少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第2話

 鹿毛の長髪と、前髪に白い流星。

 『シンザン』と名乗ったそのウマ娘は、気圧された様子のトレーナーを不敵な表情で見上げていた。

 

 

     ◆

 

 

 「へえー、開業してるんだ。思えば身近な割によく知らない世界だけど、それって大変なんじゃない?」

 

 「兄貴がいるとはいえ親父も若くはないからな。万が一があるから勤務してくれた方が安心できるんだけど、なにぶん頑固で」

 

 自己紹介を終えた後、お話聞かせてよというシンザンの誘いでトレーナーはベンチに腰掛けてとりとめのない雑談をしていた。

 自分の名前を聞かれた時のまるで下から物理的に持ち上げられるような気迫には圧されたが、トレーナーの話に興味深そうに足をぷらぷらさせている姿は年相応の少女に見える。

 

 「けどそんな遠目からどの娘がどれだけやるかなんて分かるもんなんだね。あたし何人か凄いのがいるって事しか分かんなかったよ。後はせいぜい自分が一番かわいいって事くらい」

 

 「その辺りは経験則と勘だな。もちろん肉の付き方や体格を見なきゃ詳しいところは分からないけど、君は1人だけ平然としてたから分かりやすかった」

 

 「やーん。エッチ」

 

 「バテてなかったからっつってんだろ」

 

 自分の身体を抱えてくねくねしてみせるシンザンに割とガチめの突っ込みを入れるトレーナー。

 この様子だと最初に見せたあの圧力は現段階の彼女の実力を示すものではなく、あくまでも潜在能力の片鱗であるらしい。

 ─────花開かせてみたい。

 むくれた顔を作ってみせる彼女を見ながらそんなことを考えていた時、ふと思い当たったらしいシンザンが、トレーナーの顔を下から覗き込むようにして尋ねた。

 

 「けど身体付きが大事っていうのなら、なんであたしに目を付けたのかね? 自分で言うのもなんだけど、あたし小さい方だよ?

 スタミナがあるから疲れてなかったんじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「体格は確かに大切だが、俺はあまり重視しない。大切なのはそこに詰まった『密度』だと考えている。

 入学式の日に壇上に立っていた彼女を見ただろう? 君よりも小さい身体で、素晴らしい成績を残したあのウマ娘を」

 

 「確かに。密度ねえ・・・・・・」

 

 「それにね」

 

 大きさよりも密度が大事と聞いて自分の(トモ)を掌でぎゅむぎゅむし始めたシンザンに、トレーナーはにやりと笑ってみせる。

 本人としてはしたり顔のつもりだったようだが、後々の彼女が語って曰く、それは実に、実に悪そうな顔であったという。

 

 

 「少なくとも良い顔はしておくべき『トレーナー』の前でそういう事を飄々と言ってみせた時点で、君の自信家っぷりはよく理解できたよ」

 

 

 「・・・・・・・・・へえ?」

 

 彼女は否定も肯定もしなかった。

 揶揄(からか)うようなトレーナーの言葉にシンザンは目を細めてにんまりと笑い返す。

 互いに腹の内で(はかりごと)を楽しむような空気に、ほんの少しだけさっき彼女が見せた迫力が顔を覗かせたような気がした。

 悪い沈黙をしばし楽しんだ後、さて、と声で区切りをつけてトレーナーはベンチから立ち上がる。

 

 「もう行くの?」

 

 「ああ。実は選抜レース前に目当てのウマ娘に粉をかけるのはマナー違反でね。だからこの事について何か聞かれたら、勧誘されてた訳じゃないと言ってくれると助かる」

 

 「あんたも大概肝が太いね。スカウト目的でしたって言ってるようなもんだよそれ」

 

 「アプローチをかけた訳じゃない。嘘は言ってないだろう?」

 

 呆れたようなシンザンを尻目に手を振りながら立ち去っていくトレーナー。

 まあ実際、嘘は言っていない。ここまでの会話の中で、彼は『担当になってくれ』とは一言も言っていないのだから。

 ただ、言われた側(シンザン)としてはどうだろう。

 常日頃から振るわず目立ちもしない(じぶん)を相手に、『俺は君の素晴らしさを分かってる』だなんて─────()()()()()()()()()()()()()()()

 あの男がタラシの(たぐい)なのかそれとも無自覚なのか。都会は凄いところだね、とトレーナーの背中を見送っていた時、ふと思い出したように彼はシンザンの方を振り返った。

 

 「そうだ。最後にいいかな」

 

 「?」

 

 

 「たぶん君が1番かわいいって事は無いと思う」

 

 「とっとと失せろこの野郎」

 

 

 

 

 トレセン学園は寮制の学園だ。

 一部自宅から通う者もいたりはするが、基本的に彼女らは敷地内の宿舎それぞれの部屋に2人1組のルームシェアで住み込むことになる。

 栗東(りっとう)寮と美浦(みほ)寮、道路を挟んで向かい合うように建っている宿舎のうち、シンザンが入寮しているのは西側の栗東寮だった。

 窓から覗く空はもう茜色が傾こうとしている時、宿舎の一室のドアががちゃりと音を立てて開く。

 姿を見せたのは目つきの鋭い黒鹿毛。いの一番に彼女の目に入ってきたのは、ベッドに寝そべっているシンザンだった。

 

 「よう、ウメ。おかえり」

 

 「ただいま。・・・・・・本当に呑気だな、お前は」

 

 シンザンに()()と呼ばれた黒鹿毛、ウメノチカラはやれやれとベッドに鞄を放り投げる。

 彼女が吐き出す息に疲労が混ざっているのをシンザンは感じた。

 

 「そっちは自主トレ上がりかい? 頑張るね、今の時点でも問題なくデビューできるって言われてんのに」

 

 「デビューはゴールじゃない。その先を走り抜けるなら気は抜けん。・・・・・・打算的な話だが、そういう姿勢を見せれば有力なトレーナーの目に留まりやすくもなるだろうしな」

 

 「けっ。トレーナーなんてもんはね、あたしらの身体しか見てないんだ。身体目当てなんだよ。失礼な奴だよ全く」

 

 「今日一日で何があったお前」

 

 そりゃ身体目当てだろ競走ウマ娘だぞ、というウメノチカラの至極真っ当な指摘にもシンザンは頷かない。

 よもやこいつトレーナーに色仕掛けでもしたんじゃないだろうな、というひどい邪推まで成立してしまうが、こいつに限ってそれはないなと思い直す。

 トレーニングでずっとクラス最下位にも関わらず彼女のボサッとした態度は変化しない。

 呑気の象徴としての地位を確立しているこの性格が、色仕掛けなんて切羽詰まった真似をするとは到底思えなかった。

 ともあれ・・・・・・曲がりなりにもこの学園に在籍する者として色々とだらけきったこの態度は、他人事ながら苛立ちが募るのも事実。

 言葉の端に険が混ざるのを自覚しつつも、ウメノチカラはシンザンに真っ直ぐに忠告した。

 

 「顔見せの時にハク寮長からも話は聞いたろう。デビューしても未勝利のまま終わるウマ娘も、トレーナーが付かずデビューすら出来ずに終わるウマ娘だっているんだ。

 ・・・・・・日頃の様子からして、まずお前は危機感を抱かないと不味い立場だと思うがな」

 

 「大丈夫だよ」

 

 やさぐれつつ腰蓑を巻いた黒人を模した空気で膨らませるタイプのビニール人形を脚に抱き着かせ遊んでいた彼女は、妙にハッキリと断言した。

 呑気とはいえ流石に迷いなく言い切られるとは思わず鼻白んだウメノチカラにシンザンが返した言葉は、しかしいつものようにのんびりとしたものだった。

 

 「どうにかなる。目処(めど)は立った」

 

 ・・・・・・これだ。

 とぼけた風に振る舞いながら、こいつは時折こういう目をする。

 理由もなく根拠もなく、安全させるような信頼もない。だけど()()()()()()()()()()()()()()と腕尽くで黙らせてくる問答無用の圧。

 穏やかな森の木陰から凶悪な獣の唸り声が聴こえてきたような不意打ちの悪寒を、ウメノチカラは何度か味わっている。

 

 「・・・・・・勝手にしろ」

 

 そう吐き捨てて彼女は身体を投げ出すように椅子に腰掛けた。

 まるで自分にとって取るに足らないはずの者に気圧されたという事実を、虚勢を張って誤魔化すように。

 

 

     ◆

 

 

 選抜レース前に有力なウマ娘に粉をかけるのはマナー違反という暗黙のルールは有力なトレーナー達が優れた生徒を独占するのを防ぐためのものだが、生徒の側にそういう不文律は存在しない。

 むしろ彼女らは来たる選抜レースに向けて在籍しているトレーナーを調べ上げ、積極的に行動を起こす。

 ストレートに自分をスカウトしてくれと拝む者や、日頃の練習に対する姿勢や結果でアピールする者。

 走りについてあれこれ質問して向上心で自らを売り込む者もいるため、これにどう答えるかはトレーナー側の重要なアピールポイントになり得る。

 そして言うまでもなく1番人気は有名なウマ娘を担当した実績のあるトレーナーだが、日頃のトレーニングが振るわない者は誰彼かまわずアタックをかけたりするので、意外にも訪れる機会は平等だったりするのだが。

 

 「何人か纏めてスカウトしようとしてるトレーナーさんもいるみたいだけど、あんたもそうするのかい?」

 

 「いや、俺は1人だけにするつもりだよ。俺のやり方だとあまり大人数は見れないからね」

 

 いつものようにシンザンは校舎裏の芝生の上、大きく枝葉を広げる木陰の下に寝そべっていた。

 誰も彼もが目当てのトレーナーの元に足繁(あししげ)く通う休み時間に、彼女だけが普段と変わらない。

 道すがらそこに立ち寄ったトレーナーは彼女と二・三言ほど言葉を交わしてトレーナー室に向かった。

 

 「やあトレーナーさん。モテるねえ」

 

 「君も加わるかい?」

 

 「あたしはいいや」

 

 ある時はそんな軽口を叩いた。

 自分を売り込んでくるウマ娘たちに囲まれて団子になったトレーナーをからかったシンザンは、トレーナーの笑い混じりの誘いには乗らなかった。

 熱心にアピールされながら去っていくトレーナーの少女たちの身体に埋もれたトレーナーの背中を、シンザンはぱたぱたと手を振って見送った。

 

 「『チカミチ』ってトレーナーさんの事?」

 

 「・・・・・・・・・・・・」

 

 またある時はどこぞの誰ぞにいらないことを吹き込まれていたりもした。

 トレーナーはノーコメントを貫いた。

 昼休みに校舎裏に立ち寄るのはある種の日課になっていた。

 

 そして来たる日が差し迫り、ウマ娘たちの緊張も目に見えて高まってきたある日。

 いくらなんでも焦る様子が無さすぎるシンザンに、トレーナーはこんな事を聞いた。

 

 「君は誰かにアピールしたりしないのか?」

 

 「もうしたよ」

 

 そっか、と。

 それだけ言ってトレーナーは校舎裏の庭を去る。

 その日が訪れるまでの間、これが2人の最後の会話になった。

 ──────やがてその日は訪れる。

 年に4回行われる選抜レース、その1回目。

 彼女らの運命が、いよいよ回り始めた。

 

 

     ◆

 

 

 選抜レースとは、まだチームに所属していないウマ娘のみがエントリーできるレースだ。

 期待度の高いウマ娘はこの時点で多くのファンが見届けに来ることもあり、開催の規模は学内のそれとは思えない程に大きい。

 彼女らはトレセン学園の一大行事となっているこのレースで実力を示し、観戦に来ているトレーナーにスカウトされることを目指す。

 ここで残した成績によって今後の運命が決まると言っても過言ではない重大なイベントなのだ。

 そしてまた一戦、注目度の高いウマ娘が出走するレースが始まろうとしていた。

 

 「──────来たぞ! ウメノチカラだ!」

 

 ゲート前で身体を(ほぐ)している彼女を見て、観客やトレーナーたちのテンションが一気に上昇した。

 入念なウォームアップを終えコンディションをトップギアに調整した彼女の鋭い眼差しは、今回の選抜レースに向ける意気込みを何よりも雄弁に語っている。

 誰が見ても絶好調と分かるその様子に、それを観戦していた鹿毛のウマ娘が穏やかに笑う。

 

 「ふふ。ウメちゃん、やっぱり大注目ですね」

 

 「有名にもなるでしょう。トレーニングで出す時計(タイム)は貴女と並んでトップですから」

 

 おっとりとした言葉に冷静な調子で返したのは同じく鹿毛のウマ娘だ。

 髪の色は同じでも人に与える印象は随分と違う。

 かたや大人びた柔らかさのある少女で、かたや硬い表情のいかにも真面目そうな少女。

 性質が真逆な2人のウマ娘が、隣同士並んでコースを見下ろしている。

 

 「順当にいけばチカラさんが1着でしょう。彼女と競れるだけの選手が複数いれば()()もあるでしょうが、私も貴女も出走したのは別のレースですから」

 

 「リセイちゃんはやっぱり冷静ですね。レースではあんなに熱いのに、まるで別人みたいです」

 

 「・・・・・・バリモスニセイです。そんな呼び方するの貴女だけですよ、ケヤキさん」

 

 拒否するまでには至らないが半目になるバリモスニセイに、あらあらと微笑むカネケヤキ。

 バリモスニセイの予想に反対意見を述べないあたり、彼女もバリモスニセイと同じ結果になると考えているようだ。

 『このレースの主役はウメノチカラ』。

 この2人に限らず、見物人の多くがそう認識しており─────『彼女』もまた、他の誰の眼中にも写っていないウマ娘だった。

 

 「・・・・・・・・・・・・、」

 

 ウメノチカラはちらりと横の様子を見る。

 一様に緊張感を漂わせている出走者たちの中で、『彼女』だけが逆に異彩を放っていた。

 ─────シンザンだ。

 のんびりとストレッチをしているその顔に、緊張の一切は見られない。それどころかウメノチカラの視線に気付いて手を振ったりしている。

 あれから色々と忠告はしたが、結局ここに至るまで彼女が焦る様子は無かった。

 自分の運命が決まるこのレースで、なおも呑気な顔をぶら下げている。

 

 ならもういい。知ったことか。

 

 失望を通り過ぎた無関心でウメノチカラは鼻息を鳴らす。

 何を考えているのか知らないが、ここまで熱を重ねてこなかった者に振り向く女神はいない。こいつは今日それを思い知るだろう。

 自分はただ、ここまで重ねてきたものを全て出し切るまでだ。

 

 (大事な一戦。・・・・・・必ず勝つ)

 

 『それでは選抜レース第4走目を開始します! 出走者の皆様はゲートに入って下さい!』

 

 開始の合図。

 いよいよ出走者たちがゲートの中に収まった。

 ウマ娘が本能的に嫌う閉所の中、ルーキー達が緊張と集中の折り合いを付ける最後の猶予。

 スタートに向けて集中力を尖らせる彼女らが見据えるのは、間もなく解放されるゲートの向こうに伸びるターフの道のみ。

 いくつもの駆け引きが行われるレースの中で、この時だけは全員が己のみに意識を向ける。

 

 だから、彼女のことをトレーナーだけが見ていた。

 

 ゲートから覗く顔に強張りはない。

 集中を極めたその意識の中に他者への関心など存在しないのだろう。

 静かに揺らがず、ただ己がやるべき事のみを見据えた佇まいには、『自分は出来る』という圧倒的な自負がある。

 同じゲートの中で同じように構えておきながら、彼女だけが森の泉のように静謐だった。

 

 「・・・・・・・・・競走ウマ娘の理想だな」

 

 トレーナーは思わずそう(こぼ)した。

 あそこからどんな走りを見せてくれるのか、彼女はもしかして自分の予想を遥かに上回る傑物なのではないか、とも。

 彼女が予想以上に予想以上なものを見せてくれそうな予感に、彼は思わず身を乗り出していた。

 

 ただし。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ガシャン!!!!

 とうとうゲートが開く。

 一斉に飛び出したウマ娘たちが地面を蹴り、我先に好位置を奪わんと2歩目を踏み出そうとした時。

 それは起こった。

 

 「え」

 

 ウメノチカラの口から声が漏れる。

 出走者たちも見物人も、それを見ていた全員がポカンと口を開けた。

 彼女は1人を除いて誰の眼中にも無かった。

 1人を除いて、誰も彼女を見ていなかった。

 そうなっても仕方ない位に実力が無く、そうなる位に目立たない。

 そのはずだ。

 そのはずだったのだ。

 

 

 地面を蹴る音は一際大きい。

 まるで自分でゲートを押し開けたかのように滑らかに、まるで助走を付けたかのような初速で彼女は一気に前に出る。

 

 このレースの出走者たちがスタートしてから最初に見たものは、開幕から大きく先頭に躍り出たシンザンの背中だった。


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