少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第43話

 

 「いいぞニセイ! ラスト一本!!」

 

 「はい!!」

 

 猛然と砂を駆り立てて走る鹿毛。

 腕の振りや脚を置く位置、そして重心。身体に意識を行き渡らせ、パズルのピースのように理想とするフォームに動きを当て嵌めて定めた距離を疾駆する。

 合宿が始まったばかりの頃は鉛のように重く感じた砂を力強く蹴り立て、その日一番の渾身の走りでバリモスニセイは今日のメニューを終えた。

 

 「よっしゃ、確実に合宿の成果が身に付いてきてるな。この調子で行きゃあ万全の状態で菊花賞に───」

 

 「トレーナーさん」

 

 肩で息をしながらもハッキリと遮る。

 糾弾しているのではない、しかし一切の誤魔化しを許さないその真っ直ぐな眼差しは、確実にトレーナーの浅い配慮を引き裂いた。

 

 「その『万全』は、()()()()と張り合えるくらいのものですか」

 

 その問いを受けて一瞬怯む。

 トレーナーは何も偽っていない。バリモスニセイの合宿は極めて順調であり、大きく躓いたりしない限りは言った通り万全の状態で菊花賞に臨めるだろう。

 しかし彼女の元々の適性はマイラー。三千メートルの菊花賞は相当に分が悪く、それは彼女も承知の上。それでも強敵に喰らい付かんとする気概をトレーナーは買っていたつもりだったが、彼は彼女を甘く見ていたと言わざるを得ないだろう。

 気圧されて一秒。

 己を恥じて一秒。

 剥き出しの心を受け取ったトレーナーは、同じように彼女が望む剥き出しの事実を突きつけた。

 

 「・・・・・・いや! まだ足りねえな!!」

 

 「はいッッ!!」

 

 むしろ嬉しそうに走り出す。

 まるで己の未熟を喜ぶような、己の伸び代に胸を躍らせるような姿。

 天高く聳える壁を前にして一体どれだけのウマ娘があんな顔でいられるだろうか。

 指示されるまでもなく自主トレを開始した彼女に、トレーナーは彼女の器を改めて実感した。

 

 「今日はありがとうございます。先輩の知見、(しか)と受け取らせて頂きました」

 

 「お役に立てたなら何よりです」

 

 息を整えながら深々と頭を下げるウメノチカラに礼を返す鹿毛のウマ娘。

 同じように夏合宿に参加していたシニア級のグレートヨルカとの合同トレーニングはウメノチカラに大きな成果を(もたら)していた。

 昨年という直近の菊花賞をウメノチカラと同じ状況で走り、そして制したグレートヨルカの経験が彼女に(あつら)えたように当て嵌まったのだ。

 しかし驚くべきはこの合同トレーニングを打診してきたのはグレートヨルカの方だったという事だろう。

 彼女とて走者として円熟を迎えた現役のシニア級、その最後の夏合宿。下級生に胸を貸す余裕などそうあるはずもない。にも関わらず後輩の自分に利する事を優先した理由を、必然的にウメノチカラは尋ねた。

 

 「あの、ヨル先輩。今日は何故私に指導をつけて下さったのですか?」

 

 沈黙が返ってきた。

 何か明確な意思や目的があるものと思っていたウメノチカラが予想外の反応に戸惑うが、やがてグレートヨルカは口を開く。

 どこか遠くを見るような彼女の返答はおよそ質問の答えとは言えない何の関係もないものだったが、その述懐の始まりにはウメノチカラにも深い因縁を持つ名前が含まれていた。

 

 

 「夏合宿の前、私はシンザンさんと話しました」

 

 「!!」

 

 「貴女は私と同じです。圧倒的な力を持つ好敵手に何が何でも勝ちたくて、そうしなければ前に進めなかった。私はその為に努力を重ね、そしてそれは報われました。・・・・・・考え得る限りにおいて、最も望まない形で」

 

 ウメノチカラの背筋に緊張が走る。

 有名な話だ。()()()()()

 ある種の寓話のような去年の菊花賞、その中心にいたグレートヨルカにとってあのレースは正に悪夢だったのだ。

 

 「シンザンさんはあの時の『彼女』に似ている。己の力に酔い、驕り、それ以外を目に映していない。シンザンさんは慢心の前に自然の事故に刺されたようですが・・・・・・」

 

 ふ、と自嘲の笑みを浮かべるグレートヨルカ。

 

 「私は今もあのレースに囚われ続けているんです。シンザンさんを諌めようとしたのも、こうして貴女に助力したのも、結局は私自身が満足するため。もう勝ち負けなんてどうでもいいから、せめて全霊の勝負がしたかった・・・・・・そんな夢を貴女たちに投影しているだけなのです」

 

 一度の勝利が生涯のトロフィーになる事もあれば、一度の敗北が深く残り続ける傷になる事もあるだろう。・・・・・・ならば渇望してやまなかった栄冠が、それを掴んだ手の中で下らないガラクタに変わった時はどうなる?

 失望を胸の中で延々と膿ませ続けたグレートヨルカの心は、今もあの秋の京都の中にいる。

 

 「ウメノチカラさん」

 

 グレートヨルカは鏡を見ている。

 シンザンは『彼女』に似ていて、ウメノチカラは自分に似ていた。

 まるで時間が巻き戻ったような二人の在り方に、彼女は思い出そうとしていたのかもしれない。何よりも熱く燃え上がっていた、一年前の同じ頃を。

 

 「シンザンというウマ娘は、貴女の全力に応えてくれますか」

 

 「はい」

 

 そんな想いを背景にした問いに、ウメノチカラは即答した。

 

 「私も悩みました。私は最後の冠を、全力のあいつと奪い合えないのではないかと。しかし今は確信しています───私以外の何物にもシンザンは負けない。あいつは必ず万全の状態で菊花賞の芝に立つ」

 

 「・・・・・・」

 

 「ヨル先輩。誰かの想いを背負って走るのが競走ウマ娘なら、それは私の本懐でもあります。私は誰かに笑ってもらう為にレースを走っています。私に期待してくれる人、私を信じて見守ってくれる人、私が強い事を喜んでくれる人。・・・・・・そして、私の脚で笑顔にしたい人」

 

 がしっ、とウメノチカラはグレートヨルカの手を取り、強く握る。

 夢の跡に立ち続ける彼女を真っ直ぐに見つめ、ウメノチカラは強く言い切った。

 

 「先輩の夢も私が背負って走ります。だから見ていて下さい。私が全力で競い、そして勝つところを」

 

 見開かれたグレートヨルカの瞳が僅かに震える。

 噛み締めるように引き結び、そして解けた唇が、「託します」と小さな声で音を紡ぐ。

 それはまるで微笑むような、背中にのしかかっていたものをようやく降ろせたような、そんな顔だった。

 

 「大丈夫よ。想定の範囲内だわ」

 

 「はい」

 

 少し不安が残ったトレーニング後のミーティング。

 入念なチェックの後、担当ウマ娘を安心させるためしっかりと断言した桐生院にカネケヤキは頷く。

 不安も動揺もなく、ただ腹に覚悟を括った者の姿。

 為すべき事を為さんとする、不転の意思の表れだ。

 三者三様、焼け付くような日差しの下で一心に己の脚を研ぎ澄まし────

 

 

 

 そして主役を欠いた夏合宿は終わった。

 八月の下旬、朝夕と涼風が立ち始め、驟雨が時折に太い雨足を屋根に叩きつけて通り過ぎていくと、悪夢のような猛暑は秋の気配を見せ始めるようになる。

 桐生院との取引は完遂した上に担当ウマ娘がいない以上その場に留まる理由がないシンザンのトレーナーは、学園が手配しているバスではなく個人の足を使っていの一番にトレセン学園に帰還していた。

 日の昇り切らない薄明の中で車を降り、朝練に励むジュニア級のウマ娘達の声をまばらに聞きながら歩くトレーナーの心は重い。

 そもそもこんな早朝に帰ってきたところで彼女はまだ眠っているだろう。ただ早く彼女の元へ帰らなければ自分がやっていられなかっただけだ。こうした行動など何の意味もないのに。

 ───あれからおよそ一月。

 シンザンの病状はどうなっているだろうか。

 手紙のやり取りは何度かしたがいずれも文面を書いたのは担任や校内医で、本人からの所感は書かれていない。

 本当に快方に向かっているのかと心の靄を濃くしながら歩いていると、そこで自分が無意識の内に保健室へ向かおうとしている事に気付いた。

 

 「・・・・・・いる訳がないだろ」

 

 最も症状が重かった最初期ならともかく、一ヶ月近く経過した今も保健室で臥せっているはずがない。今は栗東寮にいるだろうし、そもそもこの時間ならまだ寝ているだろう。

 担当ウマ娘に劣らず到底普段通りとは言えない自分の状態に肩を落としそうになるも、トレーナーは自分の両頬をぴしゃりと張って気を入れ直す。

 自分がしっかりしなくてどうする。

 これからの計画は練ってきただろう。

 とはいえここまで早い時間に帰ってきても出来る事など何もないので、トレーナー寮に戻って色々と整理しようと踵を返した、その時。

 

 

 「やあ」

 

 

 一ヶ月ぶりの声が聞こえた。

 弾かれるようにそちらを見れば、そこには暁闇の中で定かではないウマ娘のシルエットがある。

 

 「・・・・・・どうした、大丈夫なのか」

 

 「いやね、ようやっと身体が動くようになったからちょっと散歩してたんだよ。そういや昨日で夏合宿は終わりだったかい? 押っ取り刀で帰ってくるとは、相変わらず心配性だねえ」

 

 思わず近寄って肩を掴む。

 押しても引いても揺らがない確かな力を感じた。

 気苦労が一気に噴き出したトレーナーが思わずその場に座り込む。

 

 「やれやれ、我ながら勝手なもんだねえ。ピンピンしてた頃はトレーニングなんて面倒で面倒でしょうがなかったってのにさ」

 

 よかった。よかった。もう大丈夫なんだな。

 内心の言葉が外に出る程に緩んでいるトレーナーの背中を叩きながら彼女は笑う。

 最後に見た時は充血して淀んでいた目には、いつもの底深い光が薄暗い中でも分かる程に輝いていて。

 

 

 「まともに動けやしない間、走りたくてしょうがなかったよ」

 

 

 ───シンザン、復活。

 飢えを覚えた芝の鬼が、空きっ腹を擦りながら目を覚ました。

 

 

     ◆

 

 

 「シンザンさんの今の状態はどうですか?」

 

 「回復しています。ただ身体の調子を確かめつつ行わなくてはならないので、本格的な追い切りは十月に入ってからになるでしょう」

 

 「これからの予定や計画は?」

 

 「大きな変化はありません。これまでのようにトレーニングにレースを織り交ぜながら菊花賞に向けて調整していきます」

 

 「トレーナーの怠慢だという意見もありますが」

 

 「その通りです。返す言葉もありません」

 

 シンザンが倒れた時と同じように復活の報せも瞬く間に広まり、押し寄せてきた記者の対応は病み上がりの彼女に代わってトレーナーが受け持つ事になった。

 質問の内容はやはりシンザンの体調など身体周りのもの、つまり戦えるかどうかがほとんどを占める。熱望された三冠に手が届くかどうか、見たかった夢が潰えるかどうかの瀬戸際に並んだ記者達はどこかピリピリと殺気立っているように見えた。

 そんな中で一人の記者が、そんな事は今まで散々聞いただろうと言わんばかりに流れを切るような質問をした。

 

 「ライバル達の動向についてはどうお考えで?」

 

 「・・・・・・そうですね。調子を上げてきているウメノチカラとカネケヤキが最たる脅威です。バリモスニセイも同様ですが、距離適正的にはオンワードセカンドも要警戒でしょうか」

 

 『毎日王冠』───ウメノチカラ2着。

 『クイーンステークス』───カネケヤキ2着。

 『平安ステークス』───バリモスニセイ2着。

 九月から始まった秋のレースでこの三人は快調な滑り出しを見せており、特にウメノチカラとカネケヤキは重賞レースでこの結果を残している。

 夏合宿で力を着けてまだまだ上り調子といった所だろう。実戦を経て鍛えた身体の使い方を学べばその強さは格段に向上するし、それは現状のシンザンが持ち得ない強みだ。

 一ヶ月のタイムリミットでどこまで鍛えるかではなくどこまで戻せるかの戦い。

 シンザンという才気の器、その真価が問われようとしている。

 

 「出走回避はしません」

 

 改めてトレーナーはそう断言した。

 

 「シンザンも自分も逃げも隠れもしない。彼女は勝つ。必ずや勝たせてみせる。あなた方が想像する何倍も彼女は強い・・・・・・一ヶ月後、歴史に名前を残すくらいに」

 

 彼女の力を全面的に肯定し、そして微塵も疑わない。

 その在り方が『シンザン』のトレーナーに求められるものであり、なればこそトレーナーはこの苦境にこそ大口を叩くのだ。

 まるで一年前の今を思い起こさせる物言いに記者達がざわめく中で、トレーナーは毅然として背筋を伸ばしていた。

 

 その数日後、中山競場。

 最終直線を先頭で駆け抜けていく担当ウマ娘を、彼女のトレーナーが静かに見つめている。

 熱に叫ぶのでもなく快哉に手を叩くでもなく、その眼差しは己の仕事の出来栄えを吟味する職人のように厳かだ。

 そして彼のウマ娘がゴール板をそのまま先頭で通過した時、そのトレーナーは見るべきものは見たとばかりに目を閉じる。

 歓声で全ての音が掻き消されてしまう瞬間、彼は重く、しかしハッキリと断言した。

 

 

 「勝ったぞ。シンザン」

 

 

 「レコードォォォおおおおおッッ!! 『セントライト記念』、ウメノチカラ記録を打ち立てて1着!! ウメノチカラ盤石! 菊の舞台に向けてウメノチカラ盤石であります!!!」

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