大学の授業は基本的に自由……なんていうのは、親や教師や塾講師の戯言である。必修授業は数多く、自由と言っておきながら生徒を縛りつけ、結局はあまり自由ではないのだ。
しかし、円香は元々「自由」なんて謳い文句に騙される程、素直でもお人好しでも無かった。
何となく予測はしていた為、特に不具合なく、隣の透と授業を決めていく。要するに、必修授業の確認を進めて行った。
さて、そんな事をよりにもよって学内のカフェですれば、当然新入生兼アイドルの二人は狙われるわけで。
「ねぇ、そこの君達」
「これから合コンやんだけど、一緒に来ない?」
「いやいいです」
「行きません。男の人に興味ないので」
「え、なになに。百合ってヤツ?」
「じゃあ証明してみろよ」
「は? なんであなた達に証明しないといけないんですか?」
「……円香には裸を見られても良いけど、あんたらには見られたくないとか?」
「透、黙ってて」
「そりゃ同性だからだろ」
「ん? てか、透に円香? 二人ともどこかで……」
なんて話していた時だ。遠くから「とおるーん、マドちゃーん」というとても大学生とは思えない素直な呼び声が聞こえてくる。
円香はわざわざ顔を向けることなく履修科目表に目を落とし、透は逆に顔を上げる。
「あ、リカー」
「ごめんごめん、お待たせー」
「ホント遅い。何してたわけ?」
「階段混んでた。あとサイン頼まれてた」
「だからサングラスでも帽子でも被れって言ったでしょ」
「もしかして、されたかったの? ちやほや」
「いや、そんな気ないけど」
そう言いながら、明里がしれっと二人の席に座る。そして、円香はジロリと男二人を見上げた。
「とにかく、私と透は男に興味ないから。分かったらどっか行って」
「「お、おう……」」
説得力などかけらも無いのに、圧力だけは確かにあった言い様に圧された男達は、言われるがままどこかへ立ち去っていった。
今来た……というか、男二人なんて視界にも入っていなかった明里が、小首を傾げながら聞いた。
「知り合い?」
「「違う」」
「なんだったの?」
「ナンパ」
「ふーん、身の程を知れと?」
「そんなとこ」
何せ、明里がいなくても遊ぶつもりなんてサラサラないのだ。出直して欲しい。
「で、二人は何してたの?」
「取る講義選んでる」
「ほとんどあれだけど。必修」
「あー、まぁ一年だしね。必修じゃない日、合わせようよ。この時間のスポーツとかいけるよ」
「そういえば、大学は体育、男女一緒なんだ」
「それは俺もビビった」
「じゃ一緒で。そこ」
なんて話しながら、予定を詰める。しかし、やはり学部も学科も違うだけあって、合わせられる日は少ない。三人で一緒に受けられる授業は三つだけだった。
「……はぁ、なんか意外と世知辛いね。大学生生活」
「仕方ないでしょ。学部が違うんだし。実質、別のクラスみたいなもんだから」
「まぁ、私と円香は一緒だから。あんま寂しくないけどね、実際」
「いーなー。俺も一緒が良かったなー」
とはいえ、仕方ないと言えば仕方ないのだが。とりあえず、一応三人とも芸能人ではあるため、最悪、出席出来なくても試験、或いはレポートで単位が取れる講義にする事にした。
「この後どうする?」
「帰る。そろそろスーパーの特売でしょ」
「あ、そっか。もう三人とも自分たちの稼ぎで食べないといけないんだもんね」
シェアハウスを行うにあたり、親からの仕送りは断った。もうほとんど社会人みたいなものだし、高校でたくさん助けてもらってきたし、そろそろ自立したいと言う考えのもとだ。あとは、親に助けてもらう時というのを、父親の最強弁護士達に色々お願いする万が一の時に取っておくため。
さて、そんなわけで、3人でスーパーに立ち寄ることにした。
「今日、晩飯何にするかー」
「私、もぎたて♡にーちゅ食べたい」
「じゃあ俺、コンペイトウ☆キスで」
「……言ったな?」
「「嘘です」」
捥がれる、或いはキスされる、とすぐに理解した二人は慌てて口を塞いだ。
「……明日仕事の人とかいる? いないなら、餃子にするけど」
「お、良いねー」
「俺もそれでー」
「じゃ、決まり」
口臭を犠牲にする事で、満足感を特殊召喚する最高の一手である。もう三人とも、お互いの家に入り浸ったり、泊まりの旅行とか行き過ぎて一々、餃子を食べた後とか、少しだけ寝癖がついてるとか、三人しかいない時は気にしない仲になっていた。
勿論、外に出る時はお互いにお互いと一緒にいても恥ずかしくない格好を心がけてはいるが。
「冷蔵庫に何あったっけ」
「牛乳」
「ファンタ」
「餃子の具材の話に決まってるでしょ、バカ二人」
「あ、そっか」
「なるほど。オッケーオッケー」
「透には聞いてない。どうせ覚えてないだろうし」
「は? 私こう見えて、ちゃんと親元を離れて生活する自覚とか芽生えさせてるから」
「じゃあ答えてみ?」
明里にも言われて、透は真顔のまま答えた。
「長ネギ」
「あったっけ?」
「ないよ。ひき肉とニラとニンニクはあったと思うけど、長ネギは昨日使い切った」
「私今ないもの言ったから。これから買う奴って意味で」
「あ、ごめん嘘。ないの玉ねぎだ。長ネギはある」
「ブハッ……!」
円香が思わず吹き出した時だった。透が明里の背中をポカポカと叩き始める。
「とおるん、普通に痛い」
「殴ってるからね。普通に」
「透、今のはあんたの負けだから。その辺にして」
円香に言われて、渋々離れる透。でも最後に一発、肩にお見舞いした。
「痛っ! 肩パン上手っ!」
「でしょ? ザマー見ろ」
「で、リカ。じゃあ無いのは長ネギと餃子の皮で良い?」
「うん。……あーでも、ついでだし飲み物とか買っちゃわない?」
「……無駄遣いはやめて」
「いやいや、牛乳とか必要でしょ」
「ああ……そう。じゃあ、見つけたらカゴに入れて」
なんて、いつのまにか円香と明里だけで話を進める。元々一人暮らししていた明里と、いつでも明里と透の手助けが出来るように、母親に(側から見たらどう見ても)花嫁修行を受けていた円香が手際よく買い物を進める。
その様子を眺めながら、透は少しむすっとして、二人の間に割って入った。
「うわ、とおるん?」
「何?」
「……ずるい」
「「何が?」」
「なんか、ムカつく。私だけ家事しない夫みたいで」
「そうじゃん」
「夫ではないけど」
「そんなわけで、みんなで買おう。バラけて」
「なんでバラけるの。一緒に買いに来たのに」
「大体、持ってきたもの被ったら戻す手間が出るでしょ」
「10分後に円香の所に集合で。じゃ、かいさーん」
「「ちょっと」」
身勝手に、透によって三人はバラバラの方向に別れる事となってしまった。
×××
「ふぅ、こんなもんかな」
5分が経過した頃、明里はカゴに野菜を入れて戻ってきた。適当な数、入れて持ってきた野菜だが、ちゃんと安くて重たいものを選んだ。このチョイスなら、円香も何も言わないだろう。……まぁ、この人参だけは安さだけを見たら割とグレーゾーンな気がしないでもないが。
それにしても、我ながら随分とこう言うスーパーでの買い物に慣れたものだ、と少しだけ感心してしまう。昔は円香に随分と怒られたのに。
しかし、今にして思えば、あの頃、厳しく怒られていた内容も全て、自分を想ってのことだったのだろう。
それを自覚すると、少し気恥ずかしいような、でも嬉しいような……あと、同い年なのにちょっとだけ情けないような。
まぁ、何にしてもこれからは、世話になっていた分、自分が恩を返せば良い……そんな風に思いながら、最後に牛乳を見に行こうとした時だ。
「リーカっ」
「っ、と、とおるん。ビックリした」
手ぶらの透に、後ろから両肩に手を置かれた。というか、あれから5分は経過しているのに、何故この子は手ぶらなのだろうか?
「……なんで手ぶら?」
「来て、こっち」
聞いてくれない。そういうところが家事をしない夫のような気がしないでもないが……まぁ、透の良い所はそこじゃないし、と思う事にして、後に続く。
「実はさ、買いたいものがあるんだよね。円香が許してくれるか分かんないけど」
「何? あんま無駄遣いはダメだよ?」
「分かってるから。ただ、大人になったら絶対、飲まなきゃいけない奴」
「? 何?」
なんとなく嫌な予感はしていたが、黙って後に続く……しばらくして「じゃんっ」という可愛い声と共に見せてくれたのは、缶ビールだった。
「やっちゃう? 一杯」
「……まだ今年で19でしょ」
「いやいや、平気でしょ。少しくらい」
「……」
……正直、興味がないと言えば嘘になる。大学生になったら、割と一年の時から飲んだりする人もいるという話も良く聞くし、一本くらい有りだろうか……いや、やはりダメだ。
正直、身体に悪いとか、そんな心配はしていない。19だろうが20だろうが大差ないので、目安として「ハタチ」というルールにしているのは分かるから。
しかし、そのルールが厄介なのだ。何せ、そのルールとは法律を意味するから。
「飲みたかったら、ハタチのお祝いで室寺さんに買って持ってきてもらおう」
「お、良いねー。ちなみに、どれにする?」
「違い分かるの?」
「分からん。でも、なんかあるでしょ。美味しいの」
「なんか親が好きなのは恵○寿だよ」
「うーん……なんか名前の響き的に、のど○しも美味しそうじゃない?」
「あー、確かに。……あ、室寺さんはプレモルが好きらしいよ」
なんて、ビールを手に取りながら会話する。金色の炭酸、と聞くだけで、正直美味しそうなイメージはあった。そういえば興味はあったのに、親が飲んでる時に「飲ませて」と言ったことはないことを思い出した明里は、徐々に興味が強く湧いてきた。
「ね。せっかくならさ、全種類一本ずつとかは?」
「なんで? ……あー、飲み比べ?」
「そういうこと」
「良いね。あ、なら買っちゃう? 樽みたいなコップ」
「あー、海賊が使う奴? 良いね」
「よっしゃ」
なんて、ビール持ったままノリノリで語っていたのが運の尽きだった。
「へぇ、未成年がアルコールの購入……それもアイドルとモデルが。流石、大学生」
「……あ、やばっ」
「ま、マドちゃん……」
その形相は、もうマジギレとかじゃない。虫を見る目だった。
「一応、聞いてあげる。チャンスは一回ね。どういうつもり?」
「いや、これは別に今買おうって話じゃなくて……」
「社会勉強みたいなもんだから。どれか飲んでみようねって」
「とおるん、それマドちゃんの疑惑全肯定の答え」
「分かった。二人ともぶっ飛ばす」
指をゴキゴキと鳴らし始めてしまっていた。
それから約10分後、スーパーから出てきた時には、先頭を歩く手ぶらの円香と、その後ろからとぼとぼ付いて歩く、スーパーの食材を詰め込んだ鞄とタンコブを作った透と明里が出て来た。
何れにしても、カップルではなく手間のかかる二児と母親にしか見えない3人組だった。
×××
円香に怒られたので、二人が夕食の準備をして、今は食事中。三人で羽根付の餃子をつまみながら、透がふと思いついたように声をかける。
「そういえばさ、リカは友達出来た?」
「どしたの、急に」
「いやー、気になったから。リカ、結局高校じゃ友達いなかったじゃん」
「ああ、まぁ友達なんていないよ。まだほとんど初日みたいなモンだし。そっちは?」
「円香」
「透」
「それは姉妹でしょ」
「うるさい」
「バカ」
ぶっちゃけ、円香と透も友達は基本的に少ない。それこそ、ノクチル以外でも283プロにしかいないレベルだ。
「あ、でも俺、女の子には何度か声掛けられたよ」
「ふーん……」
「で? だから何? 俺モテますアピール? ミスター女たらし」
「いや、なんかとおるんを紹介してくれませんかって言われた。あの綺麗な顔の女の人に抱かれたいとかなんとか」
「え、何それ。怖」
「良かったじゃん、透」
「良くないよ!」
「リカが答えるの?」
「ていうか、リカも私の事、抱きた……」
「とおるんを抱き枕にして寝て良いのは俺とマドちゃんと……あと、一応雛菜と小糸ちゃんだけだから」
「そっちの抱く?」
「……リカは今後、それをするの禁止する」
「どうして⁉︎」
「今のはリカが悪い」
「マドちゃんまで!」
なんて話を脱線させながら、三人で食事を続ける。
「でも、そっかー。私もモテモテなんだー」
「ていうか、なんでリカと透が知り合いなの知ってたわけ?」
「なんか一緒に歩いてたの見てたんだって。ちなみにマドちゃんの紹介は言われなかったよ」
「聞いてないしどうでも良い」
「マドちゃんも可愛いのにね」
「そういうこと、軽く言えるあたりが全然、信用出来ない」
「円香嬉しさのあまり耳赤いよ」
「透、殺すよ」
赤くなったまま、円香はぱくぱくと餃子を口に運ぶ。
「ま、リカがバカみたいにモテてないなら何より」
「俺だって心配してるんだからね。さっきだって食堂でナンパされてたんでしょ?」
「その時は、円香とキスするから大丈夫」
「え……二人ともキスとかよくするの?」
「信じないでくれる?」
さて、そんなぼんやりした話題でしばらく盛り上がった後、食事を終えた。もう円香の怒りも収まっていたので、いつの間にか普通にいつもの流れで円香と明里が二人で洗い物をして、透は先にお風呂に入る。
そんな中、円香がふと思ったように聞いた。
「そういえば、リカ」
「何ー?」
「お酒に興味あるの?」
「その件はすみませんでした……」
「いや、別に責めてるわけじゃなくて」
というか、誤解は普通に解けている。基本的に何も考えていない透はともかく、明里が今すぐに興味があるからって酒を買うとは思えないから。
「ただ、リカもそういうの興味あるんだってだけ」
「まぁね。こう見えて、俺大人の遊びとか興味津々だよ」
「は?」
「とおるんと初めてピアス買った時とかも、普通に『大人っぽいから』って思ったのもあるし」
「……いちいち、えっちな反応しないと気が済まないわけ?」
「え、どの辺がえっちだったの?」
「……」
頼むからもう少し大人に……いや、もう二年付き合ってこの純粋さのままでいるのは、明里だけの責任ではない。
そりゃ勿論、明里にだって少しずつえっちな部分は出て来た。最近じゃ、キスやハグ程度じゃ気絶しなくなった。
しかし、それでも「小学生が青年漫画を読んでる際、エッチなページだけやたらと覚えている」程度の性欲なわけで。
つまり、円香も透も処女のままである。
「……」
まだ、えっちな経験をしたことないから「いやもうマジめっちゃシたい」と思うわけではない。経験が無いから、あんまり期待するとそんなに良いものでもないかもしれないからだ。
だが、何も全くシたくないわけでもない。それも、誰でも良いわけではなく、明里とが良いわけで。
大学生の上に同棲さえしてしまえば、その手の行為を全くしなくなるなんてことはないだろう……が、そう思っていると何もシないまま卒業してしまうかもしれない。
だが、酒の力があれば……。
「成人した時、最初にお酒を飲むときは、三人一緒が良いかもねって話がしたいんだけど?」
「え? あ、ああ。勿論」
酔わせて食べる、という作戦でいくしかない。そして、それには透も混ぜる。
「でも俺、年度最終日が誕生日だから、お酒飲むのかなり後になるよ」
「……」
そうだった。この子の誕生日は遅い。それ故に弟、と言う感覚が無いわけでもないのだから。
「成人式に飲むから」
「え、いやだからその時は未成年だから」
「少しくらい平気でしょ」
「あ、さっき怒ったのに?」
「さっきのは、つまらない事で周りに目をつけられたくないって意味。未成年が外でお酒買うわけにも、お酒を外から家に届けてもらうわけにもいかないでしょ」
……まぁ、確かに? と言うように、明里が頷くのを眺める。
さて、洗い物は終わりだ。水気を払うように手を軽く振りながら、円香は明里に言った。
「ま、成人式が終わった後でもあんたが二十歳になった後でも良いけど、私も透も、あんたが飲むときにならないと飲まないから。それだけ覚えといて」
「……ん、ありがと」
なんて話していると、ピーピピピッピーっと電子音が鳴り響く。お風呂の呼び出し音だ。
「今日は先お風呂入ったら?」
「良いのー?」
「なんでもレディファーストなんて遠慮してたら、一緒に暮らしててストレス感じるでしょ」
「もう、とおるんが入ってるけどね」
「あれは例外」
そんな話をしながら、明里は洗面所に向かった。
呼び出し音が鳴った以上、もう入って平気だろう。そう思ったのだが……念の為、ノックはすることにした。
「んー?」
「あー、もう着替え終わった?」
「まだー。次、リカ入るの?」
「うん」
「じゃあ、あと10秒待って」
言われるがまま、明里は待機する。……この扉を一枚隔てた向こうでは、透が着替えているらしい。下着姿でいるのか、それともまだ裸なのかは分からないが、想像すると少し胸が苦しくなる。
なので、すぐに想像をやめるように首を横に振る。その明里に、透が聞いた。
「あ、覗いても良いから。見たかったら」
「っ、み、見たくないよ!」
「本当に?」
「……そ、そこまでして見たくないよ」
「それはそれで傷つくわ。……開けちゃおっかな?」
「……え?」
なんだか透にしては意地悪そうな声音が聞こえて、少し背筋を伸ばす。嫌な予感がした時にはもう遅かった。
ドアノブが、カチャッ……と斜めに下げられる。
「えっ、ちょっ……とおるんっ?」
それと共に、まるで開け放たれるように扉が少しずつ開放されていった。
「ちょーっ、ダメだってとおるん俺別にそう言うのが見たくてシェアハウスを始めたわけじゃないって言うかいやホントマジでやめてとめてやめてとめて……!」
目を隠しながら、指の隙間から見ないようにしつつ、もはや悲鳴のようにそう言っている間に、洗面所から出て来るように足音がギシギシと聞こえて来る。
本当に出て来たよ! 恥じらいというものがないのか⁉︎ と、頭の中が真っ赤に染まっている時だった。
「リカー、目を開けなくて良いのー?」
「良い!」
「ふーん……まぁ普通に、服着てるけどね」
「え?」
なんか聞き捨てならない台詞がしれっと聞こえて、はっと顔を上げる。普通にパジャマ姿の透が立っていた。パジャマのボタンの隙間から胸の谷間が見えてはいる。
「っ、や、やっぱりちょっと見えてるじゃん!」
「いやこのくらいは一緒に暮らしてる以上、仕方ないでしょ……」
「ボタン掛け違えてるし!」
「え? ……わぉ、マジじゃん」
「め、目の前で直すなー!」
「透、その辺にして」
リビングから円香が顔を出してそう言う。
「聞いてた?」
「ていうか、聞こえてた。あまりからかわないであげて。毎日、顔合わせる場所でいじり過ぎるとストレスになるでしょ」
「はーい」
親しき仲にも礼儀あり、というものだろう。本当に透が反省しているのかは分からないが。
ボタンを直し終えた透がリビングに戻る直前、スッと明里の肩に手を乗せ、耳元で囁いた。
「見たかったら、言ってくれればいつでも見せるからね」
「っ……」
やっぱり全然、反省していない。いや、正直おふざけなのは分かっている。でも、やっぱりイラッとしたので、円香に声を掛けた。
「先生ー、とおるんが『見たかったら見せてくれる』とか言ってきましたー」
「透、集合」
「げっ、なんでチクるの……」
それだけ言うと、明里はお風呂に入った。
×××
「とにかく、必要以上にからかうのはやめてあげて。苦手な人は苦手なんだから」
「はーい」
本当にわかっているのだろうか、このバカちんは……と、思ったりはしたものの、とりあえずそれ以上は言わないでおいた。
洗い物を終えた後なので、とりあえずのんびりするためにコーヒーを飲んでいる。
「にしても、始まったねー。大学生」
「何、改まって」
「いや、何となく。あるじゃん、そういうの思う時」
「……まぁ」
何せ、それもシェアハウスと同時に、だ。家賃も食費も三人で払っていて、なんだか本当に結婚とほぼ感覚は変わらない。
だが、まぁそれが正しいのかどうかはわからないが。
「……ねぇ」
「何?」
「サークルとかどうする?」
「無理でしょ。アイドルあるし」
「リカが入りたいって言ったら?」
「その時は別。入る」
「ふふ、爆笑」
「あんただってそうでしょ」
「まぁね」
話しながら、学校のパンフレットを開く。
「入るなら、どのサークルが楽しいかな?」
「どこでも良いでしょ。何にするにしても、リカと透がいるなら大差ないし」
「えー、でも噂に聞いた話だと、ヤリサーっていうのもあるらしいよ」
「何それ?」
「だから、エッチなことをヤるサークル」
「そんなのを大学が黙認してるわけ?」
「いやいや、そういうんじゃなくて。例えば、テニサーなんだけど、実態はエッチなこと……みたいな?」
「実在するわけ? そんなの」
「知らん」
とはいえ、円香もそんなサークルはゴメンだ。というか……本当にサークルに興味なんてないし、なるべくなら入りたくない。
「ていうか多分、来年は小糸と雛菜も大学来るし、サークルはやめた方が良いと思う」
「まぁ、そっかー。それに、困るしね。リカにモテられると」
「そういうこと」
まぁそれで良いや、と思いながら話している時だ。透のスマホが震える。スマホのトップには「プロデューサー」の文字。
「あ、プロデューサーからだ」
「なんなの、休みの日まで」
「分からん」
とりあえず、応答することにした。
「もしもし?」
『お疲れ様、透。急に悪いな』
「全然平気。余裕。余裕の余裕ちゃん」
『ははは、それ普通に余裕じゃないか』
少し楽しそうにしている透の姿を、円香は見逃さなかった。何となく……透はかなりプロデューサーに懐いている部類の人間に見えていた。
『近くに円香もいるか?』
「いるよ」
『……背負い投げの彼は?』
「今、お風呂」
『じゃあ、スピーカーにしてくれる?』
言われて、透はスピーカーにした。
「何?」
「樋口にも話だって」
「……こんばんは」
『ああ、円香。ごめんな、オフの日に』
「まったくです。姉弟水入らずでまったりしてる時に……」
『姉弟になっちゃってるんだな、普通に……まぁ良いや。大学はどうだ?』
「前置き代わりの世間話は結構です。リカに上がって来られると厄介なので、本題に入ってください」
『そ、そっか……』
実を言うと、プロデューサーも明里が苦手だ。というか、背負い投げの彼、で覚えている時点で割と全てを察せるレベルである。
『明日も休みなのに申し訳ないんだが……283プロでやってるTwitterの「アイドルの一日」のキャンペーン。本当はアルストロメリアが明日の予定だったんだが、急な仕事でノクチルに変わってもらえると嬉しいんだが……Twitter投稿用のスマホを取りに来てもらっても良いか?』
「……本当にスマホを取りに行くだけで良いんでしょうね? 晩御飯、餃子にしてしまっているのですが」
『大丈夫だよ。……ただ、なるべくならノクチルみんなで動いてくれていると嬉しい』
「浅倉、良い?」
「え? 何が?」
「大丈夫です」
『わ、分かった。じゃあ、よろしくな』
それだけ話して電話を切ろうとした時だった。
「それより、プロデューサー」
『え、それより? 一応、仕事の話でもあるんだけど……』
「プロデューサーは大学の時、どんなサークル入ってた? ヤリサー?」
なんか普通に雑談を始めてしまった。あと話題があんまりだ。
『え? いやそんなの実在するわけないだろ。俺は普通のサークルだよ』
「そういうのでさ、恋愛とかに発展したことあるの?」
『あ、あー……そういう人もいたな。俺は別に無かったけど』
「……ふーん」
『あの、そろそろ切らないと背負い投げの彼が戻ってきたりとか……』
「俺が戻ってきちゃ悪い話してたんですか?」
直後、電話の向こうのプロデューサーだけでなく、円香も肩を震わせる。洗面所から頭を拭きながら出てきた明里は、少し機嫌が悪そうだ。
「なんの話してたの?」
「ヤリサーの話」
『おぉい、透お前ホントそういうとこ……』
「浅倉、違うでしょ……リカを煽るのやめて」
「……ヤリサーってなに? 槍で突くサークル?」
「え? いや違……」
『大体合ってる。だから、透は余計なこと言うなマジで』
「プロデューサー、うちの子に変なこと教えないでくれる?」
『……過保護な姉が多い……もういい。明日、よろしくな』
「出かけた時の領収書、取っといたほうが良いですか?」
『頼む。……あんま遠出するなよ?』
「はい」
それだけ話して電話を切った。すると、明里が二人に聞く。
「……明日って?」
「Twitterに一日の行動をアップするの。ノクチルで」
「そんな話してたっけ?」
「ふーん……俺も行く」
「どうぞ。でも、あんたのことは投稿しないから」
「やった。じゃあ明日、5人でお出掛けね」
三人とも全く違う表情を浮かべながら、その日はベッドに入った。