 

 斜め後ろに控えている日聖ミツヱの問いかけに、秋川さつきは少しの間も置かずに即答した。

 

 「彼女はメイクデビュー後のジュニア級特別で、シンザンへの対抗心が空回りして11着と大敗した。

 その後のオープン戦と朝日杯で勝利した後は弥生賞で8着と凡走。

 つまり彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして前走のオープン戦ではキッチリと1位を獲り、コンディションを最高の状態に持っていっている。かなりの好走が期待できるね」

 

 「成る程、理解しました。しかしその理由にはかなり好意的な解釈が含まれているような気もしますが」

 

 「否定は出来ないけれどそうするだけの信頼はあるよ。彼女は実直だ、経験した全てを吸収しようという姿勢がある。彼女のトレーナーも彼女の負けん気をよく理解して教導しているしね」

 

 そう言って紅茶を口に含む。

 彼女の言葉に納得した様子の日聖ミツヱを振り返りながら見上げつつ、好奇心を胸に芽生えさせた秋川さつきは逆に彼女に問いかけた。

 

 「あなたの予想も聞きたいな。全く違う視点や判断基準を持つあなたなら、僕の予想とはまた違った結論に至るだろう。あなたは誰が勝つと思う?」

 

 四角い画面の向こうでは出走者たちが入れ替わり立ち替わりパドックに立ち、今日の意気込みとコンディションを立ち振る舞いで表している。

 彼女の目に映ったのはその中の1人だった。

 パドックに現れてお決まりの動作をして、そしてパドックを去っていく、何の変哲もないウマ娘。

 その後パドックに現れた何人かを見てしばし黙考した後、日聖ミツヱは静かに口を開いた。

 

 「私は──────」

 

 

     ◆

 

 

 「ねえ。『シンザン』って君だよね」

 

 シンザンがパドックの裏に控えて自分の順番を待っていた時、不意にそう話しかけられた。

 何の用だろうとそちらを見れば、そこにいたのは顔見せを終えて戻ってきた黒鹿毛のウマ娘。枠番で言えばシンザンより1つ前に位置している彼女は、シンザンに気さくに笑いかけてきた。

 

 「話すのは初めてだね。アナウンサーも言ってたけど、私、ヤマニンスーパー。よろしく」

 

 「ん、よろしく。急にどうしたんだい?」

 

 「いやさ、お互い人気が低いから少し親近感湧いちゃってさ。君はここまでの戦績もいいみたいだから、この人気についてはどう思ってるのかなって」

 

 「うーん。確かに今までは1番人気とか2番人気になってたけど、特に何も思わないねえ。どうせ最後にはあたしが1番だって気付くんだし」

 

 「あははっ、強いね君! まあそういう私は『そうでもない』んだけどさ。ここまでの戦績も特筆するようなものは無いし、特段トレーニングの調子が良かった訳でもないから。だから8番人気って結果は妥当ではあるんだけどさ」

 

 あはは、と軽く笑うヤマニンスーパー。

 自分の立ち位置を諧謔的に話してみせる彼女に対して、結局何が言いたいんだろうと疑問に思い始めた時、彼女は糸のように細く目を開いた。

 

 

 「腹が立つよね。どいつもこいつも」

 

 

 形だけは笑みに似る。

 しかしその表情に明るいものはない。

 薄く吐くように滑り出てきた言葉は、春の陽気を掻き消すような寒気に満ちていた。

 

 「誰も私の名前を呼ばない。名前が出たと思えば『厳しそう』とか『勝てないだろう』とかさ。私の何を知ってるんだろうね? それを決めるのは他人じゃなくて私だっていうのに」

 

 笑わない笑みのまま彼女は肩を竦めた。

 動作の雰囲気の軽さに反して彼女の腹には黒いものが燃えている。フレンドリーな初会から直滑降するような急激な落差に軽く仰け反るシンザンだが、ヤマニンスーパーにそれを気にした様子は無い。

 

 「最後に結果で分からせればいいっていうのは心底同意だよ。人気の序列は絶対じゃない、他人が決めたただの数字。私は私より上にいる奴を、皆から望まれてる奴を全員食ってやるつもりでいるからさ。もちろん君も含めてね」

 

 単にパドックの順番が自分の次だったからなのか、あるいは勝つのは自分だという平然とした自意識を感じ取ったのか。

 自分より人気のあるウマ娘も多くいる中で彼女が何故それをシンザンに言ったのかは分からないが、皐月賞を見据えて意気込む面々の中でただ1人平静な顔をしていたのが逆に目立っていたのかもしれない。

 言いたいことを全て言い切ったヤマニンスーパーは、歩き去るすれ違いざまにシンザンの肩をポンと叩いた。

 

 「お互い頑張ろ。以上。宣戦布告でした」

 

 

 

 「・・・・・・ふへえ」

 

 解放されたシンザンの口から無意味な息が漏れる。

 メイクデビュー後にウメノチカラに迫られた時とは違う、怒りではなく憎しみに近しい感情の矢印。

 ふと感覚に違和感を覚えて自分の腕を見る。

 皮膚が粟立っていた。

 ヤマニンスーパーに()()()()()のだと気付く。

 

 (ああ。トレーナーさんが言ってたのはこれかい)

 

 腕を摩って鳥肌を消しながらそう思う。

 勝利への執念。格上を殺し得る刃。

 あれを自分に手に入れさせる為にトレーナーは腐心しているのだ。

 向けられた(きっさき)、その鋭さは、掴めたはずの頂点を見送る事になった自分の鬱憤とどちらが上か。

 彼女の牙は言葉通りに自分を食らう力を持っているのだろうか──────

 

 

 「うん。どうという事はないかな」

 

 

 『続いて3枠3番、シンザン。6番人気です』

 

 彼女の炎に確かに波立たされた自分の心にその答えを求めたシンザンは、ただ一言だけ結論を残してパドックへと歩みを進める。

 『連勝はここで止まる』。『この面子に休み明けで勝つのは不可能だ』。漏れ聞こえてくるそんな声。

 誰も自分の勝利を想像していない。

 初めての東京レース場。初めての重賞。

 緊張は、無かった。

 

 

 「パドックじゃ驚きましたよ」

 

 パドックでの紹介を見届け、観客席の最前列でレースの開始を待っているトレーナーの横で、一眼レフのシャッターを鳴らしながら沢樫(さわがし)静夫(しずお)が問いかける。

 

 「初めてのレース場に初めての重賞だというのに、まるで(ヌシ)のような落ち着きっぷりだ。トレーナーの目線から彼女の調子は如何(いかが)です?」

 

 「いつも通りですよ。場所や状況に左右されないメンタルの太さは彼女の強力な長所です」

 

 「成る程、環境の変化に敏感なウマ娘にとってその強みは大きいですな。・・・・・・しかし、今日という日に『いつも通り』というのは大丈夫なんですかい?」

 

 含みを持った言い回しをした沢樫の口調は厳しい。

 記者として長年レースに関わってきた彼の知識と分析力は、シンザンが苦境に立たされていることを誰に聞かずとも理解しているのだ。

 自分が分かっているのならお前も分かっているはずだろうと言わんばかりに、それに対する答えを求めるように沢樫は言葉を続けた。

 

 「このレースは謂わば皐月賞の前哨戦、強力なライバル達もコンディションを上げて挑んでくる。トレーニングもほぼやらず前走からの2ヶ月間の殆どを休養に充てたのであれば、シンザンさんは最低でも絶好調でなければならない。

 それにその筋の噂によれば・・・・・・何でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「・・・・・・あなたの耳の良さの詳細には触れないとして、休ませてばかりだった訳ではありませんよ。

 それにシンザンは特殊なタイプだ。必ずしも追い切りを必要とせず、自分自身のペースを保つ事でコンディションを維持するんです」

 

 話を聞きながら手帳にメモを走らせる沢樫。

 トレーナーはただ真っ直ぐにゲートに収まっていく出走者たちを見つめていた。

 知らず知らず握り締めた拳。

 緊張に少しだけ震えた声は、この喧騒の中では流石にウマ娘の耳にも届かない。

 ただ彼は自分に言い聞かせるように、殊更に強く言い切った。

 

 「状態は最高。ならば勝ち切れる。・・・・・・自分はそう信じています」

 

 

 「シンザン」

 

 ゲート入り直前、ウメノチカラに声を掛けられた。

 真正面に立ち塞がって腕組みをし、闘志の炎を瞳に滾らせている。

 眉間の皺や引き結ばれた唇、険しい表情と相まってさながら仁王像の風情だった。

 ブルタカチホに続く2番人気という本命に推されている彼女は、ここに来てもまだ平然とした顔をしているシンザンを射殺す強さで睨む。

 

 「お前のメイクデビューからずっとこの時を待ち焦がれた。お前に勝ちを譲られたことを知った屈辱、今まで忘れたことはない」

 

 「あたしもさ。朝日杯を見送った時から、あんた達に勝ちたくてしょうがなかった。だけどどうかね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 「言われずとも分かっている。私は実力者たち全員を相手に1着を獲るために鍛えてきた。

 私の復讐とはその結果として付随するものに過ぎないが、そこには何よりの意義がある」

 

 そう言ってウメノチカラは目線を切る。

 突き付けられた言葉は過去に地下道で口にしたものと同じだが、込められた熱量に一切の衰えはない。

 ゲートに向かう彼女の背中には、確かに執念の鬼が見えた。

 

 「手を抜く余裕は与えない───お前を負かすぞ。宣言通りに」

 

 

 『全ての出走者がゲートに収まりました。第13回スプリングステークス、いよいよ始まりの時が迫っております』

 

 ちらりと隣を見る。

 ヤマニンスーパーが静かにその瞬間を待っていた。

 逆側を見る。

 一つ飛ばした隣の隣には気迫を放つウメノチカラ、その向こう側の観客席に自分のトレーナーが見えた。

 表情が固い。

 彼は理事長との賭けをシンザンに打ち明けてはいないが、シンザンがそれを盗み聞きしていた事を知らない。彼女のペースに不安要素を入れないための配慮なのだろうが、シンザンとしては要らぬ心配だった。

 何故なら自分の不安など、あの日の河川敷で全て取り払われてしまっているのだから。

 シンザンは小さく笑みを浮かべて正面に向き直り、そして感情の波と表情が消える。

 いつもの集中、極限のコンセントレーション。

 違う事と言えば、意識をレースに向ける直前に少しだけ独り言を呟いた事くらい。

 

 

 「楽に待ってなよ。いつもみたいに勝つからさ」

 

 

 『スタートです! 各ウマ娘一斉に走り出しました、シンザン非常に良い走り出し!! 早くも先団の好位置に取りついた!!』


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