浅倉が増えて、樋口のストレスは加速した。   作:バナハロ

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肉体改造は計画的に。

 ゴミ出しだけはなんとかしないといけない、という事を、菅谷は学んだ。何故なら、小蝿が鬱陶しいから。それに朝は円香も透も家まで来てくれない。

 つまり、自分でなんとかするしかない訳で。今日も朝早く起きて、朝の支度を終えてから登校のついでにゴミを捨てに行くと、ゴミ捨て場から戻って来る綺麗なお姉さんとすれ違った。

 

「……あら、菅谷くん。おはよう」

「おはようございます。有栖川さん」

 

 お隣さんだ。カトレアという名前の犬を飼っているお姉さん……有栖川夏葉。絶品のビーフシチューとか貰ったこともある。

 

「最近はメイドの人来ないの?」

「ええ。私からお父様に断りを入れたの。初めての一人暮らしで心配してくれるのは良いけど、週一でメイドをよこすのは目立つからやめてって」

「良いじゃん。楽出来るし」

「出来るかもしれないけど、私もう大学生よ? ご近所の目もあるでしょう?」

「え、俺は全然気にしないよ。俺もクラスメートがよく家事しに来てくれてるし」

「……あなたの場合はそうかもね」

 

 微妙に論点がずれているのに気付き、夏葉は気まずい笑みを漏らしながら目を逸らした。

 これから学校に行く菅谷とは真逆で、夏葉の全身は汗だくだ。もしかしたら、ランニングでも行っていてのかもしれない。

 

「有栖川さんって、毎朝走ってるんですか?」

「ええ、もちろん。私、アイドルを目指して一人暮らしを始めんだもの。身体作りは必須だわ」

 

 なるほど、と菅谷は顎に手を当てる。なんだか、カッコ良い人だ。自分の夢を堂々を語り明かせる上に、それを目指して努力できる。

 ……何より、この引き締まった体。両腕や両足しか筋肉は見えないが、なんだか羨ましかった。少なくとも小六以来、運動していない自分の身体が情けなく見えた。

 

「……俺も筋トレしようかな」

「あら、本当⁉︎」

「えっ?」

 

 なんか目が爛々とし始めていた。なんかまずいこと言った気がしてギクッと菅谷は肩を震わせるがもう遅い。夏葉は自分の両手を包む込むように両手で握り込まれ、語り始めた。

 

「ええ、それなら私も付き合うわ! ちゃんとあなたに合うメニューを組んであげる!」

「え……いや、そんなガチじゃなくても……」

「あなた、スポーツや武道の経験は?」

「……6歳から12歳まで実践向きの柔道……」

「なら、それなりにキツくても平気そうね! 今日、私4限までで16時に終わるから、16時45分にエントランスに集合ね?」

「うん。だからその後は……」

「さ、遅刻するわよ。早く行ったら?」

「……」

 

 だめだ。これ聞いてもらえなさそう。もはや覚悟を決めるしかない。そう判断した菅谷は、死んだ笑顔で言った。

 

「あ、そうね。じゃ、また」

「ええ。またね」

 

 逆にランラン気分になって、学校に向かった。

 

 ×××

 

 翌日、円香と透はいつものように駅で待機していた。待ち合わせ時間になっても菅谷が来ないのには慣れたつもりだが、最近は来ていたのに珍しい、と思いつつも、やはりまだ完全に一人暮らしに慣れ切ったわけではないようだ。

 

「遅いね。リカ」

「遅れるなら遅れる、って連絡も入れられないわけ?」

 

 口ではそう言いつつも、何かあったのかも、と円香はマンションの方向を眺める。

 その円香を見て、透は何かを察したように聞いた。

 

「様子、見に行く?」

「ん」

 

 頷くと、二人でマンションを見に行く。駅から菅谷のマンションまでのルートは最短コースが一番分かりやすい道のりなので、入れ違いになる事はない。

 歩き始めようとする円香を見て、透はクスッと笑みを浮かべる。

 

「? 何?」

「いや、樋口……なんだっけ。あのオタクが好きな……あれ。ツンデレっぽいなって」

「は?」

 

 お前今なんつった? とマジギレするヤンキーの如く眉間に皺を寄せた円香は、そのまま透の方に詰め寄る。

 

「ツンデレって私のこと言ってるわけ?」

「え? そうだけど?」

「違うでしょ。全然。私がいつあいつにデレたわけ? あいつの様子とか見に行くのは仕方ないから、だから。別にあいつのためとかそんなんじゃないから」

「じゃあなんで?」

「……行くよ、さっさと」

 

 答えられなかった。

 世話を焼く理由なんて決まっている。友達として、一人暮らしが大変な彼をサポートするためだ。それに間違いはないはずなのに……何故かそれを口にするのも憚られる。

 しかし……それは明確な理由が分からないのと同じな気がする。だとしたら、こんなに世話を焼く必要なんて……と、自虐気味に思った時だ。スマホが震えた。

 

 LIKA☆『ごめん、今日学校休む』

 

 驚いた。まさか、本当に何かあったのだろうか? さっきまでの感情などまるで忘れて、円香は慌てて電話をかけた。

 

「どしたの?」

「リカ、学校休むって」

「? なんかあったの?」

「これからそれ聞くの」

 

 言いながら応答を待っていると、すぐに出た。

 

『もしもし……?』

 

 心做しか声が震えている。それは、どこか本当に辛そうにしているようにも感じられた。

 

「どうしたの? 風邪?」

『いや……筋肉痛』

「ああそう。何処が痛……は?」

『だから……筋肉が痛い……。腹筋と背筋と大胸筋と三角筋と上腕二頭筋、一頭筋と、大腿四頭筋と、ハムストリングと、内転筋が痛い……』

「……」

 

 フルコースかよ、何したんだよ、と円香は半眼になる。そういえば、昨日は珍しく用事があると言って、若干覚悟を決めた顔で帰宅していたのを思い出した。

 

「……」

 

 どうしたものか、と円香は困ったように顎に手を当てる。まぁ、何があったか知らないが、本当に辛そうなのは間違いない。

 ……とはいえ、先生が筋肉痛でのお休みなんて許すとは思えない。担任の先生、現代文担当の女性教師だし、理解がなさそうなのは尚更だ。……実際、そこまで筋肉痛になる程、馬鹿みたいに運動した自業自得感もあるし。

 

「……はぁ、今から行く」

『え、いやいいよ。先に行ってて』

「サボったら学校からご両親に連絡行くと思うけど」

『……でも遅刻確定するよ』

「それくらい別に良いから。浅倉も一緒だし」

「え? 何が?」

『……』

「で、どうするの?」

 

 少し問い詰めるように聞くと、10秒ほど黙り込まれた後、すぐに声が聞こえた。

 

『じゃあ、お願い』

「はい」

 

 そこで電話を切ると、円香は歩きはじめながら透に言った。

 

「筋肉痛で動けないから迎えに行く。あんたも行くでしょ?」

「ああ、さっきのそれ? 行くけど」

「ん」

 

 そう言ってツカツカと歩き始める円香を見て、再び透はクスッと微笑む。それが何故かやたらと癪に障った。

 

「……なに」

「や、だからツンデレだなって」

「あんただけ先に学校行ったら?」

「ごめんごめん。冗談だから」

 

 そのまま菅谷を迎えに行った。

 

 ×××

 

 一応、着替えは済ませていた菅谷は、残念ながら朝飯は食えなかった。それでも、二人にまた色々手伝ってもらって、なんとか登校。ゴミ出しと洗濯物干しを、円香だけでなく透にまでやってもらってしまった。

 今は昼休み。お昼を作る時間が無かった……というより、もう少し料理出来ないと作る気もない菅谷は、また学食に行くしかない。

 円香が日直の仕事で、先生に課題のプリントを職員室までの運搬が終わるのを待っている中、菅谷がぼんやりと呟く。

 

「……はぁ、なんか学食飽きたな……」

「え、早くない?」

 

 透が小首を傾げる。

 

「だってどれも似たような味じゃん。うどんもそばも、油揚げか天かすか肉か山菜を乗せただけ。ラーメンは醤油と塩しかないけど、正直カップ麺のが美味いし」

「いやそういうもんでしょ、普通」

「そうなの?」

 

 こういう所が、やはりお金ある家の子なのかも、と透は思ったり。駅近くにあるワンコインで大盛りを食べられる蕎麦屋とか、入った事ないのかもしれない。

 

「じゃあ、どうするの?」

「いよいよ、やっちゃうか」

「何を?」

「学校抜け出して、外食」

 

 それを聞いてから、少しだけ透は目を丸くした。……が、やがて、まるで「面白そう」と言わんばかりに唇を歪める。ちょうど、自分も弁当を持って来ていない。

 

「良いね。やってみよっか」

「よっしゃ」

 

 あっさりとそう話すと、二人はすぐに立ち上がった。

 こういう時、二人の太々しさは長所へと成り代わる。

 

「マドちゃん誘う?」

「いや、止められるでしょ。お弁当持って来てると思うから、行くって言っても来ないと思うし」

「そっか。じゃあ、連絡だけしておかないとね」

 

 なんて何食わぬ顔で普通の話をしながら歩くもんだから、誰からも何も思われない。円香への連絡をしながら、平然と昇降口から出て校門を抜けてしまった。

 

「何食べよっか?」

「いやー、やっぱりたらふく行きたいでしょ」

「じゃあ……フォアグラのソテー」

「あれそんな量ないし、値段ほど満足しないよ」

「へぇ、そうなんだ。……そっか。食べた事ありそうな人だったわ」

「マックとかないのかな」

「駅まで行かないとないよ」

 

 やはり金持ちっぽい子なのかそうでもないのか分からなかったが、そのままお店をじっくり選ぶ。ちなみに、昼休みは30分である。

 

「あ、あそこ良くない?」

 

 そんな中、透が指さしたのはラーメン屋だった。とんこつラーメンで、学生は替え玉一杯無料らしい。

 

「良いね。食べよう」

「替え玉しちゃう?」

「良いけど、体重平気なの?」

「怒るよ?」

「なんでっ……?」

「女の子にそういう事、言わなくて良いから」

 

 結局、ラーメン屋に入ることにした。

 

 ×××

 

 一方、その頃。円香は教室に戻って来て、鞄からお弁当を出しながら、さっき届いたチェインを確認した。

 

 LIKA☆『お昼食べに行ってくる』

 LIKA☆『学外に』

 

「……」

 

 まぁ、自分に直接言ったところでお弁当あるから行けないし、時間のロスという意味では当然の判断だろう。

 だが、それ以前にやっぱりそういう事平気でしちゃうのは、本当にバカだと思う。

 

 樋口円香『頑張ってね』

 

 適当な返事をして、食事をすることにした。別に、気に食わないことなんて何もない。ほんと、ほんとのほんとに。

 

 ×××

 

「やっば、美味い」

「それな。格別」

 

 背徳感、というものだろうか? やって良いのか悪いのか分からない、ギリギリのラインでの行動はドキドキする反面、それに見合った快感がある。

 それが、今は味となって帰って来ていた。

 ちなみに、食べる前に写真を撮り、それを円香にも送った。来れない分のお裾分け(のつもり)である。

 

「すごい、美味しいわ。ここのとんこつ」

「ほうれん草とか入ってるから、野菜も取れるしね」

「そう、そのほうれん草がやたらと美味いのよ。何これ。労働後のビール?」

「いやほうれん草だけど……え、飲んだことあるの?」

「ほうれん草? ないよ。喉詰まらせたくないし」

「じゃなくて、ビール」

「それもないよ。あんな苦いもの」

「あるんじゃん」

 

 子供の時に一舐めしただけだ。速攻で吐きそうになった。透も、なんとなく今のニュアンスで普段も飲んでいるわけではないことは察している。

 直ぐに食べ終えた二人は、お椀の上に箸を置く。

 

「ふぅ、ご馳走様でした」

「ごっそさん」

「いやー、替え玉はやりすぎたね。割とお腹いっぱい」

「というか、死にそう。破裂する」

「リカってあんま食べないの?」

「え、知らないけど」

「男子高校生は食べ盛りでしょ? 替え玉5個くらいいかないと」

「俺の胃にも替え玉必要になる」

 

 そんな話をしながら、二人で席を立った。

 

「さ、そろそろ戻ろっか」

「うん。満足したし、行こう」

 

 言いながら、二人は膨れたお腹のまま立ち上がる。食券制なだけあって、会計は既に終えている。

 お店を出て、揃って伸びをする。が、お腹いっぱいなので、これまた揃ってお腹を押さえる。

 

「……帰ろうか」

「てか、今何時?」

「あ、そういや授業始まるかも……あ」

「あ?」

「あと5分」

「……」

 

 ヤバい、と二人とも大量に汗を流す。幸い、学校までは近いので、走れば間に合うかもしれない。

 

「い、急ごっか」

「ごめん、無理。筋肉痛」

「……あー」

「先行ってて良いよ。俺は怒られるから」

「……」

 

 言われてから、透は顎に手を当てて黙り込む。

 

「……じゃ、仕方ない。私も怒られるね」

「え?」

「ほら、なんだっけ……い、『一覧宅送』?」

「ああ。『韋駄天楽勝』じゃなかった?」

「えーっと……『イカ弁最高』」

「じゃあこっちは『今、ケン爆走』」

「なら、『陰険サイコ』」

「ごめん、結局何が言いたいの?」

 

 ちなみに答えは「一蓮托生」である。つまり、言わんとすることはこういうことだ。

 

「一緒に食べ行くって決めた共犯なんだし、最後まで付き合うよ」

「とおるん……」

 

 そのセリフに、ほんのり感動してしまう菅谷。思わず頬を赤く染め、目をキラキラと輝かせ、涙でも浮かべそうなほどに感激していた。

 

「ありがとう……!」

「気にしないで。お礼は帰りにタピオカ奢りで良いから」

「うん。……ん? 共犯なのにお礼?」

「バレたか」

 

 なんて話と爽やかな笑みを交わしながら、二人は教室に戻った。

 

 ×××

 

「良い話風にほざいてるけど、普通にサボりと一緒だから。罰則」

 

 そんなわけで、二人はペナルティのプール掃除である。季節も夏に入りかけ、梅雨を控えているこの季節にやるプール掃除など何の意味もないだろうに。

 

「嫌がらせだよねこれ」

「ペナルティだからね」

「いや、せめて意味あることをやらせてほしくない?」

「言わないで。やる気失せる」

 

 そんな話をしながら体操服姿でブラシをゴシゴシと擦る二人に対し、円香がプールサイドから高みの見物を決め込みながら言った。

 

「知ってた? 昔のドイツの刑務所だと、意味のない穴掘りを延々とさせられるらしいよ。刑務作業で。要はそういう事でしょ」

「それと学生のペナルティを一緒にしないでいただきたいよね……」

「ちょうど良いでしょ。どんなに怒られたって反省しないバカ二人なんだから」

 

 少しムスッとした様子でボヤく円香を見て透と菅谷は顔を見合わせる。

 

「というか、マドちゃんどうしてわざわざ待ってくれてるの?」

「それなー。多分、最終下校時刻ギリギリまで掛かるし」

「……別に、待ってない。今日はここで時間潰したいだけ」

 

 その一言に、また透と菅谷は小首を傾げる。

 

「「なんで?」」

「別に良いでしょ。あと同じ顔でハモるのやめて」

「え、私とリカ、同じ顔?」

「似てないよね、別に」

「表情って意味。……難しい日本語使ってごめんね」

 

 なんか少しずつイライラが増し始めている円香を見て、バカ二人は口を噤む。どうしたのだろうか、なんか機嫌悪いが。

 二人とも、円香に背中を向けてヒソヒソと話し始める。

 

「……どしたのあの子?」

「さぁ……昼休みまでは別に普通だったのにね」

「うん。……ん? 昼休み会ってなくない?」

「ごめん、昼休みの一歩手前の休み時間」

「ああ……確かに。そういえば、5時間目と6時間目の間も、しれっとトイレ行っちゃったよね」

「……ねぇ、もしかしてさ……」

「……」

 

 透の推測に、菅谷は目を見開いて顎に手を当てる。

 

「……あるかも」

「言ってみる?」

「行こう」

「ねぇ、バカ二人。いちゃついてる暇があるなら掃除さっさとしてくれない?」

 

 苛立ちが少しずつ成長している円香の声音を聞きながら、一先ず離れ、透がコホンと咳払いして言った。

 

「もしかして樋口、寂しかった?」

「……は?」

 

 昼休み、という単語がまるで抜けていたが、円香にはガッツリ伝わっているようで、過去最高潮の苛立ちを見せた。

 

「そっかー。マドちゃんに寂しい思いさせちゃったか」

「うん。多分そうでしょ。やっぱり置いて行くのダメだったね」

「一声かけた方が良かったね、やっぱ」

「幸せのお裾分けしたんだけど、寂しさは払拭できなかったっぽいわ」

 

 本当に人の神経を逆撫でするのが上手い二人である。おかげで、既に最高潮にあったイライラはゲージを突破。雲を突き破り、地球に迫る隕石があったら打ち砕いていたであろう程の爆発力を見せた。

 

「準備してくる」

 

 そう言った円香は、制服の上着を脱ぎ捨てて、ブラウスの袖を捲りながらプールの出入り口の方へ向かう。

 

「やっぱりそうだったんだね」

「ツンデレだなぁ、樋口は」

 

 なんて話していると、すぐに戻って来た。……ホースの先端を摘んで塞いだまま。

 

「じゃあ、流すから。あんたらにかかっても不慮の事故だから」

「「え」」

「Fire」

 

 直後、摘んでいた指を解放し、最強にまで蛇口を放った水流を一気に放出した。

 構えた先にいるのは、バカ二人の顔面。まずは菅谷から。目でも潰す気だったのか、という一撃が見事に穿つ。ひっくり返った菅谷は、ゴホボボボッと被弾し続けた。

 

「え、ちょっ……樋口? 誰洗ってんの?」

「汚れ」

「……」

 

 次は自分だ、と思った透は慌てて逃げようとする。

 しかし、それを円香が見逃すはずがない。その背中を撃ち抜き、透は前方に倒れ込む。

 

「ちょっ、ひぐっ……痛ッ、背中ッ……!」

「手伝ってあげてるんだから文句言わないでくれる?」

「とおるん、君の尊い犠牲は無駄にはしない」

「逃がさない」

「おごっ……!」

 

 しばらく蹂躙され続けた。

 とにかく謝り続け、漸く解放された時には、透も菅谷も大の字になってプールの中で荒立った呼吸を整えていた。

 

「……次はないから」

「す……すんません、でした……」

「次からは俺も弁当頑張ります……」

「よろしい」

 

 そう言って、円香はひとまずホースをその辺に置く。代わりに、透の横に落ちているデッキブラシを取りながら、手首のヘアゴムで髪を後ろにまとめた。

 

「浅倉、顔にゴミついてる。洗って来たら?」

「いやつけたの樋口でしょ、多分……」

 

 あれだけ放水されてひっくり返れば、顔にゴミくらいついても不思議はない。

 しかし、円香は真顔のまま透の真横に座り込むと、耳元で囁くように言った。

 

「ブラ、透けてる」

「へ?」

「更衣室にある私の鞄の中に、ジャージ入ってるから。着て」

「……ありがと」

 

 それだけ言うと、透は一度、更衣室に戻った。どちらにせよ、円香の所為で透けたことは言うまでもない。

 

「あれ、とおるんどこ行くの? サボり? 俺も行く」

「もう一回、浴びる?」

「嘘ごめん冗談」

 

 言いながら、菅谷は身体を起こし、円香を見上げる。すると、何故か目を丸くしたように驚いていた。

 人の顔を見て驚くなんて失礼極まりない。少し不機嫌そうに「何?」と聞くと、菅谷はそのまま言った。

 

「マドちゃん、髪束ねても似合うね」

「……っ、あ、あんただからそういう事を平気で……」

「え、ダメだった?」

「……ダメではないけど……」

 

 ……ただ、不意打ちはやめて欲しい。心臓に悪い。特に、こいつの褒め言葉は刺さる。

 

「……王子様みたいなセリフを吐く暇があるなら、さっさと仕事して」

「はーい」

 

 そのまま二人で、ゴシゴシと汚れている所を擦る。

 まぁ、あんな風に言ってしまったが、なんだかんだ仲良い奴に褒められるのは嬉しいものだ。

 少しほっこりしながら、普通にお手伝いをしている円香に、後ろから声が掛かる。

 

「マドちゃん、マドちゃん」

「? 何?」

 

 何かすごい汚れでもあったか、あるいは虫でも入ってきたか。何にしても、少しくらい相手してやろうと思い、振り返ると、菅谷はデッキブラシに跨っていた。

 

「良い子だから、言う事を聞いて! (細く高い声)」

「ブフッ!」

 

 吹き出した。それこそ不意打ちだった。その声どっから出した、と言わんばかりのセリフが、思わずツボに入った。割と似てたのがダメ押しになってさえいる。

 

「真っ直ぐ飛びなさい、燃やしちゃうわよ! (高く細い声)」

「プッ……や、やめて……!」

「身体を横に倒して! (高いだけの声)」

「それキキじゃなっ……あははっ……!」

 

 畳み掛けられ、もはや声を出してしまった時だ。ジャージを羽織った透が戻って来た。……頭に真っ赤ででっかいリボンを付けて。

 

「お待たせ、二人とも」

「あ、キキ!」

「ぶはっ……あ、あんたら打ち合わせでもしてたの……⁉︎」

 

 完璧なコンビネーションに、しばらく円香は悶えるしかなかった。

 

 ×××

 

 そのまま、三人で掃除を続け、途中で水の撃ち合いになったり、デッキブラシのチャンバラになったりしたが、とにかく最終下校時刻までには終わらせた。

 で、今は、円香は着替え中の透を更衣室で待っていた。

 

「あーあ、全身ぐちょぐちょ」

「そりゃそうでしょ。なんで毎回、闘いになるわけ?」

「うける」

「うけない」

 

 少なくとも巻き込まれる円香は溜まったものではない。まぁ、今回は濡れなかったわけだが。

 

「樋口、超避けてたよね。スパイダーセンスついてるみたいに」

「制服濡らしたくなかったからね」

 

 それにしても、汗はたくさんかいてしまったから、割とプラマイ0感は出ているが。

 

「はぁ……これから帰るってのに、ほんと最悪……」

「あっ」

「何?」

「ブラ、どうしよう」

 

 着替えて掃除をしてはいたものの、ぐしゃぐしゃの下着の上からブラウスを羽織れば透けてしまう。しかも今は夏なのでブレザーもない。

 

「……自分のジャージは?」

「家」

「一応、私の羽織る?」

 

 どちらにせよ濡れてはいるが、ノーブラのままブラウスだけで帰るよりマシだ。

 

「……うん」

 

 これから電車に乗ると思うと、正直、気が重かった。まぁ見られなきゃ良いのだろうが、それでも少し気恥ずかしさは少なからずあった。

 

「はぁ……なんか、去年もこんなことあったような……」

「川ボラの時でしょ? あの時は、普通に下着の替えとか持って来てたからね」

「来週から持ってくるようにしようかなぁ」

「いや水かけっこの方をやめたら?」

 

 なんて話しながら濡れているジャージを借り、二人で更衣室を出た。透は、まぁ何とかなると思っていた。恥ずかしくないわけではないが、もう帰るだけだし我慢は出来る。

 近くに円香もいるし平気と思いながら、校舎内を移動した。

 

「あ、やっと来た」

 

 職員室の前では、菅谷が軽く手を振って待っている。円香が軽く手を上げて挨拶する中、透は身体をフリーズさせる。

 

「待った?」

「いや別に。待ったのはマドちゃんの方でしょ」

「そうだね」

 

 話しながら、菅谷は透に顔を向ける。が、透は円香の背中に隠れてしまった。

 

「え……」

 

 なんか、避けられた、と菅谷は甚く傷つく。

 理解が追いつかないのは円香も一緒で、怪訝そうな表情で後ろを向く。

 

「ちょっ、何してんの?」

「ヤバい……」

「何が?」

「なんか……恥ずい」

「は?」

「……リカの隣を今、歩くの……なんか、恥ずい」

「……」

 

 異性だから、というわけでもないのだろうか? どちらにしても、当然な反面、意外でもある。

 気持ちが分かってしまっている以上、自分がなんとかしないといけないのか、と円香は少し半眼になった。

 

「え、とおるん。どうしたの?」

「あー……や、ちょっと諸事情で……」

 

 円香が適当に誤魔化そうとするが、まぁ何と事情を説明したものか、と眉間に皺を寄せる。

 そんな中、菅谷は何一つ察することなく、透に声を掛けた。

 

「あ、とおるん。先生に報告は済ませたから」

「あ、ありがと……」

「……風邪でも引いた?」

「いや、そうじゃないけど……」

「辛いならまたおんぶしよっか? 大丈夫、筋肉痛であっても我慢して運ぶから。てか、そのジャージも濡れてるし、脱いだ方が……」

 

 そう言って、菅谷が歩み寄って来た時だ。

 

「こ、来ないで……!」

「へ……?」

 

 今度は菅谷が凍りついた。それにを見て、円香だけでなく透も「やばっ……」と心の中で冷や汗をかく。

 今のは良くない。何せ、事情も何も知らない菅谷にとっては、なんか避けられ、敬遠されているのだから。それも、ハッキリと。傷つかない方がどうかしている。

 しばらく凍りついていた菅谷は、やがてビチッバチッと火花が走った自爆寸前のロボットのようにぎこちない動きで2人に背中を向け、歩き出した。

 

「一人で帰ります……」

「あ、あー……待った」

 

 それを、円香が後ろから止める。このまま行かせたら、明日は休みなのでしばらく会う機会がなくなる。

 ぶっちゃけ、円香としてはこのまま帰らせて接触を避けた後、明日、家事のついでに何があったか教えてあげるのが最善策な気もしたが……。

 

「あ、え、えっと……あの、リカは悪くなくて……」

 

 ……幼馴染が珍しく歯切れが悪くなっていては、このまま放置というわけにもいかないだろう。

 少し考え込んだ結果、円香は最善手を思い浮かべ、提案した。

 

「……リカ、一旦家で洋服貸してくんない?」

「え……?」

「浅倉、着る服なくて、少し体調悪いらしくて。ジャージもブラウスも濡れてて。このままじゃ風邪引くから、タオルとかドライヤーとか洋服貸してあげて」

「あ、ああ……そういう事……?」

 

 ショックによる後遺症だろうか? よくよく考えれば訳分からない上に全然、リンクしていない内容だった気もするが、まぁ勢いで誤魔化せた。

 現在、ノーブラであることは隠せたし、このまま押し切る……と、思っていると、後ろから透が円香の袖を引いた。

 

「……どういう事?」

「着替え借りれば、濡れてないノーブラでも隠せる服、借りれるでしょ? それなら帰れるでしょ」

「あ……なるほど」

「あの子バカだし、多分これで誤魔化せるはず」

「ありがと」

 

 そう決めて、改めて二人から菅谷の方に寄った。

 

「で、良い?」

「う、うん……良いけど……」

 

 拒否されたことがよほど堪えているのか、微妙に歯切れが悪い。その菅谷を見かねてか、円香の後ろからゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。透が決心するように唾を飲み込んだ音だ。

 

「あ、あの……リカ」

「? な、何……?」

「私、メンズ服でも全然、良いけど、なるべく地味な奴ね」

「……」

 

 嫌がっていないことのアピール、とでも言うべきか。相変わらず分かりにくい言い方をする女だが、菅谷には十分、通じた。

 

「良いよ。でもあんま期待しないでね。基本、シンプルなのしか着ないから」

「全然。……むしろリカの服とか、少し楽しみ」

「え、虫のTシャツとか持ってないよ別に」

「いやそれは別にどうでも良い」

「保存用ならあるけど自分じゃ着ない」

「あるんじゃん」

「良いから。早く帰るよ」

 

 とりあえず一件落着したように、元の三人に戻って帰宅した。

 

 ×××

 

「お待たせ」

 

 円香と菅谷がカレーを作り終えると、シャワーを浴びて着替えをしていた透が出て来た。ブカブカの長袖のTシャツを着て、余した袖を垂れ下げながら。

 

「これ、なんて言うんだっけ。も……萌え袖?」

「可愛い。写メ撮りたい」

「よし、バッチ来い」

「マドちゃんも着る?」

「良いから晩御飯食べて帰るよ」

 

 後日、その透の萌え袖は、雛菜と小糸の胸を穿った。

 

 

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