少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第40話

 

 

 

 

 波の音と虫の声。

 季節の風情を感じる穏やかな空気の振動を感じてもウメノチカラの心は癒えない。

 夢中で逃げる内に道を外れ、辿り着いたのがまともに整備もされていない島の端の崖側だった。

 座り込んで膝を抱えながら見下ろす崖下。灯の乏しい夜の海は夜空と溶け合い、境目が分からなくなるほど暗い。しかしその無明の静かさが今の彼女にはせめてもの慰めだった。

 ───最低だ。

 ウメノチカラが身体を丸めるように縮む。

 全ての気遣いを無碍にした上、至らなさの全てを他人に押し付けた。ここまでの無様を晒してどの面を下げて戻れというのだ。

 怖い。ただ怖い。

 これから先、チームメイトやトレーナーから自分に向けられる目線が、怖い。

 ()()は自分が知らないものだ。

 どうすればいいか分からないものだ──────

 

 「こーこにいたのかよ探したぜー」

 

 茂みを掻き分けながら転がり込んできた声に思わず身体を震わせる。

 カブトシローだった。

 怒りはないが安堵もない、まるで放課後に出かけた商店街で偶然会ったような変わらない調子で出現した彼女に、顔も向けないままウメノチカラは問う。

 

 「・・・・・・よくここに来たな」

 

 「なーんか茂みが割れてんなーって。入ってみたら木の枝とかがあちこち折れてたからこの先じゃね?って思ったらドンピシャよ」

 

 「すまない、面倒をかけた。・・・・・・だが、今は一人にしておいてくれないか」

 

 「あいよー」

 

 そう言いながらカブトシローはウメノチカラの隣に座る。一人にしろと言っただろうと隣を見ると、随分と汚れた横顔が目に映った。

 長い黒鹿毛には木の枝や木の葉が絡みつき、白い肌にはあちこちに汚れがある。彼女は運良く見つけたように言っていたが、本当は道なき道まで探し回っていたのだろう。それを察してしまうと余計に()(たま)れなくなりウメノチカラは口をつぐんだ。

 しばし無言が続いた。

 怒るでも慰めるでも連れて帰ろうとするでもないカブトシローがいよいよ分からなくなってきた時、計ったようなタイミングで彼女が口を開いた。

 

 「センパイ。アタシさあ。すげー面倒な奴なのよ」

 

 「?」

 

 「トレーニングとかでもさ、『アタシ今イイ感じだなー』って思うと急にダルくなるし。けどそれで周りが冷めだしたら『よっしゃやってやろ』ってヤル気出るし。とにかく周りの空気の逆に張っちまうんだ」

 

 「ああ、今までのはそういう理由だったのか・・・・・・」

 

 「だもんで皆で頑張るってのがスゲー苦手でさ。《スピカ》に勧誘された時トレーナーにアタシの性分伝えたのよ。そしたら『大丈夫だ!』の一言でよ。つっても同じこと言った奴ら全員結局音を上げたからさ、どーせ今までと変わんねーって思ってた。アタシは一人でやっていくもんだって。そしたらあれよあれよという間に《スピカ》に馴染んじまった」

 

 「それは良かったが・・・・・・どうして今その話を」

 

 

 「だからさ。誰も失望なんかしてねーよ」

 

 

 落ち込んだ仲間に向ける励ましの言葉。それをカブトシローはやはり変わらない調子で、励ましではなく事実として口にした。

 

 「センパイ一人であれこれ考えすぎなんだよ。アタシのアップダウンに付き合い続けられる連中が負けが込んだくらいでそんな事思う訳ねーじゃん」

 

 「っ、ただの敗北じゃない! 私は全てを無碍にしたんだ! 皆の協力も期待も・・・・・・!!」

 

 「その辺もトレーナーと直接話せばいーんじゃね? ウメと話せないって手紙に書いてあったぜ。・・・・・・センパイがヘコみ続けてんの、アタシ的にも面白くねーしさ」

 

 トレーナーとの対話。日本ダービー以降ウメノチカラが避け続けていた事。

 ウメノチカラが何かしらの抵抗を口にする前にカブトシローがその手を掴んで立たせぐいぐいと引っ張っていく。そして合宿所の前まで連れ戻された時、そこにはもうハクズイコウとキーストンが集まっていた。

 

 「先輩、よかった! 無事だったっすか!」

 

 「本当にごめんねウメちゃん、私たち無神経だったよね・・・・・・!」

 

 「いや、それは私の方こそ・・・・・・、ところでトレーナーは・・・・・・?」

 

 ぴたりと全員の動きが止まった。

 

 「あん?確かに・・・・・・」

 

 「この時間になったら一旦集まるって決めたっすよね?」

 

 「え?みんな知らないの?」

 

 キョロキョロと周囲を見回した後、ウメノチカラ以外の三人が口々に困惑の声を発した。

 何かまた別のイレギュラーが発生しているらしくただ状況を見ているしかないウメノチカラだが、彼女がやるべき事はそのすぐ後に示された。

 

 「・・・・・・さてはあいつ、探すのに夢中で腕時計見てねーな?」

 

 トレーナーの捜索が始まった。

 いらぬ手間を増やされた彼女ら(ウメノチカラ除く)が何やってんだあのバカと怒気混じりに名前を叫びつつ歩いていると茂みをガサガサと揺らして全身を汚して汗まみれの中年が現れた。

 

 「ウメ、よかった!無事だったか!」

 

 その第一声で全員の力が抜けた。

 時間を見てみろと腕時計を指差さされる古賀。言われるまま時刻を確認して顎を落とした彼を(はた)くウメノチカラ除くチームメイト。

 夏の夜に発生したトラブルの結末は、チーム《スピカ》人バ共に無事といったところだった。

 

 

     ◆

 

 

 とうとう腹を括る時が来た。

 消灯が近付く合宿所で急遽借りた会議室でウメノチカラは古賀と向き合っている。他のチームメイトの姿はなく二人きりだ。見苦しいところを見せた手前なんと言っていいか分からず俯くばかりのウメノチカラに、古賀は努めて落ち着いた声で問う。

 

 「まずは謝らせてくれ。解決を急いで強引な手を使っちまった。・・・・・・それを棚上げした上で聞くぞ。無茶な強度の自主トレやスケジュールの提案。ここ最近のお前は自分一人で暴走してる。その理由は?」

 

 「いえ、ただ私が不甲斐無いだけですので。トレーナーが気を揉むことは何も・・・・・・」

 

 「本音を話せ、ウメ。今するべきは不和を包んで流す事じゃない。俺達が納得した上での解決だ」

 

 古賀はとうに覚悟を決めている。

 逃げていたのは自分だけ。

 膝の上で拳を握り、ウメノチカラは絞り出すように心の底を吐き出した。

 

 「・・・・・・自分で、何とかするしかないと思いました。誰にも支えられない、自分だけで強くなるしかないと」

 

 「どうして誰にも支えられないと思った?」

 

 「っ、あなたが言ったのではないですか!あの時の私は理想的なレースをしたと!私にこれ以上の伸び代は無いと!!」

 

 「あれは()()()()()()()()って意味だ。お前は今がまさに伸び盛りの時期だぞ? そもそも後半部分のふざけたセリフを俺は言った覚えがない」

 

 ウメノチカラが言葉に詰まる。

 自己解釈による呵責の方向性と言葉の意味をしばし頭の中で噛み砕いた古賀は、導き出した結論の答え合わせに入る。

 

 「ウメ。お前の主体は、他の誰かにあるんだな」

 

 びくり、と彼女は身体を震わせた。

 

 「誰かに期待される事、その期待に応える自分である事がお前の原動力なんだ。だからそんな自分でいられなくなった時にどうしていいか分からなくなって、主体を取り戻そうと躍起になる」

 

 「・・・・・・分かってます、それが私の弱さの原因だと。自分一人で立てない心が敗北の理由だと! 私にはシンザンのように独立した強さがないから!」

 

 「結論を急ぐな後ろ向きになってるぞ。誰かのために頑張れる奴が弱いワケないだろうが」

 

 やはりそうだ。

 彼女を苛む病は何も珍しいものではない。

 煌びやかな主役の影にはこういう者が現れる。

 本音の叫びに削り出された彼女の核心、その輪郭を古賀はその手に感じ取った。

 

 

 「─────お前は、シンザンに憧れてるんだ」

 

 

 ウメノチカラの呼吸が止まる。

 それは彼女自身も気付いていなかった、いや、気付いていながら目を逸らしていた心の本質。心臓を捕まれ音を立てて喉を引き攣らせた彼女に、さらに彼は切り込んでいく。

 

 「相手をライバルと見做すっていうのは相手に憧れるのとほとんど同じでな。お前は今シンザンに引っ張られて自分の軸がブレちまってる。シンザンの強さとお前の強さは違うものだろ」

 

 「私の、強さ・・・・・・?」

 

 「お前の力は『誰かの笑顔』だ」

 

 ずい、と古賀が身体を寄せる。

 

 「どうしてお前はレースの世界に来た? お前は誰のために走る?思い出せ。お前が選んだその選択で───最初に笑顔にしたいと願った人を」

 

 

 

 誰かが喜ぶ顔が見たかった。自分が何かを頑張れば、私が何かを達成すれば皆が喜んでくれた。

 トレセン学園に行くのを決めた理由も、結局のところはそこで結果を残せば皆が喜んでくれると思ったからだ。

 花形を目指す道を手放しで喜ぶ母とは対照的に父は自分を慮った。自分達の期待が私が本当にやりたい事を塗り潰してしまっているのではないかと。

 ・・・・・・そうだ。今もハッキリ思い出せる。

 あの時自分は、胸を張ってこう答えたのだ。

 

 「・・・・・・確かに私は両親を、私に期待してくれている皆に喜んでもらえるような大物になるのが目標です。・・・・・・だけどそれだけじゃない。ここには私自身の主体がある」

 

 「!」

 

 しばしの沈黙の後に口を開いたウメノチカラ。

 意地でも虚勢でもない穏やかな微笑みに今までのような揺らぎはない。

 不動の軸を取り戻した彼女は、それを指し示し証明するかのように己の胸に手を当てた。

 

 「学問でも俳優でも作家でもない。私はレースの世界で一角(ひとかど)の人物になる道を選んだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。─────それが私のエゴです」

 

 ハッキリと、古賀の目を見てそう言った。

 苦悩を乗り越えた確かな強さがそこにある。安心したようにパイプ椅子の背凭(せもた)れに身体を預けた古賀にウメノチカラは深く頭を下げた。

 

 「ご迷惑をおかけしました。私はもう迷いません」

 

 「そう気負うなよ。いくらでも迷って迷惑をかけりゃいい。俺もアイツらもドンと受け止めるからな」

 

 「ふふっ。では早速一ついいですか?」

 

 ウメノチカラの所作に張り合うように拳で胸を叩いた古賀に彼女は人差し指を立てる。

 それは切羽詰まっていた時の彼女からは、いや、今までの彼女からも考えにくかった『お願い』。それを受けた古賀は目を丸くして、しかし嬉しそうに頷いた。

 

 「ハクズイコウ達は明日の夕方には学園に戻るんでしょう? せっかく来てくれた皆には、笑顔で帰ってもらいたいので」

 

 

 

 翌日、夏合宿も真っ盛りの海辺。

 スケジュールにロードワークを控えているシンザンは下唇を突き出し不機嫌全開でシンザン鉄を装着していた。

 アップダウンの激しい山道を重りを着けて走る今まででぶっち切りのハードメニュー。明日からの三日間完全オフが無ければ彼女はもう蹄鉄を放り捨ててどこかに消えていただろう。夏の青空を覆い尽くす積乱雲のような負のオーラは、すぐ側にいるトレーナーがそこそこ本気で命の危機を感じるレベルであった。

 

 「インターバルはこまめに挟む。脚に違和感があったら」

 

 「即報告。うるさいから何度も言うんじゃないよ」

 

 いよいよマズい。

 トレーナーがロードワーク後の上半身中心のトレーニングを後ろ倒しにすることを検討し始めた時、シンザンの視界の端に複数人が遊んでいる姿が見えた。

 スイカ割りに興じる《スピカ》の面々だった。

 

 「はあっ!!!」

 

 「うおおおおおおおおお!!!」

 

 ウメノチカラの気合いとカブトシローの悲鳴が重なる。

 首だけ残して砂浜に埋められているカブトシローの隣に置かれたスイカが真っ二つに割れた。

 

 「うわーっキレイに真っ二つ!シローちゃんとどっちが巧いっすかね!?」

 

 「ウメちゃんもう一回!もう一回いこ!」

 

 「いやいやいやこの役回りアタシじゃなくね!?トレーナーがやるべきじゃね!?」

 

 「やかましい恨むならジャンケンで負けた自分を恨め!! 昨日のそれはチビる位には怖かったからなあ!!」

 

 「おいおいおいおい何だい何だい、随分と楽しそうじゃないかい」

 

 楽しそうな喧騒に低い声で横槍が入る。

 蹄鉄で砂浜を蹴飛ばしつつ接近してきたシンザンだ。目隠しを取ったウメノチカラを彼女は不機嫌に任せて()め付ける。

 

 「えらく気が抜けた様子じゃあないか。あたしはあんたから『絶対負かす』って言われた気がするんだけどねえ。あたしはこれからキッッッツいトレーニングをするんだけど、そいつはもうあたしに勝つのを諦めたって解釈でいいのかい?」

 

 「ちょっと何なのいきなり・・・・・・!?」

 

 間に割って入ろうとしたハクズイコウを手で制止したウメノチカラ。

 昨夜の自分はこんな感じだったんだろうか?そんな事を思いながらウメノチカラはシンザンに相対する。

 自分の内に取り戻した原点の力を抱いて。

 

 「諦めてなどいない。私はお前に勝つし、その為の努力は怠らない」

 

 「じゃあ今やってるそれは何だい?」

 

 「努力だよ。私は今まさに自分に足りなかったものを手に入れてる最中だ」

 

 何ら恥じる事なく彼女は言う。

 これは自分に必要な事。

 今の自分に足りないものだと、皆が全力で実現してくれたものなのだと。

 

 

 「()()()()()()()()()()()()()()? 難しい顔をせずに笑ってみせろ。それがいつものお前だろう」

 

 

 無言でウメノチカラを見据えていたシンザンが踵を返してトレーナーの元へ戻る。思案の最中に他所によくない絡み方をしていた担当ウマ娘をまさに連れ帰ろうと動き始めていたトレーナーに、シンザンは目線も合わせず命令した。

 

 「トレーナーさん。トレーニング終わったらあたし達もやるよ。同じやつ。スイカ割り」

 

 「・・・・・・用意するのはスイカだけだよな?」

 

 「寝惚けてんのかいバカ野郎あんたも埋めるに決まってるだろ。あんたの頭の横にスイカを置いてやるからね。最もプリミティブで最もフィジカルで最もフェティッシュな手段に訴えてやるからねえ」

 

 「割られるの俺じゃねえか!!!」

 

 本気でギロチンが落ちてきそうな宣言に必死に食い下がるトレーナー。遠ざかっていく命の懸かったネゴシエーションを背中に受けつつウメノチカラはチームメイト達に小さくガッツポーズをしてみせる。

 返答はより大きな快哉とガッツポーズで示された。

 

 迷いは消えた。後は走るだけ。

 はしゃぐ少女たちの後ろを、鼻にガーゼを貼った若者がカメラを提げた小太りの記者に負けじと走り回っていた。

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