LHR……つまり、ロングホームルーム。この時間では、今日は文化祭の準備である。
そのために決める事は、まずは役割分担であった。学校が始まった直後の席替えで、運良く同じ辺りに集中した円香、透、菅谷は文化祭実行委員会が進める会議の様子をぼんやりと眺めていた。
「えー、では……めんどくせーから、役割は全てこちらで指名しまーす……が、その前に部活の出し物とかもあるだろうから、三日間ある文化祭のうちダメな日は今、言ってくれや」
なんか途中から普通にタメ口になりながら、男子の実行委員がそう言い、女子の実行委員は黒板に「1、2、3」と数字を書く。
その様子を眺めながら、菅谷は円香と透に声を掛ける。
「……ダメな日とかある?」
「ない」
「同じく」
「じゃあさ、三日目は三人で空けておこうよ」
「良いね」
「最後だし」
部活とかの出し物、と言っているのに菅谷は平然とそれを提案し、二人は何食わぬ顔でOKする。
「はーい」
「何だ末っ子。言っとくけど、お前らは三日間出てもらうからな」
「え、なんで?」
「当たり前だろ。うちの看板だぞ、そこの三馬鹿姉弟」
それを聞いて、ピクッと円香も反応する。
「え……待って。女子なんだけど、私と浅倉」
「男よりイケメンだろ、浅倉は。けどその二人コンビを店に出してみろ。何が起こってもおかしくねーし、コントローラーが必要だろうが」
「はぁ?」
「それに、樋口の執事服も絶対似合うね。……なぁ?」
「うん。男のあんたより絶対似合う」
「う、うん……」
書記役をやってくれている子にズバッと言われ、少し狼狽えていた。
「えー、でも俺らだって文化祭見て回りたいんだけど」
「じゃあお前ら……そうだな。三日目の夕方、二日目の夕方、どっちが良い?」
「え、だからどっちか片方なの?」
「美男美女が出る執事喫茶なんだから仕方ねーだろ。大いなる力持つ者として責任を果たせ」
「顔って大いなる力なの?」
「力だろうが。宝具になる奴だっていんだぞコラ」
「知らないけど……」
とりあえず「どうする?」みたいな表情で菅谷は透と円香に顔を向ける。
「どうするも何も、断れなさそうでしょ」
「私は別に良いよ。三人一緒なら」
「とおるん……。……や、でも市川と福丸と回る日とかないの?」
「あ、そっか」
「じゃ、それは二日目のお昼にするから」
そう話して決めると、菅谷が再び言った。
「じゃあ、三人一緒の休みは三日目の夕方で、マドちゃんととおるんは二日目のお昼もお休みで」
「どう思う?」
「良いんじゃない? 要するに菅谷くんは姉二人が遊ぶ時間を身体で稼ぐって事でしょ?」
「だな」
「だって。なんか旦那みたいじゃない?」
直後、透と円香から顔面へ消しゴムと定規が飛んで来て炸裂した。
そのまま他の生徒の予定も黒板に埋められていく。そして次は各々の役割分担であったが、いつの間にか三人は普通に執事役で落ち着いていたので特に何もなし。
さて、授業で使われる時間は終わった。帰りのホームルームを挟んでから、次は青春の代名詞、放課後の作業時間である。
「そういえば、シャ○チー公開されたけど、とおるん見た?」
「あ、まだ」
「マドちゃんは?」
「まだ」
「じゃあ見に行こうよ」
「良いね」
との事で何食わぬ顔で荷物を担いで帰ろうとする三人……だが、その間に実行委員の男が入った。
「いやいやいやいや! 何普通に帰ろうとしてんだ⁉︎ お前らはうちの目玉商品って言ってんだろ!」
「目玉親父?」
「おい、リカ郎(裏声)」
「リモコン下駄!」
「痛っ。……ちょっと」
「わっ、ごめん。大丈夫?」
「謝るなら浅倉の後ろから出て来て」
「映画でチュロス奢るから許して」
「……んっ」
「じゃあ私もー」
「えっ、とおるんはカンケーないじゃん……ま、良いや。行こう」
「いやいやいやだから! 何で普通に行こうとしてんの⁉︎ どういう流れで目玉親父出て来たか分からんがか⁉︎」
「わお、土佐弁」
「わし、映画の前にタピオカ買うて行きたいわ」
「良いかも」
「その流れもういいから!」
強引にバカ達の会話を打ち切る。
「お前らにも仕事あるに決まってんだろ⁉︎ 普通に執事服の採寸とかもしないとだし」
「「「えー……」」」
「三人揃って嫌そうな顔と声を出すな! 樋口、お前までなんだ⁉︎」
そうは言われても、基本的に樋口はノリとしてはむしろ二人の方が琴線にあっている。二人ほど身投げしていないだけで。
「とにかく、まだ帰らせねーぞ。あっちで衣装係の女子が待ってっから、はよいけ」
そこまで言われては仕方ない、と最初に思ったのは円香だ。ため息をつくと、菅谷と透の間に入って両腕に自分の腕をかける。
「仕方ない……行くよ、二人とも」
「えー、映画ー」
「シャ○チー」
「リカ、あんたの大好きな学校ならではイベントだけど?」
「……あっ、そっか」
「浅倉、リカは行くって」
「じゃあ、私も行く」
しれっと扱うと、そのままその女子の群れへ。近づいてくるのに気が付いた女子が控えめに手を振った。
「あ、おーい、そこの美男美女」
「こっち来て」
言われて、三人ともそこへ向かう。男子の相手をする係と女子の相手をする係に分かれているようだ。
菅谷と適当な挨拶だけした円香と透は、女子達に話す。
「スリーサイズは?」
「私は80/57/76」
「私は76/56/73」
「りょー」
なんてやってる間に、チラリと円香は菅谷の方を見る。
「じゃ、制服のサイズ見せて」
「良いけど、大きめの買えって父ちゃんに言われたから、サイズ大きいよ」
「あーそっか。じゃ、測らないと。足の長さ見るから動かないで……」
「ウエストと股下なら私が知ってるから、後で教える」
「え?」
「え?」
思わず口を挟んでしまった。実際、何度もズボンやら服やらを畳む機会があったし、把握しておいて正解だった。
「そ、そう? じゃあ、上着を……」
「トップスも知ってる」
「……どういう関係?」
「……別に何だって良いでしょ。リカ、そう言うわけだから少し待ってて」
「あ、うん? ……俺だって自分のサイズくらい把握してるんだけどな」
なんて言いながら、やることがなくなった菅谷はポツンと待機するしかなかった。
一応、採寸をするとのことで、円香と透は一度、教室を出て女子トイレに行ってしまった。
しばらく待っていると、菅谷の元に女子生徒がやってくる。
「菅谷くん、ちょっと来て」
「? 何?」
「執事喫茶なんだから、執事っぽい仕草も練習しなきゃでしょ」
「え? あーうん?」
「叩き込んであげるから。ゴトーになるまで」
そう言って、連行されてしまった。
×××
「ふぅ……思ったより時間かかった」
「胸、水着買った時よりまた少し大きくなってた」
「……それ、太っただけでしょ」
「大丈夫、樋口もいつか大きくなる」
「喧嘩売ってんの?」
そんな話をしながら、二人で廊下を歩いて教室に向かう。
「ていうか、映画どうする?」
「無理でしょ。休みの日に行こう」
「だよね」
「大丈夫でしょ。リカ、たまに洗面所でシャ○チーの構えの練習してるし」
「私もしてるよ?」
「歳いくつ?」
まぁ、行ける日はいくらでもある。菅谷もどうせ暇だし。
そんな事を思いながら教室内に入った直後だった。あまりに華麗な仕草で円香の手をやたらとキメ顔の菅谷が取り、甲に唇を触れるフリをした。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「っ」
すんっ、と円香は白目を剥き、それとは対照的に顔が真っ赤に染まる。今にも失神しそうなほどだ。
「私めが、お席へご案内いたします。どうぞ、こちらへお越し下さい」
その無駄に良い顔から出される無駄に良い声が、作り物だと分かっていても円香の胸の奥をキュッと掴んだ。
その後、キリッとしていた表情をいつもの真顔に戻した菅谷が、円香の目前にまで迫って聞いて来た。
「ね、どう? どうだった? 役になり切れてた?」
「……」
「? マドちゃん?」
「リカー、私にもやって」
「あ、うん。じゃあドア開けて」
と、話して、一度扉を閉めて、円香とは反対側の扉から開けた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「おかえりなさったー」
「……そこは何も言わないでよ」
「あー、ダメだよ菅谷くん。だから執事になった以上はどんな時でも臨機応変に対応して!」
監督をした女子生徒が口を挟んだ時だ。バタンっと何かが倒れる音がする。顔を向けると、円香が顔を真っ赤にして後ろに倒れてしまっていた。
「え、樋口?」
「マドちゃん?」
二人して顔を向ける。何が起こったのか分からないが、ヤバそうだ。
「どうしたんだろ?」
「とりあえず、保健室運ぼうよ」
「そうだね」
そう話し、菅谷が円香をおんぶしようとした時だった。
「待って!」
口を挟んだのは監督の女子生徒。二人して顔を向けると、その女子生徒は腰に手を当てたまま言った。
「ダメだよ。運ぶ時もちゃんと執事の気持ちになって!」
「えー、どういう事?」
「だから、つまりね?」
×××
「……でさ、土曜で良い?」
「良いよ? 全然」
呑気な話し声が耳に届いて、円香の意識は少しずつ覚醒する。いつ眠ったんだっけ? と思ったが、思い出せないのでどうでも良い。
そんなことよりも、だ。眠っていたのに、今の自分は歩いていないのに身体が前に進んでいるような感覚があるのが不可思議だった。車の中? いや少なくとも学校にいたのに、それはおかしい……。
「あ、樋口起きたよ」
「マジ? ……うっ、うんっ」
バレたので思い切って目を開けた時だった。目の前にあるのは、菅谷の顔面だった。それも、メチャクチャに至近距離。
歩いてないのに進む身体、ぷらぷらと揺れる両足と片手。何よりなんか仰向けみたいになってる……まさかこれ、お姫様抱っこ?
そう自覚した直後、菅谷から再びイケメンボイスが放たれる。
「お目覚めですか? 我がお嬢様。……残念、もう少しその無防備で口にしたくなるような寝顔を、拝見しておきたかったのですが」
「〜〜〜っ⁉︎ ……きゅう」
「あっ、また」
いやあんたさっきまで雑談してたでしょ、なんてツッコミを入れる余裕もなく、再び失神してしまった。
×××
顔の良さ、とは実に厄介なのだ、と何度も円香は実感していた。それは浅倉透だけでなく、自分にも言える事だ。ぶりっ子、と言うつもりはないが、大して話したこともない男子に何度も告白されれば、嫌でも顔の良さを自覚してしまうというもの。
だが、その厄介さは決して自分や同性だけでなく、異性でもその通りのようだ。
さっきまでの光景が脳裏に焼き付いたのか、夢にも出て来てしまい、慌てて飛び起きた。
「っ!」
身体を起こした直後、布団が大きく捲れ上がる。その自分の両肩に、そっと手が添えられた。誰が当てた手かなんて、見なくても分かる。
「ち、ちょっと……! いい加減にしてよ……!」
「ダメですよ、お嬢様……まだ、お顔が赤いようです」
「っ⁉︎」
声が違う。ハッとして振り向くと、そこにいたのは透。油断……⁉︎ と、振り返った直後、ベッドの真横にいた菅谷が自身の頬に手を当てる。
「そうです、お嬢様……熱がない、などと嘘を言っても無駄ですよ?」
「っ、ま、まさか……!」
言いながら、一度だけ小さく深呼吸をしてから顔を近づけてくる菅谷を前に、円香は狼狽える。キスされる、なんて思ったわけではない。熱を測られるわけだ。
しかし、どちらにせよ顔が至近距離にまで来るのは事実。恥ずかしさのあまり、顔が見れずにキュッと目を瞑った時だ。
「……」
「……」
「……」
額にいつまで経っても何かが当たったような感触が来ない。恐る恐る目を開けると、菅谷も片手を顔に当てたまま頬を赤く染め上げて目を逸らしていた。
「ち……ちょーっと、俺にこれはハードル高いかな〜……なんて」
「ちょっとー、台無しじゃん。せっかく二人でセリフとか考えたのにー」
「いやだから、とおるんがこっちやってって言ったのに」
「私じゃインパクト足りないじゃん。同性だし」
「……」
この野郎ども……まさかとは思うが、途中からわざと自分を照れさせるためにそんなことをしていた?
「ていうか、熱をおでこで測るとか、模擬店で実際に使うことあるの?」
「さぁ……それは実行委員の人の指示だし」
あくまで二人はセリフの練習のつもりだったようだ。……それが尚のこと腹立った。自分は練習段階の不意打ちで二度も失神させられたのか、と。
というか、そもそも面食いでもないのに何であんなバカに失神させられたのか。こんなんじゃ、本当はなんだかんだ言って菅谷のことが好きな面倒臭いツンデレという、円香が一番嫌いなタイプの女みたいだ。
恥ずかしさと怒りから少しずつ熱が上がっていく。ゴゴゴゴッという擬音が実際に聞こえ、何なら見えそうなほどのオーラを放つ円香は、菅谷と透を睨みつけた。
当然、気付いた二人は、お互いに体を向け合って両手手を繋ぎつつ、顔だけこちらに向けて怯えている。
「わーお……もしかして、怒ってる……?」
「れ、練習台にしたのは悪かったから落ち着いて……」
「……絶対に嫌」
本当に熱でもあるかのように、フラフラと立ち上がる円香。今にもこの世の全てを消し去りそうなオーラでさえある。
「ど、どうしようか……リカ……?」
透が気圧されながらそう言う中、菅谷は少し決心したように深呼吸すると、シャア専用みたくなっている円香の額に手を当てた。
「……何の真似?」
「やっぱり熱あるじゃん。ぶっ飛ばしても良いけど、その前にちゃんと寝てなきゃダメだよ」
「……」
「ただでさえ、前にも風邪で学校休んでるんだし、ちゃんと安静にしてて」
「…………」
これから怒られる立場のくせに、そもそもお前の所為で2回も気絶させられたのに、確実にそんなこと言えた口じゃないはずなのに、そして、それら全てを理解しているのに、それを言われて感情が昂ってしまっている自分が、なんだかもうわけわかんなかった。
唯一、分かったのは、さっきまでのキャラ作りなんて比較にならないオーバーキルが、心身共に襲いかかった。
また気絶する。そう理解したが、その前に円香は菅谷の両肩に手を置く。そして、とても嬉しそうな表情のまま言い残した。
「……ホント、最低……!」
「へ?」
再びベッドの中に沈んで行った。
その円香を眺めながら、菅谷はとりあえず円香の身体に布団を掛け直す。その言葉を言われるのは何度目か分からないので平然としていたが、その菅谷に透が言った。
「すごいね、リカ」
「? 何が?」
「今の樋口を鎮める方法を本能で理解してるあたりが」
「え、だって寝かせてあげないと。二回も失神してるし」
「まぁ、うん……とりあえず、しばらくここで執事ごっこしてよう」
「うん」
執事ごっこを始めた。
×××
時刻は19:30……つまり、最終下校時刻である。部活をやっている生徒も後片付けを終わらせていないと怒られる時間。保健室では、ようやく円香が目を覚ました所だった。
「お嬢様、こちら執事と遊べるオプション表でございます。私どもが僭越ながら、お嬢様方の退屈凌ぎになれるよう考え、編み出した遊戯を記したものでございます。どうか、この中からお好きなものをお一つ、お選び下さい」
「じゃあ、このコインって奴で」
「了解致しました。では、私の手元をよーくご覧になって下さいませ」
言いながら、菅谷は手のひらを両手とも広げて透に見せる。左手にだけコインが乗っていた。
それを宙に投げると、目では追いきれない早さで両手を高速で動かし、左右に拳を作って開いた。宙に投げたはずのコインは消えている。
「どちらに入っているでしょうか?」
「分からん」
「いや選んでよ」
「ていうか、リカそれマスターするの早すぎだから」
……あの二人、何しているのだろうか? 一応、あれも執事の練習とか?
正直、理解不能……と、思っていると、時計が目に入る。最終下校時刻になっていた。
「……あ、マドちゃん起きた」
「ホントだ」
「熱平気?」
「コイン遊びやろう。ちゃんと教えるから。リカが」
起きたことを気づかれてしまった。ため息をつきながら、思わず悪態をついてしまう。
「……何遅くまで遊んでるの。先に帰ってて良かったのに」
「やだよ」
「ね。気絶させたのリカだし」
「……そういえばそっか」
「い、いや……ていうかなんで気絶したの?」
「っ……」
それは、円香にも分からない。なんか、今日はよく気絶する日だ。……主に、顔だけは良いバカのおかげで。
にしても、今まで同じベッドで寝たことがあっても気絶なんてしなかったのに……何だかこの前、部屋を作ってからやたらと菅谷を意識してしまう事が多くなった気がした。
「……なんでもない。それより、帰ろう」
「え、待ってよ。コイン遊びのオプション、練習しなくて良いの?」
「今度やるから」
それだけ話して、三人は保健室を出た。
帰る頃には、外は真っ暗。いつも明るいうちに帰っていたので、こんなのは随分と久しぶりだった。それこそ、受験シーズン以来かもしれない。
「わお、外暗っ」
「久しぶりだよね。こういうの」
「……うん」
たまには居残りというのも悪くない。受験シーズンだって、本当は辛いもののはずなのに三人で頑張ったからか、なんだかんだ楽しかった思い出になっている。
「マドちゃん、本当に体調平気?」
「平気だから。別に体調悪くて倒れたわけじゃないし」
「その方が怖くない?」
「浅倉は黙ってて」
余計なことを言う幼馴染である。なんなら、その何か知っていそうな笑みが非常に腹立つ。
「よし、じゃあ今日は俺が二人を家まで送ろう」
「はぁ?」
「いや、いつもは俺が家まで送ってもらって、部屋でまったりしてから帰ってるでしょ?」
「それはあんたのマンションのが学校から近いからでしょ」
「それに、毎度駅まで送ってくれてるし」
「体調悪い時くらい良いでしょ。俺、執事だし」
「何あんた。それ気に入ってんの?」
「じゃあ、私も執事だから、樋口家まで送る」
「あんたは元々、隣でしょ」
少し暗い夜道にテンションが上がりながらも、夜道を歩いていった。
思えば、高校から暗い夜道を歩いて帰宅するのは初めてかもしれない。
「そういえばさ、今年夏っぽいことって、まだひとつだけしてなくない?」
そんなことを言い出したのは透。円香と菅谷は揃って小首を傾げた。
「肝試し」
「「……ああ」」
確かに、と、言うように二人とも頷く。
「やりたい?」
「いや別に」
「機会があったら?」
正直、三人とも怖くはない。基本的に冷めているのである。
「小糸ちゃんが入学してからやってみよっか」
「殺すよ」
「あー、確かに福丸はビビり散らして破裂しそう」
「破裂……する?」
「しないでしょ」
「いや涙腺が」
「「それはしそう」」
なんて話しているうちに、駅に到着した。そのまま三人は電車に乗る。
「懸垂して良い?」
「良いよ」
「一駅しか移動しないんだから、我慢しなさい」
姉の貫禄が炸裂しつつ、すぐに降りた。スーパーを見るなり、菅谷は聞いた。
「ご両親に菓子折り持ってった方が良いかな……」
「送ってもらう立場で菓子折りなんてもらえないんだけど」
「むしろ渡されるかもよ? 結構な頻度でご飯食べてってるし」
「いや、作ってるの私だから」
「……よくよく考えたら、マドちゃんってタダで料理の練習出来てるわけだよね。本番でマドちゃんの本気手料理とか、割と楽しみかも。多分、来年のとおるんの誕生日あたりかな?」
「……あーあ」
「あふんっ⁉︎ い、痛いんだけど……」
「うるさい黙って」
「な、なんで怒ったの……?」
なんて話しながら、二人の自宅の前に到着した。
「……改めて見ると、お隣同士って羨ましいなぁ」
「リカもうちに来る?」
「良いの?」
「良いわけがないでしょ」
「あ、透……と、円香とリカくん?」
声を掛けられ、3人が振り返ると後ろには透の母親がいた。
「……あ、どうも」
「こんばんは」
「こんばんは。随分遅かったね」
「文化祭の準備で」
「ふーん……懐かしい。私も文化祭で遅くまで残ったこと……あったっけ?」
「え? 知らない」
「私も覚えてないわ」
似た者親子のようだ。
「いつもありがとうね。うちの子、よくお宅にお邪魔してるんでしょ?」
「あーいえ。別に大したことしてないんで。飯もマドちゃんととおるんに作ってもらうことが多いですし」
「そうなの。……うちの子がねぇ?」
「……別に良いでしょ」
チラリと透を見て、透の母親はクスッと微笑む。
「とにかく、リカくんもいつでもうちにおいでね? 今日はお父さんがいるから殺されちゃうかもだけど、いない日ならいつでも歓迎するから」
「? お父さん、ゾンビか何かなんですか?」
「うーん……まぁそれで良いわ」
「うん。じゃ、また明日ね。リカ、樋口」
「ん」
「またね」
母親が来たことにより、透は一足先に自宅へ引き返した。
さて、それなら自分もそろそろ帰ろうか、と思った菅谷は、円香に顔を向ける。
「じゃ、俺もそろそろ帰るね」
「待って」
「?」
「たまにはうち寄って行かない?」
「え、なんで?」
「これからうち帰ってご飯用意するの面倒でしょ?」
本当は透も誘う予定だったが、まぁ流れ的に仕方ない。
「そんな事もないけど……でも良いの?」
「平気。今日、うちはお父さん仕事のはずだから」
「え、マドちゃんのお父さんにも歓迎されてないの?」
「おいで」
「否定してよ……?」
とりあえず、半強制的に菅谷の腕を引いて、家の中に入った。
「お帰りなさ……あら、リカくん」
「お邪魔します」
「珍しい。どうしたの?」
「マドちゃんがどうしてもって言うか……げふっ!」
「私の所為で最終下校時刻まで残らせちゃったから。そのお詫び」
それっぽい理由を言いながら、先に家の中に上がる円香。その後に続いて、菅谷も靴を脱いだ。
「ご飯、もう出来ちゃってる?」
「ん、まだ。ご飯は炊いてあるけど……作る?」
「……んっ」
あっさりと看破され、そのまま家の中に案内してもらった。手洗いうがいだけして、とりあえずリビングに入る。
円香が料理を作っている間に、菅谷は緊張気味に食卓に座った。その正面に、円香の母親がついて、目の前にコーラが置かれる。
「飲んで」
「ありがとうございます」
ありがたくもらい、一口、口に含む。
「……ホント、顔はイケメンなんだ」
「? ありがとうございます?」
「どう? 高校とか一人暮らしは慣れた?」
「はい。マドちゃんとかとおるんとか、いつも来てくれますし、正直助かってます。俺、家のこととか前までほとんど母親にやってもらってたから、頭の中ではやることを理解してても、手際良くとはいかなくて」
「そうでしょうね。わざわざうちの子達と離れないために一人暮らしなんて、相当勇気があるんだ?」
「や、むしろ臆病だからだと思いますよ。あの二人と別れることを考える方が怖かったですし」
言いながら、菅谷はコーラを口に含む。
「そんなに好き? うちの子も透も、別のベクトルで気難しいでしょ」
「全然。それを心配してるのはこっちです。俺、昔からずっと嫌われやすい体質ですから」
「……そんな事ないんじゃない?」
「いや、今なら分かりますよ。他人に無関心を貫き過ぎた結果なんだなって。中三の時だって、たまたまとおるんと趣味が映画で共通のものだったから良かったけど、そうじゃなかったらクラスメートのお宅にお邪魔するなんて事、なかったでしょうし」
またコーラを飲んでから、菅谷は続けた。
「俺なんかに構ってくれるマドちゃんにもとおるんにも、感謝してます」
「……ふふ、そう」
樋口の母親は、実に愉快そうに自分のコーラを飲んだ。
「……でも、たまにうちの子もキツいこと言うでしょ?」
「そこが可愛いんですよね。なんか、こう……言葉選びとかが楽しいです。むしろそれが聞きたくてわざとボケることもありますし」
「何それ。かまってちゃんなの?」
それを正面から言われて少し頬が赤くなる。良い歳して恥ずかしいが……まぁ事実ではあるのだから仕方ない。
「まぁ……そうですね。たまに本気で怒られますけど」
「良いよ、別に怒らせちゃって。あの子、なんだかんだ面倒見良いから」
「分かります、それ。なんだかんだ、うちでご飯作ってくれる時とか、好みに合わせてくれますし」
「あら、分かってたの」
意外そうな顔で見られたが、バレバレだ。
「言ったら『は? 偶々だから。勘違いしないでくれる? ミスター自惚れ屋』って怒られましたが」
「あ、言いそう。……実は、あなたのために家事とか好きな料理とかも覚えてたんだよ」
「なんか照れますねー。幼馴染にとおるんがいるとあんなに面倒見良くなっちゃうんですね」
「それは違うでしょ」
「え?」
「あの子がそこまでやるのは、あなたが……」
「お、お母さん!」
その直後だった。コーラのペットボトルを持って円香が割り込んできた。
「っ、よ、余計なこと言ってないでコーラおかわりしたら?」
「ありがとう」
「リカ、あんた人の家来て何寛いでんの?」
「え……だめなの?」
「手伝って。働かざる者は食うべからずだから」
「え、これお礼だったんじゃ……」
「今からお隣行って浅倉のお父さん呼んでこようか?」
「わ、分かったよ……」
仕方なく、菅谷は立ち上がって台所に向かった。
とりあえず手を洗い、家の中のエプロンを借りた。
「何作るの?」
「……唐揚げ」
「よっしゃ。俺、何すれば良い?」
「私がタレ作るから、あんたは肉切ってて。ちゃんとフォークも通してね。終わったら、私が揉み込むから、キャベツ千切りにしておいて」
「はいはい」
それだけ話して、テキパキと手を動かし始める。レンジで解凍された肉を取り出すと、まな板の上で包丁をクルクルと回して構えてから刻み始めた。
「危ないからやめて」
「ごめん。実は家で練習してて何回か指切ってる」
「バカなの? ……そういうの、ホントやめて」
「お、心配してくれてるの?」
「……それで良いからやめて」
「はーい」
「……」
「……」
そこを注意されると、しばらく黙り込んでしまった。……そんなに包丁の件、心配されたのだろうか?
片眉を上げてしまうと、円香がボソッと呟くように言った。
「……本気にしなくて良いから」
「? 何が?」
「お母さんが言ってた事」
「え? ……ああ。あの事。え、全然そんな事なかったの?」
「そういうこと」
「なーんだ……そうだったんだ」
「……」
少し、しょんぼりしてしまう。過去に自分のために色々してくれる人なんて家族が室寺しかいなかったから、少し嬉しかったのに。
「……やっぱり、どう思ってても良いから勝手にして」
「え?」
「だから……べ、別に……その、お母さんと話してた通りに思ってても、良いから……」
「……はい?」
「……もうなんでもない」
「ねぇ、それってやっぱあってたって事?」
「し、しつこい……!」
「教えてよー」
「良いから!」
「教え……あっ、ゆ、指切った!」
「……自業自得だから。……指見せて」
そんなやり取りを眺めながら、円香の母親は色々と思うところがあった。「普通に認めてしまえばそんな恥はかかなくて済むものを」とか「一度言ったことはどんなに恥ずかしくても伝わるまで相手に言えば良いのに」とか「そもそも普通に抜群の息の合い様ですね」とか「自業自得なのに手当てはしてあげるんだ」とか色々。
でも、だからこそこれ以上、余計なことは言わないことにした。娘の恋路が上手くいくよう祈るのみだ。娘が幸せを感じられるのなら、例えどんな形であっても。