浅倉が増えて、樋口のストレスは加速した。   作:バナハロ

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蒔かれて成長した種が絡み合って。
長期休みも、スタートが肝心。


 学生の夏は、黒歴史と青春が背中合わせしている。夏に当てられ、恥ずかしい思い出を作る奴もいれば、今しかできない事を全力で楽しむ事になる人も出て来る。

 その理由は、単純に夏休みがあるからだ。休みが多く、それを満喫するために恋人を作ろうとする……或いは、夏の間に恋人を作ろうとするなど、人によって様々だ。

 しかし、異性とのあれこれはそれこそ黒歴史との表裏一体。確実に楽しむためには、恋人を作るなど考えず、仲良い奴とバカやった方が良いだろう。

 透はまさにそんな仲良しとバカやる夏を望んでいた。だから、期末試験が終わった後に、クラスメイトに校舎裏に呼び出された時は、普通に嫌な予感がしていた。

 

「好きです。付き合ってください」

「え、ごめん」

 

 よく知らん奴に手を差し出されたが、嫌だった。というか、別のクラスでしょ。君と話したことあった? という感じ。

 

「どうしても?」

「ていうか、誰?」

「……」

 

 しれっとあしらって立ち去ってしまった。校舎裏を抜けると、そこで待っていたのは円香。

 

「お待たせ」

「ん」

 

 結果を聞いてこないあたり、何もかも分かっているのだろう。その気持ちは分かる。何故なら、昨日は円香が告白されたからだ。

 

「もう少し別の断り方したら?」

「昨日、ノーサンキューって言った人に言われても」

「だって嫌だし」

 

 全くもって不愉快な季節だが、まぁ今年だけだ。1年経てばああいうのもいなくなる。

 

「ていうか、リカは? さっきまで一緒じゃなかった?」

「電話かかって来て、どっか行った」

「告白?」

「違うでしょ。あのバカ、私達以外に連絡先交換してないし」

 

 三人だけ孤立しているわけではない。体育の時は普通に他の子達とコミュニケーション取るし、クラスのグループチェインにも参加している。発言した事はないが。

 それでも教室から出たら、やはり三人でしか遊ばない。

 

「……うん。ん、分かった。なんかごめんね。こんな事で。いや平気。ありがと。うん……うん。じゃ」

 

 菅谷の電話中の声が近寄って来る。スマホを耳に当てて戻って来た。

 

「あ、とおるん。戻ったんだ。どうだった?」

「断った」

「だよね。良かった」

「いや、断るでしょ」

 

 誰と一緒にいると思っているのだろうか? なんて絶対に口にできないことを思ってみたり。

 

「それより、今の電話誰から?」

「室寺さん」

「……誰?」

「父ちゃんの会社の人。昔から俺とよく遊んでくれてた人」

「ふーん……何話してたの?」

 

 円香も透の隣から聞く。なんかお礼を言っていたし、何か家にあるものを送って貰ったのだろうか? だとしたら、また部屋の掃除を手伝う必要が出てくる。……というか、ここ最近は期末試験勉強で部屋に行けなかったが、ちゃんと片付けてあるのだろうか? 

 なんか、やたらと部屋に行くの拒否されて図書室での勉強を推奨されたし、不安になって来た。

 

「いや、今年の夜の雑木林はどうなってるか……」

「そんな事より、あんた部屋片付いてんの?」

「え、そ、そっちから聞いといて?」

 

 円香はいつの間にか強い語気で菅谷に迫っていた。

 

「あ、それ私も思ってた。なんか絶対、部屋にあげてくれなかったよね」

「白状したら、許してあげる」

「助けて下さい」

「分かった。夏休みの宿題、5分の3で手を打ってあげる」

「え」

「ラッキー」

「浅倉、あんたは5分の1だから」

「えっ」

 

 要するに、割り勘である。かなり菅谷に負担が偏っているが、当然と言えば当然である。

 そんな話しながら、菅谷の家に向かった。

 途中、スーパーに立ち寄り、食材を買い込んだ。菅谷が選ぶ食材を円香はほぼ全て弾いて自分が選び、透はしれっとお菓子やジュースや歯ブラシをカゴに入れ、お会計は7000円を超えた。これでも抑えている方である。

 マンションに到着し、エレベーターに乗り、15階へ。こういう時、部屋が高い所にあると無駄に長く感じるため地獄である。

 部屋の中に入ると、ムワっと熱気が流れ込んでくる。お陰で部屋の散らかり具合に目がいかなかった。

 

「リカー。クーラーつけて」

「はいはい」

「食材しまう場所、前と変わってない?」

「ないよ」

 

 とりあえず手洗いうがいだけした後、透はリビングでダラけ、菅谷はクーラーのリモコンを押してから窓を閉め始め、円香は冷蔵庫に食材をしまう。

 

「あ〜……効いてきた効いてきた……やっぱ高いエアコンは違うわー」

 

 言いながら、透は勝手にテレビをつけて、映画を選ぶ。何にしようかなーとか思いながら、とりあえず古畑○三郎をつけた。

 

「何見てんの?」

 

 透が寝転がっているソファーの前に菅谷が立つ。

 

「古畑。座る?」

「ん」

「どうぞ」

 

 うつ伏せだったのを仰向けになった透は、スカートを押さえながら両膝を曲げてお腹の上で抱える。

 その空いた箇所に菅谷が座ると、その膝に足を下ろした。

 

「……一本取られた」

「取ったー」

「でも、その……何。そういうのは家でやってくれる? あれ……下着、見えそうだったから……」

「え……うそ。見えてた?」

「大丈夫、見える前に顔避けた」

 

 ギリギリではあったが……正直、パンツが見えない方がえっちに感じなくもないのだが。何せ、パンツが見えるか見えないかのあたりは、見様によってははみ出ているお尻でもあるから。

 まぁ、余計なことは言わずに、テレビに顔を向ける。

 

「誰の回?」

「小堺○機」

「ああ、ギャグ回ね」

「そ」

 

 懐かしい。よくもまぁ政治家関連のネタをギャグに出来たものだ、と感心する話だ。

 二人揃って、そのテレビに夢中になっている時だった。突如、後ろから菅谷の脇の下に指が四本、勢いよく差し込まれる。

 

「ふぁひょっ⁉︎」

 

 お陰で菅谷は立ち上がってしまい、その上に足を乗せていた透も必然的にソファーから転がり落ちる。

 沈黙した透を無視して、立ち上がった菅谷は慌てて振り返ると、ご立腹の円香が自分を睨みつけていた。

 

「な、何すんの⁉︎」

「あんたは何もしないわけ? 何しに来たか分かってる?」

「あっ……す、すみません……」

「……買って来たものは全部しまったから。あんたは洗濯して。私は散らかってる授業プリント束ねるから」

 

 との事で、片付けを始めた。

 

 ×××

 

 さて、片付けが終わり、お昼。買ってきたそばを茹で、ついでにエビと野菜の天ぷらを作った。一応、円香と菅谷が二人で作っていたのだが、途中から透も暇になったのか混ざって三人で作った。

 

「ゾボッ、ゾボボボッ。んー、やっぱこの時期の蕎麦は反則だよね」

 

 蕎麦らしく啜り終えてから、透が満足げに呟く。

 

「ゾボボッ、ゾボッ、ゾボボッ。分かるわー。俺も夏に食べるざる蕎麦大好き」

「ズボッ、ズボボッ、ゾボボ。うん。蕎麦と一緒だと、脂っこいものも全部食べれるよね」

「ゾボボボボッ、ゾボッ。そういえば、マドちゃんの天ぷらは食べるの初めてかも」

「ズボボッ、ズボッ、ゾボッ。私も……というか、樋口が料理始めたの割と最近だしね」

「ゾボッ、ゾボボっ、なんでゾボ?」

「そりゃ勿論ゾボ……」

「うるさい。語尾みたいにしないで。鬱陶しい」

 

 当然のツッコミが炸裂する。啜って食べるな、とは言わないが、わざとやられるとイラっとする。その上、余計な事を言われそうになれば尚更だ。

 本当にこいつら、打ち合わせせずにこのノリを継続しているのか疑わしい所だ。

 

「今日、この後どうしよっか?」

「いや、リカは片づけでしょ。まだ全然終わってないし」

「えー、でも大体もう終わってるじゃん」

「リビングはね。寝室は?」

「うぐっ……そこまでやる?」

「これ以上、ゴネるなら、外で干してあるあんたのパンツも私が畳むけど」

「わ、分かったよ……」

 

 しょぼくれる菅谷と、不機嫌そうにえび天をかじる円香。その2人を見て、透がケタケタと笑いながら言った。

 

「あはは、全然家事しない夫と鬼嫁みたい」

「浅倉、ぶっ飛ばすよ」

「俺、一応家事してるんだけど……」

「あ、樋口嫌なんだ。リカが相手なの」

「……うるさい」

 

 少し照れたように頬を赤らめたままそう返す。あまりそういう話は聞きたくない。

 

「マドちゃんがお嫁さんかぁ……。なんか、尻に敷かれそう」

「あんたの場合は尻に敷かれてるんじゃなくて、教育を受けてるだけでしょ」

「え、俺のポジションも子供じゃないの、それ?」

「ね、リカ。私がお嫁さんだったら?」

「とおるんが? ……家事やってもらうために、やっぱマドちゃん呼ぶかも」

「それ有り」

「……馬鹿言ってないでさっさと食べて片付けして」

 

 そう言いつつも、円香もなんかその未来は見えた気がした。……いや、正確に言うならば、なんなら結婚もしないでだらだら三人で暮らしている……そんな未来が。

 まぁ……それはそれで十分、楽しそうではある。

 そんな中、ふと透が思いついたように言った。

 

「ていうかさ、今年は高一だし、少し遠出しない? 海とか」

「ん、良いかも」

 

 それにすぐ円香は乗った。なんかさっきまでの会話は続けちゃいけない気がした。

 とりあえず候補を上げようと、透が顎に手を当てて天井を見上げる。

 

「海か山か……空か、砂漠?」

「正気じゃないでしょそれ。普通に海で良いから」

「海かぁ……お金掛かりそうじゃない?」

「まぁ、流石に東京湾は嫌だしね」

「うちの別荘があるとこで良いなら、泊まりでも良いよ」

「「へ?」」

 

 そんな二人の会話に、しれっとボンボンが入って来て、揃って目を丸くする。

 

「スーパーとコンビニは遠いから食材は買って行かないとダメだけど、貸切でビーチ使えるし」

「……マジ?」

「良いの?」

「いや、夢だったんだよね。友達と別荘でバーベキューとかするの」

 

 いやそれくらい君なら簡単に叶うでしょ、と思わないでもなかったが、そこはツッコまない。

 

「ただ、父ちゃんとかも使うかもだから、そこで良いなら早めに日程とか教えてくれると助かる」

「えっと……私は平気だけど」

「私も……」

「じゃあ、いつが良い? 俺はいつでも平気。……あ、嘘。八月最初の一週間だけ実家戻ったりする」

 

 すると、円香は鞄から手帳を取り出す。

 

「……うん、私の家も最初の土日で田舎に戻るし、平気」

「とおるんは?」

「分からん」

「浅倉の家も一緒」

「じゃあ……3週目に行こうか」

 

 思わぬ夏休みになりそうで、二人ともワクワクする反面、少し狼狽えていた。

 

 ×××

 

 部屋の掃除が終わり、三人はせっかくなので宿題をやることにした。早めにやれば、それだけゆったりと遊べる……というつもりだったのだが。

 

「出た、SM○P犯人の奴」

「これマジで面白いよね。草○くんが『自分で掴んだって言っちゃったよ』って怪我の言い訳するとこ」

「分かる。なんで肩あがらなくなるまで、自分の肩を握り締めんだろうな。絶対バレるじゃん」

「ほんそれ」

 

 バカ二人はもう飽きてテレビに夢中だった。進んだページは、わずか3ページである。

 

「一応、言っておくけど、31日ギリギリで写すハメになったら怒るから」

「……」

「……やろっか」

「特に、リカ。あんた私と浅倉の宿題も、5分の3握ってるんだからね」

「へいへい」

 

 ……というわけで、仕方なく勉強を再開した。しばらく手を動かしていると、透が「ね」と声をかけて来た。

 

「リカってさ、成績良かったよね」

「え? ああ、まぁね」

 

 一人暮らしを続行するために、必要最低限の成績は取っている。それも、クラスの平均点以上という意味なので、とてもしんどいが、何とかなっている。やれば出来るタイプであることが実証されてしまった。生物基礎と物理基礎という高校に入ってから新しくできた科目も満点を2回連続で獲得していた。変態である。

 

「それでは第一問」

「え、急に?」

「蘇我入鹿を討ち取った二人の名前は?」

「え? 中大兄皇子と中臣鎌足」

「なるほど……よし、はい。第二問」

「いや待って。クイズ形式にしても誤魔化されないから。それ俺に宿題やらせちゃってるじゃん」

「大化の改新は何年?」

「……8」

「よし、8……え、嘘でしょ」

「自分でやれ。俺、5分の3やるんだから」

「けち」

 

 なんて話しながら手を進めていると、ふと周りに円香がいない事に気づく。

 

「あれ、マドちゃんは?」

「あ、ホントだ。サボり?」

「もしかして、興味ないフリして俺の虫のおもちゃを盗みに行ったのか?」

「おもちゃにまでツンデレとかウケる」

「おっけー。二人ともコーヒー無しね」

 

 直後、オボンの上にアイスカフェオレを三つ用意した円香から声が掛けられる。その表情は、どう見ても激おこぷんぷん丸である。

 

「嘘です。かたじけありませんでした」

「謝るので頂戴させて下さい」

「そのふざけた口調が謝罪のつもりなわけ?」

「「すみませんでした」」

「よろしい」

 

 二人同時に謝らせ、飲み物を配る円香。少し一服しようと思い、二人とも息をついた。ふと時計を見ると、もう16時を回っている。

 

「今日、晩飯食ってく?」

「作るの私でしょ」

「いや手伝うから」

「私も食べる」

「そこは『作る』でしょ」

 

 そんな話をしていた時だった。ピンポーンとインターホンが鳴り響く。

 

「誰だろ」

「お隣さんでしょ」

「え、なんでわかるの?」

「呼び出し音が部屋の前のボタンのだったから」

「すごい、名探偵」

「良いから応対して来て」

 

 とのことで菅谷が玄関に向かう……その背中を眺めていた円香と透は頷き合うと、慎重に後をつけた。なんだかんだ、美人と噂のお隣さんを見るのは初めてだ。この機会、逃すわけにはいかない。

 二人とも菅谷の部屋の扉に隠れ、ひょこっと顔を出して眺める。

 

「こんばんは、どうしたんすか?」

「こんばんは。いいって言ったのに、またお父様がメイドをよこして料理を置いて行ってしまって……食べる?」

「ありがたいけど、それ毎日プロテインとかばかり食べてるからでは?」

「あら、プロテインって身体に良いのよ? 筋肉つくもの」

「いや何その理論。筋肉をつけるにはプロテインより普段の食生活だから」

 

 ……なんか仲良さげに話している。菅谷と同じくらいの身長に、明るく茶色い綺麗な髪を背中まで伸ばしている。……確かに、美人さんのオーラは凄まじい。

 

「……どう思う?」

「……綺麗だとは思うけど」

「オーラすごいよね」

「スタイルも良さそう」

 

 まぁ、菅谷に被ってほとんど見えていないわけだが。……しかし、話し方は少なくとも上品なイメージがあった。流石、高級マンションに住んでいるボンボンのお隣さんなだけある。

 

「ま、考えとくわ。これ、餃子セット」

「おお、すみませんね」

「いいのよ。可愛いお友達と一緒にね?」

 

 それを聞いて、後ろの二人も体を震え上がらせた。なんかバレてる。というか、なんなら今、盗み聞きしているのもバレてそう。

 

「え、なんで知ってるの?」

「たまに楽しそうな声が聞こえてくるもの」

「もしかしてうるさかった?」

「いいえ? 夜中に騒がれてるわけでもないし、気にならないわ」

 

 それなら良かった。菅谷と一緒に胸を撫で下ろす。

 

「そっか。よかった……あ、じゃあ一緒に食べる?」

 

 が、そんな事を抜かしてくれたおかげで、透と円香の眉間に皺がよる。なんで他の女の人まで誘う必要があるのか分からないから。

 

「いいえ、お気持ちだけいただいておくわ」

「そっかー。残念」

 

 どういう意味で言ってる、と冷ややかな殺意を露わにしたことで、菅谷の背筋が凍りついた。

 

「ふふ、じゃあそろそろ行くわ。また一緒にトレーニングしましょうね」

「あ、うん。もう少し穏やかなメニューなら」

「何言ってるの? 筋トレは穏やかじゃ何にもならないわ」

「うん。分かったから。ありがとう。今度はうちから何か持っていくね」

 

 トレーニング、という言葉を聞いて、真っ先に二人はピンと来た。以前、バカみたいに全身筋肉痛になっていた菅谷とトレーニングしていたのは、この女だ。

 

「……」

「……」

 

 なんか、ムカつく。なんか分かんないけど、ムカつく。

 そんな二人の気も知らずに、菅谷はほくほくした表情で独り言を漏らす。

 

「ふぃ〜……良いもんもらっちった」

「今のがお隣さん?」

 

 それに、透と円香が声をかけながら姿を表した。

 

「え、なんで俺の部屋にいたの?」

「そんな事はどうでも良くて。お隣さんと仲良いんだ」

「いや、まぁそれなりに……」

「ふーん……」

「年上のお姉さんが好みとか、子供みたい」

「え、別に好みとかじゃなくて。……大体、あの人、話してみると年上感ないよ。1に筋トレ、2に筋トレ、3、4も筋トレ、5も筋トレの人だし」

「別にそんなこと聞いてない」

「? 何怒ってるの?」

「「怒ってない」」

 

 不機嫌なだけだ。決して怒ってなんかない。

 

「それより、餃子の皮買いに行かないとなんだけど……というか、餃子で良い?」

「……別に良いけど」

「私も」

「じゃ、行ってくるね」

 

 さっき買い物には行ったばかりなので、本当に餃子の皮だけ買うつもりで出て行った。

 その背中を目で追いながら、円香と透はリビングに戻る。なんか、少し変な危機感があった。お隣の年が近いお姉さん……同時期に一人暮らしも始め、お互いに助け合いも可能。

 ……もし、もし何かの間違いで、二人の間に何かあったら……。

 

 …

 ……

 ………

 

 ある日、お隣のお姉さんは部屋で筋トレをしていた。その部屋のインターホンが押される音が室内に鳴り響く。

 

「はーい?」

 

 玄関を開けた直後、目の前にいたのは覆面を被り、刃物を構えていた男だった。

 

「金出せ」

「っ……!」

 

 そう低い声で言われた直後、お姉さんは後退りし、玄関の段差に足を引っ掛けてひっくり返ってしまう。

 男は持って来たガムテープでお姉さんの口と身体を巻きつけ、動けないようにする。

 

「こんな良いマンションに住んでんだ。金目のものなんかいくらでもあんだろ」

 

 へっへっへっ……と、悪党の笑みを浮かべながら、男が室内を見て回った時だ。その玄関から、菅谷が入って来た。

 

「すんませー……うわっ、強盗」

「ちっ、隣人か。怪我したくなけりゃ、さっさと消えな」

「え、俺手品師じゃないよ?」

「いや、その消えなじゃなくて」

「あ、もしかして電気消してって事?」

「違う。いや、でも消してくれた方が周りにはバレにくいかも」

「消す?」

「よろしく」

 

 電気を消した直後だった。菅谷はスマホのライトをつけて男に投げつける。

 

「うおっ……な、何のつもりだ⁉︎」

 

 スマホを避けた男だが、ナイフに光が反射して目を奪われる。

 その隙に菅谷は接近し、懐に一気に潜り込むと、大腰をぶちかまし、床へ一気に叩きつけた。

 

「ゴホッ……!」

 

 手からナイフとガムテープが離れ、菅谷は男の身体をぐるぐる巻きにした。

 パチッ、と電気をつけ、お姉さんの元に駆け寄り、口元のガムテープを剥がす。

 

「大丈夫?」

「え、ええ……ありがとう……」

「うわ、口の周りがザクみたい。面白」

 

 テープの跡が残っていて、それを示しているのだろう。お陰で、空気は少し崩れた。

 

「悪いけど、テープを剥がして貰えるかしら?」

「あ、はい。えーっと……」

 

 テープの端を探していると、そこは夏葉の胸元にあった。

 

「……えっ」

「? どうしたの?」

「い、いや……ちょっ、剥がし目が、ちょっと……」

「早く剥がしてくれると嬉しいんだけど……」

「そ、そう言われても……」

「別に胸元にあるくらい気にしないから!」

「ご、ごめんなさい! 先に警察の人呼ぶのでその人に剥がしてもらってください!」

「……」

 

 ………

 ……

 …

 

「…………」

「…………」

 

 ……なんか、一目惚れに近い感情なら、すぐにイケメンの魔法は解けそうだ。というか、そのやりとりは一周回って可愛げさえ感じる。

 しかし、隣人同士のドラマチックに有り得そうな話はそれだけではない。

 他のパターンを想定してみた。

 

 …

 ……

 ………

 

 お姉さんが部屋の中で掃除をしている時だった。何か焦げ臭さを感じる。ふと辺りを見回すが、自分の部屋からではない。ベランダに出て何かあるか探していると、下の階で火事が起こっていた。

 

「っ!」

 

 その直後、自分の部屋の床が燃え始める。おかげで、ベランダにいたお姉さんは逃げられなくなってしまった。

 そんな時だった。そのベランダに、隣のベランダから侵入してくる影。

 

「大丈夫ですか?」

「え、ええ……でも、玄関が塞がれてしまって」

「ベランダを伝って、火が回っていない所まで逃げましょう」

「で、でも……私そんなに身軽にはいけないわよ」

「大丈夫です。俺が抱えて……」

 

 そう言いかけた直後、菅谷の目線はお姉さんの抜群のスタイルに向く。

 

「あ、いや……やっぱり、その……先導するからご自分で……」

「? どうしてよ?」

「ちょっと、その……あんまり密着し過ぎるのは、なんというか……」

「言ってる場合じゃないから! お願い」

 

 お姉さんは強引に菅谷に抱っこしてもらう。大きなお胸がふにっと正面から直撃し、オーバーヒートした菅谷はそのまま気絶した。

 

「……きゅう…………」

「……ああもう、仕方ないわね!」

 

 そう毒づいたお姉さんが逆に菅谷を抱っこして、そのまま無事に脱出した……。

 

 ………

 ……

 …

 

「…………」

「…………」

 

 なんか大丈夫そうな気がして来た。

 

「ただいまー」

 

 ちょうどそのタイミングで、菅谷が部屋に戻ってくる。その時には、円香と透の表情は生温かい笑みになっていた。

 

「どしたの?」

 

 キョトンとした表情で聞きながらリビングに歩いてくる菅谷を見て、こんなピュアな男子高校生、中々いないだろうと変な境地に陥り、気がつけば二人は菅谷の頭を撫でてあげてしまっていた。

 

「っ、な、何……?」

「いや、別に」

「ずっとその可愛いままでいてね」

「な、何言ってんの……?」

 

 とりあえず、飽きるまで撫で続けた。

 

 ×××

 

 食事を終えた。焼いたのは円香だが。いや、絶品だった。お隣のお金持ちのメイドが作ったタネに追加し、円香が母親に教わった羽付になる焼き加減により、それはそれはお店に出せるレベルのものとなっていた。

 

「あー、美味かった」

「ホント。樋口、焼くの美味すぎ」

「それはどうも」

 

 今は円香はお皿を洗い、菅谷は机を拭きながら食後のコーヒーの準備をし、透はだらけている。

 ほんと、こういう風に二人とも褒めてくれるから、やり甲斐を感じる。よく「対価をもらわないと向こうは感謝しない」という話を聞くが、透と菅谷の二人は、少なくともその限りでは無さそうだ。

 

「この後はもう帰るだけかー」

「もうそろ8時回るし、そろそろ帰った方が良いんじゃね」

「分かってる」

 

 名残惜しい、という気持ちがないわけではない。……とはいえ、もう夏休みなのだ。八月頭はダメでも、八月になるまでの四日間は一緒にいられる。

 だらけている透が、暇になったのかぼんやりと聞いた。

 

「リカはこのあと、どうするの?」

「ん、今日は出かけるよ」

「? なんで?」

「昔からよく行ってた雑木林で虫の写真撮りに行くから。室寺さんが言うには、結構いるらしいから」

「……ふーん」

 

 ちなみに、室寺さんとやらも昆虫オタクである。ブリーダーもやっている点が菅谷と違う所で、家にいるオオクワガタは今年で6年目に突入したらしい。

 菅谷とは虫を愛でるスタンスは違うが、それでも仲良くしていられるのは大人と子供だからだろう。

 

「私達も行って良い?」

「は?」

 

 その「達」には自分も含まれているのだろうか? と、円香は片眉をあげた。

 

「別に捕まえるわけじゃないよ?」

「うん。捕まえるってなっても、私ら触れないし」

「いや、待って。ダメでしょ。もう割と夜遅いんだけど?」

 

 当然、円香が止めに入る。夜遅くなくても、別に行きたくない。

 

「大丈夫でしょ、少しくらい」

「私は行かないから。てか、浅倉もやめて」

「? なんで?」

「……餃子食べたでしょ」

「それは平気。さっき、歯ブラシ買っておいたから」

「……え、あれ浅倉が入れた奴?」

 

 確かに袋の中に歯ブラシがあったのは円香も覚えている。何せ今日買ったものをしまったのは、自分だから。二本も買っていたから、少し不思議だったが一人暮らしならそれくらいストックするものなのかな? と思っていた所だった。

 

「え、なんで買ったの?」

「ん? 今後、ここでご飯食べることもたくさんありそうだから」

「あ、そっか。じゃあ、うちに置いとく感じ?」

「うん」

 

 なんか流暢に飲み込んでいるが、よーく考えてほしい。それ、一人暮らしの男の家に居座る第一歩にしか、円香としては思えなかった。

 しかも、わざわざ自分の分まで透は用意している。

 

「でも、今日は帰った方が良いよ。夜の雑木林、割と危ないから。スカートだと虫にやりたい放題されるよ。脚に赤い腫れを地雷みたいに量産したくないでしょ?」

「えー、じゃあ仕方ないか……」

「洗い物終わった」

「ありがとー。こっちもコーヒー入ったよ」

「ん」

 

 砂糖とミルクを入れて、三人ともカフェオレである。

 これから始まる夏休みに、様々な想いを馳せながら、コーヒーを啜った。

 

 

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