親元を離れ、家事を全て自分たちでやらなければならない事にも慣れていた円香は、割とそれくらい楽勝なのでは? と思うようになって来ていた。
それも当然。去年まで明里のために色々とやって来たからだ。家事が出来るのに、それがちょっと環境が変わった程度では困ることなんて無い。母親からも「これならお嫁に出しても平気ね」と太鼓判を押された程だ。
しかし、それはあくまで通常の流れの話。家事というのはやって当たり前の長く同じことをループさせなければならないものであって。
従って、季節による変化も少なくないのだ。
「また雨……サイアク」
そう、梅雨である。ザーザーに降り注がれる雨の中、円香は心底うんざりした様子で呟いた。
これで三日連続の雨。洗濯物は溜まる一方だが、減ることはない。洗っても良いが外には干せなくて、室内に干しても乾くのに時間食うし、イラつく一方だ。
こういう場合は、一人暮らしの先輩に聞くしかない。
「リカ、あんた梅雨の日とかどうしてたっけ?」
「普通に室内に干してたよ。いつもより小まめに洗濯するようにして」
「……あっそ」
「あっ……り、リカっ……もっと奥」
「とおるん、あんま耳掃除ってしない方が良いんだよ。気持ち良いのは分かるけど」
「……」
彼氏に耳掃除をしてもらう幼馴染にちょっとだけイラっ☆ としつつも、とりあえず言われた通りに回すことにした。
小まめに、と言うことは量は洗わないのだろう。干す場所に限りはあるのだから。
そんなわけで、円香は普段の生活の中で特に使うものをチョイスして洗濯機を回す。
「はい、とおるん。終わったよー」
「ありがと」
「……や、退いてよ」
「やだー」
そんな声が聞こえて来て、少し円香はウズウズしたので邪魔することにした。耳かきを前に設置してある机の上に明里が置いたのを見るなり、廊下から戻って来て突撃した。
背もたれの上によじ登り、身体を横にして転がり落ちる。
その結果……背もたれと彼の背中の間に顔が挟まった。
「……何してんの?」
「もごもごもごっ……」
「……いやもごもごじゃなくて」
「ふふ、円香超バカになってるじゃん」
「ふがふが」
「今、うるさいって言った?」
「言ってたわ、絶対」
「ーっ!」
「あ痛ぁ! た、叩かないでよ!」
なんてやりながら、三人でその日はダラダラした。こういう日もたまには悪くない、そんな風に思いながら。
×××
だが、そんな日々も長く続けばやはり面倒になるわけで。外に出るのもしんどいのに、満足に出掛ける気も失せる日々に、円香はうんざりしてしまっていた。
「梅雨最悪……」
「俺、今からカエルかカタツムリ探しに行くんだけど、二人とも来る?」
「「行かない」」
頼むから年齢を考えて欲しい。なんでそんなに小学生なのか気になるところだ。
「じゃあ良いよ。俺一人で行ってくるから。後でカタツムリ見たくなっても知らないからね」
「ならないから」
どうやったらそんな情緒になるのか知りたい。カタツムリを生で見たくなる感情とか、過去に一度もなかったし今後も一生涯ないと断言出来る。
そんな中、透が手を上げた。
「あ、ついでに買って来て。アイス」
「良いけどいつ帰ってくるか分かんないよ。見つかるまで帰らないし」
「良いよー」
「マドちゃんは何かいる?」
「牛乳」
「お、円香。バストアップ?」
「……」
「いってきまーす」
後ろで騒がしくなったのを無視して、明里は散歩に出掛けた。
外出自体、別に嫌いじゃない明里は、雨の日だろうとこうして外を歩くのが好きだった。生き物が見られるのなら、どんな天気だって構わない。
それに、雨の日にしか顔を出さない生き物は頭の中で勝手にSSRだと考えている。
写真撮って送ってあげようかなーとか呑気に考えながら、傘をさして歩く事しばらく。
川の上にかけられている橋の上を歩き始めた時だ。ふと目に入ったのは、段ボールに入った犬が流れてくる所。
「ほわっ⁉︎」
なんてベタな! なんて思いながらも、明里は川の中に飛び込んだ。六月とはいえ「超暑い!」というより「蒸し暑い!」という季節。つまり、気温は雨の日であることもあって低め。普通に川の水は冷たかった。
しかし、そんなこと気にならないのが、スイッチの入った明里であって。明里ができる三種類の泳ぎのうちの一つ、バタフライを使用した。ちなみに他二つは平泳ぎと犬かきである。
特に極めに極めたドルフィンキックによって一気に加速。ダンボールにあっという間に追いついた。
そして、中を見ると……ぬいぐるみだった。
「っ、ほ、本物じゃなくて良かった……」
とりあえず安堵し、身体の力を抜いて岸に上がった。雨の日の川の中、普通に泳いで上がって来た時点で割と中々なのだが、どうにもそんな場合ではない。何せ、ずぶ濡れなのだから。
割と土手を通りかかる人から不審者を見る目で見られたが、気にせずに橋の下に入る。慌てていたので傘を持ったままバンザイ飛び込みして、傘をいつの間にか手放してしまった。……まぁ、もう傘をさしても仕方ないレベルで濡れているのだが。
さて、この後はどうするか。とりあえず、2人に連絡する事にした。
×××
「……」
樋口円香は、少し後悔していた。一緒に行けば良かったかな、と。もしかしたら、気晴らしのつもりで散歩に誘ってくれたのかもしれないのに、つい「またバカなこと言ってる」と決めつけて切り離してしまった。
確かに、このままずっと家の中でレポートをしていても気が滅入るだけだし、気分転換に外に出てもよかったのかも……なんて思っていると、同じ提出課題なのに手を動かしていない透が「あっ」と声を漏らした。
「そうだ。リカにコーヒーゼリーも買って来てもらお」
「……」
この女は相変わらずのようだ。この子は本当に明里のことが好きなのか怪しい所だ。まぁ、その辺読めないのが、透なのだが。
「ていうか、行っちゃう? 迎え」
前言撤回。やっぱり分かりやすい。自分と同じこと考えていた。
「……良いよ。行こうか」
「いえーい、見事に乗せられたー」
「違う。あくまでリカの為だから」
「や、私と円香が。リカに」
「……それも違うでしょ」
乗せられたわけじゃない。あくまでも、なんかパシリにさせたみたいで嫌だっただけだ。
そんな中、インターホンが鳴り響く音。お客さんだろうか? 応答しようとしたが、その前に大きな声が玄関から聞こえて来た。
「マドちゃんかとおるんー! タオル、床に敷いといてー!」
「リカ? 早くない?」
「ずーぶー濡ーれー!」
「「えっ」」
なんで? 傘持ってなかった? なんて思ったのも束の間、扉をとりあえず開けると、プールの中に飛び込んだんですか? と思ってしまうようにずぶ濡れの明里が立っていた。
「……なんでそんな濡れ鼠?」
「え? あー……川に落ちた」
「は⁉︎ 怪我は⁉︎」
「え? あーそっか。そうなるか。傘壊れた」
「……つまり、誤魔化さないといけないくらいバカな理由でそうなったわけね?」
「……」
黙った。はい図星、とすぐに把握した円香は、ジロリと尋問用の視線にシフトチェンジ。
「何したの」
「……ダンボールに乗って流されているぬいぐるみを本物と間違えて川の中、ダイブしました」
「バカなの?」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ていない。そもそも明里ならば、よく見れば見分けられたはずだ。
「……透、床にタオル敷いて。リカはそこで待ってて」
「はいはい」
「すみません……」
言いながら、円香も明里のバスタオルを持って部屋の中に入る。頭からバサッとかけると、わしゃわしゃと両手を動かした。
「自分で拭けるよ、マドちゃん」
「良いから服脱いで」
「あ、これ脱がされる奴だ……了解です」
前の経験を生かしたのか、明里は上半身の服を脱ぐ。その露わになった身体にタオルをかけると、円香はその脱いだ洗濯物を預かった。
「拭いてて。これ洗濯機に入れてくるから」
「あ、うん。ありがと」
「終わったらズボンも脱いじゃって」
それだけ言って、円香は洗濯物を持って洗面所に入る。足場用のタオルを持った透とすれ違いながら、洗濯機にそれを入れた。
しかし……本当によくここまで濡れたもんだ。雨の日に川の中に突っ込んだのだから当たり前だが、これで傘も差さずに表を歩いていたのだから、普通に不審者である。
どうせなら、迎えに来るように連絡くれればよかったのに……と、思いつつ次はズボンをもらいに洗面所を出た時だ。
「リカ、動かないで」
「や、そう言われても恥ずかしいんだけど……自分で拭けるから……」
「ダメー。滅多にないから。こんなチャンス」
「え、チャンスなのこれ?」
透が、ズボンを脱がして足を拭いてあげていた。
「……何してんの?」
「びしょ濡れだったから。拭いてる、脚」
「なんで脚限定なわけ?」
「なったから。気に」
この野郎、羨ま……じゃなくて、普通にズルい。いやそれ同じ意味だ。自分でさえ、一緒に水着でお風呂には入っても、生脚を触ったことなんてないのに。
「じゃあ私も拭く」
「いや、タオル敷いてくれたんだから、お風呂入れてよ……」
「ダメ、リカ。まだ拭き終わってないから、脚」
「や、とおるんも。普通に恥ずかしいし、どうせシャワー浴びるんだから……」
「ダメ」
「や、ダメっていうのは俺の方……」
「ダメ」
「……わ、分かりました……」
強引な透のお陰で、されるがままパンイチの明里は立ち尽くす。
「……バカバカしい」
呟きながら、円香はタオルを一枚、洗面所から持って来て明里の頭に放った。バサッとかけられ、視界が暗くなったと思った時には、円香は背伸びして明里の頭を拭いてあげていた。
「あの……マドちゃん。頭なら俺、さっき自分で拭いたから……」
「黙って」
「や、あの……と言うか寒いからシャワー……」
「は?」
「……黙ります」
そのまましばらく二人で身体を拭き続けた。
×××
翌日。
「へっくち!」
風邪を引いた。円香が。
「……何で私なの……納得いかない……」
「俺、身体強いから」
「高校の時、デートの日に風邪引いてたけどね」
ぐしょ濡れになった明里だけピンピンしていて、円香はリビングに敷いた布団の中で寝込んでしまっている。
よりにもよって、外は今日に限って梅雨明けのような快晴である。
「俺、面倒見るよ。大学も今日は休む」
「いや、いい。行って」
「大丈夫、成績良いから」
「じゃ、残るわ。私も」
「ダメだよ、とおるんは成績悪いんでしょ? 今日、半ドンなんだし行って来なさい」
「悪くはないから」
「マドちゃんがいるからだよ、それは」
それはその通りだ。三人でいる努力を割と透もしているし、流石に単位を落とすのはまずいと感じたのだろう。
「……分かった。じゃあ一人で行く」
「ありがと、とおるん」
「リカ、お礼言うとこじゃない」
「ナンパされたら言ってね。ミンチにしに行くから」
「リカ……けほっ、けほっ……!」
「冗談だから、ツッコミのために無茶しないでマドちゃん」
「あんたが言うな……けほっ」
「じゃ、行ってきまーす」
思いの外、透は早く出て行こうと準備を終えた。おそらく、透なりに気を遣っているのだろう。
……ちょっと申し訳ないかも、と円香は思わないでもない。透にとっては、明里と二人きりのスクールライフを楽しめたかもしれないのに、その明里が看病に残ると言ってしまったから。
それを、明里も理解していたように透を玄関まで見送りにいく。
「とおるん」
「ん?」
呼びかけられた直後、透の頬に触れたのは、明里の唇だった。ほんの不意打ちで、思わず透も頬を赤らめる。
……が、それ以上に明里が頬を真っ赤にしていた。
「いってらっしゃいの、チュー」
「……普通、逆じゃない?」
「……嫌だった?」
「ううん。元気出た。ありがと」
そう言うと、透は軽く手を振って家を出て行った。その様子をリビングの扉から見ていた円香が、少しだけ大きな声を出して言った。
「リカ、車で学校まで送ってあげたら?」
「え、でもマドちゃん……」
「私は平気。行き帰りで30分くらいでしょ」
言われて、透と明里は顔を見合わせる。外は晴れているが、少しでも長く彼氏と一緒にいたいのは同じだ。
「じゃあ……リカ、お願い」
「はいよ」
それだけ話して、透と明里は家を出た。
その背中を眺めながら、円香は顔を反対側に向ける。しかし、本当に納得がいかない。何で風邪引くのが自分なのか。と言うか、逆に引かない明里の体質が異常なのかもしれない。
……逆に自分の16歳の誕生日は何で風邪引いたんだよ、と思わないでもないが。
それにしても、良い天気だ。梅雨明けだと言うのに暑過ぎないし。そう言う意味でも、今日は一度、外に出たかった感じである。
「……あっ」
そういえば、雨が続いて洗濯物が溜まっていた。
×××
「ごめんね、とおるん」
「いいから、別に」
話しながら、明里は車を走らせる。初心者マークがついているとは言え、手慣れた様子で運転をしていた。
「一人で大学、大丈夫?」
「余裕だから。余裕村の余裕チャンピオン」
「じゃあ、今日の晩ご飯はとおるんが食べたいものにするね。何が良い?」
「あ、マジか。ラッキー。じゃあ……坦々麺」
「ど、努力してみます……」
帰りに買い物して帰らなきゃ……と、思いながら、明里は大学の近くまで来た。
円香であれば危機感を持って近くのコンビニで降ろしてもらう所だが、二人ともそんなの気にしない。校門前で車を止めた。
「じゃあ、とおるん。頑張ってね」
「リカ」
「ん? ……んぅっ⁉︎」
車の鍵を開ける前に、透が隣の明里の頬に唇をつけた。
「はい。いってきます、のチュウ」
「……う、うん……」
「照れ過ぎ。ウケる」
そう言いながら、透は車から降りて行った。本当に中身は彼女の方がイケメンである。
車から降りた後でも、途中で振り返りながら手を振って学校の中へ向かう透。車で娘を送る父親ってこんな感情なのだろうか? 名残惜しさがとても良くわかる気がした。
さて、透が見えなくなるまで眺めた後、車を走らせてスーパーへ向かった。坦々麺の材料をカゴに入れたついでに、ポカリやらネギやらと風邪への特攻を持つ飲食物を購入して家に戻った。
なんだかなんだ50分経過してしまったが、円香は大丈夫だろうか? ちゃんと看病してあげないと……と、思いながら家の中に入った。
「ただいまー」
玄関を開けて手洗いうがいだけ済ませてからリビングに入ると、ベランダの窓が開いていて、洗濯物を干すように動いている影が見えた。
「何してんのマドちゃん⁉︎」
「……あ、おかえり……けほっ、けほっ……」
「じゃないよ! 寝てないとダメだって!」
「いや、天気良いのに洗濯しないの勿体無い……」
「アホか!」
「あんたが言うな」
「言うわ! 俺やるから寝ててって!」
慌てて買って来たものを床に置いてベランダの円香を連れてリビングに戻し、布団に寝かせる。
「もー、熱上がっちゃうでしょ」
「つ、ついでに……布団干して、クーラーの掃除もして……」
「埃舞うからダメ! マドちゃん、それ吸ったら治らないでしょ!」
思った以上に家事脳になってしまっていた。自分も同じくらい家事をしているはずなのに、何故こうなるのか……いや、それは簡単だ。一人暮らしの経験があるかないかの差だ。
「もう、マドちゃんも全然、人のこと言えないじゃん……」
「……このくらい、風邪引いててもできるでしょ」
「できるできないじゃなくて、安静にしていなさい」
「それもあんたに言われたく……けほっ、けほっ」
ため息をつきながら、咳き込む円香に布団をかけた。
とりあえず、先に円香の処置をするため、買って来たアイテムの中から冷えピタを取り出した。
「マドちゃん、冷えピタ貼るよ」
「ん……」
前髪を上げると、目を閉ざす円香。別に目を閉じる必要などないわけだが、まぁ顔をいじられる時は目を閉じてしまうのは何となくわかる。
円香にしても透にしても、顔だけを好きになったつもりはない……とは言っても、やっぱり綺麗な顔してるなぁ、と心底思いながら、冷えピタを貼っつけた。
「つめたっ」
「我慢」
「分かってる」
その冷えピタの上に手を重ねて撫でるようにダメ押し。
それを終えると、明里は立ち上がって冷蔵庫に向かい、氷をコップに入れて買ってきたポカリを注いで、ストローを入れた。
「はい、喉乾いたら飲んで。ストローあるから」
「ん……ありがと」
「俺、洗濯物干すね」
それだけ言って、洗濯物を干し始めた。
まったく、円香にも困ったものだ。身体が弱っている時にまで、わざわざ無理して……少なくとも、家事よりも大事な誕生日デートに来た時、叱りつけて来た人の行動とは思えない。
そんなことを思いながら、洗濯物が入ったカゴの中に手を入れて、適当な布を一枚、手に取った時だ。出て来たのは、女性モノのパンツだった。
「っ⁉︎」
今更ながら、洗濯をしていたのは円香。つまり当然、女性モノのあれこれも入っているわけで。
「ま、マドちゃん!」
「な、何……」
「ぱ、パンツ……どうしよう」
「? 干せば?」
「え、いや……い、良いの? 俺がそれ、干しちゃっても……」
「私はよくリカのパンツ干してるけどね」
「……」
今まで明里が洗濯するときは、下着類は円香や透に代わってもらっていた。だからこういう時は割とピンチだったりする。
……しかし、いずれ慣れないといけない事、と思えば、少しは覚悟も決まる……そう思い、明里はパンツを手に取った。
そのままなるべく意識しないようにサクサクと干していっていると、ふと視界にたまたま手に取った黒いブラジャーが入る。おそらく胸をしまう布が丸く膨らんでいる形状のつなぎ目が切れてしまった。
「いっ……⁉︎」
やばい、壊れた。よりにもよって下着が。
慌てて寝てる円香の元に戻った。
「ま、マドちゃんごめん! 下着壊れちゃった!」
「……寝かせる気あるわけ?」
「ご、ごめんって……ほ、ほら、真ん中の部分……!」
「はぁ? ……ーっ、そ、それ……!」
直後、円香は慌てて布団から出て来た。
「だ、ダメだってだから布団から出て来たら!」
「そ、そのブラはダメ……!!
「え、そ、そんな大事な奴なのこれ?」
「そ、そうじゃなくて……! っ……〜〜〜っ、へ、ヘンタイ!」
「ヘンッ……」
ガーン、と音がしそうなほどに、明里は狼狽えて動きを止めた。その隙に円香は下着を回収し、外に干してから布団に戻る。
「……あ、ほ、干すの?」
「あれ、フロントホックって言って、前側で下着を止める奴」
「じ、じゃあ……壊した、とかじゃないのね……?」
「……」
「っ……ご、ごめん……」
風邪引いている円香に、自分はなんて真似を……と、少し頬が赤くなる。確かにこれは変態と言われても仕方ない。すごすごと逃げるように洗濯物を干すのに戻った。
仕事を終えて、とりあえずリビングに戻ると、円香は相変わらず目を開けている。眠れないのだろうか?
「何か音楽とか聞く?」
「……ねぇ、リカ」
「ん?」
「どう、思った? ……黒のフロントホックのブラ、見て……」
「えっ」
どう思った、とか言われても……さっき変態と言われた手前、下手なことは言えない。正直、大人っぽいな……と思わないでもなかったが、また変態と言われる。ただでさえ風邪を引いているのに、熱を上げるわけにはいかない。
なるべく変態的な答えを言わないよう、言葉を選んで答えた。
「マドちゃんのお気に入りなブラ、壊さなくて良かったなって」
「ーっ……!」
完璧、と思ったのも束の間、円香の顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まったのを見て、すぐにまた間違えた、と理解した。
「ま、マドちゃ……」
「出て行って……!」
「えっ」
「あんたがいると、熱が上がる……!」
ヤバい、激おこだ。何が地雷に触れたのか分からないが、まずいってことだけはよく分かった。
「ま、マドちゃ……」
「出て行って。家事はしないって約束してあげるから」
「や、そんなことが気になってるわけじゃ……」
「じゃないと……私が出ていく」
「っ、わ、分かったよ……!」
風邪を引いている円香を外に出すわけにもいかない。仕方なく、明里は慌てて家を出て行った。
×××
浅倉透は、スーパーで買い物を終えた。風邪を引いた円香のためにポテチとコーラを購入して、歩いて帰宅。本当は明里にでも迎えに来てもらおうと思っていたが、看病で忙しいと思うので控えた。
さて、家に到着。鍵を開けようとポケットを弄るが、何も入っていない。
「ふふ、鍵ないわ」
仕方ないので、インターホンを押す。すると、応答がない代わりにドタドタと足音が近づいてきた。
ガチャっという開かれる音と共に、中から出て来たのは円香だった。ふらふらした今にも倒れそうな足取りで、実際倒れ込むように透へ両手を広げて体重をかける。
「わぉ、円香? リカは?」
「……最低」
「……」
一発で分かった。これ、自分自身に対して言っているセリフだ、と。相当な自己嫌悪に陥った後、円香はすぐ透か明里に甘えに来る。
円香がここまでのストレスを溜める相手は2人しかいない。明里かプロデューサーだ。数の割合的には明里2割、プロデューサー8割なのだが、プロデューサー相手の時より明里が相手の方が、ストレスの上限の振れ幅は大きい。
何より、明里ではなく透に来ている時点で、今回は明里関係と見るのが正解だろう。
「はいはい。聞くから、とりあえず戻ろう。部屋」
「……ん」
そのまま肩を貸す形で円香を連れて布団に寝かせた。先に手洗いうがいだけして、改めて枕元に座って話を聞く。
「で、どしたの?」
「……追い出した。あのバカ」
「わぉ、なんで?」
「……バカだったから。いつまでも人の気持ち察しないで、余計なことばかりするバカに。……でも」
「そういう奴だって知ってて付き合ってる自分にムカつく?」
「……」
黙ったまま、布団の中で寝返りを打つ円香。何があったのか知らないが、何となく分かったのは、幼馴染のなせる技と言えるだろう。
察した透は何も言わない。無言のまましばらく隣に座った後、何を思ったのか、その布団の中に潜り込んだ。
「っ、な、何……?」
「や、昔はよく一緒に寝たから」
「狭いんだけど」
「成長したから。ずっと一緒だから分かんないかもしれないけど」
「……中身は全然だけどね」
別に、透は慰めるつもりもアドバイスのつもりもなかった。ただ、一緒にいた方が良い気がして、とりあえず普通に眠かったし、布団に潜り込んでみただけだ。
が、それがヒントになり得るのだから、天然タラシは恐ろしい。
そう、羞恥心と覚悟が伝わっていなかった事から、フロントホックの黒いブラを見られて腹を立ててしまったが、そもそも明里がそんなものに気付くはずがないのだ。性欲が控えめにも程があるバカタレなのだから。
彼に下着を褒められる機会なんて、こちらが問い詰めない限りないと思った方が良い。
「……透」
「ん?」
「リカ、探して来て……」
「任された」
それだけ話して、透は布団から出た。さて、探すのは良いが……それは結局、仲直りが出来るだけで根本的な解決にはならない。
そう思った透は、円香に声を掛けた。
「ね、円香」
「何?」
「乗る? 作戦」
「?」
×××
透が出掛けてから10分後。透が明里の思考を正確にトレースした結果、おそらく円香のためにスイーツか何か買っていると思い、駅に行ったら案の定、いたので「大丈夫だから。私も謝ってあげるから」と子供を諭すように言って、ケーキだけ買って明里を連れて帰宅。
リビングの扉の前で、風邪を引いている彼女の様子を眺めながら明里は透に聞いた。
「……怒ってた?」
「分からん」
「……」
そこはノーヒントかよ……と、思いつつ、明里は透に別の苦言をする。
「ちょっと……頼むよ。一緒に謝ってくれるって言うから、勇気を振り絞ってるのに。野宿する覚悟はできてたんだよ?」
「普通、野宿の方が勇気振り絞らない?」
「そうでもなくない?」
「や、知らんけど。……ま、私の言う通りにすれば大丈夫」
「……ん」
そう言うと、改めて二人はリビングに入った。
慎重な足運びで、円香の布団近くに歩く。透の指差による指示で、寝ている円香の足元に立たされた。
「で、どうするの?」
「突撃ー」
「は?」
直後、どんっと背中を押された。思いっきり前のめりに倒れ込み、明里はまるで寝込みを襲っているかのように、円香の上で四つん這いになる。
「ちょっと……とおるん……!」
「わぉ、大胆」
「誰の所為で……⁉︎」
と、すぐに明里が起きあがろうとした時だ。真下の円香が「んっ……」と声を漏らして寝返りを打つ。横を向いていたのが、仰向けになった。
直後、パジャマの上から三つ目のボタンまで止められておらず、はだけた事により、下着が目に入った。
黒いレースがついた、胸と胸の間を繋ぐ部位にリボンが付いている下着。黒なのに、何故か派手に見えるその下着に最初こそ目を背けた明里だが、やたらと目を引かれてしまっていた。
「……っ、ど、退かなきゃ……」
慌てて上から退こうとした直後だ。円香が目を開けた。
「……あ」
「……今、三回チラ見してたでしょ」
「……え?」
「すけべ」
「……ーっ!」
真っ赤になる。ハメられた、とすぐに理解した。すけべはどっちだよこの野郎、と思わないでもないが、とにかく明里は顔が真っ赤に染まった。
その明里に、円香は追撃するように聞いた。
「どう?」
「っ、な、何が……?」
「さっき、ロクな感想もくれなかった下着」
「〜〜〜っ……!」
すぐに分かった。さっき追い出された理由も、円香は褒められたかったのかもしれない。その他の下着に比べて妙に大人っぽい下着を。
……正直に、言ってしまっても良いものなのだろうか? いや、それを期待されているのか? しかし「下着が似合っている」なんて褒めるのはやはり変態的な方……。
ぐぬぬっ……と、迷った結果、真っ赤な顔のまま目を逸らしてポツリとつぶやくように言った。
「……お、大人っぽくて……素敵だと、思います……」
「……ん、よろしい」
そう呟くと、円香は布団の中から手を伸ばし、明里の頭を撫でた。
「さっき、態度悪くしてごめん」
「え? い、いや……いいよ。風邪ひくとナイーブになるのは分かるし」
「……ありがと」
「いや、ホント気にしないで」
そんな話をしている時だ。後ろにいた透が、さらに明里の上に体重をかけて来た。完全に油断していて、そのままべちゃっと潰される。
「ぐえっ……!」
「ぐふっ……!」
「私もあったまりたい」
「……と、とおるん……!」
「重いんだけど……」
「円香も寒いでしょ。挟んであげる。私とリカで」
「……2人でも狭かったのに何言ってんの?」
「あ、そっか。マドちゃん、お熱出てるんだもんね」
「言い方。私は園児か」
「じゃ、私右から」
「俺左ー」
「もう勝手にして……」
諦めて、モゾモゾと布団の中に入ってくる二人とぬくぬくした。