浅倉が増えて、樋口のストレスは加速した。   作:バナハロ

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演技力は大事なとこで使え。

 円香の誕生日の前日。菅谷はめざましによって目を覚ました。ピピピピーっと脳に響く音がやたらと鬱陶しく感じる。まぁ、早朝なんていつもこんなものだ。

 身体を起こすと共に布団を剥がす。10月下旬だからか、冬に近づいて来ているような肌寒さを感じつつも、身体を起こして伸びをする。

 寝惚けた表情のまま伸びをしつつ、くあっと欠伸をして洗面所に入った。顔を洗えば眠気も落ちると思ったからだ。

 ……というか、ついでにシャワーを浴びることにした。温まりたい。

 

「……ふぅ」

 

 現在、朝9時。昨日の夜中はソワソワして眠れなかった。まぁでも、今日は結局、遊園地に行く事にしたし、眠気なんてすぐに吹っ飛ぶ。

 ……ありきたりではなかっただろうか? いや、でも一生懸命考えた結果だ。二人で楽しめるところを自分なりに選んだし、あとは普通に楽しむだけ。プレゼントも買ったし。

 そう思考を放棄しながら、とりあえずぼんやりとシャワーを浴び続けた。

 

 ×××

 

「……ちょっと早く着きすぎたかも」

 

 そう思っているのは、樋口円香。待ち合わせ場所のカフェに、一時間前に到着していて、今はそれから30分経過した頃だ。

 ……流石に早かったな、と思った。普通に。ここまで55分経過するのに、体感時間的には三時間かかった。

 しかし、それでも時間が早く進むことはない。あくまで表には出さないようにしながら、暇つぶしに過去の思い出データを眺めている時だった。

 

「おはよ、マドちゃん」

「……遅い」

「え、あの……5分前……」

「私は55分前に来てた」

「え、そんなに?」

「それより、言う事ないの?」

 

 言いながら、円香は立ち上がり両手を広げて一回転する。今日のために一生懸命考えた服装の感想だ。

 結局、今日は遊園地に行くと聞いたので、ショートパンツはやめ、ジーンズ生地のミニスカートに白いシャツの上に赤と黒のカーディガンを羽織る。靴下はやめてタイツを履いた。

 これならば、動きやすさは少し下がるけど、少し大人っぽく見せるおしゃれ感は増した。綺麗な最大公約数となった。

 

「うん。可愛いよ。マドちゃん」

「っ……よく言えました。ミスターチャラ男」

「大人っぽくて、本当にお姉さんみたい」

「お姉さん……」

 

 少し落胆する。姉弟的な意味か、と思ってバレないようにため息をつこうとすると、続けて言った。

 

「一個上の彼女とかいたら、こんな感じなんだろうなぁ」

「……」

 

 ずここーっと、中のカフェオレが空になる音がすると共に、円香は立ち上がる。

 そして、片手にお盆を持ってツカツカと歩きながら、菅谷の隣を通り過ぎつつ、腕を握って引っ張る。

 

「っ、ま、マドちゃん? どしたの?」

「何でもないから。早く行くよ」

「あ、うん」

 

 俯きながら、トレーを返却口に返して店を後にする。やっぱりダメだ。素直になる、と決めても嬉しさから来る羞恥心はどうしようもない。

 そして、やっぱりたかだか言葉だけでこんなに舞い上がってしまう顔なんて、見せたくなかった。

 素直になるのも、大変だ。

 

 ×××

 

 遊園地のアトラクションは、何に乗っても基本的には困らない。何せ、客がやる事なんて何も無いからだ。乗って、興奮と刺激をもらって、それで終わり。

 まぁその刺激が強すぎるかどうかで好みが決まるわけだが、要するに何も考えずに楽しめる良い所なのだ。デートでここを使った場合のタブーなんて一つしかない。

 そんなわけで、やって来て菅谷は早速、何も考えずに指を指した。

 

「観覧車乗ろう!」

「バカなの?」

 

 そのタブーを何食わぬ顔で犯していた。そう、唯一のタブーは「観覧車は一番最後」である。

 

「良いじゃん。俺、高いとこ好きなんだけど」

「あ、やっぱりバカなんだ。流石、高いとこ好き。ジェットコースターでも高いとこに行けるでしょ」

「いや、それ一瞬じゃん」

「じゃあ、スカイフラワー」

「……なるほど」

 

 指さす先にあるのは、三角屋根がついたカゴが高い位置から落下するアトラクション。

 本当に高いとこ行きたかっただけなんだ、と円香は呆れてしまったが、とりあえずそれに乗ることにした。

 

「じゃ、行くよ」

「良いの?」

「ん」

 

 二人でそのまま、スカイフラワーに向かった。

 さて、二人で早速、その列に並ぶ。幸運なことにあんまり混んでいなかった為、すんなりと乗ることができた。

 

「どれくらい高いのかなぁ」

「少なくとも、過去に乗ったどのアトラクションよりも高いでしょ。それが売りだと思うし」

「飛行機より?」

「それアトラクションじゃない。お金持ち特有の価値観やめて」

「なんだ。じゃああんま高くなくない?」

「……なら、その高さから急降下した事あるわけ?」

「……怖かったら、手握ってても良いですか?」

「それ男が聞くの?」

 

 情けない……と、思う半面、やっぱり何処か抜けてる所が良い、なんて思ってみたり。

 

「ま、見たところシートベルトとかないっぽいし、身体が浮くほどの速さじゃ落ちないでしょ」

「だ、だよね。大丈夫だよねっ。うん、全然余裕だよね?」

「いや私に聞かれても……」

 

 そうこうしているうちに、動き出した。ガコンと落下前の脱出ポッドのような音と共に、二人のカゴは浮かび上がる。

 これは本当に手とか握られちゃったりするかも……と、少しだけ期待した。勿論、そんなの10秒もしないうちに打ち切られるわけだが。

 

「おおー、たっけー」

「……」

 

 引くほど普通にエンジョイしていた。楽しそうで何よりである。いや本当に。

 

「見て見て、マドちゃん。あそこ、俺ん家」

「……嘘でしょ?」

「嘘だよ。信じちゃって可愛い」

「いや、あんたの家ならあり得るから」

 

 遠くに見えるデカい家を指さしてそんなことを言う。本当は写真を撮りたい所ではあるのだが、物を落とさないようにスマホの撮影は禁止されている。

 

「でも、本当に景色すごいね。富士山見えそうじゃない?」

「あれは?」

「え、見えるの? うわ、ホントだ」

「富士山とか行ったことあるの?」

「あるよ。頂上まで」

「え……あれ結構、大変じゃない?」

「うん。でも、柔道の足腰の特訓って事で。俺も野生の動物みれるかもってウキウキしてたし」

 

 ……なるほど、と円香は理解する。変な所で忍耐力と度胸があるのは、そういうところから、来てるのか、と思った。

 

「でも、良いの?」

「何が?」

「そろそろだよ、落ちるの」

「え?」

 

 その直後だった。急降下が始まった。

 

「うおっ……!」

「手、握る?」

「キッツ……いや、平気……!」

「……顔色青いけど?」

「や、やっぱり握る……」

「……はい、素直でよろしい」

「マドちゃんに言われたくない」

「やっぱり触らないで」

「嘘です、ごめんなさい」

「ていうか、なんで手袋してるの? まだ早くない?」

「え、そう……てか、そんなこと言ってる場合じゃ……」

 

 結局は手を貸してそのまま地上まで落下した。

 

 ×××

 

 飲み物を買ってから、次のアトラクションに向かった。

 

「次、どうしよっか?」

「ん……任せる。観覧車以外」

「はいはい……」

 

 それは何も考えていないのではなく、単純に菅谷と一緒ならなんでも楽しめる確信があったからだ。今のスカイフラワーでそう思った。

 だから、本当になんでも良い……と、思っていると「きゃああああ!」という悲鳴が耳に入る。ジェットコースターだ。

 そういえば、ジェットコースターで悲鳴とか上げたことない。なんなら、一緒に行った事あるはずの透も悲鳴はあげない。雛菜は「やは〜〜〜」とかよく分からない何かを上げる。小糸は「ぴゃああああああ‼︎」と、悲鳴というか断末魔を上げる。

 菅谷なら、どんな反応をするんだろう……と、思っていると、菅谷が握っている円香の手を引いた。

 

「じゃ、次はジェットコースターだね」

「大丈夫?」

「何が?」

「急降下した後でキツイんじゃない?」

「平気。それに、マドちゃんが乗りたそうにしてたし」

「……」

 

 過去を思い出していただけ……いや、菅谷なら、とか考えてた時点で、乗りたがっていたのだろう。

 

「じゃ、行こ」

「うん」

 

 そのまま二人で列に並んだ。

 そこそこ並んでいたわけだが、まぁ10分待ちで乗れるなら早い方かもしれない。

 

「マドちゃんって遊園地とか、よく来てた?」

「そうでもない。……来る時は大体、浅倉とか雛菜とか小糸とかと一緒だから」

「へー……市川とかはよく行きたいとか言い出しそうだけど」

「ま、言い出しっぺは雛菜だったかもね。……たまに、小糸がデ○ズニーの広告を見て、私が行くかって声掛けるか」

「やっぱり、面倒見が良いんだ」

「……そんなんじゃない。私は別に……」

 

 四人で一緒にいたかっただけだ。小糸と雛菜と透と離れるのが怖かった。だから、金魚の糞みたいにくっついていただけ。

 そんな風に思っていると、隣の菅谷がキョトンと小首を傾げながら返した。

 

「? でも、俺はマドちゃんに面倒見てもらって、とても助かってるよ?」

「……」

「いつも、三人で一緒にいるために、一番頑張ってくれてるのはマドちゃんだから」

「……バカ」

「え、違った?」

 

 握ってもらっている手を、キュッと握り締め、少しだけ身を寄せる。

 思えば、この男はいつも自分のことを肯定してくれる。他人の良いところばかりを見つけて、ボロクソに褒めてくれて……なまじ純粋なだけあって、持ち上げてるのではなく本心なのがタチが悪い。

 そんな所が、円香は死ぬほど好きだった。

 

「あんた、ホント天然たらし」

「え?」

「……なんでもない」

「でも、マドちゃんも天然たらしだよね?」

「……は? 何処が?」

 

 急になじられてイラっとした。自分は男に対して、ドギマギさせるようなことは言っていない。まさか、顔狙いで告白して来た男子達を見て言っているのだろうか? だとしたら、顔面が良い菅谷に言われたくない。

 

「いや、だって結構、マドちゃんも俺をドキッとさせるような事言ってるし」

「いつの話よ」

「いやいつでも。もう何回、好きになっちゃってるか分からないくらいだよ」

「はいはい。そう言う口説いてるようなセリフを吐く暇があるなら……」

 

 と、言いかけた所で、円香の口が止まる。

 ふと、思ってしまった。たらし、という言葉の後にそのセリフ……なんか今まで、もう何度も「好き」と平気で言われて来たが……もしかしてそれって、そのまんまの意味で言っていたのか? と。

 要するに……もう何回も愛の告白を受けて来たのだろうか? 

 

「……え、リカ?」

「何?」

「その……好きって、どういうこと?」

「哲学?」

「い、いや……だから」

 

 LOVEかLIKEか、を聞こうとした所で、声を掛けられる。

 

「次の方どうぞ?」

「あ、きた。乗ろ?」

「う、うん……」

 

 渋々従い、乗り物に乗った。隣同士の席に座り、背もたれに身を預けると、上からバーが降りて来る。

 

「この緊張感……これこそジェットコースターだよね」

「う、うん……」

「あ、もしかして、怖がってる?」

「は? そんなわけないでしょ。あんたこそ顔色悪いけど?」

「え、う、嘘……?」

「ほんとにビビってたわけ? ダサ」

「う、意地悪め……」

 

 そんな話をしつつも、円香は自分の方がよほどダサい気がした。リカが自分……いや、自分と透、二人のことが好きなのかも、と思った時点で、胸の奥がドキドキと高鳴り始めたことを。こんな事で動揺しているようでは、ダサいのはむしろ自分の方だ。

 ……この後、どうしよう、なんて考えてしまう。自分の気持ちを伝えても良いものなのだろうか? いや、しかし菅谷が「二人とも好き」みたいなことを言っている以上、なんだか抜け駆けみたいになってしまう。

 告白するなら透と二人で? いやしかしそれでは二股……別に周りの目なんてものは気にしないが、それは他人での範囲。例えば、親はなんていうだろうか? 

 いや、親を説得すれば……いやいやいや、なんて説得をする? 「二股ゆるして下さい」って? 普通に考えて無理だろう。特に父親が。

 グルグルと頭の中で渦巻いている時だった。ふと視界に入ったのは、良い景色。いつの間にか、コースターは頂点に達していたようだ。

 

「えっ」

「ゴクリ」

「待っ……きゃあああああああ!」

 

 初めてジェットコースターで悲鳴を上げた瞬間だった。

 

 ×××

 

「あはは、マドちゃん悲鳴あげてたじゃん。可愛かったよ」

「う、うるさい……」

 

 いやほんとにうるさい。誰が蒔いた悩みの種で油断してたと思っているのか。

 現在、ベンチの上。二人で並んで座って、飲み物を飲んでいる。

 

「はい。飲み物」

「ありがと……」

 

 円香の鞄から飲み物を抜いてくれて渡してくれたので、それを受け取って一口、口に含む。

 思わず、円香は菅谷の方へ体重をかけようとしてしまう。が、その前に菅谷が自分を止めた。

 

「……何?」

「待って。休むなら、膝の上おいで」

「ば、バカじゃないの? こんな人前で……」

「嫌なら甘えさせてあげない」

「っ……じゃあいい」

「残念」

 

 流石にそこまで出来るほど素直にはなれない。というか、それは素直とかじゃなくて別の何かな気がする。

 いや、それよりも、だ。この男……急にどうしたのだろうか? 膝枕なんてそんな事を強引にさせるキャラではないだろうに。

 甘えさせたい、というあれが働いてる? いや、にしても急だ。少し不審に思いながら、ふと顔を見上げる。顔色が悪い、と思っていたが、本当に悪い気がする。

 その上、なんか汗かいてるし……もしかして。

 

「……リカ、動かないで」

「え?」

「動いたらビンタするから」

 

 言いながら、円香は立ち上がると、菅谷の両頬に手を当てる。温かい。と言うより、熱い。

 そのまま、顔を近づけた。顔が近くて照れるとか、キスでも出来そうとか、そんな考えは一切浮かばなかった。

 コツン、とくっ付けたのは、おでこ。菅谷の顔は真っ赤になるが、その前から十分、熱かった。

 もはや、疑う余地などない。

 

「いつから?」

「な、何が?」

「熱あるでしょ」

「な、ないよ」

「……」

 

 惚けるんだ、と思ったが、そうはいかない。円香は菅谷の手首を握り、持ち上げる。

 

「これ」

「て、手袋が何?」

「この手袋、本当は素手で触らないようにするためだったんでしょ。体温高いのバレるから」

「……」

「往生際が悪いの、嫌いなんだけど。……で、いつから?」

「……朝起きた時から」

 

 この男……と、思わず頭に血が昇る。それと同時に、思わず手が出てしまった。

 パァンっと、空気の入った袋が潰れたような音が響き渡った。

 

「……先に言ってよ。無理なんてして欲しくないんだけど。ミスター猪突猛進」

「でも……楽しみにしてたから。この二週間、ずっと……」

「っ……」

 

 そんな風に言われては、これ以上、責められない。祝われる本人と同じくらい、舞い上がっていたと言う事だろうか? 

 気持ちは、痛いほど分かる。自分も、ここの所ずっと楽しみではあったから。悟られないようにしていたけど、服も前日まで悩んでいた。自分でも無理して来てしまうかもしれない。

 でも、それとこれとは話が別だ。風邪引いたのなら、休んで欲しい。

 思わず、正面から両手を広げて抱き締めてしまう。

 

「っ、ま、マドちゃん……風邪、移る……」

「言ったでしょ。どこでも良いって」

「え?」

「……風邪ひいたなら、あんたの家でも良いから。デート」

「……」

 

 すると、菅谷も同じように抱きしめ返して来た。

 ……なんにしても、自分も迂闊だった。割と朝から、体調悪そうなヒントはあった。菅谷なら、5分前どころか10分前には来ててもおかしくないし、割とらしくないセリフも多かった気がする。

 

「……ごめん。気付けなくて」

「え、いややめてよ。マドちゃんは何も……」

「とにかく、帰るから。……それまで気絶しないでよ」

「え……でも、観覧車は?」

「そのまま天国まで登りたくなかったら、私の言う事従って」

「は、はい……」

 

 仕方なく、二人は撤退した。

 

 ×××

 

 割と辛かったのを無理していたからだろう。菅谷のマンションに着くなり、彼は前のめりに倒れた。

 

「っ、り、リカ……?」

「……へ、へいき……こう見えて、俺はインフルエンザとか効かない人だから……」

「はぁ……説得力皆無だから、もう喋らないで」

 

 うつ伏せになっている菅谷を円香は強引に起こそうとする。……が、重たい。最初からうつ伏せに倒れている人間を持ち上げ、おんぶするのは大変だ。

 足の指先を、ほぼ引き摺らせたまま、とりあえずリビングに運んだ。エアコンがある部屋が、ここしかないからだ。

 何とかソファーの上におくと、そのまま菅谷のベッドから毛布と掛け布団を持って来る。

 上からかける前に、一度、菅谷を着替えさせることにした。

 

「リカ、着替えて」

「え……」

「汗すごい。風邪引く」

「こ、ここで?」

「は? 何か問題ある?」

「い、いや……」

「着替えられないなら、私が脱がすけど」

「だ、だいじょうぶです!」

 

 男の沽券が働いたのか、素直に従った。

 時刻はもうお昼過ぎ。ついでなので、昼飯を作ってやることにした。台所に立ち、食材を確認した。

 ……というか、朝飯を食べた形跡がない。多分、朝から食欲も無かったのだろうが、食べるものを食べないと治らない。

 おかゆ……と思って炊飯器の中を見たが、空っぽだった。冷蔵庫の中を漁ると、蕎麦を見つけた。

 

「まったく……!」

 

 食材だけは一丁前にあったので、野菜の蕎麦を作れば良い。

 食材を出し終えたところで、そろそろ着替えが終わったかなと思って、リビングの方を見る。菅谷は、こっちを見ながら着替えもせずにぼんやりしていた。

 

「……何してんの?」

「え、いや……いつ出て行くのかなって」

「は?」

「いや着替えるから……」

 

 いつもの円香なら「まぁ、そうか」と納得し、一度部屋から出て行くところだ。何せ、相手は純情に純情を掛けた上に純情を足したような男だ。照れるのは目に見えている。

 しかし、今の円香は、完全に「おかんモード」と呼べる何かに入っていた。つまり……「んなこと言ってる場合か」とイラッとした。

 

「分かった。脱がす」

「えっ?」

「動かないで」

「ち、ちょっと待って! 分かった、分かったよ。着替えるから……」

「ダメ。体調悪いの無視して遊園地なんてハードなアミューズメントパークで無理するミスター仙人みたいな人の言う事、信じられない」

「え、いやっ……ごめんなさい。ごめんなさいって……!」

「知らない」

「ちょっ、待っ」

 

 容赦がなかった。一気に間合いを詰めると、まずは上着を引き剥がす。どんなに柔道が強くとも、手負のバカなど一人で十分と言わんばかりの動きだ。

 そのままTシャツを無理矢理、バンザイさせて脱がすと、布団と一緒に用意した寝巻きを頭から被せる。お腹が冷えないよう、パジャマっぽいTシャツを被せてから、上を着させた。

 

「待って! し、下は勘弁して!」

「転ばないようにして」

 

 無視である。ベルトに手を掛けると、シュルッと緩やかな動きで抜き、ズボンを下に下げる。流石に履かせるのは難しいので、ズボンを手渡した。

 

「はい」

「……もうお婿にいけない……」

「大丈夫、私と浅倉がもらうから」

「ぷえ?」

 

 今なんて? なんて声音にも反応する事なく、円香は脱がした服を畳み、とりあえずソファーの背もたれの上に置くと、菅谷に言った。

 

「着替えて寝てて。今、ご飯作るから」

「は、はい……」

 

 何故か顔を真っ赤にした菅谷が渋々従うのを眺めつつ、円香は料理を再開した。

 ニンジン、大根、長ネギを具材にした蕎麦が完成した。一応、自分もお昼がまだなので、二人分用意した。

 

「リカ、出来た。……食べられる?」

「た、食べられます……」

「なんで敬語?」

「い、いえ……なんでもございません……」 

 

 オドオドしているが、何か怖いことでもあったのだろうか? 

 とりあえず、無視してソファーの前に設置してある机の上に蕎麦を置いた。そして、箸で蕎麦を摘み、レンゲにスープを少量、溜めると、その上に蕎麦を置き、柔らかめにしたニンジンを箸で割き、ネギと一緒に乗せ、ふぅーっ、ふぅーっと冷ますために息を吹きかける。

 

「ま、マド……円香さん?」

「マドちゃん、でしょ」

「アッハイ」

「あーん」

「ホワイ?」

「体調悪いでしょ」

「や、何も両腕使えない程じゃないんだけど……」

「あーん」

「ていうか、マドチャンのお蕎麦伸びちゃ」

「あー、ん」

「……あーん」

「どう?」

「……おいひいです」

「あなたのペースで良いから、食べたい時に言って」

 

 そう言って、しばらく菅谷の食事に付き合った。

 

 ×××

 

 食事を終えた菅谷は、そのまま睡眠。その間に円香は自分も蕎麦を食べ、洗い物をし、そこでようやくカーディガンを着たままであったことを思い出し、脱いでハンガーにかけ、ようやく一息。

 そして、蘇る本日の記憶。

 

「私は一体、何を……」

 

 菅谷のズボンを脱がせたことが一番、大きな破壊力だった。死にたくなるのを必死で抑えながらも、やはり普通に死にたくなって来ている自分の気持ちが分からないまま、食卓に額をつけて後悔していた。

 

「はぁ……いや、でも仕方ないか……」

 

 何せ、あのバカタレが相手だったのだ。面倒を見過ぎて悪いということはない。

 ……とはいえ、ムラムラしないかと言われれば嘘になるが。だが、ここで一人で発散しては猿と同じ。そもそも、本当に彼の服を脱がしていた時、下心なんてかけらもなかったのだ。

 ここは我慢だ。……そうだ。我慢の前に、一度やることだけやろう。そう思い、透に電話を掛けた。

 

「もしもし?」

『早いね。報告。ベロチューでもしたの?』

「違う……。……その、リカが風邪引いてた」

『あー……どんまい』

「いや、遊園地には行ったの。風邪引いてる癖に来たから、今あいつの部屋」

『あそう。でも、私も行けないよ。小糸ちゃんと雛菜と一緒だし』

「ん。あー、で。その……あいつ、家帰って来て倒れたから……脱がせて、着替えさせた。パンツ以外」

『あー……うん。分かった』

「で、夕方まで看病していくつもりなんだけど……来れたら来る?」

『え? うーん……いい』

「えっ」

 

 意外な返事だ。絶対、来たがると思った。

 

「なんで?」

『今日は、樋口の日でしょ』

「や、でも……」

『あ、でも襲うなら私も行くけど』

「いや襲わないし……」

『せっかくの機会だし、たまには二人でいたら?』

「……ごめん。ありがと」

『ん。あ、泊まって来ちゃえば?』

「うるさい」

 

 それだけ話して、電話を切った。2人きりのが良い、というわけではないが、まぁ滅多にない機会ではある。この際、堪能しよう。

 そう決めて、とりあえず食事を続けた。

 食べ終えると、菅谷の様子を見に行く。ソファーで眠っているが、やはりどこか苦しそうに見える。……無防備な寝顔だ。こうして寝ているだけでは、イケメンなだけあって色っぽさがある。喋り出すとお馬鹿、とはまさにこいつの事を言うのだろう。

 

「……」

 

 頬をツンツンと突く。ぷにぷにしている。あどけなさがなんとなく見えるのは、彼の中身が関係しているのだろうか? まぁしているのだろう。

 なんにしても、しばらくはこのまま頬をツンツンし続ける。なんか癖になって来た。

 

「んっ……」

 

 そんな中、菅谷が吐息を漏らし、手を引っ込めた。起こしてしまったら意味がない。

 ……というか、この様子だと今日やる予定だった家事は軒並みダメそうだし、代わりに自分がやっておくことにした。

 洗濯、掃除……と言っても、これくらいか。それらを全て片付け、リビングに戻ると、菅谷が目を覚ましていた。

 

「おはよ」

「……うん。おはよ」

「眠れた?」

「いや……あんまり」

 

 風邪引いているから当たり前と言えば当たり前だが、元気がない。……いや、楽しみにしていたと言っていたし、当たり前だろう。

 それだけ楽しみにしてくれていたのは正直、嬉しい。気持ちも分かる。だから、もう説教は控えた。

 

「……別に、これが最後の機会ってわけじゃないでしょ。遊園地くらい、いつでも行けるし、そんなに落ち込まないで。鬱陶しい」

「……いや、遊園地とか別にいいんだよ」

「は?」

「ただ……マドちゃんの誕生日なのに、何したんだろうなって。……あれだけ祝うって張り切ってたのに……情けない」

「……」

 

 なるほど、と円香は理解する。だけど、まだ理解してくれていないらしい。さっきも言ったはずの言葉を。

 ……いや、まぁ自分でも「気を使ってそう言ってくれてる」と思う。信用してるしてないではない。その時に心が弱っているか弱っていないか、だ。

 菅谷でも弱ることはある。自分が風邪引いた時に来てくれたように、こちらもまた、勇気づけてあげないとダメだ。

 そして、それは行動で移すのが一番だ。

 

「……リカ」

「ん? ……んっ!」

 

 身体を起こしている菅谷の唇に、自分の唇を押しつけた。深い方ではないが、唇を押し付ける事、約数秒。ようやく、唇と唇が離れた。

 

「っ、ま、まど……ちゃん……?」

 

 真っ赤な顔で唇を押さえる菅谷。爆照れしている顔だ。茶化してやりたいとこだが、円香自身も顔が真っ赤である。

 眉間に皺を寄せ、羞恥心によって歯を食いしばりながらも、それを押さえつけて言うべきことを言った。

 

「…………こういうこと」

「な、何が……?」

「……分かるでしょ。……あんたと一緒なら、ここでも遊園地でも一緒って事。……だから、もう無理しないで」

「…………は、はひ…………」

「ん、良い子」

 

 頭を一撫でして、円香はリビングを出て行く。後ろからドシャッとソファーの上で倒れる音が聞こえる。

 リビングを出たのは、別に何かやる事があったわけではない。

 

「……〜〜〜っ!」

 

 死ぬほど恥ずかしかっただけだ。体育座りし、膝と膝の間に顔を埋める。流石にキスはやり過ぎだったかもしれない。

 ……いや大丈夫、どうせもう気絶してるし、起きたら忘れてるんだから。そう強く思い込み、円香はとりあえず透に報告した。

 

 ×××

 

 翌朝、何か寝苦しくて、円香は目を覚ました。なんだか少し暑い気がする。蒸し暑さとか、暖房がききすぎな暑さではなく、人肌があまりに近くにある時の暑さ。

 ぼやける視界が、少しずつ回復していく。それと同時に、思考も少しずつ戻っていく。

 ……というか、昨日、家帰ったっけ? 

 

「…………ぴえ?」

 

 声が漏れる。何故なら、目の前で寝ているのは、こちらに顔を向けて横になっている菅谷の顔。……しかも、一センチ近づけば口と口がくっつく距離。

 そして、何故か両手を繋ぎあったまま目を閉じている。

 

「……え、まさか……」

 

 何より気になるのは、自分の服装。ブラをつけてないまま、何故かワイシャツを着ている。

 節度を持て、という母親の言葉が高速で頭の中で渦巻いた。

 

 




何があったのか、次回に続く!
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