「ええ、そういう気質ですので。なので休みを多めに入れたメニューを組んでます」
「その分トレーニングの負荷は更に強くしてある、と。にしても随分と無茶をさせますな」
「そうですね、今までで一番念入りにやっていますよ。シンザンだけでなく蹄鉄のメンテナンスも」
背の低い戸棚の上に置かれた大きな直方体のルームエアコンが唸りを上げる宿の中、トレーナーは沢樫からの取材を受けていた。
今日は各メディアからの取材を片付ける日だ。
大きなレースのない夏の空白期間は必然的に夏合宿中のウマ娘に対する注目が高くなる。複数の月刊誌や週刊誌、場合によってはテレビ局のカメラマンなどへの応対はそれなりの気疲れを伴うため多くのトレーナーがこうして丸一日を各メディアへの対応に充てるスケジュールを組む。
最注目のウマ娘故に多くの取材陣が集まった宿の一室で、シンザンはエアコン前で堂々と冷風の全てを占領していた。
「蹄鉄と言えばここじゃシンザン鉄はどうやって調整してるんで? 設備のある学園ならともかく、あそこまで複雑な代物はここじゃどうも出来んでしょう」
「予め複数作って持ち込んでいるんです。重量が凄まじいので軽トラを手配する必要がありましたが」
「ははあ、そりゃまた金の掛かる・・・・・・」
「こっちの懐は痛んでないよ。スポンサーが
「シンザンがあっちこっちで名指しで持ち上げた成果だろ。誇れよ、ここまでの大企業がただのトレーニングを直接バックアップしてくれる事なんてそうそう無いんだぞ」
「いじめの輪に加わっただけじゃないか」
「前に専用の蹄鉄でトレーニングしてるだけだって自分で言ってただろ」
「あの時のあたしは死んだよ」
「ええ・・・・・・」
もう
そろそろトレーニング後のマッサージでは機嫌を取れなくなってきたトレーナーの夏合宿後の予定は外出と奢りの予定が着々と積み上がりつつある。
これにも何らかのプロモーションの手段を講じて何とか企業から金を引っ張れないかとトレーナーは常に考えていた。
悪徳企業
「まあしかしシンザンもコダマとは真逆のタイプですが、あんたも接し方がコダマへのそれとは真逆ですな。手抜きはせずとも態度が雑というか何というか」
「ああ、それはですね・・・・・・・・・シンザン。もし俺が今までの扱いを謝って、今後全ての時間や財産を公私共にお前に費やすと誓ったらどう思う?」
「え?『自覚が芽生えるのが遅い』って怒る」
「とまあこの通り、待遇を良くすればすぐにそれが標準になる女ですので。日頃文句を言っている位が丁度いいんです」
「ほーーーーーーら正体現しやがったねえ。ちょっと記者さん、今のしっかり書き留めといておくれよ。こいつはとんでもない極悪人だよ」
べしんべしんと叩いてくるシンザンの尻尾を適当にガードしながら、そこでトレーナーは沢樫の少し後ろに立っている若者に目を向けた。
腕章を見たところ沢樫と同じ出版社所属の記者のようだが今まで見た事のない顔だ。ちょうど沢樫の質問に区切りがついたタイミングなので、何やら物言いたげな顔をしている彼に話題を移す。
「ところで後ろの方は・・・・・・」
「ああ、ウチの新入りでしてな。今回は勉強で着いて来させたんですが、折角なので練習がてらいくらか質問させて頂ければと」
「どうも。よろしくお願いします」
頭を下げた若者の視線はシンザンに向いていた。
どうやらシンザンに用向きがあるらしいが、何やら剣呑な雰囲気を感じる────とはいえ何が始まるかは分かっている。
思えば彼女に対してこういうスタンスを取る者は近頃は減ってきたようだが。
「最初に聞きたいんですが。シンザンさん、あなたはレースに対してちょっと不真面目過ぎじゃないですか?」
「ん」
自分への質問は全て片付けて
自分の使命を瞳に燃やしてペンと手帳を握る若い新入りの姿はある種の懐かしさや微笑ましさすら感じるが、しかし彼にとっては今シーズン最強のウマ娘を相手にした初陣にして大一番だ。
「勝ってればいいとは言いますが他のウマ娘は勝つ為に最大限の努力をしてる。勝負に手を抜く事に罪悪感などは?」
「別に。他の奴らは知らないよ」
「レースをトレーニング代わりに使うのは不誠実というものでは?」
「話し合った結果」
「そもそもトレーニングすら怠け気味だと」
「今さら」
焼き直されたような質問だ。トレーナーはこの若者が何を原動力に、何を夢見てこの世界に足を踏み入れたのかを理解した。
しかし如何せん熱意というか愛情の方が先走り過ぎだ。練習のようなものとはいえこの時間は何にもならない。流石に止めようとトレーナーが二人の間に割って入ろうとしたその時だった。
舐められていると感じたのだろう。
誇りを傷付けられたのだろう。
きっと彼は、シンザンの事を『才能に胡座をかいたウマ娘』としか思っていなかったのだ。
「だから! あなたは自覚が足りないんじゃないですか!? 二冠ウマ娘ならもっと相応の態度ってものが─────」
「
たった一言。
それだけで若者の激情は潰された。
彼が感じたのは最も原始的な社会性の恐怖。親に叱責される幼子が震える絶対的な無力感。
その例えに誤りがあるなら、シンザンが若者に向ける意識に一切の温もりが存在しない事だろう。
まだ自分に下らない時間を使わせる気なのか?
彼女にとって自分は無価値なのだと言葉無くして理解させるその瞳は、何の感情も宿っていないのに暴力的なまでの力を無色透明に漲らせていた。
「・・・・・・・・・・・・ぁっ・・・・・・っ」
出過ぎた真似をへし折られた若者が息を詰まらせる。一瞬で萎縮させられた彼は目線を逸らすように泳がせ、手に持ったペンと手帳を覚束なく震わせる。
これ以上は有意義な時間には成り得ない。その様を見た沢樫は二人に慇懃に頭を下げた。
「ありがとうございます、勉強させて頂きました。今後一層励ませて頂きますので、今後ともどうかよろしくお願いします」
「・・・・・・ええ。是非」
シンザンは無言で興味を失っていた。
トレーナーが最も穏当にこの場を収める返答をした直後、沢樫が思い切り若者の襟首を掴んだ。
大股で歩く沢樫が脚を振り回すように引き摺られていく若者と共に退室した瞬間。
──────バキャッッッ!!!と。
ドアの向こうから響いてきた握り拳が顔面を打つ音に、トレーナーは思わず肩を竦めた。
本当に厳しい業界だなあと彼が首を引いた時、この凄まじい状況を生み出した片翼であるシンザンが、パッと『無感動な絶対者』から『普通の女の子』へと戻った。
「ま、洗礼はこんなもんかね」
「そうだな。向こうも新人の血の気を冷ましてほしいとは思ってただろうけど・・・・・・凄かったな、今の。
今まで片鱗は感じてたけど、あの迫力どこで身に付けたんだ」
「血の気が多い子ほど可愛い。若い子はそうでなきゃならない。熱された鉄は叩いて叩いて強くするんだ。そうすれば立派な鋼になって、やがて立派な刀になる」
中等部の学生らしからぬ物言いに戸惑うトレーナーに、彼女はソファーに寝転びつつ言葉を続けた。
「・・・・・・ってお父ちゃんがよく言っててね。あたしはそれに倣っただけさ。あの人が鋼の器がどうかは知った事じゃないけど」
ほら一仕事終えた担当ウマ娘がお疲れだよという具体性のカケラもない要求に、トレーナーはファイヤーマンズキャリーで自室に運ぶというアンサーを返した。肩に担がれてされるがままのシンザンの重み(着実に筋量が増加している)を感じつつ考える。
シンザンが時折自分に向ける『意志の試し行動』も『鉄を叩いて強くする』行為の一種なのだとしたら、彼女にそんな影響を与えた父親は一体どんな人物なのだろうな、と。
時を同じくして宿の外。
今日も夏の日差しを照り返している砂浜の上を楽しそうな少女達の声が飛び交っている。
目隠しをして棒を持ちフラフラと歩くウマ娘。
それに声援を送るウマ娘達と必死の形相で叫ぶ男。
彼女らの熱量は最高潮に達しようとしていた。
「シローちゃんもっと右!右!!」
「そのままっすよそのままそのまま!!」
「左左左左左!!!!」
やがて目隠しをしたウマ娘が歩みを止めた。
細く長く息を吐き、握り直した木の棒をゆっくり上段に掲げて、そして──────
「おらあああああああ!!!!」
「うおおおおおおおおおおお!!!!!!」
首から下を垂直に砂に埋められている古賀のすぐ隣に置かれていたスイカが、カブトシローの一太刀で真っ二つに割られた。
荒っぽい断面を晒して分割されたスイカに自分の頭部を重ねた古賀が目を剥いて絶叫する。
「シローちゃん凄い!綺麗に真ん中で切っちゃった!」
「ま、ざっとこんなモンよ。その気になりゃケーキみてえな八等分にだって出来るぜー」
「いや洒落にならん洒落にならん洒落にならんぞ!! 俺の頭がスイカになるとこだ!! 気が済んだなら早く出せ!!」
「水着になったウチらを見た瞬間に『少し腹が出てないか?』とか真顔で抜かしたトレーナーさんには当然の罰っすよ」
「それはトレーナー目線の話であってだな!!」
「反省してないんでもう一回いきましょう。今度はスイカ抜きで」
「俺抜きでやれ!!!!!!」
粛々と目隠しをし直すメンバーに命乞いめいた叫びを上げた古賀。そろそろ見ていられなくなったウメノチカラが、そのまま棺桶と化しつつあった砂の中から彼を救出した。
途端に逃げ出す古賀とその背中を棒を持ったまま追いかけるハクズイコウ、キーストンとカブトシローが囃し立てながらそれに続いた。
(私は何故いまこんな時間を・・・・・・)
映像作品ならそのまま静止画になってアイリスアウトしていきそうなコミカルな絵面に中途半端に苛立ちを中和されたウメノチカラが、何とも形容し難い表情で立ち尽くす。
トレセン学園から急遽集められたチーム《スピカ》によるウメノチカラリラックス作戦は、今のところ空振りのようだった。
◆
『ウメノチカラが気負いすぎているから助けてほしい』。学園に残った《スピカ》メンバーの元に届いた手紙の内容はそれだ。
元より彼女が思い詰めているのを見ていたメンバーの反応は迅速だった。全くうちのトレーナーは何をしてるんだと思いつく限りの遊びをバッグに詰めて休日の早朝から押っ取り刀で駆けつけたのだ。
「ぶほぉッッッ!!」
「おわーっ!何すか今の!どんだけ口にタネ貯めてたんすか!!」
「ちょ こっち飛んできたぞ汚ねーなあ!!」
「ほらウメちゃんも食べよ!すっごい甘いよ!」
「あ、ああ・・・・・・」
口いっぱいに含んだスイカの種をショットガンみたいな勢いで噴き出した古賀に対する
確かに甘かった。
秋に向けて寸刻を惜しむようなこんな現状でなければ素直に舌鼓を打てただろう。
自分に遊んでいる暇なんてないのに─────
チームメイトの差し入れすら素直に味わえない己の不甲斐なさに、ウメノチカラは静かに唇を噛む。
「あ、見て見てあそこ小島があるっす。木が一本だけ生えてる。変なの」
「そうだな、じゃあ全員であそこからここまで往復しよう。一着の奴には夜店の露店で焼きそば奢ってやる」
「おう聞いたかトレーナーが一着取ったら露店の端から端まで奢ってくれるってよ!!」
「やった私お先に失礼っ!」
「ちょっと待て盛るな盛るな盛るな!!!」
誇張されまくった褒美に釣られて一斉に海へと駆け出した三人に古賀が必死で追い縋る。
実に楽しそうな光景だった。自分と違って。楽しんでいられない自分を置いて。
─────自分の気も知らないで。
「・・・・・・っ!!」
衝動的に自分の両頬を叩く。
自分のやるべき事に変わりはない。
ならばこの状況も訓練に変えるまで。
「あっ、ウメちゃんも来た!負けないよ!」
水泳ならば鍛錬になる。ならば全力で行う。
先行していた三人を追い抜く勢いで駆け出し、ウメノチカラは鋭く海へと飛び込んだ。
トレーナーとチームメイト達の真意からは、目を逸らし気付かないふりをして。
結局、遊びをトレーニング代わりにするといっても満足のいく内容にはならなかった。
当然と言えば当然なのだが、丸一日を無駄にしたという意識は尚のことウメノチカラを悄然とさせた。
それでもまだやるべき事はある。せめて夜の間はレースの戦術やトレーニングの理論を勉強しなければならない。足取り重く宿の廊下を歩くウメノチカラの元に複数の足音が小走りで近寄ってきた。
「夏祭りやってるっすよ!トレーナーの奢りっすよウメ先輩!」
「一着のゴホウビは受け取るモンだぜーセンパイ」
「いや私はこれから・・・・・・」
「ほら行こウメちゃん!気晴らしになるよ!」
─────沈んでいると分かっているなら。
沸き立ちそうになった心を咄嗟に抑え、あくまでも冷静に辞退しようとした時、チームメイト達の後ろから遅れて古賀が現れた。
彼の表情は明るく、そこに一切の悪意はない。
だがその明るさ、
「ふざけるなッッッ!!!!」
ウメノチカラの最後の理性を突き破った。
「何故そこまで呑気でいられる!何故お気楽に笑っていられる!? 私は今度こそ勝とうとしている、勝たなければならないのに!!」
「せ、先輩?」
「大体ここまで何をしに来た!! 合宿前から一緒にトレーニングしておいて私に遊んでいる暇はないと分からないのか!! そんな筋違いな気遣いで私の足を引っ張るな!!」
「おいウメ落ち着け!」
「そもそも貴方は自分の職務を忘れているのか!! 私達の意思に寄り添うのがトレーナーだろう!! 強くなるための私の意見をどれだけ拒めば気が済む!? 鍛える気が無いのなら合宿になぞ着いてくるな!!」
思考が停止している。意識の足が地に着かない。
溜め込み続けた鬱屈の爆発。
爆竹のように弾け続けた彼女の激情は、吐き出したその言葉を最後に停止した。
「結局、勝たせる気が無いんだろう!! 勝てると思っていないんだろう!! とっくに諦めたからそんな風にいられるんだ──────
──────
沈黙の帳が降りた。
鬱屈という燃料を燃やし尽くしたウメノチカラの頭が自分の叫びを反芻する内に、彼女の顔から血の気が引いていく。
「ぁ」
気付いたのだ。自覚してしまったのだ。
心のままに叫んだ言葉が。
正当であると怒りに正当化された主張が。
──────その実、自分の無力の八つ当たりでしかなかった事に。
ウメノチカラは走り出した。
チームメイトやトレーナーを押し退け、呼び止める声も背中に置き去り、靴も履かぬまま外へ飛び出す。
暴かれた内心があまりにも惨めで、自分を慮ってくれた者達の顔も見れないのがあまりにも情けなくて。
このままどこかへ消えてしまいたいという嗚咽のような想いと共に、彼女は夜の闇へと消えた。