少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第42話

 自分のミス。自分のミスだ。

 ウマ娘を指導する立場でありながら重要なレースを控えた状況で担当を夏負けにするなど監督不行届も甚だしい。

 自分は緩んでいたのか、だとすればどこからだと頭の中を駆け巡る自責の念を強引に押し除けてトレーナーは顔を上げる。

 今すべき事は後悔ではなくこの現状から立て直すプランを練る事だ。力のない目で天井を眺めているシンザンにトレーナーは努めて冷静に話す。

 

 「ひとまずは命が無事で良かった。合宿はここで切り上げて学園に戻ろう。ちゃんとした設備があるところで治療を受けなきゃならない」

 

 「はぁい・・・・・・。・・・・・・あたしが動けない間、あんたはどうするの」

 

 「夏合宿中はまだやる事があるから俺はここに残る事になる。その間に体調が復帰してからのトレーニング内容も考えておくよ」

 

 「トレーナーさん」

 

 「何だ?」

 

 シンザンが目の動きだけでトレーナーを見る。

 全ての気力を削がれても考えるべきところに気付いてしまう、彼女が常日頃から息をするように発揮しているその優秀さがいま己の首を絞めているというのは如何なる皮肉か。恐らくは自分でも答えが分かっている質問を、シンザンはそれでも手を伸ばすように口にした。

 

 「そのトレーニングは、鍛えるためのものかい?」

 

 「・・・・・・焦るなシンザン。一足先に戻って休め。今のお前に必要なのは一にも二にも静養だ」

 

 「・・・・・・そうだねえ」

 

 トレセン学園の競走ウマ娘たちは二ヶ月の夏合宿で大きく実力を伸ばす。

 そしてアスリートが一週間の停滞で被る損失は一ヶ月ではきかない。

 伸び盛りの期間を油断なく咀嚼する彼女らに対する数週間のブランクでどれだけの差が生まれるのかは現役の彼女らよりもトレーナーの方が知っている。

 シンザンも察しているのだろう。

 これからの自分の目標が『どれだけ強くなれるか』ではなく、『()()()()()()()()()()』まで大きく下方修正されていることを。

 準備が整ったスタッフ達が病室内に入ってきた。これからシンザンはトレセン学園まで搬送されて治療を受ける事になる。

 入室してきた彼らと二、三の言葉を交わし、トレーナーはシンザンの手を握った。

 

 「信じろ。俺と、何より自分を」

 

 強くそう言った。

 激励と説得と自分への鼓舞、それら全てを伝えんと言葉と手に力を込める。彼女がそれを汲み取れたのかを知る術はない。ありがと、と彼女が浮かべた笑顔を信じてトレーナーは部屋を出る。

 

 

 「ごめんね」

 

 

 微かに聞こえた謝罪の声。

 壁に叩きつけそうになった拳を全力で収めてトレーナーは歩き出す。

 

 

     ◆

 

 

 「夏負け!!??」

 

 シンザンが倒れたという大ニュースは瞬く間に広まり、そしてウメノチカラは叫んだ。

 夏合宿中に厳しいトレーニングでバテてしまうウマ娘はいる。

 陥りがちな躓きではあるが、今回ばかりは話の規模が違う。

 

 「このタイミングで・・・・・・? 菊花賞はどうなるんですか!?」

 

 「出走辞退って事はないはずだ。菊花賞は秋だし、体調を整える時間はある」

 

 「体調が戻ってもその後は・・・・・・、そこから戦えるようになるまでどれだけかかるか分からないのに・・・・・・!」

 

 「万全の状態とはいかんかも知れんな」

 

 「くそッッ!!」

 

 ダン!!とウメノチカラがテーブルを叩く。

 俯いたその顔は怒りと痛恨に歪んでいた。

 

 「何をやっているんだあのバカは・・・・・・! 認めん、認めんぞ! 私の復讐がこんな、こんなケチの付いたレースになるなんて!! 誰より強かったアイツに勝たなければ、私の決意はなんだったんだ!!!」

 

 「落ち着け。ウメ」

 

 吼える担当ウマ娘を古賀は静かに諫める。

 

 「起きちまった事は起きちまった事だ。そして俺達がやるべき事も変わらん」

 

 「冷静でいられる訳ないでしょう! トレーナーは何も思わないのですか!! 枯れ木みたいになったシンザンに勝ったところで私は何も報われない!!」

 

 「思う事ならある。あれだけのウマ娘が本番が危うくなるようなコケ方をするなんて『トレーナー』として極めて残念だ。・・・・・・しかしな、ウメ。俺は同時に信じてもいる」

 

 「・・・・・・信じている、ですか?」

 

 「ああ。シンザンというウマ娘の強さをな」

 

 腕組みをしたまま古賀は語る。

 何人ものウマ娘を観察・分析する内に備わった目。彼女達のような本能ではなく、理論と経験で捉える本質。積み上げた過去に裏打ちされた断言は、現役であるウメノチカラをして真に迫っていると感じさせた。

 

 「シンザンは絶対に夏負けを跳ね除けて舞台に立つ。彼女の強さは桁外れだ。それはライバルのお前が一番知ってるだろう。そして何より俺にとっては───()()()()。あいつなら間に合わせる。絶望的な状況だろうとあいつなら必ずシンザンを最前線へ押し戻すはずだ。俺達に緩んでるヒマなんぞ無い」

 

 「・・・・・・っ」

 

 ウメノチカラにとってのライバルがシンザンなら、古賀(トレーナー)にとってのライバルはシンザンのトレーナー。二人が揃えば逆境は引っくり返ると彼は言う。

 彼女らが『トレーナー』について知るのは実績のみ。その手腕は同じトレーナーのみぞ知る。そして学園で名の知れた彼がシンザンのトレーナーを脅威と言うならば、シンザン復帰の可能性は充分にあるのだ。

 

 「明日も早い、ウメももう休め。シンザンが病み上がりでレースに出るのなら、尚のこと強くならなきゃいかん。・・・・・・いざ念願の勝ち星を上げた時、『シンザンが万全なら結果は違った』なんて言われないためにな」

 

 「・・・・・・そうですね。私達は、やるべき事をやりましょう」

 

 一礼して退室するウメノチカラ。

 相変わらず真っ直ぐなやつだと古賀は微笑む。

 万全の自分をぶつける相手は万全でなければならない、万全の憧れを倒さなければ意味がない───気持ちは分かる。『もしも』の余地が介在しない位に純度の高い勝利を求めているのだ。

 それを手に入れてこそ憧れを超えた、復讐を果たしたと言える。あの夜に本音を引き出してからというもの、不器用さは顕在化したが彼女のメンタルは間違いなく強くなったと実感できる。

 背凭れに身体を預けて長く息を吐く。

 ライバルは万全でなければならない。理解できる。

 競技者の自負と価値観にはずっと間近で触れ続けてきた。

 

 だが、『トレーナー』としての価値観は違う。

 

 

 「チャンスだなあ」

 

 

 古賀は、確かにそう言った。

 『トレーナー』の役目とは何か?

 ウマ娘を鍛える事とウマ娘を勝たせる事、極端な話それに尽きる。その為の不安要素はトレーナー側が潰して回るのが常。夏負けなどただの監督不行き届き。

 才能あるウマ娘が万全の状態で走れないのはトレーナーとして残念・・・・・・古賀がウメノチカラに言った事は嘘ではない。ただ勝負事としてのシビアさを、『トレーナー』は競技者とは別の形で持っているというだけだ。

 ───とはいえ、あいつが夏負けを起こさせるか。

 じょり、と古賀は顎ひげを撫でる。

 ウマ娘のケアに何より敏感なあの男がこの手のリスクを忘れるとは考え辛いが、何か意識から漏れるような事でもあったのだろうか?

 流石に三冠がかかったレースを前にしては緊張で綻びも起きるか?

 あるいは他にやらねばならない事が一気に増えて意識から零れ落ちたか・・・・・・まあ、それはいい。

 

 「リベンジには絶好の潮じゃないか。チカミチ」

 

 敵の不調は万々歳。

 ウメの前では言えんなあ。

 背凭れを軋ませ、古賀は皮肉そうに口角を曲げて天井を仰いだ。

 

 

 

 やらねばならない。やるべき事を、だけではない。やらねばならない事をだ。

 こんな事になるならあんな条件など───、湧いて出そうになった後悔を張り切って彼は前を向く。

 あの時はあれが最善だったし、予定や思惑が外れた展開などレースの世界ではごまんとある。肝心なのは選択を悔やむ事ではなく選択を糧に進む事なのだと、彼は後悔の中で学んでいる。

 

 「大変な事になったわね」

 

 「ああ。お陰様でこんな時にシンザンの側にいることも出来ないな」

 

 「それは辛いわね。私達には関係ないけれど」

 

 「一言多いぞ」

 

 「貴方もでしょう」

 

 いつもの時間にいつもの部屋。

 約束通りの集合だが二人の空気は硬い。

 どんな状況であれ意見の質の低下は許さないという静かな圧を感じながらトレーナーは桐生院の向かいの椅子に座る。

 テーブルの上に重ねられた紙の束には、何らかのデータが綿密に記されていた。

 

 「始めましょうか」

 

 ああ、と短く答えるトレーナー。

 これはシンザンに対する裏切りに他ならない。

 しかしこの必ず彼女の益に繋がる。

 

 だから今だけは鍛えるのだ。

 シンザンのライバルであるカネケヤキを─────。

 

 

 

 『シンザン、(やまい)重し』。

 日本のレース界にもたらされたその情報は世間を仰天させ、殊にトレセン学園の周辺は凄まじい騒ぎとなった。

 合宿所にいるトレーナーの元にも大勢の記者が訪れたが、シンザンの声を聞きたがる記者の群れがトレセン校門の校門にも押し寄せ、屈強な警備員に拳で撃退されるという騒ぎが連日のように発生。このままでは対処が難しくなるとしてトレーナーは、記者の対応のために一時合宿所から呼び戻された。

 夏負けの原因。これからのプラン。

 責任の追求。

 出走辞退の可能性。

 記者たちの顔には一様に緊張と焦燥が見て取れた。

 恐れているのだ。かつて戦火の中で灯った光が、数十年ぶりの夢が()()潰えてしまうことを。

 第三者の反応を間近で食らうといよいよ状況の逼迫が肌に食い込んでくるように感じる。横殴りの雨のような取材を経て疲労したトレーナーは、戻る前にシンザンの見舞いに行く事にした。

 

 「やあ」

 

 毎日リンゲル注射を受けてもシンザンはまだ動かないらしい。

 厚く敷かれたベッドの上に寝転んでいる彼女は、点滴を繋がれている方とは逆の手を上げる。

 

 「シンザン。調子はどうだ」

 

 「良かあないね。身体があの蹄鉄になっちまったみたいだ。ったく、身体が丈夫なのが自慢だったのにこれじゃああたしも上がったりだよ」

 

 「焦ることはない。今は寝るのが一番のトレーニングだ。何か必要なものはあるか?」

 

 「何も。その辺は周りの人が色々と助けてくれてるからね。他所で他のやつに(うつつ)を抜かしてるどこぞの誰かとは違って」

 

 「ん?」

 

 「沢樫さんから聞いたよ。向こうで何をやる事があんのかと思えばあんた、ケヤキを鍛えてやってるらしいじゃないか」

 

 「ああ・・・・・・」

 

 「驚いたねえ、まさかそれであたしが放っとかれてるたあ思いもしなかったよ。あたしにあんだけ調子良いコト言ってたくせして走れないなら用はねえって訳かい」

 

 トレーナーの方を見ず、窓の外を眺めながら淡々と言葉で詰めていくシンザン。

 ───ああ、これはかなり参っているな。

 自分に対する不平不満など日頃から垂れ流している彼女だが、こういう皮肉めいた物言いを普段の彼女はしない。自分の意思や感情を伝えるのに婉曲表現などという『無駄』なものは使わない。自分の身体すら思うままにならない状況に強いストレスを感じているのは明白だった。

 とはいえ非は完全に自分にある。

 が、決してシンザンに興味を無くした訳ではない。

 普段の彼女がそうであるように、トレーナーもまた、言い訳や釈明ではなく事実を淡々と述べた。

 

 「不快にさせているのはすまない。けど乗り換えようって訳じゃなくて、元々合宿が始まる前から桐生院さんとそういう約束をしてたんだよ。俺の知見を使わせてくれって」

 

 「合宿前からの約束だから何だってんだい。どのみち相手にくれてやるなら利敵もここに極まれりだ」

 

 「勿論タダじゃないぞ。こっちも相応に重要なものを貰ってる」

 

 「何を?」

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここで初めてシンザンはトレーナーの方を向いた。

 意図が分かるような分からないような答えを返してきた彼にじとりと訝る視線を送る。

 

 「・・・・・・そんなの貰ってどうすんのさ。あたしのトレーニングに生かそうってのかい?」

 

 「いや、シンザンとカネケヤキじゃ必要なものが全然違う。生かすのはトレーニングじゃなくてレース展開にだな。トレーニングメニューを見ればそのウマ娘がどこを伸ばそうとして何を克服しようとしてるのかなんて()()()バレる。次に出走するレースが分かってるなら戦略そのものが筒抜けだ。最有力の一角の動向をリアルタイムで掴めるのは大きいぞ」

 

 しばし黙考するシンザン。

 この取引がトレーナーならではの視点と利益に基づいた相互扶助だというのは理解した。リアルタイムで情報を更新し続けられるメリットには確かに知見を差し出す価値はあるだろうが・・・・・・彼女にはどうにも引っかかるものがあった。

 

 「話は分かった。けどそれあんた相当()()()()よね。言ってみりゃ知見なんて論文やら何やらで自前で収集できるだろ? 聞く限りじゃケヤキ側の損がでかすぎないかい?」

 

 「向こうは収集する時間すら惜しかったんだよ。その理由については・・・・・・俺の口から言うべきじゃないな。菊花賞前に『月刊綺羅星』の合同インタビューが入ってる。その時にカネケヤキの方から発表があるだろう」

 

 「? そりゃどういう───」

 

 その時、シンザンは察した。その聡明さで事態を悟って、トレーナーは悟られた事を悟る。

 訝しむ顔から一転、シンザンはぽかんと口を開けた。

 

 「ありゃ。マジかい?」

 

 「マジだよ。多分お前は正解に行き着いてるだろうけど他言無用だぞ」

 

 「分かってるよ」

 

 腕時計を見る。

 これ以上いても静養の邪魔になるだけだ。

 話すべき事は全て話した。後は動くだけ。

 己の責務を果たすため、転んだ先を歩くため、彼はしばしの別れを告げる。

 

 「お互いにやるべき事をやろう。俺はシンザンを復帰させるためのプランを持ち帰る。お前はそれに備えて身体を治すんだ。・・・・・・カネケヤキもウメノチカラも、俺達を待ってはくれないからな」





 何ヶ月ぶりだよ。
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