少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第30話

 『これで日本レース史上6人目のダブルティアラ!! かつてスウヰイスーが、ヤマイチが、ミスオンワードが噛み締めた無念を晴らすことが出来るのか! 桜と樫の女王の肩に大きな期待が掛かります!!』

 

 「・・・・・・確かに私はあの時に、私の夢も貴女に託すと言いましたが」

 

 席を立って歓声を上げる観客達に紛れるように松葉杖をついたプリマドンナが静かに吐き出した。

 仮にこの脚が完調だったとしても、自分はあの走りに勝つことが出来ただろうか。桜花賞まではカネケヤキを上回る戦績を誇っていた彼女にそう言わしめる程の走りだった。

 正に女王。自分が夢見たその姿。

 杖を握り締めるプリマドンナは、羨望の籠った畏怖の言葉を贈った。

 

 「どこまで強くなる気ですの。カネケヤキさん」

 

 そして誰もが押し黙っていた。

 ウメノチカラにバリモスニセイ、そしてシンザン。レースを観戦していた彼女のライバル達。

 いつか激突する者の余りにも鮮烈な開花に目を奪われた彼女らの沈黙は様々だ。

 目を見開く者、息を呑む者。

 明確な脅威をカネケヤキから感じ取っているウメノチカラとバリモスニセイに対してただ無言を貫くシンザンに、隣に座るトレーナーは低い声で告げる。

 

 「いいかシンザン。あれがお前と遠からず激突する相手だ。・・・・・・気合を入れろよ。カネケヤキは今、コダマと同じ領域に踏み込んだんだ」

 

 ふうん、と気のない声が返ってきた。

 ここばかりは緩んだ空気でいさせる訳にはいかないトレーナーは少し警告するべきかを考えたが、シンザンの横顔を見た瞬間にそれは不要だと理解した。

 危機感を覚えていないのではなく、ただこちらに意識をあまり向けていないだけだったからだ。

 まるで鼠を見つけた猫のような好奇心を口元に浮かべて芝の上に立つカネケヤキを見つめている。

 喝采に沸く観客席に恭しく一礼してみせる今年の桜と樫の女王に、シンザンは静かに両の目を細めた。

 

 

     ◆

 

 

 嵐を予感させるオークスから1日、生涯一度の大決戦まで残り1週間を切った。出走するウマ娘達は最後の追い切りにかかっている。

 カネケヤキの走りに当てられたかウメノチカラやバリモスニセイは目に見えて気迫を増しているし、その他のウマ娘も気合の入った姿勢を見せている。

 そんな中にいるトレーナーの懸念事項は、やはりシンザンの様子だった。

 普段通りなのだ。良くも悪くも。

 オープン戦で手を抜いたシンザンをこの大レースで負かしてやろうと鼻息を荒げている者も多い。

 皐月賞の時ですら『勝てるから勝っている』という風情の不動のメンタルは彼女の強みだが、下手をすれば勝負所で他者の気迫に呑まれて鈍る可能性も捨てられない。対抗するために彼女の闘争心を少しでも煽る方法があればとトレーナーは思考を巡らせる。

 ────勝ってくる事を前提とした物言いを自分がすれば手応えは返ってくるが、それはあくまでモチベーションの維持だ。勝負に対する着火剤が欲しい。

 それを見つけるにはシンザンというウマ娘をさらに深く理解する必要があり、その為には自分が普段見たことのない彼女の姿を知らねばならない。

 となればシンザンに近しい人物に話を聞くのが手っ取り早いだろう。出来ればまだライバル意識が薄く色眼鏡のないクラスメイト辺りから・・・・・・

 

 「すまない。少しいいかな」

 

 ちょうど近くを通りかかったウマ娘に声を掛けた。

 お(あつら)え向きの人物がいたからだ。

 チーム《スピカ》所属、シンザンのクラスメイトであるハクズイコウは、トレーナーからの唐突な質問にきょとんと首を傾げていた。

 

 

 「クラスでのシンザンさんの様子ですか」

 

 うーん、と上を見ながら唸るハクズイコウ。

 丁寧に思い起こしてくれているらしい。トレーナーが彼女の優しさにありがたみを感じつつ答えを待っていると、当てはまる表現を見つけたらしいハクズイコウが納得するように頷いた。

 

 「一言で言っちゃうと、『静か』ですね」

 

 「静か?」

 

 いきなり普段の印象と違う言葉が出てきた。

 トレーニングでしょっちゅう「んええええ」と鳴いている様子を見ている彼が静かな彼女を想像しかねているのを補足するようにハクズイコウは続ける。

 

 「静かというか動かないというか。席が窓際なので天気がいい日はずーっと席に座って日向ぼっこしてます。そんな時に話しかけても『んー』とか『そうだねえ』の一言しか返ってこないです」

 

 「・・・・・・クラスで浮いてるのか?」

 

 「最初は少し。今は超然としてる子と思われてます。いやシンザンさん自身は変わってないんですけど、周りの見方が変わった感じで」

 

 あまり積極的に他者とコミュニケーションを取る性格ではないらしい。

 ウメノチカラ達とは仲が良いようだが、交友関係を狭く深く築いていくタイプなのだろうか。

 自分の世界を強く持っているタイプなのかもしれないな、と入学して間もない友達作りよーいドンの時期に堂々と木陰で昼寝をしていた事を鑑みて思う。

 だがトレーナーとして気になることがもう1つ。

 

 「ハクズイコウ。うちのシンザンがトレーニング嫌いというのは多分知っていると思うけど」

 

 「有名ですよね」

 

 「その、あいつは勉強も嫌いだったりするのか? シンザンとは成績の話もするんだが、テストの点数が毎回平均ギリギリというか、割と赤点のラインに近いんだ。もし補講とかになったら」

 

 「そうそう、それですよ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 思い出したように手のひらを打ち鳴らした音がトレーニングにも支障がと続けようとしたトレーナーの言葉を遮る。

 頭が良い? テストの点が悪いのに?

 誰かとまるで真逆のその2つが脳内で繋がらず混乱するトレーナーに、ハクズイコウは若干怒っているような様子で捲し立てる。

 

 「シンザンさん『基準超えてたらいいんだろ』ってわざとそのラインで止めてるんですよ! ()()()()()()()()()()()()()()! それでその点数分だけ解いたら後は寝てるんです!!」

 

 「寝てる???」

 

 「授業中もですよ! シンザンさんって授業中も4割くらい寝て過ごしてるんです。なのに寝てるところを先生に指名されても黒板見て教科書パラパラって見直したらもう解いちゃう!!

 テスト前にノート見せてもらったらメモ書きみたいな板書がちょろっとあるだけでほとんど白紙だし──────」

 

 

 

 『出された課題や任された仕事はすぐに終わらせて後はのんびりしている』。

 『何も急いでいるように見えないのに気付けば誰よりも早くやるべき事を終わらせている』。

 質問に対する回答というよりはハクズイコウがシンザンに対して腑に落ちていないことを纏めてぶつけられたような形になったが、日頃のシンザンの様子について多くを知る事が出来た。

 やらなくていい事、必要のない事はやらないのは知っている通り。

 クラスではとても静かなウマ娘というのも意外だったが、しかし何よりの収穫は、シンザンが『やらない』と『やらねばならない』の行動の振れ幅がとても大きいタイプだと分かった事だ。

 新たに得られた情報を元にトレーナーの頭の中でトレーニングメニューが組み変わっていく。

 

 (うん、聞けてよかった。これはシンザンのトレーニングに役立つな・・・・・・)

 

 「んん? あれれ。どうしたんだいトレーナーさん。こんな所で」

 

 自分のトレーナーの姿を認めてぽてぽてと歩いてきた担当ウマ娘。

 今の今まで考え事をしていたトレーナーの顔を下からじろじろと眺め、シンザンはじとっとした眼差しを彼に向けた。

 

 「何だい? なんかさっきまで助平な顔してなかったかい? あんた今度はあたしをどうしようってんだい」

 

 「なんだ人聞きの悪い事を。俺は得られた情報から新たなトレーニングのやり方を閃いたところでな」

 

 「ほーーーーら助平な事を考えてやがったね。男ってやつはいつもそうだね。お母ちゃんの言った通りだったねえ」

 

 「お前はもう少し母親に対して疑いを持った方がいいと思う」

 

 予想されるトレーニングの激化を阻止すべく文句を垂れるシンザンを受け流しながら歩くトレーナー。

 必要な事以外はしないという彼女の行動原理から考えればこの抗議運動も『必要な事』に分類されるのだろう。

 少しずつ厚かましさを増していく要求を半分聞き流しつつ、もう少し建設的な方向に取捨選択の舵を切ってほしいなあと若干遠い目をしながら彼は考える。

 ──────ああ、でも。

 不要とすることは一切やらない彼女が。

 自分とのこういう無駄なやりとりを『必要な事』だと感じてくれているのなら、それはそのままでいいのかもしれない。

 ベルトを掴んで引っ張ってくる腕に全力で抗いながら、トレーナーは少しだけ笑った。

 

 

     ◆

 

 

 シンザンは憂鬱であった。

 何が憂鬱ってトレーニングが厳しくなりそうなのが憂鬱であった。

 近く本番の大レースがあるため今はいつも通りの追い切りになるだろうが、本番後のメニューがどうなるかを考えると気が重い。

 今度は腕にも(おもり)を着けろとか言われるんじゃないだろうな、とこれから自分の両脚に装着される拷問器具(ていてつ)を想う。

 場合によってはストライキも辞さない構えを見せなければならないなとぼんやり考えつつトレーニングに向かっていたシンザンは、歩いているうちに練習用のコースにはみ出していることに気付かなかった。

 

 「うぎゅっ!?」

 

 「わあ」

 

 ぶつかった。

 走っているところにふらりと出てきたシンザンに衝突したウマ娘が後ろに引っ繰り返り、衝突されたシンザンが軽くよろめいた。

 仰向けに大の字になって目を回している眼鏡をかけたウマ娘に、シンザンは腰を屈めて手を伸ばす。

 

 「あららら、ごめんね。ボーッとしてはみ出しちゃったね。怪我無いかい?」

 

 「ふぇ、あ、はい私は大丈夫です! そっそちらは!? 思い切りぶ、ぶつかっちゃいましたけど」

 

 「あたしは無事だよ。ちょっとよろめいただけ」

 

 「え、よろめいただけ・・・・・・?」

 

 私けっこう本気で走ってたんですけど、と隠しきれない動揺と混乱を浮かべて眼鏡のウマ娘はシンザンの手を取った。ひょいと助け起こされた彼女はズレた眼鏡を直して衝突事故を起こしてしまった相手を見る。

 ピントが正常に戻った視界で改めて相手の顔を確認した彼女は、もう一度引っ繰り返りそうになった。

 

 「しっ、しししし、しっ、シンザン先輩っっっ!? あわわっ、すいませんすいませんぶつかっちゃってすいませんっ!!」

 

 「そうだよシンザンだよ。まあ落ち着きなよほら」

 

 「あわわわわ脚はだいじょぶですかお怪我はないですか脚はないですか」

 

 「まあまあまあ脚はちゃんとあるからほらほら」

 

 「あわわわわ」

 

 「まぁまぁまぁまぁまぁ」

 

 「ひゃわーーーーーーっ!!」

 

 

 

 シンザンが来ない。

 トレーニングの時間なのにシンザンが来ない。

 またロッカー前でシンザン鉄を前に腕組みをしているのかと覗きに行ってみたら普通に他のウマ娘が利用していた。

 今世紀最大の声量で謝りながらその場から遁走して逃げ延びたグラウンド、肩で息をしながら視線を上げた先にシンザンはいた。

 何やらカチコチに硬直している眼鏡のウマ娘を後ろから抱き抱えてダル絡みしている。

 

 「・・・・・・シンザン。トレーニングは」

 

 「ん?・・・・・・あ、いけない。忘れてた。この子に構ってたら頭から抜けちゃったねえ」

 

 「その子はどうした。知り合いか?」

 

 「後輩の子だよ。ついさっき捕獲したよ」

 

 「は、はいっ! 『レッドリコリス』ですっ!」

 

 耳も尻尾も物差しみたいに伸びている彼女が緊張混じりにそう名乗った。そんなレッドリコリスを後ろから抱えたままシンザンは視線を促すようにトレーナーを指差す。

 

 「いいかい、この人があたしのトレーナーだよ。あたしにいつもえげつない蹄鉄でトレーニングさせる極悪人だよ」

 

 「いいかレッドリコリス、彼女がシンザンだ。時間通りに来なかった事に対して未だに謝る気配がない問題児だ」

 

 「え、ええと、私はどちらに頷けば・・・・・・!?」

 

 不条理な板挟みを喰らうレッドリコリス。

 緊張が過ぎてテンパり始めているためひとまずシンザンを彼女から引っ剥がした。

 話を聞くにボーッとしていたシンザンとぶつかったらしいが、そこでトレーナーは眉を上げた。

 どのウマ娘も大凡(おおよそ)この時間からトレーニングを始めるものだが、レッドリコリスが既に運動着を着ているという事は、彼女はそれより早くグラウンドに出てトレーニングしていたということになる。

 

 「私、ま、前の選抜レースで思うような結果が出なくて。だからもっと頑張らなきゃダメだから、その、少しでも多くトレーニングしなきゃって」

 

 「素晴らしい姿勢だ。ぜひ君の爪の垢をシンザンに飲ませてくれ」

 

 「せめて煎じておくれよ」

 

 飛ぶ鳥を落とす勢いで白星を重ねるシンザンとそのトレーナーのしょうもないやり取りに自分が混ざっている。

 入学して間も無いレッドリコリスが感じたのは自分が遥か遠い場所にいる彼女らと同じ所に立っているような感覚だった。

 少しだけ引っ込み思案な自分を胸の高鳴りで励まして、彼女は自分の胸の内を思い切って声に出した。

 

 「わ、私し、シンザン先輩みたいになりたくて! シンザン先輩みたいな才能があるかはわからないけど、選抜レースにもまだ勝ってないけど!

 努力すれば私も、あなたみたいになれますか!?」

 

 それだけ精一杯の言葉だったのだろう。

 顔を赤らめて震えながら叫んだ彼女に、シンザンの表情がにんまりとした笑顔に変わっていく。

 ─────後輩の憧れになる。

 自尊心を大いに満たされた彼女はレッドリコリスの肩に手を置き、嬉しそうに頷いて彼女を肯定する。

 

 「うん、うん! きっとあたしみたいになれるよ!」

 

 「そうか。じゃあ後輩にいい所を見せないとな?」

 

 「うん! 待ってなよリコリスちゃん、あたしダービー取ってくるから!」

 

 

 「じゃあ遅刻したぶん割増トレーニングな」

 

 「あ、はい」

 

 

 んええええ、とやっぱり鳴き声を上げるシンザンを引き摺っていくトレーナー。

 こちらに深々とお辞儀をして気持ち弾む足取りでランニングを再開したレッドリコリスの背中を見送り、引き摺られるままに四肢を投げ出したシンザンのつむじを見下ろす。

 

 「随分打ち解けたな」

 

 「あたしが何か言う度にわちゃわちゃするから面白くてね。かわいい子だよ。あたしみたいになりたいなんて見所あるじゃないか」

 

 運んでくれるなら歩く必要なしと考えているのか、一向に自立する気配のないシンザンは非常にご満悦そうだった。

 機嫌良さげに鷹揚に頷く彼女はトレーニング中の後輩の豆粒サイズに小さくなった背中を眺めつつ、感慨深さを滲ませて微笑む。

 

 「いいねえ。次のクラシックはあの子が中心になるんだよ」

 

 ほら運ぶならもっと丁重に運びなよというクレームをスルーしてトレーナーはシンザンを連行していく。

 ────次のクラシックはあの子が中心になる。

 シンザンの言葉を反芻して心の中で三女神に祈る。

 

 そうだな、とトレーナーは言わなかった。

 無責任な希望は、口には出来なかった。

 

 

     ◆

 

 

 走る。走る。

 研ぎ澄まされた双眸に映るのは自分が先頭で走り抜けるべき地点のみ。

 鼓動する心臓と自分の息遣い、猛スピードで流れる景色の中に『あの時』の続きを求めて疾走する。

 しかし求めていたものは訪れない。

 闇の中で手探りする歯痒さともどかしさを抱えたまま、ウメノチカラはゴールラインを駆け抜けた。

 

 「あーんもー、ウメ先輩速いっすー!!」

 

 ひいひいと息を吐きながら併走相手のキーストンもゴールラインを通過。古賀は手に持ったストップウォッチに目を落としてタイムを確認した。

 記録は上々。本番に向けての仕上がりは数字の上では万全と言える。

 そう、あくまでも数字の上では。

 ウメノチカラとキーストンの記録を書き込んでから古賀はウメノチカラに問いかけた。

 

 「よしっ、いいタイムだ。・・・・・・ダメだったか?」

 

 「駄目ですね」

 

 袖で汗を拭いながらウメノチカラの語気は厳しい。

 眉根を寄せた険しい顔は彼女が掴み取らんとしているものの困難さを如実に表していた。

 

 「NHK盃の時の感覚がありません。周りの音が消えていくような、自分自身に没頭していくような・・・・・・。それにあの感覚は、本当にトレーナーさんのいう"忘我"なのでしょうか?」

 

 「間違いない」

 

 古賀はそう断言する。

 彼はウメノチカラが時代を創るウマ娘である事を微塵も疑っていなかった。

 

 「実例が希少だから詳しい事は分からんが、つまる所は集中状態の極致だ。レース中の急激なパワーアップに寄与するものはその位しかないし、お前から聞いた話から考えてもそれは間違いない」

 

 「しかし意識してそこに入るなど可能なのでしょうか。こうしてその為のトレーニングを重ねていますが、なんの取っ掛かりも・・・・・・」

 

 何時(いつ)になく弱気なウメノチカラ。

 重量や時間など数値で表せるものとは違う、具体的な掴み所のない目標。正解かどうかも分からないそれを本番のレースを目前に追い続ける状況に少なからず焦りを感じているようだ。

 そして古賀もそれを理解している。

 打開の鍵を求めて思考を巡らせる彼は、そこで1つの解答に行き着いた。

 

 「再現しよう」

 

 「え?」

 

 「NHK盃の最終直線、お前が"忘我"に至りかけた状況に少しでも近付ける。そうする事で改めて見えるものがあるかもしれん」

 

 「みんなで併走っすね? 呼んでくるっす! シローちゃーん! コーせんぱーい!」

 

 元気に走り出したキーストンがチームメンバーを呼びにいった。

 夢のデビューに向けて張り切るハクズイコウとさっきまで真面目にトレーニングしていたのに急速にやる気を失っているカブトシローを集め、チーム《スピカ》全員による併走が始まる。

 スタートの合図は古賀の号令だ。

 一斉に走り出した4人がグラウンドの芝を蹴り上げて直線からコーナーに向かう。逃げるハクズイコウをウメノチカラとキーストンが追い、後ろからグダッとカブトシローが着いてくる。

 トレーニングとはいえ競走で負ける気はないし、1年分多くトレーナーに指導を受けていた意地もある。

 コーナーに入った最終直線手前でウメノチカラは早くも抜け出しにかかった。

 

 だが思うように距離が縮まらない。

 逃げるハクズイコウの二の足が、想定以上に鋭かったからだ。

 

 「まだまだぁあーーーーーーーっっ!!」

 

 「今回は勝つっすよウメ先輩!」

 

 「あたしも行くぜぇー・・・・・・!?」

 

 「・・・・・・!?」

 

 同じくスパートをかけたキーストン。

 急にやる気が回復したカブトシロー。

 全員が想定を超えた力を発揮してきた。

 ─────これは(スタミナ)が保つか?

 こうなると完全に自分のミス。スパートのタイミングを間違えた。認識の甘さが招いたピンチにウメノチカラは歯噛みした。

 

 『集中状態に入るためのトリガーを探したい』

 

 併走前、トレーナーはそんな事を言った。

 

 『ダービーに向けた執念。ヤマニンスーパーとの鍔迫り合い。そこで感じた事を思い出して走れ。あのレースの再現がきっと"忘我"の入口に繋がる』

 

 

 『ウメ。お前はあの直線で何を思った?』

 

 

 何を思ったか、なんて。

 何かを考える余裕なんてあった訳がない!

 ゴールまでの直線、差を詰めてきたメンバー相手に全力で走るウメノチカラは心の中でそう叫んだ。

 あの時はただ夢中に走っていただけだ。

 鎬を削る強敵に負けたくなくて、絶対に勝ちたくて、無我夢中で走っていただけで──────

 

 

 「あ」

 

 

 その時、ウメノチカラは自覚した。

 あの時と同じだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ハクズイコウにキーストンにカブトシロー、古賀(トレーナー)に見出された彼女らはいずれも強者。

 うかうかしていれば容易に敗北を喫する相手。

 その全員を自分は倒したいのだ。

 並み居る強豪を打ち負かし、レースの世界で最も輝く場所に立ちたいのだ。

 

 ──────『勝ちたい』。

 

 思うまでもない。考えるまでもない。

 それこそが混じり気のない自分の本能。

 勝ちたい。負けたくない。

 真正面から打ち倒したい。

 ハクズイコウを。

 キーストンを。

 カブトシローを。

 

 バリモスニセイを。

 

 カネケヤキを。

 

 

 そして何より、───────シンザンを。

 

 

 ずるり、と。

 まるで粘質な何かが剥がれ落ちるように、ウメノチカラの世界から音と声が消えていった。

 

 

 

 そして5月の31日。

 晴天に恵まれた東京レース場、潮騒のような観客席のどよめき。例年を遥かに上回る入場者の中に花冠の女王はいた。

 見届けるのは好敵手の行方。

 宣言通りに2つ目を手に入れるのか、あるいは逆襲が果たされるのか。

 『最も運の良いウマ娘が勝つ』と言われるこのレースで、彼女達が積み上げてきたのは己を信じた不尽の努力。

 

 日本ダービーのファンファーレが鳴った。

 

 

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