日々、変化するのは人間関係も。
三月。それは出会いと別れの季節。まぁ別にそれは透と円香と菅谷にとって大した問題でもないのだが。来るもの拒まず、去るもの追わずの三人であって、友達を作ることも向こうから来るなら全然応じるつもりだったが、高二から関係が加速した三人の間に、入ろうとする人が少なかった。というか、雛菜と小糸しかいなかった。
さて、まぁそれはともかく、だ。三人はとある一軒家の中に来ていた。周りには、ダンボール等に入った荷解き前の荷物が大量に置かれている。
その部屋の中を、浅倉透と菅谷明里は物珍しそうな顔で見回していた。
「うおおー、久しぶりの一軒家ー」
「感慨深い感じ?」
「そりゃもう。めっちゃ深い。あれ……マリアナ海溝くらい深い」
「わお、めっちゃ深い奴じゃん」
「そう、めっちゃ深い」
「中身のない会話してる暇があるなら、さっさと荷解きして」
円香がバカ達の会話を打ち切る。そして呆れ気味にため息をつきながら、続けた。
「言っとくけど、今後シェアハウスで暮らす以上、あんたら今までみたいに暮らせると思わないで」
「「……」」
それを言われて、二人とも少し頬を赤らめて目を逸らす。
「何照れてんの?」
「……や、なんか……」
「三人しかいないシェアハウスって……早い話が、同棲だよねって……」
「……まぁね」
浅倉透、樋口円香、菅谷明里、三人とも今年の4月から大学一年生。三人が二股カップルとなってから、二年が経過していた。
ピュアっぷりは相変わらずで、少しだけ照れているように……いや、よーく見ると透は「あんなことやこんなことが起こるかも……」と妄想していたが、とにかくモジモジしている二人に、円香は言った。
「特に透。夕方からレッスンだから、さっさと準備して」
「あ、そっか」
「今日のレッスン、プロデューサーも見に来るって」
「あれ、今日だっけ? じゃあ、さっさと終わらせないと」
「……」
そして、透と円香はアイドルになっていた。
円香に続いて透もテキパキと動き始め、明里も仕方なく荷解きを始める。残念ながら、引っ越しの日だからって都合良く休みを取って丸一日、使える余裕は、三人にはなかった。
「じゃ、俺飯作って待ってるから」
「よろしくー」
「カップ麺とかやめてね」
「そんな事しないよ。とおるんとマドちゃんの体調がかかってるんだし」
「私はするけどねー」
「それ、やった数だけ次の日の透のおかず減らすから」
「えっ、円香冷たい」
「うるさい」
話しながら、三人でダンボールを開放していった。
×××
樋口円香と浅倉透がアイドルになったきっかけは、偶然だった。高二の夏頃、283プロのプロデューサーに透がスカウトされ、アイドルになることを承諾。マジギレした明里と円香が、後になって283プロにカチコミをかけ、スカウトしたプロデューサーを明里が背負い投げし、円香がその明里を羽交い締め。
プロデューサーも社長もバカみたいに良い人で、仮にも芸能界の事務所同士での裁判になってもおかしくないところを話し合いの席を設けてくれて「決めるのは本人の意思じゃないの?」と言う話になり、透に委ねられる。
で、透はといえば「芸能界でもリカを守る良い機会」というのが理由の8割を占めていた為、円香にもその事情を説明し、巻き込む形でアイドルになると言った。
それでも納得しない明里だったが、そこは円香が手腕を発揮。とりあえず、試着という形でアイドルの衣装を試着。
それを見た直後、鼻血を出しながらも「いや、でも肩出てるし、他の男に見られるのは……」とバカ強い理性がガッツを発動してきたので、ダメ押しでプロデューサーが「売れれば彼女達オーダーメイドのさらに綺麗な衣装も見られるよ」の一言で陥落した。
で、なんやかんやで今に至る。幼馴染の雛菜、小糸も含めた四人でユニットを組み、順調に活動していた。
「ふぅ……疲れた」
「プロデューサー、どうだった?」
ダンスレッスンを終えて、円香は小さくため息をつき、透はプロデューサーに声を掛けた。
それを見て、雛菜と小糸も声を上げた。
「あは〜〜〜♡ 雛菜のことも褒めて〜〜〜」
「わ、私はっ……褒められるまでもないと思いますけどっ!」
「ああ、三人とも……いや、円香もカッコよかったぞ!」
「……それはどうも。ミスターワンパターン」
嬉しくないわけではない……が、どちらかというと苛立つ円香。正直、自分のプロデューサーは好きではない。人間的な欠陥があるわけではないが。
「もう少し具体的な感想は述べられないのですか? 何の参考にもならない意見を寄越すのは三歳児でも出来ますが」
「あ、あはは……相変わらず、いやいつもの三倍くらい手厳しいな……」
「円香先輩、ツンデレだから〜」
「は?」
「それはそうかも」
「ぴぇ……」
「その男に限って私がデレたことなんてないでしょ」
「あ、そうそう。参考になるかは分からないけど、円香。今日のレッスン、少し力が入りすぎてなかったか?」
「……以後、気を付けます」
「やは〜♡ プロデューサーが見に来てたから〜?」
「違う。あり得ない。200%」
「そ、そこまで否定しなくても良いんじゃないか……?」
不機嫌そうに言う円香の頭の中は、明里のことでいっぱいだった。……と、いうのも、荷解きの最中、なんか静かだと思って様子を見ると、虫の図鑑を読み耽っていたのだ。
罰としてリビングに置く細かい家具の設置を帰ってくるまでに終わらせてなかったら、耳にドライバー入れると言って出て来た。
本当に好奇心が一番強い男は困る……と、思いつつ、ため息をついた。
「私、先にシャワー浴びて着替えます」
「あ、ああ。お疲れ様、円香」
それだけ話して出て行く円香。その背中を眺めていると、プロデューサーのスマホが鳴り響く音がする。
「? あ、社長が呼んでる。悪い、俺も行くから! 思ったことは、後で資料にしてまとめとくから、目を通してくれよ!」
「あ、ありがとうございます!」
「あ、やばっ。飲み物、空だ」
「じゃあ、雛菜のスポドリあげる〜♡」
「ふ、二人とも……ちゃんと挨拶しないとダメだよ……!」
そのままプロデューサーも出て行った。相変わらずのマイペースであったが、少し嬉しそうな表情を浮かべる透に、雛菜が聞いた。
「透先輩〜、なんか円香先輩、機嫌悪くない〜?」
「え? あー……そうかも?」
「な、何かあったの……?」
「まぁ、普通にリカ関係」
「あ、そ、そういえば……今日、三人引越しの日、だっけ……⁉︎」
「うん」
「やは〜〜〜♡ 雛菜も行きたーい」
「あー……じゃあ、来る? 小糸ちゃんも」
「え、い、良いの?」
「うん。みんなでご飯食べよっか」
「やは〜〜〜♡」
「じ、じゃあ……お邪魔しようかな……!」
なんて、誰に相談することもなく勝手に決めながら、三人でシャワールームに向かった。
×××
シェアハウスは大学の近くを選んだため、事務所までは電車移動。円香と透は、雛菜と小糸を連れて家に向かう。
「……二人とも、来るのは良いけど、あんま部屋は片付いてないから。あと、今日の晩ご飯はリカの担当だから、その辺は期待しないで」
「明里先輩、料理下手なの〜?」
「いや、博打に近い。たまに気合を入れると空回りする」
「ね。去年のクリスマスに作ってたクワトロフォルマッジでリカの部屋のオーブン、チーズまみれになったしね」
「今日は引っ越してきた日だし、十中八九やらかしてるから」
「ぴぇ……」
二人とも、ゾクッと背筋を伸ばす。
ちなみに、高校にいた間に小糸や雛菜と交流はあったので、円香か透がいる時に家に上がるくらいは問題ない。
意外だったのは、小糸が意外と明里と話せた事。小糸が年上の異性と話せるとは思っていなかったが、まぁ明里のすっとぼけた性格に救われた形だ。
恋人になってから、さらに余裕が生まれた円香と透は、正直、小糸と雛菜が明里と仲良くするともっと不愉快に感じるものだと思っていたが、思いの外、嫌ではなかった。まぁ三股や四股を許すわけではないが。
むしろ、仲良い人達が仲良くしてくれるのは、少し嬉しかった。だから、急な話だったのに、二人が家に来ると聞いても「五人で仲良くできる」のが嬉しかった。
円香が鍵を開け、透が挨拶する。
「はい」
「ただいまー」
「明里先輩〜」
「お、お邪魔します……!」
中に入ったが、暗かった。電気がついていない。出掛けたのだろうか?
「あれ〜? 電気ついてないよ〜?」
「ほんとだ。虫の観察にでも行ったのかな」
「ぴえっ⁉︎ よ、夜に⁉︎」
話しながら、呑気に家の中に上がる。電気をつけると、机の上に一枚のメモ用紙があった。
『急な撮影が入ったので行ってきます。カレー温めて食べてください。PS.チェインではなく書き置きを残したのは、やってみたかったからです』
そのメモ用紙を、後ろから三人が覗き込んだ。
「あー、なるほど」
「あ……そ、そっか。明里先輩もモデルさんだったね……!」
「カレーなら不味いって事ないでしょ〜」
そんなセリフが漏れた直後、円香はメモ用紙を握り潰す。思わず小糸が「ぴぇっ⁉︎」と悲鳴をあげるほどの圧を放ちながら。
「……そう言うことはチェインで言えっつーの……!」
これでは、頑張り甲斐がない。せっかくの三人暮らし初日なのに。
その横で「近くにいたらやばい」といち早く判断した透が言った。
「雛菜、カレーあっためるから、手伝って」
「はーい」
「小糸ちゃん」
「な、何?」
「円香の相手よろしく」
「わ、私が⁉︎」
実に身勝手に、小糸に一番面倒な女を押し付けた。
×××
さて、それから約二時間後。小糸と雛菜を駅まで送り、透と円香だけ残っている家の中。
洗い物を終えて、円香は透と一緒にテレビの前のソファーで寛ぐ。
「小糸ちゃん達、来てくれてよかったね」
「まぁね」
それは事実だ。いなかったら、もっとテンション下がっていただろう。
「カレーは美味しかったのにね」
「まぁ。雛菜と小糸にも好評だったし」
「というか、よかった。気合入ってなくて」
「それは私も思った」
話しながら、テレビの角に表示されている時刻を見る。もう21時を経過していた。
「……遅い」
「ね。せっかくの初日なのに」
「連絡も出来ないわけ? あいつ」
「もしかしたら、珍しい蝶でも追いかけてるんじゃない?」
「本当にお花畑に行きたいのかも」
「よし、ドッキリやろう」
「……何する?」
ここは一つ、脅かしてやることになった。さて、どうやって驚かすか、が問題だ。ホラーも虫も効かない鈍感バカを驚かすのは……。
「ね、円香。良いこと思いついた」
「? 何?」
「レズセ○クスしよう」
「…………は?」
×××
「あー……疲れた」
撮影を終えた明里は、帰宅してきた。慣れない一軒家の前に立ち、鍵を使って中に入る。
「ただいまー……あれ?」
なんか、電気がついていない。というか、リビングの電気だけ豆電でついていた。
「なんだろ……」
気になったのでその部屋に向かうと「ひゃっ……」という、やけに色っぽい声が聞こえてくる。円香の声だ。思わず、明里の頬も赤く染まる。
「っ、ちょっと、透……」
「どうしたの? 円香」
「もう少し、優しく……」
「優しくされても、嬉しくない癖に?」
「っ……そ、そんなわけない、んんっ……!」
「ふふ、気持ち良さそうじゃん。さっきより……激しくシてあげたのに」
何をしているのかすぐに理解した明里は、思わずリビングの扉を開けてしまった。
「マッサージしてるなら手伝うよ!」
「「なんで分かるの!」」
「ブハッ!」
二人がかりで投げつけられたクッションが、顔面と腹部に直撃した。
「男ならそこは妄想してくれない?」
「勘違いしてくれないとならないでしょ。ドッキリに」
「……なんの、話……」
そのままガクッと力尽きそうになるのを堪えつつ、明里は立ち上がる。それと同時に、リュックから袋を取り出した。
「あ、それよりさ、初日なのに急に出掛けてごめんね。これお詫びにプリン買ってきたよ」
「……」
「……」
それを見て、円香は心底、思ってしまった。
この男、ほんとに狡い。こういうとこだほんと。無意識にやってるそう言うとこ、ほんとそういうとこ。
だが、長く付き合っていれば、それだけ耐性も出来る。つまり、簡単には誤魔化されない。
「モノで釣ろうとしないでくれる? ミスター二股男」
「やった、ラッキー。わ、種類めっちゃあるし」
「好きなの選んで良いよ」
「……」
しかし、もう一人のバカ馴染みは籠絡されていた。お陰で、簡単には許さないとか意地張ってた自分が馬鹿らしくなる。
「マドちゃんはどれが良い? いちごはとおるんに持っていかれちゃったから、ミルクか抹茶」
「……」
でも、このまま素直になるのもむかつく。せめて、困らせてやる。
「いちご」
「え? や、それはとおるんが……」
「いちご」
「うん、だから繰り返されても……」
「いちご」
「……」
困った様子で、明里は隣の透を見る。が、もういちごのプリンを食べ始めてしまっていた。
「……コンビニまで買いに戻らせていただきます……」
「ん。じゃ、待ってて。上着だけ取ってくる」
「え、来るの?」
「プリンはおまけでしょ。私、元々あんたがあんなふざけた書き置き残して何時に帰ってくるかも連絡しなかったことに怒ってるから」
「あ、そ、そっか……ごめんね?」
「は? 謝るなら一人で行く前提で出掛けないでくれる?」
「う、うん……え、えっと……」
「……コンビニまで行くのに同棲してる彼女一人、誘えないわけ?」
「あ、じゃあ……一緒に行こっか……」
「はい、よく出来ました」
良い感じに困らせてやることが出来て、澄ました顔はしていても内心はホクホクであった。
「とおるんも来る?」
「んー……私はいい。メンドい」
「あ、うん。わかった」
その返事は円香にとっても意外だった。てっきり、来るものだと。
二人で玄関を出て、コンビニに向かう。実際、まだ越してきたばかりなので、少しこういった夜間に、ぶらぶら外出することに慣れておきたいと言うのもあった。
外に出ると、明里が円香の手を横から握る。こう言う恋人っぽい仕草にはいい加減慣れてきてくれて、正直嬉しい。
「もう3月後半なのに、まだ少し肌寒いよね」
「そういう理由で手を繋いでるなら、今すぐに離して」
「そんな事ないよ。マドちゃんと繋がりたいから」
「……なんでえっちな表現するの」
「え、今のえっちだった? どの辺が?」
「蹴るよ」
「ご、ごめんなさい……?」
本当はなんで謝ってるのか分かっていない癖に。まぁ、未だにこの汚れのなさは良いとこでもあるのだが。
高一から高三にかけて、明里はさらに背を伸ばした。おかげで、三人の中で一番背が低い円香は、菅谷の脇の下辺りまでしかない。
だから正直、腕組みの方が楽なのだが、今日は明里から手を繋いでくれたので、手繋ぎのままが良い。
「そういえば、どうだった?」
「何が?」
「今日、プロデューサーさんがレッスン見に来てたんでしょ?」
「……ああ。別に私はいつも通りだけど」
「マドちゃんのダンス、綺麗だからなぁ……セクハラされたら言ってね。山嵐かましに行くから」
「どんな理由があってもそれやりに行ったら別れるから」
「じ、冗談だから……」
「あんたがプロデューサーに背負い投げした時も割と別れてもよかったんだから、その手の冗談やめて」
「ご、ごめんなさい……ちゃんと父ちゃんに連絡して社会的に抹殺にします……」
「ん、よろしい」
あの時の明里はまだ若く、頭に血が上って一直線だった事と、自分が「透がアイドルになるかも」と教えたことと、普通に別れたくなかった事を踏まえて別れなかったが、自分や透がきっかけで明里が犯罪者になるかもしれないなら、別れる覚悟はある。
「とおるんは?」
「透もいつも通りだったけど? ……いつもより集中はしてたかもだけど」
「とおるん、集中力すごいからね。……集中できたときは」
「……大学受験は苦労したよね」
「本当に……」
ちなみに、三人とも同じ大学だが、明里だけ学部が違ったりする。本当は同じ学科に誘われたのだが、流石に円香には生物学部は無理だった。
というか、割と将来、やりたいことが決まっている人でないと生物学部は無理なので、透もついて行ったりはしなかった。
「でも、とおるんも飲み込みは早いから良かったよ」
「あんたは推薦で受験もしなかったしね」
「理科系、小中高全部満点は伊達じゃないよ」
「本当に伊達じゃないのがムカつく」
と言うか、気持ち悪くさえ思うが、まぁ勉強ができる事自体は悪い事ではないので、ここは何も言わない。
「ていうか、あんたこそどうだったの?」
「何が?」
「白瀬さんが事務所抜けて結構経つけど、平気?」
「うん、全然平気。なんか最近、モデル以外の仕事持ってこられるし」
「え……ど、どんな?」
「仮面ライダーとか、スーパーヒーロー戦隊とか」
「……聞いてないんだけど」
「え、だって嫌だったから断ったし。特に、去年は推薦とはいえ受験生じゃん。夏休みにはまだ決まってなかったし、普通に無理でしょ」
「……ふーん」
しかし……逆に、円香は興味津々だった。仮面ライダーの明里……是非とも見てみたい。もう二度とやって欲しくはないが、大外刈りも大腰も背負い投げも、どれもカッコ良かったから。
あれを裁判にならず見られるのなら……。
「次からは受けてみたら?」
「え?」
「これからは大学生だし、時間も空くでしょ。せっかくの機会なら、やってみても良いんじゃないの?」
「意外。マドちゃんなら止めると思ってた」
「……別に、リカの成績なら単位落とす心配もないと思ってるだけ」
「えー、そう?」
実のところ、見てみたかった。明里の「変身」を。歴代仮面ライダーなら、どんなのが似合うだろうか? 見た目だけならカッコ良いのだし、スタイリッシュな……いや、柔道を活かすのならゴリゴリのパワーライダーでも……あ、いや武器を使うライダーは似合わなさそう……なんて、妄想している時だった。
「マドちゃん、着いたよ。コンビニ」
「っ、そ、そう……」
「いちごプリンで良いの?」
「抹茶で」
「家にあるじゃん……何しに来たのこれ」
「ん、リカと散歩したかっただけ」
「……もー、それなら先に言ってよ。公園とか行ってもよかったのに」
「戻ろ」
「んー」
そんな話をしながら、結局何も買わずに二人で家に引き返した。
さて、家の前に到着し、明里が家の鍵を取り出す。自分と同じ鍵穴に刺さる鍵……今更になって、同棲が始まったことを意識する円香。今後、もしかしたら裸を偶然、見られることもあるだろうし、こちらが目撃することもあるだろう。
お互いのプライバシーが限りなく消失していく……それなのに、恥ずかしさより嬉しさの方が遥かに優っている。
……なんか、キスしたくなってきた。
「……リカ」
「んー?」
「こっち見て」
「何……んぅっ⁉︎」
玄関の前で、唇に唇を重ねる。舌を入れるとかはしなかったが、唇で唇の感触を三秒ほど堪能し、離れた。
「これからよろしく」
「っ……う、うん……」
「今更、キスで照れないでくれる?」
「マドちゃんも耳赤いよ」
「……」
「ごめんなさい」
「早く入ってプリン食べるよ」
「うん」
二人で中に入った。
靴を脱いで手洗いうがいをしてから、リビングに入る。
「おかえりー」
「ただいま」
「どこ行ってたの?」
「コンビニ」
「と、玄関でキス」
「へー。あ、お風呂沸かしといたよ」
「じゃ、私先入る」
との事で、円香が洗面所に入り、明里は台所の冷蔵庫を開けてミルクプリンを取り出す。
「リカ、どっち食べるの?」
「牛乳」
「ふーん……美味しいの? 牛乳のプリンって」
「美味しいよ。甘いだけじゃなくて、牛乳のトロみがあって」
「トロみ? 大トロ的な?」
「え? うん。多分」
「……ふーん。大トロ」
そんな会話をしながら、明里はソファーに座った。蓋をぺりぺりっと剥がし、スプーンでスケートリンクのように白く光沢のある表面を掬う。プルンっと揺れて、ふるふると震える。
それを見据えて、口の中に運ぼうとした時だ。そのスプーンの後ろに、透の顔がじーっとこちらを眺めているのが見えた。
「……食べたいの?」
「うん」
「……体重平気?」
「ぶつよ?」
「いや、ほんとに。アイドルなんでしょ?」
「平気」
「……」
正直、透のそういうところは信用していない。円香が明里の事を「恥かかないように」と気にかけてくれているように、明里も「どうせやるなら恥かいて欲しくない」と二人に対し思っている。
つまり……太るかもしれないことに協力は出来ない。
「ダメっ」
「えっ」
「俺はとおるんが太っても好きだけど、それでファンが減っちゃ意味ないからっ」
「……」
……しかし、透にそれは逆効果だった。意地悪された、と思った透は、目の前でプリンを頬張る明里の唇に、強引に唇を重ねた。
「んぐっ……⁉︎」
「んーっ……んっ」
そのまま口内を、まるで何か手探りで探すように舐め回した後、プリンを発見し、舌で包み、口を離した。
「んーっ……おいしっ」
「ーっ……な、何してんの……」
「ん? プリンくれないから奪った」
「……〜〜〜っ」
「ふふ。顔真っ赤」
「ど、どいつもこいつも……」
もう恥じらいとかないのだろうか? いや、まぁ三人しかいない部屋の中で恥もクソもないのかもしれないが……にしてもだ。
まぁでも、わざわざ言わなくても良いかな、なんて思いつつ、隣同士で座っている。
「そうだ、リカ。今日、レッスンでプロデューサーが見に来てさ」
「ふーん……そうなんだ」
「すごく集中してやったら、褒められた。やっぱり、嬉しいよね。そういうの」
「……どんな人なの? その人」
「ん、んー……なんか、一生懸命で、鈍くて……変な人? でも、良い人だよ」
「へー……」
「あ、後あれだ。変態的な人とかじゃないから、立場を利用してエロいことして来たりはしない人だよ」
「そんな事されたら、うちの父ちゃんとその最強弁護士軍団が立ち上がるから言ってね」
「う、うん……」
ついさっき柔道の禁止技で応じる冗談を言ったら怒られたので、今回は普通に答える。まぁ、そんな気分じゃ無かったというのもあるが。
……少し、ムスッとしながら、思わず手が伸びてしまった。キュッと、控えめに透の袖を摘む。それに気付いた透が、キョトンと小首を傾げながら手元を見下ろした。
正直、恥ずかしい。嫉妬なんて、男らしくないし子供みたい。カッコ悪いことは重々承知している。
これは、からかわれるかも……と、覚悟を決めたように目を瞑った時だ。その透が答えた。
「どしたの? 寒いの?」
「……」
ムカついた。明里はムスッと頬を膨らませると、両手を伸ばして透の両頬を抓る。
「いふぁいいふぁい! ほ、ほうひはの?」
「とおるんのアホー!」
「なにふぁ……⁉︎」
しばらく顔をシワクチャにしていた。
×××
結局、晩御飯もその後のデザートも何もかも一緒にこなすことはなかったが、なんやかんやで就寝時間になった。
一応、各々の部屋は用意されていて、布団や机など、最低限の家具は置かれている。……のに、円香の部屋の前では、明里と透が集っていた。
「……よし、行くよ」
「うん……!」
何せ、二人とも実を言うと荷解きがまだ完全に終わっておらず、床に布団を敷く隙間も無かった。
そのため、円香の部屋で寝させてもらうことにしたのだ。
「3……2……1……!」
「GO!」
一斉に飛び込んだ。中になだれ込むと、布団の中にいた円香はビクッと肩を震わせる。
「はっ⁉︎ な、何……!」
「布団を発見しました、隊長!」
「よし、潜り込むぞ。明日の朝まで、寝息を立てて」
「イェス、マムッ!」
「何してっ……きゃっ……!」
二人して布団の中に突撃した。円香を挟み込むように潜り込むと、そのまま両サイドから円香を通して手を繋ぐ。
「あ、あんたら……何してんの?」
「ん、いやせっかく三人で暮らしてるのに、今日何も一緒に出来なかったから」
「一緒が良いじゃん。寝るときくらい」
「はぁ……別に今後、いくらでも機会はあるでしょ……」
「最初の一日は今日だけでしょ」
「ね」
「……もう勝手にして」
もはや否定する理由もその気も無くなった円香は、目を閉じて自分のお腹の前で手を繋いでいる二人の結び目に、自分の手を添える。
一緒に暮らせば、今まで気付いていなかったお互いの嫌な面とかも見えてくるかもしれない……が、それでも一緒にいたい欲が勝ってしまった。
何があっても一緒にいる第一歩……そのつもりで、三人とも眠りに意識を委ねた。
勿論、翌日。実は荷解きが終わっていなかったことがばれ、二人とも雷を落とされた。