「…」
意識がゆっくり起きる。
眠りすぎたらしく、首には眠気が張り付いている。このまま眼を閉じれば、気持ち良く沈めるだろう。いつもなら二度寝三度寝コースだが、わたしは今日やる事がある。
「ん…ぅぅ」
意識が覚醒を始める。
目覚めの声で脳を起こそうと試みるが、効果なし。ならばと両手で左右の耳たぶを持ち、下にゆっくりと引っ張って戻す。これで目が覚めると夏油は言っていたが、特に変化は起きない。夏油の福耳は多分そういう事だと思う。
「…ああ」
覚悟を、決める。
寝返りをうち、勢いのままカーテンを掴む。それは擦れる音を立てて開き、陽光をわたしに届けた。頭は眠りから脱却する。
今は10時。
昨日…というか今日は2時に床に就いたので、8時間程度寝ていたらしい。だが眠りの質が悪く、今日もベットに入る直前までPS4を起動していた。
ここまで自堕落な生活だと親は黙っていないだろうが、親はいない。一人暮らしだ。
夏油が山奥の家を手配してくれたので、労せず住処を手に入れることが出来た。
「…今日かぁ……」
まそんな美味しい話が何時までも続くわけもない。今日は呪胎九相図が受肉し、わたしの生活空間を侵略する。マイホームからシェアハウスになる前に、やるべきことをやるのだ。
コントローラーを手に取る。わたしにとって寝起きゲームは頭を動かす運動であり、目覚めの合図にもなる。今から食事するのもいいが、朝か昼か微妙な時間帯でご飯を食べるのも面倒くさい。
そう思いながらPS4を見ると、
「おっは、幸月どうしたの」
チャイムは鳴らなかった。
わたしの背丈以上はある窓が開き、流れてくる秋風は耳を滑る。土足で上がるのもそうだがコイツには常識と礼儀がない。
「…玄関って知ってる?」
「人間って好きだよね。そういう枷に縛られるの」
真人に改める気は全くない。
人間は広がる空も大地も知らず狭い空間で過ごしている。目の前の少女も例外ではなく、狭い木造平屋に住んでいる。それを更に細かく切り分けて名前と役割を覚えるなど、無駄な作業でしかない。
「何しに来たの?」
「暇つぶし」
「…ゲームやるか」
電源を入れると機械は身震いのような起動音を鳴らし、少しして青いメニュー画面を映した。
ある街の夜。
真人に案内された4階建てのマンション、4号室に夏油がいた。キッチンルームの机には3つ筒状の容器が並び、中で何かが浮かんでいる。
「呪胎九相図、か」
「ああ。見るのは初めてだったね」
「3つしか無いな」
「他6つは無害な死骸なんだよ」
じっくり見ても何の生物か分からないが、小ささと蹲った姿勢が胎児であると主張している。
「マジで受肉させるんだな」
「そのために来たんだろ?」
グダグタ言って無駄らしい。とりあえず誰から受肉させるのか話し合い、危険度の低い3番目の九相図から始めることにした。
「早速始めよう」
そう言うと真人は筒からそれを取り出した。それをつねると、柔らかい弾力で押し返す。
色味も相まって、何だかゼリーのように見えてきた。間違っても口に入れようとは思わないが、口に入れる人間は直ぐに現れる。
「受肉、見るかい?」
ちょっとだけ、興味はある。
がちゃ。
「はあ!?子ど」
ばたん。
「え何で裸」
「服あると邪魔だろう?」
「磔の意味」
「死んだふりされると怖いし」
「…終わったら教えろ」
先に受肉しといて良かった。
キッチンルームにて受肉を待つ。悍ましい叫び声と何かが変形する音が聞こえ、少し経つと収まった。
「もういーいかい?」
「もういーいよ」
再びドアを開ける。
月明かりが部屋を照らし、何かが見えた。
丸い胴から直接手足が生えたような体形。青緑色の体色。顔らしき部分に眼球はなく、流血している。その顔の下、胸の部分にはさらに大きい口がある。
「…か」
「?どうかした?」
「かわいい!!」
「あ”、なんだぁおまえ」
何だ…この生き物は。何考えているのか分からない上の顔と、逆に分かりやすい下の口。手足の仕草、がらがらの声。
これは、アレだ。アレに似ている。
「カエルっぽくね!?」
「褒めてるのそれ」
(いやわかんねー)
グロいが許容範囲内。いやそれが良い気さえする。どんな珍生物かと思ったが、これなら大歓迎。
「1番2番もやろう!!」
「何かノってる」
3番の九相図は呪物としての格が低いので、元の人間の面影が残ったようだ。それでこの可愛さなら、1番2番はどうなってしまうのか。期待に胸を膨らませながら残りの九相図を渡した。
「クーリングオフ出来る?」
「無理」
思っていた20倍は人間だった。
2番は背中を壁に付けながら「私の背中を見たら殺しますよ」と言ってきた。受肉と同時に壁に移動し始めたというので、凄い執念だ。背中は絶対に見ないが、背中を隠すよりまず下を隠してほしかった。なんか臭うし。
1番はとにかく暗い。先の失敗から学んで入室と同時に
「九相図は?」
「話し合う時間が欲しいってさ」
人間と呪霊、どちら側につくか。
人間と呪霊の混血。どちらでもない存在。その孤独を解する知能が、彼らにはある。断っても真人らと戦うことは避けられないので、結果は見えている。
「
呪胎九相図の1番…確か、
「嬉しいね、俺も仲良くなりたいからさ」
「勘違いするな。呪霊が支配する世界の方が、俺たちにとって都合がいいだけだ」
「おや。これがツンデレってやつか」
予想通り、呪胎九相図は呪霊に協力するようだ。
受肉の恩ではなく彼等の利に因るものだが、下手な理由より信頼できる。漏瑚も恐らく認めるだろう。
「早速だけど、お遣い行ってきてくんない?」
「お遣いだと?」
脹相は真人をじろりと見た。
「宿儺の指…君達と同じ特級呪物。それを回収して欲しい」
夏油が説明を加える。
そこに居る呪霊が、宿儺の指を取り込んだ。それを祓って指を持ち帰る、これが任務だ。
「高専の連中も呪霊の存在には気付いている。向こうに回収させても行き着く先は同じだが、手持ちの指は多いに越したことはない。それにこれは、君達のテストも兼ねているからね」
「どんぐらい強いの?」
「君のテストよりは楽だろうね」
夏油は彼等に試練を課す。とは言え病気の呪霊よりは格下。ついでに言うと指の数はもう10本あるので失敗しても支障はない。
「おい」
「ん?」
脹相がわたしに声をかけてきた。今迄の表情を感じさせない声とは違う、はっきりした真剣な物言い。
「その呪霊と俺達は、どちらが強い?」
「お前らの力を見てないから何とも。というか誰が、何人行くの?」
「あーすまない。最低一人は残って欲しいな。これから人生ゲームをやるんだ」
「…だってさ」
脹相の眉間に皺が寄った。
僅かな沈黙の後、答える。
「壊相と血塗を向かわせる」
「2番、いや弟ね」
彼らは番号で呼ばれるのを嫌う。
呪胎九相図は加茂憲倫が行った実験の産物。実験体らしく番号で呼ばれるか、死体の腐り具合から取られた名前で呼ばれるかの二択。前者の方がマシだと思うが、彼らは後者がお気に入りらしい。
もしかしたら「
「という訳だ。壊相…血塗か。術式を見せろ」
「分かりました。ところで、貴方は何とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
脹相の低い声を聞いたせいか、こちらの声は一段と丁寧に聞こえた。
そういえば、自己紹介をしていない。
「
「では幸月、と呼ばせて頂きます。私達兄弟の力をお見せしましょう」
外に出た。今日は三日月のはずだが、生憎の曇り空。濁った光のみを地面に届けている。
壊相は指先から血液を垂らす。それは地面に落ち、そこから煙が立ち昇る。燃えるのとは違う、しいて言えば塩素に近い臭いがする。
「『
「呪霊にも効く?」
「勿論。血液に呪力を込めていますから」
かなりつよそう。
「…ま、実際に試さないとな」
「
ただ浴びせるだけでは芸がないので、少し離れた場所に的を作った。
「それは……」
「それを出したのがわたしの術式で、出したものは人間。早速試してみるといい」
「…分かりました」
壊相は的に血を浴びせた。どうやら、遠距離攻撃はお手の物らしい。
それは裂けんばかりの音を出し、わたしの術式が崩れる。
「多分勝てると思う。強いなお前」
「そう、ですか」
かなりつよかった。
遠くの相手にも当たるし、分解のスピードも早い。殺傷能力の高い術式と言える。
「弟さんも、似たような感じ?」
「ええ。私と違い、血の毒性は低いですがね」
「えっ毒あるんだ…」
触らないで良かった。
「壊相と血塗、2人で行くのか。じゃあ頼んだよ」
「わたしも行っていい?」
「いいけど。理由は?」
見透かした表情、と言えばいいのか。わたしに向けられるのは初めてだ。
微笑んではいるが、目は口程に物を言う。懐疑で頭がいっぱいなのか。
「そう疑うな。暇つぶし」
「えー、幸月も人生ゲームやろうよー」
真人が入り込んできた。手にはもう4色の駒を持っている。
「…具体的に言う。もうゲームやったからお腹いっぱい」
「テレビゲームとボードゲームは違うじゃんか」
「銀星囲碁しかやってない」
「将棋もやったでしょー」
「どっちもボードゲームだろ」
ボードゲーム大好きかコイツ。本当にやめて欲しい、負けたくなかった。
「いいよ。気分転換も大事だ」
「4人でやりたかったなあ」
「3人でも出来るだろう?」
夏油の表情が和らぐ。猫がするような芝居がかった笑みには変わりないが、見てて毒にはならない。
「脹相、とか言ったか」
「ああ。何だ」
変わらず抑揚の少ない声、視線すら合わせない。
コイツは嫌いになりそう。
「カエルって知ってる?」
「…知識としては」
「血塗はそれに似ている」
「何だと?」
体温低そうな声で聞き返してきた。片眉を上げる、感情が無い訳でもないのか。
「キレんな。褒め言葉だ、ある意味ではな」
「どういう意味だ」
「カエルという名前は、『帰る』とか『変える』にもなる。縁起がいいそうだ」
スピリチュアルなど信じていない。言葉遊びだ。
「…帰る、か。そうか、そうだな。」
今度は分かりやすく顔が綻びた。
「壊相、血塗」
平坦、だが諭すような声で彼らに語りかける。
「必ず、帰ってこい。俺達は、三人で一つだ」
「…はい、兄さん」
「兄者ぁ。俺たち、がんばるぞぉ」
夏油達は部屋に戻り、残されたのはわたしと壊相、血塗の3人。
「さてと、行こうか」
「幸月」
壊相がわたしの名を呼んだ。何故か手に胸を当てている。
「何?」
「ありがとうございます」
「…」
別に、呪胎九相図が可哀想とかそういう感情はない。
カエルが好きなだけだ。
「…行く」
何時の間にか雲は晴れ、朗らかな光が道を照らしていた。
少女と呪胎九相図が出会う話。