少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第27話

 「うぅ・・・・・・」

 

 迫る。迫ってくる。

 世代筆頭のウマ娘が、必死に駆ける自分の背中に。

 

 「ううっ・・・・・・!」

 

 会心の走りだ。その実感があった。

 なのに彼女は並びかけようとしてくる。

 

 「ううう・・・・・・ッッ!」

 

 負けたくない! 負けたくない!!

 認めてたまるか!!

 『自分の最高を出し切った走りで勝てない』なんてお先真っ暗な現実は何が何でも否定してやる!!

 

 「うああああああ──────ッ!!!」

 

 『ゴーーーールイン! ()()()()()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 そして3着には7番人気のセントパワー! 大波乱となりました今日(こんにち)のオープン戦! 思いもよらぬ伏兵であります!!』

 

 「おおおお!? シンザンが負けたぞ! ヤマニンシロだ、勝ったのはヤマニンシロだ!」

 

 「2人とも3着との差はほぼ3バ身差か。これは偶然じゃない本物かもしれんぞ・・・・・・!?」

 

 その歓声はどよめきに似ていた。

 デビューから今まで余裕綽々に無敗を誇ったシンザンが、皐月賞にも出走していたとはいえ何枚か格は落ちると見られていたウマ娘に敗北を喫したからだ。

 本命の油断と見るか伏兵の激走と見るか、いずれにせよ大多数にとって予想外の結末。ほぼ最低人気を背負っての大物喰らいを成し遂げてみせたヤマニンシロは、両の拳を震わせて高々と天に掲げて叫ぶ。

 

 「ぃやッッッたあああぁぁぁあああ!!!」

 

 彼女にとってはとても大きな一勝だった。

 スプリング(ステークス)12着、皐月賞で22着。優れた成績を残しながらも大切なレースで大敗が続き、自信が傾いてきた所でようやくの勝利。しかもそれは快進撃を続ける彼女の無敗記録を打ち破るという付加価値まで着いているのだ。

 油断大敵の勝負の世界とは言えども、有頂天になるのも無理なからぬ話である。

 困惑の声すら喝采に聞こえる心持ちの中で、ヤマニンシロは観客席の柵に寄りかかっている運動着のウマ娘を見た。

 シンザンだ。相変わらず戻るのが早い。

 どうやら最前列にいる自分のトレーナーと話しているようで、ヤマニンシロは何の気無しにその会話に耳を澄ませてみた。

 

 「トレーナーさん。こんな感じでよかったかい?」

 

 「ああ、走る姿勢やスパートへの移行もいい形だった。ただスタートが普段より少し悪かったかな」

 

 「あー、正直気ぃ抜いてたからねえ・・・・・・。ちょい反応し損ねた」

 

 「集中しろ。実際のレースほどスタートの技術を磨ける環境なんて無いぞ。後はそうだな、位置取りのイメージは出来たか?」

 

 「やってはみたけど出走者が半分以下だと難しいよ。今までのレースから下り坂や上り坂で周りがどう動くか考えながらは走ってみたけど、ドンピシャでそうなるかは分かんないしね」

 

 「考えながら走るにも場数がいる。けどこのハードなコースでそこまでやれるならそう心配はいらないな。後は今までのレースの記録から詰めていこう」

 

 「はーい」

 

 レースの反省会らしかった。

 実に淡々としている。彼女の負け惜しみが聞けるかもしれないという下心を少しだけ恥じたヤマニンシロは、何となく喉に引っかかるような違和感を覚えた。

 あの内容は今回のレースの反省点というよりは、もっと別の何かを主題にして話しているような。

 

 「ヤマニンシロさん! ウィナーズサークルへ!」

 

 「あ、はーい!」

 

 係員に呼ばれたヤマニンシロが慌ててそちらへと駆けて行く。

 そこに皆が待っている。自分が勝つ事を考えてすらいなかった人達が、自分を褒め称えるために舞台を囲んで待っている。

 その時にはもう感じていた違和感は彼女の頭から抜け落ちていた。

 

 「・・・・・・でもなぁ、シンザンにはコダマの記録に並んでほしかったなあ・・・・・・・・・」

 

 ちらほらと聞こえるそんな声は彼女に届いているのかどうか。届いたとして彼女の心が動いたかどうか。

 いつものように1番に地下道に戻り、1番に控え室に帰っていく。

 悔しさや情けなさなど、およそ敗者が抱くべきだろう感情はどこにもない。まるで塾帰りの子供を思わせるような軽い足取りで、シンザンは東京レース場の芝を後にした。

 その様子をレンズ越しに見据える視線には気付かないままで。

 

 レース場で開催されるレースは1日に1度ではない。昼間の内に重賞やオープン戦が複数開催され、そして夜にウイニングライブが行われる。

 つまり1度走ったウマ娘は、夜までの間に身体を休めたり他のレースを観戦したりなどの自由時間が生まれるのだ。

 それが起きたのはその時の事だった。

 自分に対するインタビューも終わり、せっかくだから他のレースも見てみようかと思い立ったシンザンが観客席へ向かうべく控え室から出て地下道を歩いていると、その歩みを阻むように彼女が道の中央に立っていた。

 栗毛を三つ編みにしたウマ娘。

 眼鏡の奥に覗く瞳に柔らかさはない。

 何を言われるか大凡(おおよそ)察しているシンザンの背筋にストレートな寒気が走る。

 静かな威圧でシンザンの足を自分の前で止めさせたコダマが静かに口を開いた。

 

 「勝負に絶対はありません。番狂わせもまた醍醐味。それによって勝負の奥深さを知ったならその敗北には意義があったと言えるでしょう」

 

 「ええと、コダマさんそれはね?」

 

 「しかしそれは大前提として本気で走っていればの話。相手を侮り力に驕り、それで喫した敗北には鉛程度の価値も無い。自らの浅はかさを喧伝し応援に来て下さった方々のチケットを紙屑に変える、競技者の対極に位置する心構えです」

 

 「あの」

 

 「長々と話しましたが、こんなもの今さら説明するまでもない事でしょう。

 なので私は多くの言葉を望みません。

 ただ端的な偽りのない事実、それのみをあなたに求めます」

 

 彼女は会話を欲していない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。初めて言葉を交わした日に課した要求を最悪の形で放棄した理由、それのみを求めてここにいる。

 彼女を初めに『剃刀』と形容したのは誰なのか。

 硬く冷たく鋭い何かが動脈に触れる感触を、シンザンは目と言葉だけでコダマに感じさせられた。

 

 

 「答えなさいシンザン。あの為体(ていたらく)は何ですか?」

 

 

 ───もしかしてあたし殺される?

 数十年後あたりに『人生で最も恐怖した瞬間は何か』と聞けば、彼女はこの時のエピソードを話すかもしれない。

 熱も昂りも無く、ただただ冷たく、平坦。

 言葉を1つ誤れば首に感じる錯覚の感触が実体になるんじゃないかという根拠のない予感の中で思わず命乞いが出そうになる口を動かし、シンザンはようやくの弁明を始めた。

 

 「え、えっとね? 聞いてね? 確かにやる気はあったかって言えば無かったんだけど、このレースにはちゃんとした理由が」

 

 「ナメてんのかテメェッッッッ!!!!」

 

 叫んだのはコダマではない。

 地下道に響いたのは男の声。

 凄まじい剣幕の怒号に思わず声した方を振り向いた2人は、ただならぬ雰囲気を感じてその方向へと駆け出した。

 そこにいたのはよく知る顔。

 取材陣の囲みに割り込むように踏み入ってきた男に胸倉を掴まれているシンザンのトレーナーだった。

 

 

 「舐めてなんかない。俺は真剣だよ」

 

 「じゃあさっき言った事は何だ? あの言葉が人を鹿にしてなきゃ何なんだ! お前はレースを、彼女達の想いを何だと思ってる!!」

 

 「俺達が彼女らに勝たせるべきもの。そして俺達が何としてでも叶えるべきものだ」

 

 激怒の相を前にしてもトレーナーは揺らがない。

 何故なら彼は己の判断に何ら恥じる所はなく、そこに一欠片の慢心も含まれていないからだ。

 ならば背を丸める理由などない。

 自分の胸倉を軋ませる男に向けて、彼は毅然として言い放つ。

 

 「後ろめたい事なんてない。担当の目標を叶えるために最良と判断した手段を担当と相談した上で実行した。全てはシンザンを勝たせるためだ」

 

 「何とでも言え。勝ったのはこっちだ」

 

 「その通り。何を言おうとこちらの敗北に変わりはない」

 

 トレーナーはそれをあっさりと認めた。

 ここで喫した敗北など、彼(とシンザン)にとっては大事の前の小事でしかないからだ。

 だから視線は落とさない。()め付けてくる双眸を真っ直ぐに見返し、己が選択の正しさを証明せんと彼は好戦的な態度で怒りの炎を押し返す。

 

 「だから今回の黒星は次のレースで、────日本ダービーできっちり返させてもらうよ」

 

 「・・・・・・フン!!」

 

 掴んでいた胸倉を乱暴に手放し、鼻を鳴らして男は去っていった。

 未だ戸惑いを残している記者達に取材終了の旨を告げてその場は解散。難しい顔をしていた沢樫の背中を見送ったところでトレーナーはやや遠巻きにこちらを見ているシンザンとコダマの姿を確認した。

 

 「2人とも。見てたのか」

 

 「見てたっていうか駆けつけたっていうか。トレーナーさん、今の人ってもしかして」

 

 「ヤマニンシロのトレーナーだよ。取材を受けてたら内容を聞かれててな。服が伸びちゃったな・・・・・・身から出た錆ではあるけど」

 

 「そりゃそうだよ。乗ったあたしが言うのもなんだけど怒られるよ。ていうか今怒られてるよあたし」

 

 「あの・・・・・・、一体何があったんですか? シンザンさんは察してるみたいですけど、私はさっぱり分からなくて」

 

 「ああ。『適当に流して走らせた』って話したら怒られた」

 

 今度はコダマが言葉を失った。

 呆気に取られる彼女に、トレーナーは伸びた胸元を気にしながら悪びれる様子もなく語る。

 

 「大切なレース前に消耗する必要もないし、フォームや仕掛けるタイミングを意識させつつ最終直線だけ()()()()んだ。言ってみればダービーに向けた予行演習だな」

 

 「よ、よこうえんしゅう?」

 

 「皐月賞から筋量がグッと増えたから走る時の感覚も大きく変わってくる。実戦で今の状態を掴んでおく必要があったから、こういうオープン戦は調整にはうってつけだ。

 シンザンにはこのやり方が1番効率的だろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 コダマの表情が固まった。

 少しだけ考えを巡らせるように視線を下に落とし、そして眉を(ひそ)める。

 まるで『違いますよね?』と言いたそうな顔で見上げつつ、コダマは恐る恐る窺うようにトレーナーに確認を取った。

 

 

 「・・・・・・・・・つまり。あなたは『レースをトレーニング代わりに使った』と、そういう事ですか?」

 

 

 そうだ、と。

 平然と返ってきたその答えにコダマは顔を(しか)めてゆっくりと俯いてこめかみに手を当てる。

 その様子を頭痛を堪えてるみたいだとシンザンは思い、それはあながち間違いではない。

 怒りが呆れか両方か、腹の底に溜まった思いを彼女は口の中で呪詛のように低く繰り返し呟いた。

 

 「本当に・・・・・・あなたは・・・・・・本当にあなた・・・・・・あなた本当・・・・・・本っ当にあなたは・・・・・・・・・」

 

 たぶんもう少し立場が違うか信頼が弱ければヤマニンシロのトレーナーよろしく罵倒していたかもしれない。どうやら皆の頼れる生徒会長もこんな顔をするものらしい。失敗し続ける感情の言語化を諦めた彼女は竜巻のような勢いの溜息を吐いた。

 

 「・・・・・・理解しました。考えあっての事ならばこれ以上は何も言いません。ただし納得には程遠い。

 その不遜な言葉を嗤い話にされないよう、ダービーにおいては必ずや勝利を掴むように」

 

 「ほらね? あたしはトレーナーさんの提案通りやっただけだからね。レースを舐めてた訳じゃないからね。裁くべき罪はここにはないからねえ」

 

 「同意した時点で同罪ですからね」

 

 「んえーーー!!!」

 

 

 

 全てのレースを消化し、ウイニングライブ。

 自他共にあまり似合わないと認める舞台衣装をしぶしぶ身に纏っていよいよ出番を迎えんとするシンザンは、『舞台衣装あんま似合わなくて嫌』という不満を少しでも解消しようと工夫してくれているコダマにふと尋ねた。

 

 「そういやコダマさん。トレーナーさんの話を聞いた時あんまり『予想外』って感じの驚き方してなかったけど、前にもこういう事があったのかい?」

 

 「似たような事があったのもそうですが、正確には『ここまで来たか』といった感想ですね」

 

 シンザンの胴体をコルセットで絞めて(くび)れを強調しつつコダマは答えた。

 

 「今のローテーションの組み方って、『出れるレースには全部出る』というのが主流なんです。

 高い競争率の中で結果を出して獲得賞金のボーダーラインを超え、重賞レースや八大競走に出走するにはそうするのが一般的ですから。

 ちょうど今と同じ日本ダービーの話です。

 他のウマ娘と同じように私もダービーのトロフィーを望んでいて、デビュー前にその事をあの人に伝えました」

 

 「ふんふん」

 

 「返答は『デビュー戦の結果で計画を立てよう』でした。そして私がデビュー戦を勝利してあの人が立てた計画が、日本ダービーを目標に据えたローテーションでした」

 

 大切な思い出なんだな、とシンザンは思う。

 顔は見えないがコルセットの紐を調整するコダマの声には温かな優しさがあった。

 

 「他のレースは問題なく勝てると判断した上での計画だったそうです。メイクデビューの結果が悪ければまた別の手段を取ったでしょう。

 ・・・・・・つまりその頃からレースを調整に使う発想の土台があったんですよ。まさか本当にそうする日が来るとは思っていませんでしたけ、どっ!!」

 

 「ぐえっ!」

 

 勢いに任せて紐を締め上げられ、シンザンの腹からヒキガエルのような声が漏れる。

 しかもその強度で固定された。あたしの身体ここまでやんないとこの服似合わないのかい、と静かにどんよりし始める彼女の背中をコダマは叩いて送り出す。

 そして舞台袖、いよいよステージに上がる出走者たちが控える場所でトレーナーは彼女を待っていた。

 コダマの手によって整えられた担当ウマ娘の舞台衣装姿を見て、彼は感心したように目を見開いた。

 

 「おおシンザン。垢抜けたじゃないか」

 

 「うるさいよ見え透いたお世辞を吐くんじゃない。初手であんたに野暮ったいって言われたのあたし忘れてないからね」

 

 「一生忘れなさそうだな。・・・・・・・・・まあ、確かに。似合ってるかと言われたらそうでもない」

 

 何だと、とトレーナーを睨むシンザン。

 流石に怒りのメーターが上がる発言だったが、しかしそこで言葉を切るほど彼女のツボを心得ていないトレーナーではない。

 『分かりきった事実の確認』。それこそが彼女の心を燃やす1番の材料。

 険しい顔のシンザンに口の端を曲げ、軽く顎を上げて挑発するようにトレーナーは言う。

 

 「やっぱりお前が歌って踊るなら、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 「・・・・・・本っ当、イイとこ突いてくるよねえ」

 

 笑うべきか怒るべきか複雑な表情だった。

 そして出番がやってくる。

 曲が流れ出していよいよ舞台袖から彼女らが飛び出す時、シンザンはトレーナーの胸を軽く殴った。

 自分は当然自分が勝つと確信している。

 そして彼もそうである事を望んでいる。

 その事実が何よりも己を満たすのだ。

 

 「そうねだらなくても大丈夫だよ。2週間待てば見せてあげるからさ」

 

 そう言ってスポットライトの下へと飛び出した。

 中央で踊るヤマニンシロ。両脇を固めるのはシンザンとセントパワー。観客席のファン達が彼女らの登場に沸き、とりわけ見事な下克上を演じてみせたヤマニンシロに大きな歓声が上がる中で、しかしシンザンにだけは別のものが見えていた。

 これとは比較にならない数で席を埋めるファン達。最高の衣装を纏って中央で歌い踊る自分。

 1着で飾るダービーの舞台。

 レースの勝者を讃える色とりどりのライトの下で、彼女だけが次のレースのことを考えていた。

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