翌朝、円香はリュックに荷物を詰めて、家を出た。透も一緒である……が、透は少し眠そうに欠伸をしていた。
「別に寝てても良いと思うけど?」
「いや……乗りかかった船だし……」
しかし、遊んだ時より、その後の掃除の方が疲れた。何せ、ゴミを全部、袋にぶち込んで廊下に出し、細かいゴミはルンバで吸い、床の汚れは雑巾で拭き、その上で落ちている洗濯物は全部、菅谷に投げつけた。
透は透で洗い物をなんとか頑張ってくれたが、その後は洗濯物を手伝わされていて、もう大忙しだった。
「それに、お祭り行きたいし」
「ぶっちゃけ、明日も明後日もお祭りやるし、今日中に掃除終わらなくても行けなくなることはないけど?」
「うーん……まぁ、そうかもだけど。……でも、やっぱ一緒にいたいし」
「……あっそ」
……どうやら、なんだかんだ透も先週は寂しさに近いものがあったようだ。しかし、普通にそういうことを口にできる性格は素直に羨ましかったり、妬ましかったり。
さて、菅谷の部屋に到着した。ナンバーを押そうとした所で、ウィーンと自動ドアが開く。両手にゴミ袋を持った菅谷だった。
「あ、もう来たの?」
「ちゃんと言われる前に始めてて偉い」
「え、そ、そう?」
珍しくハナっから円香に褒められたからか、菅谷は少し嬉しそうにする。
「まぁ、幼稚園児レベルの採点基準だけど」
「……」
「ぷふっ……まぁ、実際いつも観察しているアリの方が、まだリカより働いてそうだし」
透にまで言われ、菅谷は小さく項垂れた。すると「あ、そうだ」と菅谷は一度、ゴミを床に置いて、ポケットを弄る。
そして、円香の方に取り出したそれを投げた。
「はい、これ」
「鍵?」
「先入ってて、部屋」
それだけ言うと、菅谷はゴミ捨てに向かった。
「……」
チャリン、と手の中にある鍵を見下ろす。いや、分かっている。どうせ後ですぐ返すものだし、ゴミ捨てから戻って来るまでの間。
……しかし、自分の家の鍵をこうも簡単に渡すのは、少し不用心な気がしないでもない。
「? 樋口?」
「あ、ごめん。あがろっか」
「うん」
そのまま自動ドアを抜けてエレベーターに乗った。ウィーンという音と共に15階に上がる。……さっきの両手いっぱいのゴミだが、まだ玄関に二つ残っていた。
「私、捨ててくるよ」
そう言ったのは透。ゴミ袋を両手に持とうとしたので、その前に円香は手を差し出した。
「じゃあ、リュック。預かる」
「お、さんきゅー」
荷物まで持って上り降りすることはない。差し出された手にリュックを引っ掛けた透は、ゴミ袋を持ってエレベーター前に立つ。
円香は預かった鍵で玄関を開けると、部屋の中に入った。
「……」
他人の部屋に自分一人……もう割と経験してきたのに、この感覚は意外と慣れてなかったりする。何か盗みたくなるとかそう言うのではなく「変に自由」と言う感覚だ。
……とはいえ、まぁその自由も汚い部屋を見れば「とりあえず掃除から」となってしまうわけだが。
「はぁ……」
昨日、ある程度は掃除したとは言え、埃や洗濯すべきものを考えると、まだまだ時間は掛かりそうだ。
散らばっている洗濯物は全部、洗面所に束ねてあるので、そこから始めることにした。
洗面所に入ると、洗濯機はもう回されていたようで、もう静止していた。そのため、中のものをカゴの中に入れて、そのままベランダへ運ぶ。
この際、彼のパンツを干すことも辞さずに手を動かしていると、ふと真下に知り合い二人が見える。透と菅谷だ。
「……」
何か話しているようで、楽しそうに何かしている。すると、なんか二人で手を繋ぎ始めた。え……何してんの? と思ったのも束の間、二人はそのまま両手共繋いで何を思ったのか、社交ダンスのように踊り始めた。カケラの知識もなかったからか「それっぽさ」しか出していない所が腹立たしい。
「……何サボってんの」
イラッとしたので、円香は一度、指を舐めると、上に向ける。風速と風向きを何となく測定すると、洗濯物のパンツを手に取った。
そして、ポジションを取り、二人の真上より若干、左側に構え……そして。
「投下」
落とした。2枚。元々、洗濯から上がったパンツのため、水分が吸収されている。その上、ほぼ無風なこともあって大きな影響は受けていない。
ヒラリヒラリ……と言うより、真下に猛然と突き進むように落下し、そして直撃させた。
「「っ⁉︎」」
二人揃って肩を震え上がらせながら背筋を伸ばす。頭を押さえながらあたりを見回すザマを、円香はベランダの手すりで頬杖を突きながら冷徹に見下ろす。
まず二人は、頭の中に何が落ちて来たかの確認。結果、地面に落ちているそれをつまみ上げた直後、パンツだと理解し、菅谷が透の分を奪いに行く。
が、見切った透はそれを避けた。そのまま顔を真っ赤にした菅谷と透の追いかけっこが始まる……のは勝手だが、あいつら何遊んでんの? しかもパンツで、と円香の眉間に、さらに深い皺ができる。
また頭に来たので、今度はパンツを丸めてボールのようにし、落下ではなく投げつけた。とりあえず、透の顔面目掛けて。
高速で射出されたそれは、見事に直撃。透はひっくり返り、その隙に菅谷はパンツを回収する。
「ーっ!」
「……?」
二人が何を話しているのか知らないが「つーかそもそもなんで落ちてきてるの?」という話題になったようだ。正しい。それでようやく、自分がいる方向を見上げたから。
「……」
「……」
「……」
殺意の波動をこれでもか、と言うほど放って睨むと、二人ともすごすごとマンションに戻ってきた。
ま、どんな事情があるにしても、人を放置して掃除をサボった罪は重い。後で雷を落とす。
×××
「怒られちゃったね……」
「うん……」
円香が引き続き洗濯をする中、菅谷と透はのんびりと床の掃除。ルンバくんはリビングで仕事中のため、廊下を透、寝室を菅谷が雑巾で拭いている。
「……しかし、マドちゃんは相変わらず怒りっぽいなぁ。どうしていつもああなんだろう?」
「何でだろうね」
「もしかして……本当は一緒にバカやりたいけど、素直になりきれないとか?」
「あー、ありそう。さっきだってパンツ投げなくても下に降りて来ればよいだけの話だもんね」
「……むしろ、パンツを投げたかった?」
「わぉ、すごい性癖」
「いやさっき人のパンツ盗んでた人のセリフじゃ……」
直後、透の真上からバサバサバサっと洗濯物の山が降って来る。円香がわざと真上でカゴをひっくり返した。
たまたま近くにいた透が被害に遭ったが、その表情は怒り一色だったため恐怖は菅谷にもビンビンに伝わっていた。
「……聞こえてるから」
「「……」」
聞かれていた。これは流石にまずい、と思った菅谷は、慌てて部屋から出てくる。
「あ、洗濯物俺拾います」
「10秒以内。じゃないと許さない」
それを聞くなり、速攻で菅谷は土下座でもするかのように這いつくばって洗濯物を拾った。
国王に献上でもするかのように頭を下げて膝をつきながら差し出すと、円香はそのままの足でベランダに向かう。
流石にそろそろ懲りて掃除した方が良いかも……と、菅谷は思い、部屋に戻る。ベランダなら声は聞こえないとか、そう言う事じゃない。
が、懲りていないのか、透がまた声を掛けてきた。
「実際、寂しかったのかもよ」
「いや、とおるん……また怒られるって……」
「や、ほんとに」
「……」
言われてみれば、最近は透と写真を送り合ったり、さっきも下で社交ダンスごっこしてたり、今も廊下で少しおしゃべりしてたりと、透と絡んでいたことが多かった気もする。
「……なるほど。よし……じゃあ、今晩のお祭りは、三人で遊べるとこ回ろう」
「うん」
そんな話をしながら、二人は掃除を続ける。
ふと、菅谷が気になったように「そういえば」と声を漏らした。
「二人は今日、浴衣着るの?」
「え? あー……どうしよ」
「あ、決まってないんだ」
「あれ歩きにくいんだよね。割と小学生から着てなかったりする」
「ふーん……マドちゃんも?」
「え……どうだろ。聞いてみたら?」
言われて、菅谷はチラリとベランダの方を見る。よく漫画で見る「プンスカ!」という擬音と共に出てくる謎の噴火が、円香の頭からも出てる気がする。
「聞いてくるね」
「いってら」
お構い無しだった。のうのうと円香の元へ歩き、声をかけた。
「マドちゃん」
「……何?」
不機嫌そうな顔で振り向かれても平然と聞いた。
「今日、浴衣着るの?」
「……急に何?」
「え、だってお祭りだし、マドちゃんの浴衣姿見たいなって」
その言葉に、円香はピクっと少しだけ反応を見せる。
「……見たいわけ?」
「見たいけど?」
「……あっそ。まぁ着ないけど」
「えー、なんで?」
「良いから、まず掃除して。ホント夕方までに終わらなかったら行かないから」
そう言って、ベランダの入り口から追い出される。「もしもし、お母さん? うん。あったらで良いんだけど……」なんて電話し始める円香の声が耳には届いたが、着てくれないそうなのでしょんぼりと肩を落として廊下へ出た。
「なんだって?」
「着ないってー。……あーあ、マドちゃんかとおるん、どっちかで良いから見たかったなー」
「……見たかったの?」
「え? うん。まぁ、二人とも絶対、似合いそうだし」
少し透は笑みを浮かべる。良いこと思いついた、と言うように。
「ちょっと電話してくるね」
「あ、うん。どしたの?」
「ん、急用」
それだけ言って、透はスマホを取り出し、一旦部屋の外に出て行ってしまった。
×××
「終わったー……」
そう瀕死の雄叫びを轟かせたのは菅谷。円香と透も、疲れきったように椅子でへたり込んでいる。
途中、円香がわざわざ持参したエプロンを使ってお昼を作ってくれたりして、本格的に丸一日、3人揃って家事で終わってしまった。
「お疲れ……」
「何したらこんなに汚れるの……」
透と円香は、いつにも増して疲弊していた。特に意味はないが、少しでも早く終わらせるためにすごく頑張ったからである。や、ホント特に意味はないが。
しかし、おかげで15時前に終わらせることが出来た。
「どうする? 少し早いけどお祭り行っちゃう?」
「あーごめん。それは18時くらいからでも良い?」
「私もそれくらいが良い」
「え、なんで」
二人揃って言われた菅谷はキョトンとした顔を浮かべる。
「すぐ行くと思ってたのに……もしかして、今日用事あった?」
「や、そういうんじゃないよ」
「女の子には準備が必要な事くらい分かるでしょ」
「あ、もしかしてシャワーとか? 別にうちの使っても良いのに」
「いや、着替えがないから」
「あ、そか」
それだけ言うと、円香と透はソファーからすぐ立ち上がる。こんな所でグデっとしてる場合じゃない。
「お祭り、隣の駅だっけ?」
「うん」
「とりあえず、18時に駅前で良い?」
「良いよ」
すぐに約束し、円香と透は部屋を出ていった。
のんびりとエレベーターに乗ってぼんやりしていると、円香の隣に佇んでいた透が、フフッと笑みを漏らす。
「何? 怖いんだけど」
「いや、我ながら分かりやすかったかなって」
「……別に、浅倉だけじゃなかったでしょ」
まぁ、彼が見たいと言うから、まぁ着てやっても良いかと思い、着ることにした。幸いというか何と言うか、透の母親の知り合いがやっている浴衣のお店で、この時間からお祭りの待ち合わせ時間までに買えることになった。奇跡である。
円香が電話した時、母親はもう既に何の用事でかけて来ているのか分かったようで、引くほど早く話が進んだ。掃除しに行く、と言って出掛けたのに、である。
「……」
母親は一生越えられない壁のようなものなのかもしれない……なんて思いつつ、円香はため息をついた。ちなみに、菅谷から「みたい」と言われた直後から着る気満々になってはいたが、つい「着ない」なんて言ってしまったのはわざとではなく、照れ隠しなのは言うまでもない。
そして、透とのやり取りから分かるように、二人ともお互いが着る気満々なのに気付いていた。
そうなれば、透も既に母親に連絡していたわけで。なんか、自分達の両親の察しの良さが、もはや恐怖だった。
さて、そんなやりとりはともかく、だ。二人とも着るつもりだったのであれば、お互いに情報は得ただろうから。
「浴衣の好みとか聞いた?」
「うん。私は色とか聞いた。洋服の話題から、私と浅倉のイメージとか」
「なんだって?」
「浅倉は青、私は紫とオレンジの中間とかよくわからないこと言われた」
「おお……でも的確」
「そっちは?」
「ん、どんな浴衣が見たかったか聞いたよ」
直球過ぎる。しかも、その質問はおそらく……。
「……で、なんて?」
「浴衣の形はどれも一緒じゃないの? って」
「でしょうね……」
「その後、調べてみたけど生地が違うって分かって、それ以外はよく分からなかった」
つまり、情報はないわけだ。……いや、逆説的に言えば、生地は自分たちが好みの奴を選べば良い。せっかく買うのなら、やっぱり気にいる奴を選びたいから。
「……」
そんな中、ふと円香の中に疑問が芽生える。……なんか、普通に菅谷の好みに合わせようとしているが、何でそうなるのか。いや、それ以前に、だ。そもそもどうして菅谷のために浴衣を買おうと思っているのか。
なんか……今まで散々「いきなり一人暮らしは大変そうだから」とか言い訳してきたが、今回は言い訳出来ない気がする。
「あー、なんか今からリカが驚くとこ見るの楽しみじゃない?」
「……ん。まぁね」
自分の胸の奥底に秘めた感情に気付かないようにしながら、円香は適当な会話をして、透と歩いた。
×××
さて、18時。円香と透は、浴衣に身を包んで待ち合わせ場所に向かう。ちゃんと二人とも着付けを済ませた。浴衣の色もちゃんと好みに合わせた。柄は、円香は梅、透は蝶にした。
整えたのは浴衣だけではない。二人とも髪を弄り、円香はシニヨンスタイルと呼ばれる纏め方。短い髪でも出来るよう、お店の方がやってくれた。
一方で透は、お団子に簪を刺して纏め上げた。これも綺麗にお店の方がやってくれて、普段の透とは違うイメージができた。
二人ともガラッと普段の雰囲気とは違う見た目を作り出し、お互いの顔を見ても頬を赤らめてしまうほど似合っていた……のだが。
「……」
「……」
新しい自分を、仮にも一番仲良い異性に見せる時というのは、とても緊張するものだ。
そんなわけで、なんか自分達が思っていた以上に破裂しそうな心臓を抱えた二人は、いつも以上に口数が少なかった。
だが、それでもここで引き返しては意味がない。下駄だからとか、浴衣だから、とかではなくゆったりした足取りながらも、きちんと待ち合わせ場所に向かっていた。
「……ね、樋口」
「っ、なに……?」
「ここまで、緊張させてるんだし……あいつも、緊張させてやらない?」
「……」
……確かに、何故あの野郎だけしゃあしゃあとして、自分達ばっか緊張しないといけないのか。むしろ、緊張するべきは向こうだろうに。
「……良いよ」
「やった。どう行く?」
「ググろう。そんなのいっぱい出てくるでしょ」
「良いね」
そんな話をしながら、もうすぐ待ち合わせ場所に到着という辺りまで来ても、スマホをいじって歩いていると、前方から影が刺され、足を止める。
「わぉ……ねぇ、姉ちゃん達。女の子二人?」
「せっかくだし、俺らと遊ばね?」
分かりやすい連中である。軽薄で馴れ馴れしくて軽々とした連中……つまり、円香が一番嫌いなタイプだ。
「わ、これナンパ? ウケる」
「そう言う事目の前で言わない。……人と来てるので。失礼します」
そう言って透の腕を引いて、円香は過ぎ去ろうとする。が、その前に男達は立ち塞がった。
「……なんですか? 日本語がお分かりでない?」
「いやいや、ならその子も一緒にどうよ」
「いえ。この際だから言いますけど、あなた方では……」
バカ2人に対応しきれない、と言おうとした時だった。
「おーい。マドちゃん、とおるん!」
言いながら、男子と女子の間に割り込むのは、菅谷明里。多分、ナンパされていたという認識さえないだろう。
だが、思わず円香と透はそれについてツッコミを入れる隙もなく唖然としてしまった。
何故なら……何故か、菅谷まで甚平を着ていたからだ。
「……」
「……」
余りに似合っていて、息を呑んだ。緊張させるつもりが、緊張させられてしまうインパクトだ。だから不意打ちはほんとやめて欲しいといつも言っているのに。
しかし、それは菅谷にとっても同じ事。いつもとは違う二人が並んでいるのを見て、思わず唖然としてしまった。
「……」
「……」
「……」
三人とも、しばらくお互いを見つめ合ってしまう。思わず揃って頬を赤らめてしまう。もうナンパ男達など背景の一部にしか見えなくなっていた。
まず口を開いたのは菅谷だった。とりあえず「褒めたい」という意識が頭の中で働いた。
「っ、ふ、二人とも……綺麗じゃん……なんか、いつもと雰囲気違うっつーか……」
「っ……り、リカこそ……なんか、見違えた……というか……な、何? ……イケメンがイケメンに見える……」
透が、それに応じるように称賛する。内容はアレだが。
円香も、同じように褒め言葉を浮かべようとした。実際、脳内には言葉は浮かんでいた。
しかし……それを言うのはどうしても照れに近い部分に憚られてしまう。
そして、その結果……。
「ふーん……ホストかアイドルが天職って感じ」
結局、憎まれ口を叩いてしまう。そんな自分の言葉を聞いて円香は心底、自身が嫌いになりそうになってしまった。何故、こんな言葉しか吐けないのか。素直に、カッコ良いと言えば良いのに。
しかし、そんな自分に菅谷は、微笑みながら答えた。
「うん……マドちゃんも綺麗。その……何、モフ髪アップ? 可愛い」
「ーっ……!」
直球で返して来る。完全に頬が真っ赤に染まり、円香はそれを隠すために鞄を抱き抱えた。
「わっ、樋口顔超真っ赤じゃん。ウケる」
「ーっ!」
横からの透のセリフが、脳裏に響き渡り、今度こそオーバーヒートした。突如、アクセルを踏み込んだ車のように熱を帯びた身体が、反射的に抱えていた鞄を投射させた。菅谷に。
「俺……ぶっ‼︎」
直撃し、後ろにひっくり返った。フーッ、フーッ……と、獣のように荒い息を円香は鎮め、加速する鼓動を抑えるために、胸に手を当てる。
手まで震えそうなほど、心音は激しい。このまま首振りエンジンに出来そうなほどの加速と激しさ。頭の中まで真っ赤になり、鼻血が出てもおかしくない程だ。
『うん……マドちゃんも綺麗。その……何、モフ髪アップ? 可愛い』
如何にも菅谷が言いそうな、菅谷らしい褒め言葉だ。率直に言って、死ぬほど嬉しい。でも、死んでも口に出来ない。
「……ねー、リカー。私はー?」
「とおるんも、おだんごと蝶々、メッチャ綺麗。可愛……いや、やっぱり綺麗」
「えー、可愛いが良い」
「じゃあ可愛い。……俺があげたピアスにも合う」
言いながら透の耳に手を当てる菅谷。それに応じるように、透も菅谷の耳に手を当てた。
「ふふ……リカも、合ってる。その浴衣とピアス」
「え? これ甚平」
「ジンベイ? サメ?」
「大体合ってる」
そんな力の抜けるやりとりを見て、円香は少し気を持ち直した。落ち着きを少しずつ胸の奥で取り戻し、深呼吸をする。
……そういえば、そもそもナンパされている最中だった。そう思ってあたりを見回すと、どこかで見た背中が退散して行くのが見えた。
「だめだ、あれはダメな空間」
「みっともなく散るより、遠目から見守ってた方が良い奴」
「デナトニウム陽イオン食べに行こう。祭りにあるかな?」
「絶対無い。コーヒーもなさそう」
結果的に、ナンパ男を撃退できて、今はひとまず良かったと思っておくことにした。
×××
さて、お祭りをエンジョイ。まずは腹拵え……なんて計画性はなく、グルリと回りながら目についたもの全てを遊んだ。
特に、バイトしてまで金を溜め込んだ円香と透は、ここぞとばかりに使いまくった。
まず手に入ったのはわたあめ。口の周りがギトギトになるから好きではなかったが、今日はそんなのお構いなし。吸い込むように口の中に啜った。
引き続き、射的。理科系を極めつつある菅谷の物理演算が火を噴いた。まさかのス○イダーマンのゲームソフトを落とした。これをやる筐体がないが。
さらに、りんご飴のくじ。透が適当に引いたら、一回300円で6個引いた。最初はテンション上がったが、2個目は割とキツかった。
さて、その次は型抜き。菅谷も透も良いとこまで行ったが、型抜き屋のおっちゃんが「あーこれ髭少しだけ欠けちゃってるよ」と難癖。そういうのが嫌いな円香が怒りの集中力で文句無しの3000円をぶち抜いた。
さらに、たこ焼き食べて焼きそば食べてかき氷食べてタピオカ飲んで……と、とにかくいろんなものを食べ漁った。
「ふぃ〜……食ったぁ……てか、食べてばっかぁ」
「お祭りなんてそんなもんでしょ。……ちょっと食べ過ぎかも」
「樋口、口の周りソースついてる」
「え、うそ」
そんな話をしながら、ひとまず会場の公園から抜けた。口元を拭った円香が、一通り回り尽くしたので、意見を聞く。
「この後、どうする?」
「花火あるらしいよ」
「え、マジ? 行く?」
「いや、もう場所空いてないでしょ」
そう言いつつ、円香は場所取りを忘れていたことを思い出す。少し迂闊だった。
「うちの屋上は?」
「「……ああ」」
そういえば、菅谷のマンションから隣の駅だし、アリかもしれない。学校と違って閉鎖されているわけでもないので、ある意味VIP専用の絶景かもしれない。
「行ってみよっか」
「うん」
そんなわけで、ゴミだけゴミ箱に捨てて菅谷のマンションへ。まだ花火が始まる前だからか、電車の中も空いていた。
電車に揺られながら、本当に今更ながら思ったことを円香が聞いた。
「そういえば、リカ。あんたどうして甚平なんて着てきたの?」
「ん、あー……ぶっちゃけ、入学前から持ってた」
「え、なんで?」
続けて聞いたのは透。菅谷は少し恥ずかしそうにしながらも、すんなりした口調で答える。
「お祭り、三人で行きたいと思ってたんだけど……その時、少しでも楽しみたいなーって思ってたから。俺、家族と室寺さん以外とお祭りとか初めてなんだ」
「……ふーん」
「にしても、入学前は気が早すぎでしょ」
それで行かないことになっていたらどうするつもりだったのか……いや、来年行くだけなのだろうが。
しかし、それで自分達に浴衣を持っているか聞いたのか、と変に腑に落ちてしまった。
さて、駅に到着し、途中でコンビニに寄って飲み物だけ購入し、マンションに向かった。
屋上まではエレベーターで行けない。一度、最上階で降りて、階段で上がる。すると、透と円香の間にいた菅谷が、自分の両肘を軽くあけた。
「んっ」
「? 何?」
「いや、掴まって。階段だと、浴衣って歩きにくいんでしょ?」
「……生意気」
「母ちゃんに聞いた」
「それ、言わなくて良い。ホントのことでも」
何でも正直でいた方が良いわけではないのだ。……まぁ、気遣いを覚えていただけでも、褒めてあげないこともないが。
ありがたくその肘に手を通し、ゆっくりと階段を上がる。
「……ふふ、リカ。両手に花じゃん」
「……」
「あ、照れた」
「……うるさい」
「そういうとこ、可愛い」
「っ、ま、マドちゃんまで……!」
少し、からかってやろうか。そんな風に思い、円香はちょっとだけ菅谷の方に身を寄せる。胸が当たらない程度……それでも照れちゃうのだから、やっぱりウブだ。
「マドちゃん……」
「良いから、ちゃんと私達の杖になって」
「……はい」
絶対に逃がさない良い機会だ。そのまま屋上に到着した頃には、既に花火は上がっていた。
ドオォォォンッッ……という胸に響く爆音の太鼓のような音と共に広がる火薬の花が、3人を照らした。
「わっ、遅刻」
「時間的に始まったばかりでしょ」
「あの……もう屋上だし、離れても良いのでは……」
「だめー」
「えー……」
「うん。しばらく、このまま」
透も円香も、さらに身を寄せた。もはや観念するしかない菅谷は、ドギマギしながら花火から目を逸らす。
左右にいる二人を、交互にチラ見した。……やっぱり、綺麗だ。少し遠くで打ち上がる花火より、ずっと輝いて見える。それが、あのナンパ男達を引き寄せたのだろう。
「……」
「? どしたの?」
透が、ふと二人から目を逸らした菅谷に気付いてしまった。どう言おうか悩んだが……とりあえず、言ってみることにした。
「二人とも……今日は、家まで送るよ」
「え?」
「あんた家ここでしょ。別にそこまでしなくて良い」
「いや……させてよ」
そう言われ、円香と透は頭上に「?」を浮かべる。いつもは駅までしか送らないのに、どうしたのだろうか?
「……また、さっきみたいな人達が来ても困るし」
「……」
「……」
それを聞いて、二人の脳裏に浮かんだのは、あのナンパ男達。なんか去っていく時は何かに納得していたが、アレ以外にもナンパしてくるような輩はいるかもしれない。
……しかも、その時には菅谷はいない……なんて事を思ったわけでなく、もっと根本的なことを思っていた。
もしかして、だが……。
「……あれがナンパだって気づいてたの?」
「……」
透が聞くと、菅谷は頬を赤くしたまま俯いた。おそらく、花火の所為ではなく、羞恥によって染まった紅だろう。
それを見て、円香も透も、少し嬉しくなる。この男も、少なからず自分達を意識している。それは、ボディタッチ以外でも言える事のようだ。
「……じゃ、お願いしようかな」
「勿論……このままでね」
「それは……ちょっと、心臓もたないです……」
そんな話をしながら、しばらく夜の空を照らす火薬に目を移した。