少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第22話

 『さあどのウマ娘も気合十分、続々とゲートに収まっていきます。見事期待に応えるか1番人気シンザン! 飛ぶ鳥を落とすか2番人気アスカ! 4連勝目を飾れるか3番人気クリベイ! 最も注目を浴びる彼女達はどんな走りを見せてくれるのか!』

 

 弾倉に装填されていく色とりどりの弾丸。

 銀色の箱に収まったバリモスニセイは胸に手を当てて大きく深呼吸をした。

 思えばシンザンと激突するのはこれが初めてだ。

 今やクラシック戦線の先頭に立つ彼女。甘く見積もれる訳がない。自分を含めてこのレースに出走する者全員、大なり小なり彼女のマークや対策を考えているだろう。

 

 (覚悟を決めて、それでも気圧された)

 

 気負い一つ無い立ち姿。

 八大競走という大舞台でああも肩の力を抜いて笑える肝の太さに、バリモスニセイは一瞬呑まれた。

 先のスプリングステークスで彼女と戦ったウメノチカラも感じたのだろうか。その意図無くして放たれる、圧倒的なサイズ差にも似た威圧感を。

 

 「ふんっ!」

 

 乾いた音が別々のゲートから2つ同時に響く。

 ウメノチカラとバリモスニセイが己に喝を入れる為に自分の頬を両手で挟むように打ったのだ。

 離れているのに行動が被った気恥ずかしさに僅かに頬の赤みが増すが、しかしそれが逆に緊張を解きほぐす切っ掛けになった。

 相手が強いのも強い相手に気圧されるのも、()()()()()()()()()()()()

 その中でどこまで自分を貫けるか。走りも心も、レースにおいてはそれが全てだ。

 ゲートの中で決意を抱き、滾る心を前の足に込めてウマ娘達はその時を待つ。

 今か。まだか。もう来るか。

 撃鉄に叩かれるその時を闘志の炸薬は今や遅しと待っている。

 『今度こそ勝つ』。

 『リベンジを果たす』。

 真の実力を示さんとするバリモスニセイに前走のリベンジを望むウメノチカラ。

 視界を占める鈍色の扉を睨む彼女らの中でただ1人、紋付羽織を纏った鹿毛が楽しそうに笑っていた。

 

 『ゲートイン完了しました第24回「皐月賞」、体勢整いまして─────今スタートです!

 各ウマ娘綺麗なスタートを切りました! 最初の先行争いはガルカチドリとバリモスニセイ、続いて3番手はウメノチカラ、1番人気シンザンは4番手!

 その後ろにアスカという体勢であります!』

 

 歓声と共にゲートからウマ娘達が飛び出した。

 ミスなく飛び出した24人は束の間だけ綺麗な横並びになり、そして各々の作戦によってそのラインは大きく崩れていく。

 逃げや先行を打つ者は前、差しは中段。後半の追い込みに懸ける者や判断の遅れた者は後方へ。

 間を空けずに形を変えて足音を轟かせるバ群は1匹の単細胞生物のようにも見えた。

 

 「バリモスニセイは逃げを打ったか。バ群に呑まれないメリットはあるが、あまりガルカチドリとの削り合いが長引くと不利だな」

 

 「問題ありませんよ。ニセイの粘り強さは目を見張るものがある。先に潰れるのは向こうの方です」

 

 『さあハナを奪い合うバリモスニセイとガルカチドリに引っ張られて集団が第2コーナーへと殺到する! ファイトモアとアスカがインコースから上がってきた、シンザンは変わらず好位置をキープ。

 ニューキヨタケ、キオー、ハナビシ、ダイセイオーと続いてマルサキング、ヤマニンスーパーは中団の位置につけております!』

 

 「・・・・・・っ、」

 

 ガルカチドリの頬に早くも汗が伝う。

 他のウマ娘と作戦が被るのはよくある事だ。この大人数で紛れないように早々に先頭に立とうと考える者がいるのは別にいい。

 問題は隣の彼女にどれだけ付き合うか。隣を走るバリモスニセイとの先頭争いをまだ続けるべきかだ。

 

 (このペースのまま先頭まで走り切れるって言わんばかりだな)

 

 このまま張り合うか、先頭を譲るか。

 すぐ近くを走る自分に目線もくれない自信満々のバリモスニセイの走りに、ガルカチドリは脳内に選択肢を巡らせる。

 ─────恐らくはペースを緩めた方がいい。

 このペースが続けば後半には失速は免れないし、逃げたウマ娘を標的にしようと考える者は多いはずだ。

 体力は残しつつ付かず離れずの位置で他のウマ娘と一緒にせっついて消耗させるのが賢い選択だろう。

 しかし、だ。

 

 「んなせせこましいマネしてらんねえよなあ!?」

 

 「!」

 

 ガルカチドリはそれを否定。

 獰猛に叫んで彼女はバリモスニセイに競りかける。

 13番人気の彼女と15番人気の自分、何の因果か同じ境遇・同じ方法で実力を示そうとした者同士。

 鏡に映った自分を相手に退くことを彼女の闘争心が許さなかった。

 第2コーナーを過ぎた直線に入ってガルカチドリは少しだけ後ろの様子を確認し、煮える頭の冷静な部分で思う。

 最初に抜け出すことが出来てよかった。

 この天候でバ群に呑まれたら危なかったな、と。

 

 「・・・・・・雨か。小雨とはいえ雨粒や蹴られた水が目に入ったら面倒だな」

 

 そうトレーナーは呟いた。

 レースは流れて向こう正面、第3コーナー前の上り坂に差し掛かろうというところ。

 3番手の位置で巡航していたウメノチカラは改めて周囲の様子を確認する。

 依然としてバリモスニセイとガルカチドリの先頭争いは続いており、ここからでは見え難いが実況の声から判断すると3番人気のクリベイはツキホマレにアカネオーザと共に後方にいるようだ。

 

 (そして振り返っても見えない辺りアスカは中団の内側か。他の奴らの居所も大体把握できたが・・・・・・)

 

 前走で自分をブチ抜くと宣言してきたウマ娘の存在を少しだけ気にしつつ脳内に戦場の俯瞰図を描くウメノチカラ。

 しかし何より気にかかるのは、自分のすぐ後ろにいる4番手の彼女である。

 

 (シンザンめ。絶好の位置で張り付いてくる)

 

 絶好のスタートからここまで彼女のレース運びに一切の淀みがない。誰よりも先んじて好位置を確保したシンザンは、そのままウメノチカラをマークする形で4番手をキープし続けている。

 視線に気付いて返事をするように眉を上げたシンザンに、ウメノチカラは気に入らないとばかりに鼻息を鳴らして再び前を向いた。

 しかしそんなシンザンを同じようにマークしているウマ娘が1人いる。

 明確に自分に合わせたペースの足音を近くから聞いたシンザンがちらりと後ろを見れば、そこにはよく見知った黒鹿毛がいた。

 

 (ヤマニンスーパー)

 

 執念の眼差しを背中に受けつつシンザンは走る。

 ────普通は中山レース場で行われるこの『皐月賞』、今年の開催は予定が変更されここ東京レース場での開催になっている。

 そう、東京レース場。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ヤマニンスーパーにとっては2度目の場所。人数や天候は違えど奇しくも前走の再現となったこのレースは、彼女にとってノウハウを蓄積した上で臨むリベンジとなる。

 

 「今度は貰うよ」

 

 余計な息は使わず口の動きだけでそう布告するヤマニンスーパー。

 坂を駆け上るフォームとリズムに乱れはなく、前走の経験を遺憾無く実力に変換したことを示していた。

 スプリング(ステークス)ではピッチ走法で走った上り坂をシンザンも同じように上っていく。

 ただ1つ前回と違う点を挙げるとするのなら・・・・・・

 

 (ありがとねトレーナーさん。あんたのお陰で脚が軽いよ)

 

 ちっとも感謝してなさそうな顔でシンザンは軽快に脚を回して上っていく。

 ここまで脚に履いてきた重りに比べれば、この程度の坂の負担なんて大したものではなかった。

 

 そして上り坂が終わって第3コーナーの下り坂に差し掛かかり、いよいよ正念場が目前に迫ってくる。

 今を機と見るかまだ抑えるか。最良の仕掛け所を見極めんと各々が神経を尖らせて俄にペースが上がり始める頃、とうとう1人目が動いた。

 

 「ここ、かな・・・・・・!?」

 

 『ニューキヨタケがここで仕掛けた! ペースを上げて3番手まで追い上げてくる! それに呼応するように他のウマ娘達の動きも活発になって参りました!』

 

 「「うおぉおーーーーっ!!」」

 

 ニューキヨタケに触発されたように何人かのウマ娘がスパートをかけた。

 シンザンの背後でぐっと姿勢を落としたファイトモアとタケシが咆哮を上げ、その気迫に尻を蹴飛ばされた後続が慌てたように勝負に出始めた。

 第3コーナーを過ぎた辺りで脚を伸ばしてきたダイセイオーがシンザンを追い抜かしてウメノチカラに接近、3番手を争うグループに入ってきた。

 しかしシンザンはまだ動かない。

 アスカはサンダイアルの側、中団やや前方で不気味に息を潜めている。

 

 「はっ、はっ、ハァッ、くっそぉ・・・・・・!」

 

 息を切らしてゆっくり引き摺られるように順位を落としていくガルカチドリ。

 先頭争いから脱落してしまったのだ。理由は単純なスタミナ切れ。ハイペースでハナを奪い合った影響がここで現れた。

 しかしここに『彼女』の姿がない。

 彼女と熾烈な先頭争いをしていた者の姿がない。

 ()()()()()()()()()()()()!!

 

 「このペースで走って、削り合ってっ・・・・・・まだ余裕があんのかよテメェえええっっ!!」

 

 追い縋る声も置き去りにされていくコーナー中間。

 逃げ切りを策す先行勢と追い込みを図る後続の熾烈な戦火が燃え上がる中、必然の(かげ)りを見せ始めた者がいた。

 ガルカチドリを競り落としたバリモスニセイだ。

 スタミナの枯渇は逃げの常。あの削り合いを制してなお先頭に立つ粘り強い走りは驚嘆の一言だが、スタートからここまで続いた衝突に消耗していない訳がない。

 己の脚が徐々に鉛に変化していくのを彼女はじわりじわりと感じ始めていた。

 

 (流石にキツい。だけどまだいける)

 

 気合を入れ直すように大きく息を吸い込み、バリモスニセイは鈍っていく脚に鞭を入れた。

 脚の残りはもう少ない。しかしまだ使える。

 ならば最後まで出し切るだけだ。

 たとえどれだけ消耗しても、最悪ゴール板を越えた後で倒れたとしても。

 

 「先にゴールすれば──────私の勝ちだ!」

 

 「そうだね。あたしの勝ちだよ」

 

 

 するり、と。

 そんな声がすぐ近くから聞こえてきた。

 思わず振り向くと確かにそこに彼女がいた。

 後ろから仕掛けてきた者らを振り切って、いつの間にかウメノチカラや自分より先に仕掛けたニューキヨタケすら抜き去って、()()()()()()()()()()

 

 『バリモスニセイの脚がやや鈍ったか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 第4コーナー中間でシンザンが5番手から一気に先頭を捕まえにかかる!!』

 

 シンザンがここで起動した。

 好位置で機を伺い続け、他のウマ娘が勝負を仕掛ける中でもじっと押さえ続けてから解き放たれた末脚。

 同時に仕掛けたはずのツキホマレはまるで彼女に届く気配を見せなかった。

 第4コーナーの終わり。

 ラストスパートに向けて固まっていたバ群が横に広がり、ウマ娘達の最後の力走が始まる。

 1番人気に予期せぬ伏兵、期待通りの実力者。

 逃げ切るか差し切るか、最終直線の最前線にまず躍り出たのは、奇しくもあの日三女神像の前で想いを受け取った者達だった。

 

 『並んできた! シンザンがバリモスニセイに並んで参りました! そして後方からはウメノチカラが先頭へと襲いかかります!!』

 

 「おおおおっ! シンザンが来たぞ!」

 

 「頑張れバリモスー! 押し切れーッ!!」

 

 「ウメノチカラぁあ──────ッッ!!」

 

 観客のボルテージが一気に上昇した。

 彼らが叫ぶ自分の名前に背中を叩かれるようにスパートを掛けた彼女らは正しく疾風となってターフを駆け抜けていく。

 ウメノチカラの後ろを走るツキホマレとナスノカゼは彼女らの背中を歯を食い縛って睨みつけていた。

 速度か体力か戦略か、仕掛けたタイミングは同じなのに開いていくこの差が煮え滾るように悔しかった。

 

 「逃さないわよウメノチカラ」

 

 そしてそんな彼女らを飛ぶように追い越していく影がひとつ。

 束ねた鹿毛を靡かせて、空飛ぶ鳥のような軽快さで彼女は中団から伸び上がってきた。

 

 「言った通りにアンタをブチ抜いて! そのまま1着も攫ってやるんだから!!」

 

 『シンザンがバリモスニセイを交わして残り400! ()()()()()()()()()()()()()()()()!! 中団から抜け出たアスカが一気に先団へと飛び込んで参りました!!』

 

 「まだだニセイ! お前なら差し返せる!!」

 

 「気張り所だぞウメ─────ッッ!!」

 

 身を乗り出す佐竹に拳を振り上げて叫ぶ古賀。

 それに応えるようにバリモスニセイはインコースで粘り、ウメノチカラも懸命に食い下がる。そしてそこに突っ込んでくるアスカ。

 勝負は未だ分からない。

 自分は何と言うべきだろうか。

 「勝ちたい」でも「勝ってやる」でもなく、ただ「勝ってくる」とだけ言って控え室から出た彼女に向けて『勝て』と言うのは違う気がした。

 ならば自分も彼女の勝利に対する確信に倣おう。

 前のようにただ「勝ってこい」と言おう。

 叫ぶ言葉が観客達の声援に負けないようにトレーナーは大きく息を吸い込んで、

 

 「シンザ──────」

 

 言葉が出なかった。

 黒い羽織に真紅の長着、悠々と先頭を走る彼女が。

 必死の形相で追い縋ってくる者を背に目の前を通り過ぎたその姿が一瞬、自分の視界が絵画になったかと思う程に完成されて見えたから。

 

 (まだだ、まだ終わりじゃない!!)

 

 (諦めません! 絶対に!!)

 

 (アタシが勝つ。アタシが勝つ!!)

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ウメノチカラとバリモスニセイが懸命に食い下がる!

 飛んできたアスカがウメノチカラを交わして外から急接近しかしシンザンは余裕充分!!

 届くか! 届くか! いやこれはもう届かない!!

 先頭はシンザン、先頭はシンザン!!

 栄光のゴールはすぐそこでありますッッ!!』

 

 ふざけるな。

 尚も勝利を諦めず走っている者にとってシンザンの勝利が、つまり自分の敗北が確定したようなその実況はどれほど腹立たしいものだっただろう。

 しかしどれだけ追ってももう届かない。

 宣言通りに彼女は勝つ。

 小雨降り(しき)る府中の芝。触れる事も叶わないその後ろ髪の向こう側で、彼女は確かに笑っていた。

 そして────────

 

 

 『───ゴールイン!! ()()()()()()、1バ身弱離れて2着はアスカ!!シンザン堂々と勝ちました!!

 これで無敗の6連勝!! 負け無しの戦績にクラシックの冠がまず1つ─────ッッ!!!』

 

 

 決着。

 実況の叫びに観客達は拳を上げて歓声を上げる。

 見事1番人気に応えてみせたシンザンの実績に違わぬ実力に全員が惜しみない賞賛を送った。

 大記録に沸き上がるレース場の芝の上、先頭を逃した者達は敗北の味に歯噛みしながらも恐るべきライバルの背中を睨み付けている。

 殺意すら込もったその視線の中には今はまだそう大きくない、しかし確かな畏怖があった。

 それだけ彼女が強かったのだ。

 第4コーナーで一気に伸びて前の数人を纏めて抜き去り、追い込んでくる後続をそのまま楽々と押さえ込んでしまった断ち切るが如きその脚が。

 

 『クラシック三冠を手に入れる』。

 かつて彼女はそう言った。

 それは誰もが夢に見て、挑む権利すら掴めずに終わる『最強』に最も近い称号。

 その戦場は彼女と同じように豪語した者が苦杯を飲んで夢破れてきた、豪傑達の百鬼夜行。

 

 ─────だけど、これは。

 

 ─────もしかすると。本当に。

 

 勝利した側は拳を上げて、負けた側は拳を震わす。

 そんな単純な図式の中、自分を見ながら拳を天に突き上げるシンザンに対してただ1人、トレーナーは高揚に震える拳を押さえ込んでいた。


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