少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第15話

 歓声と共にレースは始まった。

 一斉にゲートから弾き出されたウマ娘達がターフに無数の跡を刻んでいくが、この時早くも予期せぬアクシデントが発生していた。

 タイミングの違いはあれど皆が淀みなく走り出す中で、1人のウマ娘がゲートから出た瞬間にもつれるようによろめいた。

 

 「きゃ・・・・・・っ!?」

 

 『おっと4番人気トキノパレード少し出遅れた、やや後方からのレースであります! 気負いのせいか否か全体的にバラついたスタートですがハナを奪ったのはブルタカチホ! 先頭を軽快に飛ばしていく!』

 

 これはついている。

 実況を聞いたブルタカチホは心の中でガッツポーズをした。

 スタートが遅れれば集団に追い付くまでにより体力を消耗し、そこから良いポジションを確保するのも難しくなる。

 更に全体的にスタートがバラついていた────出遅れが多発していたという事は、それだけ多くのウマ娘から精神的なゆとりが削がれていたと考えていい。

 だからブルタカチホは咄嗟に逃げを打ったのだ。

 出遅れた者たちで後方のポジション争いは激化するだろう。そんな中で序盤から先頭を飛ばしていく者を見れば、彼女らはより焦って脚を消耗してくれるかもしれない。大切なレースの初手で躓くというミスの大きさを考えれば充分に期待していいレベルだ。

 ただし、そのまま他のメンバーを振り捨ててゴールという青写真を描くにはまだ早い。

 チラリと後ろを振り返れば、出遅れなかった者たちの視線がしっかりと自分に突き刺さっている。

 2番人気のウメノチカラや3番人気のアスカなど安定した実力者たちがしっかりと追走してきている中で、彼女の目には1人の鹿毛のウマ娘が異質に映っていた。

 

 (シンザン。やはり油断出来ませんね)

 

 話に聞くだけで実際に見るのは初めてだったが、同じ出走者として見る彼女のスタートの上手さは凄まじいものだった。

 トレーナーや先輩の話によれば、スタートが上手いウマ娘とは()()()()()ウマ娘であるらしい。

 闘争心に逸り過ぎても体勢が整わない。

 かといって呑気なだけでは反応が遅れる。

 閉所への苦手意識と勝負に対する闘争心、2つの本能を上手く制御して集中力を保てるウマ娘がゲートに、ひいてはレースに強いのだという。

 その観点から見ればシンザンは抜群に強い。

 パドックでの落ち着きっぷりからのこのスタートは、彼女が泰然と構えつつも高い闘争心を保っている証拠。

 故に彼女は冷静に考えているはずだ。

 自分がどこをどう通ってどのタイミングで脚を使うべきか、自分が勝つための道筋を。

 

 他に目立った強者がいなかったとはいえ4連勝を記録しているシンザンのフィジカルに、朝日杯で大外枠というハンデを背負いながらも1番人気のカネケヤキを退け勝利したウメノチカラの末脚。

 あとは阪神ジュニア級(ステークス)2着の実力者アスカ、他も油断はならないが目下の脅威はこの3つ。

 序盤にスタートに失敗した者たちも、遅れを取り戻すためにペースを上げてきた。

 

 「あーもう最悪、サイアクッ!」

 

 「待てこらぁっ!!」

 

 叫んだのはジュセンとアイエルオー。

 その他の後発組も得意のポジションに着こうと続々と先行したウマ娘たちに追い付いてきた。

 ブルタカチホと2番手との差も縮まってきたが、今のまま逃げに固執する必要はない。

 ポジショニングにさえ気をつけていれば、この段階で抜かしてくれても大いに結構。背後の様子を確認した彼女は少しずつ脚色を緩めていく。

 良い位置と順位を保てている以上、脚を残しておくためにはここで余計な力を使う訳にはいかなかった。

 

 

 「皆焦ってますな。流石に『皐月賞』のトライアルレース、実力者揃いながら気負っている子が多い。これは荒れそうだ」

 

 「その点は安心して見ていられますよ。シンザンにはプレッシャーを受け止める大きな度量がある。少なくとも自分の走りを乱される事はないでしょう」

 

 バラついたスタートを見て難しい声を出した沢樫とトレーナーはそんな会話をしていた。

 第2コーナーを過ぎた直線でペースを上げ先頭に立った栗毛のウマ娘を見て、トレーナーも同じくらい難しい声色で状況を分析する。

 

 「とはいえ油断は出来ません。いま先頭の彼女・・・・・・ブルタカチホは実にクレバーにレースを進めていますよ。さすが弥生賞でほぼ同着1位なだけはある。彼女は今、後ろを確認して作戦を逃げに変えた」

 

 「ああ、彼女には取材しましたよ。用心深く殆ど答えてはもらえませんでしたが、相当作戦を練っているようですな。果たしてあのまま逃げ切りを狙っているのかどうかも・・・・・・」

 

 『後方のウマ娘達がペースを上げ中段が詰まって参りました! 現在先頭はブルタカチホ、2バ身開いて2番手はアスカ! ほぼ横に並んでウメノチカラとホマレライサン、5番手シンザンここにいた!

 ヤマニンシロと入れ替わって6番手はアカネオーザ─────』

 

 「そろそろですな」

 

 ウマ娘達の順位を実況が振り返っていく中で、2人は彼女らが駆けていくコースの先を見ている。

 そこにあるのは芝の坂道。

 どこのレース場にもあるコースの起伏だが、ここ東京レース場の坂道はかなり厳しい作りになっている。

 走ることそれ自体を否定するような2つの障害だ。

 

 「ええ。東京レース場の最初の洗礼です」

 

 今日という日を見据えて作戦を立てたウマ娘は、この坂道の攻略に随分と頭を悩ませただろう。

 そう頷いたトレーナーの視線の先で、ウマ娘たちの前に1つ目の難関が聳え立っていた。

 

 『さあ向正面第3コーナー手前、各ウマ娘たちが最初の坂に差し掛かりました!』

 

 「ふっ・・・・・・!」

 

 鋭い呼気と共にウメノチカラは坂道での最初の一歩を踏み込んだ。

 歩幅は小さくして脚の回転を上げる。

 『ピッチ走法』という加速力に優れ上り坂でも速度を落とさない走り方なのだが、脚を多く動かすぶん体力の消耗が大きい。

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 下りなら楽というのは嘘だ。脚にかかる体重の負担は上りを上回る。

 ここをどう攻略するかはそのまま勝敗に影響するだろう。何せ越えなくてはならない上り坂は、これ1つきりではないのだから。

 

 (いかんな。意識し過ぎている)

 

 後ろを振り返っていたウメノチカラは視線を戻して自省した。

 見るべき後続の様子よりも先にシンザンの位置を確認してしまったからだ。

 後続はペースを上げて追いつこうとしている。

 ハナを進むブルタカチホも流石にこの坂で脚を緩めており、結果として自分との差は縮まっていた。

 全体的にバ群が固まってきている。このままいけばコーナーでバ群が団子状態になるかもしれない。

 

 (となれば今の好位置はキープしておきたい)

 

 東京レース場の直線は長く幅も広い。上手く外に持ち出す事が出来れば開けたコースを憂いなく走れる。

 坂を登り切り第3コーナーに入る下り坂に入ったウメノチカラは後続の様子を確認しつつ内側へと舵を切り、最も距離を節約できる経済コースに近い場所を抑え気味に走る。

 前との差を詰めつつポジションを維持するために速度を緩めず坂を登った分の体力消費をここで賄おうという狙いだ。

 他の者も坂道でスピードダウンするため、抑えてスタミナを節約する余裕はある。

 ─────このコーナーは距離と体力を節約し、第4コーナー終わりから外に持ち出して仕掛ける。

 ここまではまずまずの調子でレースを進めている。余程のアクシデントが無ければ良い形でラストスパートに入れるだろう。

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 自分の後方、実況によれば5番手を追走しているらしい鹿毛のウマ娘が、自分の中でジワジワと存在感を増していくようだった。

 

 芝1,800メートル、残す距離はあと三分の一。

 八大競走に向けたマイル戦は一気に加速する。

 

 『第4コーナーを回って直線に入りました! 先頭は依然ブルタカチホ! アスカが徐々に進出を開始、ウメノチカラは外を回る! 東京レース場最大の関門に向けて各ウマ娘一斉にスパートをかけました!!』

 

 いよいよ勝負所が近い。

 坂を上り下りしつつ1,400メートルを駆け抜けた脚に襲いかかるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 これが最後の、そして最大の難所。

 ただ一周するだけでも急な坂道を2度も越えなければならない、何よりもタフネスを要求されるのがこの東京レース場なのだ。

 脚の具合はどうだ。体力はどうか。

 今の状態で前を抜けるか?

 そう己に問いかけて、そして答えは瞬時に返る。

 

 問題ない。行ってみせると。

 

 「貰うぞ、一着・・・・・・!!」

 

 「行かせない!!」

 

 ウメノチカラとアスカ、好位置で脚を溜めていた2人が一気に速度を上げる。

 標的は未だ先頭のブルタカチホ。

 仕掛けたウメノチカラに呼応して加速したアスカに追い立てられるように彼女も速度を上げた。

 目指す先は500メートル先のゴール板、その手前に立ちはだかる急坂の関門。

 相手に先んじる事を目標とするレースにおいてもそこを通る瞬間だけは自分との戦いになるだろう。

 いよいよ来たる試練に向けて、彼女たちは己の脚と心臓を破裂させる覚悟を決める。

 脇目は振らない。

 ただ前だけを見て彼女らは走る。

 ブルタカチホやウメノチカラがそれに気付いたのは、猛烈な勢いで迫ってくる足音が聞こえたからだ。

 

 

 

 『いいか。このレース場には難所が2つある。第3コーナー前の上り下りと、ラスト400メートルから始まる上り坂だ』

 

 『どちらも2メートルの高低差がある急坂だ、普通に駆け上がるのは難しい。ピッチ走法を使って上るのが無難だな。

 学園内に東京レース場を再現したコースがあるから、邪魔にならないよう人が少なくなった時間にコースを歩くなりして走りのイメージを固めるといい。蹄鉄無しに走るのは危険だぞ』

 

 『がっつりスタミナを持っていかれる関門が2ヶ所もある以上、どこを走るかは体力の残り方に大きく関わってくる。それを理解して気をつけて走っても大概のウマ娘はこの最後の上り坂で一杯になるんだ。

 だから注意すべきは「位置取り」と「ルート選択」。全員が同じようにロスを減らそうとする中で最善を勝ち取り続けるのは難しいだろうけど・・・・・・』

 

 『そこを誤らなければ、最終直線─────お前のスタミナと足腰でブチ抜けるはずだ』

 

 

 2ヶ月前、そんなアドバイスと共に「どれだけ役に立つかは分からないけれど」と手渡された資料の分厚さには驚いたものだった。

 まずは直線やコーナーの長さ、勾配の長さや角度などが詳細に記された東京レース場の図解に書き込まれたどう上ってどう曲がるかの注釈の群れ。

 加えて出走者全員の現時点での走り方や特徴から導き出したいくつものレースの展開予想と、それに合わせたいくつもの自分のレースプランなどなど。

 トレーニングを手放さねばならない程の案件に手をつけていながらこれだけの情報を纏めるのにどれだけの労力と負担があったのか、自分が想像できる日は来ないのかもしれない。

 

 ならば報いなければならない。

 他の何より勝利を望む彼に応えねばならない。

 しかしそれにもう1つ。勝利を勝ち取るモチベーションに、恩義に負けない位に燃える想いを付け加えるとするのなら。

 

 「手前(てめえ)(めくら)を教えてやるよ」

 

 

 憎い(かたき)を踏み潰すように。

 蹄鉄を噛ませた芝の道を、シンザンは全力で後ろへと蹴り飛ばした。

 

 

 残り400メートル地点を通過、いよいよ最後の上り坂。肩を併せてブルタカチホに迫っていたウメノチカラとアスカの横を、鹿毛のウマ娘が抜き去った。

 大きな足音だ。それに見合う大きな加速だ。

 目を見開いた2人を一顧だにせず彼女は背中を着実に遠ざからせていく。

 外から見ていた観客達も驚愕するような末脚、その主の名は実況の口から飛び出してきた。

 

 ただし。

 実況が叫んだ名前は、ウメノチカラ達の目を見開かせたのは、彼女1人だけではない。

 

 

 「ねえ。私の名前忘れてたでしょ」

 

 

 特定の誰かに向けたものではないのだろう。

 しかしその一言は、一塊になって響き渡る足音の中でも静かに耳に滑り込んできた。

 

 『ここで来た、ここでシンザン上がって参りました! ウメノチカラとアスカを交わして6番人気シンザンは現在2番手!!

 そしてその後ろをヤマニンスーパー追走!!

 ()()()()()()()()()()!!!

 飛び出した2人が東京レース場の上り坂を力強く駆け上がっていきます!!』

 

 

 ─────言ったはずだよ、全員食うって。

 レース前の言葉を実現するかのように。

 静かに牙を研いでいた伏兵が、今こそ大物喰らいを成し遂げんと反骨精神の(こうべ)を上げた。


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