ワイシャツの下は白いTシャツ一枚。ノーブラだが、透けて胸が見えるようなことはなくて良かった、とひとまずホッとする。
いや、にしてもこの状況は普通じゃない。下半身はどうなってる? と思うと、脚はパンツだった。
「嘘……⁉︎」
真っ赤になって真っ青になってまた真っ赤になる、と愉快な顔色になってしまう……が、よーく見たら、足首の辺りにズボンが引っかかっている。自分のスエットではないため、菅谷のを借りて、緩くて落ちてしまったのだろう。
パンイチでなくて良かった……と、思いつつ、冷静に何があったのかを思い出すことにした。
──ー
──
ー
昨日、円香は夕方まで菅谷の部屋にいた。起きてから帰らないと、鍵を閉められないから。
だから、せめて目を覚ますまで待機していた。
「んっ……」
すると、寝ぼけたような吐息が耳に入る。菅谷が目を覚ましたようだ。
「おはよ」
「……マドちゃん……?」
「そう。よく寝た?」
「……」
身体を起こした菅谷は、ぼんやりした表情で円香の顔を眺める。寝ぼけてるのかな? と思ったのと束の間、その表情は徐々に赤くなり、そして唇に手を当てる。
「っ……ま、マドちゃん……さっき、チュー……」
「っ、お、覚えてるのっ……?」
つられて円香も真っ赤に染まった。完全に予想外だった。どうせ記憶なんて消滅するものだと……。
「……わ、忘れられるわけないでしょ……チューなんて、初めて……」
「いや、あんた散々キスしてるでしょ……」
「し、してないよ!」
「……」
ムカついた。自分……いや、自分と透にとっての初キスが忘れられてる、と言うのは割と腹が立つものだ。どんな形であれ、初めては初めてなのに。
ここは一つ、透の仇を打つためにも、スマホをいじり、画面を見せつけた。まずは、自分が頬にキスしてる写真。
「っ⁉︎」
「あとこれも」
トドメは、透がジャングルジムでキスしてる写真だ。一気に菅谷の顔は真っ赤になる。それと同時に真っ青にもなった。
「っ、お、俺は……なんて事を……! 二人の女の子に、手を出すなんて……」
「いや、出されてるんだけど。……別に、それはいいの。私も浅倉ももうお互いに何してるか知ってるし」
「…………へ?」
「……一応、言っとくけど、私も浅倉もそのつもりだから」
「その……?」
「今は、考えなくて良いけど……あとは、あんた次第だからね」
「……」
何せ、風邪ひいてる時に出す話題じゃない。下手したら上がってしまう。
「とりあえず、今は休んで」
「……う、うん?」
「じゃ、私帰るから」
「えっ、か……帰っちゃうの?」
「そりゃ帰るでしょ。泊まっていけって?」
「……そっか。もう18時か。こんな時間までありがとね……送って行こうか?」
「死にたいわけ?」
頼むから体調を考えて欲しい。そんなのこちらが頼めない。
……いや、それ以前に、だ。その寂しそうな表情の方が余程、堪える。なんでそんな顔するの、と狼狽えてしまう。
だが、親にも何度も言われている通り、節度が大事。今日は泊まりの予定なんてないし、下着はあるけど着替えもない。
「……じゃ、また」
「うん。またね。気を付けてね」
「……」
全然「気を付けてね」って顔をしていない。「置いていかないで」と言わんばかりの顔だ。気持ちは分かる。自分も菅谷にそれをやったのだから。
だが、ここは心を鬼にしなければ。気を強く持ち、鞄を持って部屋を出た。のんびりと歩いて、エレベーターのボタンを押す。
……ソワソワする。どうしても気になる。あのバカの事が。いや、でもだから節度だから。ダメなもんはダメだから。一人暮らしなのに風邪だと大変とか、そんなの関係ないから。
「……」
一階に到着し、歩いて外に出る。駅に向かってのんびり歩いている時だ。ポツっと鼻の頭に水滴が落ちる。
「……は?」
空を見上げると、雨が大量に降り始めた。
この量……濡れ鼠になる。いや、というか電車に乗れない。仕方ないので、一度マンションに引き返した。いやホント仕方ないからだから。
なんて言い訳くさく考えながらマンションまで引き返していると、スマホが震えたことに気付いた。
「?」
菅谷からだ。
LIKA☆『傘いる?』
LIKA☆『ベランダから落とそうか?』
……本当に何処までも人のことばかりだ。風邪であることを理解した上での提案だろうが、そんな真似したら下にいる人が……いや、菅谷の演算力なら割となんとかなりそうだが、それでも傘が壊れ……いや、開いたまま落とせば何とか……。
……なんにしても、服がずぶ濡れだし、着替えないと帰れない。……帰れなくて良いのでは? なんて一瞬、思ったが、節度である。
樋口円香『部屋まで戻るからいい』
それだけ返して、マンションまで戻った。下着は部屋にあるし、服を借りて帰れば良いだろう。
びしょびしょになりながら、服を絞って水気を取る。今日のために着てきた服も台無しだ。
だが、不思議と悪い気分ではない。ナンバーを押し、菅谷を呼び出す。
『もしもし?』
「服、貸してくれない?」
『……うん』
自動ドアが開く。なんだか決意が揺らがされた気がした。せっかく帰ると決めたのに、もう降られるなんて。
エレベーターに乗り込み、15階まで上がる。
そして、到着するなりインターホンを鳴らした。玄関が開けられると、菅谷が立っていた。
「おかえり」
「すぐ帰るから。服借りたら……んっ」
「……帰らないで」
「……え?」
「……ごめん。ホントに情けないと思うんだけど……一人だと、いやだ」
「……」
……困った。ホントに。こんな風にお願いされると、断り切れる自信がない。
「……リカ」
「まだ……プレゼントも、渡してない……」
「っ……」
理由までつけてきた。そんなの、もらってから帰れば良いだけの話なのに。
……ダメだ。断れない。自分が菅谷の立場だったらどう思うか、それを考えると、断る選択肢は薄れてしまう。
「……お母さんと浅倉に電話してみる」
「……ごめん。困らせて」
「まったくだから」
言いながら、円香はスマホを取り出した。
×××
許可をもらった。母親と透から。後者には羨ましがられ、母親には「節度を持って」と毎度言われることを念を押された。
さて、とりあえず大急ぎで外に干してある洗濯物を室内に干し、着替えをしないといけない。タンスを開けると、少し驚いてしまった。ズボンは複数あったが、上に着る物が白いTシャツしかない。
「……リカ、洋服ないの?」
「洗濯中かも……」
外に干してある洗濯物はまだ乾いていない。困った。
「あ……ワイシャツならある、けど……」
「……それ着ながら寝ろって?」
「……だよね」
「貸して」
「え?」
「それしかないんでしょ?」
彼シャツ、というやつだ。……白いTシャツがなければ、寝る前はノーブラでこれをつけることになってたと思うと、少し恥ずかしい。
「……じゃ、シャワー浴びてくる」
「うん。俺は……」
「寝てて」
「は、はい……」
泊まるからには、明日までに治させないといけない。元々、寝てないとダメなのだ。
菅谷がソファーに向かったのを確認しつつ、円香は洗面所に入る。
借りた洋服を近くの棚の上に置くと、まずは上半身から脱ぎ始めた。カーディガンを脱ぐと、もう洗濯しないとダメそうなので、洗濯機の中に入れた。
続いて、タイツとスカート。紫のパンツが露わになり、少しだけ恥ずかしくなる。ここは菅谷の部屋のお風呂場。ちょっとだけ抵抗があったり……というか、洗面所に鍵がないのが少し気になってしまう。
「……」
続いて、上半身。Tシャツを脱ぐと、その下はもう下着だ。紫色の下着が露出する。
ふと、鏡に映った自分を見る。……別に小さいわけではないだろう。高一なら平均レベルのはず。しかし、透や雛菜を見ていると、やっぱり小さいのでは? なんて思ってしまう。特に、雛菜。アレ絶対中三のサイズじゃない。
……菅谷は、どんなのが好みなのだろうか? いや、あいつの事だし、前の水着の時みたいに「外見と中身がマッチしてれば」とかなんとか言い出して褒めるだけな気が……。
「……ん?」
いやいや、待て待て。それでもし自分が褒められたら「マドちゃんの性格なら慎ましやかな方が良いよ」とか言い出すつもりか? どういう意味だそれ。
……なんか、腹立ってきた。
と、今はそれよりもシャワーだ。裸でぼんやりしていたら、こっちまで風邪をひく。
下着も外し、お風呂場に入った。まずはシャワーからお湯を出す。サァーッと頭からお湯を浴びつつ、目を閉じた。この季節のシャワーは心地良いものだ。
「……」
しかし、二人でお泊まりか、と円香は少し頬が赤くなる。今まで、もうそういう行為に走ってもおかしくない状況になりながらもならなかったのは、三人一緒だったからだ。
三人だからなんでも出来る気がしていたが、三人だからできないこともあったわけだ。
……だが、今は二人きり。風邪をひいているから菅谷から何かをしてくることはないだろう。……つまり、円香次第という事だ。
「……はぁ」
チャンスと捉えるべきか、こういう行為はやはり逆に三人揃ってからの方が良いのか……いや、そんなの後者に決まっている。あとは、己の理性次第だ。
おそらく、菅谷は自身の色気を抑えることなんてできない。風邪引いてるんだから。
だから、円香は強く気を引き締めることにした。
「……大丈夫」
節度を持つ。それが大事だ。……でも、実際、何歳になったらそう言う行為に臨んで良いのだろうか? そういう決まりがあるわけでもあるまいに。
「っ……」
またなんか屁理屈みたいなことを考えてしまった。ダメだ、一人でいると変な事考えてしまう。
さっさと全身を洗って、湯船でゆっくりしてから上がることにした。
お風呂から出ると、こちらに置いてある自分のバスタオルを取って体を拭く。それを終えると、円香はまず下着を……。
「あっ」
下着、部屋から取ってくるの忘れた。どうしよう、と冷や汗を浮かべる。……いや、菅谷はソファーの上で寝てるはずだし、自分と透の部屋に行くくらい、すぐだ。
……でも、裸のまま彷徨く勇気はないので、服を上から着る。まずは上から白のTシャツを羽織り、その上からワイシャツを着る。袖も裾も襟も、全体的に長い。ズボンがいらないと言うわけではないが、普通にミニスカートくらいの長さはある。
しかし……中三の時は菅谷もそんなに背が高いわけではなかった。が、いつの間にかワイシャツのサイズも随分と差が開いたものだ。
改めて異性ということを実感しそうになったが、実感してはまた変な気分になって来るので、すぐに目を離した。
……が、その先にあるのは鏡。自分を客観視することができるガラスだ。
「……っ」
彼シャツ……思った以上にえっちな格好かもしれない。下にTシャツを着ている、とか関係ない。裾が長いお陰で見えていないとはいえ、パンツを履いていないのなら尚更だ。
恥ずかしくなったので、さっさとパンツを取りに行こう、と思い、まずはスエットを履こうとズボンに手を伸ばす。が、そこでまた手が止まった。
男のズボンで直パンは割と恥ずかしいかもしれない……。なんというか……これはもう感性の問題だろう。円香的には恥ずかしい。
「っ……」
いや、しかし履かないとパンツを取りに行けない。パンツがないと、菅谷の部屋でノーパン生活である。それは絶対に嫌だ。
仕方ない、ここは我慢してノーパンで取りに行く。いやズボンは履くが。そう決めると、ズボンを履いた。
「スースーする……というか、緩い……」
まぁ、ウエストが違うから仕方ない。紐がついていればまだマシだったが、残念ながらゴムだ。
とはいえ、ポケットに何かものを入れなければずり落ちるほどではない。さっさと隣の部屋に入り、パンツを履き替えた。
なんで着替えひとつでこんなにドギマギしないといけないの……と、思ったが、簡単だ。異性と一つ屋根の下、泊まりだからである。
「はぁ……」
いや、だがこれからだ。ちょっといつもと違う感じから、変な気分に陥りそうにはなったが、まだ仕事はある。特に、菅谷の身体を拭いてやらなければならないのは大仕事だ。
「ふぅ、よし……」
気を落ち着かせ、リビングに入った。中に入ると、菅谷はパジャマのボタンを止めているところだった。
「……リカ、何してたの?」
「え……? 身体拭いてた。マドちゃんに……頼りっぱなしは嫌だから……」
「……」
残念なんかじゃない。全然、残念なんかじゃない。
×××
その後、食事を終えて、いよいよ就寝。夜くらいはソファーで寝かすわけにもいかないので、ベッドに移動させた。
布団をかけてあげると、円香はそのままベッドの横に腰を下ろす。
「眠れそう?」
「……うん。へくちっ」
「……寒いの?」
「平気……」
「……じゃないでしょ」
どうにかしないといけないが……布団を増やす? いや、もう増やせる分は増やしてある。湯たんぽでもあれば良いが……多分なさそう。
……。
………。
…………。
一応、思いつきはした、が……いや、これはさすがに節度に引っ掛かる気がする。他の方法を……と、考えている時だった。
「あ……そうだ……」
「何?」
布団の中から手を伸ばし、ベッドの横に置いてある鞄に手を伸ばした。そして、チャックを開けて何を出すかと思ったら、差し出されたのは小さなプレゼントの箱だった。
「……はい、これ……」
「なんで今?」
「ご、ごめんね。ムードもへったくれもないけど……思い出しちゃったから……」
手渡され、円香は中を開ける。中に入っていたのは、イヤリングだった。ただし、穴を空けるタイプではなく耳たぶに留めるタイプ。ニホンヤモリの形をしている。
「これ……」
「ホントは俺もお揃いで買ってたんだけど……つけてくるの忘れた」
そう言う通り、机の上に別の色のヤモリのイヤリングが置いてあった。ヤモリのイヤリングなのに、気持ち悪さとかを一切感じさせないどころか、愛嬌があるデザインになっていた。
「気に入らなかったら付けなくても良いけど……多分、似合うと思うから。大事にしてね」
「……ホントバカ。あんたからもらったもの、気に入らないわけないでしょ……」
……ヤバい。泣きそうだった。わざわざ、自分に似合うものを選んでくれただけでなく、おそらく「菅谷がつけて欲しい」と思うものを含めた最大公約数を選んでくれた辺り、もう爆発寸前だ。
だが、泣かない。ちょっとだけ、やっぱり悔しいから。何とか堪えて、泣きそうな顔を見られるのを隠すように、それを開ける。
そして、耳に着けてみた。
「……どう?」
「うん……やっぱり、綺麗……」
「……バカ」
照れ隠しであることは、菅谷にも伝わっていた。本当はしばらくつけたままにしたいが……そうもいかない。寝ながらつけていたら、無くしてしまうし、壊してしまうかもしれない。
「……ありがと。大事に使う」
「ん……」
笑みを浮かべてお礼を言いながらイヤリングを外すと共に、決心した。やっぱりここまで想ってくれている相手が寒がっているのなら、暖を取るのを協力するのはもはや義務だ。
イヤリングを机の上に置くと、ベッドの上に腰を下ろした。
「リカ、少し詰めて」
「え?」
「……寒そうだから」
「……端っこで寝ると暖まるの?」
「人肌の抱き枕、いらないなら退くけど?」
「……ぴょえ?」
もうこのリアクションは今日だけで何度目か。だが、この機会、逃すのは勿体ない。
「ほ、本気……?」
「勿論」
「で、でも……」
「えっちなこと、する気?」
「そ、そんなことは……」
「なら、人命優先でしょ。……それとも、寒がってるあんたを、私に見捨てさせる気?」
そんな風に質問されたら、もう菅谷に断る術はなかった。無言のまま、端の方による。一人用のベッドだからか、狭そうだが、細身の円香なら入れそうだ。……いや、無理すれば三人いけるか。
布団の中に入り、円香は菅谷の方を向く。が、菅谷は背中を向けてしまっている。
「……男は背中で語るって奴? 真っ赤な耳が隠れきれてないけど」
「……でも、風邪うつしちゃう」
「照れを隠すための言い訳でしょ、それ。……それに、リカの風邪なら、移っても平気だから」
「……」
すると、モゾモゾと布団の中で動いて、円香の方を見た。至近距離で顔と顔が向き合う。菅谷だけでなく、円香の頬も赤い。二人の差は、余裕の有無だった。
「……リカ、顔真っ赤」
「……マドちゃんこそ」
「……まだ、寒い?」
「むしろ……その、熱い……」
「でしょうね」
「……でも、とおるんだけ仲間外れなのが……少しだけ引っ掛かる、かな……」
「……リカは、私か浅倉か、選ぶつもりあるの?」
「え? な、ないけど……選んだ方が良いの?」
「ないなら、何も悪くないでしょ。……後日、浅倉にたっぷり構ってあげれば良いんだから」
「……そう、なのかな……」
どうやら、自分と透以上に二股の負い目を感じているようだ。まぁ、それはそうだろう。実際、周りに知られたら、一番責められるのは菅谷であり、そして迷惑がかかるのは菅谷の父親だ。
まぁ、その辺の決心がついたら言ってくれれば、円香も透もいつでも構わないつもりだ。……あんまり遅くならなければ。せめて、大学受験するまでには返事が欲しいものだ。
すると、菅谷がまた少し困ったように言い始めた。
「……でも、どうしよう……かえって眠れそうにない、かも……」
「……」
それは少し本末転倒な感じがある。仕方ない、と円香はため息をついた。
「リカ、まだ鳥肌立ってる」
「え?」
「もっと、こっちに寄って」
そう言った直後、円香は菅谷の方へ身を寄せた。胸板に、頬を寄せる勢いで。
頭頂部がちょうど、菅谷の顎の下に収まる。鎖骨少し下に当たっている耳が、爆速で動いている心臓を捉える。
「っ、ま、マド、ちゃ……」
「おやすみ、リカ」
「…………ぴゅほ」
失神した。これで菅谷も眠れたはず。後は、自分も眠るだけ……。
─
──
───
そうだった。深夜テンションでつい、添い寝なんてしてしまったのだった。自分の大胆さ、そしてムッツリさに嫌気がさしてしまう。
……いや、改めて考えても恥ずかしい。昨日の自分のテンション。いやほんと何考えて生きてんの自分。馬鹿なの? 死ぬの?
「っ〜〜〜……うう〜……」
言えない、これはいくらなんでも誰にも言えない。いや、でも透には言わないといけないのだ。……なるべくオブラートに包んで言わないと、嫉妬で拗ねられるかもしれない。
そんな時だ。スマホが震える音が耳に響く。
「っ、電話?」
とりあえず、応答しようと手を伸ばした。大丈夫、許可は取ったはずだから。
そう思い、応答して耳に当てる。相手は透だった。
『もしもし?』
「も、もしもし……浅倉? どうしたの……こんな朝早く……」
『え?』
「え?」
『……なんでリカのスマホにかけた電話に、寝起きの樋口が出るの?』
「え? ……あっ」
慌ててスマホを見ると、菅谷のスマホだった。
思わずスマホから耳を遠ざけてしまう。
『ねぇ、もしもし? もしかして一緒に寝てた? ちょっと』
「……リカ、電話。浅倉から」
「んぅっ……まどちゃん……?」
『聞いてる? まさか……ヤったの? 私そこまで許してないんだけど』
「たんじょうび、おめでとう……」
「……」
そこじゃない、嬉しいけどそこじゃない、と円香は真っ赤になった顔を隠すようにしながら呟く。
『……おめでとう、樋口』
透も釣られて言っちゃうし。やっぱり基本的には良い人達だ。
とりあえず、照れを誤魔化すように、円香はスマホを菅谷に手渡す。
「電話」
「まどちゃん……さむい……暖めて……」
「は?」
『は?』
寝起きとはいえ、本当に色んなものを爆発させるのが上手い男である。
寝惚けた様子のまま、菅谷は身体を半分だけ起こしている円香の袖を引っ張り、自分の胸元に引き寄せた。
「ちょっ、リカ……!」
「ん……あったか……」
「やっ……ちょっ、ダメだって……浅倉透とッ、電話してるのに……!」
抱き枕にされ、昨日と違うテンションの円香は抵抗しようとするが、不思議と抵抗する気概を起こせない。出来るのは、抵抗のフリばかりだ。でも、このままだと本当にマズイ気がする菅谷の汗の匂いすごい。
そんな時だった。
『樋口。今からそっち行くから』
「り、リカ……離れてってば……!」
「良い匂い……」
『……(ブツッ)』
電話が切れた。ヤバい、と円香は大量に焦りを浮かべる。声で分かる。透、ブチギレてる。何もえっちなことはしていないと説明はするが、信じてもらえるだろうか? 菅谷の胸が至近距離すぎてヤバい。
「お、起きないと……浅倉来るって言うし……で、でも……」
このホールドされた状態から抜け出せる気がしない。……というか、このままだと本当にマズい。寝癖だらけの顔を菅谷に見られる(混乱による今更感の喪失)。
「り、リカ。起きないと……」
「ん……?」
薄らと目を開ける菅谷。今がチャンスと思い、声を掛けようとする前に、菅谷が抱きしめている自分の顔に手を当てた。
抱擁されるように顔に触れられたと思ったら、親指で目尻をなぞられる。
「ふふ……まどちゃんの目やに、超レア……」
「ーっ……」
恥ずかしい……恥ずかしいはずなのに、抵抗出来ない。幸福感で満たされてしまっている。
……もう、菅谷がちゃんと起きるまで、為されるがままでも良いかも……なんて思った時だ。顔に触れていた菅谷の手が動いた。
「布団から出そうだよ……もっと、こっちおいで」
「っ……ぅ、ぅん……」
結局、流されるがままになろうとした時だ。その動いた手は、円香の太ももに当てられる。……まだズボンを上げていない生の太ももに。
直後、一気に円香の意識は覚醒した。いや、円香だけでなく菅谷もだ。
「ん……? 何、この感触……?」
「っー!」
「……中にナマコのフィギュアでも混入しちゃったかな……」
そう言いながら布団の中を覗こうとしたので、それを円香は手首を掴むことで慌てて止める。
「ッ、な、何……?」
「……中、見たら、殺ス……」
「え?」
「……これは、私の落ち度だから……触った事は、水に流すから……」
「え、まさかこれ、太も……」
「喋らないで……!」
「っ」
黙らせると、円香は布団の中で身体を丸めてズボンのゴムに指を掛け、腰まで持ち上げる。
「……なんか、ごめん……」
「……いい。私の方こそごめん……」
何もしていないのに、ナニかした後のように気まずくなっていた。
×××
「ふーん……で、つまり何もしてないけど、一緒に寝た……と?」
「「はい」」
15分後。時空を越えたとしか思えない速さで透が来て、風邪が治った菅谷と、アレだけ近距離にいて風邪が移らなかった円香は正座させられていた。
「……隠し事は何一つないから」
「それはそれで問題なんだけど」
「え?」
どう言う意味? と、円香が片眉を上げると同時に、透は突然、本音をぶちまけた。
「……羨ましい」
「え?」
「私、リカに誕生日、そこまでしてもらってない」
その表情は、透らしくなく眉間に皺を寄せ「む〜……っ」と唸りそうに唇をへの字型に曲げていた。
当時は透にも自覚はなかったし、それに菅谷も風邪を引いてなかった。
「いや、そこまでするも何も……むしろ色々してもらってたのは俺の方なんだけど……」
「リカは黙ってて。バカなんだから」
「バカなんだからって……」
あまりにも自然な言い様だが、円香は何も言わずにスルー。
透の気持ちも分かる。こればっかりは先に誕生日が来る人の損というべきか。仕方ないからこそ納得いかないことだってある、ということだ。
仕方なさそうなため息をついた円香は、そのまま提案した。
「じゃあ、浅倉もしたら? 同じこと」
「……良いの?」
「私は良い。……リカは?」
「良いけど……今日? マドちゃんの誕生日は?」
「それは勿論、やるから。別の日」
「ハロウィンでも行ってきたら?」
「良いね。行こっか。リカ」
「……マドちゃんは、良いの?」
「私が行ったら何の為か分からないでしょ。……それに正直、私はああいうの好きじゃないし」
身内で仮装するならまだしも、仮装というよりコスプレ大会に近いアレは好きではない。
「……わかった。じゃ、行こっか。とおるん」
「衣装、今から間に合うかな?」
「そこまでしなくても良くない? もしくは、軽くローブと帽子だけ被ればそれっぽくなりそうだし」
「なるほど……あ、じゃあハリポタのグッズ買おっか」
「わお、手頃。でも高そう」
「浅倉。写真、よろしく」
一応、これで丸く収まりはした。
その事にホッと胸を撫で下ろしていると、透が円香の顔を眺める。そして、耳たぶに手を当てた。
「……これが、誕プレ?」
「そう。……変?」
「……ううん。良かったね」
透が「変じゃない」と言うなら本当の事なのだろう。円香は胸をホッと撫で下ろしつつも、自分も耳に手を当てる。改めて触れても、昨日の嬉しさが込み上げてくる。
「じゃ、帰ろっか」
「ん。……正直、色々疲れた」
これでは、まるっきり朝帰りだ。ため息をつきながら、円香は透と一緒に玄関へ向かう。
「マドちゃん」
その円香に、菅谷が声を掛けた。
「看病してくれて、ありがとね」
「……んっ」
ありがとう、当たり前の一言なのに、こんなので嬉しくなってしまうあたり、やはり自分はチョロい女なのかもしれない。
そんな事を思いながら、円香は透と帰宅した。