先輩達が修学旅行に臨む中、市川雛菜は退屈だった。大きな欠伸を浮かべながら、学校から帰宅する。
普通に暇だ。もう退屈で仕方ない。あまりに暇なので、すでにもう今日1日が三日分のような感覚に陥った。唯一の救いは、明日から土日である事を利用し、小糸がうちに泊まりに来る事だ。だって、先輩達だけズルいから。
家に到着して、小糸が来るまでゴロゴロしながらスマホを見ると、四人のトークルームに、円香からチェインが来ていた。透が鹿に襲われている写真だった。
「やは〜、何これ〜」
思わずそんな呟きが漏れる。鹿せんべいでもあげ損ねたのだろうか? もしかしたら、鹿にも愛される程、透の魅力は溢れているのかもしれない。
すると、新たなメッセージが届く。小糸からだ。
福丸小糸『透ちゃん、大丈夫⁉︎』
すごく心配している。やっぱり、とても同い年とは思えないくらい素直で可愛い子だ。
とりあえず、自分も返信しておくことにする。
ひなな〜♡『透先輩、モテモテ〜♡』
……なんか、楽しそうで羨ましい。そう言えば、あの菅谷という先輩も多分、一緒の班で仲良くしているのだろう。前々から気になっていたが、デ○ズニーの時の男と菅谷は、同一人物なのだろうか? まぁ、どっちでも良い事なのだが。
チェインに既読が付かないのは、おそらく旅を楽しんでいるからか……いや、多分、もう鹿から脱出して銭湯にでも入っているのだろう。
小糸が来るまでに、とりあえず数学の課題だけ出ているので、それをパパっと終わらせると、また新しくスマホが震えた。
浅倉『樋口、後で覚えてろ』
樋口円香『分かった。スカート置いてくるね』
浅倉『ごめん、嘘』
無許可で送ったものらしいが、こればっかりは円香先輩ナイスと言いたくなってしまった。言わないが。
すると、ピンポーンとインターホンが鳴り響く音が聞こえた。もう来たのかな? と、思い、すぐに部屋を出た。
「あら、もう来たの?」
「うん、多分〜」
母親にそう言いながら玄関から出迎えると、やはり小糸が小さな身体で大きな荷物を背負って立っていた。
「ひ、雛菜ちゃん……えへへ、来ちゃった……!」
「あは〜♡ 無断で彼氏の家に遊びにきた彼女みたい〜」
「ぴぇっ⁉︎ か、彼女⁉︎」
「さ、あがって〜?」
小糸なら絶対に驚くと分かっていることを言っておいて、マイペースに家にあげた。
軽く親との挨拶を終えて、とりあえず自室まで行く。
「ふふっ、雛菜ちゃんの部屋、久しぶりだね」
「別の中学に行っちゃったからね〜」
「こ、高校は同じ所に行けるようにするから……!」
とはいえ、小糸の成績なら同じ所くらい行けるだろうが。勿論、雛菜も勉強どころか何でもそれなりに出来るので、二人が行く高校には行けると思う。
部屋に入り、ちゃぶ台にお菓子と飲み物を広げる。
「そういえば、雛菜ちゃん。さっきの写真、見た……⁉︎」
「見た〜。透先輩、すごく鹿に狙われてて面白かったよね〜」
「う、うん……! でも、大丈夫かな……? 食べられちゃってないかな……!」
「洋服は食べられちゃってるかもね〜」
「そ、それ公然猥褻になっちゃうんじゃ……!」
「大丈夫でしょ〜。円香先輩も一緒っぽいし〜、菅谷先輩も多分一緒だし〜」
それを聞いて、小糸は眉間に皺を寄せる。「ん?」と小首を傾げて、少し神妙な強面で尋ねた。
「……菅谷って……あの菅谷さん……?」
「え〜? 多分その菅谷先輩〜」
「あ、ご、ごめんね……! あの、とか言われても分からないよね……!」
適当な返しに、多分わかってないと思って小糸は話を進める。
「え、えっとね……実は、前に円香ちゃんに誘われて、○□高校の文化祭に行ったんだけど……その時に『ミスターorミス○□高校コンテスト』っていうのやってて……!」
要するに、美男美女を決めるというコンテストだ。
「それにね、透ちゃんと一緒に、その菅谷って名前の人が参加してて……!」
「……なんで〜?」
「さ、さぁ……?」
雛菜もほんの少し困惑したようにしている。普通、そういうのはその高校の生徒のみが出れるものではないだろうか?
「その時に……透ちゃんも、その菅谷って人も……お互いと円香ちゃんと一緒に遊ぶのが趣味、みたいな事言ってて……」
「ふーん……」
思わず冷たい声が漏れる。ほぼほぼ間違いない。あの男、菅谷だ。少し、複雑な心境ではあるが……でも、夏休みにやった川の清掃であの人は良い人だって分かったし……。
……むしろ、菅谷以外の馬の骨じゃなくて良かった、と見るべきか。
「ま、それなら雛菜は良かったかも〜。菅谷先輩、良い人だし」
「そ、そうなの……?」
「うん〜。透先輩と同じ空気出てるから〜、小糸ちゃんもすぐ懐くと思うよ〜?」
「な、懐くって……」
ペット枠のような言い方だが、菅谷に対しては警戒心なんて抱いても仕方ない、と言うのが雛菜の見立てである。
何より、仲良くなりたいと思った相手に、敵対なんてしても仕方ない、と雛菜は思っている。卒業される前に、もっとたくさん話しかけようとすら考えている。
「でも……そっか……。透ちゃんと円香ちゃんには、仲良い人がいるんだ……」
しかし、対照的に小糸は小さくため息をついてしまう。中学も別々で、もうすぐ高校に進学して、その上、高校のコンテストに参加出来るほどめちゃくちゃで仲良い人がいる……そんなのを目の当たりにして、疎外感を感じない程、小糸は強く無かった。
……多分だけど、受験勉強だって一緒にやっている事だろう。学年が違うとは言え、一緒に勉強しようなんて誘われた事はないのに。
「あ、またチェイン〜」
雛菜の声で、また下を向いてスマホを見る。一枚の写真が送られて来ていた。
「やは〜♡ 菅谷先輩と透先輩、超仲良し〜」
「……ほ、ホントだね……」
小糸から漏れたのは、寂しそうな呟き。何故なら、透がとても楽しそうな表情で、男子生徒におんぶされている写真だったから。
「……」
やはり、この人と仲良しみたいだ。それも、こんなに密着できる程度には。それがなんだか、複雑で、羨ましくて、妬ましくて。自分が同じ中学に進学出来ていれば、ここまでこの人と仲良くならなかったかもしれないのに。
そんな小糸に、雛菜が横から両手を広げて迫って来ていた。
「ぴぇっ⁉︎」
「小糸ちゃ〜ん、ぎゅ〜♡」
「っ、ひ、雛菜ちゃん……⁉︎ ど、どうしたの……?」
「小糸ちゃん、なんか寂しそうな顔してたから〜」
「……雛菜ちゃん……」
……そうだ。別に、あの男がいるからって、二人が自分に構ってくれなくなるわけではない。少し環境が変わったくらいで、悲観することは無い。
「ありがとう……!」
「なにが〜?」
「……う、ううん。なんでもないよ……!」
こういうことを無意識でやってくれる辺りが、やはり雛菜の良い所なのかもしれない。
「それより〜、透先輩の服装何これ〜? 制服の下、Tシャツでしょこれ〜?」
「な、なんだろうね……! 本当に鹿さんに食べられちゃったのかな……?」
とりあえず、適当に文章を入力して、のんびりとその夜は雛菜と過ごした。
×××
翌日の夜。その日も円香と透から色々と写真が送られてきた。嵐山やら、清水寺やらと、思いっきりエンジョイしている写真ばかりだ。羨ましい限りだが、まぁ来年は自分も行くので我慢。
雛菜の家を出て自分の家に帰った後も、あんまりにも羨ましくなってしまうので、なるべく送られて来た写真は一回しか見ないようしていた。
「明日、かぁ……」
なんだかんだ、早かった。雛菜と一緒に出かけ、メイクやら何やらと校則では禁止されているが、その分興味出た分野を一緒に学んできた。これで自分も立派な大人である。
明日、驚かせてあげるために、今も少し勉強していた。
しかし、修学旅行に行ってしまう前、小糸はいろいろ言ったことを思い出した。
『し、修学旅行と言えばさ、やっぱり夜だよね! 男の子と女の子が集まって、トランプとか枕投げとかしちゃって……』
『そ、それ以外にもさ、好きな男の子と宿を抜け出して、浴衣で空を眺めるとか……』
『ほ、他にもさ! 外に出なくても部屋に入らなくても、温泉の近くにある卓球台で、身体を動かすとか!』
……この辺。今にして思えば、全部否定されて良かったと思っている。
何せ、こんな青春の代名詞みたいな宿での生活をされていたら、間違いなく透か円香は取られてしまう。
なんだか初めて、学校側が厳しく校内の風紀を正そうとすることに感謝してしまった。
「……あ、また」
そんな中、チェインが届く。透と円香からだ。時間も時間なのに、まだ何か面白いことがあったのかな? と、思いその画像を開くと、思わず半眼になった。
・円香(ガチ怒)と菅谷が、枕投げをしている写真。
・透と菅谷が、卓球をしている写真。
・宿の前で、三人揃っての集合写真。
それを見るなり、思わずスマホを持つ手が震えてしまう。感情が入る、と言うのはまさしくこう言うことを言うのだろう、と実感してしまう程に、込められた力が全身を震わせる。
おそらく、この体格でなければスマホを握り潰してしまったかもしれないとさえ思う。
そして、それらは誰もいない……正確に言えば画面の向こう側にしかいない相手に向かって、言葉となって一気に放出された。
×××
「結局、私が言った事全部やってるじゃん‼︎」
翌日、お土産を渡すために、疲れているだろうにわざわざ小糸の家までお土産を持ってきてくれた円香と透に、思わず昨日の夜中に叫んだ言葉と同じ事をぶちまけてしまった。
もちろん、二人とも困惑する。
「……どうしたの?」
「寂しかった?」
「ちが……くはないけど、そうじゃなくて!」
違くないんだ、可愛いね、なんていう二人からの生温かい視線が迫ってくる。それが嬉しいやら恥ずかしいやら分からなくなり、結局怒りという形で落ち着いたまま、スマホを取り出して昨日の写真を二人に突き出した。
「これ! 私が言って二人と雛菜ちゃんが『いやそれは無理でしょ』みたいな感じで否定した奴!」
「……ああ、あれ」
「そう言えば言ってたね」
二人揃って呑気なことを言い返しながら顔を見合わせる。
「でも、楽しかったし」
「バレなかったし、別にね?」
「ば、バレなかったの⁉︎」
あの画像が送られて来たのは夜の11時以降にまとめて。つまり、それまでの間、何かしていたってことになるはずだが、まさかその時間までずっと遊んでいたと言うのだろうか?
「ま、円香ちゃん! 止めないとダメだよ!」
「いや……うん、まぁね」
「? どうしたの……?」
珍しく歯切れが悪い様子を見て、思わず聞くと、隣の透が説明した。
「樋口、もしかしたら今年度で菅谷とお別れだと思ってたから、それなら少しくらいはってメチャクチャな遊びにも付き合ってくれてたんだって」
「あそび……? 修学旅行に行ってたんじゃないの……?」
「ほとんど遊びみたいなものでしょ」
その返事、なんだか少しずつ透に染められている気がする。……いや、幼稚園の頃から一緒にいても最近まではこんなんじゃなかった。つまり、その菅谷という人と二人がかりで染めている、と言うべきか。
しかし、さっきの話を聞くに、菅谷という男は別の高校に行くのだろうか?
「ちなみに……その人は別の高校に行くの?」
「いや? なんか同じ高校来るって」
「浅倉が余計なこと言うから……」
「えー、喜んでた癖に」
「別に喜んではないし。……それに、まだ親から許可得たわけじゃないでしょ」
「許可って?」
「一人暮らしするんだって。浅倉が言ったらノリノリになってた」
本当に余計なことを言ってくれたものだ、と思いつつ「別に喜んではないし。……それに、まだ親から許可得たわけじゃないでしょ」というのは、裏を返せば親から正式なGOサインが出たら喜んでしまうのでは? と思ってみたり。
「その時は、樋口も色々と手伝ってあげるんでしょ?」
「何、他人事みたいな言い方してんの? 浅倉が勝手に言ってるだけでしょ。百歩譲って手伝うとしても、浅倉にも手伝わせるから」
それ、もう円香ちゃんも手伝う気満々じゃないの? という言葉も飲み込んだ。
「じゃあ、今のうちに役割決めようよ。私は応援する係で、樋口は手伝ってあげる係ね」
「手伝う内訳を決める中に、なんで丸々、手伝う係がいるの。私だってなんでも出来るわけじゃないから」
「や、やっぱり手伝う気満々じゃん!」
今度は声に出ていた。当然、円香はジロリと小糸の方へ視線を向ける。
「ぴぇ……!」
早くも萎縮してしまった。が、円香はすぐにフッと微笑を浮かべると、小糸の頭に手を置いた。
「別に、心配しなくて良い。私とか浅倉が菅谷と関わっても、小糸とあまり遊ばなくなるってことは無いから」
「ぴゃっ……⁉︎ ば……バレてたの……⁉︎」
「わかりやすすぎ」
「うう……は、恥ずかしい……」
頬を真っ赤にして俯く小糸。円香も透も、ニコニコして見物する。
「よく分かったね、樋口」
「……」
しかし、余計な一言によって頬の赤みが一気に飛んでいってしまった。透は分かっていなかった、という事が証明されてしまった。
そんな気まずい空気を何一つ察することなかった透は「あ、そうだ」と呟きながら鞄の中を漁った。
「はい、小糸ちゃん。お土産」
「あ、そうだった。ご注文の、生八つ橋チョコレート味」
「ぴゃっ、ありがとう!」
手渡されたのは、かの有名な西○八つ橋。お土産用でオーソドックスな八つ橋はこれだろう。
そう言えば、あまり食べ物の写真は送られてこなかったが、実際の味はどうだったのだろうか?
「食べた? 八つ橋」
「あ……そういえば食べてないかも」
「部屋に備え付けてあった硬い奴は食べたよね」
「あれ微妙だった。食べておけば良かった」
「私は家族にお土産で買ったけどね」
「え、頂だ……」
「やだ」
速烈で断られている透に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
そんな小糸に、透は真顔のまま振り返った。え、何? と言わんばかりに小糸は冷や汗をかくが、透は何食わぬ顔で恥ずかしげもなく聞いた。
「小糸ちゃん、ひとつ頂……」
「ダメ」
「え、私今、小糸ちゃんに……」
「誰が誰に買ってきたお土産?」
「半額は樋口じゃん」
「尚更ダメ」
「えー……」
少ししょぼんと肩を落としてしまった。まぁ、六つ入りらしいし、一つくらい良いかな……と、小糸が思ったのを、まるで察したように円香が口を挟んだ。
「菅谷も買ってたから。もらうならそっちにしたら?」
「うん。そうする」
秒で友達を売っていた。もしかしたら、小糸が思っている程、マブダチではないのかもしれない。
「浅倉、そろそろ帰らないと」
「あ、そっか。じゃあ、小糸ちゃん。またね」
「う、うん……! わざわざありがとね……!」
それだけ話して別れた。なんだかんだ言って、旅行で疲れているのに、お土産を渡すためだけに会いに来てくれるあたり、良い人達だ。
やっぱり、自分の友達として手放したくない。そのためには、やはり菅谷とかいう人に渡したくなかった。一人暮らしだかなんだか知らないけど、付き合い始めて一年も満たない人に負けたくない。
「そう言えば、明日から二日間、振り休だけどどうする?」
「勉強に決まってんでしょ」
「あ、菅谷からチェイン……うわ」
「どうしたの?」
「早速、交渉したらしいんだけど、期末で全科目60点以上じゃないと一人暮らしダメって言われたって」
「……見なかった事にしない?」
「無理。既読つけちゃったし。私、明日は菅谷に勉強教えてあげようっと」
「……私も行く」
そんな会話が、去り際の二人から聞こえてきた。やはり、負けられない。そう心に決めて、小糸はとりあえず八つ橋を家で食べた。美味しかった。