(───時を遡る場所を、間違えた⋯⋯? 僕、は⋯⋯失敗した⋯⋯?)
雨の降りしきる瓦礫の散乱した石畳の上に、ジュイネは身体中傷だらけで横たわっていた。
(何で、こんな⋯⋯身体中、痛むんだろう⋯⋯起き上がれない⋯⋯。まるで、鋭い刃物で身体中を裂かれたみたいだ⋯⋯)
(随分、空が暗い気がする⋯⋯夜、なのかな。ここは、どこなんだろう⋯⋯。遠いような、近いような⋯⋯雨音に混じって魔物の咆哮か、人の叫び声も聞こえる⋯⋯。何かが、焦げてるような臭いと⋯⋯血なまぐさい感じがする。何が、起きてるんだろう)
(誰かが魔物に襲われてるなら、助けたいけど⋯⋯身体が、動かせない⋯⋯視界が、霞む。声も、出せないから自分で回復呪文も唱えられない⋯⋯)
(時の、番人は⋯⋯時の渦に呑まれてしまったら、永遠に時の狭間を彷徨うことになるって、言っていたけど⋯⋯まさかここが、そうなのかな⋯⋯。僕は結局、過去の魔王誕生も⋯⋯世界崩壊も阻止出来ずに、元居た世界からも切り離されて⋯⋯このまま知らない場所に永遠と存在し続けなきゃ、ならないのか───)
「おい⋯⋯おい、お前! 生きているのかッ?」
(え⋯⋯? この声は、グレイグ⋯⋯!? 時を遡ったのは、失敗じゃなかった⋯⋯?)
「随分傷だらけだが、まだ息はあるな⋯⋯《ベホイミ》!」
(あ⋯⋯、ほんの少しだけど、全身の痛みが和らいだ気がする⋯⋯)
「む⋯⋯、やはり補助程度にしか使えない俺の呪文では回復しきれないな。とにかく、ここから安全な場所に運ばねば」
(名前を呼んでくれないから、僕のこと⋯⋯分からないの、かな。僕と知り合う前の、グレイグ⋯⋯? 目が霞んで顔がよく見えない⋯⋯)
「おいお前、しっかりしろ。まだ、死ぬなッ⋯⋯! ユグノア王国は滅んでしまったが、生きてさえいれば⋯⋯何度だって立ち直れる。希望を捨てるな⋯⋯!」
(ユグノア王国が、滅んだ⋯⋯? まさか、僕が遡った場所と時間軸って)
「⋯⋯生き残りは、もうその少年だけか?」
「あぁ、ホメロス⋯⋯。酷いものだ、老若男女問わずほぼ皆殺しだからな。俺とお前の到着が遅れてしまったのが悔やまれる⋯⋯」
グレイグらしき人物に力強く抱き上げられて背負われる際、身体中に痛みが走って思わず声が漏れる。
「ゔっ⋯⋯!」
「もう少し優しくしてやれ、お前はすぐ力が入り過ぎる」
「あぁ⋯⋯すまん、痛かったか? ⋯⋯もう少しの辛抱だ、持ち堪えてくれッ」
(グレイグの、大きな背中⋯⋯安心、する。このまま、眠ってしまいそうだ⋯⋯。今は、何も⋯⋯考えたくない)
──────────
───────
────
「⋯⋯⋯⋯、?」
ジュイネは朧気に目を覚ます。
「おぉ、やっと目を覚ましたか。三日も眠っていたから心配したぞ」
(やっぱり⋯⋯グレイグだ。僕の知ってるグレイグより少し若い気がするけど、そんなに変わってない⋯⋯?)
「何をそんなに、俺の顔を見つめるのだ?」
「あ、ご⋯⋯ごめんなさい」
「謝る必要は無いが⋯⋯お前は、あの場に倒れていたからにはやはりユグノア王国の民なのだろう? それとも、装備は軽装だが兵士の方だったか?」
(⋯⋯⋯何て、答えるべきなんだろう。ここはきっと16年前のユグノア王国が滅ぼされた直後の世界⋯⋯。赤ん坊の頃の僕はもうイシの村のテオおじいちゃんに拾われてるかな)
「黙っていては、判らないのだがな」
若干凄みをきかせてくるグレイグ。
「⋯⋯まぁ待て、グレイグ。本人も混乱しているのかもしれない。お前も、祖国を滅ぼされて生き残った身なのだから心中くらい察せられるだろう」
(ホメロス⋯⋯。この頃はまだ、ウルノーガの闇に染められてないんだな。普通に知的な軍人に見えるけど。そういえばウルノーガは、この時既にデルカダール王に成り代わって───)
「確かに⋯⋯俺は祖国バンデルフォンを魔物共に滅ぼされ、デルカダール王に拾われた直後は暫く喋る事が出来ないほどショックを受けたが⋯⋯」
「お前はその頃たったの六歳⋯⋯、城の兵舎で育つ事になった折、既にオレもそこに居た訳だが、いくら話し掛けても中々喋らなかったからな」
「⋯⋯ホメロス、お前が根気よく話し掛けてくれたお陰で、暫く経ってようやく話せるようになり打ち解けられたのだったな⋯⋯」
(話を聴いてるだけでも、この二人は僕には介入出来ない友としての絆を持ってるんだな⋯⋯)
「お前⋯⋯せめて名前くらいは教えてくれないか?」
(ここで本名を名乗ったら、まずい。滅ぼされる前のユグノア王国に生まれた王子の名がジュイネだっていうことぐらい、この二人は知っているはずだ。そもそも一般的な名前じゃないだろうし⋯⋯絶対に怪しまれる)
「⋯⋯どうした? 頭でも打って記憶を失っているのか?」
注意深く顔色を窺ってくるホメロス。
「エ、ル⋯⋯」
「エル⋯⋯?」
「───エルジュ、です」
「ほう、エルジュと言うのか」
グレイグは何の疑いもなくその名を受け入れる。
(咄嗟に思いついて言ってしまったけど⋯⋯それなりに名前に聞こえるかな)
「ではエルジュ、お前は本当にユグノア王国出身の兵士か?」
ホメロスはやはりグレイグほど早計ではないようだった。
「はい⋯⋯ユグノア城に配属されたばかりの、新人です」
「なる程、新米か⋯⋯あの死屍累々の中、運良く生き残れたのだろうな」
「四大国会議で集まっておられたクレイモラン王やサマディー王は自国の兵士に守られ無事だが、ユグノアのアーウィン王は我等がデルカダール王に刃を向けた為にやむを得ず倒され、エレノア王妃はマルティナ姫を人質に悪魔の子と逃れ今の所行方不明⋯⋯前ユグノア王も行方知れずときたものだ。ユグノア王国の生き残りも殆ど居らず⋯⋯新米兵士にはとんだ災難だったな」
グレイグは気遣わしげにジュイネを見やり、ホメロスは大して同情せず状況を説明した。
(⋯⋯⋯っ。父上、母上、マルティナ、ロウじいちゃん⋯⋯。せめて、ユグノア王国が滅ぼされる前に時を遡れていたらまだ僕に何か、出来たんじゃ───? 左手の甲の紋章が、いつの間にか消えてる⋯⋯どうして)
「エルジュ、自分の左手の甲を見つめてどうしたというのだ?」
怪訝そうに聞いてくるグレイグに、ジュイネは顔を上げ首を短く振る。
「いえ、何でも⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
ホメロスは腕を組んだまま、ジュイネをじっと見下ろしている。
(時を遡るのを失敗したから、もう僕は勇者ですらないってことかな。時の番人に役立つだろうと言われた、元勇者の剣の魔王の剣すらどこに行ったか分からない。元の時間軸から完全に切り離された僕は、仲間で居てくれたみんなを置き去りにして来た上に本当に独りになってしまったんだ)
「お前、泣いて───」
「え⋯⋯ぁ、すみません⋯⋯勝手に、泣いて⋯⋯っ」
涙を拭うも、後から後から溢れてきてしまう。
「辛いのだな⋯⋯。故郷を失い自分だけが生き残るというのは、計り知れない悲しみがある事を俺も知っている」
「──────」
グレイグの静かな言葉に、ジュイネは俯いたままでいるしか出来ない。
「⋯⋯なぁエルジュ、デルカダール城の兵士となって共に国王をお護りしないか?」
「え⋯⋯?」
「何を言っているグレイグ、新米とはいえその者はユグノア王国の兵士。勇者という災いを呼ぶ悪魔の子のもたらす闇に染められ、錯乱した王や王妃が我等デルカダール王に刃向かうほどの暴挙に出たのだぞ。その者もいつ凶暴化するか判らん、そもそもわざわざ生かして城に連れて来たのは、悪魔の子の影響力を調べる為の実験体としてだろう」
「⋯⋯⋯!」
ホメロスの容赦ない物言いに、驚きを隠せないジュイネとグレイグ。
「そのようなつもりだったのか⋯⋯? 俺はそこまでは聞いておらんぞ」
「他でもないデルカダール王の命令だ。⋯⋯オレがお前より先にお聴きした」
(やっぱりもうホメロスは、デルカダール王に取り憑いているウルノーガがもたらす闇の力に魅入られ始めてる⋯⋯? それとも、本来なら居ないはずの僕がこの時間軸に存在することでどこかが狂い出してるんじゃ)
「⋯⋯悪魔の子の影響力が無いと証明出来れば、実験体としての意味を失うだろう。ならばこそエルジュ、お前は俺の元で修行を積んでもらう」
「⋯⋯⋯え?」
「グレイグ、またお前は勝手な事を⋯⋯デルカダール王がお許しになるとでも?」
「俺は⋯⋯、ユグノア王国の件で将軍の地位に就いた。遅れて到着したとはいえ、魔物共は殆ど一掃したからな。───デルカダール王に直接進言して来る、エルジュを俺に⋯⋯私に全面的にお任せしてほしいと。その上で悪魔の子の影響が出てしまったら、その責任は私にあり自害する覚悟だとお伝えして来よう」
(グレイ、グ⋯⋯⋯)
「何故そいつにそこまで⋯⋯。自分に似た境遇だからという同情か?」
「それも無論ある。⋯⋯放ってはおけない」
「フン⋯⋯勝手にしろ、オレは知らんぞ」
呆れた様子で部屋を出て行くホメロス。
「───エルジュ、俺と共に玉座の間まで来てくれ」
「え、でも⋯⋯」
「大丈夫だ、俺が付いている。⋯⋯決して、悪いようにはしない」
(何だろう⋯⋯とても心強い。まるで、魔物の巣窟と化したデルカダール城に二人だけで潜入した時みたいだ。今僕の目の前に居るグレイグは、二十歳くらいの時みたいだけど⋯⋯16年後のグレイグとほぼ気質は変わらない気がする。だけど⋯⋯やっぱり僕の知らないグレイグなんだ)
グレイグと共にジュイネは、デルカダール王の居る玉座の間へと向かう。
「⋯⋯魔物の手によって滅ぼされたユグノア王国の生き残りの者が意識を取り戻した為、連れて参りました。名を、エルジュと申します」
「ほう⋯⋯そなたがその生き残りか」
(何だか怖くて、顔を上げられない。情けないな⋯⋯仲間のみんなと居た時は恐怖なんてそんなに感じたことなかったはずなのに。どれだけ仲間の存在が心強かったか⋯⋯失ってみて身に染みて分かるなんて。仲間とはぐれた時も、ベロニカが死んでしまったと分かった時も、そうだった)
跪き俯いたままジュイネはデルカダール王に成りすましているウルノーガに顔を向ける事が出来ない。
「どうしたのだ、よく顔を見せてみよ」
「王よ、彼は未だ祖国を失ったショックから立ち直れておりません。⋯⋯ホメロスから聞きましたが、彼を悪魔の子の影響力を調べる実験体とするそうですがそれは真にございますか」
「わしはアーウィン王の変貌を目の当たりにしたからな⋯⋯。ユグノア王国の者ならば、誰しも少なからず悪魔の子の影響を受けていると踏んでおる」
(何だよそれ⋯⋯まるで伝染病扱いじゃないか)
「王よ⋯⋯彼の処遇を全て私にお任せして下さらないでしょうか」
「⋯⋯何故だ?」
「悪魔の子の影響が出て変貌したならば、すぐに対処致します。万一、デルカダール王国に危害が加わるような事になれば⋯⋯私は責任を取り自害する覚悟にございます」
(本当に、そんな進言を)
「お前がそこまで入れ込むのは⋯⋯やはり自らと同じような境遇だからか?」
「⋯⋯はい」
「ふむ⋯⋯まぁ良いだろう。悪魔の子の影響が無いと最終的に判断するのはわしだが、それまで責任を持って監視対象とするが良い」
「御意」
(悪魔の子の影響って⋯⋯、要するに逆らわなければいいってことかな。逆に凶暴化した振りをすれば、グレイグに殺してもらえるってこと⋯⋯? 時を遡るのを失敗して、もう勇者としての力も失った僕がここに居る意味なんて───)
玉座の間を後にするグレイグとジュイネ。
「さて⋯⋯まずは俺の部屋に来てもらおうか」
(とりあえず⋯⋯今は大人しく付いて行くしか)
「む⋯⋯?」
グレイグは立ち止まり城の広い通路をキョロキョロと見回している。
「どうし⋯⋯たんですか?」
「将軍になって新しい部屋を宛てがわれたのだが⋯⋯何分まだ慣れていないものだから、部屋の場所を忘れてしまった⋯⋯」
「ぷっ、ふふ⋯⋯っ」
悪気はないが、つい笑いがこみ上げてくるジュイネ。
「わッ、笑うな⋯⋯!」
「す、すみません⋯⋯っ(真面目だけど、どこか抜けてるのがグレイグらしいな⋯⋯)」
グレイグは近くに居た使用人に声を掛け、将軍となった自分の部屋がどこか教えてもらい、何とか見つけ出してエルジュと共に部屋に入る。
「むう⋯⋯、やはり一人で使用するには広過ぎるくらいだな」
「将軍の地位なんだし、これくらいは普通なんじゃ⋯⋯」
「まぁ、これからお前と寝起きするには丁度良いか」
「え?」
「本来ならお前のような新米兵士は兵舎で寝起きするものだが、お前は俺にとって監視対象に他ならない。傍に置いておくのは普通だろう」
「そう、ですね⋯⋯」
「お前は病み上がりでもあるし、修行は明日以降にしておくか」
「いえ⋯⋯今日からでも、大丈夫です」
「本当か? 故郷を失ったショックからまだ立ち直れていないだろう」
「修行をしていた方が⋯⋯多分気が紛れます」
「そうか⋯⋯ならば軽めのメニューをこなしてもらうか。エルジュ、お前の得意な武器は何だ?」
「剣全般は、大体⋯⋯」
「大剣も扱えるのか?」
「⋯⋯はい」
「ほう、その痩躯でよく扱えるものだな」
「⋯⋯⋯⋯」
「いや、すまん。人は見かけによらぬものだ」
グレイグは自室にある武器庫から兵士の剣を取り出した。
「大剣に関してはまた今度にするとして、まずは基本の兵士の剣を使ってくれ」
「分かりました⋯⋯」
手渡された剣を受け取り背に装備するジュイネ。
「俺は大剣や斧も得意としているが⋯⋯病み上がりのお前とは同等の兵士の剣にしておくか」
「グレイグ、将軍は⋯⋯大剣を使って僕に修行をつけて下さい。病み上がりだからと気を遣う必要はないですから」
「む、そうか⋯⋯ならばそうするか。───城のバルコニーに出よう。そこはかなり広くて、二人だけの修行にはもってこいだからな。友のホメロスとよく手合わせしていた場所でもある。⋯⋯最近は、何故だか断られる事が増えたがな」
グレイグとジュイネは先に食堂に行って腹に軽く食べ物を入れてから、共にデルカダール城のバルコニーへ向かった。
「ぬ⋯⋯? いつの間にか外は雨になっていたか。まぁ、弱い雨くらい大した事はないな」
(雨⋯⋯か。そういえば、ユグノア城跡でグレイグに追い詰められた時も雨が降ってたっけ)
「───では、始めるとしよう。どこからでも掛かって来い、エルジュ」
「⋯⋯⋯⋯!」
ジュイネは剣で果敢に攻め、大剣で受け止めるグレイグを何度も下がらせるほどだった。
「⋯⋯新米兵士とは思えぬほどの剣さばきだな、誰に教わった?」
「ほとんど我流だけど⋯⋯始めは育てのおじいさんに遊び程度に習ってました」
「お前は⋯⋯ユグノア王国の出身ではあるが、元々孤児だったのか?」
「そう、なりますね」
「なる程⋯⋯。とにかくそこまでの腕前なら、俺も少しは本気を出すとするかッ⋯⋯!」
「⋯⋯⋯!」
受け身を取っていた先程までと違い、気迫の込もった重い一撃一撃をジュイネに打ち込むグレイグ。
「くっ⋯⋯!」
「ぬんッ!」
「あ───」
ジュイネの剣が勢いよく弾け飛び、その反動で後方に倒れ込んだジュイネへ向けグレイグは大剣を構えたまま更に踏み込もうとする。
「───⋯⋯」
その動きが、ピタリと止まる。
「⋯⋯⋯⋯?」
「俺と、お前は⋯⋯前に、どこかで───」
(え⋯⋯)
「ふぅ⋯⋯ここまでにしておこう、雨も強くなって来たしな。部屋に戻るぞ、エルジュ」
グレイグは大剣を納め、ジュイネに手を差し伸べ立たせてから先にバルコニーから出て行った。
(僕が居た元の世界のグレイグの、記憶が⋯⋯いや、そんなはず───)
「⋯⋯ほら、タオルだ。これで頭や身体を拭くといい」
「ありがとう、ございます⋯⋯」
「お前⋯⋯大分疲れた顔をしているな。病み上がりで雨の中修行させたせいだろうか」
「そんなことは⋯⋯」
「もう休んだ方がいい、俺のベッドを使っても構わん」
「それは、さすがに⋯⋯床に毛布を敷いて、寝ますから」
「床だと冷えるだろう。⋯⋯ベッドをもう一つ部屋に入れてもらうか。少し待っていろ」
グレイグ将軍の部屋に、使用人数人によってもう一つベッドが運び込まれた。
(監視対象のはずなのに⋯⋯こんなに優遇されていいのかな)
「俺は報告書など書かねばならんからまだ休まないが、俺に構わず先にベッドで休むといいぞ」
「あの⋯⋯」
「何だ?」
「悪魔の子がもたらすっていう、変貌とか凶暴化とか⋯⋯僕にその兆候が見られたら、グレイグ⋯⋯将軍は、僕をすぐに斬り捨てますか?」
「⋯⋯場合によっては、な」
「⋯⋯⋯⋯。じゃあ、その⋯⋯先に休ませてもらいます」
「あぁ⋯⋯お休み」
──────────
───────
「すぅ⋯⋯すぅ⋯⋯」
「(よく、眠っているな。やはり病み上がりに修行はキツかったか。⋯⋯俺も、そろそろ寝るとしよう)」
──────────
────────
──────
「⋯⋯起きて、下さいよ。グレイグ将軍」
「⋯⋯⋯⋯」
頭上近くから聴こえる、微かに震えた声に目を開けるグレイグ。⋯⋯いつの間にかエルジュがグレイグの上に馬乗りの状態にあり、その両手には剣の柄を逆手に刃の切っ先をグレイグの喉元に突き立てている。
「とっくに、この状況に気づいてたはずですよね⋯⋯将軍ともあろう貴方なら」
「⋯⋯そうでもないな。全くと言っていいほど、殺気は感じなかったぞ」
動じる様子ひとつ見せないグレイグ。
「嘘だ、僕は⋯⋯貴方を、殺すつもりで───」
「ならばお前は⋯⋯、こうして欲しかったのか?」
「⋯⋯⋯っ!?」
力任せにジュイネから剣を引き離して放り投げ、次の瞬間には素早く身体を起こしてジュイネを逆にベッドに押し倒し馬乗りする形で両手首をも掴みとり身動きを取れなくする。
「───悪魔の子の影響を受けた振りをして、俺に返り討ちにされ殺されたかったとでも言うつもりかッ?」
「そう、だよ⋯⋯。僕は貴方に、殺してほしかったんだ。なのに、どうして馬乗りになって剣を向けたことを気づかない振りなんか」
「さっきも言ったろう、全くと言っていいほど殺気を感じなかったと。⋯⋯俺を殺すつもりは毛頭なく、逆にお前が殺される気であったなら俺は反撃する必要すら無いという訳だ」
「──────」
「故郷を失い、自暴自棄になるのも判らなくもないが⋯⋯性急過ぎやしないか。故郷を滅ぼされて尚生き残ったのなら、お前には生きる意味があるはずだエルジュ」
「違う⋯⋯」
「⋯⋯⋯?」
「僕はジュイネだ、エルジュじゃない」
「ジュイ、ネ⋯⋯? ジュイネだとッ? その名は⋯⋯ユグノア王国に勇者として生まれ、今や悪魔の子として行方不明となっている赤子の王子の名ではないのか。まさか⋯⋯その名と偶々同じだとでも?」
「本人だよ⋯⋯未来から、来た」
「何を、馬鹿な事を」
「あぁ、馬鹿だよ。遡るべき時を間違えて、失敗して⋯⋯未来から完全に切り離されて戻る術すらない。勇者の紋章すら消えた⋯⋯役立たずの勇者だ」
不敵な笑みすら浮かべるジュイネ。
「遡るべき時を間違えた、だと⋯⋯?」
「本当なら⋯⋯今より16年後の過去に戻るべきだったんだけどね⋯⋯何でか失敗しちゃってさ。意図せず二十歳くらいのグレイグに会いに来ちゃったよね」
「お前は、16年後の俺を知っていると⋯⋯?」
「知ってるよ。今と大して見た目は変わらないけど⋯⋯勇者の盾にはなってくれたよね」
「勇者の、盾⋯⋯」
「取り戻したいものがさ、いっぱいあったのに⋯⋯それが出来なくなっちゃって。だから、若い頃のグレイグに殺されるのも悪くないかなってさ」
「⋯⋯今この時代では、無理なのか? その、お前が取り戻したいものというのは」
「無理だよ⋯⋯だって僕はもう勇者じゃない。左手の甲の紋章が消えたのは、この世界の今赤ん坊のもう一人の僕が本当の勇者なわけだから⋯⋯未来から来た僕は用済みというか居る意味が無いんだ」
「赤ん坊が、大人になるのを待って真実を話せば───」
「その頃には僕自身消えてる。⋯⋯分かるんだ、もうここに居られる時間が少ないって。根本的に同じ存在は同時に存在し続けることは出来ないんだ。───それとも、16年後にグレイグが“僕”に真実を伝えてくれるの?」
「それは⋯⋯」
「デルカダール王に盲目に従ってるくせに、未来から来た悪魔の子を殺さなくていいのかな」
「お前は⋯⋯どう見ても悪魔の子などには見えん。何か、デルカダール王は勘違いなされているのでは───」
「あはは、おめでたい頭だね。そんなだから空回りしてばかりで大切なことに気づくのが大幅に遅れるんだよ」
「なん、だとッ⋯⋯?」
「痛い痛い⋯⋯手首に力入れ過ぎ。まぁ、別に僕はこのまま殺されたって構わないんだけどね。手首じゃなくて⋯⋯首元を絞めてよ。そうすれば、終われるからさ」
「断る。⋯⋯お前が諦めようと、俺は諦めん」
「諦めないって、何を」
「未来の俺⋯⋯勇者の盾である事を、だ」
「⋯⋯僕の言ったこと信じてるの?」
「嘘を言っているようには思えない」
「ふーん⋯⋯じゃあ、デルカダール王がバンデルフォン王国やユグノア王国を滅ぼした元凶、魔道士ウルノーガに取り憑かれてるって言っても信じてくれる?」
「なッ⋯⋯? それは本当かッ?」
「嘘を言っているようには思えないって、思ってくれないの?」
「⋯⋯⋯⋯」
「更に言えば16年後、命の大樹の魂がウルノーガに奪われて魔王が誕生し、世界崩壊が起きるんだ。その一旦を⋯⋯グレイグの友達が担ってるって言ったら───」
「ふざけるなッ!!」
「ふふ⋯⋯、それは断じて否定するんだね」
「⋯⋯⋯⋯救う方法はないのか、我が友を」
「あれ、やっぱり信じてくれるんだ」
「嘘を⋯⋯言っているようには思えないからだ」
「───今すぐに、デルカダール王に取り憑いてるウルノーガを僕とグレイグで倒せないかな」
「何⋯⋯?」
「あぁ、でも無理か。仲間が⋯⋯居なさすぎる。僕も勇者の力を失ってるし」
「お前の仲間は、何人居るのだ」
「⋯⋯一人死なせてしまって、グレイグが仲間になったことで最終的には六人、かな。今のグレイグが聴いたら驚くくらいのメンバーだよ。勇者の僕なんか必要ないほどに、みんなとても強いんだ。───僕の知ってるみんなにはもう二度と、会えないけどね」
「今目の前に一人、居るんじゃないのか?」
「確かにグレイグだけど⋯⋯やっぱり僕の知ってるグレイグとは違うんだよ。僕と歳が近くなっただけ、かな」
「───⋯⋯ホメロスに話せば、協力してくれるかもしれん」
「あぁ⋯⋯多分そう言うと思ってた。ウルノーガの闇の力に完全に魅入られる前のホメロスなら、もしかするかもしれないけど」
「私が⋯⋯どうしたと?」
「!? ホメロス⋯⋯」
「全く⋯⋯相変わらず不用心だなグレイグ。寝る時は部屋の鍵くらい掛けろと、あれ程言っているというのに。取り込み中の所を見せられる側にもなってもらいたいものだ」
「いッ、いや、これは違うのだホメロス⋯⋯!」
「何の言いわけしてるのさ。⋯⋯僕はグレイグ将軍の寝込みを襲った、けど失敗して逆に馬乗りされてるだけだよ」
「ほう⋯⋯? これで悪魔の子の影響が出た証明になったな、グレイグ。早速デルカダール王に報告するとしよう。⋯⋯そいつは、今ここで斬り捨てたらどうだ? 生かしておくだけ、この王国に悪影響が及ぶぞ」
「待ってくれ、ホメロス。⋯⋯お前、さっきまでしていた俺達の話を、扉を開ける前から聴いていたんじゃないのか?」
「何の話だ?」
「ほら、もう無意味だよグレイグ将軍。⋯⋯早く、僕を殺してよ」
「断ると言っている。⋯⋯ホメロス、察しの良いお前なら気付いているはずだ。エルジュは⋯⋯いや、ジュイネは」
「⋯⋯⋯⋯」
グレイグの部屋の扉を閉め、ホメロスは内側から鍵を掛ける。
「ホメロス?」
「───16年後に、私が⋯⋯オレが魔王誕生と世界崩壊の一旦を担うとは、本当かエルジュ⋯⋯いや、ジュイネ」
「何だ⋯⋯、しっかり立ち聞きしてたんじゃないかホメロス。⋯⋯嘘だって言ったら、どうしてくれる?」
「お前の望む通り、殺してやるだけだ」
スラリと剣を引き抜く。
「ホメロス⋯⋯! ジュイネの言っている事は、嘘では───」
「グレイグ、何故お前はそう盲目的に信じられる? この先オレが闇の力に魅入られる事を確定事項とし、それを救いたいと宣うのか?」
「それは⋯⋯ッ」
「───ゔっ、ごほ、ごほ⋯⋯っ!」
苦悶の表情を浮かべ、突如血を吐くジュイネ。
「なッ⋯⋯どうしたジュイネ、重い俺がずっと上に乗っていたせいか⋯⋯!?」
ハッとして馬乗りをやめるグレイグ。
「はは⋯⋯何言ってるのさ。確かに重いけど、グレイグのせいじゃ⋯⋯ないよ」
ジュイネは血に濡れた口元を片手で拭い、ホメロスは状況を察する。
「⋯⋯お前が存在出来る時間はもう少ないと、言っていたな。そういう事か」
「そうだね⋯⋯時を遡るのを失敗したから、反動が酷いんだと思う。身体中傷だらけでユグノア城に倒れてたのも、魔物にやられたんじゃなくて特定の過去に戻るのを失敗したからなんだ、きっと⋯⋯」
息も絶え絶えに話すジュイネ。
「ならば、殺す必要は無いか。お前は自ずと死ぬ。いや⋯⋯存在自体が消える、と言った方が正解か」
抜いた剣を腰の鞘に納めるホメロス。
「このまま消えるの、嫌なんだけどな⋯⋯誰かに殺された方が、まだ意味を持てる気がするのに⋯⋯」
「お前自体の命を、グレイグに背負わせたいと言うつもりか?」
「僕の居た元の世界で、グレイグの命を預かっていたのは、僕なんだけどね⋯⋯その上で、グレイグに盾になってもらってたんだけどさ⋯⋯ごほっごほっ」
「もう喋らなくていい⋯⋯苦しいのだろう」
グレイグはジュイネの背中を気遣わしげにさする。
「グレイグの故郷バンデルフォンや、お前の故郷ユグノアが魔道士ウルノーガに滅ぼされ、その魔道士は今度はデルカダール王に取り憑き探している勇者の力を介して命の大樹の魂の力を奪おうとしているというのか?」
「さすが、ホメロス⋯⋯話が早くて、助かるな⋯⋯。グレイグのことを、思うなら⋯⋯二人で協力して、ウルノーガを討つ手立てを考えてくれない、かな⋯⋯。僕はもう、この世界には存在出来ないから⋯⋯」
ジュイネの身体が、不意に薄まってゆく。
「⋯⋯───」
「お、おいジュイネ、消えるな⋯⋯!?」
「いいんだよ、これで⋯⋯。ねぇホメロス、ウルノーガの闇の力なんかに負けないでよ。グレイグと⋯⋯もっとちゃんと腹を割って話して。ずっと友として⋯⋯双頭の鷲として、デルカダール王国を守って行ってよ⋯⋯。そこにはきっと、生きているマルティナ姫も居てくれるから⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯! お前、は───」
「グレイグの、こと⋯⋯頼むね、ホメロス⋯⋯」
「⋯⋯言われる、までもない」
「ジュイネ⋯⋯ッ」
「そんな、悲しそうな顔しないでグレイグ⋯⋯。大丈夫、僕らはきっと、別の形で逢えるから⋯⋯だから、またいつか─────」
「───グレイグ、そいつにお前の血を分けてやれ」
「な⋯⋯? こんな時に何を言い出すのだホメロスッ」
「冗談を言っている訳ではない。ほら⋯⋯そうこうしている内にそいつは今にも消えてしまうぞ」
「⋯⋯⋯⋯」
仰向けに意識無く横たわったまま、どんどん輪郭を失ってゆくジュイネ。
「俺の血を分けると言っても、どうやって⋯⋯」
「手のひらを切り裂いて拳を握り、血を滴らせるのだ。⋯⋯ジュイネの口の中に直接、な」
「それでジュイネをどうにか出来るというなら、やってやろうではないか⋯⋯ッ!」
グレイグは言われた通り、近くに落ちたままの剣を手に片方の手のひらの皮膚を切り裂いて拳を握り、消えゆくジュイネの半開きの口元に鮮血を滴らせる。───するとジュイネはみるみる薄まっていた身体の存在を取り戻した。
「⋯⋯やはりな、どうやらジュイネの存在をこちらに留められたようだ」
「俺の、血でか? 何故⋯⋯」
「う⋯⋯っ。あ、れ⋯⋯僕は」
「おぉ、ジュイネ⋯⋯! 存在が消えずに済んで本当に良かったッ」
力強くグレイグに抱きしめられ、きょとんとするジュイネ。
「え、ちょ⋯⋯どう、して⋯⋯??」
「グレイグの強い生命力に感謝するのだな、ジュイネ。⋯⋯グレイグは基本的に馬鹿だが、体力だけは化け物じみているからその血を直接口にする事で失われゆくお前の存在を再び構築出来たのだ」
「グレイグの血を、口にしただけで⋯⋯僕は消えずに済んだって、こと⋯⋯? けどそうした所で、僕はもうこの世界に存在する意味なんて無いのに」
「無いとも言えんだろう、現にお前はまだここに存在している」
「ホメロスの言う通りだ、お前は消えるべきではない⋯⋯共に生きていく方法はきっとあるはずだ」
「⋯⋯⋯⋯」
「その為にはまず⋯⋯グレイグの生き血を定期的に摂取する必要があるがな」
「それだとまるで僕は吸血鬼じゃないか⋯⋯。僕をこの世界に留める為にグレイグに迷惑を掛けていたら、ウルノーガなんて倒せないよ」
「迷惑なものか、ユグノア王国は救えなかったがお前に見せてやりたいのだ⋯⋯お前の世界とは異なるやり方で得る平和な世界を」
「それは、確かに見てみたい気はするけど⋯⋯。グレイグの手の傷、治さないと」
「お前は回復呪文を使うな。それだけでもかなりの消耗となり更にグレイグの生き血を必要とするぞ」
「⋯⋯⋯⋯」
「これしきの傷など、補助程度に覚えている俺自身の回復呪文だけで十分だ」
自分にベホイミを掛けるグレイグ。
「さて⋯⋯やる事は決まった訳だが、オレとグレイグで今すぐ王に取り憑いているウルノーガなる者を倒せるとは到底思っていない」
「お前はまた何を言うのだホメロス、お前の知略と俺の力を持ってすれば容易いだろう?」
「ふぅ⋯⋯グレイグ、お前はやはり単細胞だな」
「何だとッ」
「ジュイネ、お前も本当はそう思っているのだろう」
「⋯⋯⋯⋯。いくら猛将グレイグと知略のホメロスと言われていても、そう簡単にウルノーガを討てないと思う」
「だろうな⋯⋯特にグレイグは、化け物じみた力強さと体力はあっても如何せん頭が回らん。その点オレは知略はあってもグレイグ程の力量はない。だからこそ補い合えるとは言っても、諸悪の根源を相手にするには諸々足らんのだ」
「そうか、仲間が必要と言うなら兵を集め⋯⋯」
「そんな事をしようものなら、すぐにバレて王国や城はユグノアの二の舞になるだろうな。隙を窺うにも、グレイグは態度に出やすい奴だからすぐ気取られるだろう」
「ならどうしろと言うのだ⋯⋯!」
「───⋯⋯ジュイネを連れて、今すぐデルカダール王国から出て行け、グレイグ」
「なッ、何故そうなる⋯⋯?! ホメロス、お前はどうするつもりだッ」
「ウルノーガに取り入るつもりだね⋯⋯もちろん、わざと」
ホメロスの考えに察しがつくジュイネ。
「そうだ、表向きは悪魔の子のもたらす悪影響が伝染し錯乱を起こし逃げ出した事になるお前達は、追われる羽目になるだろうがそれは問題ではない。⋯⋯闇に抗いつつ、時が満ちるまでオレがウルノーガをこの城にとどめておこう」
「しかしホメロス、それではお前が⋯⋯」
「ジュイネの元々の世界でのオレは己の闇に屈し、ウルノーガの闇の力に魅入られたようだがこのオレは違う。⋯⋯それを証明してみせる。信じてくれるか、ジュイネ⋯⋯グレイグ、我が友よ」
「⋯⋯! あぁ、信じよう我が友、ホメロス」
「⋯⋯⋯、僕も信じてる。今のホメロスならウルノーガのもたらす闇に屈しないって」
「オレも信じて待つとしよう。お前達が、ウルノーガを討てる確たる力を持って戻る事を」
⋯⋯城から出る際は部屋の窓から縄梯子を下ろし、その後城下町の下層を目指し裏手から出る。グレイグは背も高く体格故に目立つ為、忍んで城下町へ行く時はいつもしている荒くれ者のマスクをして行く事に。ジュイネはかつてしていた黒頭巾を被り二人はホメロスの手引きで夜闇に紛れ、デルカダール王国を脱出した。
「ふぅ⋯⋯無事に国を出られたはいいが、この先どこへ向かえば良いのだ⋯⋯? ホメロスはそこまでは言ってなかったが」
荒くれ者のマスクを外し、一息つくグレイグ。ジュイネも黒頭巾を外した。
「僕の育った村⋯⋯正確には、もう一人の赤ん坊の僕がこれから育つイシの村に向かおう」
「イシの村、か⋯⋯。デルカダール地方にそのような村があるとは知らなかったぞ」
「それはそうだよ⋯⋯上手い具合に人目につかない渓谷にある村だから。そこで赤ん坊の僕は、テオおじいちゃんに拾われてるはずなんだ。そうじゃなきゃ、困るけど」
「その育ての親のテオ殿に、お前は未来から来たと名乗るつもりなのか?」
「名乗らなくても、逢えば多分⋯⋯分かってくれると思う」
「余程信頼関係が築けているのだな⋯⋯お前の元の世界でも息災なのだろう」
「ううん、僕を拾った時にはもう結構な歳だったから⋯⋯七年後くらいには亡くなってしまって、それからはテオおじいちゃんの娘のペルラ母さんに女手一つで育ててもらったんだ」
「そうだったか⋯⋯。むッ、魔物だ気を付けろ!」
「え⋯⋯うわっ」
「ぬんッ」
忍び寄って来た複数の魔物を大剣で一刀両断するグレイグ。
「大丈夫かジュイネ⋯⋯、夜の平原は魔物が凶暴化しているから気を付けねばな」
「う、うん⋯⋯ありがとうグレイグ。イシの村は、デルカダール王国からずっと南下した渓谷にあるんだ。案内するよ」
「うむ、なるべく暗い内にデルカダール王国から離れておくべきだろうしな⋯⋯。しかし、我が王がバンデルフォンとユグノアを滅ぼした元凶に取り憑かれていると判っていて国を離れるなど⋯⋯」
「ごめん⋯⋯未来からやって来ておいてすぐに助けられないのは、僕のせいだ」
「お前が謝る必要はない、そもそも王や国、世界を救う為でもあるのだ⋯⋯俺とお前のこれからは」
「うん⋯⋯」
暫く進んだ後───
「キャンプ地があるな⋯⋯ここで一旦休むとしよう。女神像が傍にあるから、魔物が寄ってくる心配もないしな」
「⋯⋯⋯っ」
「お、おいジュイネ、しっかりしろ⋯⋯!?」
急に倒れ掛かるのを咄嗟に支えるグレイグ。
「お前⋯⋯また存在が消え始めているぞ。俺の血が、必要なようだな」
ジュイネを支えたまま剣を抜き自分の片腕に宛てがう。
「グレイグの、血を飲んで生きながらえるのは⋯⋯何だか、違う気がするんだけど⋯⋯。やっぱり、このまま僕は消えた方が───」
「何を言う、ホメロスとの約束を忘れたか? ウルノーガを討つ確たる力を持って城へ戻るのだ、それまでお前に消えられては困る」
「じゃあその、ウルノーガを討つ確たる力さえ見つかれば⋯⋯僕は、用済みになれるんだね⋯⋯」
「そうではない。⋯⋯言ったろう、共に生きていく方法はきっとあると。その為に、俺の血がこの先もずっと必要ならば俺はそれでも全く構わん」
腕を軽く切り裂いて鮮血を滴らす。
「⋯⋯⋯⋯」
「さぁ⋯⋯飲め」
「ん⋯⋯っ」
半ば強引にグレイグの滴る生き血を押し付けられ飲まされたジュイネは、再び消え掛かった身体の存在を取り戻してゆく。
「はぁ⋯⋯、何だか本当に吸血鬼にでもなった気分だよ⋯⋯」
複雑な気持ちで口元の血を拭うジュイネ。
「お前のように自分から血を欲しない吸血鬼など居るのか? それにホメロスが言っていた生命力の強い俺の血でなければ、お前の存在を留められないのだろう。⋯⋯大体お前は俺から言われなければ口にしようとさえしない。それとも、俺の血は不味いのか?」
「そんな、こと⋯⋯美味しい、っていうのも何か違うし⋯⋯」
「ふむ⋯⋯まぁいい。イシの村に着くまでは、今の内に出来るだけ身体を休めておけよ。それと、俺が気付く前に自分が消えそうだと思ったら、お前から血を欲してくれて全く構わんから遠慮なく言ってくれ」
「う、うん⋯⋯分かった、よ」
──────────
───────
翌日、ほぼ人気の無いイシの村への道中、不意に現れた中年男性に声を掛けられる。
「おや、あんた達⋯⋯よくこんな渓谷まで来たもんだな。旅人さんかい?」
「まぁ、そんな所か」
「絶景を求めて、二人旅をしてて⋯⋯この先に休める場所などありますか?」
「あるにはあるが、静かに穏やかに暮らしてる人らが多いもんだからあまり口外してほしくなくてな⋯⋯。それを守れるんだったら村に案内するが、どうするかね?」
「大丈夫です、僕らは絶景さえ見れればそれで満足ですから」
「そうかい、なら神の岩がおすすめだな。村は渓谷の分かりにくい場所にあるが、村に着いたらさらに奥地にある神の岩を登るといいさ。あそこはまさに絶景だからなぁ。もうひとつ、イシの大滝もあってそこも中々の絶景だ」
「先に、イシの大滝に行ってみたいと思います」
「ならそっち側の短い洞窟の先だな。村へはあっち側の吊り橋の先にあるから、気を付けて来るといいさ」
「はい、ありがとうございました」
「⋯⋯何故先にイシの大滝なのだ?」
「行ってみれば、分かるよ」
─────────
「おうおうジュイネや⋯⋯やはりお前はここが好きなんじゃな。さっきまで泣いていたのに、もう泣き止んで笑っておるわい⋯⋯ハハハ」
「(老人が抱き上げている赤子は、まさか⋯⋯)」
グレイグは目を見張り、ジュイネは一心に老人を見つめている。
「ん⋯⋯? お前さん方は───」
「⋯⋯⋯⋯」
「その兵装は、ひと昔前のユグノアの⋯⋯。お前さんは、風の噂で聞いた魔物に滅ぼされたユグノアの生き残りかの?」
「あーう、うーあ⋯⋯」
老人の腕の中の赤ん坊が青年のジュイネに両の手を向ける。
「おぉ、どうしたんじゃジュイネ⋯⋯。そこのサラサラな髪をしたお兄さんに挨拶したいのかの?」
老人は赤ん坊を抱いたまま、ジュイネに歩み寄る。
「この子を、抱いてみてやってくれんか。お前さんに興味津々のようじゃからの」
「う、うん⋯⋯(まさか、赤ん坊の頃の自分を抱くことになるなんて)」
赤ん坊は嬉しげにジュイネの腕の中でキャッキャしていて、その小さな左手の甲にはしっかりと勇者の紋章が刻まれている。
(僕にはもうアザは無いけれど、この子には僕と同じような思いはしてほしくない⋯⋯だからこそ───)
「お前さんも、ジュイネなんじゃろう?」
「え⋯⋯」
「この子をここで拾ってまだ間もないが、わしには解るんじゃよ。お前さんはわしの知らない未来の、立派に成長したジュイネなんじゃとな⋯⋯」
「テオおじい、ちゃん⋯⋯っ」
優しい眼差しを向けられ、堪えきれずに涙するジュイネ。
「ジュイネ⋯⋯赤ん坊は一旦俺に預け、テオ殿と抱擁を交わすといい」
「うん⋯⋯!」
ジュイネは赤ん坊の自分をグレイグに預け、暫くの間かつての育ての祖父のテオに抱きつき色んな思いが涙となって溢れ嗚咽をもらす。
「おうおう、随分辛い経験をしてきたようじゃのう⋯⋯」
背中を優しく摩ってくれるテオ。
「⋯⋯⋯ふえぇ~~~っ」
「な、なんと⋯⋯さっきまで大人しかった赤ん坊のジュイネまで泣き出してしまった⋯⋯!?」
慌てふためいてしまうグレイグ。
「そこのお前さん⋯⋯慌てずに面白い顔でもして赤ん坊のジュイネを笑わせてみてくれんかのう?」
「わ、笑わせると言っても⋯⋯」
「ベロベロバーじゃよ、ベロベロバー!」
「ベロベロ、バー?? べ、ベロベロバーッ!」
グレイグの渾身の変顔に赤ん坊のジュイネは一瞬きょとんとしていたが、途端に笑い出して泣き止む。
「⋯⋯ははっ、グレイグが赤ん坊の僕をあやしてるのが何だか可笑しいや」
「ハハハ、お前も泣き止んで笑っておるではないか。⋯⋯頼もしい仲間を連れているようで安心したわい」
「うん⋯⋯ほんとはもっと居るんだけどね」
表情を曇らせ、抱きついていたテオから離れるジュイネ。
「そうかそうか⋯⋯。ここまで来るのに、色々疲れたじゃろう。家でゆっくり休んで行きなさい、お前の育った故郷なんじゃからな」
「え、でもペルラ母さんは結構現実主義だし、成長した僕が未来から来たって言っても信じてくれないんじゃ⋯⋯」
「うむ⋯⋯ペルラは頑固な所があるからのう。赤ん坊のジュイネしか認めんじゃろうなぁ。⋯⋯わしが出逢って意気投合した旅人の二人を、暫く居候させるというのはどうじゃろう」
「名前⋯⋯違くした方がいいよね」
「ならばデルカダールに居た時に使っていた、エルジュの名にすれば良いのではないか?」
「そうしようかな⋯⋯ちょっと複雑だけど」
「家の二階の物置き場を片付ければ、お前さん達二人が十分眠れるスペースはとれるじゃろう」
「ジュイネの家を暫く拠点にしつつ、元凶を討つ確たる力を探さんとな⋯⋯」
「うん⋯⋯」
「お前さん達は、何か大きな使命を背負っておるようじゃのう。そもそもジュイネは紋章を携えた勇者の生まれ変わりであり、滅んでしまったユグノアの王子なのじゃからなぁ」
「エレノア王妃の⋯⋯僕の本当の母さんが遺した手紙の内容を知ってるんだよね」
「うむ⋯⋯16の成人を迎えたら、勇者として旅立たせねばならんと思っとったが⋯⋯」
「僕が16年後の未来から来てしまった理由は、聞かないの⋯⋯?」
「意図せずして来てしまったのは、解るつもりじゃよ。もしお前が一度だけ自由に過去へ戻れるとしたら、ユグノア王国が滅ぼされる前に阻止するはずじゃからな⋯⋯」
「⋯⋯⋯自由には選べなかったよ。元の時間軸から近い過去にしか戻れなくて、16年以上前までは無理だったんだ。なのに、僕は一年近く前の過去に戻れずに失敗して、それ所かユグノアが滅んだ直後に来てしまったから⋯⋯。勇者としての失敗を無かったことにしようとした報いかな、左手の甲の紋章も失ったし⋯⋯」
自嘲気味に述べるジュイネ。
「ジュイネや、今は深く考え過ぎん方が良い⋯⋯。ほれ、赤ん坊のジュイネも今はすやすや眠っておるし、お前も自分の家でゆっくり休むと良いぞい」
「自分の家っていっても本来は赤ん坊のこの子の家だし、過去を遡るのを失敗した溢れ者の僕なんかの家じゃ⋯⋯」
「深く考え過ぎるなと、先程テオ殿に言われたろうジュイネ。⋯⋯ほら、赤ん坊のお前の寝顔を見ろ。なんと、安らかな事か」
グレイグの逞しい腕の中で安心しきって眠る赤ん坊の自分を見て、ジュイネは微笑ましく思うと共に決意を新たにする。
「ふふ⋯⋯そうだね。今はこの子の⋯⋯僕の家に、帰ろう。未来の僕を知らなくても、母さんであることに変わりないから⋯⋯ペルラ母さんの待つ家に帰ろう(この子と、グレイグ達の未来を守る為に)」
ペルラは当初、テオが連れて来た二人の旅人を訝しんでいたが、赤ん坊のジュイネが二人に懐いているようなのを知って安心したのか、自慢の美味しいシチューを振舞ってくれた上に暫く居候する事も快く了承してくれた。
梯子を登った先の二階の物置き場をジュイネとグレイグは協力して片付け、暫くの間寝床として使わせてもらう事になり、布団を並べて敷いて共に心持ち落ち着かない中眠りに入ったその夜───
「グ、レイグ⋯⋯グレイ、グ⋯⋯っ」
「⋯⋯!? ジュイネ、どうした」
苦しげで今にも消え入りそうなジュイネの声に、グレイグは一気に目が冴える。
「血、を⋯⋯血を、下さ⋯⋯ぃ」
「俺の血だな、分かった。今すぐ与えてやるからな」
グレイグは片腕を刃で裂き、鮮血をジュイネの口元に滴らせる。
「ん、ん⋯⋯っ───はぁ⋯⋯ふぅ⋯⋯」
「どうだ、身体は楽になったか?」
「うん⋯⋯ありがとう、大分楽になったよ⋯⋯。寝てるとこ急に起こして、ごめんね⋯⋯」
「それくらい構わんと言っているだろう。いつお前の存在がこの世界から薄まり消えてしまうか分からんのだし、自分から言ってくれなければ俺も見落とし兼ねんからな⋯⋯」
そう言いつつグレイグは自ら裂いた傷にベホイミを掛け治癒する。
「やはり夜は眠らずにお前をずっと見ておくべきだな⋯⋯朝起きたらお前が消えていたとなったら、悔やんでも悔やみきれん⋯⋯」
「それはダメだって言ったでしょう⋯⋯、睡眠を削ったりしたらいくら生命力に溢れた身体の丈夫なグレイグでも、身が持たないよ。睡眠はすごく大事だって、テオおじいちゃんにも言われてたし⋯⋯」
「うむ⋯⋯確かに過度の寝不足では、身体は思うように動かぬものだからな」
「それに寝不足状態だと、グレイグの生き血の鮮度も下がって⋯⋯僕をこの世界に留めておけなくなると思う。だから寝なきゃダメだよ、自分で危ないなって思ったらちゃんとさっきみたいに声を掛けるから⋯⋯」
「しかし、深く寝入っていてお前の消え入りそうな声が聞こえなかったりしたらと考えるとな⋯⋯だが睡眠を取らねば俺の健康的な血をお前に分け与えられんし⋯⋯うーむ」
「じゃあその⋯⋯夜寝る直前に血を分けてもらえば、夜中に起こす必要もなくなるんじゃないかな⋯⋯? あ、でも必要以上に血を分けてもらうのは気が引けるし⋯⋯グレイグが貧血になっちゃったら大変だし」
「お前は俺に対して心配性だな⋯⋯逆に俺はお前に対して心配性な訳だが、念には念を入れて⋯⋯お前の存在をすぐ近くに感じ取れるように、ぴったりと寄り添って寝るというのはどうだろう」
「え⋯⋯」
「嫌ならば、無理強いをするつもりはないが⋯⋯」
「───⋯⋯グレイグが、それで安心して眠れるっていうんならそれでも構わないけど」
「互いに抱き枕だと思えば、何とかならないか?」
「ふふ⋯⋯何それ。グレイグが僕の抱き枕で、僕がグレイグの抱き枕になるってこと?」
「笑い事ではない、俺はこれでも真剣なのだ」
「ご、ごめん⋯⋯。分かった、そうするよ」
「⋯⋯ほら、来い」
自分の布団の中に入るようにジュイネを手招くグレイグ。
「え、今から⋯⋯?」
「それはそうだろう、まだ夜中なのだしまたすぐ俺の血が必要にならんとも限らないだろう」
「ついさっきグレイグの血を飲ませてもらったから、大丈夫だと思うけど⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「分かりました、朝まで一緒に寝ます」
グレイグの無言の圧力にジュイネは根負けした。
───翌日、ジュイネはふと思い立ち神の岩に登る事をグレイグに提案する。
「あの岩山に登るのか⋯⋯? 俺は構わんが、今のお前には負担が大き過ぎるのではないか?」
「うーん⋯⋯確かに狭い箇所を通ったり、よじ登らなきゃならない所もあるけど、大地の精霊が宿るっていう神の岩の頂上の絶景を見れば、何かいい考えが浮かぶんじゃないかって」
「そうか⋯⋯岩山を登る際はなるべく俺が手を貸そう、消耗が激しかったら遠慮なく俺の血を頼るのだぞ」
「うん、分かった⋯⋯」
途中グレイグの生き血を分け与えてもらいつつ、二人は神の岩の頂上に辿り着く。
「ほう、確かに絶景だな⋯⋯空気もとても澄んでいる」
一度大きく息を吸い込み深呼吸するグレイグ。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうしたジュイネ、先程から黙って⋯⋯具合が悪いのではあるまいな?」
「あ⋯⋯違うよ、大丈夫。ちょっと、思い出したことがあって」
「何をだ?」
「うん⋯⋯僕が元々居た世界では、魔王を誕生させてしまったって話したよね。その世界の異変後に⋯⋯グレイグと、神の岩の麓で話した時⋯⋯『お前達が祭る大地の精霊は、俺のような戦いしか知らぬ男の願いも聞き届けてくれるのか?』って、言ってきた事があって」
「16年後の俺が、そのような事を⋯⋯?」
「『もしも、願いが届くのなら⋯⋯』って、苦しげな表情しててその後の言葉は聞けなかったんだけど、もしかしなくても───」
「⋯⋯⋯⋯」
「そうだ、紋章⋯⋯!」
急にハッとした声を上げるジュイネに、物思いにふけっていたグレイグは驚く。
「な、何事だ⋯⋯紋章がどうしたのだ?」
「赤ん坊の僕の勇者の紋章を、借りられないかな⋯⋯そうすれば、大きな助けになるはずなんだけど」
「赤ん坊のお前から、勇者の紋章を借りるだと⋯⋯? そのような事が、可能なのか?」
「分からないけど、試してみる価値はあると思う⋯⋯。早速、神の岩を下りて赤ん坊の僕に聞いてみる!」
「あ、赤ん坊に聞いて答えてくれるものか⋯⋯?? 待てジュイネ、そんなに急ぐな⋯⋯!」
下山を急いだが故にジュイネの消耗が激しく、存在が消えかけてしまった所でまたグレイグの生き血を分け与えてもらい、生気が宿ると再び急ぎ足で赤ん坊の自分の元へと向かう。
「おや、どうしたんだい旅人さん達。神の岩に行ってたんじゃないのかい?」
「お母さっ⋯⋯じゃなくてペルラさん、赤ん坊は───」
「あははっ、何だい、うちの可愛いジュイネに会いたくて早く下山しちまったのかい? しょうがないねぇ⋯⋯ジュイネならテオおじいさんがイシの大滝であやしてる所だよ」
「───おじいちゃん!」
「おぉ、ジュイネや⋯⋯そんなに慌ててどうしたんじゃい?」
「赤ん坊の、僕を⋯⋯また抱かせてくれないかな」
「もちろん構わんぞい、⋯⋯ほれ」
「あー、ぁー」
「えっと、君の左手の紋章⋯⋯僕に、貸してくれないかな。ちゃんと、後で返すから」
「ぅー?」
「(やはりそう上手く行くものでは⋯⋯)」
グレイグは期待していなかったがジュイネは諦めておらず、赤ん坊の自分を右腕に抱き左手を赤ん坊の顔近くに翳す。⋯⋯すると赤ん坊は左手の人差し指を小さな手で掴み、眩い光に互いが包まれたかと思うと赤ん坊のジュイネの小さな左手の甲から勇者の紋章は消え、代わりに青年側のジュイネの左手の甲に紋章が現れる。
「───ありがとう、このチカラで早めにウルノーガの野望を阻止しておくからね」
ジュイネは赤ん坊の自分に子守歌を静かに口ずさみ、赤ん坊はすやすやと深い眠りに落ちた。
「その歌は───」
「ユグノアの子守歌、だよ。⋯⋯16年後に会うことの出来た、実の祖父から教えてもらったんだ」
「そうか⋯⋯聴いていると、俺まで眠ってしまいそうだったが⋯⋯。所で大丈夫なのか、身体の方は」
「うん、赤ん坊の僕から勇者の紋章を借りたお陰でチカラがみなぎるのを感じるよ。これなら元の勇者のチカラも使えそうだ。それに⋯⋯グレイグから血をもらう必要も無くなったよ」
「そうなのか⋯⋯それはそれで、寂しい気もするが」
「え?」
「いや、何でもない」
「なる程のう、赤ん坊の自分から勇者の紋章を借り受けるとは⋯⋯。それで、やる事は決まったのじゃろう?」
「うん⋯⋯将来魔王として誕生するウルノーガを今のうちに倒すんだ。グレイグの友達も、闇に染まらずに済む」
「⋯⋯⋯⋯」
「そして、僕の願いも届くなら、もう一度───」
「⋯⋯⋯?」
「ううん、何でもない。⋯⋯テオおじいちゃん、赤ん坊の僕をお願い。しばらく、目覚めないかもしれないけど⋯⋯僕のここでの役目をすぐ終わらせたら必ず紋章をこの子に返すから」
「うむ⋯⋯頑張るのじゃぞ。無理はせんでな」
「⋯⋯すぐにデルカダール城に戻るか?」
「その前に、命の大樹の魂のある場所へ行って⋯⋯勇者の剣を授かってこないと」
「そのような事が、可能なのか⋯⋯!?」
「僕は元々16年後の未来から来た存在だし、過去の赤ん坊の僕から借りた勇者のチカラでも命の大樹はその魂に内包した勇者の剣を授けてくれると思う。⋯⋯だって、ウルノーガが僕から奪った勇者のチカラを大樹の魂に翳したら簡単に勇者の剣を譲り渡しちゃってたし」
「何と⋯⋯」
「───生まれた時から勇者の紋章を携えてたかどうかなんて問題じゃなかったんだ、それをウルノーガは何故か知っていたから勇者の剣と大樹の魂を奪う為に勇者のチカラを一時的にも必要としたんだよ。ウルノーガはあくまで魔王になりたかったみたいだから、勇者の剣を手にした途端勇者のチカラを握り潰して剣を魔王の剣に変え、大樹の魂を奪い魔王として誕生した」
「⋯⋯16年後の未来に、そんな事が起きていたとは」
「だからこそ、それを起こさせない為にこっちが先に勇者の剣を手にして、魔王じゃない魔道士のままのウルノーガを討つんだ」
「そうすれば俺とお前と⋯⋯我が友ホメロスで16年後の未来を守れるのだな」
「うん⋯⋯本当は、魔王が誕生した異変後の世界で僕とグレイグは、かけがえのない絆を得たんだけど⋯⋯それを、無かったことにしてしまうのは僕の本意じゃない。そんな迷いを抱えながら時を遡るのを決断してしまったから、意図せず16年前に来てしまったんだと思う」
「俺とお前は⋯⋯魔王誕生後の世界でなければ、かけがえのない絆を得られなかったというのか」
「分からない。⋯⋯でも16年前のグレイグは今こうして僕にチカラを貸してくれている。元の世界から切り離されて16年前のこの過去の世界で消えるしかなかった僕を生かす為に、自分の生き血を分け与え続けようとしてくれる。魔王誕生に関係なく⋯⋯僕らは絆を得られてると思うよ。グレイグの、唯一無二の友達の⋯⋯ホメロスには、敵わないだろうけど」
「比べる必要はあるまい、俺にとってはどちらも必要な存在だ」
「そうだと、いいけど。⋯⋯用が済んだら勇者の剣は、赤ん坊に紋章を返す前に命の大樹に戻しておかないとね」
───本来、命の大樹への道は六つのオーブが無ければ開かれないが未来から来ているジュイネにとっては命の大樹自体に訪れた事がある為、容易にルーラでグレイグを伴い命の大樹に訪れる事に成功し、命の大樹の魂から勇者の剣を授かる事にも何の弊害もなかった。⋯⋯それを見ていたグレイグは、初めて見る光景のはずなのに既視感のある不思議な感覚があった。
そして、勇者のチカラと勇者の剣という確たるチカラを持ってジュイネとグレイグの二人が兵士達の制止をものともせずデルカダール城に半ば強引に踏み入った時には既に、玉座の間では正体を現した魔道士ウルノーガの姿があった。
「ほう⋯⋯ホメロスの言っていた通りであったな。未来から来た悪魔の子が、わざわざ勇者のチカラを我に献上しに来るとは」
「⋯⋯ホメロス、どこだ! 俺達は、ウルノーガを討つ確たるチカラを持って戻って来たぞ! 今こそ、共闘する時だッ!」
「───そう焦るなグレイグ、私はここに居る」
「なッ、何だその姿は⋯⋯?!」
「(魔軍司令の時の姿に⋯⋯ホメロスは、ウルノーガのもたらす闇のチカラに抗えなかった⋯⋯?)」
「ウルノーガ様が与えて下さった闇のチカラは素晴らしいぞグレイグ⋯⋯このチカラがあれば、私はお前の先を行く事が出来る⋯⋯!」
「何を言って⋯⋯! ホメロス、目を覚ませッ。お前なら闇のチカラになど屈しないはずだ!」
「───グレイグ、ウルノーガを倒そう」
勇者の剣を構えるジュイネ。
「⋯⋯!」
魔道士ウルノーガと魔軍司令姿のホメロスは闇のオーラを纏ったが、ジュイネが掲げた勇者の剣が放つ光輝によって闇のオーラを無効化にし、ジュイネとグレイグはウルノーガに怒涛の勢いで攻撃を加えてゆく。
「ぐぬぅ⋯⋯何をしているホメロス、お前に与えた闇のチカラで悪魔の子と反逆者に思い知らせてやるのだ⋯⋯!」
「仰せの通りに、ウルノーガよ⋯⋯!」
ホメロスは瞬時に魔道士ウルノーガの背後を取り、授かった杖ではなく愛用していたプラチナソードで背中を貫き、ウルノーガの動きを止めた所へジュイネが勇者の剣によってトドメを刺す。
「ク、クク⋯⋯魔王となるはずだった我を阻止した所で、いずれ復活する邪悪の神に貴様等は───」
「それを倒すのは“僕”じゃない。⋯⋯この世界の16年後の“彼”がきっと、仲間達と共に倒してくれる」
「 ──────」
魔道士ウルノーガは黒い塵となり霧散して行き、ホメロスは元の姿に戻っていた。玉座にぐったりしていた本物のデルカダール王はすぐ様自室に移され安静に寝かされた。
「ホメロス⋯⋯あれは演技だったのか。肝を冷やしたぞッ」
「フン⋯⋯取り入った振りをしていたのだ、悪趣味な格好をさせられてまでな。実際、奴の闇のチカラは強力だったさ⋯⋯少しでも気を抜けば闇に染まり兼ねなかった。お前達が確たるチカラを持って来るのが遅れれば、オレは完全に闇に魅入られていたかもしれん」
「ジュイネのお陰だ⋯⋯赤ん坊の勇者の紋章を借り受け勇者の剣を授かり、確たるチカラを持ってしてウルノーガを倒せたのだ。無論ホメロス⋯⋯お前が隙を見てウルノーガに反撃を加えたのも大きい」
「約束したろう、己の闇とウルノーガのもたらす闇に屈しないと。⋯⋯それにオレ達は双頭の鷲、共にデルカダールの未来を担うのだからな」
「あぁ、そうだとも⋯⋯!」
「───所で先程からジュイネの姿が見えないが、どうした?」
「む? 確かに⋯⋯王を自室に運び込むまでは近くに居たはずだが」
周囲を見回すグレイグ。
「勇者の紋章のチカラで、お前の血は必要としなくなったのだろう?」
「そうなのだが⋯⋯(何だ、胸騒ぎがする)」
「⋯⋯ジュイネはこの件が済んだら、どうすると言っていた? 思い出せ、グレイグ」
「───ここでの役目をすぐ終わらせたら、必ず紋章を赤ん坊に返す、と⋯⋯その前に、用が済んだら勇者の剣を命の大樹に戻すとも、言っていたな⋯⋯」
「それの意味する所が、判るだろうグレイグ」
「くッ、今すぐジュイネを追わねば! あいつはルーラを使えるのだ、瞬時に命の大樹へ勇者の剣を戻しに行った後イシの村に向かったに違いない! 何故一言も言わずに俺達の前から姿を───」
「⋯⋯お前の生き血で、生き長らえるつもりはないらしい。さっさと早馬を飛ばしてこいグレイグ、このまま別れるのがお前にとって不本意ならば」
「⋯⋯ッ!」
───グレイグがイシの村に着いた時には、大分日が暮れていた。テオが大樹の根が巻き付いた木の下で赤ん坊のジュイネを抱き、一人佇んでいる。事情を聞くと、青年のジュイネが戻って来たかと思えば勇者の紋章を赤ん坊に返し、一人イシの大滝へおぼつかない足取りで向かったという。祖父のテオと赤ん坊に笑顔を見せ、『元気でね』と言い残して。
⋯⋯グレイグが急ぎ大滝に向かうと、光虫が幻想的に辺りに漂い、微かに歌を口ずさみながら空を仰ぎ佇んでいる儚げな姿があった。
「ジュイネ⋯⋯!!」
グレイグが名を呼ぶとこちらに顔を向け、一瞬儚い微笑みを見せた直後、その姿は風景に溶け込むように消え、その瞬間ライトグリーンの雫が煌めき水辺に落下したように見えすぐに駆け寄ると、そこにはユグノア王家のペンダントがあった。グレイグはそれを拾い上げ、暫くの間その場を離れる事が出来ず、頬を伝うものすら何なのか分からなかった。
────────────
─────────
──────
16年後のある日、黒い太陽が現れた。邪神なるものがこの時になって復活を果たしたという。その邪悪なる神を倒す為に勇者とその仲間達は奮闘し、討伐に成功する。
⋯⋯勇者の仲間の一人であり、勇者の盾となったデルカダールの将軍グレイグは、時折イシの村を訪れ神の岩に登る。その胸元には肌身離さず、もう一人の勇者がかつて持っていたユグノア王家のペンダントを忍ばせ身に着けている。彼の存在を決して、忘れぬように。
グレイグは不意に思い出す。赤ん坊から勇者の紋章を借り受けた際に、ふとジュイネが口にした言葉を。
『僕の願いも届くなら、もう一度───』
(友を失わずに済み、かつての俺の願いはお前のお陰で届いた。お前の願いも、届いたのだろうか⋯⋯。もう一度、お前の望む俺に⋯⋯逢えただろうか)
グレイグ、と背後から声が掛かる。そこにはかつての同じ姿をした“彼”が居た。
「後を追って来ちゃったけど、邪魔だったかな。いつも、グレイグは一人で神の岩に登るから」
「邪魔な訳がないだろう。ただ、そうだな───ジュイネ、歌を歌ってくれないか。ユグノアの⋯⋯子守歌を」
「僕がロウじいちゃんから教わった子守歌だね。グレイグ、好きだよねユグノアの子守歌⋯⋯どうして?」
「16年前⋯⋯滅ぼされたユグノア王国の生き残りの者から聴かせてもらった事があってな、忘れられぬのだ。お前とよく似たその声音で⋯⋯何度だろうと、聴かせてほしいのだよ」
グレイグの言葉を受け、ジュイネはグレイグの隣に立ち、ユグノアの子守歌を静かに口ずさんだ。柔らかな風が、二人の間を吹き抜けていった。
end