ウサミン、一位だってよ 作:おフロディテ
君との長い電話を切って、一人ぶらりと、夜の街へ繰り出した。
随分色んな話をしたけれど、要約してしまえばたった一言に収まってしまう。
「サヨナラ」
コンビニでタバコを買った。君と付き合って以来吸っていなかったから、多分二年ぶりの喫煙になる。
最近喫煙者は肩身が狭い。車の中にヤニの香りを残しているだけで、少し眉根を寄せられてしまう。まして、目の前で吸おうものならば、非国民のレッテルを貼られ火あぶりにされる――勢いで非難される。
タバコを初めて見たのは、近所に住む大学生のお姉さんだ。彼女は誰もいない公園でスパスパやっては、通りがかった主婦に文句を言われていた。
憧れる要素なんて今思っても何もないけれど、なんとなくカッコいいなと思ってしまった。
はじめてタバコを吸ったのは高校三年の時。誰にも内緒で、喫煙所のシケモクに火をつけて咥えてみた。臭くて、苦くて、とても味わえた物じゃなかった。けれど、どうしてだろう、タバコへの憧れは増していった。
大学生になって軽いものなら吸えるようになって、初めての恋人が出来てしまった。
君はヘビースモーカーで暴力を振るう父親が大嫌いで、だから、タバコも嫌いだった。
タバコを捨てた後は、代わりにガムを噛むようになった。けれどついに、ガムは好きになれなかった。アゴは疲れるし、美味しくもない。けれどガムを噛んでいる横顔を、君は素敵と言ってくれた。
すこしだけ、気が引けた。
君がサヨナラと言った意味はなんだったのだろうか。自分自身に悪いところが全くなかったなんて、そんな愚かな思い違いはしない。
君は几帳面でズボラな自分とは正反対だった。料理も出来ないし、洗濯も回せない。家の事がなにひとつ出来ない自分は、どうしようもなく「らしく」ないのだろう。
けれど、君がサヨナラを言った理由はそこにないような気がした。
根拠なんて何もない。
一方的な思い込みだけれど、そう思ってしまったのだ。
商店街を練り歩いて、少し外れにある行きつけの定食屋に顔を出す。
店主は何も言わずにレモンサワーを出してくれた。下戸だと知っているから、アルコールは控えめに。
焼き鳥を二、三本つまみながら、気分が上がらなかったので早々に席を立った。
店を去る直前にふと耳をすませると、可愛らしい女の子が歌うポップスが聞こえた。雰囲気が変わったななんて思った。
☆ ☆ ☆
「のの子、このCDでよかったのか?」
「ウサミンって言えば、それなんだって」
親子が楽しそうにすれ違う。ふと、この二人に君の姿を重ねている自分に気がついた。
今時重いかもしれないが、交際すれば結婚をする、なんて価値観を持っている。
君にそれを打ち明けこそしなかったが、もしかしたら感づかれていたのかもしれない。重いとか思われてたら嫌だな。
結婚は素敵だと思う。
自分の人生をラインで見通したとき、君との家庭が思い描けた。
今は雲のように消えてしまったけれど、君はそういうつもりじゃなかったのかもしれないなんて。
服屋の前を通りかかって、ショーケースに飾られるウェディングドレスに目を奪われた。
純白のそれが、今日に限ってやたらと眩しかった。
『ウェディングドレス、やっぱり憧れる?』
『そりゃあ、ね。なんだかんだ言っても、こういうの女の子に生まれたら、憧れるもんだよ』
君と交わした会話がフラッシュバックする。
あの頃は無邪気に君との未来を信じられた。きっと叶うだろうと、疑ってすらいなかった。
そんな未来はもう訪れない。君が今度出会う誰かは、きっと自分じゃないんだろう。
街を眺めれば君との足跡が残っていて、少しだけ、ほんの少しだけ、泣きたくなる。
☆ ☆ ☆
「今日のゲストは、人気ファッション雑誌、nana.の大人気企画『おしゃれブランドシリーズ』で、大ブレイク。そのファッションセンスももちろん、今や実力派女優としても有名な桃木ももかさんです」
街頭テレビの下に人だまりが出来て賑やかだ。彼ら、彼女らの目的は、考えるまでもなくいま画面に映っている女優だろう。
ぼんやりと画面を見つめてふと、彼女のことを君も好きだったななんて思い出した。
あれは、いつだったろう。
そう確か、日曜のリビングでテレビを見ている時だ。
君は昼間っから居間でゴロゴロと寝転がって、スナック菓子片手にテレビを見ていた。
ずっと同じ子ばかり見ているので、ついつい好きなのかと訊ねたのだ。
特に深い意味はなかったが、君は堰を切ったように語り出して止まらなかった。
基本的に他人の話を長々と聞いているのは好きではない。
自分に興味のないことならなおさらである。
だというのに、不思議と君の話は聞いていられた。
理由はわかっている。好きだからだ。
好きというのは実に不可解な現象だ。家族や友人にも抱く感情で、全世界に共通する普遍的なもの。だというのに、ある時、ある人にだけ、どうしようもなく好きな瞬間が生まれる。
この好きは、他の好きとはまったく違って。もっと心の奥深くから生まれてくるような、言葉に出来ない自分だけの強烈な情。
時に自分に信じられないほどの活力を与え、そして今のようにどうしようもない無力感をももたらすもの。
この感情に振り回されたら最後、しばらくはまともでいられなくなる、いわば、病気にも似たもの。
あぁ、と言うことは、自分はどうしようもなく君に恋をしていたのか。
今更になって、改めて悟って、少しスッキリした気分になって、くすぐったい。
☆ ☆ ☆
本屋さんにぷらりと立ち寄る。
お気に入りの歴史小説家の新作をとろうとして、ふと隣にあるポップが目に入った。
――安部菜々。
聞き覚えのある名前だ。どこかであったことがあるのだろうか。
頭をひねって考えるも、出てこない。
けれど、確かに記憶の片隅には存在していて、一体誰なのだろうと気にしている間に、町が夜の空気に包まれてしまった。
急いで外に出ると、もうすっかり星々が顔を覗かせており、思わず仰ぎ見た。
「あ、夏の大三角」
デネブ、アルタイル、ベガ。
星に興味のない自分が、唯一覚えた三つの星。
君が教えてくれた小難しい逸話や、複雑な星座たちもぼんやりと覚えている。
たしか、あの砂時計みたいなのがオリオン座。あっちの弓みたいなのがはくちょう座。たった二つのアレが、子犬座だったっけ。
家に君の残した星座早見盤がまだある。
それだけじゃない。歯ブラシも、クシも、ゲームのソフトも。君が置いていったものがまだあの家には残っていた。
捨てるに捨てられなかったのだ。
いや、捨てようとすらしていない。まだ、大事にとってある。歯ブラシなんかは捨ててしまっても、もういいよね、なんて。
今の自分はどうしようもなくセンチメンタルだった。
☆ ☆ ☆
帰り道に付こうとして、大学生らしき女の子たちの会話が聞こえてきた。
「そう、安部菜々っていうの。結構良い歌、歌うんだよ」
「へぇ、意外。千春って案外そういうの聞くんだ」
「いや、ちょっと昔にね」
「あ、なに今の気になる反応。なんかあるんでしょ」
「ないって何にも――」
安部菜々、そうだ、歌を歌うと言うことは、歌手かなにかか。ともかくそうだった、タレントだった。
多分、君が語った推しの中に、その安部菜々がいたのだろう。
けれど、その時の君の顔が思い出せない。
どうしてかわからないが、思い出せないのだ。
信号待ちをしている間も、歩道橋を渡る時も、結局ずっと考えていたけど、自力では思い出せずに気がつけば家の近くの商店街まで戻ってきてしまっていた。
「あ、タバコ、家に灰皿ないや……」
ふと、そんな事を呟く。
Uターンして、百均へ向かう。
灰皿はおまけだった。
☆ ☆ ☆
これは恋の話。
どうしようもない失恋の話。
当たり前に人を好きになって、当たり前に別れて。
劇的でもなんでもない、ありふれた日常にまぎれてしまうような、凡百の恋の話。
別れてしまった今、この恋の話は終わった。
始まったときから終わっていた。
けれど、後ろ髪を引かれてこの先を歩き続けていくのは嫌だから。
たった少しの立ち直りとして、エピローグを語りたくなってしまったのだ。
つまりこれは自分の恋のエピローグ。
打ちのめされた一般人に起きた、ささいで奇跡的な出会いの話。
☆ ☆ ☆
適当に買った灰皿が入ったレジ袋をぶら下げて、再び街頭テレビの所まで戻ると、人だかりは散ってしまっていた。
テレビは当たり障りのない車の広告を流しており、見る価値もなくなってしまっている。
「あの、こんばんは」
すると、背中に声がかかった。
可愛らしい女の子然とした声だ。
振り返るとそこには、背の低い女性が立っていた。
目鼻立ちが整っていて、ぱっと見ただけでもそのオーラの違いが手に取るように理解出来てしまう。
芸能人かな、と手元に視線を落とすと、それらしきマイクが握られていた。
「街頭インタビューをしているんですが、お時間よろしいですか?」
派手な衣装から見るに、この人はアイドルだろう。
それにしては礼儀のなっている人だと思う。社会でキチンと揉まれた、立派な社会人。
「かまいませんが」と答えると、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
そこで、頭を過ぎった名前。思い出す。
「ウサミン――」
そうだ、ウサミンだ。
今思い出したのは、彼女の愛称であるウサミンという名前。だが、それは彼女を呼んだ言葉ではなく自分の頭のもやもやに解をつけた言葉だった。
そうだった。君が推していたその人は、ウサミンというアイドルだった。
「ありがとうございます! ウサミンという名前で活動してまして……」
「ああ、テレビでよく見てますよ」
思ってもないことを。自分はあまりテレビを見ないのだ。
すると、ふとウサミンが自分のレジ袋を眺めているのに気がついた。
そういえば、今自分は灰皿を買ったばっかりだった。
慌てて取り繕うと口を開き欠けたところへ、ウサミンが、
「タバコ、吸うんですね。素敵ですね」
多分、彼女は他意なく言っている。喫煙を推奨するわけでも、お世辞を口から飛ばしているわけでもない。
それがわかってしまうから、思わずそっぽを向いてしまった。
インタビューはすぐに終わった。
帰り道、ウサミンの顔を思い出して、溜まらず呟く。
「君が好きになるわけだ」
君への執着はどこかへ飛んでいった。
これにて一旦終了です。またネタが溜まったら書きます。