少女が神に至るまで ─ウマ娘プリティーダービー─   作:嵐牛

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第9話

 それ以降シンザンはトレーニングに対する姿勢が少しだけ改善し、嫌いなメニューを行う際に上げる鳴き声も少しだけ緩和された。

 決意の割には表に反映された割合が少ないようにも感じる、他者から見れば気付かない程度のものだったが、それはトレーナーから見れば確かな成長の一歩であった。

 

 そしてまた少しばかりの時が流れる。

 季節は秋。残暑も消えた11月の10日。

 

 舞台は京都レース場。

 入学以来『新参』と揶揄(からか)われ続けた、推定大器のメイクデビューが始まる。

 

 

     ◆

 

 京都レース場の距離1,200。

 シンザンが初めて走るレースの条件はそれだ。

 1,200メートルは短距離に分類される長さであり持久力を持ち味とする彼女には噛み合わないように見えるが、メイクデビューで走る距離といえば凡そこんなところだ。

 初めての実戦でトレーニング通りのパフォーマンスを発揮する事は難しく、緊張やプレッシャーで速く走る事しか考えられなくなるウマ娘も少なくない。

 つまりこの位の距離は、ペース配分を意識できずとも走り抜けられはする長さなのだ。

 勝って門出となるか負けて未勝利戦へと突入するか、どちらになってもここで実戦の空気や感覚を掴んで次に繋げる。

 そしてパドック前の観客席最前列で始まりの時を待っているウマ娘たちは、いずれも無事に門出を終えた者達だ。

 

 「こうして見ていると妙な気持ちですね。シンちゃんのメイクデビューの日なのに、彼女がもうすぐそこに現れるって実感がまだ無くて」

 

 「気持ちは分かる。あいつは目立つ舞台に上がるイメージが何となく湧かないからな。気付けば飄々とそこにいる奴というか」

 

 ウメノチカラとカネケヤキ。

 それぞれ1週間前と先月にメイクデビューを迎え、共に1着を勝ち取って華々しくデビューを飾った2人だ。

 その傍らにはまだデビューを迎えてはいないが、1年生(ジュニア級)の中でも実力は確かだと(もく)されるバリモスニセイもいる。

 

 「控え室で話した時も緊張の欠片もありませんでした。流石に気が抜け過ぎているのではないかとも思いましたが、あのメンタルコントロールの巧さは私も本番前に身に付けたい所です」

 

 「そっか、リセイちゃんのメイクデビューは12月でしたね。ただあれはメンタルコントロールというか何というか・・・・・・」

 

 「あれはただ図太いだけだ。それに力を発揮するには適度な緊張は必要だ、リラックスしていれば良いという話でもない。トレーナーがそこを引き締めてくれればいいが」

 

 「チカちゃんがそう言っても『へーきへーき』って笑うだけでしたもんね。固くなるよりはいいかもしれないけど、少し心配です」

 

 「糠に釘だ。いい加減理解した、あいつは自分のペースでしか動かない・・・・・・というか私の名前をそう略す奴は初めてだ」

 

 『京都レース場、第3レース。出走するウマ娘たちの紹介です。1枠1番──────』

 

 「!始まりました」

 

 アナウンスが流れ、出走するウマ娘たちのお披露目が始まった。

 据え置かれた舞台の赤、開いたカーテンの向こうから名前を呼ばれたウマ娘が歩いてくる。

 彼女らの反応は十人十色だ。

 自信満々に胸を張っている者や緊張で硬くなっている者。初陣故にその時のコンディションが如実に動きに現れる。いずれも長年のレースファンから見れば初々しく微笑ましいものだ。

 初めて実戦の芝を踏む者たちのお披露目が進む。

 そして開かれた赤いカーテンの向こう、ウメノチカラたちが応援する鹿毛のウマ娘が現れた。

 

 『続いて3枠3番、シンザン。1番人気です』

 

 胸を張るでも緊張するでも無く。

 名前を呼ばれたシンザンが、てくてくと普段通りの歩様で登場した。

 身体のどこにも強張りが無いのはいいが、これからレースを走る者にしてはボサッとしているというか何というか。

 パドックでは『肩に掛けた上着を勢いよく脱いでみせる』というお決まりの所作があるのだが、シンザンはそれもまともにやらなかった。

 トレーナーにジェスチャーで指示されてようやく肩の上着を脱ぐが、派手に翻すどころか手に持ち直しただけ。

 この場の誰よりもやる気の感じられない彼女は、露骨に「ここ要る?」とでも言いたげな顔をしていた。

 

 『緊張はしていない様子ですが、あまりレースに気が入っていなさそうですね。出走前にコンディションをどこまで戻せるかが問題になりそうです』

 

 「枠番はかなり恵まれしたが・・・・・・パドックであそこまで面倒臭そうにしているウマ娘は初めて見ました。それでも1番人気なんですね」

 

 「選抜レースの印象が残っているんだろう。勝者こそ私だが、あのメンバーの中なら1番走りで()()()()()()のはアイツだからな」

 

 「とはいえ結果は分かりませんね。確かにあの時は2着ながらに圧倒されちゃいましたけど、その後はあまり真面目にトレーニングしていない様子しか知りませんから・・・・・・」

 

 ────うーん。こりゃ駄目かなあ。やってくれそうだと思ったんだけど。

 ────調整不足か? あの様子じゃ次の未勝利戦でリベンジする事になりそうだ。

 やはり周囲も期待の言葉より不安の声の方が多い。

 そんな騒めきもどこ吹く風でシンザンは再びカーテンの向こうへと消えていく。

 注目は次に現れた意気込みも露わなウマ娘に移り、シンザンの話題は調整失敗で片付けられてお終い。

 パドックでの紹介が終わり、ウマ娘たちは地下道を通っていよいよレース場へと向かう。

 皆が光差す出口へと歩いていく中で、あまりにもボンヤリしていたシンザンの様子をトレーナーが見に来ていた。

 

 「どうした。何かあったのか」

 

 「いやさ、パドックって必要かい? 走ってるところを見せれば充分じゃないか」

 

 「見に来てくれたファンへの挨拶だ。蔑ろにするんじゃない」

 

 「あと観客が少ない気がするねえ。あたしだよ? あたしがデビューするってのにだよ?」

 

 「・・・・・・デビュー戦はそんなもんだ。もっと沢山の声援が欲しければこれから勝ちを重ねるんだな」

 

 「はーい」

 

 結局は個人的な不満だったらしい。

 唇を尖らせて不承不承返事をしたシンザンに、心配の肩を透かされたトレーナーががくりと肩を落とす。

 ・・・・・・だが、彼女はこういう性格だった。

 やりたくない事はやりたくない。

 自分が高級であることを疑わない。

 ならば自分が今彼女にするべき事は、心配や励ましなどではないだろう。

 顔を上げたトレーナーは、彼女の顔を真っ直ぐに見据える。

 

 「シンザン」

 

 「うん?」

 

 

 「勝ってこい」

 

 「当然」

 

 

 くるりと軽快に背を向けてシンザンは歩き出す。

 勝負への不安も敗北への恐れもそこにはなく、どこまでも自然体な姿だ。

 図太いのはそうだろう。だが呑気とは違う。

 心乱れる理由が無いだけだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (そうそう。それでいいんだよ)

 

 喧騒が近付く。

 出口から差し込む光が強くなるにつれ、芝の匂いと空気の動きが強くなっていく。

 歩みを進める程に広がっていく四角く切り取られた風景は、音のない地下道からはどこか現実離れしたものに感じられた。

 しかし、そここそが現実。自分の戦場。

 パドックから続く地下の道、ひととき覚悟の猶予を与えてくれる出口から、彼女は初めての一歩を踏み出した。

 

 「あんたが見初めた女は、こんな初っ端で負けやしないんだから」

 

 そして視界が大きく開ける。

 今までは白黒で見ていた景色が、いま鮮やかに色付いて挑戦者たちを迎え入れている。

 観客達が今か今かと見守るターフ。

 夢へと至る階段の1歩目。この日より我こそ(さきがけ)たらんと心を燃やす者たちの戦場に今日、シンザンは降り立った。

 

 

 「ねえ。シンザンってあんたよね?」

 

 いよいよゲートインの時間が迫る。

 軽く身体をほぐしていたシンザンに出走者の1人であるウマ娘が話しかけてきたが、どうやらあまり友好的ではないらしい。気に入らないという感情が視線にありありと表れている。

 そして彼女はその感情を視線だけに留めておく気はないようだった。

 

 「何なのあの態度。みんなが今日デビューしようって時にどうしてあんな面倒臭さそうに出来るわけ」

 

 「んー?」

 

 「普段の練習もあまり真剣じゃないって話も聞くし、みんな努力してここにいるのに恥ずかしいと思わないの?」

 

 「んん」

 

 「聞いてる? ふざけてるの?」

 

 「ん」

 

 どんどん返答の文字数が減っていく。まるで小石にぶつかった程度にしか反応していない。

 格下と思っている相手に明確に流されている事に苛立ってか、彼女の言葉がだんだんと荒くなっていく。

 

 「・・・・・・本っ当、なんであんたなんかがあのトレーナーの担当になったのかしら」

 

 舌打ち混じりの暴言。

 そうだったとしてトレーナーが覚えているかは怪しいが、もしかすると彼女は選抜レース前に彼にアタックを掛けていたウマ娘たちの中の1人だったのかもしれない。

 恐らくはやっかみが多分に混じった彼女の毒は、反論がないのに背中を押されて加熱していく。

 

 「ま、今回のレースの結果であんたもトレーナーも目が覚めるでしょ。何ならレースが終わってあんたが契約解除された後、あたしが─────」

 

 「そりゃ無理な話だ」

 

 言い切った。

 無関心を貫いてきたシンザンの突然の断言に、暴言をシャットアウトされたウマ娘が面食らう。

 面倒だと切り捨てたのか、そうまでする価値も感じなかったか。どちらでも無かったにせよ、シンザンは彼女の事を眼中にも入れていなかったに違いない。

 何故ならこの時、シンザンが彼女の顔を見る事は最後まで無かったからだ。

 

 「あいつを笑わせるのはあたしだ。あたしがそう決めたからね」

 

 

 

 そしてファンファーレは鳴る。

 各ウマ娘がゲートに収まり、京都レース場は束の間の静寂に包まれた。

 今か、今か。まだなのか。

 密室で高まっていく緊張と焦燥を集中力で抑えようとする彼女らの中で、そのウマ娘だけが誰より深い所にいるとこの場の何人が気付いたのだろう。

 ─────自分とゲートとスタートダッシュ、それ以外の全ては無駄。

 その時の彼女に何かしらのインタビューをしたら、そんな返答をされるかもしれない。

 

 そして。

 

 『スタートしましたジュニア(クラス)デビュー戦、各ウマ娘一斉に走り出しました!』

 

 ゲートが開く。

 誰よりも早くシンザンが飛び出す。

 パドックでの気怠げな様子は不調ではなくただの自然体であっただけなのだと、その瞬間に見ていた全員が思い知らされた。

 

 『おっとシンザン早くも抜け出した!早くもハナを奪う素晴らしいスタートを切りました!』

 

 「やはりスタートが恐ろしく強い・・・・・・。選抜レースの時も見ましたが、更に磨きがかかっているようにも見えます」

 

 「集中力と足腰だ。悪い噂は多かったがトレーニングを怠っていた訳ではないらしい。いや、トレーナーが怠けさせなかったのか」

 

 「少なくともパドックの様子は不調じゃなかったみたいですね。メイクデビューであれをやられると凄く怖いです」

 

 『先頭シンザン、いい位置につけました。2バ身離れて5番ホシツキ。その後にアイデンスタンとニホンピローが続きます』

 

 ─────私の時と同じだ。

 レースの実況を聞きながらウメノチカラは状況を分析する。

 選抜レース以来シンザンと走った事はないが、序盤の状況はその時と似ている。

 あのスタートダッシュで先んじて好位置を奪い周囲に対応を強いるのだ。そして後半、位置取りをキープしつつ周囲が体力を消耗した潮を見て一気に末脚で交わす先行型。

 あの時の自分は何とか粘り勝ったが・・・・・・、あのレースには疑惑がある。

 

 (・・・・・・アイツが本気じゃなかった可能性)

 

 その真偽も今回のレースで明らかになるだろう。

 14人立てのデビュー戦、ウメノチカラは静かにレースの推移を見守っている。

 

 京都レース場はスタート直後に登り坂がある。

 抑えて登るのが定石のコースだが今回は短距離、下り坂に備えて逃げを打とうとしていたウマ娘たちは体力を消費してでもシンザンを追い越そうとする。

 第2コーナー過ぎで道は一度平坦に戻り、そして最終コーナーの下り坂でピッチが上がる。

 1,200メートルというハイペースな展開、早くもレースは終盤に差し掛かる。

 そこでシンザンに続いて2番手を進むウマ娘・ホシツキは虎視眈々と仕掛け所を狙っていた。

 

 (シンザンはここまで先頭、このペースで走っていたらラストスパートのタイミングで失速するはず。彼女を目印にペースを保てた私にはまだ脚が残ってる)

 

 そして2番手故に焦りなどの精神的な負荷も少ないために思考能力も冷静なまま。

 彼女の目にはターフにこれから進むべき進路が見えていた。

 加速して先頭を抜き去り、自分が最初にゴール板を踏むための道筋が。

 

 (位置取り良し、タイミング良し。仕掛ける!)

 

 下り坂に差しかかりいよいよスパートを掛けるかという時、いの一番にホシツキは加速。まだハナを進むシンザンはその時、冷静に考えていた。

 

 今の自分のペース。

 それを基準にした周囲のペース。

 

 流石にバテている者はいなさそうだが、後ろのウマ娘はあまり速度が伸びてくる様子はない。スパートをかけるとしたらこの辺りだろうが、最初の登り坂で自分を抜かそうとして体力を使ってしまったのかもしれない。

 ─────ああ、なるほど。

 ─────こういう考え方に繋がるなら、ラップ走って大切だね。

 ちらりと後ろを確認。

 彼女らもいよいよ勝負を仕掛けにきた。

 しかし勝負所のペースアップにしては、まだ速度を一定に維持している自分に対する距離の詰まり方が遅い。

 2番手のウマ娘が迫って来ているが、彼女も相応に脚とスタミナが削られているのか。

 対する自分はどちらも充分に残っている。

 

 問題ない。千切れる。

 

 

 「よし。行くよ」

 

 

 一際強い呼気と共に踏み込む。

 2番手が並びかけてこようとしたゴール板まで残り600メートル地点。

 好位置で溜めていた脚を解き放ち、シンザンは一気に前へと躍り出た。

 

 「ちょっ・・・・・・!?」

 

 『シンザンいった、シンザンいった! 並びかけたホシツキを突き放し、シンザン驚愕の二枚腰!!』

 

 「おお、来たぞ!シンザンが来た!」

 

 「不調じゃなかったのか!? 先頭のままだぞ!」

 

 1番人気がとうとう動いた。

 後方のウマ娘も懸命に追うが彼女の背中はどんどん離れていく。並ばせるどころか詰める事も許さない圧倒的な走力。

 残り400を通過、13人のウマ娘が1人の背中に追い縋る。

 ハナを進む彼女の足音は一際大きかった。

 

 「速い! 選抜レースの時よりも!!」

 

 「なんて分厚い逃げ。これがシンちゃんの本気ですか・・・・・・!?」

 

 「シンザン・・・・・・シンザン!そうか、お前は!やはりお前はあの時は・・・・・・っ!!」

 

 『残り200メートル! 2バ身3バ身、2番手との距離がどんどん離れていく!

 現在先頭はシンザン、先頭はシンザン!!

 2番手のホシツキ懸命に追うが届かない!!

 脚色に衰えはありません! そして今─────

 

 

 

 ─────ゴールイン!! シンザン1着!!

 

 ()()()()()()()()()()()!!

 

 およそ()()()離れて2着ホシツキ───!!!』

 

 

 ─────先頭を行く鹿毛が誰よりも早くゴール板を駆け抜け、誰よりも早く脚を止める。

 自分の名を呼ぶ実況の叫び。弾む息を整え見れば、掲示板の1着の欄には自分の番号が表示されていた。

 自分の前には誰もいない。振り返れば自分以外の全員がいる。

 それら全てが自分の勝利を証明していた。

 

 全身を『味』が満たしていく。

 手に入ると望んで疑わなかったもの。

 望み通りに手に入ったそれ。

 自分のものだと最初から確信はしていても、こうして実際に手にしてみれば予想以上に・・・・・・・・・

 

 「・・・・・・・・・悪くないね」

 

 

 望外の喜びに自然と笑みが浮かんできた。

 ───黄金に彩る自分の道。

 その第一歩に、まず1つ。

 沸き上がる歓声、己の後ろを走った彼女らに、勝って戻ると誓った者に。

 我今来たると言わんばかりに、シンザンは拳を高々と空に突き上げた。


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