『コダマ』。
3年前の『年度代表ウマ娘』にして『最優秀クラシック級ウマ娘』、そしてトレセン学園の生徒会長。
無敗の7連勝で皐月賞と日本ダービーのクラシック二冠を獲得し、ファンだけでなくその外にまで大きな話題を呼んだことはまだ記憶に新しい。
そして戦績だけではない。『剃刀』と謳われたその脚であまり火の強くなかった競走バのブームを巻き起こした、まさに今の時代を象徴するウマ娘だ。
こうして言葉を交わしてもまだどこか現実感が湧いてこない。
テレビの向こうにいた白黒の大スターが今、色のついた姿で自分の前で微笑んでいるのだ。
「・・・・・・入学式で見たとはいえ、こうして目の前にいるとビックリだね。まさかトレーナーさん繋がりでこんな有名人と関わることになるとは」
「俺に谷啓に会わせろって言った奴のセリフか?」
「黙らっしゃい」
「ふふ、そこまで軽口に話せるなら信頼関係は良好みたいですね。どういう経緯でトレーナーさんと芸能界が繋がったのかは非常に気になりますが・・・・・・」
2人のやりとりを微笑ましそうに眺めるコダマ。
奇妙な心持ちだった。
こんなに柔らかく人当たりのよさそうな女が─────いざレースになって芝に立つと、あんな鬼気迫る
もしや双子かそっくりさんか何かなのでは、とシンザンが思い始めていた時、コダマが思わぬことを言った。
「
「えっ」
「ああ、朝練が始まるまでなら大丈夫だよ。それまででよければゆっくり話してて」
トレーナーは平然と了承したが、眼を丸くしたのはシンザンの方だ。
自分も1度は話してみたいと思ってはいたが、まさかこんな形でそれが実現するとは全く思っていなかったのだ。
向こうが自分のトレーナーと関わりがある理由も、自分と話したがっている理由も何も分からない。
それじゃ先に出てるから、とトレーナーがドアの向こうに消え、室内にはコダマとシンザンだけが残される。もしや自分は知らないうちに何かをやらかしてしまったのかと緊張し始めたシンザンだが、コダマは穏やかな空気を纏ったままだった。
「私は以前からあなたの話を聞いていましたが、こうして直接お話しするのは初めてですね」
「え。ああうん、そうだね」
「入学してから2ヶ月ですが、もう学園での日々は慣れましたか? この時期になると、選抜レースの結果や家族と離れている事などで心細さを覚える子もいるんです」
「そこは大丈夫かな。結果は手に入れたし、仲のいい友達もいるしね」
「それはよかったです。もしも何か悩みや不安が出来たら、気軽に生徒会室に来てくださいね。いつでも相談に乗りますから」
生徒会長らしい優しく頼もしい言葉だ。
悩みや不安ではないが、さっきからずっと気になっていた事ならある。
ともすれば危うい事情が出てきそうで聞く事が躊躇われたがあまり放置するのもトレーナーとの信頼関係に関わってきそうなので、シンザンは思い切って踏み込んだ。
「・・・・・・その、さ。トレーナーさんとはどういう知り合いなんだい? 何かしら事情ありきとはいえ、
「あら。聞いていなかったんですね」
少しだけ意外そうにコダマは目を丸くした。
聞いていない方が不思議だということは後ろ暗い何かは無さそうだ。
ひとまずはホッと胸を撫で下ろしたシンザンだったが、続く彼女の言葉には驚愕を禁じ得なかった。
「あの
「・・・・・・、!? え!? そうなの!?」
「そうなんです」
思わず身を乗り出すシンザン。
成程これは知らない方がおかしい─────カネケヤキ達が言っていたのはこれだったのだ。
二冠ウマ娘・生徒会長コダマの活躍を支えた名トレーナー、それが彼。自分がまさかの人物に見初められていたことをようやく理解したシンザンに、コダマは滔々と話を進めていく。
「だから私には、あなたが彼に選ばれた理由が何となく分かるんです。
あなたの様子は彼を経由して聞いていましたし、選抜レースでの走りも見ていました。
他者に揺らがない自意識と、決して大きくはない身体に備わった比類なき脚。
・・・・・・似ていたんでしょう。私と同じ種類の才能を、彼はあなたに見出したんだと思います」
何だか自画自賛みたいになっちゃいましたね、と。
恥ずかしそうに肩を竦めるコダマを前に、シンザンは噛み締めるように目を細めた。
じんわりと胸に染み出してきたのは純粋な喜び。
コダマが言った言葉の意味に、彼女は少しだけ頬を緩ませた。
「・・・・・・そう言ってもらえるなら嬉しいね。テレビの向こうにいた憧れに認められるなら、あたしもここに来た甲斐がある」
「私が憧れ、ですか?」
「あたしに限らない。ここにいる奴は皆、大なり小なりあんたの背中を追いかけてるよ。
今の時代はあんたが創った。
元からいた奴もそうでない奴も、みんな巻き込んで燃え上がらせちまったあんたを見て─────あたしは学園の門を叩いたんだ。
・・・・・・今度は、自分が
「それは、今の私の状況を知っても、ですか?」
「知ってる。・・・・・・
面映そうな顔を少しだけ俯けるコダマ。
シンザンはそれを見た上で彼女の言葉を肯定した。
それを聞いたコダマは、安心したように自分の脚を軽く
─────
別名、『ウマ娘の癌』。
レースに生きるウマ娘たちをしばしば絶望に叩き落とす病だ。
物理的刺激で腱の繊維が切れる・上昇しすぎた体温で腱の組織が変性することが原因となる性質上、優秀なウマ娘ほど発症しやすいというもので・・・・・・・・・
日本ダービーの後で思うような結果の出せない不振の秋に、追い討ちをかけるように屈腱炎を発症。
休養の後に落ち着きを見せたと思った矢先、天皇賞を前にして症状が再発するという、日本を沸かせた二冠の栄光から叩き落とされるかのような仕打ちを彼女は味わっている。
『
「だけど、あんたは最後の最後で大舞台を制した。聴いてるだろ? あの宝塚記念・・・・・・全員があのラストランで上げた大歓声。
不屈の意味はあんたで学んだ。憧れるには充分さ」
「ありがとうございます。復活の証明、有終の美だと讃えてくださる方は多かったですが、しかしこうして真正面から言われると・・・・・・面映いというか、恥ずかしいですね・・・・・・」
頬を染めてはにかむコダマ。
憧れの存在が見せたそう見る機会のない顔に、不覚にもシンザンはときめいてしまった。
まだ『尊い』はおろか『萌え』という表現も存在しないこの時代、形容し難い疼きにギュッと顔のパーツを中心に寄せて下唇を噛んでいたシンザンだったが、直後にふわふわした感情は墜落する事となる。
「だけど、あのひとは引きずり続けた」
ピリッ、とコダマの空気が僅かに変わった。
「私はこの脚をレースに使い切ったことに後悔はありませんし、あのひとも私の意志に応えて全力を尽くしてくれました。
だというのに『ああすれば防げたんじゃないのか』、『こうすれば症状は抑えられたんじゃないか』といつまでもいつまでも。口に出さなければ気付かれないと思っているんでしょうか?
こっちは形だけでも償いになるように、必要でもない脚のマッサージを
「・・・・・・・・・、」
「シンザンさん」
静かな、しかし純粋な怒りだった。
彼女とトレーナーの重ねてきた年月が含ませる言葉の重みは口を挟むことを許さない。
10秒前との落差に気圧されて動けなくなっているシンザンに、コダマはそっと自分の手を差し出した。
「トレーナーとは傲慢なものです。
2人で精一杯努力して、暗闇のなか手探りで掴んできた
・・・・・・信頼する人をそんないじけ虫にしたくなければ、どんな状態でも結果を出すしかありません。
だから────どうか勝ち続けてください。
あなたたちが残した歴史に、もしもの余地が入らないくらいに」
「・・・・・・言われるまでもないさ」
愛憎半々って感じかね─────
コダマの気迫に、そんなメロドラマみたいな感想を抱きながらシンザンは彼女の手を握り返す。
『勝ち続ける』。言われるまでもない。こっちはそのつもりでここに来ているのだ。
しかし自分は勝つ気しかしていないので問題ないが、もしトレーナーと自分が組まなかったら他の生徒がこの圧を喰らったのだろうか?
それはちょっと可哀想だね─────とりとめもなくそんな『もしも』を考えていた時、コダマの手を握っていた自分の手に圧力がかかる。
握る力が強くなっている。
今度はなんだとやや身構えたシンザンに、コダマはぽつりと話しかけた。
「先程も言いましたが、あなたの話はトレーナーさんから聞いています。・・・・・・間違いなく素晴らしい素質を持ってはいるが、どうにも練習の態度に問題がある、と」
冷や汗が出た。
不味い。この流れは非常に不味い。
この話の流れでこの話題に触れたということは、これから洒落にならない詰め方をされる。
及び腰になったシンザンだがしかしコダマの口調は穏やかなままで、そして手の力は緩まないままだ。
「そこについては何も言いません。気性はウマ娘それぞれですし、あの人はそれに沿ったトレーニングメニューを組む。少なくともあなたが怠けることはないでしょう」
「う、うん。真面目だよ。サボってなんかないよ」
「ですが周囲は正直なものです。人はあなたを
結果で語るのはあの人の流儀ですが、その過程で侮られるのに無頓着なのは相変わらずですね。
そして今その嘲笑を
みしり、と手の中で音がする。
コダマの両手で包むように握られたシンザンの手の骨が軋んでいるのだ。
まるでその言葉を、痛みによって相手に刻もうとするかのように。
眼鏡の奥の目を細め、口元だけの微笑みを浮かべつつ彼女は言った。
「あの人の名に泥を塗らない走りを───どうか、お願い致しますね」
◆
腕時計を見る。朝練が始まる時間。
トレーナー室を見るとちょうどドアが開き、シンザンと自分に一礼したコダマは校舎へと戻っていく。
────脚の症状は落ち着いてるな。
彼女の歩様を見て安心しているトレーナーの元に、ぷらぷらと右手を振りながらシンザンがやってきた。
「時間ピッタリだ。何を話してたんだ?」
「あの人をよろしくお願いします、だって。生徒会長のトレーナーやってたなら言ってよ、あたし恥かいたじゃないか」
「え、手前味噌だけど有名な方だから知ってると思ってた。本当にトレーナーの下調べもしてなかったのか・・・・・・」
「誰がトレーナーでも勝つって思ってたからね。それであんたを引き当てたんだからやっぱりあたしは
「すごい自己肯定感だ」
感嘆した様子のトレーナー。
自分という存在をどっしりと中心に据えた彼女の在り方には驚かされるばかりだ。
ゲート内での様子から読み取れた通りメンタルが非常に強い・・・・・・というか、『自分』以外の要素を意識的に自分の中から排するのが上手いというべきか。
いずれにせよそこから発揮される集中力は強い武器になるだろう。
「さて、シンザン。今日からトレーニングのメニューを変更する」
「うん?」
「これからは筋力トレーニングとスタミナの増強を重点的に行う。心肺機能の強化でプールを使うことも多くなるから水着の用意は忘れないように。走りは理想的なフォームを徹底的に覚えていこう。速度は出さなくていいから、丁寧な形で走るんだ」
・・・・・・・・・、と。
何でもないように伝えられたその内容に、シンザンは少しだけ呆気に取られた。
自分を変えようとするのではなく、
自主トレのメニューについてああでもないこうでもないと悩むルームメイトを見ているため、メニューを組むにも正確な知識と少なくない労力が必要なのは理解している。
それを走らない自分に合わせて、こうもあっさりと変更してのけたのだ。
「どうしたんだ?」
「いや。コダマさんの言う通りだと思ってさ」
「え、俺の話してたの? なんて言ってたの、ねえちょっと気になるんだけど」
「・・・・・・大した事じゃないさ。あんたに憧れてここに来ましたって言ったら、あの人が私を育てたんですって返ってきただけだよ」
「なんだ、お前コダマに憧れてたのか? それなら早く言ってくれよ、もっと早くに会わせてやれたのに。
まあ何を話してたのかは分からないけど・・・・・・どうだった。『憧れの先輩』と話してみて」
「んー、そうだね・・・・・・」
期待するように弾むトレーナーの声。
シンザンは少しだけ考える
重く厳かな声で、ぼそりと呟く様に言った。
「あの女すっげえ怖い」
「わかる」