少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第34話

 大歓声も大歓声、割れんばかりの声の嵐を浴びながら拳を突き上げたシンザンがゆったりと減速する。

 諸手を上げて叫ぶ大観衆。ラストスパートから震えっぱなしだったトレーナーも噛み締めるように両の拳を引いた。彼の隣で唖然と口を開ける古賀と固く目を閉じて俯く佐竹に、いつ見ても残酷な明暗だと後ろに立つ桐生院は思う。

 それにしても──────

 

 (凄まじいものを見たわね)

 

 ウメノチカラは素晴らしい走りをした。

 道中で好位置を守り抜いたのはもちろん勝負所で危険な選択肢を通し、尚且つ最高のタイミングで自分の全てを出し切った末脚を繰り出してみせた。あの走りを狙って出せれば何度走っても勝てるとすら思える。

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 好位置で脚を残してからのスパートという同条件で・・・・・・否、最内に対する外側という距離的不利を背負った状態から。

 傑物だなどと他人事ではいられない。

 半年後にはカネケヤキがあの怪物と激突するのだ。

 

 「・・・・・・ウメは最高の状態だったはずだ。チカミチ、お前どんな手品を使った?」

 

 「この日に向けてトレーニングを徐々に軽くしていったんだよ。それとシンザン鉄はすぐに脱がせてストレッチにアイシング。後はマッサージとか栄養補給の指導とか、とにかく念入りにトレーニング後の負荷を抜いた。最高のコンディションに負担を残さず持っていく為に」

 

 その口から出てきたのは奇策妙策ではなく、トレーナーとして余りにも当然のアプローチ。しかしこの男がそれをどれだけの繊細さで、どれだけのバランス感覚で行っていたかを古賀は察する事が出来た。

 恐らくそれは、日毎に変化して一歩狂えば引っ繰り返るような綱渡りの調整だったはずで。

 

 「日頃無茶をさせている自覚はあるからな。お前がレース直前まであらゆる手を尽くしたように、俺も俺でギリギリまで色々とやっているのさ」

 

 『今回のレースも炸裂しました鉈の切れ味! 勝ち時計は何と前年のレコード記録と0.1秒差という超好タイムです! 向かう所敵なしのシンザン、秋に向けていよいよ我々の期待も最高潮に達して参りました!!』

 

 とうとう事実を受け入れた古賀が重く項垂れる。

 彼の担当ウマ娘は素晴らしい走りをした。それだけ勝利が叶わなかった時の落胆も大きくなってしまったが、彼女の勝ちを確信していたのは自然な事だろう。

 そして彼女ら26人も同様に敗北の味を味わう。

 ただ1人の勝者が華々しい喝采を浴びる中、バリモスニセイは悔しそうに歯噛みした。

 彼女の結果は7着と凡走。

 道中に問題はなかったものの脚を残せなかった。やはり彼女は典型的なマイラーなのだ。

 

 (結果だけ見れば凡走。しかし不向きな距離をこの大人数で走ってこの順位という事は、レース運びと仕掛け所を間違えた訳ではなかったということです)

 

 しかし─────だからこそ展望はある。

 悔しさに握り締めた拳を解き、彼女は無念を希望に変えた。

 

 (ならば残る課題は肉体のみ。必要なのはとにかくスタミナ。ダービーで7着にまで食い込めたのなら、いつか私の脚でもこの距離に届く!)

 

 バリモスニセイが次の課題と戦いに向けて炎を燃やす中、そのウマ娘の胸中にはただ遣る瀬無さが沈んでいた。

 八大競走には遠く及ばないオープン戦だが、確かにあのとき自分は勝った。

 だから自分もやれると思った。

 手抜きで走ったなどと抜かしたその横っ面を張り倒して、自分の強さを証明してやる気だった。

 ──────結果は?

 尻から数えた方がずっと早い。

 

 「・・・・・・勘違いだった、かぁ・・・・・・」

 

 出走するだけ名誉。数百人の中から選ばれた27人。

 そんな言葉は何の慰めにもならない事を実感しながら、ヤマニンシロは雲の上にいる紋付袴を茫洋と眺めていた。

 ある者は次に燃え、ある者は現実に立ち尽くし、またある者は力及ばなかった己に憤る。

 3着のオンワードセカンドからさらに4バ身離されてのゴールとなったヤマニンスーパーとアスカはその最たるものだった。

 レースに絶対はない。もう一度走ればまた違う結果にもなったかもしれない。

 だがこれは一生に一度のレースで、そして自分は完敗した。それだけが事実だった。

 

 「・・・・・・勝ち切れないわね。お互い」

 

 「そうだね。悔しい。メチャクチャ悔しいんだけどさ。今は何だろ、呆れてるよね、最早」

 

 はあ、と溜息を吐いてヤマニンスーパーは視線を遣る。遠く見るその先にはやはり今回の勝者がいた。

 

 「どんな伸び方してるんだって話だよ。こっちも全力で走ってるのにどんどん遠くなっていく。やっぱり私達、とんでもない奴と同世代みたいだね」

 

 「多分アイツも同じ気持ちね。あれだけ完璧なレース運びで負けるのは流石にやってられないでしょ」

 

 傷を舐め合うような性格のアスカではないが、全てを出し切った反動で膝に手をついて肩を上下させるウメノチカラには流石に同情を寄せた。

 走っている自分から見ても思わず見惚れてしまう程に、それだけ完璧な走りだったのだ。

 それを悠々と超越してみせたあのウマ娘がどれだけ規格外か、それは最後まで競り合った彼女が一番理解しているだろう。

 それでも。

 それでもあの走りは影に隠れていいものではない。

 あの走りが日の目を見ないというのなら、自分達はもう何処にも目指すものがない。

 ウメノチカラに歩み寄ったアスカは、同じ競技者として精一杯の賞賛を込めて彼女の肩に手を置いた。

 

 「負けたわね、アタシたち。でもアンタの走りも凄かった──────、っっっ!!?」

 

 誤って熱した薬缶に触れたかのようにアスカが手を押さえて飛び退いた。

 見て、触れてしまったからだ。

 肩で息をするウメノチカラの下げた首から僅かに覗いた横顔、そこに浮かんだ憤怒と憎悪。敵のみならず自分すら焼き尽くすような黒い炎を。

 彼女は何かを見たのだろう。あの最終直線でシンザンとの鍔迫り合いの中、己の誇りや矜持を深く深く傷付けるような何かを。

 それが何なのか聞こうとも思えない。

 聞いてしまったが最後、その暗い熱の矛先が自分に向けられるような気がして。

 

 

 視界が赤く染まる。

 指が食い込む膝の痛みも遠く感じる。

 霞のように不明瞭な意識は疲労かそれとも自分を乗っ取ろうとしている怒りによるものか、いずれにせよ今は顔を上げる事ができそうにない。

 今あいつの姿を視界に入れてしまったが最後、最悪殴りかかるのを自制できる自信がまるでないからだ。

 ─────()()()()()()

 辛うじて息をしている理性が堂々巡りに思考する。

 あいつは自分を追い抜いた後、少しだけこちらを振り返った。

 ゴールまでの距離と自分との開きを確認して、途中からスパートを止めた。

 無為だったのか?

 無駄だったのか?

 無意味だったのか?

 自分の努力や全力は────シンザンにとっては遊びの範疇でしかなかったのか?

 

 「はは、参ったな・・・・・・。日本ダービーという大舞台でも君を狂わせることは出来ないのかい?」

 

 観客席にいたハクショウが戦慄を混ぜて笑う。

 ライバル達の、ウメノチカラの狂熱を平熱のまま凌駕する彼女を見ると、本当にかつて自分が燃え尽きたのと同じレースを走ったのかと疑念すら湧いてきてしまいそうだった。

 鳴り止まない歓声を受けてウィナーズサークルに向かいながらシンザンは隣を歩くトレーナーを見上げ、にい、と口角を上げてみせる。

 

 「ほら喜びな、これで2つ目だ。残りの1つは半年後を楽しみにしとくんだね」

 

 「感無量だよ。何ならここで踊り出してもいいくらいだ。しかしシンザン」

 

 「うん?」

 

 「お前も『入口』を見たんだろう? あの走りを見れば分かる、お前は間違いなく"忘我"に至ったはずだ。だけど途中で脚を緩めた。それはどうしてだ?」

 

 「どうしてって」

 

 力を抑えて勝つならば頭5つは抜きん出ていなければならない。そう言った時のキョトンとした顔をハッキリと思い出せる。

 ほぼ不可能だという意味を込めた例え話を平然と実現してのけた彼女は、まるでイタズラを成功させた子供のような顔をしていた。

 

 

 「勝てる以上の消耗は無駄。ハナ差だろうが勝ちは勝ち。そうだろ?」

 

 

 そうだったな、とトレーナーは苦笑する。

 走る度に認識の甘さを思い知らされる。

 歩き方どころか息遣いすら何一つ乱れていないこのウマ娘は、本当にたった今最高峰のレースを走り抜いたばかりなのだろうか。

 ウィナーズサークルで日本ダービーの優勝レイを肩に掛け、カメラのフラッシュに囲まれたシンザンは取材陣に向けてピースサインをしていた。

 勝利の証にして『2つ目』、道半ばのメッセージ。

 しかしその顔に普段通りの平静な笑みを浮かべている彼女に全員が息を呑んだ。

 ─────この勝利は日常の延長に過ぎない。

 その様子を見たトレーナーの心中に鎌首を(もた)げ始めたものがあった。

 ─────シンザンなら大丈夫か?

 コダマの時は取り返しのつかないミスをした。

 自分がしっかりしていればダービー直前の落鉄や脚部不安も防げた()()()。屈腱炎や股関節の痛みだって自分が何かしらの兆候を見落としていなければ回避できた()()()

 治療に押されて『充分なトレーニング』を行えないまま競走ウマ娘としてのキャリアを空転させるなんて事にはならなかった()()()

 

 しかしシンザンなら。

 これだけ強くて頑丈なウマ娘なら。

 

 記者やカメラマン達の壁の後ろで、担当ウマ娘を見詰めるトレーナーの眼にシンザンの前では見せた事のない類の光が滲み始めた。

 自分自身の野心、そして野望。

 その光にはそんな名前がある事を、トレーナーは久し振りに思い出そうとしていた。

 『息切れもせずにシンザン勝利』。

 翌日の新聞や雑誌の一面は、そんな文言と共に彼女のピースサインで飾られる事となる。

 

 

 

 (・・・・・・流石ですね。シンちゃん)

 

 未だ収まらぬ寒気に客席のカネケヤキは思わず二の腕を(さす)る。

 トリプルティアラを為す上で最も頭の痛いライバル達が同じ領域に至っている。その事実が堪らなく恐ろしく、そして堪らなく誇らしい。

 締め括りにはこの上なく相応しい大舞台になる。

 だが気がかりなのはウメノチカラだった。

 あの走りは誰が見ても彼女の最高峰と分かる程のもので、だからこそそれが破られた時のダメージは察するに余りある。

 彼女は生真面目だ、心に大きな負債を抱え込むだろう。しかしこればかりは彼女のトレーナーが上手くケアしてくれるのを祈るしかない。

 友人なれど敵同士。

 停滞するなら置いていくだけだ。

 ───どうか彼女が乗り越えて来ますように。そう願ってカネケヤキはその場から踵を返した。

 

 

     ◆

 

 

 敗戦後の地下道、鉛のように重い足。俯いて歩くウメノチカラの視界に革靴の爪先が映る。

 視線を上げて顔を見ようとしたが、自分のトレーナーだと分かったところで再び視界が下を向く。

 余りにも情けなくて、余りにも申し訳なくて。

 それでも彼女は声の震えを押し殺し、いつものように次に向けた話をしようとした。

 

 「・・・・・・トレーナー。今日の走りは、どうでしたか。改善点はどこかに」

 

 「無い」

 

 古賀はハッキリと言い切った。

 ウメノチカラの呼吸が止まる。

 

 「お前は理想的なレースをした。・・・・・・それで負けたんだから、シンザンは本当に強いウマ娘だ」

 

 それが彼にもどれだけ無念な事だったかは見るだけで分かるだろう。腕組みをして歯を食い縛り、痛みを堪えるような声を歯の隙間から搾り出している。

 しかしウメノチカラにとってその言葉はどうしようもなく救われない言葉だった。

 あの走りが最高だったのなら。

 あの走りが理想的だったのなら。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──────じゃあ、自分は、どうすれば。

 

 

 パキリ、と。

 心のどこかが罅割れる音がした。

 

 

     ◆

 

 

 「見ていかないのですか」

 

 日が落ちたライブ会場の外、ライトアップが漏れ出す屋外で背を向けて去っていく人影を日聖ミツヱが呼び止める。

 呼び止められた人影の頭頂部には人間とは違う形の耳。年齢的には日聖ミツヱと同程度だろうか。(いかめ)しさを皺で刻み込んだような顔立ちの高齢のウマ娘は、彼女の言葉に鼻を鳴らして答えた。

 

 「見る価値もない。期待できる奴がいるって言うから来てみりゃとんだ腑抜けだ」

 

 「何故あの走りが腑抜けだと?」

 

 「聞く必要があるか。()()()()()()()()。勝負事を貫けねえ奴に何の意義がある?」

 

 「その批判を跳ね除けてきたのが彼女です」

 

 「うるせえ。今さらガキ共に何に期待しろってんだ。何の苦労も知らねえ鼻ッタレ共が三冠獲るなんざ思い上がりでしかねえよ。そうやって蝶よ花よと育てた結果が去年の醜態だろうが」

 

 隠す気のない嫌悪感に日聖ミツヱの眉に険が寄る。

 しかしもう引き止める事はしない。

 これ以上は無駄だと知っているからだ。

 彼女の捩れと失望は、言葉では到底届かないところに沈んでいる。

 

 「どいつもこいつも浮ついてばかり。オレ達の時代で終わってんだよ。日本のレースは」

 

 そう吐き捨てて『彼女』は去った。

 闇に消えた背中をしばらく見送って、日聖ミツヱはライブ会場へと歩き出す。

 元々自分の我儘で仕事を置いて来させてもらったのだ、要件が済んだらすぐに戻らなくてはならない。

 シンザンの勝利を受けてあちこち動き始めている秋川さつきが、右腕の帰りを今か今かと待っている。

 

 

     ◆

 

 

 酒は好きだが強くはない。

 そんな自覚はあるが今日だけは別だ。

 シンザンのウイニングライブを終えて学園の宿舎に帰還したトレーナーは、勝利の余韻を肴にちびりちびりと酒を呑んでいた。

 何せ二冠。二冠ウマ娘。

 もちろん担当ウマ娘の努力のお陰だが、これを2人も輩出した事は『トレーナー』として大偉業である。呑んでもバチは当たるまいが明日も仕事、この位にしておこうかと瓶を置いたところで玄関をノックしてくる者がいた。

 どこの誰だとドアを開ければそこにいたのは桐生院翠だった。

 酒の匂いに若干顔を顰めるもすぐに真剣な表情に戻った彼女は、何の脈絡もない来訪に戸惑うトレーナーに真っ直ぐに頼み込んだ。

 

 「相談したい事があるの」

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