ご了承ください。
せせらぎが聞こえる。
谷底が月明かりに照らされて、川は絹糸のように流れる。その糸を辿るようにして、
「
「ええ、本当に…」
九相図達は兄弟の世界に入り浸る。
わたしは…壊相の背中を見たくない、というか近くを歩きたくないので1人だけ前に先行していた。
(気まずい)
何時の間にか2人と1人になっている。まあ、兄弟の存在だけを頼りに生き続けていたらしいので、兄弟ファーストになるのも理解はする。
孤独には慣れた、ずっと一人だった。だが、一人でいる時の孤独と集団の中で感じる孤独は質が違う。集団の中でこそ孤独は浮き彫りになるのだ。
今凄く実感している。
とはいえ兄弟の世界に割り込む気は無い。真人とかなら、空気読まずに入ってそうだが。
「狭く暗い檻とは違う。星も月も、空もある。世界は広いですね」
「幸月も、そう思いませんか?」
突然、壊相が話を振ってきた。
「…昔の夜の方が好きかな。今の夜は明るすぎる」
「そんなに変わるのですか?」
「輝きの少ない星ほど、暗い方が見えやすい。今は山にいるから、そこそこ綺麗な夜だけど」
「なるほど…」
はじめましてから2時間も経っていない、お互いの共通点など分からない相手。返事しやすいよう天気を話題にしてくる辺り、壊相は意外と気遣いのある男かもしれない。
服装のTPOは弁えてないけど。
「貴方も呪物だったのですね」
「何で?」
「昔の夜、と仰っていたので」
「当たり。お前らと同じ、元呪物の受肉体」
「え”、オマエも俺達とおなじなのかあー」
「…何年、呪物として在り続けたのですか」
呪物トークだと…話の引き出しが狭すぎる。胎児の記憶などあるはずないので仕方ないか。
「千年」
「「!?」」
「あーいや、別に淋しくは無かったよ」
「そーかあ?俺だったら、兄者達がいないとさみしいぞぉ」
「その辺は慣れ」
「慣れたくはないですね…」
話題の重さとは裏腹に、気詰まりになった雰囲気が和らいでいく。「何が一番きつかった」とか「何を考えていた」とか、思い返すと語れることがいろいろあった。
「千年前の夜は、どのようなものでしたか?」
「流石に覚えてねーよ
そんな会話を続けていくと、何時の間にか目的地に到着していた。
「おーでっけーなあ」
「これが…」
八十八橋。埼玉県の名所「鯉の口峡谷」に架けられた高さ70メートル程の大橋であり、自殺の名所でもある。
橋には特徴のある事故防止の柵が両サイドに立っているが、自殺防止も兼ねているのかもしれないと、ふと思った。
橋から谷を見下ろす。石英斑岩の岩肌が露出して、ちょろちょろ流れる川が見えた。白い岩肌には紅葉よく似合うだろう。暗くてよく見えないが。
「任務は、宿儺の指を回収して持ち帰ること。危ないと判断したら撤退し…は?」
いる、誰が?感じる、何を?…分からない。
「どうしましたか?」
壊相の声が聞こえた。
忘れた時を取り戻すように、息を吐く。振り返ると、怪訝な顔をしてこっちを見ている。
「…イレギュラーがいる、最低一人」
「先客かぁ?」
「呪霊と最低一人のイレギュラーはわたしがやる。他にもイレギュラーがいる場合、お前らはその足止めを頼む」
「足止め、でいいのですね?」
「殺す必要はない。別に殺してもいいけど」
任務は飽くまで指の回収。九相図のテストは後回しでも問題ない。
「承知しました。血塗、私達は時間稼ぎをしましょう」
「わかったよ兄者!」
兄弟の返事を聞いた後、わたしは谷底に降りた。
これは、正規の活動ではない。本来なら手に余る任務だが、伏黒の義姉…
川を渡って呪霊の領域に入る。上も下も巨大なフジツボのようなもので埋め尽くされた地下空間、元凶と思われる呪霊が姿を見せた。
「祓い甲斐がありそうね」
釘崎の啖呵を皮切りに、3人は攻撃を始める。呪霊はちょこまか移動して鬱陶しいが、反撃はない。
祓える、と伏黒は判断した。術式範囲が広い代わりに攻撃能力のない呪霊、移動先も減り続けている。解呪も時間の問題だろう。
突然、黒い何かが地面を塗りつぶした。
「はぁ!?何よこれ!」
「あの時の…っ!釘崎!!」
釘崎は既に膝まで浸かっている。虎杖が助けようと手を伸ばすが、その手にも黒が纏わりつく。
「お前ら!くそっ…!」
2人とも黒い沼に沈んでいった。自分もそうなると考えたが、沼は消え伏黒は一人残される。
(呪霊の攻撃…違う、こんな事が出来たのなら最初からやってる!第三者の術式!!)
合流したいが、まず領域の呪霊から。行動パターンが単純だったので、式神との連携で難無く祓えた。
これで安心。と思いきや、目の前に呪霊…宿儺の指を取り込んだ特級呪霊が出現する。
呪霊が伏黒に呪力を放とうとした、その瞬間。
「「!?」」
再び黒い沼が現れる。
呪霊がそれに沈んだ直後、領域が閉じた。
それと同時に、伏黒は一人の影を見つける。
(子ども…?)
少女だ。小さいが、制服からして中学生か。薄ら寒い風が黒髪を揺らす。何故一人、こんな時間に?
否。目の前の少女は普通の人間ではない。迷子でもない、明らかに「こっち側」の人間だ。
周りを見渡すが2人はいない。武器を影に忍ばせて少女に訊ねる。
「お前、誰だよ」
敵意は向けない。だが、両手は何時でも対応できるよう呪力を漲らせる。
「まずは、お前が名乗れ」
少女にしては低い。けれど、耳に付く声色だった。
「
「…伏黒、ね。わたしは違う」
「はぁ?」
意味が分からない。
名字が被っているとでも言うのか。かれこれ15年程生きて、名字が被ったことは一度もない。自分が知っている伏黒は蒸発した義父母と、津美紀だけだ。
「どうだっていい、知る必要もない」
「重要なのは、敵だということだ」
そう聞こえた直後、目の前に壁が出来た。
「くっ…いきなりかよ!」
伏黒は両手で鳥を模った影絵を作る。
両手の親指を交差させながら手を外側に向け、形を作る。影から飛び出す式神の名は―――――
「【
鳥の式神に自身を掴ませ、上に飛んだ。
見下ろすと、地面が黒で覆われている。先程の術式は少女の仕業らしい。
壁の正体もわかった。沼から瓦礫が放出され、自分がいたところは見えなくなっている。
「…これで死んだら、楽だったのに」
(特級クラスの攻撃範囲!構えてなかったらやられていた!)
伏黒はそれを見て、先日の交流会を思い出した。襲撃してきた木の呪霊、それに比類する物量攻撃。もしかすると少女は、あの呪霊と何か関係あるのかもしれない。
2人の居場所を吐かせたいが、加減は無理そうだ。
伏黒は、覚悟を決める。
「【
上空からの急降下。巨躯で術師を圧し潰す。
(…何だ?)
伏黒が抱いたのは、あっさり終わった安心感でも呪詛師とは言え年下の相手を
違和感。手ごたえが無さすぎる。術師の死体を確認するが、ない。そのうえ術式も解けていない。
おかしい、再び鵺を出して備える。
「ッ!!」
左肩に痛みが走り、伏黒は僅かに声を漏らした。
織物が勢いよく伸び、刃のように切ったらしい。
伸びてきた先を見ると、傷一つない術師がいる。
「
伏黒が犬の影絵を作ると、黒に白を混ぜたような毛色の式神が現れた。
それは爪を振り下ろすが、術師は沼に沈むようにして避ける。直後、今度は右の太股を切られた。玉犬が反応するも直ぐに姿を消す。
(玉犬の呪力探知が機能していない、奴の術式が濃すぎて分からないのか、なら…)
小指と人差し指を伸ばし、親指と残りの指をくっ付ける。それにもう片手を乗せて頭を作ると、象の形が現れる。
「もぐら叩きは、うんざりだ」
「【
鼻から大量の水を放出し、地面の黒を押し流す。
気付いた術師が体を出し、術式を再発動させる。
その隙を伏黒は見逃さない。すぐ満象を解いて渾で接近、術師を拘束する。
「…はぁ」
「抵抗しても、嘘を並べても
術師を地面に叩きつけ、刀を術師の首に当てた。
このまま尋問を始める。
「2人を何処にやった」
「さあ?」
手を折った。グキリと鈍い音が鳴る。
今の伏黒は時間が惜しい。2人の気配を探っても分からないほど遠くにいる。連絡も無い。
トラブルが起きている。もしかしたら自分以上に面倒な相手かもしれない。
答えなければ今すぐ
「最後のチャンスだ。2人は何処にいる?」
「自分で探せ」
「…そうかよ」
首を切った。血が噴き出し、地面を赤く濡らす。
仕事柄、人間を手に掛けることもままある。だが年下の相手を殺めたのは初めてだった。
思う事も無くはない。だが今やるべきは、2人を探すこと。
「玉げ……が、あ”?」
伏黒の胸を、錦の刃が貫いた。
「…普通殺すか?」
少女は反転術式の使い手、切り傷くらい直ぐ治せる。後は油断した相手を背後から貫くだけだった。
男の胸から
「生きている」
男の服は裂けているが、男に傷はない。少女の呪力は、人間を治してしまうからだ。
そこに少女の意思はない。殺したい人間でも、呪力を込めた攻撃では殺せない。目の前の伏した男のように、気を失わせるのが精々だ。
ならばと少女は、沼から包丁を取り出す。何の変哲もないタダの包丁、それは月明かりに照らされて鈍い光を反射する。
「難儀な血だな…お互いに」
包丁を振り下ろす。
その瞬間。
ぞくり。
何か、凄まじい気配を感じた少女は、思わず男から飛び退いた。意図しない、恐らくは自身の本能による動きで、少女にとって初めての経験だった。
(…しまっ、た!!)
男は立ち上がり、構えをとって何か唱えている。
一からやり直しか、違う、この気配は何だ。思考は纏まらないが、少女は術式を発動させる。
唐突に、男は笑った。
「やめだ」
「……は?」
両の手を上げている、降参だとでも言うのか。
「やってやるよ!!」
ダメだ。少女はこの男を、
「
男は手を結ぶ。何を象るでもない、強いて言うなら心の中か。
足元から黒の奔流が溢れ出す。
「【
暗い黒は、黒い沼を塗りつぶす。
黒影VS黒沼の話。
ダークシャドウじゃないよ。