夏休み終盤となり、それに伴って成績表が送付される。当然、三人とも落とした課題などはなく、普通にフルで単位を取れた。
さて、次の単位何とるかーとか考える奴は考えるし、考えない奴は考えないこの季節、当たり前のように三人とも考えることは無かった。
「ただいまー」
明里が撮影を終えて帰ってきて、円香と透はビクッと猫のように耳を動かして身体を起こす。
だが、わざわざ迎えにはいかない。帰ってきたのを待っててわざわざ起きていると思われるのは、少し気恥ずかしいから……なんて思っている円香の横を、透がスィーっと通り過ぎた。
「おかえり、リカ」
「ただいま……疲れた」
「鞄、もらうよ」
「ありがと。でも中にお弁当箱入ってるから、それだけ出しといて」
「うん」
そんな声が廊下から聞こえてくる。そういうとこ……少し、透が羨ましい。いや、もう好きなことも知られているし自分は彼女なのだから、素直になれば良いのだが……なんか、やはりまだ恥ずかしいのは、自分の性格によるものなのか。
……でも、透が迎えに行ったのに自分が行かないのもちょっとアレなので、言い訳臭くコーヒーを飲んでいたマグカップの洗い物を始めた。「洗い物をしていたので迎えに行けませんでした」と誰かに弁明しているような行動だった。
「ただいまー……」
「おかえり」
明里が疲れた様子の声を漏らして部屋に入ってくる。
「疲れてる?」
「うん、まぁ……」
「シャワー浴びて来たら?」
「あー……うん。そうしようかな……」
本当にお疲れ気味のようだ。まぁ、仮面ライダーは毎週やるし、その撮影も当然、毎週どころか週に2〜4回はある。
そのまま部屋から出ていく明里。その入れ替わりで、透がお弁当箱を持って出て来た。
「あ、円香。はい、リカのお弁当箱」
「ありがと」
ついでにお弁当箱も洗ってから手を軽く流しの上で払うと、軽く伸びをしながらため息をつく。なんか……自分は何しているんだか……と、ちょっとだけ自己嫌悪。
その円香に、透が声を掛けた。
「なんかすごい疲れてた、リカ」
「見れば分かる」
「やっぱり大変なのかな、仮面ライダー」
「炎天下だからでしょ。スタントとか全部、自分でやってるらしいし、疲れない方がおかしいから」
普通、そこまでやらないが、明里の実際の強さあってのことだろう。最近は家で筋トレをすることも増えてきた。
けど……心配は心配だ。これから学校も始まるし、温暖化なのかなんなのか知らないが、10月も後半にならないと涼しさが増さない。
少しは気が休まると良いのだが……なんて思いながら、とりあえず作り置きしておいた夕食を温める。
すると、透が何か決心したように声を漏らした。
「よしっ」
「どうしたの?」
「明日、甘いもの作ろう」
「急に何?」
本当に。そういうことするのはバレンタインか明里の誕生日くらいだったのに。
「ほら、甘いものじゃん。疲れた時は」
「……そうだけど」
……透なりにあまり家事をしない分、明里に気を遣っているのかもしれない。
まぁ……確かに何か最近の明里には労いが必要な気はする。
そうこうしていると、明里がリビングに戻ってきた。
「いやー、やっぱこの時期のシャワー最高だね」
言いながら部屋に入った明里は、軽く伸びをしながら元気な声を上げる。
「二人ともご飯食べた?」
「食べた。あんたのもある」
「いえーい」
話しながら机の上にお皿を置き、ご飯をよそって箸を渡した。
「はい」
「ありがとう」
明里は食事を始める。チンしたご飯なんて出来立てより美味しくないものなのに、幸せそうな顔で咀嚼していた。
「ん〜……美味しい。流石、マドちゃん」
「はいはいどうも」
「ねーリカ。何か食べたいものない?」
「え、今食べてるのに?」
透が口を挟んでくる。そうだ、明日甘いもの作ると言っていた。
「そうじゃなくて。明日、透が何か甘いもの作ってくれるって」
「ほんと? 大丈夫?」
「ふふ、余裕」
「……マドちゃんも一緒に作るんだよね?」
「食べるのは私じゃないから」
「そんな⁉︎」
まぁ手伝う予定ではあるし、なんなら自分も何か別のものを用意しようかと考えている。
「ふふ、二人とも超失礼」
透が少し拗ねたような声を漏らした。それを聞いて、円香と明里は顔を見合わせると、ふっと笑みを浮かべる。
「なら、日頃の行動を直して」
「砂糖と塩くらい間違えないようにしようね」
そんな話をしながら、三人でしばらく歓談しつつも、円香は明日のクッキーについて考える。せっかくだし、疲労回復効果のあるものを用意してあげなければ。
×××
その日の夜。就寝しようと明里が部屋に戻ったのを見計らい、円香は明里の部屋に入った。
なんか……最近ちょっと、明里と透がどんどん仲良くなっている気がしたから。元々、波長が合うのは明里と透の2人だったわけだが、でもやっぱり羨ましい。
……なので、夜這いではないが、ちょっと構って欲しかった。
「……リカ」
「? あ、マドちゃん……どしたん?」
「疲れてるんじゃないの?」
「うん、まぁね。でも全然平気」
嘘だ。帰ってきてからやたらと元気に振る舞っていたが、円香から見れば真逆であるようにしか見えない。
「ふーん、じゃあマッサージしなくて良いのね?」
「え……ま、マッサージ?」
「足と腰と肩、疲れてるんじゃない?」
誰にも言っていないが、明里が柔道をモチーフにした仮面ライダーに変身すると聞いてから、少しだけ柔道のことを調べて、何処に負担が掛かるのかを調べておいた。特に意味はないが。
寝技込みならもっとあるのだろうが、まぁそこまで地味な技をテレビでするとは思えなかったのでそこは除外して調べたのだ。や、だから特に深い意味はないが。
図星だったようで、仰向けになっていた明里はそのままうつ伏せになった。
「じゃあ……お願いします」
「疲れてないんじゃなかったの?」
「うっ……い、意地悪言わないでよ……」
「素直にお願い出来ない自分を改めたら? ミスターツンデレ」
「え、それマドちゃんが言うの……?」
「ここ凝ってる」
「ぎにゃにゃにゃにゃ! せ、背骨をグリグリしないで!」
人には言って良い言葉と悪い言葉があるだろうに……と、思いながら、手を離したあと、改めて腰の上に馬乗りになった。
「どう?」
「んっ……気持ち良い……」
まずは肩から順番に掌で押していく。ぐりぐりぐりっと押すように振動させながら、少しずつ下に手を動かす。
「んっ……気持ち良っ……」
「変な声出さないで」
「え、出してなっ……んんっ、ひゃふっ⁉︎」
「出すなって言ってんの」
じゃないと円香も変な気分になるため、脇の下に指を差し込んで黙らせた。
「でも……マドちゃんマッサージ上手だね。このまま寝ちゃいそう……もしかして、調べたりしてた?」
「……別に。こういう時のために、素人が下手をして悪化しないように備えただけ」
「そっかー。まぁ、アイドルだし、歌って踊ってると怪我とか疲労溜まるだろうしねイダダダダダ!」
「寝てても良いよ」
「これ痛みによって失神させる奴……!」
全く誰のためにやっているのか、一番分かってほしい人に通じないのは本当に腹が立つ。
「……私が生活面で何か新しいことをしようとするの、リカと透のため以外にないから」
「……じゃあ、もしかして……」
「ちゃんと自覚して。ミスター鈍感」
「……そ、そっか……ごめん。ありがと。にへへ……」
「……」
その笑い方、癖ついてるの? と同年代の双子の姉を思い出して、ちょっとため息をつく。
「でも……じゃあ、俺もマドちゃんととおるんのために、何か新しいこと覚えないと」
「別にいい、そんな気負わなくて」
少なくとも、ここ数日はしばらく楽にして欲しい。いつも疲れて帰ってきているのを、頑張って隠しているのだから。
「リカは……元気でいてくれればそれで良いから」
「……俺はマドちゃんととおるんの息子……?」
「ならむしろマッサージして」
「え……じゃ、しようか?」
「それはまた今度で」
「どっちなの……」
労われては意味がないので、割とマジで結構だ。今度お願いしたい。
「……ごめん、ほんとに……寝そう……」
「だから言ってるでしょ。寝てて良いって」
「じゃあ……おやすみ……」
「ん……お疲れ様」
そう囁くと同時に、明里はそのまま寝息を立て始めた。本当に疲れていたのだろう。
……さて、マッサージすると言ったからには、円香も寝ている間であっても手を休めない。背中を終えて、次は腰回り。本当、こうして触る機会があると、当たり前ながら男の子と女の子の差を理解してしまう。
男の子の腰は、こんなにガッチリしているのか、と少し思う。
「……」
この下、お尻か、と無防備にうつ伏せで主張されているお尻を見る。男の子のお尻……これもまたえっちだ。
「っ……」
と、ダメだ。ちょっとムラっとしては。自分は思春期か、と強く思いながら、とりあえず腰を終えて、太ももの付け根から念入りにマッサージをした。
×××
翌朝、円香は劣情を抑えるために自室に移動して寝た……のだが、どうやら因果応報というものは本当にあるらしい。
「痛……」
「ふふ、辛そう。めっちゃ」
「……何笑ってんの殺すよホント」
「わぉ、怖っ」
生理痛である。それも、激痛。頭痛と吐き気と節々の痛みがフルセットで襲いかかってくる。
「じゃあ……当たり前かもしれないけど、お菓子作りは?」
「……一人でやって」
「え、リカと一緒じゃダメ?」
「リカを労うためのお菓子にリカを巻き込んでどうするの……」
「あれ、働くもの食うべからず」
「なんで働いてるのに食べちゃ……あっ」
やばい……トイレに行かなきゃ……と、焦りが浮かぶが……何よりまずいのは、現状を明里に知られること。女の子的に嫌だ、というのもあるが、何より心配かけたくない。
「……透」
「何?」
「リカとクッキー作って良いから、ちょっと動き止めてきて」
「え……言わないの? リカに」
「言わない」
「じゃあなんて言うの?」
「……小糸の家って言って」
幸い、明里はまだ寝ている。バカだし全然、騙せるだろう。
「まぁ良いけど……怒るかもよ? リカ」
「怒らないでしょ。私達の身に何か起こらない限り」
「だと良いけど……」
「じゃあ、そういうことで……とりあえずトイレ」
それだけ話して、部屋の扉を開けてトイレに向かった。ダメだ……ちょっとお腹が痛過ぎる。この歳まで性欲が何度も昂ぶっているのに処女を貫いている所為だろうか? いや、関係ないと思うけど、何れにしてもかなり辛かった。
×××
それから一時間後ほど。ようやく明里は目を覚ました。身体が少し軽くなってる。マッサージをしてもらったからだろうか? 本当に円香には昔から、世話になりっぱなしだ。
だから、あんまり疲れてる姿は見せられないし、そろそろ起きないといけない。
「……ん〜っし、起きるかぁ」
身体を起こし、肩と首を腰と足を伸ばしながら歩いて部屋を出る。もう秋とはいえ、残暑の時期の朝は寝汗をかくので、まずシャワーである。
軽く頭から流してさっさと風呂から出て、ドライヤーをかけてリビングに出る。
「はよーっ……て、あれ誰もいないのん?」
「いるよー」
「あ、とおるん。どうしたの台所で。そこ遊ぶところじゃないよ?」
「ビンタしたい」
「えっ」
怖っ、と狼狽えるが、透は明里に目も向けずに手を動かす。
「マドちゃんは?」
「今部屋」
「? まだ寝てるの?」
「ついててあげて」
「……風邪でも引いてるの?」
「それより酷いから、ついててあげて」
「わ、分かった」
すぐに明里は円香の部屋に向かう。扉を開けると、目に飛び込んできたのは……丸まって眠っている円香が目に入った。
「マドちゃん?」
「……」
苦しそうな感じはない。寝ているからだろうか? でも、お腹を押さえて眠っている。
ついててあげて……というのは、こういうことか、と明里は理解して、とりあえず手を握ってあげながら円香の顔を眺めた。
眠っている時は必ず取れる眉間の皺、目の下の泣きぼくろ、形の良い唇……性格と面倒見が良い上に美人……そんな子が2人も自分について来てくれるなんて、やはり幸せ者だ。
だからこそ……具合が悪いなら起こしてでも言って欲しかったとこあるのだが……まぁ、今はいい。
頬に手を当てて撫でる。汗ばんだ額が目に入り、持っているハンカチで拭いてあげた。
「んっ……」
そんな中、円香から声が漏れた。やばい、起こしちゃうかも、と思い、手を引っ込める。すぐに寝息を漏らし始めた為、ほっと胸を撫で下ろして、そのまま円香の寝顔を眺めた。
「……あ、目ヤニ」
こうして寝顔を眺めていると、こんなに完璧な子でも人間なんだな、なんて思う事が多々ある。当然、顔のパーツはどの人間も同じだから。目があって、まつ毛があって眉毛もあって、鼻と口があって……そして、寒くなれば鼻水は出るし、力が抜ければ口から涎が垂れるし、寝起きは目ヤニが出来る。
……拭いてあげた方が良いだろうか? いや、起こしてしまうかもしれないし、やめておこう。
そう思ってそのまま全く飽きることなく、ベッドの上に腕を枕にあごを置いて、円香の寝顔をのんびり眺めている時だった。
ふと円香の瞼が開いた。
「んっ……んっ⁉︎」
「あ、起きた」
急に顔を真っ赤にする円香。目の前に明里の顔面があって驚いたのだろう。驚愕のあまり、頭突きを額にかまされてしまった。
「いっづぁっ……⁉︎」
「ぐっ……お……!」
自分だけでなく円香にもダメージは入り、ノックバック。そして、急な激しい運動が祟ったのか、お腹を押さえて再び丸くなった。
「だ、大丈夫? 急性胃腸炎……?」
「うるさ……てか、なんでここに……!」
「ん、とおるんが面倒見てあげてって」
「あのバカ……!」
奥歯を噛み締める円香だが、その反応で理解した。
「てことは……俺に具合悪いの内緒にしたかったの?」
「……別にいいでしょ」
「良くない」
そう言うのは困る。円香だって、自分が色々隠してたら怒る癖に。とはいえ、まぁ自分まで怒っても仕方ないし、円香の腕を掴みつつ、自分も枕元に座り、引き上げながら胸元に頭を置かせた。
「で、お腹以外に痛い所は?」
「……なんでお腹って分かるの」
「ずっとお腹押さえてたし」
「……ていうか、透から何も聞いてないの?」
「うん。近くにいてあげてって言われただけ」
「……」
すると、円香は少し黙り込む。頬を赤らめたままどうしようか考え込むように目を閉じつつ、自分に体重をかけた。
「ん……生理」
「え?」
「生理痛……だから、言いたくなかった」
「……」
なるほど、と理解する。女性特有のそれは、かなりキツイものらしい。人によるらしいが、場合によっては頭痛、吐き気なども催したりする。
「……ごめん」
「別にいい……心配、かけさせたくなかったから」
「それはバカ。心配かけないでどうするの。同棲してて」
「……痛っ」
「あ……だ、大丈夫?」
「……ごめん、きつい……寝かせて」
「どうぞどうぞ」
話しながら、円香は身体を横にする。その円香の手を握りながら、明里は言った。
「ごめん、正直に言うと生理痛とか俺ないからどれだけ苦しいのかわからないけど……だから、なんでも言って。なんでもするから」
「……ん」
そんな話をしながら、円香の頭を再び撫でた。ちょうど良いそのタイミングで、部屋に新たな来訪客。
「やっほー、二人とも。イチャイチャしてる?」
「してない」
「クッキー作ったよ。朝ご飯まだだし、食べよ?」
「良いね」
「……透一人で?」
「生理の癖になめすぎ」
「……は?」
「ちょっ、やめてやめて落ち着いて」
明里が間に入る中、透は円香机に備えついている椅子を寄せ、円香の枕元に置くと、その上にクッキーを置いた。
「じゃーん」
その蓋の下から出てきたのは……香ばしい香りを漂わせるクッキーだった。
「おお……普通だ」
「……ん、良い香り」
「ふふ、むかつくわ。本当に」
「マドちゃん、食べれる?」
「あんま食欲ないけど……まぁ」
「じゃ、朝ご飯にクッキーで」
話しながら、三人で食事を始めた。
×××
二股も悪くないかも、なんて円香は改めて実感する。もう前々から似たようなことはあったが……まー助かる。何せ……自分は男の人にはなるべく言いたくないお願いも出来るから。
それ以外にも、家のことをやりながら自分の面倒も見てもらえるし、利点が多い。
何より……やっぱり、明里と透の三人でいられると、楽しい。我ながら、恋人と幼馴染、両方欲しいなんて、欲張りだ。
ずっと、ベッドの横で手を繋いでてくれている明里と、珍しく家のことをほとんど引き受けてくれている透が、今は自分の部屋にいてくれている現状を見て改めてそう思った。
「ブラックパンサー」
「アントニー」
「イカリス」
「スターロード」
「ドクター・ストレンジ」
「ジミー・ウー」
……このMCUウルトラしりとりが普通に耳障りだが。結構、メインキャラから一話限りの脇役までスラスラ出てきているのが腹立たしい。明里はともかく、透はそれを勉強に活かしていただきたい。
「はぁ……うるさい」
「あ、お腹すいた?」
「ぶっ飛んだ話題」
「何か作ろうか?」
「食欲ないんだけど……」
「ダメ。食べないと治んないよ」
「いやこれ風邪じゃないから」
正直、今何かを食べれば戻してしまう気がする。そういうのは、明里の前では避けたい。何せ、女の子としてもアイドルとしても恥ずかしいからだ。
「とおるん、こう言う時は食べなくて平気なもの?」
「え、わからん。私、ここまで酷くなったことないし」
「マジかー……じゃあ、ちょっと調べてみよう」
どうやら、どうしても何か食べさせるつもりらしい。気持ちはありがたいけど……でも、無理に食べると胃が受け付けない気もする。
「あ、あの……リカ」
「おお……マグネシウムを摂ると良いって」
「マグネット?」
「アークリアクターじゃん。やばっ」
「やめて。人をヒッピーみたいな髭にしないで」
「あ、そうだ。若い時のダンブルドアとかスターク見てて思ったんだけど、俺って髭伸ばしたら少しはカッコ良くなるかな?」
「「今のままで十分だからやめて」」
「え……だ、ダメなの……?」
それだけはやめて欲しい。いや、髭男が嫌いとかではないが、そういうのは爽やかイケメンはやらない方が良い。……いや、水○ヒロのような爽やかなのに髭が似合うわけわからないタイプのイケメンもいるにはいるのだが。
いや、そんなことよりも。
「ていうか……私、やっぱり食欲ないから……」
「大丈夫だよ、生姜とか大豆製品が良いらしいから、冷奴でも作るよ」
それなら最適解、とまぁすぐに出てくるものだ。するっと入るし、大豆製品だし、上から生姜をすりおろして醤油をかけて食べるのは最高に美味い。居酒屋のお通しで出て来そうだ。
「……まぁ、それなら……」
「よし。とおるんは? 何か食べる?」
「うーん……じゃあ、私は揚げ出し豆腐」
「お、良いねそれ。俺もそれ食べよう」
「……」
……こいつら、当てつけかよ、と思わないでもないものをチョイスしてくれたものだ。冷奴のレベルアップverのようなものである。別に良いけど。
「じゃ、作ってくるね」
「じゃ、私円香見てる」
「……別に平気。一緒に作ってきたら?」
「えー、でも大丈夫?」
「何が」
「急に吐きそうになったりとか……」
「平気だから。……私ばかりに構ってもらってるから、少しは二人でイチャイチャしてて」
「……ん」
それだけ話して、明里と透は部屋を出ていった。
ふぅ、と一息漏らす。心なしか、お腹の痛みは少し引いた気がする。割と八つ当たりに近いことも言ってしまった気がしたが、二人とも気にした様子を見せなかった。
「……ふぅ」
一息つく。騒がしかった部屋が静かになったが、ずっと騒がしいままなのは流石に堪えるから、たまにはちょうど良い。
……そう思う反面、ちょっと申し訳ない気持ちが出てくる。昨日、疲れて帰ってきた明里に、思いっきり世話をかけさせてしまった。
なんか……自分のタイミングの悪さが嫌になる。何故、今日に限ってこんな強烈な生理痛に襲われるのか……もしかして、労うつもりでいながら、本当は明里に甘えたがっていた、と言うことだろうか?
確かに、ここ最近は明里の帰りは遅くなってはいたが……だからといって、たまの休日くらい、休ませてあげるべきだろうに……。
「……うっ」
……ふと、お腹の痛みが増した気がした。というか、体調も悪くなってきた。まずい、一人になってからナイーブになってしまった。
嘘でしょ、と自問自答する。一人になったって……まだ部屋を二人が出ていってから数分なのに、もう体調に変化が出るくらい寂しくなってる? いつから自分はそんなかまってちゃんになったのか。
「リカ……あ」
ヤバい……吐きそう。吐き気どころじゃない。洗面器は用意していなかったので、慌てて口を手で押さえて立ち上がる。
ドアノブに手を掛けて部屋から出ようとしたが、間に合わない……と、膝をついた時だ。
「マドちゃん、呼んだ?」
「っ……りっ……うっ」
「え、嘘……!」
やばっ……と、口から出そうになった時だ。自分の口の下に、明里が両手を添えた。
慌てて避けようとしたが間に合わない。そのまま手の上に戻してしまった。何も食べていないから、物は何もないが、液体が漏れてしまったが……それを、受け止められてしまった。
「ふー……セーフ」
「っ……り、リカ……」
「呼ばれた気がしたんだけど……もしかしてこれ?」
「ち、違っ……」
吐瀉物をぶち撒けるために呼んだわけじゃない……と、弁明したいが、吐いてしまったのは事実だ。信じてもらえないどころか……そもそも、嫌われてもおかしくない所だ。
謝らないと。
「ご、ごめっ……」
「まだ出そう? スッキリするまで出しちゃいな」
「っ……怒ってないの……?」
「? なんで?」
「っ……」
この人……何処まで器が広いのか、と、嘔吐したものをかけた身でありながら、頬が赤く染まる。
「大丈夫?」
「へ、いき……」
「生理痛って大変だね。もうほとんど病気じゃんこれ」
「……」
「あー、ごめん。一応、トイレ行っておいで。俺これ洗面所に流してくるから」
「……あの、リカ……」
「いいよ、気にしないで。こう見えて、中二の時は動物園のヒョウの体調不良を飼育委員より早く気がついて、檻に入って背中さすってたらゲロかまされたけど俺は吐かなかったから」
「……そう」
それにツッコミを入れる気力もない。……ダメだ、明里が来ただけで体調の悪さが引いていく。
「……ごめん。ありがと」
「だからいいって。それより、安静にしておくように」
それだけ言うと、明里は洗面所に向かった。
その背中を眺めながら、自分はトイレに行く。多分、もう吐かないけど、一応トイレに行く。口の周りをトイレットペーパーで拭い、それを流す。
……まさか、ほんとに吐くとは……それも、明里の前で。生理痛ってほんとにキツい……。
でも……改めて、明里という男を理解した気がする。あの男、自分と透の二人と付き合い、二人のわがままを聞いているからだろうか? 懐が、かなり大きくなっている。
その事に、思わず円香は久方ぶりに初恋のように胸の奥を高鳴らせた。それと同時に……自分ももっと大きくなろうと思った。少し一人になった程度で寂しさを感じている場合ではない。
もっと……少しくらい、寂しくても揺れない人にならないと……と、思いながら、お礼を言うために洗面所の扉を開いた。
そこでは……。
「あっ」
「は?」
手に残った香りを、嗅いでいる馬鹿の姿が見えた。
「ち、違うのマドちゃん! こんな機会、滅多にないから、ちょっと香りを感じてみたくて……!」
「……」
……完全に純粋な人間なんていない。童貞も拗らせれば歪むんだな、と思いながら、とりあえず無言で寝室に戻った。