(……?)
ぼんやり目覚めると、見慣れた天井が目に入った。いや、少し違和感がある。天井が近い。
何度か目をぱちぱちさせる。今居る所は二段ベッドの上の方だが、ここで寝た記憶はない。とりあえず起きようとして、異変に気付いた。
熱がある。病気知らずなのでこれが高いのか分からないが、気分が悪いのは確かだ。頭に鉛が詰まり、体中を虫が這うような悪寒がある。
(なんで?)
昨夜は…だめだ頭が重い、思考を止める。どうでもいいことに気力を使うのは宜しくない。風邪?というものは思ったよりきついらしい。
ふぅ、と深い溜め息をついた。大人しく寝る。体がいうことを聞かない、この感覚は久方ぶりだ。思わず苦笑いが零れる。
不意に左側…ベッドに付けられた梯子から、物音が聞こえた。
「辛そうだね」
「……前髪」
夏油がわたしの顔を覗き込んできた。凄くニヤニヤしている。
「びっくりしたよ。九相図達をここに連れて来たら、君が倒れていたんだ」
「…褒めてつかわす」
思い出した。昨日は本当に疲れて、途中で倒れたのだ。玄関に入った辺りから記憶がない。それを見て寝かせてくれたようだ。
それは良い、良いのだが。
「病人を二段ベッドの上に寝かせる奴おる?」
この部屋には5つの寝具がある。元は九相図が使う家だったので布団が3つしかなかったが、わたしが来たので2段ベッドを用意して貰った。1段目は机、2段目はベッドになっており、側面には板が打ち付けてある。
これを部屋に置くことで、机とベッド、さらに九相図とわたしを隔てる壁の役割を持つのだ。我ながら頭が良い。ベッドが合わなかったので布団も用意して貰ったが。
「高い所が好きかと思って」
「床に布団が敷いてあるだろう」
「気づかなかったよ」
「絶対嘘」
九相図ではなく、夏油の仕業らしい。好感度が一つ下がった。今の体では一挙手一投足に重さがあり、降りづらすぎる。これでは熱さまシートを取りにいけない。
「
「来てないけど、会いたいの?」
「…目の供養」
「そのまま伝えておくよ」
「やめておねがい」
裏梅は、綺麗なおかっぱの白い人だった。
悲しいかなここの連中は、花御はあれど華がない。その中にぽつんと佇む彼女は宛ら、雪原に咲く一輪の花。会ったのはビーチだけど。
「じゃ、良くなったらまた来るから」
俯いた夏油はふっと起き上がり、垂れた前髪が左頬にへばり付く。あの髪思い切り引っ張りたい。そして夏油は、ギシギシと梯子を降りた。
「あの、看病は…」
「九相図がやるから」
「マジ?」
不安しかない、あの兄弟はほぼ赤ちゃんだ。夏油に残って欲しかったが、そそくさと帰った。薄情者め。
「うそ…」
弱弱しい声が漏れた。この家に居るのはわたしと、あの三兄弟だけ。何をされるかわかったもんじゃない。その上やる事もないし、あったとしてもやれるだけの気力もない。
この現実から逃れるため、瞼を閉じる。思考を止めるように努めたせいか、眠りはすぐに訪れた。
こんこん。
「少し、いいですか?」
ノック音。それとドア越しに動く気配を感じ、少女は目を覚ます。一瞥すれば、褐色のシルエットが見える。
「…どうぞ」
「失礼」
壊相はお辞儀して部屋に入った。見下ろすと床に水桶が置かれ、中でタオルが揺れている。静かに戸を閉め、彼は口を開いた。
「お身体は?」
「マシにはなった」
食い気味に少女は言った。無理やり力を込めたような声で、調子を隠せていない。
「これを」
壊相は上に手を伸ばし、体温計を少女に手渡した。それを脇に挟んで少し待つ。数瞬の間、沈黙が部屋を覆う。
ピピっ、と音が鳴った。
「38.8度」
「辛いようなら、横になっても」
「いや、いい」
そう言って体温計を壊相に返した。替わりに濡れたタオルを受け取り、おでこに当てる。ひんやりとした感覚が、少女に少しだけ余裕を与える。
壊相が少女のもとに来たのは、看病のためだけではない。一拍置いて調子を整える。そして壊相は、口を開いた。
「ありがとうございました」
今言うことではありませんが、壊相は付け加えてそう述べた。頭と足で90度になるほど丁寧にお辞儀する。
「指と右腕で釣り合うか?」
嘲るような声で少女は問う。誰を笑っているのかは少女にもわからなかった。
「兄弟の為なら安いものです」
「その考えは止めておけ。取り返しがつかない」
「…それ、貴方が言います?それに、弟の分も含めてますので」
壊相は、無い右腕を確かめるように肩を擦る。
壊相からすれば、少女の方が己を省みないように見えた。反転術式で体はともかく、確定した死までは戻せない。
もし私も反転術式が使えたら、こうなるのかもしれない。少女の高熱も無理のせいだと、壊相は考えていた。
だが、他人がとやかくいう事でもない。自分にも譲れない”拘り”はある。壊相はこれ以上の追求はしなかった。
話題を変えようと、壊相は机に目を向ける。盆が置かれており、コップの水は減っているが、粥は冷めている。クーラーの風にさらされたせいか、米はぼろぼろで固い。
「ごはん、食べなかったのですね」
「…え?」
体調でも聞き出そうと思ったが、少女は困惑するだけだった。それを見て壊相は、「あ、夏油の奴何も言わなかったんだな」と察した。
「すまない、気づかなかった」
夏油もだが、少女の鼻も悪いらしい。または気付くほどの余裕もないか。
「いえ、お気になさらず」
「夏油じゃないだろ。誰が作った?」
「血塗ですよ」
「…器用だな、血塗クン」
元は普通に生きていた少女と違い、呪胎九相図が感覚を得たのは受肉してから。器になった人間から料理の知識はあっても、作るのは初めてのことだ。この看病も、彼らにとって初めての経験になる。
「ゆっくり休んでください。無理に食べなくても良いですからね」
そう言うと壊相は梯子を下りて、部屋から出る。
また一人になって、少女は気付いたことがある。
「あ、降ろして貰えば良かった」
片腕の壊相には難しい。それに気づいたのは、もう少し後だ。
バタン。勢いよくドアの開く音がした。ドタドタと何かが入ってくる音もする。
「げんきかぁ~」
「…そこそこ」
特徴的な声で、
「そこそこ?どれぐらい、げんきなんだぁ?」
「本来の調子を10として、6ぐらいかな」
血塗は”そこそこ”の感覚を知らなかったが、6割もあれば”そこそこ”らしい。血塗は一つ、賢くなった。
「…そうだ。ちょっと机の下に行ってて」
「どうしたぁ」
疑問に思いつつ、血塗は言われた通りにした。何やらゴソゴソと物音がする。
なにしてるんだぁ、と思った瞬間。上から少女が落ちてきた。ぽきりと嫌な音がして、血塗は慌てて駆け寄る。
「え”?なにしてんだぁおまえ」
血塗は心配というより困惑していた。梯子ではなく2段から飛び降りたのだろう。腕がぽっきり折れている。
「まあ見てろ」
少女は折れた腕を真っ直ぐに固定し、呪力を患部に当てる。少しして腕を振ると、何事もなかったかのように元に戻っていた。
「反転術式…簡単に言うと、肉体を癒す力だ。受肉体は呪霊と違い、肉体の治癒は難しい。これが使えないなら、今度は無茶しちゃダメだぞ」
少女は、子どもの扱いには慣れていない。故に道理を理解させようと、実践で示すことにした。体を張って伝える姿勢は評価に値する。
「こんど?なんのことだあ」
少女は、耳を疑った。いくら具合が悪いといっても、流石に耳まではやられていない。疑ったのは血塗の言葉だ。
死んで学べる機会など、滅多にない。”馬鹿は死ななきゃ治らない”という表現もあるが、血塗はそこまで馬鹿ではない。
「…昨夜のこと、覚えてないの?」
「んー…あんまり、わからねえなあ。はじめて兄者たちにあえたのに」
「ああ、成程」
これは呪いだ。頭の方をよく見ると、呪力の
まさしく、骨折り損。
「血塗。お粥を取ってくれないか」
「お!いいぞお」
触れてはいけない話題を察知し、少女は別の話に切り替えた。
一方で血塗の弾む声には、「待ってました」という響きがある。盆ごと粥を持ち、そして布団の上に乗せた。
「どーぞ!」
「ありがとう」
礼を言い、スプーンで飯粒を掬い取る。ぼたっと重い感触からお米の粒は細かく、粥というより重湯に近い。大根の葉と、ほぐした卵も入っている。
そして少女は、冷めたお粥を口に入れた。
「…おいしい」
「だよなあ!兄者たちにもほめられたんだぞ!!」
大根の優しい味がお粥に溶け合った、あっさりとした味わい。控えめな塩気は、献立の漬物とも相性がいい。何度も口に運ぶ、梅干しの酸味も良いアクセントだ。
「ごちそうさまでした」
少女は完食し、手を合わせた。
冷めていたので体は温まらないが、胃もたれはない。食べ過ぎていないか少女は少し心配になった。
「まだあるぞお!」
「…ん、いや待って」
興奮した血塗に、少女の静止は届かない。空のお椀と盆を持ち、ダッシュで部屋から出てしまった。
かちゃり。静かにドアの開く音がした。そちらに目をやると、白い肌の青年がいる。
「ノックしろよ」
「ああ…すまん」
少女の抗議に、脹相は素直に謝罪した。兄弟ですらない…他人との接し方など脹相は覚える気もなかったが、これからひとつ屋根の下で過ごす仲だ。面倒ごとは裂けたい。
それにもう一つ、理由がある。
「話は聞いた。弟達を助けてくれたんだな」
「…そう言うなら、まあそうなのか」
「?」
「いや、忘れてくれ」
少し気になったが、助けたのは事実。脹相は追及しなかった。だが口を開いたのは、少女からだった。
「壊相の腕は済まなかった。何時もなら治せた」
少女は詫びた。
あの時の血塗は死にかけ…というか死んでいた。なので少女は三人の撤退と血塗の蘇生を同時に行い、その後に『
しかしあの空間に入った時点で、『腕の死』が確定してしまった。反転術式でも確定した死はどうしようもない。あの空間で死が確定してしまう現象は、想定外だった。
「お前が行かなければ、弟達は死んでいた。俺達は助けられんだ」
それでも、脹相は少女を責めなかった。
弟2人で行くはずのお遣い、そこに少女は入らないはずだった。あのまま2人だけで行ったら、術師達にやられていただろう。有用性を示すチャンスだったので、退くという選択肢もない。
「ありがとう」
「っ!!」
最良の結果ではない、だが少女に悪意があるようにも見えない。悪いのは弟達を傷つけた術師共だと、脹相は納得した。
言いたいことを言い終わり、脹相は部屋を出る。
「……納得すんなよ」
返事を返す者はいない。クーラーの動作音だけが、静寂を和らげる。それが気になってか、少女は寝付けなかった。
本当に具合が悪かった少女の話。