『注目の1番人気は桜花賞ウマ娘、ダブルティアラの達成がかかっておりますカネケヤキ。リベンジに燃えるヤマニンルビーは2番人気、3番人気は八大競走初出走のサンマリノ。それぞれの想いを胸に着々と準備が整っていきます』
各ウマ娘が続々とゲートに入っていく。
しばしその場で佇んでいた彼女も目を開いてゆったりとゲートに収まった。
いよいよティアラ路線2つ目の
このレースは誰が勝つと予想するかという担当からの質問に、トレーナー達は奇しくも同じ答えを返していた。
「カネケヤキよ。勝つ実力は
ハツユキの質問に桐生院が即答する。
「前哨戦の特別レースを同じレース場でキッチリ勝ってたし、上り調子の今なら勝つ可能性はかなり高いだろ」
バリモスニセイの質問に佐竹が唸りながら自分の見解を述べる。
「プリマドンナがいれば分からなかったが、それでも彼女かカネケヤキかの2択だったな。今年のティアラ路線はそれだけこの2人が飛び抜けた存在だった」
顎髭を撫でつつどこか惜しむような感情を滲ませて古賀はウメノチカラに語った。
そしてトレーナーは最も率直な事を言った。
ゲートの中で全神経を集中させる彼女らが聞いたらどれだけの怒りを見せるだろうか。指についたソースを舐め取っているシンザンが「じゃあ結果は見えてるね」とすんなり納得する位に彼の断言には自然な確信を感じられた。
「つまり今回のレースには、カネケヤキの対抗と呼べるウマ娘がいないんだよ」
『スタートしました東京2,400メートル第25回「オークス」! 綺麗なスタートです、樫の女王の座を目指しウマ娘20人が一斉に正面スタンド前!!』
ゲートが開きウマ娘達が走り出した。
全員がスムーズにスタートを切り大歓声に包まれながら観客達の前を通過する。
ほとんど塊となっている20人分の一団をシンザンとトレーナーはじっと見据えていた。
「流石に全員スタートが巧い。だがこのレベルで出鼻が拮抗すると序盤のコース取りがキツいな」
「埋まっちゃうと面倒だねえ。あたしなら最初に脚使って先の方に抜けといて、第1コーナー過ぎ辺りから緩めて4番手くらいで進むかね・・・・・・」
『さあインコースの方からエゾクイン! 真ん中辺りからはオーヒメ、外の方からはフラミンゴにカネケヤキが行きました!』
(カネケヤキは桜花賞と特別レースのいずれも好位置から抜け出す先行策で勝った。レースの流れと仕掛けどころを見極める目を高いレベルで持ってる)
斜め後ろを走る黄と紫のドレスを横目に低く身を沈める。桜花賞2着にシニア級特別7着、復讐の気炎を燃やして彼女は一気に前に出た。
(なら少なくとも、このレースで勝つには・・・・・・自分のペースを作り出すのが最低条件!!)
『さあフラミンゴ前に出た先頭はフラミンゴであります! それを追ってはオーヒメにカネケヤキエゾクインと続きまして最初のカーブに差し掛かります、先頭のリードはおよそ2バ身!』
下り坂を利用して先頭のフラミンゴはさらに加速、ある程度のリードを奪って自分が単騎で逃げる形を作って目論見通りに自身がレースのペースメーカーとなった。
そして第1コーナーを通過して第2コーナーに差し掛かり、各ウマ娘の位置取りが良くも悪くも確定する。フラミンゴを先頭としてインコースにはオーヒメ、アウトコースにはカネケヤキ。
オーヒメは内側の経済コースで体力の温存を図り、カネケヤキは外目を通って追い抜く際の横移動を減らそうという狙いだろうか。
この時点で全体的なレースの展望を
「くっそぉトチッた・・・・・・!!」
「これ、は、まずい・・・・・・!」
早くも窮地に立たされたのはトヨタクラウンとミスカリム、その他数名。上手くスタートを切ったはいいが同じく好位置へと至近距離に殺到するウマ娘達に怯んで競り合いに負けた者達だ。
彼女らにはこれから前に広がる十数人のウマ娘達の壁が立ち塞がることになる。
おおよそ良いポジションを取れたのは前から6人といったところか。中団でバ群の中に揉まれているウマ娘は最終コーナーから直線で集団を抜け出すルートを今から考えなくてはならないだろう。
オーヒメを左斜め前に見る形でカネケヤキは3番手を進んでいた。
「かなり前目に着けたな。このレースは桜花賞は勿論、前走に比べても距離が600メートルも長い。・・・・・・ペースによっては潰れるぞ、ケヤキ」
ウメノチカラが呟いた。
逃げや先行は王道の勝ち方、差しや追い込みと違い『脚を溜める』という要素が薄くほぼウマ娘自身のフィジカルのみで相手を捩じ伏せる横綱相撲・・・・・・というイメージが強い。『華やか』である事を自らの走りに標榜するカネケヤキがその策を採るのは当然と言えば当然。
しかし一言で先行策と言ってもペースによって適した場所がある。
無理に前目で着いていけばスタミナが保たなくなる場合もあるだろう。距離が長いのであればなおさら。
そんな懸念を他所に彼女は冷静だった。
向こう正面を3番手の位置で進むカネケヤキは少しだけ首を回して後続の顔触れとバ群の形を確認する。
(前からエゾクインさんにラッキーモアさん、ミスホクオーさんにローダンセさん、アイウィンさんに・・・・・・ヤマニンルビーさんはそこですか)
得られた情報から脳内に俯瞰図を作る。
4馬身ほど前に先頭フラミンゴ、斜め前にオーヒメ。エゾクインからアイウィンまでほとんど塊になっている。ヤマニンルビーは中団の前あたりのアウトコース寄りを走っており、より全体が見えるポジションから先を走る者達の推移を見極めていると思われた。
それ以上はよく見えなかったが後ろはタカブヒメにサンマリノだろうか。目下の脅威はヤマニンルビーの差し足。
・・・・・・こんなところですか。
これからの展開に影響しそうな要素を整理したカネケヤキは再び意識を前に向ける。
迫り来るのは東京レース場1つ目の急坂。
乗り越えるのは3度目の関門を前にしてこれからのプランを反芻する。
この段階まで順調にレースを運べば後は定石通りに第4コーナーから抜け出せるだろう。
残る課題はスパートをかけるポイントに至るまでに立ちはだかる2つの坂の越え方だ。桜花賞に比べて800メートルも長いこのオークスではそれが生命線になる。
基本に忠実に、丁寧に走る。そうすれば無駄無くゴールに飛び込めるはずだ。
落ち着いて丁寧に走れば、必ずや1着で─────
【─────それでいいんですか?】
胸の中で何者かが囁く。
自分に瓜二つの顔をした、しかし瞳だけは野蛮なまでの輝きを放つ何者かが自分自身に問いかけてくる。
定石通りに、丁寧に、落ち着いて。
そんな『無難』に塗り固めた走りが─────
【そんな
音が遠くなっていく。
共に走る者の息遣いも大地を蹴立てる足音も、観客達の歓声もまるで遥か向こうのどこかで沸き上がっているかのような感覚。
覚えがあった。そこは3週間前、入口だけ見て去った世界。自分の走りの向こう側。
この一歩先が『何者か』の住まう場所なのだと本能で理解できた。
ならばどうする。囁きの答えなど決まっている。
自分を世界から切り離すように深くなっていく意識の静寂に、カネケヤキは歌うように身を投げ出す。
その場所に付けられた名前も知らぬまま、カネケヤキは軽やかな足取りで自分1人の舞台に上がった。
『さあスーッとカネケヤキが仕掛けて来まして2番手に上がらんとしております! 先頭は依然フラミンゴ、ここでカネケヤキ完全に2番手に上がっていよいよこれから第3コーナーであります!』
「「!?」」
その実況にフラミンゴとオーヒメは耳を疑った。
何故ならこの先にあるのは最初の急坂、脚を残して越える事に注力すべき場所。東京レース場で走るならどんなに早くとも坂を越えた第4コーナーからにするべきと考えていたからだ。
突飛でも何でもない普通の認識のはずだ。
なのにカネケヤキは仕掛けてきた。
『カネケヤキ飛ばしたカネケヤキ飛ばした! 上り坂でぐんぐん脚を伸ばして先頭のフラミンゴに並びかけてまいります! カネケヤキ並んでさあここで前に出るのか!』
トレーナー達が驚愕に目を見開き、ウマ娘達は思わず身を乗り出す。
遠い向こう正面を走っている彼女の変質をレースに関わるそれぞれの勘が見抜いたのだ。
20人ものウマ娘が走っているこのレースで、ただ1人彼女だけ段階が違う。
思わぬタイミングで勝負に出た彼女に観客席が沸き立つ中で、桐生院は1人張り詰めた声で呟いた。
「──────
「ありがとうございます」
感謝の言葉は自然と口を突いて出た。
好敵手のシンザンにウメノチカラにバリモスニセイ。何より自分の意思に応えてくれるトレーナーに、自分に夢を託したプリマドンナ。
自分1人のエゴだけでは、彼女らがいなければ自分はここまで至れなかったと思う。
だからここで証明しよう。
────── 絢爛華麗。
あなた達と戦いあなた達が信じるこの私は、誰の手も届かない程に美しくターフに開く華であると。
『フラミンゴを交わしてカネケヤキ先頭に立ちました! それを追うようにフラミンゴとオーヒメ!
花弁のように軽く、飛ぶように前へ。
万感の想いを胸に抱き、緑の煌めく樫の舞台で彼女は完全に開花した。
『さあ坂を下って第4コーナーの登り坂! カネケヤキ逃げるカネケヤキ逃げる、勢いが全く落ちません! リードを広げて3バ身、府中の直線を一人旅!!』
「トレーナーさん。『入った』って何だい」
時を同じくして同様の事を呟いたトレーナーに身を乗り出しながらシンザンが聞く。
カネケヤキが化けたのは目に見えて明らかだった。
その答えを知っている彼は重く厳しく、まるで警告を発するように口を開く。
「極限の集中状態だ。自分の走りに頭の先まで没入した状態と言い換えてもいい。
「・・・・・・まるで自分が体験したみたいに言うねえ」
「
シンザンの瞳孔が僅かに開く。
この話の引き合いにコダマが出てくる意味を理解したからだ。
つまり彼女は自らの脚で象徴となったウマ娘と同じ『領域』に踏み込んだということ。
樫の女王を争うこのレース、この瞬間に、彼女は時代の象徴に名乗りを上げた。
「実例は少ない。
『残り400メートルを切ってさらにリードが広がって参りました! 先頭カネケヤキ2番手との差は4バ身!! ミスホクオーここで前に出てオーヒメを交わす! 先頭はカネケヤキ!先頭はカネケヤキッ!!』
届かない。届かない。絶壁に咲く花を見上げるようにその背中が果て無く遠い。
空を舞う蝶のように遥か先を駆ける彼女の後ろで、ようやく2番手に上がったミスホクオーが敗北の苦渋に顔を歪めていた。
─────無茶苦茶だ。
こんなハードなコースでこんな仕掛け方をして、どうしてここまでの差を着けられるのか。
ゴールまであと100メートル付近に迫ってもなお彼女との距離が縮まらない。
もう勝てない。
ここまで来たら逆転の目などない。
(なら、せめてっ、今の順位をキープ・・・・・・!?)
そう考えた時点で順位を落とすことは決まっていたのかもしれない。ミスホクオーを横側から追い抜かしていく彼女は未だ折れていなかった。
光明の差さない暗闇を道よ拓けと走り続ける。勝利を望み望まれているのは、彼女とて同じ事なのだ。
「あああああああああっっ!!!」
『ゴールまであと100メートルを切って
光は潰えたか、そもそもありはしなかったのか。
指先すら掠らない先の先でただ1人輝く。
ゴール板を越える瞬間、確かに彼女は笑っていた。
『────カネケヤキ先頭で今ゴールイン!! カネケヤキ1着、3バ身離れて2着ヤマニンルビー!
カネケヤキ桜花賞に続いてオークスを勝利! 残す冠はあと1つ────ッ!!』
第25回、オークス。
樫の女王の名は、カネケヤキ。
真の美しさは、ただ1人で咲く。