浅倉が増えて、樋口のストレスは加速した。   作:バナハロ

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猫は心を許している人の前でのみリラックスする。

 もう直ぐみんなで菅谷の別荘へ行く日。それに伴い、各々は色々と準備しなくてはならない。

 男性且つ自分の家の別荘、ということであまり荷物が多くない菅谷はともかく、円香と透は色々と持っていくものは少なくない。

 と、言うのも、海で遊ぶのは決して楽しいだけではない。紫外線、海水の影響、陸では基本砂浜、などなどと美容への大敵が多い。

 日焼け止め、ラッシュガード、ビーチガウン、各種タオル、サンダル……などなどと購入する必要がある。……まぁ、もうほとんど家にあるが。

 それに追加し、泊まりに必要なシャンプー、リンス、或いはトリートメント、ボディソープ、洗顔などを用意したい。

 ……のだが、円香は透と一緒に今日も菅谷の部屋へ来ていた。まず部屋番号を押し、扉を開けさせる。

 

「リカ、来た。開けて」

『ふわぁぁ……あ〜い……』

 

 もう「何で来たの?」と聞くこともなく、菅谷は自動ドアを開ける。慣れた様子で透と円香はエレベーターを上がり、インターホンを押す。ガチャっと鍵が開く音がしたので、部屋の中に入った。

 

「おはよ〜……」

「ん」

「おはよー。寝起き?」

「うん……」

 

 如何にも寝起きという顔をしている菅谷に、透が聞く。今日のパジャマは、男が着るとは思えない花柄……かと思いきや、ちょいちょいミツバチが見えるので、花粉を運ぶミツバチ柄、と言うべきか。

 こういうパジャマを普通に着て寝ている辺りが可愛いわけだが、とりあえずもう10時回っているので、いつまでも寝かしておくわけにもいかない。

 持参したまま置いておいたスリッパに履き替えながら聞いた。

 

「もう少し寝たい?」

「……寝ふぁい……」

「ダメ。浅倉、部屋に叩き込んで着替えさせて」

「え……い、良いけど……」

「ん」

 

 それだけ指示すると、円香はまずリビングに向かった。ベランダの窓を大きく開け放ち、洗面所で洗濯物を全部、洗濯機の中に叩き込み、お祭りの前に掃除した日に置いていったエプロンを装備し、朝食を作り始める。

 

「……」

 

 手際良く味噌汁、炒め物、白米を用意し、とりあえずこんなもので良いかと思い、味噌汁の火を消して、炒め物は弱火にする。せっかくなので温かいうちに食べてもらいたいが、菅谷がリビングに来ない。

 

「?」

 

 何やってんの、と思いつつ、部屋の方へ歩くと、何やら声が聞こえて来る。

 

「じ……じゃあ、リカ……脱がすよ……」

「や、でも……俺、別にもう目、覚めたし……」

「いや、でも樋口に言われたから……それに、まだ少し寝ぼけてそう、だし……」

「……っ、わ、分かったよ……でも、濡れてるし……汚いよ?」

「リカのなら、汚くない……」

 

 直後、反射運動で扉を開いた。勢い良く蹴破る勢いで飛び込むと、少し恥ずかしそうに頬を赤らめている透が、同じく羞恥心から頬を赤く染め、ベッドの上で座っている菅谷の汗によって湿っているパジャマのボタンを両手で外している。どう見たって、脱がそうとしているようにしか見えない。

 

「……何、してるの」

「え、着替えさせようと思って……」

「は?」

「樋口が着替えさせろって言うから……」

「……」

 

 言った。確かに言ったが……。

 

「そうじゃなくて……部屋の中に突っ込んでおいてくれれば、後は勝手に着替えるでしょ」

「ああ……そういう事ね。ごめん、リカ。やっぱ自分で着替えて」

「う、うん……」

 

 それだけ言うと、透は手を離して部屋から出る。

 続いて、円香はとりあえず用事だけ伝えた。

 

「もうご飯出来るから。早く着替えて」

「あ、はい」

 

 そんな話をしながら、一先ず部屋から出て行った。台所にて火を再び強くしてしばらく焼いてから火を切った。

 お皿の上に盛り付け、完成である。

 

「……ふぅ」

 

 一息つきながら、机の上に料理を並べて行った。

 

「おお〜……美味しそう」

「あんたのじゃないから」

「え、朝ご飯抜いてきたのに?」

「知らない」

 

 言いながら、次はお味噌汁を注ぐ。

 

「……実はさ、リカの胸触っちゃったんだけど……胸筋、控えめなだけで割と硬くて」

「そんなの教えられたってあげないものはあげないから」

「けち」

 

 というか、なんの勝算があってその情報を前払いとしようとしたのか分からない。

 思春期だし、異性の体に興味がないわけではない。……が、でも別にそんな変態的な情報が欲しいわけではないし、増してや筋肉フェチというわけでもないのだ。

 それに、この辺は菅谷の家にある食材で作ったものだし、自分に交渉されても困ると言うものだ。

 何より、人の家で食べる朝食をあてにしないでもらいたい。

 ……。

 ……。

 …………。

 ……大胸筋、硬いんだ。どんな感じなのだろう。

 

「あっつ!」

「樋口?」

 

 ほんの一瞬だけ顔を出した煩悩が、油断を誘った。味噌汁のお椀を落としてしまい、床に飛び散ってしまう。

 

「大丈夫?」

「っ、へ、平気……」

「冷やしておいでよ。私、拭いとくから」

「ありがと」

 

 掛かったのは脚だ。靴下の上からもらってしまったので、冷やすには風呂場に行くのが手っ取り早い。

 透が雑巾で拭いている間に、円香は立ち上がって洗面所に向かう。

 

「……浅倉」

「何?」

「……ご飯、私のじゃないから。食べたかったら、リカに聞いて」

「うん」

 

 結局、許可に近いことを言い放って移動した。風呂場にある腰をかけるプラスチックの椅子に座り、シャワーから放水して足に注ぐ。

 その円香の背後から、扉が開く音。菅谷が伸びをしながら入ってきた。

 

「あれ、マドちゃん。どうしたの?」

「ん……ちょっと」

「もしかして、味噌汁落として火傷でもした?」

「何でわかるの……」

「ワカメがついてる靴下、落ちてるから」

 

 なるほど、と円香は理解する。

 

「大丈夫?」

「平気」

「ん〜……ちょっと待ってて」

「?」

 

 何を思ったか、菅谷は洗面所から出ていく。言われるがまま待機していると、すぐに戻って来た。熱冷○シートを持って。

 

「これ、使えるんじゃね?」

「……別にいいって」

「いやいや、大事になってからじゃ遅いから」

「じゃあ……お願い」

 

 たまには甘える側になるのも悪くないかも、と思いつつ、シャワーを止めて足を差し出した。

 それを、菅谷の足の上に乗せる。袋の中から菅谷が湿布を出そうとした直後、円香の目に、ふと気になる文字が入った。

 

「ちょっと待って」

「? 何?」

「それ、火傷には使うなって書いてない?」

「え?」

 

 言われて菅谷も確認してみると、確かに書いてあった。

 

「うわ、あっぶね。ごめん」

「……医療品は使う前に確認して」

 

 薬の誤飲とか、やらかしたら終わりである。病気を治すためのものが毒になることだってあるのだから。

 

「それより、朝ご飯冷めるから早く食べて」

「あ、うん。いつもありがとね」

「……」

 

 お礼を言いながら洗面所を後にする菅谷。お礼の言葉を聞く度に、円香は「次は何作ろうかな」なんて考えてしまう。菅谷にそうさせる魔力があるのか、それとも自分がちょろいだけなのかは分からなかったが、何にしても嬉しいことに変わりはなかった。

 まぁ、この後、おかずで焼いたベーコンの最後の一枚を取り合うバカ二人を見て、すぐにその気持ちも失せたが。

 

 ×××

 

 朝飯を食べ終えてから、歯磨きと洗濯物干しを菅谷がやっている間、円香は透と一緒に食後のコーヒーを啜る。

 

「……美味っ」

「じゃないでしょ。あんた、朝から来るなら少しくらい何か手伝ってくれない?」

「いや、だからリカの着替え、手伝おうとしたじゃん」

「まずその指示をそう捉えたのなら、疑問を抱きなさいよ」

 

 それはそうか、と透は頷く。……ふと、チラリと二人で菅谷の方を見る。洗濯物を干すので忙しそうだ。

 すると、ふと透が向かいの席に座っている円香に手招きしてくる。

 

「? 何?」

 

 怪訝そうな顔で顔を近づけてる。おそらく内緒話がしたいのだろう。透も同じように顔を近づけてきて、ヒソヒソした声で話す。

 

「さっき……リカの部屋にさ……」

「うん?」

「……『好きなあの子へのアプローチ』って本があって」

「……は?」

 

 言わんとしたいことが、円香にも伝わった。それはつまり……菅谷に、好きな子がいる事を指している。

 

「……マジ?」

「でさ……ぶっちゃけ、私と樋口以外、あり得ないじゃん?」

 

 それはその通りだ。だから、胸の奥の痛みが少なかった。……いや、何となく円香にはわかっていたが。おそらく、口うるさい自分なんかより、透の方が好きなのだろう。

 

「この後、色々日焼け止めとか買いに、一緒に出掛けるわけだけど……その時にリカの様子見て、どっちの方が好きか、見極めてみない?」

「……」

 

 面白そうではある。だが、それと同時に怖かった。何故かわからないが、もし透のことが好きだったら、より、自分のことが好きだった時の方が恐ろしい。

 何せ、見ていれば分かる。透も、菅谷のことがおそらく好きだ。周囲から分かりにくいと思われていそうな透だが、一度理解してしまえば、むしろ分かりやすく見える。

 一方で、別に自分は菅谷のことなんて好きじゃない。友達としては好きな部類と言わざるを得ないが、恋人にしたいとは思わない。透と自分以外の女の子と仲良くしてるとムカつくし、歯が浮くようなセリフを言われると弾けるほど嬉しいし、なんか放っておかなくていつも世話を焼いてしまうが、別に好きなんかじゃない。ホントに。

 だから、三角関係になるのが怖かった。そしたら、今の関係も変わってしまうかもしれない。

 

「……その本、私達も目を通さないと無理でしょ」

「ここにあるよ」

「……盗ったの?」

「借りたの」

 

 ものは言いようである。裏を返せば、透は知りたいのだろう。菅谷の心を射止めた人物を。だが、自分だとは思っていない。じゃあその後、どうするのか? 多分、何も考えていない。自分が菅谷のことが好きな自覚がないから。

 念の為、円香はジロリと透を睨む。

 

「……良いの?」

「何が?」

「……」

 

 まったく、自分の気持ちにも気づけないなんて、本当に面倒な幼馴染だ。

 しかし、まぁその不安もいらない心配なのだが。何せどの道、両思いではあるのだから。

 

「……分かった」

 

 なら、自分はキューピットになっても良い。親友二人がくっ付くのなら、それ以上に幸せなことはないのだから。関係は崩れるかもしれないが、それならそれで小糸と雛菜の面倒を見れば良いし、全然平気。

 そう、自分の中で思ってもいない言い訳と誤魔化しを繰り返しながら、コーヒーを啜った。

 

 ×××

 

 さて、三人で歯磨きを終えて、出発。菅谷の部屋から盗ん……借り受けた本は透の手元にある。

 

「で、俺は荷物持ちで良いの?」

「うん。精々こき使うから、筋肉痛覚悟しといて」

「え、何買うの? ダンベル?」

「あ、私欲しいかも。10キロくらいの」

「じゃあ俺20キロ買う」

「じゃあ私30」

「何キロ買っても良いけど、リカが全部持つのは変わらないから」

 

 なんて話しながら歩きつつ、透は頭の中で考え事を続ける。

 多分、菅谷と円香は両想いだ。まぁあれだけ世話を焼く、焼かれるの関係があって、両想いじゃない事はないだろう。

 それを止めるつもりはない透から見れば、二人の行動は焦ったいものだ。さっさとくっ付けこの野郎、と思わずにはいられない程、分かりやすい。

 しかし、その反面で……もし自分の事も好きだったらなぁ、なんて思う自分もいた。自分が菅谷の事を好きかどうかは分からないが、少なくとも嫌いではない。というか、好きではある。友達として。ホントに。

 もし、菅谷と円香がくっつく事になっても、自分と距離が開くのは嫌だが、その心配はしていない。あの二人なら、自分との遊びにも付き合ってくれるはずだから。

 そして、好きな人が自分だったとしても、円香も一緒に三人で遊びたい。誘える自信がある。

 だから……まぁ、興味本位だ。今回、彼の好きな人を探ろうと思ったのは。

 

「てか、日焼け止めってどこに売ってんの?」

「ん……普通にドラッグストア」

「へー」

 

 そんな話を聞きながら、円香がチラリとこちらを見る。それに伴い、透も頷いた。

 菅谷からパクッ……借りた本によれば、男が女の子から好かれるには、僅かな変化を見逃さない事らしい。まぁ、あながち間違いではない。

 そのため、円香が隙を作っている間に、透は自身に変化をもたらした。

 

「ね、リカ」

「何ー?」

「どう?」

 

 横から菅谷の袖を引き、顔を見せた。……道端にいた、カナブンを頭に乗せて。

 この変化を褒めないような菅谷ではない。絶対、何か言う……だから、円香にはお願いしたい。そんなに女の子がしちゃいけない眼力でこちらを睨むのはやめて、と。

 さて、どうなるか……菅谷の反応は? 

 

「わっ、可愛い」

「でしょ?」

「うん。でも生き物で遊ぶのはやめてあげて。俺達にとっては脇腹を突くのと同じ感覚でも、向こうにとっては目の前に怪獣が現れたのと同じだから」

「ごめんごめん」

 

 言いながら、透は円香にアイコンタクトを行う。

 どちらのことが好きなのか、それを知るには円香も同じように小さな変化をつける必要がある。

 ……でも、カナブンを頭に乗せるのは無理。というかあれ可愛いの? 菅谷の感性大丈夫? と眉間に皺を寄せる。

 

「……ね、ねぇ、リカ」

「ん?」

「これは?」

 

 とりあえず、パッと思い付いた事をしてみた。ヘアピンをつける方向を真逆に変えてみる。

 

「わっ、鏡ごっこ?」

「うん、それで良い」

「ふーん……うーん……いつものマドちゃんのが可愛い」

「……」

 

 なんだろう、この感じ。褒められてはいないのに嬉しいこの感じ。褒められたけど注意された透よりもプラス査定な気がする。

 少し照れているその隙を、基本的に人の良い所しか見ない男は逃さない。円香に手を伸ばし、ヘアピンを取ると反対向きに付け替えた。つまり、いつものである。

 

「……うん。こっちの方が合う」

「っ……ば、バカ……」

「え、な、何が? ……って、いふぁふぁふぁふぁ!」

 

 突如、後ろから頬をつねられる菅谷。後方に控えている透が、納得いかなさそうな笑みでつねり回した挙句に離された。

 

「とおるん……な、何いきなり……?」

「別に」

「……ふふんっ」

 

 ある意味では競い合いでもある為、円香は少し得意げな表情を浮かべていた。

 

 ×××

 

 一回は1対0。なんか野球の試合のようになってきたが、二人ともツッコミを入れることなく、買い物は進む。

 次にやるのは「女の子と遊ぶ時は花を持たせるべき」。例で挙げられているのは、ボウリング。完封で負かしたりすれば盛り下がってしまう……だそうだ。

 間違いではないが、そもそも遊びに行ったゲームの勝敗に、そこまで熱くならない、と言うのが二人だ。自分のスコアが良ければ良いし、一緒に遊んでる友達がナイスプレー、或いは高スコアを取れば一緒に喜ぶ。そうやって盛り上がるものだ。

 むしろ、接待なんてされたらその方が腹が立つし、楽しくない。

 とはいえ、今は内容よりも、これを読み込んだ菅谷がどちらにこの対応をするか、だ。

 

「ね、これやらない?」

 

 円香が指さしたのは、バスケットのゴールだった。制限時間内にシュートを何本決められるか、という奴。

 

「二人用だけど……というか、マドちゃんそう言うの好きなの?」

「ん……まぁ、たまには体動かしたい時くらいあるから」

「じゃ、私見てるね」

 

 菅谷が乗り、その筐体の前に立つ。お金を入れて、菅谷と円香……二人並んでゲーム開始。

 お金を入れたことにより柵が消え、転がり落ちてくるボールを手に取り、一斉に投げ始めた。

 

「いよっ、とっ、ほっ!」

「ほいっ、とっ、そらっ」

 

 二人して中々のペースでボールを放り続ける。二人ともほぼ同じ速度で投げ続けるが、円香のボールは時々入らない。そもそも、菅谷の反応を見るのだから、少し自分が負ける程度でないと意味がない。

 少しずつ点差が開いていく中で、菅谷がどう動くか、二人して見ているときだった。

 隣の菅谷から、ニヤリとほくそ笑んだような声が漏れる。

 

「マドちゃん、意外とヘタクソなんだ」

「……は?」

 

 直後、プライドが目的を追い抜いた。

 本気になった円香の目つきが変わる。両手がまるで無くなったかのように加速し、目の前に溜まっていたボールが姿を消す。

 あれ? なんか2本ずつ加算されてない? と思ってしまうほどの速度。

 

「うわ、樋口ガチになった」

「面白くなって来た……! アルパカモード」

 

 菅谷の目つきも変わる。アルパカモードとは、ものすごい速さで唾を吐き捨てるアルパカの習性をモチーフにして、投擲の精度を上げる今作ったモードである。

 お互いに手が消えると言うか、むしろ千手観音の如く増えているように見えるが、透は動画を撮りながらのうのうと眺める。

 そして、時間はとうとう……終焉を迎えた。

 

『ゲームセット!』

 

 その声で、二人してスコアを眺めた結果……勝ったのは円香だった。

 

「はい……勝ちッ……!」

「負けたかぁ……やっぱ、カメレオンの方が良かったかなぁ」

 

 肩で息をしながら親指を立てる円香。煽られたお礼にドチャクソに煽り返してやろうと菅谷の方を睨みつけると……菅谷はむしろめっちゃ楽しそうな笑みでこっちを見ていた。

 

「あはは、やっぱ本気でやり合った方が楽しいよね」

「っ……」

 

 やられた、と円香は少し頬が赤くなる。手加減していたのがバレたようだ。勝負に勝って器で負けた……なんて少し思い、項垂れる。

 何より、意外と手加減がバレてたことに少し驚いてしまった。人を見ていないようで、やはりよく見ている子だ。

 その円香の横で、透が菅谷の袖を引いた。

 

「ね、次。私とやろ」

「や、腕死んでるから少し休ませて……」

「バスケじゃなくて良いから。ホッケーとか?」

「腕使うじゃん……」

「行こう」

「聞いちゃいねえよ……」

「待って……私も普通に疲れたから……」

 

 円香も同じくらい疲弊していたため、少し休んでから改めてエアホッケーの場所へ。

 ホッケー台の前で、円香に二の腕のマッサージをしてもらった菅谷は、肩を軽く回しながら透と向かい合った。

 

「よし、やるか」

「んっ」

 

 コキコキと首を鳴らしながら、向かい合ってマレットを手にする。

 

「準備は?」

「いつでも?」

「おーけー」

 

 100円玉を投入し、早速ゲームスタートした。パックが射出されたのは透の方。

 ありがたく受け取りながら軽く腕を引くと、思いっきり一発かました。

 キュンっというビームの音が聞こえそうなほどの一撃は、菅谷に手をピクリとも動かさせず点数となる。

 

「先手必勝だから」

「……やるね?」

 

 さっきの円香を見た以上、同じミスは犯さない。なんだかんだ、菅谷が望んでいるのは本気の削り合い。拮抗した実力があれば、最後の最後で勝ちを譲るかは後になれば分かる。

 ふと円香を見ると「うわずるっ」と言いたげな顔をしていた。無視である。

 続いて、菅谷の方から。パックをマレットで押さえて手を控えめに引いた菅谷を見た直後、透に見えたその菅谷の瞳には、数式が映っているように見えた。

 

「……」

「ここだ」

 

 放たれた一閃。あまりに緩やかな一撃が、バウンドしながら透に迫る。そして、それを打ち返そうとした直後、その透が振るったマレットを避けるように、パックは曲がり、ゴールに収まった。

 

「は……?」

「うしっ、いける」

「ねぇ、あんた何なの? コナンの劇場版シュート?」

「むしろホークアイ」

 

 化け物である。理系が得意にも程がある。数学は出来ないが。

 速度の透と、トリッキーな菅谷のラリーが続く。点差は菅谷が優勢。なんかもう円香の目には、2人とも本気になりすぎな感じがしないでも無いように映っている。透とか本来の目的を忘れていそうだ。

 点差は菅谷が少しリード。透も負けじと追い縋ろうとマレットを握る手を動かす。

 

「あ、やべっ」

 

 計算でもミスったのか、速度はあるがカーブの利きが甘い一撃が来た。それは、一番打ち返しやすい一発だ。好機、と睨んだ透は一気に腕を振るった。

 その直後、ズルっと汗で手元がブレる。滑った、と理解したのはすぐその後だった。

 爪が、パックとの間に挟まれた。

 

「痛っ……!」

 

 打ち返した球は指が挟まったことによりイレギュラーが発生し、変な方向へバウンド。菅谷でも読み切れなかったそれは、ゴールの中に収まる。これであと1点差である。

 

「うおっ、と……?」

「っしゃ、怪我の功名」

 

 控えめにガッツポーズした直後、ズキッと指先が痛む。爪に、亀裂が入っていた。

 深く割れたわけでは無いが、せっかく綺麗に育てていたのに、少しショックを受けつつ、とりあえずマレットを握り直す。せっかく温まってきた所だ。追いつくチャンスはまだある……と、思ったのだが。

 菅谷が、机の奥から聞いてきた。

 

「今、指挟んだでしょ」

「……え?」

「見せて」

 

 遠目から指を差し出す。

 

「割れてるじゃん。大丈夫?」

「ん……や、まぁ後で爪切るし」

「いや、今切りなよ」

「爪切り無いから……」

「俺ある」

「え……なんで?」

「え、基本持ち歩かない? 爪切りとか絆創膏とかテーピングとかムヒとか」

 

 言いながら、菅谷は鞄の中を弄りながら、その救急セットを取り出した。そのまま透の手を取った菅谷は、慣れた手つきで爪切りをセットする。

 あ、やってくれるんだ、と思いつつ、透は自分の手を握る菅谷に聞いた。

 

「なんか、慣れてる?」

「昔はヤンチャしてたから」

「今もでしょ」

 

 しれっと円香からツッコミが入るが、菅谷は首を横に振るう。

 

「今はカブトムシの観察のために木の上に一時間留まったり、サファリパークの窓から飛び出してライオンの観察とかしないよ」

「よく生きて帰ってきたね……」

 

 彼の父親が過保護な親バカになるのも頷ける。

 引き気味に言った透の爪の、割れた部分が綺麗に切られる。

 すると、菅谷は手を止めて、円香の方を見た。

 

「俺、爪割った事ないから分からないんだけど、この後どうしたら良いの?」

「私もない。ググろうか?」

「お願い」

 

 円香が調べてくれたので、それに従って処置を行う。取り返しがつかないレベルではなかったため、手持ちのアイテムで何とか処置を終わらせることが出来た。

 

「よし、終わりっ」

「……ありがと」

 

 シレっとお礼を言いつつも、透の耳は少し赤い。こうやって怪我の処置を菅谷にしてもらうのは初めてのことで、ちょっと嬉しかったり。

 その直後だった。ビーッとブザーの音が鳴り響く。試合が終わってしまったようだ。

 勝ったのは菅谷。まぁ仕方ないと言えば仕方ない。

 

「あーあ……負けた」

「いや、今のはノーゲームでしょ。また来てやろうよ」

「……ん」

「……」

 

 そんなやり取りを眺めながら、円香は少しむすっとした。勝ちを譲られた(正確に言えばブン取った)のは自分なのに、なんか結果的には勝ちを譲られなかった透の方が上に見える。なんか……納得いかない。

 

「ふんっ」

「うおぅっ? ま、マドちゃん?」

「……終わったなら、そろそろ買い物行くよ」

 

 二人の手首を掴んで、買い物に引き戻した。

 

 ×××

 

 それから二人の試行錯誤は続いた。……が、結局の所、どちらか片方に贔屓してこの本を実践しているような点を見られるような事は無かった。

 結局、もう帰宅の時間。今日は荷物がたくさんあるので、このまま自宅に帰る事になった。

 

「ん〜……疲れた」

「……」

「……」

 

 結局、菅谷の好きな人がどちらなのか分からずじまい。……いや、なんなら自分達ではなく、お隣さんの可能性さえ出てきた気がする。何せ、少なくとも自分達に対する態度が、いつもと変わることはなかったのだから。

 何にしても、ここまでしたのになんの成果もないのはごめんだ。二人とも顔を見合わせると、いっそのこと聞いてみることにした。

 言い出しっぺであった透が、咳払いをすると珍しく緊張気味に聞いた。

 

「ね、リカ」

「んー?」

「リカはさ、私と樋口、どっちが好き?」

「え? 両方だけど……なんで?」

「……」

 

 まぁその返事は来ると思った。相変わらず何も分かっていない男だ。

 透の隣にいた円香が、透の鞄から本を取り出して聞いた。

 

「これ」

「あれ、なんでマドちゃんが持ってるの?」

「そんな事どうでも良い。……この本持ってるって事は、好きな人がいるってことなんじゃないの?」

 

 切り札を一気に放って問い詰める。そうでなかったら、そもそもこんな本は買わないだろう。

 そう思って追い詰めるような気迫を放って聞くと、菅谷は相変わらず能天気な顔で答えた。

 

「ああ、それ違うよ。文化祭の執事喫茶に備えて、自分でちょっと勉強しようかなって思っただけ」

「「…………はい?」」

 

 え、今なんて? と言わんばかりに二人とも片眉をあげる。

 

「執事喫茶って言うからには、ほとんどメイド喫茶のホスト版みたいなもんでしょ。どうせなら売上伸ばしたいし、こう……何? リピーターを増やせれば良いなーと思って」

「……」

「……」

 

 この野郎、と八つ当たりに近い……というか八つ当たりの感情がフツフツと二人の奥底から煮えたぎる。

 

「……じゃあ、なんでこれに書かれてる事、私達に実践しないの?」

 

 聞いたのは透。それでは、まるで自分達にはモテたくないみたいだ。

 しかし、それに対しても菅谷は真顔のまま答えた。

 

「え? だって、二人には自然体でいたいし……え、もしかして、二人ともこういう扱いされたかった?」

「……」

「……」

 

 今度は少し胸の奥が穏やかになる。確かにその通りではある。……つまり、菅谷には別に好きな人がいるわけではない? と、二人してホッとするような結論が導き出される。

 ちょうど、二人の家の近くまで来ていた。ここまで持ってきてもらった荷物を、円香と透は預かった。

 

「……それなら良いけど」

「? 結局、なんだったの?」

「なんでもない」

「じゃ、また」

「次は、海だよね」

「あ、うん」

 

 そんな適当な挨拶を交わしながら、透と円香は逃げるように走って帰宅した。

 次は、いよいよ海だ。それも、三人しかいないビーチで、三人しかいない別荘を泊まりで満喫する。

 一時のテンションに身を預け、若気の至りと思われる様な行動をしないように心がけるばかりだ。

 

 

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