少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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バリモスニセイのヒミツ①
実は、威嚇してくるカマキリを眺め続けて遅刻した事がある。





第18話

 「ふう・・・・・・」

 

 仕事は一段落したがもう外は暗い。

 新しい蹄鉄を導入してからの訓練のデータとフィードバックを纏めた紙の束から目を離し、椅子の背もたれに寄りかかって固まった脊柱をバキバキと鳴らす。

 トレーニングに無茶は厳禁。

 それでもウマ娘に無茶を要求するのであれば、無茶を通せるようウマ娘の心身を修復するのがトレーナーの役目だ。

 特殊な蹄鉄を用いた超高負荷の訓練。

 過去に例のないやり方だが、実行する以上は絶対に怪我をさせる訳にはいかない。

 疲労の溜まり方や負荷のかかり方、それらに対する適切なケアなど考える事はごまんとある。

 

 (ウォームアップとクールダウンのストレッチはもっと長めに。アイシングは必須、氷嚢と氷をもっと多く確保。疲労の残り方によってはマッサージも必要だが・・・・・・)

 

 何となく嫌がられそうなんだよなぁ、と天井に激突する高さまでぶん投げられた記憶を思い出しながら考える。

 コダマがレースを引退してから担当を取らずひたすらウマ娘の故障とケアについて学び直していた時期に習得した技術なので素人という訳でもないのだが、他人に触れられる事に抵抗があるのなら、自分で行える(トモ)のマッサージを教えるという手もあるか。

 

 「コダマにはお墨付きを貰ったんだけどなぁ」

 

 「私が何ですか?」

 

 「うわっ」

 

 急に後ろから声を掛けられたトレーナーが椅子の上で僅かに跳ねる。

 自分以外はいないはずなのにと肝を冷やしたが何の事はない、単にコダマがいつの間にかトレーナー室に入ってきていただけだ。

 何やら大切に梱包された箱を手に持っている彼女が、やや呆れたように口を開く。

 

 「コダマか。どうした、こんな時間に」

 

 「大レースが近付くとやる事が増えるもので。それにしてもまた突飛な事をしているみたいですね。シンザンさんから私に陳情が来ましたよ? あの鬼畜生を何とかしてくれと」

 

 「心外だな。まさに今こうしてトレーニング内容の見直しと故障の予防に腐心してるっていうのに。・・・・・・何とかしに来たの?」

 

 「そういう事では無いと思うんです。・・・・・・『いつでも相談に来てください』とだけ言っておきました」

 

 要するに生徒会としては様々な方針のトレーナーが在籍するこの学園でこれを問題扱いする気はないという意思決定が下されたらしい。

 見方によってはひどい癒着である。

 とはいえこうして自分の元に報告が来た以上動いていない訳ではないのだが、明日はヘソを曲げていそうだな、とトレーナーは愕然とするシンザンの顔を思い浮かべた。

 そんな彼の机に山と積まれたスポーツ医学の資料や論文を見て、コダマは面白くなさそうに息を吐く。

 

 「あなたも随分と変わりましたね。落ち着いたというか可愛げが無くなったというか。ダービー前に私の脚が不調になった時あちこちの神社に願掛けして回ってたあなたはどこへやら」

 

 「やめてくれコダマ。その思い出話は俺に効く」

 

 「第一こだまの一号車の1番前に」

 

 「あああああ」

 

 テンパっていた頃の験担ぎの記憶をほじくられて頭を抱えるトレーナーをころころと笑うコダマ。

 居残り仕事をしていたトレーナーを一通りからかって満足したコダマは、とりあえず生徒からの陳情を受け取った生徒会長として話に挙げられた彼の話を聞く事にした。

 

 「昔と比べてどうかはさておいても、シンザンさんについては私も少しちぐはぐに感じますね。怪我をさせないように腐心していると思えば怪我をしかねない強度のトレーニングを課していますし、どんな方針で彼女を育てようとしているんです?」

 

 「・・・・・・ウマ娘が最も伸びる選択肢を採る。目標を叶える最適解を探る。今も昔もそれだけだ」

 

 そう言って彼は手元の紙を一枚手に取った。

 他のトレーナーと比べて明らかに記録量が多い彼がデータを元に参照した、様々な資料の集合知。

 それを他のトレーナーが見たとしても、果たして何かの参考になるかは怪しいだろう。

 何故ならそこに記された情報や分析は、あまりにも1人のウマ娘の為に特化されているからだ。

 

 「シンザンの場合は今のところアレが最適。そのリスクはトレーナーが摘む。俺じゃなくても当たり前のこと─────ちぐはぐな事なんて何もない」

 

 

 「・・・・・・そうでしたね、()()()()()()。あなたは何も変わっていない」

 

 「だからその呼び方はやめろ」

 

 紙の山をファイルに纏めつつ、本名に掠りもしていない呼び名に背中越しに文句を言ったトレーナーは柔らかなコダマの笑みを見ていない。

 そこで彼はふと本題を忘れている事に気が付いた。

 コダマが部屋に入ってから箱を抱えたままである。

 

 「そうだ忘れてた。その箱はどうしたんだ?」

 

 「ああ、そうでした。届け物ですよ。本当なら明日渡す予定のものなのですが、トレーナー室の電気が点いていたので、ついでに届けてしまおうかと」

 

 届け物? と。

 特に何かを注文した覚えもなく首を傾げたトレーナーだが、直後に思い当たって椅子から立ち上がる。

 いや、覚えはあった。確かに注文していた。

 これを受け取る時の『トレーナー』の高揚はウマ娘にも負けていないと彼は思っている。

 数年前と変わらず目を輝かせている彼の姿を、コダマは可笑そうに眺めていた。

 

 「─────来たか」

 

 

     ◆

 

 

 シンザンがトレーニングに来ない。

 正確にはロッカールームから出てこない。

 トレーニング前に軽い打ち合わせをしたのでサボる意思は無さそうだったのだが、何が彼女を閉じ籠らせているのだろう。

 

 「シンザン? ・・・・・・シンザン?」

 

 とりあえずドアをノックして呼びかける。

 返答はない。そして他の生徒の声もしない。

 どうやら他の生徒が着替え中という事もなさそうだし、万が一の異常事態に見舞われていれば一大事だ。

 若干の不安を感じながらロッカールームのドアを開けると、そこには特製の蹄鉄(ブーツ)を前に腕組みをしている運動着のシンザンがいた。

 

 「シンザン。どうしたんだ」

 

 「うるさいよ汚職トレーナーめ。生徒会と組んで担当ウマ娘をいじめる気分はどうだい」

 

 「なんだコダマに続いて人聞きの悪い。これまでを踏まえてトレーニングメニューを調整したと言ったじゃないか」

 

 「それだってどうせ楽なメニューに変更してくれた訳じゃないんだろ。あたしはもっと伸び伸びとトレーニングがしたいんだよ。だのに何だってんだいこの蹄鉄という名の足枷は」

 

 「蹄鉄という名の蹄鉄だぞ」

 

 「はーーーーもうやる気ない。絶不調だ絶不調。トレーニングしてほしけりゃあたしの機嫌を取るんだね。具体的にはあたしを遊びに連れて行くんだよ。さあ奢れ。やれ奢れ」

 

 予想はしていたが予想以上にヘソを曲げていた。

 何だかんだでサボらないウマ娘なのだが、どうやらあの期待とガッカリの落差が尾を引いているようだ。

 確かに手抜き癖に対する意趣返し的な意図が無かったと言えば嘘になるが、あのサプライズプレゼントは何というか思っていたのと違ったらしい。

 これは別途ケアが必要だなぁと考えつつも、トレーナーはひとまず今日を乗り切れるだけの手札を切った。

 

 「それはまた別の日に行くとして、今日は間違いなくやる気が出るプレゼントがあるぞ。何だと思う?」

 

 「土地かい?」

 

 「ふざけろ」

 

 「じゃあ何だい」

 

 彼の口から出てくる『プレゼント』という単語を信用していないらしい。猜疑に満ち満ちた眼差しを向けてくるシンザンに、トレーナーは自信に満ちた顔で一抱えの箱を差し出した。

 

 

 「昨日届いた。『勝負服』だ」

 

 「先に言いなよそういうのはさ!!」

 

 

 

 

 

 『勝負服』。

 八大競走に出走するウマ娘のみが着用を許される、一人一品オーダーメイドの特別衣装だ。

 どのウマ娘も具体的にデザイン案を練り始めるのはメイクデビュー後。

 随分と気が早い話に思えるが、その位から考えないとメーカーとのやり取りや製作が間に合わないのだ。

 だが、八大競走に出走するための条件は厳しい。

 デザイン案を考えても、それが形にならないままで終わるウマ娘が大多数。

 故に『勝負服』とは、着れるだけでも強者の証。

 そしてそれを身に纏って勝利を掴み、舞台の中心最前列に立つことは、競走ウマ娘の最大の名誉である。

 

 『おお、見なよトレーナーさん。和服だ和服。あたし達で考えた通りだ』

 

 『いいじゃないか。丁寧に作り込まれてる・・・・・・今更だけど和服って1人で着れるのか?』

 

 『教わればすぐだよ。あたしは着れる』

 

 楽しみにしていた届け物にシンザンは一気に機嫌が上向いた。

 その上『今日は皐月賞と桜花賞に出るウマ娘の写真撮影や取材があるからトレーニングは少ないぞ』と付け加えればもう何をか言わんやである。

 わくわくしながら着替えている彼女をロッカールームに残し、トレーナーはグラウンドで彼女が現れるのを待っている。

 ─────勝負服が届いた。

 この知らせに目を輝かせる担当ウマ娘を見るのは、実力あるトレーナーの特権だろう。

 

 「やあやあ、待たせたね」

 

 背後から呼びかけられ、トレーナーは期待に胸を膨らませて後ろを向く。勝負服を着た担当ウマ娘に心躍らないトレーナーはいない。

 そしてそこに立っていたのは、期待通りに期待以上の立ち姿だった。

 

 

 シンザンの勝負服。

 そのデザインは一言で言えば、紋付袴(もんつきはかま)のようなデザインだった。

 真紅に染められた長着に、(たけ)を膝の半ばで切り落とされた袴。そこから露出した脚を覆うブーツには、紐や(びょう)が飾るように打ち込まれていた。

 純白の羽織紐が真紅の長着と黒い羽織に映える。

 洋風の要素もアクセントとして織り込まれ、腰に巻かれているのは角帯ではなく太いベルトだった。

 そして最も目立つのは、彼女の纏う丈の長い羽織(はおり)

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 質実剛健、そんな印象。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()が、シンザンそのものの飾らない美しさをそのまま表現しているようだった。

 

 「さあどうだいトレーナーさん。見たかっただろ、あたしだけの勝負服だ。感想を言ってみなよ」

 

 「ああ、本当に似合ってる。貫禄が凄いな。貫禄が凄い。貫禄が・・・・・・貫禄が凄い」

 

 「めかしこんだ女の子を前に何だいその感想は」

 

 「いや似合ってるのは勿論なんだけど、本当にその印象が殴りかかって来るんだよ。何だろうな・・・・・・その服を着た途端、シンザンの存在感に圧倒されるというか・・・・・・」

 

 何やら不満気なシンザンだが、トレーナーとしてもそれが嘘偽りのない感想だった。

 勝負服にはウマ娘の目標や信念、人となりといった事などもデザインの材料として盛り込まれる。

 つまり勝負服とはそのウマ娘をより強く表す象徴であり、それによってシンザンという存在の強度が大きく増したようにトレーナーは感じたのだ。

 そう、それはまるで、眼前に聳え立つ大きな山を見上げるように。

 

 「背中の紋様、松がモチーフだよな。いつも着けてる耳飾りといい、松が好きなのか?」

 

 「ん、まあね。思い出というか思い入れがあって」

 

 飾りの着いた右耳をパタパタ動かすシンザン。

 思い入れを身に纏うのは勝負服の常だが、勝負服にまで刻むモチーフへの思い入れは相当に強い。詳しい理由は分からないが、トレーナーはシンザンのルーツの一端に触れたように感じた。

 

 「そうだ、今日取材や写真撮影があるって言ってたよね。 て事は他の皆にももう勝負服が届いてるのかい?」

 

 「そのはずだ。もうお前と同じように袖を通して出てきてるんじゃないかな。あ、ほら」

 

 そんな事を話していた時、ちょうどシンザンの友人達がグラウンドに現れた。

 遠目からでも初めての勝負服に浮き足立っているのが分かる。

 その姿を遠目から確認し合った彼女たちが、お互いの元に一斉に走り出して集合した。

 

 「やあ、皆も届いたんだねえ! ウメもケヤキもニセイも綺麗じゃないか!」

 

 「ああ、思っていたよりもずっと良い出来だ。良いな・・・・・・うん、良い」

 

 「不思議な高揚ですね。今にも踊り出しちゃいそうです!」

 

 「これを着れば自分は誰にも負けない、そんな気になります。胸の内から自信が湧いてくるような・・・・・・!」

 

 俄に(かしま)しさが増すグラウンドの一角。

 己を象徴する衣装を纏った親しい友らの姿は、シンザンにこれから始まる新たな舞台の到来を赫赫と感じさせた。

 

 ウメノチカラの勝負服は、赤色の下地に梅の木が描かれた金縁の着物を片肌脱ぎにして、胸に晒布(さらし)を巻いた和装のデザインだった。

 黒いレギンスに首に巻かれた赤い刻刻(ぎざぎざ)模様の黄色いスカーフと相まって、型破りというか博徒のような鋭いイメージを感じさせる。

 

 カネケヤキは首回りから袖ぐりの下まで斜めに大きくカットされた、袖のない紫色のドレス。

 胸元に幾重にもあしらわれた黄色の薄いレースや散りばめられた色とりどりの装飾品は彼女がこうありたいと語った華やかさの表れだろうか。

 

 バリモスニセイはまるで歌劇団の装いだった。

 肩章(エポレット)の付いたパンツスタイルの空色の勝負服。

 純白の手袋と首飾り(ジャボ)、金の刺繍が施されたジャケットは、まさに舞台で謳う西洋の王子のようであった。

 

 「いやあ雰囲気変わるもんだねえ・・・・・・。ニセイとケヤキなんかご覧よ、2人並ぶとまるで貴族のアベックじゃないかい」

 

 「和装と洋装で綺麗に分かれましたね。チカラさんはかなり(かぶ)いてて驚きました」

 

 「最初はもう少し落ち着いたデザインを考えていたんだがな・・・・・・。これを着て走る事を考えるとどんどん熱が上がってしまって・・・・・・」

 

 「チカちゃんらしいですね。負けん気の強いチカちゃんにピッタリだと思いますよ」

 

 「ちょいと、あたしにも何か感想をおくれよ。あのおたんこにんじん『貫禄が凄い』としか言わないからさ。ほれほれ」

 

 そう言ってひらひらと袖を揺らすシンザン。

 自分の勝負服を纏い期待に瞳を輝かせている彼女の姿をじっと見つめた3人は同時に口を開き、異口同音に同じことを言った。

 

 「「「 貫禄が凄い(です)」」」

 

 「あんたらの辞書にはそれしか無いのかい!!!」

 

 

 

 

 「綺麗だなあ」

 

 「ああ」

 

 感慨深そうな古賀の言葉に、トレーナーは心からの同意を込めて頷いた。

 グラウンドのあちこちから弾む足取りで現れる、勝負服を着たウマ娘。

 色とりどりの装いが芝の上で踊る様は、春に芽吹いた花と蝶を思わせた。

 彼女らはここから羽ばたくのだ。

 ただ一つしか空席のない大空へと一斉に。

 ─────クラシックの激戦がいよいよ始まる。

 腹の底から上ってくる実感に、トレーナー達は慣れ親しんだ緊張感を全身で感じていた。


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