ウマ娘ッ!クレイジー・ダービィーッッ!!   作:ウマ娘(たぬき)

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※冒頭より、競走馬の予後不良を想起させるシーンあり。


#001 鎮魂歌なら奏でない/旅路の果てに集いし星々

 

1

 

 

 一九九八年十一月、秋の天皇賞。快晴の良馬場を、全国から集いし優駿達が疾駆する中で、それは起きた。

 先頭を行く緑のメンコを付けた栗毛の馬が、突如としてその歩様を乱したのだ。

 

『ああっと!?先頭馬に故障発生です!なんという事だ!』

 

 一枠一番で出走していたその牡馬は、まごう事なき今大会の大本命。鞍上に「天才」と称される名ジョッキーを迎え、古馬となり馬体も仕上がったこともあってか、オッズは驚異の一.二倍。正に、彼の為に(あつら)えられたレースであった。しかし。

 

『これは大変!やはり府中の二〇〇〇mには、魔物が()んでいたッ!』

 

 得意の大逃げをブチかまし、破竹の勢いでコーナーを攻め立てる様は、観る者全てに驚愕を与える。そんな名馬は────丁度、第三コーナーを回った辺りでたたらを踏み、一瞬で馬群に呑まれた。おぼつかぬ足どりは、尋常ならざること明白。思うように動かぬ患部は……左前脚。素人目でも直ぐわかる。

 もう、()()()()

 

「なっ……!?」

 

 観客席からその様子を双眼鏡で覗いていた黒髪の少年は、降って沸いたアクシデントに驚愕する。

 

『敵は己自身!打ち勝つ事は出来ません!』

 

 後続とぶつからぬよう、なんとかコース外に馬体を持ち出そうとする騎手。鞍上を振り落とすまいと腐心し、よろめきながら歩く馬。激痛を堪えているだろう悲痛な様は、居合わせた観衆から声を奪うに十分であり。

 

「……おいおい、『また』かよッッ……!」

 

 まるで()()()()みたいな特徴的な髪型の少年は、唸るように拳を握った。

 

 

 

 

 2

 

 

 

 

 見立ては骨折。全治は不明。問題は、その後の余生の過ごし方。驚きを以って迎えた事故の今後を脳内で整理していけば、地頭は良いこの少年。()()()()()機転の速さ故か、血が上ったアタマは凪の如く冷静になっていく。

 

「じいちゃん。……あの怪我、現役引退だけで済むか?」

 

 策謀の海に思考を落とすと、傍らで観戦していた祖父に問いかける。落ち着き払うのがいやに早いのは、()()()()を以前に経たから。

 新幹線で実家のある東北くんだりから都会の競馬場に来て、観戦中に目の前で馬が故障する。そんな、ありがたくない光景を。

 

「……ううむ……正直、あの歩様では無理だろうよ」

 

 警察官を長年務め、非番の日には競馬観戦が趣味の一つであるナイスミドルは、意図して唇を湿らせ、語る。そうでもしないと、二の句が告げそうになかった。

 

「気の毒だが……予後不良は免れんな。おそらく診療所で診てもらってから『処置』をするだろうから、()()()()()()()とは思うが……」

 

 その場で投薬処置をするなら、馬の周りに天幕なりを張ってから行う筈。駆けつけた獣医らが誘導をかけ、馬運車も来ていることから、つまりそういう事なのだろう。重々しい顔立ちのまま、祖父が返すと。

 

「そうか。ならよじいちゃん、俺ァこれからちょ〜っと外すぜッ!」

 

 実の孫は生来のクレバーさでもって、何事かを考えついたらしい。用を成さなくなった単勝馬券をポケットに突っ込むと、瞬く間にターフから踵を返した。向かう先は……馬運車の行く先。

 

「外す!?って、どこに行くんじゃあ()()ッ!?」

 

「便所!場外で待っててくれッ!必ず戻っから!」

 

 そう言って瞬く間に人混みを掻き分けた彼は、あっという間に何処かへと駆けていく。

 G1レース一番人気の馬が、事故で競走停止。今頃はスポーツ新聞が号外を用意している事だろう。悲嘆と怒号に覆われる場内を、鮮やかに疾駆する。

 

 

 

 

 3

 

 

 

 

「ココも……ハズレかッ!クソッ!」

 

 器用に小声で悪態を吐きつつ、人の目と監視カメラの死角を縫って、壁に穴を開け進む。もちろん監視網も警戒しながら。尤も、平成初期の民生品カメラの精度は、令和のそれと比べれば玩具同然であるのだが。

 壁をブチ抜き、隠れながら走り回って、未だ収穫無し。事故発生から、この時点で既に二〇分が経過していた。

 

(間に合うか?!流石に、『絶命した後』じゃあどうにも出来ねーぞ……!)

 

 焦る。そういえば……奇しくも()()()()()()、宝塚記念を観戦した時もこんな事があった。あの時はその場で処置用の帷幕(いばく)が張られ始めたので、悲嘆のあまり気が触れた観客を()()()、負傷した馬に近づいた記憶がある。無論、係員に制止されたがなんのその。()m()の距離まで接近し、獣医や騎手らが此方に意識を向けた一瞬の隙を突いて『能力』を発動。喧騒に紛れて撤退した。

 黒くて小柄な馬で、その時ちょうど目が合ったのを覚えている。確か『淀の刺客』とか物騒なあだ名が付いていた気がする。歳を考えると、今頃は種牡馬でもやってるのだろうか。……にしても。

 

(二回観戦して、二回とも出走馬が故障ってのは、縁起でもねェーな……)

 

 自分の乗り物運の悪さが遠因かと、少し邪推。

 幼少期に高熱が出て死に掛けた時、病院に向かう為に乗っていた車が、偶然の降雪で立ち往生したことを思い出した。

 ……馬も公道では軽車両、すなわち乗り物として扱う事を考えると、自分は金輪際、乗馬体験牧場などの類には近寄らない方が良いのかも知れない。競馬場に来るのは今日を最後にしよう。そう、密かに固く決意した時。

 

「……おっしゃ、ビンゴだ」

 

 何度目かの壁をブチ抜いて。果たして目の前に現れた馬房に、()は居た。

 

 

 

 

 4

 

 

 

 

「お邪魔しまーす……ああ、急に物音立てて悪りィーな。怪しいモンだけどワルモンじゃあねェーんだ」

 

 伝わらないだろうが、馬に近付いて話しかける。唯一不幸中の幸いだったのは、今この瞬間、馬の周りにたまたま、図ったように人がいない事。

 この様子では薬を取りに行っているのか。だがいつ誰かが来るとも知れない。いずれにせよ直ちに去るべきだ。問題は症状だが。

 

(こりゃあ酷えな。単に折れてんじゃあない、()()てんのか)

 

 寝藁の上に力なく立つ、件の競走馬の姿は……直視に耐えぬ程に、痛々しかった。成る程、天井からフックで吊り下げられた布で胴を吊られ、プラプラと揺れる左脚が接地しないよう配慮されている。が、それだけだ。

 激痛ゆえか全身から滝の様に汗を流し、口からは泡を吹いている。胸郭は不規則に上下動し、息は荒い。麻酔を取り敢えず打ってもらった程度だろう。

 クビは力なく垂れ下がる中で、充血した眼だけはこちらを向き、警戒している。無理もない。馬は本来、臆病で警戒心の強い動物だ。大きな物音を立てて見知らぬ人間がテリトリーに入ってくれば、まずは逃げる。その素振りすら出来ぬ程に、衰弱度合いは深刻なようだった。

 

「馬に『同意書書け』なんて無理な話だからよォ〜、時間もねェーし勝手させてもらうぜ?つーわけで────」

 

 遠くから話し声、正確には啜り泣くような声と、説き伏せるような声音が聞こえる。おそらく数分もしない内に、スタッフ達が戻ってくるだろう。

 

「────ささやかだけど、快気祝いだ」

 

 氷山の一角を掬ったところで、毎年多くの競走馬が殺処分される現実は変わらない。走らぬ馬が駄馬とされ、桜肉になるのもありふれた話だ。経済動物と称される、その全てを救う事は出来ない。出来ると思うほど傲慢でもない。

 それでも『覚悟』を決めたのだ。自分が背負える分だけでも、助けられる罪無き命は、全て溢さず掬い上げると──!

 

クレイジー・ダイヤモンドッッ!!

 

 唱えし背後に顕現するは、銀に煌めく不可視の幽体。その拳の一振りで、全ては在るべき形に還る。

 

 

 

 

 5

 

 

 

 

「信じられん」

 

「何が起こったんでしょう……?」

 

「……馬房、留守にしてたのってどんくらいだ?」

 

「ほんの五分足らずです」

 

 数分後。悲痛な面持ちでやってきた関係者一同を出迎えたのは、ぶんぶんと尻尾を振る馬の姿であり。即座に獣医師達が検査を始めるも、全員がなんだか狐につままれたような面持ちだった。

 致死量の薬剤を携えた獣医をはじめとするスタッフの眼の前で、先程まで息も絶え絶えだった件の馬がすっくと立ち、何事も無かったように左脚を掻いているのだ。胴を吊っていた幕は何処にもなく、足元の寝藁は何故か瑞々しい。馬房はワックス掛けでもしたかのようにピカピカだ。いつの間に差し入れられたのか、もそもそとバナナまで食べている。

 

「不審者にでも入られたか?」

 

「まさか!中央競馬場のセキュリティを誰にもバレずに突破するなんて、数分じゃあ無理ですよ」

 

「それもそうか……いや、じゃあなんで置いてもないバナナなんか食べてんだ」

 

「ボクが知りたいっすそんなん……ご丁寧に一房ずつ皮剥いてボウルに入ってるし……」

 

 ヒトが話している間に馬の方はというと、気付けば四本目のバナナを平らげていた。時折、歩様を確認するかのように左脚を掻いている以外、別段代わり映えはない。

 ちなみに先程まで騎乗していたジョッキーは、たてがみに縋り付いておいおいと泣いている。普段クールで理知的な男であるのに、この珍事が余程に嬉しかったらしい。

 

「手術でもしたのか?」

 

「いや、脚に治療痕は……全く見当たらない……なんだこれは……?」

 

「そもそも馬服なんて着ていなかっただろう?誰が付けたんだ?」

 

「……この馬服、胴を吊ってた布と同じクリーム色だが……まさか……」

 

 粉砕骨折との見立てを下した獣医らは、おそるおそる左脚を触診した。が、痛がる素振りも全く見せない。完全に治っている。まるで『最初から、折れていなかったのでは』というレベルで。馬服に関してはもう意味が分からない。

 そんな時、仔馬の時から面倒を見てきた厩務員は思い至る。そう言えばここへ戻ってきた時、この馬は何をしていたのか、と。健康体で手持ち無沙汰な場合は、いつも左回りにクルクルする妙なクセがある。だが。

 

「壁?」

 

 窓もドアも無い、ただの灰色の壁。まるでそこに誰かいるのか、或いは何かがやってきたのか。耳を前へ向け、つぶらな両の眼でじっと、壁の一点を見つめていた。注視していれば、何者かの痕跡がわかるとでもいうのか。

 

「……そこに、何かあるのか?スズカ」

 

 しかし。スズカと呼ばれた馬は、単に己の名を呼ばれただけと解したのか。「ぶも」、と一声小さく啼いたのみであった。

 

「白昼夢にしちゃあ、悪趣味すぎないか?」

 

 怪奇現象だろう、と調教師はボヤく。確かにこの馬は一度、競争能力を失った。もう駄目だ、と関係者の誰もが思った。彼を仔馬の頃から手塩にかけて育ててきた厩務員、そして騎手が「やめてくれ」と懇願したため、皆で説得に当たらざるを得なかった。馬房に戻るのが遅くなった僅かな間に、スズカは馬頭観音にでも遭ったのだろうか。その数分のタイムラグが、命を救う事になったとでもいうのか。

 傍らでひとしきり泣き終えて目を赤くしていた騎手は、悪夢を拭うかの様に、いささか乱暴に目を擦って呟いた。

 

「…………大けやきの悪戯、でしょうかね」

 

 ────後に、史上最速のマイラーとして、近代競馬史に名を残した偉大な栗毛馬。九八年の天皇賞にて「幻の故障」と呼ばれた珍事の真実を知る者は、ただ一人しか居なかった。故に後年のアメリカ遠征に赴く直前、記者団にこの秋天の顛末を問われた主戦騎手は、「原因は分からないのではなく、無い」と即答している。

 

 そして、約一四年後。この世界はとある神父の超能力(スタンド)によって閉じられ、否応なしに分岐を辿る事となる。枝分かれした幾つもの並行世界の一つでは、競走馬の魂を宿した少女達が、今日も縦横無尽にターフを駆ける。

 新たな邂逅を果たした名バ達が織り成すのは、走り出す『物語』。

 肉体が……という意味だけで無く、青春から大人へ、という意味で────

 

 

 

 

 6

 

 

 

 

「……また、この夢?」

 

 やけに鮮明だけれど、あるはずのない事象を見て、モヤモヤする時がある。一度も会ったことがなくとも、忘れられない人がいる。ソレはウマ娘に宿る魂・ウマソウルがもたらす記憶……らしい。要出典。

 

(うーん……)

 

 西暦二〇XX年。東京都府中市にあるトレセン学園高等部所属の「私」ことサイレンススズカは、翌日に遠征を控えているにも関わらず、寮の自室で遅くまで考え事にふけっていた。

 中等部を卒業してからこの方、ずっと空いている隣のベッドには、こんど転入生が越してくるらしい。慣れない環境だろうし、出来るだけサポートはしてあげたい。……口下手の自覚がある私としては、話しやすい子だとありがたいのだけど。自分と同じタイプだったら、会話に詰まる自信しかない。

 

(……って、それ以前に、まずは自分の心配ですね)

 

 まだ見ぬ後輩の心配をする前に、まず自分がちゃんとしなければ。

 中央の門戸を叩くくらいだ、己の走りに自信はあった。入校後もあのマルゼン先輩らを擁する名門チーム・リギルにスカウトされた。そこまでは良かった。けれど、その先が伸びていかない。

位置取りは好位先行、適度に控え末脚で差す」。ルドルフ会長をはじめとする多くの名バが用いたこのやり方こそ最も確実な、いわば勝利の方程式。

 でもこの定石が私は、嫌で苦手で仕方なかった。バ群に埋もれると息苦しいし、無理にごちゃごちゃ考えると目の前が暗くなる。自主練しないと落ち着かないから、オーバーワーク厳禁と言われても追加で走りたくなる。けど。

 

(どう言い訳しても私の勝ちが遠のいてるのは、事実ですし)

 

 もちろん、今のトレーナーさんを嫌っているわけでは無い。彼女──東条ハナさんは凄く良い人だ。「キミのハイペースではいつか脚が壊れる」と釘を刺し、私のクセを考慮したメニューを組んでくれている。事実、蹄鉄の片減りも改善されてきた。

 でも、そんな統制を効かせるリギル式レーシングに……真綿で首を絞められるような、閉塞感を覚えているのだ。大事な試合の、前だと言うのに。

 

「………………今度こそ、勝たなきゃ」

 

 自分に言い聞かせる様に、ぽつり。独り言に返事をくれるかも知れない相部屋の子は、まだ居ない。

 

 

 

 

 7

 

 

 

 

 特に意味は無いけれど、よれた靴紐を固く結び直す。泥の跳ねたレース後の勝負服は、今の私にお似合いだった。

 

「…………五連敗、か」

 

 ゼッケンを付けたまま、諦観混じりに呟く。

 回想から数日後。異国の地・香港にて私は、自身が刻んだこれまでの戦績を、否応なしに振り返らざるを得なかった。

 日本ダービー、九着。神戸新聞杯、二着。秋天、六着。マイルCS、一五着。そして今回の香港カップ────五着。ウイニングライブは、辛うじて一度だけ。センターの振り付けは、もはや練習する意味が無い。

 

(…………帰ろう)

 

 一着の子に群がるカメラと、勝者の笑顔から目を背けるように、惨めたらしくターフを去る。敗者となった時に胃の腑に落ちる、冷たくて暗い感覚に絡め取られるように、足取りはどこまでも重い。

 あれ程までに焦がれた、生涯一度しか出られぬトゥインクル・シリーズ。そのクラシック戦線を、私は散々な結果で終える事になった。

 

(向いて、なかったのかな)

 

 フラフラと。夢遊病者のように飛行機に乗って帰国し、寮に戻ってベッドに突っ伏し、現実から逃避する。

 クラシック三冠なんて夢のまた夢。叩きの弥生賞で負けたから、皐月賞は出走権すら持ち得なかった。ダービーは惨敗。菊花賞はスタミナを懸念され、出走自体が潰えた。秋天に負けた事で、天皇賞連覇の夢も立ち消え。どころか、重賞だって覚束ない。……なんて、無様な。

 

「……私、どうやって」

 

 学園に来たことを、ちょっとだけ後悔した。昔から走るのは大好きだった。ただ楽しく駆け回れればそれで良かった。もう今は、無心で走れない。気持ちと身体が噛み合わない。ごちゃごちゃ考えているうちに理想のフォームは崩壊し、滅茶滅茶なメンタルだけが残った。

 

「どうやって、走ってたんでしょう」

 

 勝ち方を考えるのは大事なことだし、研鑽を怠るべきではない。でもそうして行くうちにいつのまにか、走りに楽しさを見出せなくなっていた。負け始めて最初の頃に感じていた「悔しい」という感情が、摩滅を始めてとうに久しい。あるのはただ、息苦しさ。

 

(なんで、こんなところに居るんだっけ)

 

 トレセン学園から毎年、志半ばにして去る子は一定数いる。地元じゃ負け知らずで意気揚々とやって来た子達が、ひと月も経たずに帰っていく光景は、もはや風物詩として知られる。……この部屋もじき、そうなるだろうか。

 

「…………泣いてるの、わたし……?」

 

 先日洗ったばかりの枕は、いつの間にか湿っていた。灯りを落とした部屋の中、毛布で顔まで覆い尽くし、わずかばかり現実から距離を取る。

 

 寒い。

 

 長い夜が、まだ明けない。

 

 

 

 

8

 

 

 

 

「新しいトレーナーさんが来る?」

 

 次の日。軽くメイクをして目元の腫れを無理矢理ごまかした私は、「タキオン」ことアグネスタキオンと一緒に大講堂の長椅子に腰掛けていた。件のトレーナーさんの紹介があるらしい。すでに多くの生徒達が集まってきており、喧騒でごった返している。

 

「でも、どうして秋のこんな時期に?」

 

 普通は四月ではないだろうか。アレかな、急な転勤とか?

 

「ああ。なんでもアメリカのトレセン学園に居たらしくてね。向こうだと年度切り替えは秋口だろう?都合が良いのはむしろ今、という訳だ」

 

「なるほど……」

 

 なんでも私が香港へ何日か遠征に出ている間に、そんな話がでてきたらしい。理事長から乞われての電撃移籍だそうだ。コーチングの対象として、伸び悩んでいる生徒が何名かピックアップされている、なんて話もあるらしく。

 

「それから……正誤は分からないが、高身長の美男子という噂だぞ?」

 

「あら、そうなの?タキオンの理想って面食いだったかしら?」

 

「私が、かい?いや、モルモット君に優れた面貌まで望まないさ。白衣の似合うヒトなら『素敵だ』、と思うかもしれないけどね」

 

「白衣……というと、タキオンの勝負服みたいな?」

 

「当たらずとも遠からず、かな。私が丈を余すような白衣を、完璧に着こなせるようなヒトなら或いは。もっともそんな人間は、化学者か医者くらいだろうけど」

 

「少なくともトレーナーではない、ってことね」

 

「ああ」

 

 さらり、とそこまで述べるタキオン。翻って、自分はどう思うだろうか。アメリカに親しい知己もいないので、正直そこまで興味をそそられない。ただ折角学園に来るのだし、良い指導で芽が出る子が居るといいな、なんて思ったり。

 

「……あのね、タキオン」

 

 そんな中で、心中を吐露する相手を求めて口を開く。こんな時、親友のエアグルーヴだったら止めに来るのは分かっている。もちろん彼女を軽視するわけじゃない。でも、より冷静な返答をくれるのは、きっと自分の脚の具合すら酷薄に分析出来る、目の前の彼女の方だろう。

 

「……なんだい?」

 

 ワントーン落ちた私の声音を捉えてか。笑顔を引っ込めたタキオンが、脚を組み直して私を見つめる。

 

「実はね。…………式が終わってから、詳しく言おうと思うんだけど。私、この学園を────」

 

 しかし。間髪入れずのルドルフ会長の司会進行が始まって、長台詞は遮られた。そして流れるような紹介を受けて「彼」が颯爽と登壇した、その瞬間に。

 

「……えっ?」

 

 タキオンに告げようとした諸々の言葉が、全て飛んでいって。

 

(あの人って、もしかして……!?)

 

 気付けば、釘付けになっていた。

 長い手脚。頑健な体躯。色白で彫りの深い面立ち。オールバックの黒髪に、垂れ目がちの碧眼。それはもしかしたら、夢の中で幾度も観た彼が、『成長したらこうなるのかな』と思えるくらいには、面影を残す姿だった。

 

(……いや、まだ早計かも分からない)

 

 もしかしたら他人の空似かも知れない。でも……もし、もし、声まで同じなら……!?……なんて、思っていたら。

 

『はじめまして。ご紹介にありました通り、今秋より米国トレセン学園より転属いたしました、東方仗助と申します。若輩者ではありますが、学園の福利厚生向上に努めると同時に、レースを通して日米の架け橋となれるよう尽力していきたい、と考えて────』

 

 ぽかんと、口が開いたのを自覚する。ウマ娘の聴力は、人間の可聴領域を軽く上回る。その上で判断すると。

 

「…………うそ」

 

 寸分違わず、同じだった。

 

 

 

 9

 

 

 

「スズカ?」

 

 壇上を凝視して動かぬ私を、訝しむ様にタキオンが案ずる。一方の私はというと、それどころではなかった。跳ね上がりそうになる尻尾を手で抑え付け、掛かり気味になる呼吸を殺す。

 コレだ。コレだコレだコレだ!

 

「……私、あの人知ってる……!」

 

「はっ?いやさっき、アメリカに知り合いなんていないって……」

 

 心がざわめく音がする。目が合う。気が合う。ウマが合う。いやもう絶対これは運命ッッ!!私の中のウマソウルが、かつて無いほど轟き叫ぶッ!

 

「夢の中で見たの!何度も!何度も!

 

あっ、ふーん…………

 

うわぁ……』という表情を見せるタキオンをさておき。思わず口角が上がるのを自覚する。その後の話なんて、全く耳に入っていない。まるで新しいオモチャを見つけた幼児の様に、心が快哉を叫んでいた。

 

 私の中のウマソウルが(いなな)くのなら、きっと彼と私は好相性のはず!一度でいい、ダメ元でいい、話を聞いて走りを見てもらおう!ここを辞すのは、それからだって遅く無いはず!

 今の気持ちを例えるなら、『天祐まさに、我にあり!』って感じで!

 

やっと、みつけた……!

 

 

 

 

 10

 

 

 

 

 式が終わるまで、黙って座っていたことを褒めてやりたい。今すぐ席を立ちたい思いで一杯だった。閉会のことばが結ばれたと同時、脱兎が如く駆け出した。

 

「失礼しますッ!」

 

 あちこちで偏執狂的な聞き込みを経て。保健室に挨拶に来ていたらしい、という彼の匂いを追って、ノックもそこそこにドアを開けた。あとから思えば失礼この上ない行動だった。

 

「あ、あのッ!」

 

 果たして、意中の人はそこにいた。私の頭で考える理想……というより、私の(ウマソウル)に直接働きかける、と言う意味での意中の人が。

 

「お、いらっしゃい。ワリィね、バタバタしちまってて」

 

 デスクから振り向きざまに返事をくれた。式の台詞とはうって変わって砕けた口調、どうにもこっちが素であるらしい。

 

「どっか悪いようには……見えねーな?今日はどうした嬢ちゃん?」

 

 ええっと。……落ち着け、落ち着け、深呼吸。マズイ、喋ろうとすると声が上擦る。

 

「い、いや特に故障とかではなくて、その……」

 

「ああ、サボりか?口裏なら合わせとくぜ」

 

「いいえいいえ健康体なので全然全く問題ないです!」

 

『掛かる』ってこういう時の事を言うのか!冷静に言葉を紡ごうとしても、心臓が早鐘を打ち出して、頭がまともに回らない!

 一方で彼はというと、私の反応を見つつ、出席簿のようなものに何事か書こうとする。

 

「そうか。ま、折角来たんだ、一応話くらいしてくか?取り敢えず、名前だけでも教えてくれ」

 

 あ。この期に及んで名乗ってなかった!

 

「申し遅れました、こ、高等部一年の、サイレンススズカでしゅっ……!」

 

 しかも噛んだ!は、恥ずかし過ぎる…………っ!……ところが黙って聞いていた彼、これにちょっと苦笑いしただけで。

 

「『サイレンススズカ』か。理事長から名前は聞いてっから知ってんぜ?才能の塊だ、ってな」

 

 苦笑いされてるぅ!しょ、初対面でこの体たらくは流石に堪える……!

 ……そんな訳で、挽回せねばとテンパりにテンパった結果。

 

「と」

 

「と?」

 

とりあえず、これから私と付き合ってください!

 

 勢い余って、手まで握ってシャウトした。そんなわけで、あの……いささか掛かり気味だったので。

 

もう私、貴方のことで頭がどうにかなりそうなんです!

 

「……お、おう……?」

 

 思いきり誤解を招く表現だったのは、大目に見ていただきたいんです。

 

 

 

 

 11

 

 

 

「ちがうんです……その、愛の告白とかじゃなくて……」

 

「し、仕方ないよ、生きてればそんな事もあるよ。ライスもそういう経験…………あ、いや、無いかも……

 

そりゃあそうよね……

 

「ご、ごめんね!非難するつもりじゃなかったの!」

 

 先程、私の爆弾(自爆)発言で凍った空気の保健室にタイミング悪く入ってきた、ライスシャワーに背中を摩られる。妙な空気が漂うのを光速で察し、くるりと踵を返そうとした彼女を引き留めて今に至る。

 彼──東方仗助さん──は兎も角、私が冷静になるのに、結局10分くらいかかった。

 

「ありがとう、ライス。……えっと、そのね。実は私、真面目な話があって来たの」

 

「おにい……仗助さんに?」

 

「ええ、もちろん」

 

 そう。何のために来たかって、凄腕トレーナーと噂のこの人に、私の走りを見てもらいたくて。

 

「ひ……じゃなくて、トレーナーさんは、もう指導する子を決めてたりするんですか?」

 

 ところが。

 

「トレーナー?」

 

 東方さんのカバンから、何やら取り出そうとしていたライスがぴくりと動きを止め、若干ぎこちなくこちらへ向き直る。……え?なにこの空気?

 

「……その、ええっと、スズカさん」

 

 どこか言いにくそうに、彼女は小さく告げた。同時に頬をかきつつ、東方さんも呟く。『確かに、自己紹介の時の説明じゃあ分かりづらかったか……?』なんて口ぶりのあとに。

 

「んー…………言うより何より、コレが一番分かりやすいか?」

 

『っつーかアレだ、ここに着いたらさっさと着替えとくべきだったな』と述べた彼がトランクから取り出し、颯爽と羽織ったのは。タキオンが纏うそれに酷似した、シミひとつない白衣。…………白衣?

 

「……トレーナーさんじゃなくて、お医者さんなんです。仗助さんは」

 

 ライスシャワーの柔らかい声音が、私の耳朶をひたと打つ。

 医師。ドクター。医療従事者。学園においても、確かに必要な役職なんだけど。……why?

 

「そーゆーこった。んじゃあ、改めて。日本トレセン学園所属の心療内科医・東方仗助だ。トレーナー業はかじった程度なんでな。()()()()()()()()()()()ってくらいなんだ、すまねェーな。まあ、よろしく頼むぜ?」

 

 カラッとした笑顔を向けた東方さんが、今しがた首から吊り下げたネームプレートには、顔写真と共に『Dr. HIGASHIKATA』と記されていた。

 そう。最初から最後まで、私の勘違いだったらしい。

 

「……そ、そうなんですね!早とちりしてすみませんでした……!」

 

 居た堪れなくなって、逃げるように足早に退室する。呼び止めるようなライスの声が聞こえた気がしたけれど、スルー。ごめんなさい、後で菓子折り持って謝りに行きます。だって。

 

(ライス、どこか居心地良さそうだったもの)

 

 なんとなく、私に付き合わせるのに気が引けたから。

 しかし。結果として、いきなり来ていきなり帰るとは、傍から見たら意味不明な女でしかない。勝手に期待していたヒトは、トレーナーさんでも何でも無い。走りを見てもらうアテが外れて、本来なら昨日みたいに、失意に塗れていておかしく無いのに。なのに。

 

 

 

(顔が熱い。拍動が落ち着かない。風邪……とは、多分違う)

 

 胸の高鳴りが一向に収まらないのは、何故だろう。

 

 

 

 




【ひとくちメモ】

・サイレンススズカ……掛かり気味。覚醒はまだ。

・アグネスタキオン……脚の爆弾がまだ解除されてない。

・ライスシャワー……間が悪い事が多い。私生活は幸せそう。

・東方仗助……当初は警察官志望だったが、色々あって医者になった。
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