花とミツバチのように。
入学式の日、樋口円香は新たな制服に身を包んだ。中学と同じでブレザー。違うのはネクタイの形だが、結び方を覚えるのにそんな時間は掛からなかった。
自分ではおかしな所はなく、強いて言うのなら大きめのものを買って少しぶかぶかかな? って程度だが、自分が面倒を見てしまったが故に同じ高校に行くことになってしまったバカタレは、どう思うだろうか?
まぁ、あいつの事だ。どうせ特に何か言ってくるとは思えない。
「……ふぅ、じゃあいってきます」
「いってらっしゃい。入学式の会場でね」
「うん」
両親に挨拶だけして、家を出た。
これまたちょうど良いタイミングで、隣の家から透が出てくる。
「あ、おはよ」
「ん」
適当に挨拶して、お互いの制服を眺め合う。やはり、顔が良いだけあって透はどんな服を着ても似合う。似合わなさそうな衣類なんて男性用の水着くらいじゃないだろうか? 工事現場に使うツナギでさえ、想像してみると案外似合うものだ。
「ふふ、樋口似合ってるじゃん」
「それはどうも」
そんな話をしながら、学校に向かって歩き始めた。一度、電車に乗る必要があるが、隣の駅なので大して面倒ではない。
「男子の制服ってどんなのだろうね?」
「さぁ……まぁ、私達とほとんど変わらないでしょ。ブレザーだし」
「えー、リカの学ランとか見てみたかった気もするけどなぁ」
「……」
想像してみる。あの天然パーマにムカつくほど似合う顔の良さ、それは透と並んでいても見劣りしないレベル。
それが、学ラン……。
「……似合いそうなのがムカつく」
「ムカつくの?」
ムカつくものは仕方ない。なんか悔しくてムカつく。
「ていうか、樋口。せっかく新しい学校に通うんだし、少しイメチェンとかしてみたら?」
「……はぁ?」
「例えばほら、前髪のヘアピンとか。毎日同じものだし、変えたら?」
「いや、家出てから言うことじゃないでしょ」
今から言われても無理だ。なんなら当日に言われても手遅れ感ある。……まぁ、明日から少し考えてみる、というのも無しではないが。
「ていうか、今日は放課後どうする? せっかくだし、三人で遊びに行かない?」
「良いけど……リカの予定は?」
「大丈夫でしょ。それより、前に学校行った時に見たんだけどさ、学校の近くにタピオカの店あったよ」
「じゃあ、そこ行こうか」
さっくり菅谷の予定などスルーし、そのまま今日の予定を決める。
「せっかくだし、学校の近くで美味しいお店探しておかない?」
「あ、それ良いかも。帰りに食べて帰れるとこ探そっか」
「私はファミレスかマックがあればそれで良いけどね」
「まぁ、実際、お金とかないし……あ、バイトとかする?」
「考え中」
それは本当のこと。いつまでも親にお小遣いもらうのも悩ましい所だ。……とはいえ、自分も透も菅谷も、金を使いに使って豪遊するタイプではないので、バイトとかしてしまうと遊ぶ時間がなくなりそうではあるが。
「部活は?」
「……それはないと思う。浅倉かリカがやらない限り」
やはり高校生活は楽しみが多い。素っ気なさそうな円香だが、どの話にも少しは考えている。
少なくとも中学よりは自由な時間は増えるし、よくやるムカつくキザな恋愛ドラマも、高校を題材にしているものが多い。内容はどうあれ、それだけ楽しむ要素が多いということだ。
柄にもなく、ウキウキと胸を躍らせて駅の中に入り、ピッと鳴らして改札を通った。
「お、定期だと改札の後、音ひとつしか鳴らないんだ」
「知らなかったの?」
「定期なんて持つことなかったし」
そう言われればその通りかもしれない。
電車に乗り、しばらく揺られる。割と混んでいるが、ドア側の角だったので特にストレスは無かった。
すぐ次の駅で降り、改札を出た。さて、この辺りで菅谷と待ち合わせしているのだが……見当たらない。
もう何度も菅谷と待ち合わせしてきた身としては、そろそろ学んでも良い頃だろう。すぐ円香は電話を掛けた。
1コール、2コール、3コール……で、ようやく出た。
「もしもし?」
『ごめん少し遅れる』
「は?」
『後まだ洗濯物干しとゴミ出ししないとだから』
「……そっち行こうか?」
『大丈夫。今、洗濯物が……あ、パンツ落ちた!』
「行くから。遅刻したくないし」
割とテンパっているようだ。冷静な声音ではあるが、内心では焦燥感に追われているのが丸分かりだ。
電話を切ると、円香は透に声をかけた。
「リカ、迎えに来て欲しいって。家事が終わらないらしい」
「はいはい。じゃ、行こっか」
そう言うと、二人はすぐに迎えに行った。
×××
「ふぅ……全く、朝から迷惑かけさせて……」
「ごめんって。今度、課題見せるから許して」
「世界で一番、あり得ないお詫びやめて」
洗濯物を干している間に、ゴミ捨てを二人に手伝ってもらい、何とか出発した。余裕を持った待ち合わせ時間にしておいたお陰で、のんびり行っても遅刻はなさそうだ。
「大変そうだね、一人暮らし」
「大変だよ。特に早朝は。普段は自分のペースでやれば良いだけだから楽なんだけどね」
「どんな事してるの?」
「まずはお風呂の水を汲んできて洗濯機動かして、その間に布団を干してパン焼いて食って、歯磨きしながら上がった洗濯物干して……後ゴミ捨て」
マメな男だ。わざわざ風呂場の水を使って洗濯するあたり、環境……というよりも生物を気遣っての事だろう。
とはいえ、それで遅刻ギリギリになっていては、いつか間に合わなくなる。
「でも、これから毎日そんなことしてたら、保たなくない?」
「やるしかないじゃん」
「いやそうじゃなくて。例えば、洗濯を二日に一回にするとかしたら?」
「いや、それじゃ回らないでしょ。ワイシャツとか毎日着るし」
確かに、と円香は顎に手を当てる。一人暮らし……円香が思っている以上に難しいのかもしれない。
「お陰で朝はパン一枚だよ……お腹すいた」
今まで、朝食はキチンと味噌汁、サラダ、白米に軽いおかずが一品、出ていたからか、パンでは足りない体になっているようだ。
少し同情してしまった円香は、一応聞いてみた。
「苦手な食べ物とかある?」
「え? 何急に」
「良いから」
「うーん……特には」
「あっそ」
明日あたり、軽くおにぎりでも作ってみる事にした。苦手なものがないなら、とりあえず冷蔵庫に入っていた梅干しを具にすれば良いだろう。
「リカ、良かったら明日、おにぎり作って来ようか?」
しかし、同じ事を考えていた透が、先にそれを言ってしまった。
「え、マジで?」
「うん。具は何が良い?」
「じゃあ……カリカリ梅」
「了解。覚えてたらね」
まぁ、菅谷が朝、お腹を空かさないのなら、別に自分まで作ることはないだろう。……とはいえ、浅倉のやることなので、事前に言っておかないと忘れそうではあるが。
……なんなら、塩と砂糖を間違えたりしてもおかしくないし、一緒に作った方が良いのかもしれない。
「何個食べたい?」
「10個!」
「言ったな?」
「……の、2/10個」
「えっと、10の2/10で……うん、分かった」
本当にわかったのか怪しい所だが、その辺も含めて明日、顔を出そう。
「そうだ。リカ、今日の放課後、空いてる?」
「今日?」
「そう。暇だったら、三人でタピオカ飲みに行こう」
「良いよ。スーパーにも寄って良いなら」
「主夫みたい」
「仕方ないでしょ。実際、半分そうなんだし」
そんな話をしながら、三人で学校に向かった。ドタバタしてしまったが、とりあえず一緒に行けている現在にホッと胸を撫で下ろしていると、菅谷がふと思い出したように言った。
「そうだ、二人とも」
「「?」」
「制服、似合ってるよ」
「わ、ほんと? ありがと」
「……そういうことは先に言って」
温度差ある返しになってしまったが、二人とも嬉しく感じているのは明白だった。
×××
さて、放課後。三人とも同じクラスになれたのは幸いだった。……と、いうよりも何故だろう? 別々のクラスになる気がしなかった。
そんな話はさておき、とりあえず写真。透と円香は幼稚園からの付き合いなので、お互いの家族とも一緒に撮ったりしていた。
で、約束通り三人は帰宅しながら、そのタピオカの店でお目当ての飲み物を買い、飲みながら歩いた。
「タピオカとか久しぶりだなー」
「前に飲んだ時、リカの喉まで黒いの入ってむせてたよね」
「普通、むせるでしょ。あれは」
「いやむせないから」
「樋口もそのリカがツボに入ってむせるほど笑ってたけどね」
「むせるのベクトルが違うでしょ、それは」
派手には笑わないが、円香のツボも仲間内ではかなり浅い。特に不意打ちに弱く笑いでなくても動揺することが多い。
「そういえば昔、タピオカチャレンジって流行ったよね」
そんな中、また何か思い出したことをそのまま口に出したように言ったのは透。ツイスタで何度か見かけたことある奴だ。
胸にタピオカのカップを乗せ、口でストローを咥え、手を使わずに飲むアレ。夏休み、菅谷がいない時に幼馴染四人で試したことがあった。
無事に出来たのは雛菜のみ。透はいけそうだったが、それ故に溢れてそのまま着替えるハメになった。
その隣で、菅谷がキョトンとした表情で聞いた。
「タピオカチャレンジって何?」
「知らないの?」
「聞いたことない」
「胸の上にカップを乗せて飲む奴。……まぁ、女子限定かもね」
「ちょっ、浅倉」
「え? ……あっ」
説明した透を、円香が横から注意する。理解して菅谷を見ると、少し恥ずかしそうに目を逸らしてしまっていた。
「前から思ってたんだけど、なんでそっちが照れるの? 私の胸の話してたんだけど」
「や……だってほら、とおるんの胸とか……うん。口にはしなかったけど、最近大きくなってきたし……少し反応に困るというか……」
テンパっていたのか、言わなくて良いことまで言ってしまった。お陰で、透もほんのり頬を赤らめる。
「あー……うん。よく見てるね?」
「あ、いや見てないよ。……気がつけば目を引くほど大きくなってたというか……」
「……」
「……み、見ないようにするから!」
なんか変な空気が流れる中、円香は自分の胸を見下ろす。別に、大差ないはずだ。まだ。……いや、そんなことよりもこの話題は不愉快である。
「それより、お腹空いた。ご飯食べに行こう」
「あ、そ、そうだよね」
「う、うん。私も」
若干の急足で、二人とも円香の後に続いた。
×××
さて、お昼の後は駅の周りを探索。カラオケやゲーセン、本屋、服屋が並んでいるデパートなどをとにかく廻り尽くし、最後に菅谷の希望であったスーパーに立ち寄り、菅谷と別れた。
で、現在、円香は自室で天井を見上げていた。最近は、あの二人といても疲れを感じない。
それが喜ばしいことなのか、嘆くべきことなのかはわからない。全く悪影響ではないと思いたい。
「樋口ー。これ次の巻ないの?」
「ない」
ベッドの足元で座り込んで漫画を読んでいる透が声を掛けてくる。その漫画も、別に円香が集めたわけでなく、親戚から貰ったものである。読めば面白いが、続きがほしくなるほどではない。
「ていうか、気になるなら自分で買えば?」
「やだよ。そこまで気になるわけじゃないし……あ、そうだ」
「? 何?」
「実はこの前、リカにこれ借りてきたんだよね。今日返そうと思ってて忘れちゃった」
鞄の中から取り出したその本は、昆虫図鑑だった。
「はっ⁉︎」
「読まない? 少し虫に興味出たから」
「いらないから……! ていうか、なんでそんなもん借りてるわけ⁉︎」
「え、だから興味出たから……」
「見るなら、自分の部屋で見てくれない?」
「でも虫の話になった時、私達も乗れた方が良くない?」
「……」
菅谷のため、とでも言うつもりだろうか? わざわざ無理して覚えることもないだろうに……と、思いつつも、そう言われると円香も見ようと思ってしまうのだから不思議だ。
まぁ、菅谷の為とかではなく、菅谷の部屋に行った時、また虫で驚かされるかもしれないことを想定したら慣れておいた方が良いのかもしれない。
「……少しだけだからね」
「よっしゃ。こう見えて、私もう虫博士だから。なんでも聞いて」
話しながら、ページを開く。並んでいるのは、ちょうどクワガタのページだった。マンディブラリスフタマタクワガタや、セアカフタマタクワガタ、ムニスゼッチフタマタクワガタなど、セアカ以外は違いを見分けにくいクワガタが並んでいる。
とはいえ……だ。いざ、落ち着いて見てみると、確かに菅谷が惚れ込むのもわかる。少し、カッコ良いのかもしれない。
そんな中、円香は図鑑を手にとり、透の視界に入らないよう、背表紙を向ける。
「なんでも聞いてって言った?」
「うん」
「じゃ、問題出すけど良い?」
「どんとこい」
との事なので、早速問題を出してみることにした。とりあえず、学校の先生が出して来そうな方式を考えてみて、発してみた。
「問題。次の中で比較的、気性が荒いクワガタを選びなさい。オウゴンオニクワガタ、ヒラタクワガタ、メンガタクワガタ」
「え、希少? が荒いの?」
「一応、言っとくけど珍しさじゃなくて性格ね」
「それは超簡単。オウゴンオニクワガタ」
「はいハズレ」
「え、うそ。もう名前的に強そうじゃん」
結局、そんなにガッツリは読み込んでいないようだ。
「ぷふっ、その程度?」
「いや……虫の性格とか覚えてられないでしょ」
「でも、リカなら答えられるんじゃない?」
「流石に無理でしょ。電話してみたら?」
「良いけど」
そんなわけで、電話をかけると同時にスピーカーにしてみる。暇していたのか、1コールさえすることなく応答があった。
『もしもし?』
「リカ? 突然だけど問題。次の中で比較的、気性が荒いクワガタを選びなさい。オウゴンオニクワガタ、ヒラタクワガタ、メン……」
『ヒラタクワガタ』
「ほらね?」
「えー……おかしいよこの人」
「あんたが言うな」
全くだ、と、思わず透は自分で納得していた。
円香が持っているスマホから、なんかやたらと機械的な声が聞こえてくる。
『じゃあ次はこっちから問題ね?』
「え?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
なんで問題の出し合い? いや、そう受け取られる可能性はゼロではないが、普通はまず「なんなの?」と聞かないだろうか?
『オスの全長20〜76.6ミリ、メスは22〜48ミリ、日本列島全域で見られ、性格は基本的温厚な絶滅危惧種のクワガタは?』
「え……浅倉、分かる?」
「……スガヤクワガタ?」
『え、そんなクワガタいるの? 最高』
「いや知らないけど」
いてたまるか、そんな菅谷しか得しないクワガタ、と円香は黙ったまま噛み締める。
『ヒント。二人が名前くらい聞いたことあるクワガタ』
「ノコギリクワガタ?」
「ヒラタクワガタ」
「あ、コクワガタ!」
「ミヤマクワガタ?」
『なんでそこまで言って外すの』
「日本産のクワガタ、あと何ある?」
「マダラクワガタ〜……アカアシクワガタ〜……」
『え、調べてんの? あ、俺が貸した図鑑か。じゃあ言うわ。答えはオオクワガタ』
「「ああ〜」」
確かに聞いたことはあった。
『はい、じゃあ次はそっちの番』
そのセリフで、円香は電話をかけた内容を思い出す。別に深夜のクワガタウルトラクイズは求めていない。
『なんだって良いよ。俺に答えられない問題はないから』
「いや、悪いけどそういう電話じゃないから。浅倉がさっきの問題、リカでも解けないでしょって言うから」
『ん、そんなに難しい問題だった? 2+2より3+2の方が大きいってレベルの問題だったけど』
「前々から思ってたけど、あんたの例え分かりにくすぎるから」
「今のは比較的わかりやすくない?」
「浅倉の感性が同レベルだからでしょ」
なんて話をしながら、その日は晩飯の時間になるまで通話が続いた。
×××
「おはようございます」
「あら、円香。おはよう」
翌朝、浅倉家に入った円香は、まず透の母親に挨拶した。
「どうしたの?」
「浅く……透、起きてます?」
「ええ。起きてる。珍しく」
「ふーん……」
なら良かった、と思っていると、透の母親は自分の顔色を見てすぐに微笑んだ。
「もしかして、菅谷くん関係?」
「……まぁ、その通りです」
「あの子、去年からずっとその子の話ばかりだったから。円香がここに来たのもそうなんでしょ」
「はい。……あ、いえ今のは……」
「……ふふ」
なにも、顔色がわかるのは幼稚園からずっと一緒にいるお互いばかりではない。それなりに付き合いがあれば、親にもわかる。……いや、むしろ子供は親の顔色は読めないので、ある意味、透以上の天敵だ。
「一緒にどうぞ?」
「……お邪魔します」
そう言って、円香は家に上がった。
「で、どんな子なの? 菅谷くん」
「……変な人です。透と同じくらい」
「ふーん……透の話だと、随分マイペースな人みたいだけど」
「マイペース……そうですね。娘さんと同じくらいマイペースですよ」
「そう。じゃあ普通じゃない?」
「……」
普通じゃないでしょ……と、思いながら、とりあえず台所に入った。
透はおにぎりなのにエプロンをわざわざ装備し、ラップの上に白米を置いている所だった。
「あ、樋口。樋口も作りに来たの?」
「違う。あんたがやらかさないか見張りに来ただけ」
「……ふーん?」
その含みのある笑み、とっても腹立たしい。
「おにぎりくらいで大袈裟でしょ。ちゃんとカリカリ梅もあるし」
「ふーん……でも、なんでおにぎりに韓国海苔を使おうとしてるの?」
「え、使わないの?」
「普通は使わないでしょ」
「……」
仕方ないので、一緒に作ることにした。円香も制服を汚さないためにエプロンを装備し、味が付いていない海苔を使う。
白米の中に種が入っていないカリカリ梅を入れ、海苔で外側を巻き、ラップを使って丸める。それを、なんだかんだ二人で一つずつ作ってしまった。
「これで良いかな?」
「多分、良いでしょ」
「ふふ、完成」
「……まったく。世話が焼ける……」
「それ、今に始まったこと?」
「自分で言わない」
そんな話をしながら、とりあえず透の準備が終わるまで待ってから家を出た。
×××
今朝も同じように菅谷との待ち合わせ……今日は菅谷のマンションへ。合流するなり、透が巾着袋を差し出した。
「はい。リカ」
「あ、昨日言ってた奴? やったあ。このために朝飯抜いてきた」
「バカなの? 朝ご飯が足りない時のために作って来てるんですけど?」
円香から当然のツッコミが炸裂する。わざわざ、透が早起きしておにぎりを作ったのに、目的を履き違えるのは頂けない。
「あれ、そうだっけ? じゃ、明日は俺が2人の朝飯作るから許して」
「いやだからそういう趣旨じゃないから。まず朝ご飯を余裕持って食べられるようになって」
「はい」
そうすれば、そもそもおにぎりはいらない。流石に透も円香も、毎日は作っていられないというものだ。
が、その横で特に何も考えていない透が、微笑んだまま言った。
「まぁ良いじゃん。とにかく食べてよ」
「うん。いただきます」
言いながら菅谷は一口、おにぎりを齧る。
「んっ……美味っ」
「ほんと? 良かった」
「なんか悪いね。俺のために」
「ううん。別に」
そんな話をする二人を、円香はぼんやり眺める。そっか、と円香は頭の中で理解する。片方、自分が作ったわけだが、昨日菅谷がいる前で作ると言ったのは透のみ。
つまり、菅谷は円香が作ったおにぎりが入っている事を知らない。まぁ、別に賞賛とかお礼が欲しいわけではないので、構やしない。
実際、透だって作ったわけだし、いちいち腹を立てることはない……なんなら、自分も作ったって思われるのは普通に恥ずかしいかもしれない。
なんて思っていると、菅谷が片方、食べ終えたようで、ラップを丸める。
「ふぅ……うまかった」
「もう片方は樋口が作った奴だよ」
「ブハッ!」
思わず吹き出しながら、透の胸ぐらを掴んでしまった。
「なんで言うのなんで言うのなんで言うの」
「え、だってそうじゃん。」
「そうだけど……!」
「え、マドちゃんも作ってくれたの?」
「っ!」
少し驚いたような顔で見られてしまい、それがまた少しの羞恥心を掻き立てる。からかって来るのか、それとも「なんで?」と純粋な目で問われるのか。どちらにしても、円香としては不愉快だ。
何を言われても場合によっては許さない……なんて決意を固めている間に、菅谷は微笑みながら言った。
「ありがとう。めっちゃ美味そう」
「ーっ!」
まさかの素直なお礼だった。もう何が何だかわからなくなったが、とにかく取り乱すのはやめた。頭の中で羞恥心を抑え込むと、キッと菅谷を睨む。思わず菅谷が後退りしてしまうほどの眼力だった。
「……どう、いたし、まして……!」
「え、これもしかしてマドちゃんのお昼だった? それなら返すよ?」
「良いから黙って食べて」
「う、うん……?」
睨みつけながらそう言ってやると、素直に従うように食べ始めた。