少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第26話

 「あれ? 何も言われないね? 触れてもらえなかったねえトレーナーさん。知名度足りてないんじゃないのかい?」

 

 「今は担当契約を受け付けてなくて新入生に配られるリストにも載ってないからな。新入生への知名度はこんなもんだ。憐れむならお前が有名にしてくれていいんだぞ?」

 

 「上手いこと口が回るもんだねえ。要するに『レースで勝て』ってだけだろそれ」

 

 「無理そうか?」

 

 「鹿言ってんじゃねえよ」

 

 シンザンがトレーナーを小突いた。

 グラウンドと客席とを隔てる柵に肘をつき、人差し指を彼の胸の中心に突き立てる。

 クオリティの低いジョークを聞かされた時と同じ種類の不快感。顰めた眉間に波風立った感情を隠すことなく押し出して、彼女は投げつけるように声を吐く。

 

 「あたしの何を見てきたんだい? あんたはいつもみたいに待ってりゃいい。次にあたしが走った時にゃ、あんたは何度目かのダービートレーナーだ」

 

 「いや違うぞ。次走は16日のオープン戦だ。ダービー前に1度()()話になってただろう」

 

 「・・・・・・あ、そっか。ダービーはその次か」

 

 粋がった感情が迷子になったシンザンが胸元を突いた指をすごすごと引っ込めた。

 グラウンドでゲートが開く。スタートの合図が切られたウマ娘達が一斉に何レース目かの選抜レースを走り始める。

 歓声と応援に包まれたその光景をどこか遠くを見るように眺めながら、シンザンはぼそりと低い声でぼやいた。

 

 「あー・・・・・・次オープン戦かあ・・・・・・」

 

 ついさっきまでの圧はゼロ。

 だらりと柵に(もた)れる姿に熱もない。

 まるで寝起きのような覇気の無いテンションになっている彼女に、トレーナーは薄っすらと厄介な可能性に気付きつつあった。

 そしてその予感は、見事に的中する事となる。

 

 

 「有望な新入生はいましたか?」

 

 「ああ、後はオレのスカウトの腕次第だな。人が増えて環境が変わればお前にもいい刺激になるんじゃねえか」

 

 選抜レースを全て消化した後の静かな学園内、トレーナー室で鉛筆を耳に挟んで座っている佐竹の元を自主トレ終わりのバリモスニセイが訪れた。

 トレーナーがこんな時間まで何かを考えているらしい。彼が真剣な顔で睨んでいるノートを彼は後ろから覗き込む。

 

 「スカウトに成功した子のデータですか?」

 

 「ぜひ入れてくれって喜んでくれたよ。ひとまず保留って子もいたけどな」

 

 「ではその子達がこのチームに決めてくれるように、私ももっと頑張らなければいけませんね」

 

 「おう。獲ろうぜ、次のレース」

 

 ノートにはこれからのチームの運営について纏められているらしい。

 何人までなら受け入れられるかどうやってウマ娘達を纏めていくか。『どんなウマ娘ものびのび頑張れる』という《リギル》よりは《スピカ》寄りの方針でいく以上メンバーが加入してからも考える事は多いだろうが、彼はその全てに妥協無く向き合おうとしている。

 担当契約こそ名の知れたトレーナーだったから結んだのが始まりだが、こういう生真面目な性格がバリモスニセイが気が合うと感じるところだった。

 

 「トレーナーさん。率直に言って私は勝てると思いますか」

 

 「勝てる。一歩届かないレースが多いからって弱気になるなよ? 勝てるだけの努力も実力もお前にはあるんだ」

 

 

 「いいえ。()()()()()()()()()()

 

 

 佐竹の言葉が止まる。

 トレーナーとして弱気な事は言いたくない。

 しかしバリモスニセイが言った『率直に』という要求を生真面目な彼は誤魔化すことが出来なかった。

 真っ直ぐ見つめてくるバリモスニセイの視線を受けて、彼は言いづらそうに頭を描く。

 

 「・・・・・・ネックは身体能力より()()()()だな。同じ中距離に分類されてても、400メートルの差は数字以上に大きい。もちろん勝てるように鍛えていくけど、今まで以上に厳しいレースになる」

 

 思っていた通りの答えだった。

 前向きとは言い難い展望。しかしそれで気落ちするほどバリモスニセイは気弱ではない。

 正面から彼の言葉を受け止めて、事実をありのまま飲み込んだ上で彼女は瞳に光を灯す。

 

 「ありがとうございます。お陰で火が点きました」

 

 「そっか。じゃあ次の80万下、勝って勢い付けてくぞ!」

 

 「はい!」

 

 ウマ娘が『やる』と言ったなら意地でも応えるのがトレーナー。気合を入れる佐竹に対するバリモスニセイの強い返事が、トレーナー室の壁越しに日の沈みかけた空に反響する。

 ウマ娘の耳は人よりも優れる。同じように自主トレを切り上げたウメノチカラとカネケヤキは、耳に届いた2人の威勢のいい声にもう1度気合を入れ直した。

 シンザンはウメノチカラの机から拝借した雑誌をベッドに寝転がって読んでいた。

 

 『桜花賞』の次は『オークス』。

 『皐月賞』の次は『日本ダービー』。

 競走ウマ娘達はそれぞれの路線で最初の冠に挑んだ後、二冠目に臨む前に適当なレースに出走する───一叩(ひとたた)きするローテーションを組む場合が多い。

 しかしそれを慣らし運転と侮るなかれ、1つ目の冠を逃した者達のダービーに懸ける熱は生半可なものではない。ここで勝って弾みを着けるべく彼女らは本気でレースに臨む。

 その中に『八大競走』の出走資格を得るために何としても獲得賞金のボーダーラインを越えたい者もいるなら何をか言わんやである。

 勝者への復讐を誓う者。

 次の舞台に進まんと闘志を燃やす者。

 そして、更なる栄冠を求める者。

 占いや願掛けなどという運任せな言葉は使いたくないが、そのレースでの勝敗にウマ娘達は己の運命を垣間見るのだ。

 

 

     ◆

 

 

 間違いなく勝てる。

 走っている最中に既にそう確信していた。

 焦りも(はや)りもなく、歩くような滑らかさで思考が没入していく感覚。

 だんだんと他者が周囲から消えていくような、そんな今までにない感覚の中で彼女はゴール板を越えた。

 

 『ゴ───ルイン!! 2着のタカブヒメから2バ身離してカネケヤキ快勝!! 前走の桜花賞から勢いは衰えません、早くも次のレースが楽しみになってまいりました!』

 

 5月3日、カネケヤキは順調に白星を挙げた。

 着差だけで言えばいつもの4人の中では最も調子を上げてきていると言えるかもしれない。

 重賞ではないとはいえ強敵が揃うクラシック級特別レース、弾みをつける為にも手を抜いている余裕などなかった。

 

 (・・・・・・念入りなケアが必要ですね)

 

 奥の方に違和感を感じる足首を気にしつつも、彼女の意識は既に次に向いている。

 ────ウマ娘は誰かの想いを背負って走る。

 ならば託された想いと己の矜持、その全てを思い描いた夢の果てまで必ずや持って行ってみせよう。

 次は『オークス』、樫の冠。

 悲劇が無ければ今も自分と鎬を削っていたはずの友に恥ぬ姿を、カネケヤキは自分自身に固く誓った。

 

 

     ◆

 

 

 『バリモスニセイ先頭で今ゴールイン!! 80万下レース1着はバリモスニセイであります!! 大きな勝利を掴み取りました!!』

 

 ─────勝った。

 ゴール板を踏み越えたバリモスニセイは額の汗を腕で拭う。

 メイクデビューを1度落とし、初勝利を挙げてから2着が2回、6着と4着が1度ずつ。

 皐月賞を除き1番人気に推され続けながらも勝ちきれない状況の中で今日5月9日、ようやくの勝利をもぎ取った。

 上がる歓声。自分への賞賛。

 痺れるように震える空気を彼女は全身で浴びる。

 

 (そうだ。自分は()()が欲しいんだ!)

 

 背中を昇る高揚感にバリモスニセイは拳を握る。

 日本一を決める最高の戦場が、華々しい戦績を残す友の背中が、もうすぐ目の前に迫っている。

 ようやくありついた勝利の味に空腹を煽られ、彼女は日本ダービーに向けて一層の飢餓を募らせていた。

 

 

     ◆

 

 

 5月10日、東京レース場。

 2,000メートルの重賞『NHK盃』。

 日本ダービーのトライアルレース故に実力者が出揃うこのレースは今、最高潮の熱量に達している。

 彼女らにとってはスプリングステークスから数えて3連続目の東京レース場で、2人のウマ娘が肩を並べて熾烈なデッドヒートを繰り広げていた。

 

 『さあ最終直線登り坂を終えて抜け出したのはウメノチカラにヤマニンスーパー!! 3番手サンダイアルここから抜け出すか、ヤマドリ若干位置が苦しい!さあ後は走るだけ、各ウマ娘最後の力走であります!!』

 

 重心を落とす。上体を倒す。

 最早走り慣れた2つの急坂。

 脚はまだある。残し方は覚えている。

 ライバル達もそうであるなら、最後に問われるのは尻の穴を晒してでも勝つという剥き出しの飢えと闘争心だ。

 

 『残り200メートル! さあ並んだ並んだウメノチカラとヤマニンスーパー!! 3番手を1バ身以上引き離して鬼気迫る追い比べが始まりました!! 』

 

 「「おらぁああああぁああっっ!!!」」

 

 『前に出た! ウメノチカラ僅かに前に出た!! ヤマニンスーパー差し返せるか残り100! 粘る粘るウメノチカラ! しかし食い下がるヤマニンスーパー!!

 さあ押し切れるか差し返すか、決まったか! 決まったか!?()()()()()()()()()()()()()()()()!!!

 ヤマニンスーパー僅かに届きませんでした!!

 大熱戦の「NHK盃」、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!』

 

 激戦決着。

 闘志を燃やした勝者への歓声に包まれて、ウメノチカラは両の拳を引いて渾身のガッツポーズをした。

 強敵揃いのレースだった。楽勝などとは到底言えない、ギリギリの所でもぎ取った勝利だった。

 だが────勝った。

 一線級の強敵達を相手にして、自分は真正面から競り勝てるのだ。

 

 「おめでと。負けたよ」

 

 後ろから軽く肩を叩かれた。

 息切れの中で振り向くと、そこにはつい十数秒前まで全霊で競い合っていたヤマニンスーパーが朗らかに笑っていた。

 

 「今日は穏やかだな。今までは1着を逃すと思い切り吠えていたのに」

 

 「お客さんにも叫び返してたら怒られちゃったんだよね。だからそれは控え室に戻ってからやるつもり。よかったらこの後あたしの控え室の前に来てみて? もうすっごいんだから」

 

 「・・・・・・あまりトレーナーに世話をかけるなよ?」

 

 「善処するよ」

 

 悪戯な顔をしてヤマニンスーパーは背を向ける。

 運動着の背中から揺らめくような熱気を放ち、彼女は凪ぐような冷気を吐き出した。

 

 「喧嘩の在庫が足りないなあ。シンザンにも君にも、立てる中指が不足気味で困っちゃうよ」

 

 ヤマニンスーパー。

 彼女が本当に恐ろしい存在になるのは標的を打ち破る悦びを知ったその時かもしれないな、と去っていく背中を見ながらウメノチカラはそんな事を思った。

 そしてそう、『打ち破る悦び』といえば。

 ウメノチカラはさっきのレース内容を反芻する。

 最終直線、ヤマニンスーパーとの叩き合い。

 勝利への渇望が自分を駆り立て続けるその中で、ふと周囲の音が遠くなっていくような時間があった。

 あの時だ。

 自分がヤマニンスーパーより前に出たのは。

 

 (・・・・・・だが、より深く()()()かどうかというという所でゴールが決まった)

 

 あの『感覚』に続きはあるのだろうか。

 あったとすれば、潜り続けた先で自分はどこに辿り着けるのだろうか。

 

 「よくやったウメ!! これで重賞2勝目だ、凄い結果だぞこれは!!」

 

 自分より喜んでいそうな雰囲気だった。

 もちろん全力で走ったが自分の目標はあくまでも日本ダービーで本番はこのレースではないと認識していたが、彼にとってはそうでなかったらしい。

 肩の力が抜けたウメノチカラは、自分に駆け寄ろうとして転んだ古賀(トレーナー)をしょうがない人だなと笑った。

 

 

     ◆

 

 

 そして5月16日、トリを飾るように彼女が走る。

 条件も名前もないオープン戦だが、彼女見たさの観客で普段の平均よりはレース場の客入りは多いという状態だった。

 いつも通りの空気、いつも通りのパドック。

 そしていつも通りの彼女の様子に、観客達は皆それぞれこのレースへの期待を語っている。

 

 「始まるぞ。誰が勝つと思う?」

 

 「そりゃあシンザンで決まりだろう! オープン戦でウメノチカラもカネケヤキもアスカもいないんだ、他のウマ娘なんて相手にならないさ」

 

 「そうか? パドックじゃ随分ボサッとしてたがなあ。他にやる気まんまんって子は沢山いただろうに」

 

 「いつもの事だ。シンザンはスプリングステークスでも皐月賞でもそうだったじゃないか。あの様子は間違いなく絶好調だよ!」

 

 誰が勝つかではなく、勝つ所を見に来た。

 そう考える者すら数多くいる、勝って当然という空気。

 そんな喧騒から切り離された控え室にトレーナーとシンザンはいた。

 背を預けられて軋むパイプ椅子。

 だらっと投げ出された手足。

 勝負に対する熱どころか身体の芯が物理的に抜けたようなだらけっぷりを晒し、シンザンは喉からヒキガエルのように低く濁った声を漏らす。

 

 「んえーーーーー・・・・・・」

 

 薄らと予感はしていた。

 というかこうなるだろうと半ば確信していた。

 だからトレーナーは狼狽えない。ただそこにある予測と違わぬ事実を、彼は淡々と受け止める。

 

 

 この女、完っっっ全にやる気が無い。

 

 

 このレース必要ある?

 シンザンがもう少しトレーナーを信頼していなかったらそんな事を聞いていたかもしれない。

 そもそもにおいてシンザンが競走ウマ娘になった理由は、頂点で燦然と輝くスターになろうと決めたからである。

 そしてその目標に向けた歩みは実に順調だ。

 注目を集めたスプリングステークスを勝ち、次走の皐月賞でも1番人気の評価に応えて一冠目を獲得。

 大きくなっていくレースの規模とファンの数はシンザンの自己評価を揉み手で全面的に肯定した。

 そこに来てのオープン戦。

 規模も観客数も重賞とは大きく劣るオープン戦。

 それで彼女が満足できる筈がない。

 平たく言えば「何であたしがこんな小っちゃい勝負をしなきゃなんないんだい」という、買い叩かれたような不満感をシンザンは感じているのである。

 なまじクラシックの冠を獲っただけに説得力を得てしまったその機微を理解しているトレーナーは、一応の確認としてシンザンに問う。

 

 「シンザン。一応聞くけど、やる気は出ないか?」

 

 「出ない」

 

 「具体的な理由は?」

 

 「規模が小さいお客さんが少ない。勝っても待ってるのは似合わない舞台衣装でのウイニングライブ」

 

 「じゃあ真ん中の3人(センター)に入るのも面倒か?」

 

 「それは流石に獲る」

 

 「お前はこれからダービーに挑む身だ。そしてここまで無敗の6連勝を達成している。どうやらファンの間には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしいが、それでもか?」

 

 あー・・・・・・、とシンザンが若干悩んだ。

 無敗のままクラシック二冠。憧れが打ち立てた記録、それに並ぶことは確かに大きな意義がある。

 そんな気はする。

 だがそれはそれとして自分は面倒だ。

 自分のモチベーションとこのレースにおける勝利の意味、それをしばし天秤に掛けた彼女だが、結局優先されたのは自分の気分だった。

 

 「・・・・・・出ないねえ。それでも」

 

 「じゃあ丁度良かった」

 

 またも完全に予想外の返答が来た。

 思わず椅子から起き上がってトレーナーを見る。

 なに言ってんだコイツという鋭角に戻ってくるブーメランを表情で投げてくるシンザンに、トレーナーは気にする様子もなく言葉を続けた。

 

 「前から提案したい事ではあったんだけどな。今回のレースなんだが──────」

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