グレ主。
グレイグとジュイネは邪神討伐後、復興したイシの村ではなくデルカダール城下町の一角に居を構えた。共に暮らすにあたり、デルカダール城のグレイグの広い私室でも良かったのだが、城の中だと色々気を遣われて寧ろ落ち着かない為、二人で決めた城下町の一角に居を構える事にした。
「⋯⋯だが良いのか? 復興したイシの村で暮らしても良かったのだぞ」
「え、でも⋯⋯それだとデルカダール城でお仕事するグレイグの行き帰りが大変でしょ?」
「漆黒の風とも呼ばれる俺の愛馬、リタリフォンでの行き来なら問題ないのだが」
「それもそうだけど、僕としては出来るだけグレイグの近くに居て帰りを待ってたいなって」
「! お前という奴は⋯⋯」
その言葉に嬉しさが込み上げ、グレイグはジュイネを強く抱き締める。
「ぐっ、グレイグってば⋯⋯外じゃ人の目もあるからそんなに抱きついてこられると恥ずかしいよ。そ、それに⋯⋯チカラ強くて痛い」
「む、す、すまん⋯⋯ついチカラが入ってしまった」
「僕も、お仕事見つけなきゃな。紋章も無くなって、勇者の使命も終えたんだし」
「俺は元々のデルカダールの将軍としての務めに戻るだけだが、お前からしたら16の成人になった途端勇者として旅立たされ、様々な苦難を乗り越えて使命を果たしたのだから暫くは休んでも誰も文句は言うまいよ」
「そうかな。⋯⋯紋章が無くなっても勇者様って呼ばれるし、職業は勇者で一生変われないかもね」
どこか自嘲するかのように言うジュイネ。
「俺は英雄と呼ばれるようになってから久しいが、未だにこそばゆく感じる事はあるな」
「そうなんだ⋯⋯。グレイグこそ英雄に相応しくて、僕は生まれた時から紋章を携えてたといってもそれは命の大樹からの借り物でしかなくて、僕自身が本当に勇者ってわけじゃないのに」
「俺は、勇者であるお前だから盾になったわけではない。⋯⋯ジュイネ自身の盾であり続けたいと心から願ったからこそだ」
グレイグは愛しげにジュイネの頬に片手を添える。
「うん⋯⋯ありがとう、グレイグ。って、お仕事のお見送りに家から外に出たはずなのに、長話しちゃったね。そろそろお城に向かわないと遅刻しちゃうよ?」
「城はそもそもすぐそこだ、遅刻しようがない。⋯⋯とはいえ女王として即位されたばかりの姫様をしっかりお支えしなければな」
「そうだよね⋯⋯。それじゃあ、行ってらっしゃいグレイグ。晩御飯はおいしいシチューを作って待ってるね」
「うむ、楽しみだ。それとその、何だ⋯⋯」
「え、なに、忘れ物?」
「忘れ物と言えば、そうだな⋯⋯行ってらっしゃいの、口づけは」
「はぁ、もう⋯⋯グレイグってば欲しがりだな。そのままだと届かないから、顔を寄せてくれる?」
「う、うむ⋯⋯!」
「⋯⋯───」
ジュイネはグレイグの頬にそっと口づけた。
「そっち、か⋯⋯」
「く、唇の方が良かったの⋯⋯? それはまた今度⋯⋯か、帰ったらね!」
恥ずかしくなったジュイネは家に入り玄関のドアを閉めた。
「そちらの方も、楽しみにしているぞ⋯⋯! 俺が帰るまで、戸締まりはしっかりしておくのだぞッ! この辺りを警備している兵達にはなるべく、俺とお前の家の周囲に異常がないか巡回するように伝えてあるからな! 出掛ける用事があったとしても、目を配るようにも伝えてあるぞ! ⋯⋯では、行って来るッ」
「(至れり尽くせり、だなぁ⋯⋯。紋章を譲渡してから、体力が落ちてきた気がするし⋯⋯万一グレイグが居ない時に何かあっても、この周辺を巡回してくれる兵士さん達が居てくれるなら安心かな)」
ジュイネは家の中の窓から城へ向かうグレイグを見送りながら胸元に片手を宛てがう。
「(まだドキドキしてるや⋯⋯。グレイグが帰ってきたら、唇に口づけるのを約束しちゃったし⋯⋯。えーっと買い出しは、昨日グレイグが休みの時に一緒に済ませたし⋯⋯。うーん、とりあえず掃除洗濯して、シチューの下拵えをしようかな)」
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「(ふぅ、少しばかり帰るのが遅れるな。邪神を倒して以降魔物の討伐依頼が無くなったとはいえ、その分人間同士のいざこざが増えた気がする⋯⋯。魔物の存在によって今まで抑圧されていた環境から解放され、気が大きくなるのも無理はないが⋯⋯。城からは近い場所にあるとはいえ、早くジュイネの待つ我が家に帰り疲れた心を癒してもらわねば)」
家の窓は淡い明かりが灯っていた。出迎えを期待したがそれはなく、リビングのソファには横向きに縮こまるようにして眠っているジュイネの姿があった。
「(俺を待っている間に寝てしまったのだな⋯⋯可愛い奴め。起こすのも何だし、かといってこのままソファに寝かせておくのもな⋯⋯。ベッドに移すか)」
グレイグが横抱きにしようとした時、ジュイネが身じろぐ。
「ん⋯⋯⋯」
「む、起こしてしまったか」
「⋯⋯⋯⋯?」
ジュイネはグレイグに朧気な目を向ける。
「───だれ?」
「誰、だと⋯⋯? 寝ぼけているにしては冗談が過ぎないか?」
「えっと⋯⋯、あれ⋯⋯⋯?」
グレイグをよく見ようとゆっくり身体を起こし、寝ぼけ眼のまま目を凝らし首を傾げている。
「ほ、本当に俺の事が判らないのかジュイネッ?」
「───ぁ、グレイグ⋯⋯僕の、大切な人」
「ふぅ⋯⋯そう想ってくれているなら、一瞬たりとも忘れないでくれ⋯⋯」
グレイグは胸をなで下ろし、ジュイネの方はきょとんとしている。
「おかしいな、グレイグのこと忘れるわけないのに⋯⋯なんか、ごめんね」
「いや、いいのだ⋯⋯寝ぼけていたのだろう。身体の具合はどうなのだ? ⋯⋯あの方に紋章を譲渡してからというもの、体力が落ちてきているようだが」
「あ⋯⋯知ってたんだ」
「隠そうともお前の事なのだから無論だ。⋯⋯明らかに疲れやすくなっていないか?」
「うん⋯⋯家事だけでも結構堪えてしまって。旅してた時は毎日あんなに戦っても一晩休んだだけで回復してたのに、今じゃ毎日のように身体の怠さが抜けないんだ」
「俺との時間も、すぐにチカラ尽きてしまうしな」
「ご、ごめん⋯⋯紋章があった時と違って、すぐ耐えきれなくなっちゃって」
「しかし左手の甲の勇者の紋章が無くなっただけで、それほどまでに弱体化するものなのか?」
「紋章を譲渡したことに後悔はしてないよ、だって元々借り物のチカラだったし。考えてみたら紋章のチカラのお陰で生き長らえていられただけで、本来の僕は脆弱だったのかもしれない。命の大樹は慈悲も込めて、僕に勇者の紋章を授けてくれたんじゃないかな。だけど僕は、その紋章を時の番人になっていたあの人に渡したから⋯⋯本来の弱い僕になっただけかな」
「待て、それが本当だとしたらお前は───」
「大丈夫だよ。僕はまだまだグレイグと一緒に居たいし、そう簡単にどうにかなったりしないから。⋯⋯シチュー作ってあるから、温め直して一緒に食べようよ」
ジュイネはグレイグを心配させまいと笑顔を見せる。⋯⋯そして翌日、窓から差し込む朝日にグレイグは目を細めた。
「(む、朝か⋯⋯。流石に無理させる訳にはいかんから、昨晩は何事もせず寝かせたが⋯⋯ジュイネの寝顔をずっと見ていたからか、まだ眠いな⋯⋯)」
上向きからふとすぐ横のジュイネに目を向けると、ジュイネは既に目覚めていたようだが眼はまだとろんとしている。
「ジュイネ、起きていたか⋯⋯。体調は、どうだ?」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
横向きに寄り添ったまま問いに何も答えない為、グレイグは嫌な予感がした。
「ジュイネ⋯⋯まさかまた俺の事が、判らないのか⋯⋯?」
「───グレイグ、おはよう。ぼく、グレイグ知ってるよ」
「そ、そうか⋯⋯ならいいのだが」
「でもね、ぼく⋯⋯⋯ぼくは、なにかな」
ジュイネの眼は未だにとろんとしていて、またすぐにでも眠ってしまいそうだった。
「僕は、何かなとは、どういう⋯⋯⋯。お前、今度は自分が判らないのか⋯⋯!?」
「わから、ない⋯⋯? わからない、ちがうよ。ぼくはグレイグ知ってるの」
「何を⋯⋯俺の何を、知っている?」
「ムシ、きらい⋯⋯さむいのいや、ネコいるとくしゃみ出ちゃうんだよ」
ふふ⋯っと無邪気に微笑むジュイネ。
「───それだけではないだろう、一番重要な事を忘れているぞ」
「⋯⋯なぁに?」
「俺はお前に命を預け、お前を護り続ける盾なのだ。それを忘れてもらっては困る」
「ぼくの、たて⋯⋯⋯」
「そしてジュイネ、お前は俺にとって唯一無二の存在。⋯⋯お前にとっても俺は、そうではないのか?」
「うん⋯⋯そうだね。そうだった、ね。僕の、大好きな人⋯⋯⋯あの時の誓い、忘れない。忘れたく、ない」
ジュイネはグレイグの大胸筋に顔をすり寄せる。
「何だか、頭の中が不意にぼやけてきちゃうんだ。僕⋯⋯このままいつか、何も分からなくなっちゃうの、かな⋯⋯。こわいよ、グレイグ⋯⋯⋯」
「───俺は暫く城の務めを休もうと思う。出来る限りお前の傍に居たい」
「だめ、だよ⋯⋯お仕事は、しなきゃ⋯⋯。勇者の使命を果たした僕は、もうこの世界に必要ないけど⋯⋯グレイグを、必要としている人はまだいっぱいいるんだから。僕だけ、グレイグを束縛していいことにはならないよ」
「⋯⋯⋯⋯。ならば、城の俺の私室にお前を移す。俺が務めを果たしている間は、使用人にお前を任せようと思う。少しでも空いた時間は、お前の様子を見に来るようにする。それでいいか?」
「うん、いいよ⋯⋯。ほんとはお城の人に気を遣わせたくなかったんだけど、グレイグがそれで安心出来るなら⋯⋯グレイグの部屋で大人しくしてるよ。せっかく、二人きりの家に住めるようになったのに⋯⋯ごめんね」
「お前の身体が良くなりさえすれば、またいつでも二人きりの家で暮らせるだろうさ。だからそれまでは⋯⋯ゆっくり休め」
「うん⋯⋯」
グレイグに優しく頭を撫ぜられ、ジュイネは深い眠りに落ちた。
「(勇者のチカラを使ってきた反動なのか、それともジュイネの言うように元から脆弱だった身体を勇者の紋章のチカラが補っていたのか⋯⋯。どちらにせよ、記憶まで曖昧になるのは不自然だ。何とかして、治してやらねば───)」
調合が得意なセーニャに薬を頼んだり、高名な学者を集めて治療法を模索したがどれも効かず、ジュイネは日に日に弱ってゆきグレイグの私室のベッドでほぼ寝たきり状態と化していた。記憶もどんどん曖昧になり、誕生していないはずの魔王なるものを恐れ、泣きじゃくる事すらあった。
(⋯⋯このまま衰弱してゆくジュイネを見ているしか出来ないのか、俺にはッ。何か⋯⋯何かないのか、ジュイネを死なせず記憶を安定させる方法は───!)
グレイグは最後の手段として、ジュイネを連れ命の大樹へ赴き、勇者の剣を内包している大樹の魂のある場所まで向かった。
どうすれば良いかは判っていた。勇者として役目を終えたジュイネと共に勇者の剣を奉納した際、命の大樹の化身たる聖竜と相まみえた事がある。
ロトゼタシアを創世し、ジュイネに勇者の紋章と剣を授けた聖竜ならばジュイネを救ってくれるのでは、と。
『───死なせる事なく、記憶を保たせたままにするのは可能です。“私の中”にさえ居れば、の話ですが』
「私の中、とは⋯⋯?」
『勇者の剣を内包している、大樹の魂そのものの中です』
「何と⋯⋯⋯」
『しかし一度中に入れば、出す事は叶いません』
「! 何故です、勇者の剣はジュイネが大樹の魂から取り出せたではありませんかッ」
『今の彼は人間としての生命力が尽きかけようとしている⋯⋯。ですが大樹の魂、私の中に存在すれば私の生命力の供給により永久(とわ)に等しく生きる事が出来、記憶の忘却も防げます。⋯⋯但し、私の中から出てしまえば途端に生命が尽きるでしょう』
「─────」
『愛しき者の命と記憶は約束されますが、二度と⋯⋯触れ合う事は出来ません。二人共に大樹の魂に内包する事は叶いません。⋯⋯それでも構わないのなら、彼を私の魂に内包しましょう』
聖竜の言葉を受けグレイグは、自分の腕の中で息をしているかも定かではないほどにぐったりとしているジュイネを暫くじっと見つめ、名残惜しげにそっと口づける。
「⋯⋯⋯触れ合う事が、全てではない。ジュイネの命と記憶を護れるのならば、大樹の魂にジュイネを預けたい。そして願わくば俺を⋯⋯ジュイネを内包した大樹の魂の護り人にしてほしい」
『───判りました。では貴方に、護り人として勇者の剣を授けます』
大樹の魂を覆う蔓が解け、内包してあった勇者の剣がひとりでにグレイグの近くの地面に突き立った。
そしてグレイグは大樹の魂へ向けジュイネを差し出し、ジュイネは眩い大樹の魂の中に吸い寄せられ一糸まとわぬ姿となって蹲る姿勢で内包され、蔓が再び魂を覆った。
(これで良い⋯⋯これでジュイネは死ぬ事無く、永久に等しく生きられる。俺は⋯⋯いずれ人としての生命を終えるだろうが、生まれ変わってでもまた逢いに来よう⋯⋯ジュイネの元に)
『───グレイグ、グレイグ⋯⋯!』
大樹の魂の中で目覚めたジュイネは、魂を覆う蔓の間から顔を覗かせ、グレイグに呼び掛ける。
『どうして、こんな⋯⋯これじゃ、グレイグに触れられないよ』
破る事の出来ない内側の魂の壁に、もどかしげに手を添えるジュイネの手に重ねるようにして、グレイグも同じく外側から手を添える。
「直に触れ合う事が全てではないよ。───俺とお前の心は常に繋がっている。そうだろう、ジュイネ」
end