少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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大山動かず獅子一頭
第4話


 「よーしストップ! いいタイムだ!!」

 

 目の前をヒト型の疾風が駆け抜けると同時にストップウォッチを停止。

 そこに示された数字を見たトレーナーが快哉を上げ、2,000メートルを駆け抜けたウメノチカラは大きく息をついた。

 大人数で共有するためのバケツみたいなサイズの水筒から浴びるように水を飲み、熱された身体を潤していく。

 バインダーに挟まれた記録用紙に書き込まれたタイムは、デビュー前のウマ娘としてはかなり優秀なものだった。

 

 ウメノチカラだけではない。

 学園内のトレーニングジムでバーベルスクワットを行っているバリモスニセイは、自分のトレーナーだけでなく周囲のウマ娘の視線すら(さら)っていた。

 棒の両端に付いているウエイトは人間はもちろん、人間という種族よりも遥かに高い身体能力を持つウマ娘にすら使用を躊躇わせる積載量。

 ある程度の基礎は体育の授業で作られているとはいえ、重量も回数もデビュー前のウマ娘が行うような回数ではなかった。

 

 カネケヤキは徹底的にスタミナを鍛えていた。

 長さ50メートルのプールをもはや何往復目か、彼女より遅く始めた者が彼女より早く切り上げることを数度繰り返して、ようやく彼女はプールから上がる。

 髪から水を滴らせてクールダウンのストレッチ。脚の調子を確かめるように筋肉を伸ばし、大丈夫ですね、と呟いた。

 

 「どうした。気合が入ってるじゃないか」

 

 疲労に侵されながらも衰えない気迫に、感心した彼女らのトレーナーは一様にそんな賛辞を贈る。

 それに対する彼女らの言葉もまた、判で押したかのように決まっていた。

 

 「・・・・・・舐めてかかれない奴がいるんです」

 

 睨むように空を見つめ、口を揃えてこう返す。

 早くもライバルが出来たのかと良い兆候に顔を綻ばせるトレーナーたちは、自分の担当がライバル視しているだろうウマ娘の顔を思い浮かべた。

 少し前ならそこにあの鹿毛のウマ娘を思い浮かべることもあっただろうし、事実ウメノチカラたちも『彼女』を仮想敵としてトレーニングしていた。

 だが、今となっては彼女を強敵として見ている者はほぼいなくなっていた。

 何故なのか?

 確かに1着ではないにせよ、彼女もまた優れた走りを見せたのに──────

 

 「・・・・・・・・・なあ、シンザン。走らないか」

 

 「んぇぇぇえええ」

 

 「汚い鳴き声だなぁ・・・・・・」

 

 言語か否かで言えばギリ獣の側に判定される音を喉から発するシンザンに、トレーナーは呆れを通り越した感嘆の呟きを漏らした。

 担当契約を結んでから1ヶ月。

 指摘も指導も何のその。初夏の日差しを浴びながら、今日もシンザンはいつものように芝をぽてぽてと走っていた。

 

 

 気性難とは違うが特殊なタイプのウマ娘だということは分かっていたが、よもやここに至っても走らないとは思わなかった。

 

 授業は手を抜き、選抜レースですら抑え、自分と契約を結んでからもこの調子。

 あるいは相手がいないと気が乗らない闘争心ありきの性格なのかと他のウマ娘に併走を頼んだこともあるが、それでも未勝利のウマ娘に遅れを取るレベルで走らない。

 競走バとは何ぞやと思わなくもないが、一癖あることを理解していた上で担当契約を結んだ以上、これをどうにかしてどうにかするのが自分の務めである。

 

 「うう。ちょっと一息入れていいかい」

 

 「ああ、ちゃんと水分も取るんだぞ。今日は日差しが強いからな。まだ本格的に暑くなる前だけど油断はしちゃいけない」

 

 疲れたというよりは気晴らしがしたそうなシンザンの要求をトレーナーは2つ返事で通す。心と身体がチグハグな状態で走らせるよりは逐次気分のリセットを図った方が良い。

 はーい、と返事をして水筒の中身を幾分か喉に通したシンザンは、何やら考え込んでいる様子のトレーナーに雑談を投げかける。

 

 「けど、トレーナーさんが思ってたより優しくて少しビックリしてるよ。なんとなくトレーニングって『水を飲むと心が鍛えられない』みたいな事を言われるイメージだったけど」

 

 「最近まではそうだったんだが、耐えられなくなったウマ娘たちが地方のトレセンで学生運動じみた決起を起こして大事(おおごと)になったんだ。

 もともとスポーツ医学の最先端を取り入れてる中央(ここ)じゃ懐疑的な風潮だったけど、それを期にその手の根性論は完全に否定する立場に立ってるよ」

 

 「学生運動かあ。そういえば2年か3年前くらいにデカいのやってたね。ラジオで聞いた覚えがあるよ。・・・・・・芝の外は大騒ぎだ」

 

 「この国も過渡期なんだろう。声を上げてる誰の主張が正しいのかは分からないが、今を少しでも良くしようって気持ちはきっと明るい未来を生むさ。

 ・・・・・・『自由に水を飲ませろ』って願いを通した彼女たちのお陰で、今お前たちが健康にトレーニングできてるみたいにな」

 

 ファイトー、ファイトー、という掛け声の群れが聞こえてくる。

 先の選抜レースで残念ながらトレーナーから声が掛からなかったウマ娘たちが、教官の指導の元で集団トレーニングを行なっているのだ。

 少しだけ締め付けられるような顔をしている彼女たちの未来を掴まんとする気持ちも、いつかは明るい未来を生むのだろうか。

 少しだけ次の季節の熱を感じるようになった風が髪を撫でた時、トレーナーは区切るようにパンと手を叩く。

 

 「はい、時間稼ぎはここまで。ラスト3本」

 

 「バレてるかあ・・・・・・」

 

 締めるところは締める。

 流石に『やだ』という訳にはいかず、ちぇっ、と唇を尖らせてシンザンは再び走り始めた。

 

 

     ◆

 

 

 「ようチカミチ。()()の調子はどうだ?」

 

 昼休み、昼食の時間。

 からかうように肩を組んできた古賀の脇腹に肘鉄を入れて黙らせた。

 

 シンザンならぬ『新参(シンザン)』。

 いま彼女は、揶揄いの意味でそう呼ばれている。

 若いながら実力は本物と名高い彼が抜群のスタートを切り好走したシンザンと契約を結んだ事は、トレーナーの間でかなり話題になった。

 彼の指導と彼女の資質が合わされば、あるいは前回の栄光が再現されるのでは─────そう考える者も少なくなく、トレーニングが始まった当初は2人を警戒して彼らの様子を見に来る者も多かった。

 ・・・・・・・・・だが、当のシンザンがあの調子である。

 最初の方こそトレーナーがどう矯正していくか見守られていたが、まだ1ヶ月とはいえ変化の兆しも見られない。

 そして他のトレーナーたちは呆れて見に来なくなり、彼女の走らなさは広く知られるところとなった。

 

 「上機嫌だな、古賀。まだウメノチカラを射止めた喜びが抜けてないのか」

 

 「いてて、冗談だ、冗談。分かってるさ、お前の手腕を疑っちゃいない」

 

 トレーに乗った定食を前に、気心知れた者同士2人は隣並んで座っている。

 頂きますの唱和の後、ほくほくと湯気を立てる焼き鮭を箸でほぐしながら古賀はトレーナーに愚痴るようにぼやいた。

 

 「けど、早いところ矯正するなり結果を出すなりして欲しいのは事実なんだがな。どうせそっちの耳にも届いてるだろうから言うが、友達が()()()()()なんて笑われてるのは気分が悪い」

 

 「言わせておけばいいさ。結果を出せば黙る」

 

 「相変わらず自信家ね。変わってなさそうでよかったわ」

 

 「おう、桐生院(きりゅういん)さん」

 

 そう言ったのは黒髪を後ろで束ねた妙齢の女性だった。古賀に桐生院と呼ばれた彼女は彼らの前の席に座り、小鉢に卵を割りながら冷静な口調で指摘する。

 

 「とはいえ、私から見ても彼女の()()()は少々目に余るわ。結果を出すにせよ矯正は必須だと思うけれど、何とかする手立てはあるの?」

 

 「まずは性格を細かい所まで掴むところからかな。なんていうか、アイツの場合は怠け癖とは違うと思うんだよ。トレーニングには欠かさず来るし、手を抜きはしてもメニューそのものはきちんと消化するから」

 

 「手を抜くのなら怠け癖なのではなくて?」

 

 「いや、筋力トレーニングとかきちんとやるんだよ。ランニングみたいにゆっくりやって楽をするっていうのが出来ないからだと思う。要領よくサボってるのかとも思ったけど、『気乗りしません』って顔に出るのは走る時だけなんだよなぁ・・・・・・」

 

 「・・・・・・ここ走るための学園だよな?」

 

 「少し気難しい娘なのかしら。ウマ娘の気性はそれぞれだけど、ま、精々油断はしない事ね」

 

 啜っていた味噌汁の椀を置き、桐生院は怜悧な眼差しをトレーナーに向ける。

 彼らは友人だ。そしてライバル同士だ。

 気遣いこそすれど、相手がもたついているのならこれ幸いと置いていくのみ。

 可能性と古賀の口元にはもう、さっきまでの友好的な笑みはなかった。

 

 「周りは貴方達を揶揄ってるみたいだけど。貴方が鍛えた娘を相手にカネケヤキに気を緩めさせる気はないわよ、私は」

 

 「同感だ。せいぜい今のうちに差をつけるさ」

 

 ピリッ、と3人の間に電流が走る。

 才能による猶予はそうない。

 代々優れたトレーナーを輩出する名家の子女に、負けん気の強い叩き上げ。彼らもまた、この学園では名を馳せる名トレーナーなのだ。

 彼らの圧を一身に受け、『近道』は脳内で考えを巡らせる。

 

 (メニューを工夫してやる気が出る方向に誘導しようと考えてたけど、本人に直接聞いた方がいいな)

 

 ()()()()()()()()()()、と。

 ウマ娘の気性を重んじる故の方針を、彼は一気に転換する事に決めた。

 この場合は分析のために様子を見ていたから遅れたのであって最初からそうすればよかった、とも言えるのだろうが・・・・・・

 古賀と桐生院は、分析して理解する性質に同居するこの思い切りの良さこそを警戒しているのかもしれなかった。

 

 

 

 走るのが気乗りしない様子とはいえ、走る訓練から『走る』という項目を除外するなど有り得ない。

 シンザンは今頃ウォーミングアップをしている頃かな、と今後のメニューをどう変更していくかを思いながらトレーナーはトレーニングへと向かう。

 どうも彼女の場合これまでのトレーニングの定石は捨てて考えねばならないようだ。

 今までの経験則から使えそうな部分を抽出して組み合わせるか、それとも新たな文献を────

 

 「ん?」

 

 見慣れない顔があった。

 手元には手帳とペン。いかにも報道関係の出立ちをしているが、その男は少々見逃せないものを持っていた。

 首から下げた一眼レフだ。

 少しだけ厳しい顔になったトレーナーは、横から少しだけ強く彼の肩を掴む。

 

 「失礼。記者の方ですか? 写真を撮るなら許可を得てからでお願いします」

 

 「ん。ああ失礼、分かってますよ。職業柄ね、持ってないと落ち着かないもんで─────」

 

 そう言って中年の男は振り向き、トレーナーの顔を見て少しだけ目を丸くした。

 彼の顔を見たトレーナーもまた同じようなものだった。中年の肩から手を離し、顰めていた眉からも力が抜ける。

 

 「やあ何だ、あんたでしたか。お久し振りです」

 

 「そっちこそ沢樫さんでしたか。体型が変わってるので気付きませんでしたよ」

 

 「放っときなさいよ」

 

 どうやら前に会った時と比べて恰幅がよくなったらしい体格をいじられて渋面する沢樫。

 2人の間にはそれなりの交流があるらしく、警戒で一瞬だけ張り詰めた雰囲気も消えて砕けた口調で話をしている。

 沢樫の方は仕事でここに来ているらしい。

 

 「まだデビューする前から取材ですか。『月刊綺羅星(きらぼし)』も熱心ですね」

 

 「今年は早くも話題になってるウマ娘が多くてね。

 古賀(こが)篤史(あつし)トレーナーのウメノチカラ。

 桐生院(きりゅういん)(みどり)トレーナーのカネケヤキ。

 そしてあんたがどんなウマ娘を見出すか、我々も注目していましたが・・・・・・・・・、予想外でしたよ。悪い意味でね」

 

 「・・・・・・・・・」

 

 「身体つきは平凡で体育の成績も悪い。選抜レースじゃ良い結果を出したかもしれないが、その後のトレーニングも不真面目極まっており、ハッキリ言って中央を舐めているとしか思えない。

 トレーナーは昨年の輝かしい成果に目が眩み、こんなウマ娘でも自分なら大成させられると錯覚したのではないか・・・・・・」

 

 トレーナーの表情は変わらない。

 そういうやっかみなら何度も耳に入ってきているし、それに返す言葉など決まり切っているからだ。

 『好きに言えばいい』。

 『これからの結果を見ればお前も黙る』。

 そう返そうとして口を開きかけたが、それよりも先に沢樫はこう続けた。

 

 「・・・・・・ま、以上がさる評論家の意見ですわ」

 

 「あなたは違うと?」

 

 「勿論。前回あんたが育てたウマ娘を見てたら、体格の小ささにケチは付けられませんな」

 

 くくく、と沢樫は喉で笑う。

 

 「あんたと担当が送った3年間を取材して自分は確信してますよ、この男は今回も絶対に成果を上げるってね。『見出された才能、栄光の手腕』・・・・・・いい見出しじゃあないですか」

 

 「ずいぶん贔屓してくれますね」

 

 「その頃からのファンだもんで。記者としての確信と信頼を以って・・・・・・この沢樫(さわがし)静夫(しずお)、今後もあんた達を追いかけますとも」

 

 それでは自分はこれで、と沢樫は去っていくが、途中トレーニング中のウマ娘を見てカメラを構えそうになり、いかんいかんとカメラを手放している。

 記者の本能と理性が若干拮抗しているらしい。

 大丈夫かな、とやや不安になりつつその背中を見送っていた時、コースの方から自分に声がかかった。

 

 「おーい、トレーナーさん。アップ終わったよう」

 

 「ああ分かった。今行く」

 

 雑談で待たせては悪い。トレーナーは小走りで担当ウマ娘の元へと向かう。

 ウォームアップでは普通に走るんだよなぁ、とやはり話を聞くことの重要さを再認識しながらトレーナーは今日のメニューをざっくりと説明。

 いざ走ろうとなったその時に、シンザンは沢樫が消えた方を見ながらトレーナーに尋ねた。

 

 「さっきの人、友達?」

 

 「知り合いの記者だよ。過去に彼の取材を受けてたんだけど今回も取材する気みたいだから、これからシンザンも話す時があるんじゃないかな」

 

 「え、記者さん。じゃあ谷啓と知り合いだろ。会いたいって伝えといてよ」

 

 「な訳ないだろ芸能無関係の月刊誌の記者だぞ。知り合いだったとしてもまずそんな願いは通らないよ」

 

 「嘘だあ。東京は有名人と仲良くなれる街だって聞いたよあたしは」

 

 「まずそのお上りさんみたいな幻想を捨てなさい」

 

 ガチョーン、と芸の物真似をしながらぶーぶー言うシンザンに、ほらほら走れと背中を叩く。彼女は唇を尖らせながらトレーニングを開始した。

 このノリとペースを許してくれている時点でトレーナーは思ったよりというか大分優しいのだが、彼女はその点に関しては()()()()()と向こうも分かった上で契約したんだからええやろの精神で流している。

 相変わらずのスローペースで流しながら彼女はちらりと自分の足を見て、

 

 「・・・・・・まだ、保つね」

 

 ぽつり、とそう呟く。

 地面を蹴る音と掛け声に掻き消され、彼女のその声がトレーナーに届く事は無かった。

 


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