結構な長さになってしまったので投稿してみました。
一応プロットとしては連載が書けるほどではあるのですが、まずは短編としてテスト投稿。
状況を見て連載するかどうか考えようと思います。
村と私と鋼鉄少女
ここにある男がいる。
なんとも冴えない風貌で、10人が見れば10人とも「取り立てて印象に残らない男」と同じ印象を抱くのではないか。そんな感じだ。
しかし彼は善良な人間であり、常に心の平静を願う男だった。
できるだけ波風を立てず、誰にも迷惑をかけない。
毎日真面目に仕事をし、夕食には少しばかりの酒を嗜む。
休日には唯一の趣味である映画を鑑賞するために何軒かのミニシアターをはしごする。
多くの他人にとっては退屈で平凡であろうが、彼はそんな幸せが好きだった。
だった――そう、彼は過去の人なのだ。
30を半ば過ぎ、一般的には脂ののった働き盛りの中年。
まじめである事だけが取り柄の彼は、あまりにもあっけなく死んだ。
酒は少量、煙草も吸わず、3駅先にあるオフィスには健康のためと歩く。
食事は腹八分目。睡眠は毎日7時間。
そんな彼なのだが、気が付いたときには胃に大きな病巣が見つかり、かつ手遅れだったのだ。
病室で管をいくつも繋がれた彼を見舞いに同僚たちが毎日やってきた。
彼はそれなりに人望があったようだ。
入院して1週間。
多くの人に見守られながら彼はあっさりと逝った。
病気で弱った肉体に、追い打ちをかけるように併発した肺炎のせいだった。
「ああ、ビールが飲みたいな……」
それが彼の今わの際に発した言葉だった。
その顔は笑っていたという。
果たして彼の人生が幸せか不幸せかは彼しか知らない。
ただ、駆けつけた同僚たちを少しばかり悲しませる程度には充実していたようだ。
そしてこの出来事は彼の生涯の終わりだったが、しかし始まりだったのだ。
◇◆◆◇
「困ったなァ……」
私はそう呟くしか無かった。
それは青天の霹靂というには色々と超越しすぎた状態に放り出されたからだ。
思えば私は前世で平凡な男だった。
前世というのは自分が生まれる前に別の人生を生きており、そしてその記憶があるからそう表現している。
私は胃癌を患い、そしてあっという間に死んだのだ。
なのに私はここにいて、それとはまた別の次元の事柄で途方に暮れている。
前世の記憶がある。そんなことは現状を思えば取るに足らないと言い切れる。
なぜなら生まれ変わりを経験した私は、とんでもないことを体験しているのだから。
「本当に困ったなァ……」
それは思わず同じセリフを繰り返してしまう程に。
私の生前の趣味と言えば、昔の映画を見るか、インターネットでネットサーフィンを楽しむくらいだった。
それは例えば現実ではあり得ないファンタジーの世界や、絶対に体験できない悲しい戦争、または絶世の美女との溶けるようなロマンス。
そんな非現実感を物語の主人公に感情移入することで仮想体験できることがたまらなく楽しかったからだ。
まじめで平凡だと言われ続けた私。
それは確かにそうだろう。
けれどもそれは、自分の中の感情を表に出すのが苦手だっただけの話だ。
私が部屋で映画を見ていれば、時には大声で泣いたり笑ったり、興奮して奇声をあげたり。
そのくらいのことはしていたのだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
いい加減現実逃避はやめよう。
さて私の混乱の理由、それは私の横にいる女性たちに起因する。
彼女たちはその小さな身体で精いっぱい背伸びをし、私に向かってアピールを繰り返す。
たしかに彼女たちは私から比べると親子とも言えるほどに小さい。
しかしその見た目は驚くほどに美しい。
映画の中の主人公であれば、こんな可愛らしい女性とのロマンスを楽しんだり、時には駆け引きをしたりできるのであろう。
だが私はその方面ではちと弱い。
私の前の生涯の中で、恋や愛なんてものはたった一人としか知らなかったのだから。
「ねえ司令官、わたしたちなら貴方の役に立てると思うのだが」
「そ、そんなの当然よ! 私は一人前のレディーなんから!」
しかし残念ながら彼女たちは、ロマンスの方向で私に詰め寄っている訳ではないのだ。
まったく平凡でしかない私に向かって彼女たちは司令官と呼び、しきりに私に命令をしてほしいと言い寄っているのだ。
しかもだ。暁も、響と名乗った白髪の少女も、決まってセーラー服を着ており、そして背中にやたらと物騒な重火器のようなものを背負っている。
まったく訳が分からない。
しかしそんな重たそうな物を背負うなんて、彼女たちは力持ちなのだなァ。
「ちょっと無視しないでよ!」
「不死鳥の名を持つわたしでは不満なのかい……?」
またも現実逃避を試みた私に、涙目の彼女たちがさらに詰め寄ってきた。
しがみ付くように縋る彼女たちの体温は暖かく、そして感触は柔らかい。
不埒な意味ではなく、ただそう思った。
たとえ背中に背負うものが物騒だとしても、その印象はただの少女にしか私には見えないのだ。
本当に困っている。どうしていいか分からないのだ。
この状況は私のなんとも緊張感のなさのせいであるが、現実は割と逼迫している状況だと言える。
何故ならば――――
いや、そもそもの事の起こりは半年前に遡る。
病気で死んだはずの私は、気が付くと草原に立ち尽くしていた。
生前好んで着ていた白い綿のシャツにブルージーンズ、それと革のサンダル。
どう考えてもこんな自然あふれる場所に来るような格好ではない。
私が住んでいたのは日本で一番人口が密集していた都市であったから、こんな風景なんて車で数時間は移動しないとお目にかかれないだろう。
だが奇妙なのは、少し離れた場所にいくつかの田畑が見えるが、その周囲にある小道は赤土がむき出しの粗末なもので、路肩に電信柱が集落があるであろう方向に向かって続いているが、全て木製のレトロなものなのだ。
こげ茶色の木製電柱は、隙間をコールタールのようなものでコーキングしてあったりするが、こういう電柱は私が幼いころにはすべて撤去され、今はコンクリート製の物しかないはずだ。
その電柱についている街灯もまたおかしい。すすけた白い傘に丸灯のようなもの。
まるでここら一帯が戦時中のような様子なのだ。
とはいえ私のその知識も、せいぜい教科書で習った程度のものでしかないのだが。
とにかく私は死んだと思ったら、昭和初期のような田舎に立ち尽くしていたという事だ。
そんな私が混乱していると、通りかかった畑の持ち主が声を掛けてきた。
「お前さん、こげな場所でなぁにしとるんかね?」
野良仕事で赤黒く焼けた健康的な肌をむき出しにした小柄な男。
彼は真っ白な、それでいて一本だけ抜けてしまった前歯をむき出しにしてにっこりと笑った。
呆けていた私は、その笑顔に一瞬で毒気を抜かれ、そして救われた気分になった。
私は彼に――いや、百田さんに早口で事情を話した。
きっとそんな私を彼は辟易しただろうに。
それでも私の話を一通り聞いてくれた彼は、やはり私を安心させる笑顔でこう言ったのだ。
「なーんかアンちゃんのいう事はよう分からんけど、落ち着くまでうちに来たらどうだい?」
なんだか私は無性に泣きたくなった。
とにかくこうして、私は彼の住む村に世話になる事となったのだ。
この村は漁村であり農村である。
漁師の農家が半々というところで、私が感じたままの印象を言えば、まさに昭和初期というイメージそのままであった。
なので私があの田畑の傍で見た電柱などから思った印象は間違いじゃなかったという事だ。
村の中には商店などはなく、漁協の事務所の脇にある小屋がその代わりをしている。
あとは特に何もない。いくつかの民家と、漁や野良仕事の道具を生産したり直したりする鍛冶屋が一軒あるのみ。
私が百田さんとその奥さんと色々話したところ、私の思う常識的な文化知識は、ここでは全く非常識になるという事が分かった。
彼の奥さんはいかにも肝っ玉母さんという風体で、恰幅のいい体型と、大きな口を開けて笑う印象的な素敵な女性だった。
私の境遇を話すと(自分は死んだのに、何故かここにいる事も含めて)、その突拍子もない話を真剣に聞いてくれ、あまつさえその目に涙を浮かべて私に同情をみせたのだ。
百田さんもやはり同様で、しきりに「お前さん大変だったな~」と何度もうなずいてくれた。
私はその無垢なまでのいい意味での無防備さに、何というか完全に毒気を抜かれたというか、知らない場所であるという不安感が一気に霧散していくのを感じた。
百田さん夫妻は、ようしなら任せろと頼もしく言うと、そのまま村長に掛け合い、村の空いているこじんまりとした一軒家を世話してくれた。
そこは港のはずれにある、堤防の根っこの部分に建っている家だった。
漁師が道具小屋にしていたというが、私が見たところ、一人で住むには勿体ないほどの広さである。
具体的には玄関の扉を開けると、小上がりになっている10畳ほどの居間を囲むように土間があり、立派な台所と和室が二部屋、土間から奥に続く場所には私が二人は入れるような風呂と汲み取り式の便所がる。
掃除さえきちんとすれば、これはもう立派な家だと思う。
それを家賃などはいらないからというのだから驚きである。
この無償の賃貸を許可した村長という老人もまた、百田夫妻に負けないほどにお人よしで、やはり私の境遇に同情を見せたのだ。
こうなるとなんだか私は恐縮してしまい、逆に所在無げな気分になってしまう。
ただやはり、働かざる者食うべからずというルールは普遍である。
家賃がいらない代わりに、私に出来ることをして村に貢献してくれとのことである。
それならば私も罪悪感が募らずに済むのでこの申し出を受けたという訳だ。
それから私は彼らの役に立ちたいと、その日の漁を終えてきた漁師たちの網のほころびを直したり、昼間畑に出払ってしまう人たちの代わりに家畜の世話をしたり、または鍛冶屋の親方の下働きなど色々と働いてきた。
年齢層が高いこの村であるから、力仕事に従事する若い人は少なく、そしてそれぞれが村を担う職を持っている関係で、隙間的に手が足りない部分を埋める人材がいなかったのだという。
そんな折に私という来訪者はまさに渡りに舟だったようだ。
30人ほどしか住んでないこの村であるが、数か月も経つといつの間にか私はここの住人として彼らに認知されたようで素直に嬉しい。
村長や親方、ごつい漁師、ご近所さん。それにもちろん百田夫妻も。
彼らはことあるごとに私を気にしてくれるのだ。
今では酒を飲む仲となった連中もいる。
また日に二度食べる食事は、百田家で世話になっている。
一応村長から日銭を貰ってはいるのだが、奥さんがここで食べなさいと、いつまでも迷惑はかけられないと固辞する私にとても寂しそうに言ってきたため、罪悪感に負けて今でもお世話になっている。
百田夫妻は熟年に差し掛かった夫婦であるが、悲しいことに子が出来ないと言っていた。
きっと彼らは私を子のように見ているのだろう。そして私もそのことが満更でもなかったりする。
ここに来て一番最初に知り合ったという刷り込みだけじゃない恩や情が彼らに感じるのだ。
◇◆◆◇
私という人間のことを、この村の人たちはどこか賢者のように見ている節がある。
それは非常にくすぐったく恐縮してしまうことではあるが、それには理由がある。
というのも、ここらの人の半分はきちんと字が読めないのだ。
それは色々話を聞くと分かるのだが、学校に行くという習慣が無いようなのだ。
大きな町にでも行けば違うらしいが、僻地の農村部には、学校に通って学ぶよりも、まずは家の労働力としてカウントされるのが子供の役割とのこと。
まさに昭和初期の状況であると思うが、とにかくそういうものだという。
そんな事情であるから、普通に字を読み書きできる私は、彼らに変わって漁協の会報だったり、週に一度届く新聞などを読み聞かせたりしていたのだ。
娯楽のないこの村であるから、新聞を読むときは村中の住人がやってきて、まるで朗読会のようなことになる。
皆が楽しいならば別に構わないのだが、本当の意味で隅々まで読まされるのは内心で辟易してたりもするが、如何ともしがたいだろう。
ちなみに新聞の名前で分かったのだが、ここは、この国は「帝国」というらしい。
誰に聞いても帝国としか言わないのだからそうなのだろう。
その上に大日本とかもついておらず、ただ帝国と呼んでいる。
それと不思議なのは30半ばのだらしない体型だった私は、何故か学生だったころのほっそりとした身体になっていた。肌の張りやしわのなさを見ても、どうやら20歳前後の姿をしているみたいだ。
大変不思議ではあるのだけれど、それはそれで歓迎できることなので、私としては問題ない。
まあ百田夫妻が私を子供のように扱うのは、この風体にも由来するのだろうな。
閑話休題
まあそうして、文字が必要なシーンになると呼び出され、漁協の経理なんかを手伝ったりする際の暗算の正確さだったりなどで、私はこの村の知識担当のような人間として重宝されるようになったのだった。
◇◆◆◇
村に来て数か月たった頃、私の運命というか、日常が一気に変化する兆しが訪れた。
その日は随分と早くに目が覚めた。今思えば虫の知らせのようなものだったのかもしれない。
掃除はしているものの、最低限の家具しか置いていない我が家であるから、私は和室二部屋に手を付けず、今に布団をひいて寝ている。
我が家にあるものと言えば、少しの食器とそれを収める小さな木製の棚。飴色の箪笥と卓袱台。それにふかふかの綿の蒲団、そんなものだ。そしてそれらは村の人たちの余り物を頂いたのだ。
そもそも私は一日の大半を村の手伝いで過ごすから、家にいる時間は少ない。まして私は独り者だ。
起きて半畳寝て一畳なんて言い回しもある。私にとって広すぎる家は持て余し気味である。大げさな家具は今のところ必要がない。
この家の土間に面したガラス扉は刷りガラスではあるが、カーテンなどはつけていないため、日の出の光がまともに差し込み、それが私の眠りを妨げたようだ。
とはいえそれは苦痛なものでは無く、大変すがすがしいものではある。
とにかくそうして目を覚まし、漁協で購入した雑な造りの歯ブラシに塩をしたものをもごもごとしながら、寝間着のままで外へと出たのだ。
私の家は海に面しているから、朝霧が煙る中を寝ぼけ眼のまま、海へと歩いてみた。
湿っぽい潮風だが、早朝の涼しさの中は存外気持ちがいいものだ。
これはある種の日課のようなもので、なんとなく毎日そうしている。
ただこの日だけはその様子が違っていた。
私は塩で歯を磨き、それを海に向かって吐き出そうと海面をなんなく覗き込んだのだ。
するとそこに「彼女が浮いていた」
白と黒のセーラー服を着込んだ黒髪の少女がだ。
思わず私は町の女学校の生徒が水死して流れ着いたのかとドキリとしたものだ。
ただ奇妙なのは、彼女は仰向けに浮かんでおり、目はしっかりと開いていた。
「…………」
「…………」
そして私と彼女の視線が交差する。
黒髪に白い肌。一見すると典型的な日本人の特徴に見えるが、その瞳は青かった。
正直に告白しよう。
その時の私はまるで心臓を鷲掴みされたかのように動けなかったのだ。
というよりも、私の拙い脳が考えること放棄したともいえるだろうか。
とにかくその普通ではありえないシチュエーションに私の思考は止まり、ただただ彼女と睨みあうこととなった。
「やぁ……」
「……どうも、なのです」
何とも間抜けな私のセリフ。
それに返事をする彼女もまた何とも間が抜けていた。
「つかぬ事を聞くけれど、何をしているんだい?」
果たして私の言葉は適切なのか?
そんなこと私は知らない。
「まあ、浮いてます」
そう彼女は無表情でつぶやくように言った。
私から見てもそのくらいは分かるけれど。
事実彼女は浮いているのだから。
「そうじゃなくてだね、なぜそこで浮いているのか理由を知りたいんだよ。正直私は君を見て死ぬほど驚いたんだ」
「それはごめんなさい。でもレディーを見て死ぬほど驚くなんて失礼よ!」
「はぁ、それは申し訳ない。でもまぁ、とりあえずそのままではあれだろうし、こちらに上がってきたらどうかな? お茶くらい出すよ」
「あ、ありがと」
彼女は急に興奮したように声を荒げたが、私は何か気に障る事でも言ってしまったのだろうか?
まあそれはいい。とにかくこのままこうしていても仕様がないと、私は彼女に手を伸ばした。
なんだかよくわからない彼女だけれど、こちらの手を素直に握り、何故か恥ずかしそうに上陸してきた。
もしかするとああして浮いているところを見られることは、彼女の本意では無かったのかもしれない。
丘へ上がってきた彼女はずぶぬれで(海に浮かんでたのだから当たり前か)、見てて非常につらいものがあるため、私はそそくさと家へと誘った。
「べ、別に疲れて浮いていた訳じゃないんだから!」
大人しく私の後をついてくる彼女の言ったセリフ。
そうか疲れて浮いていたのか……。
どうにも若い子は苦手だなと再確認する私であった。
◇◆◆◇
ずずず、と差し向った彼女と私の茶をすする音だけが響く。
あれから私は海に浮かんでいた彼女をわが家へと招待した。
彼女はちらちらと意味ありげな表情を私に向けながらも、とくに不満もなくここまでやってきた。
「あー、そろそろ話をしようじゃないか。とまぁ名乗りもせずに本題というのも無粋であるし、お互いにσ自己紹介でもしようじゃないか。私の名前は佐々木勝という。この村で世話になっている小間使いだよ。私のことは佐々木とでも呼んでくれ」
「わたしは特III型駆逐艦1番艦の暁よ。司令官、よろしく、なのです」
綺麗な正座をしたまま、卓袱台の湯呑みを両手で持ったまま、うつむき加減でいた彼女は、私の名乗りを聞くと、それまでとは表情を変えてはきはきと名乗った。
彼女、暁と言ったか。しかしトクサンガタクチクカンなんて名字はおかしいし、私を司令官と呼ぶのもよくわからない。
私をからかっているのだろうか?
「あの、少しいいかな? 司令官ってどういう意味だい? 文字通りの意味であるなら、私は至って普通な一般人でしかないし、勿論高度な軍事訓練を受けた事もないのだが……」
「でも司令官は私を見つけたじゃない。だから司令官なのよ」
「は、はぁ……そうか……?」
私は思わず怪訝な表情をしたと思う。
けれども彼女はその大きな碧眼をまっすぐに私に向け、むしろ私が何を言っているの? という表情を向けている。
たしかに私は海面に浮いている彼女を見つけた。だがそれは私が海沿いに居を構えていたからの偶然であって、もし私が見つけなかったとしてもいずれは漁に出る船などに発見されたのではないか?
ともかく私はその印象をそのまま彼女へぶつけてはみた。しかし――
「司令官だから見つけたのよ。私たちは適性のある人間にしか御することはできないのよ。だから私をみつけ、丘に上げてくれた貴方は司令官なの」
彼女は一気にそれを言い切ると、どこか満足気に茶をすする作業に戻った。
まあ彼女が私を司令官と呼ぶのはひとまず置いておこう。
しかし彼女への疑問はまだ尽きない。
「それはいいとして、トクサンガタクチクカンとはどういう意味だい? いや駆逐艦という言葉は知っているよ? それは私の住んでいた国で、大昔に起きた戦争で使われていた船にそういう名称があるという意味でね。けれども見たところ君はただの少女にしか見えないしな。悪いのだけど、詳しく説明してくれないかな?」
「んー……いいわよ別に――――
それから私は彼女の説明を黙って聞いた。いや、呆気にとられて言葉を放つのを忘れてしまったというのが正解ではあるけれども。
それほどまでに彼女の話す言葉は難解で、そして突飛だった。
私自身が前の生涯を知っているという突飛なエピソードはこの際棚に上げるとして、だ。
トクサンガタクチクカンは特III型駆逐艦1番艦であり、その言葉の通り彼女は少女の姿をした戦争兵器であること。
それは胡散臭い表情の私に対し、彼女は背中に巨大な砲台のオブジェを瞬時に出すことで無理やりに理解させられた。何かのトリックである可能性はゼロでないにしても。
そして彼女は私が知っている歴史に実際に登場した、日本の海軍の駆逐艦暁とおなじ魂を持つ存在で、ある時を境に彼女たちは登場したのだという。
そのきっかけや経緯は彼女自身も分からなく、ただ存在しているのだからそういうものだという認識である。
さらに驚くことに、彼女だけではなく、有名な戦艦や空母なども一通り存在しているのだという。
彼女の独白が私にとって特に衝撃的だったのは、あくまでも彼女の言葉を信じるならば、世界にはたくさんの司令官や提督がいて、それぞれが暁のような艦娘と呼ばれる少女型兵器を運用しているのだという。
そして司令官たちは、深海から突然現れる深海棲艦(シンカイセイカン)という化け物から人間社会を守るために日々戦っているのだという。
深海棲艦たちは航海をしている船を襲ったり、港に強襲し破壊活動をしたりと、まさに人間と深海棲艦の戦争状態なのだという事だ。
まったく、どこの怪獣映画だという話にしか思えないが、そういえば時折村の皆に読み聞かせる帝国新聞にも、どこかの港が襲われたという記事があったな……。
そして私を一番呆然とさせたのは、彼女が言う話が本当ならば、私がいまいる世界はかつての日本とは別の違う場所なのではないか? という予想が確定してしまうという事柄についてだ。
たしかに百田さんと出会ったあの日、私はここらの成り立ちに酷い違和感を持った。
それに実際に村で生活しながら思ったのは、年号が全く知らないものだったり、村全体が昭和初期のような生活レベルをしているにも関わらず、漁師たちの駆る漁船には高度なディスプレイが搭載された電気制御の機関部があったりとチグハグだったのだ。
私は自分の境遇の目まぐるしい移り変わりと、新たに生活の基盤を確立しなければならない忙しさで、そういった考察をいい意味でも悪い意味でも放棄していたようだ。
そうか、ここには暁のような少女のような兵器が当たり前な世界なのか。
何というか、言葉を失うというのはこの事だな。
善良であり、できれば波風は小さく、つつましく生きることを美徳としていた私の価値観はあまりに脆く崩れてしまった。
それはそうだろう。ここで生きるという事は、いくら私が非常識だと思っている事も、それが常識なのだと受け入れなければ生きていけるわけがない。
百田さんから特にそういった話が無かったのだって、今になって考えてみれば当たり前だ。
自分が常識だと思っていることを、わざわざ他人に説明する訳がないじゃないか。
ははは、なんだろう……滅入るな。
「司令官……?」
私はどのくらいの間、自分の思考に埋没していたのだろう。
突如無言となった私の肩をゆすり、我に帰してくれたのは暁だった。
彼女はいつの間にか私の隣におり、心配そうに私を見上げている。
だから私は彼女に言うのだ。
「とりあえず話は分かった。私が司令官云々とかいう件はまぁ、この際は置いといて。では暁、君はこれからどうするんだい? 君がいう事を私がすべて信じたとして、じゃ君はこれからどうする?」
「……艦娘は命令されてこその存在よ。だから司令官にわたしを使ってほ……し……い……」
そう言いつつ彼女は急にうつろな表情になり、そして私の膝に倒れこんでしまった。
「お、おい、暁! どうした?!」
私は慌てて暁に駆け寄る。
どうにも様子が可笑しい。
「ああ、もう司令官でも何でもいいから! とにかくどうしたのか説明してくれ!!」
「……しれ……い……かん…………」
「なんだ!? 暁ぃ!! 暁、おいっ!!」
もはや意識があるのかないのか分からないほど、彼女は衰弱しているように見える。
私はとにかく彼女の上半身を抱えるようにして呼び掛けるしかなかった。
冷たい海に浮いていたからこうなっているのか?
どうすればいい? こんな少女を死なせてたまるかよ。
動かない。
駆逐艦暁、でも抱き上げた彼女は軽く、そして柔らかい。
そんな彼女が冷たく、もっと小さくなっていくようだ。
何か私に出来ることは無いのか!
もっといろんな話を聞きたいというのに。
「しれい……かん……」
「なんだ暁! なんでも言ってくれ!」
暁の力のない瞳が私を射ぬく。
そして彼女は言った。
「………………おなかがすいたのです」
何というか、体中の力が一気に抜けてしまった。
……脱力感で。
◇◆◆◇
あの日から暁は我が家の一員となった。
それはまるで家族のように。
居間以外に使われることが無かった我が家の、南向きの和室は彼女の部屋になった。
私が朝目が覚めたとき、あるいは暁が日の出を眺めに部屋から飛び出してきたとき。
そこにあるのは静寂ではなく、どちらかの「おはよう」という挨拶があるのだ。
私と暁はまるで家族みたいな距離感へと変化したという訳だ。
百田夫妻には事情を話し、そしてそれ以降、私は暁と食事をすることにした。
私はきっと寂しかったのだろう。
なぜ私が生まれ変わりという事に遭遇したか分からない。
そして本来の日本ではありえない世界へと移動した意味も分からない。
それでも一つ分かっていることは、私は一人法師であるという事実だ。
つまり私はこの世界の誰とも接点がまったく無いという意味で。
血のつながり、または培ってきた文化の中での同族としての接点。
この帝国という国は、もしかするとある時を境に枝分かれした、IFの世界なのかもしれない。
それは中途半端に私の世界との共通点があるからだ。
けれどもやはりそれは私の都合のよい推測であり妄想でしかない。
だからこそ孤独なのだ。
この国の過去のどの時間にも、私という存在は無いのだから。
暁が言うには、少女の姿をした彼女たち――――艦娘のような兵器を使役する素養が私にはあるらしい。
というのも彼女たちの本質は、巧くは説明できないけれど、妖精のようなものが実体化した存在なのだという。
その妖精のようなものは、彼女たちが関わる全てに宿っており、それらと意思疎通をすることが出来る人間が司令官になれるようだ。
普通に会話を交わすだけならどんな人間にもできるが、こと命令するとなれば、普通の人間だと拒否されると暁は言う。
仕組みはどうもそういう事であるらしい。
けれども私は、たとえそうだとしても彼女たちを兵器として戦いにいけと命令することはしたくなかった。
それは私が生きてきた前の生涯の中で培った倫理観や常識に引きずられているからだろう。
私はきっと、銃を持って誰かを殺めることはできないし、それを彼女たちに代わりにやれとも言えないし言いたくない。
いくら彼女たちが美しい少女の体をしているとしても、そこに内包する力は、人間なんて瞬きをする前に屠ることが出来るだろう。
なぜなら彼女は深海から現れるバケモノを唯一、排除できる存在なのだから。
とにかく私はあの日、暁を海で見つけた日に、深夜になるまで彼女と語り合った。
私の境遇も含めて余すことなく。
そして彼女の境遇を聞き、暁を家族としてここに置くと私が宣言したのだ。
なぜそうしたか。それは彼女の境遇もまた切ないものであったのだ。
どうやら司令官が拠点とするエリアを鎮守府というらしい。
そしてそこではさまざまな艦娘、つまり暁と同じような存在が日々建造され、敵と戦うために切磋琢磨しているという。
それだけならば、平和を守るためなのだと頼もしく思う。
けれども暁がもともと所属していた場所は、彼女たちは日々酷使されていたのだという。
私のつたない歴史の知識で言えば、駆逐艦とはその身軽な動きから、艦隊の中では遊撃をするような位置づけだったように思う。
素人知識でもなんとなく想像はつく。
戦争なんて一つの大きな攻撃力を持つ大砲だけでは勝てない。
そのために海軍ではさまざまな役割を持った船たちが船団を組んで、敵にむかうのだ。
けれどもこの世界での常識では、彼女たち駆逐艦は、やがてあまり戦力として見られなくなることが多いらしい。
特に彼女が所属していた鎮守府の司令官は、そんな彼女たち駆逐艦をまるで小間使いのように酷使し、その結果、暁はその鎮守府がある海域のはるか沖で、深海からのバケモノの一撃を喰らい轟沈したのだ。
それは彼女本来の能力であれば問題なく躱せた攻撃だったという。
しかし彼女は日々の酷使による消耗を碌に回復させてもらえないまま、その任務を強いられたのだ。
結果彼女は轟沈し、そのまま海の藻屑となって消えるだけだったらしい。
しかし何の因果か彼女は轟沈した状態で意識を失くし、気が付いたら私のいる港に流され、そして私と出会ったという訳だ。
それを聞いた私は兵器としての彼女ではなく、その人間的な部分に同情し、だからこそ彼女が私の家族になるということを衝動のままに提案したのだ。
暁は無表情だった。
けれども目じりは小刻みに震えていた。
私にはそれで充分であった。
それがたとえ、一人法師の私の寂しさを解消させるための打算であったにしても、だ。
ちなみに、あの時死ぬほどに衰弱していた暁であるが、空腹のせいだった。
そして私は慌てて百田さんの家に飯を頼みに行ったのだが、暁に拒否された。
なぜなら彼女の食事とは、簡単にいえば油だったからだ。
彼女たちは普通に私たちと同じものを食べることができるが、それはある種の娯楽のようなものであって、本当の意味での栄養になるものは機械のように油なのだ。
私は小さく軽い暁を背負い、そして苦笑いしながら鍛冶屋の親方のもとに駆け込み事なきを得た。
なんとも間抜けな話だ。
◇◆◆◇
「司令官、これはどこに置けばいいかしら?」
元は網元の倉庫だった汚いが、無駄に大きい建物を暁はせせこましく動き回る。
「ん、隅に積んでおいてくれ。あとで親方が来たら相談するから」
「わかった。危ないから避けててね」
「了解」
私の返事と共に、暁は普通の人間では考えられないほどに重い荷物を軽々と持ち上げた。
そして私の指示した場所にそれを下ろすと、こちらを振り返り、そして笑った。
彼女と共に過ごすようになってから一週間。随分と暁の表情は豊かになった。
彼女が元いた場所からここへ来るまでのいきさつを私は知っているが、その件が彼女本来の天真爛漫さを押し込めていたのだろう。
しかし私たちはあれから毎日、互いが眠りにつくまでの間、障子一枚を隔てた距離で色々な事を話したのだ。それこそ百田さんが暁を見て娘に欲しいと鼻息を荒くしたり、力持ちの彼女を見て鍛冶屋の親方が弟子にしたいと三顧の礼をしたりのような他愛もない話。
またはお互いの身の上の話や、それにまつわる余り笑えないエピソードなど。
お互いの境遇はまったく次元の違うものであるから、話はいくらたっても尽きなかった。
だから毎晩、どちらかが眠ってしまうまでそれは続くのだ。
打ち解けてみると彼女は割と饒舌だったりする。
なぜか自分は一人前のレディーなのだとしきりアピールしたり。
ただ私から見ればそれは、幼い少女が目いっぱい背伸びをしているようにしか見えず、思わず含み笑いをしてしまったり、あるいはそれを彼女にばれてしまい、説教をされたり。
そんな事をして過ごしていたら、少しは私のことを信用してくれたようだ。
私もまるで妹ができたようで楽しかった。
私は彼女を村の人たちに紹介し、これから彼女は村の一員として皆の役に立ってもらう事を話すと、皆はもろ手を挙げて歓迎してくれた。
そしてやはり艦娘のことはここらでは常識だったみたいだ。
彼女を村長をはじめ、皆に紹介すると、それぞれの反応はどこか畏怖を込めたものであったし、彼女に司令官と呼ばれる私のことを、今まで以上に歓迎して貰えるムードとなった。
村長の話では、ここらの地域では深海のバケモノは来ないという。
それは何故かは理由は分からないらしいが、現状そういう被害はないのだとのことだ。
しかし大きな街の方面に行くとそういう被害はあるし、将来いつここが被害遭うかなんて誰も分からない。
この村の半分は海で仕事をしているから、そういう漠然とした不安は皆の中にあったという事だ。
そこに私が艦娘に命令できる人間だということが分かり、皆は安心したのだろう。
私は彼らに隠し事はしたくないので、自分の倫理観がひどく彼女に命令することが嫌なのだと伝えると、皆は笑って「俺たちだっていやだよ。こんな可愛い子を戦になんか出せるか! でもな、いよいよとなれば、彼女と肩を並べてどうにかすればいいんだ」と言い切ったのだ。
私は信じられなかった。もちろんいい意味での驚きという意味合いで。
そう、そういう発想が私には思いつかなかったのだ。
こんなに良くしてくれている村人たち。
よそ者である私を快く受け入れてくれた優しい人たち。
そんな人たちが、私のまだ知らない恐ろしい化け物に蹂躙される。
そんなことを真剣に想像などしていなかったのだ。
私は考える。
この人たちが私の目の前で惨たらしく襲われることを。
それは嫌だと私は思う。
逆に私の傍らで笑っている少女を見やる。
私は彼女に死ねと言えるだろうか?
家族として受け入れた彼女が、たとえその本質は兵器だとしても言えるだろうか?
それはNOだった。
だが、村の人たちがいう選択肢、それはどうか。
なるほど、守り守られ、それはいいじゃないかと思える。
それならば私は胸を張って彼女の隣に立とうと思える。
そんな単純な思考を思い、生前の私を併せて思う。
こんなに感情を上下することなんて終ぞ無かったなァ。
でもそんな自分を悪くないと思う私がいる。
その決意と共に、私は本当の意味でここの村民となれたのだった。
そしてそれを皆に宣言すると、やはり皆は笑顔で答えてくれた。
嬉しかった。
私を、そして暁を受け入れてくれたことが。
その時鍛冶屋の親方が提案をした。
それは暁が家族だとしても、その成り立ちは人のそれとはやはり違う。
だからこそきちんと彼女が整備できる場所が必要なるだろうと。
ならばその場所を村が提供し、技術的な補助は親方がしたいという提案だ。
私はその提案に抵抗はなかったし、暁も嬉しそうにしてた。
そこで新たに私の自由にしていい場所として、我が家から少し離れた海沿いにある網元の倉庫を頂いたという訳だ。
そして時折海で見つかる資源――――艦娘たちの血肉となる資材をいくらか貰うことが出来たのだ。
それらの資源は、漁師たちの船を維持していくのにも使われているため、漁の最中に資源が見つかると、漁師たちはそれを持ち帰るのだ。
船の燃料といえば化石燃料で、そしてそれはお金を出して買うものだという私の常識が壊されてしまった。こういう部分も私が本来いた世界との違いなのだろう。
もはやそれはそういうものなのだと流す余裕が私の中には生まれつつあるのだけれど。
そんな訳で私と暁は、今朝から倉庫を綺麗に掃除し、資材の整理を行っていたという訳だ。
ここは昭和と平成と未来が混ざったような不思議な世界であるが、何故か掃除機のようなものは無く、私は箒や濡れた新聞紙、雑巾を使って、それこそ額に汗しながら掃除を進めていく。
力持ちの暁は重たい物の移動や模様替えに専念してもらう。所謂適材適所というやつだ。
もっとも私には暁が持っている荷物を持つことはそもそもできないのだ。何とも悔しくあるが仕方ない。
「……ん?」
気が付くと暁がドラム缶を持ち上げたまま、じーっとそれを眺めている。
「暁、食事の時間はまだだよ。さっき朝食を摂ったばかりだよ?」
「わっ、別におなかが空いている訳じゃないもん! 一人前のレディーはそんなはしたないことしないんだから!」
「わかったわかった。でもひと段落したらおやつを食べような」
私の指摘に暁は顔を真っ赤にして慌てている。
どうにも一人前のレディーには少しだけ遠いようだ。
そして彼女はおやつの力か、独楽鼠のように動き始めたのだ。
◇◆◆◇
私たちの生活は思ったよりも上手く行っている。
彼女はまるで妹のように甲斐甲斐しく私に世話を焼き、逆に私も兄のように世話を焼く。
彼女の料理の腕前は大したことがないので炊事は主に私の仕事だ。
そうして毎日変わらずに朝がはじまり、暫くするとそれぞれの役割のために村へと出ていく。
私は家畜の世話や漁協での帳簿付けなどや、その都度頼まれる細かい仕事を請け負い、暁は主に鍛冶屋の手伝いや漁師の船の塩梅を見たりする。
誰かの役に立つという行為は、小さくとも積み重ねることで誰かの信頼を勝ち取ることが出来る。
暁もまたそうしてこの村に溶け込んでいったのだ。
もともと愛くるしい見た目であるし、力持ちでもある。
私としては彼女本来の使われ方をさせて上げれないことを心苦しく感じているが、彼女はこうして穏やかな日々を送るのも悪くないと言ってくれている。
私はそれが本音なのかどうかは考えることを止めにしてる。
それは私がそうじゃないかと彼女に問うても、彼女から違うのだという答えしか出てこないからだ。
だからもう私はそれでいいと思っていた。
暁は村の中を一人歩きしても、通りすがる村人から声を掛けられ、私が遠巻きにそれを見る限りでは、誰もが彼女と笑顔で談笑している。
私はそんな日々がずっと続いていけばいいと思っていた。
しかし自分の思惑と、世の流れは別のものだったようだ。
いくら私が平穏を望んでいても、この世界には明確な人間の敵がいる。
そう深海から現れるというバケモノのことだ。
人間はバケモノからの侵略と戦っているのだ。
私の住む村周辺は襲われていなかったというだけで。
そしてとうとうその兆しが表れたのだ。
それは今日の昼間の出来事がきっかけであった。
「し、司令官ッ!!!」
私は自宅で漁協の帳簿のチェックをしていた。
窓から差し込む暖かな日差しと、畳のいい香りで少しだけ舟をこぎながら。
そんな時に突然、暁の悲鳴のような声で我にかえった。
彼女は背格好が暁自身と同じくらいの髪の白い少女に肩を貸しながら家へ飛び込んできたのだ。
その彼女はやはり暁と同じようなセーラー服を着ていたが、その大部分は血で濡れていた。
「……状況は分からないが暁、とりあえず落ち着くんだ。大けがをしているようだから、親方の所へ連れていこう。……その娘も艦娘なんだろう?」
私は取り乱す暁の頭を撫でて落ち着かせる。
いつもなら子供じゃないのよと顔を真っ赤にして怒るのだが、いまは小刻みに震えながら涙を浮かべている。
私は暁から白い少女を受け取ると、草履をひっかけて外へと出た。
暁は私を一瞥し、こくりと頷くと鍛冶屋に向かって走って行った。
白い少女のことを話に行くのだろう。
「Пом……оги……т…………」
背中の少女が何事か呟いた。
何を言っているかは聞き取れないが、私は黙って足を速めた。
油を飲む艦娘なのに、その血は酷く生臭かった。
◇◆◆◇
「佐々木君、大丈夫なんかい?」
「ええまぁ、後は見守る事しかできないかと思います」
「なんとも歯がゆいもんだの……」
鍛冶屋から親方に言われ、私と暁の倉庫へと移動していた。
それは親方の見立てが、彼の技術でどうにかなるものでは無いという判断のためだ。
そして冷静になった暁から、彼女がドッグと呼んでいる倉庫へ移動しようと提案してきた。
さらには騒ぎを聞きつけた村の人が集まってきており、床に横たわる少女を囲むようにして、各々心配そうな眼を向けている。
百田さんの奥さんは動かない彼女を暖めるように一生懸命撫でており、百田さんは私の横で同じ質問をもう3度している。
「司令官、暁にまかせて」
「……頼む」
暁は決意の表情で私に言った。
私はその静かな気迫に押され、息を呑むだけだった。
暁は少女を撫でている百田夫人の肩をいたわるように撫で、そしてそっと場所を空けさせた。
少女の横にたたずむ暁は、静かに目を閉じ、まるで何かに祈るようにその小さな手を前に掲げた。
するとどうだ、私の目に信じられない光景が現れたのだ。
「響、今治してあげるからね……」
薄暗い倉庫の壁にある小さな窓から差し込む一条の光は、宙を舞う埃をを輝かせ、まるでスポットライトのように暁と少女を照らした。
そして彼女の祈りに呼応するように、辺りの空気が一変する。
誰もがその光景に目を奪われ、口を開くものは誰もない。もちろん私もだ。
そして、やがて……
「!!」
どこからか二等身にデフォルメされたような、20センチくらいの少女が現れたのだ。
「!!」
その少女が現れると暁は安心したような表情となり、その場を離れ、私の横に立った。
「司令官、もう大丈夫だよ」
暁のその言葉に、一同がほっと胸をなでおろす空気になった。
私はその少女から目を離すことができず、ただ手だけを暁の頭に乗せて労をねぎらった。
「!!」
人形の少女はしきりに何かを話しているが、その意味はよく分からない。
が、倉庫の脇に積み上げていたいくつものドラム缶や鉄の塊が空中をふわりと浮き、そして横たわる少女の体に向かって吸い込まれていった。
暁の言葉で安心した村人たちは、後で詳しい話を聞かせてくれと私に言うと、それぞれ戻っていった。
峠を越えたのなら大丈夫だろうと判断したのだろう。
そして数時間後、彼女は暁と並んで茶を飲んでいるのだった。
◇◆◆◇
「私の名前は響だよ。よろしく、司令官」
彼女――響はあまり抑揚のない口調でそう言った。
血まみれでここへやってきたのが無かったことのように。
「私は佐々木勝というんだ。好きに呼んでくれてもいい。いまは暁と家族のように暮らしている」
「艦娘と家族……司令官、あなたは不思議な人だね」
「自分でもそう思う」
彼女は暁型2番艦の駆逐艦で響と名乗った。
暁とは姉妹のような関係なのだという。
そう言われてみれば着ているセーラー服も同じだな。
卓袱台の前で並んで座っている二人を見比べる。
どちらも小柄な少女であるが、片方は黒髪で、もう片方は輝くような白っぽい銀髪だ。
しかし蒼い目を含め、顔の造形は似ている。姉妹というのも頷ける。
そして私は名乗ったきり湯呑みを見たままの響に気になっていた事を聞くことにした。
今回の出来事は私が知らない事柄が多すぎるし、何か嫌な予感がする。
心の中ではそれを拒否しているが、聞かないわけにはいかないだろう。
「それで響、君はどうして血まみれだったんだい? 暁の様子もおかしかったし。詳しい話を聞かせて欲しい」
私がそういうと、二人は一瞬目をあわせ、そして頷き合うと私を見た。
二人の間ではこの件について何か示し合わすことがあるようだ。
そして口を開いたのは響だった。
「私は姉さんと同じ鎮守府にいたんだ。姉さんから話は聞いているだろうけれど、私もまた扱いは酷い物だった。だから私は任務失敗のタイミングで逃げ出そうとしたんだ――――
彼女の独白は、彼女自身の身の上だけの話で留まらなかった。
私の中を流れている血液が一気に逆流するような、それほどにショッキングな内容だ。
響は暁が轟沈したことを知り、意気消沈していた。
それは日々酷使されて消耗していく体力や精神的なものを削り、響は何もかもが嫌になったというのだ。
それは暁と同じであるし私にも理解ができる。
暁は轟沈したが、彼女は中破して海に浮いていたのだという。
やがて同僚と鎮守府に戻り、そこの司令官に上申をし、待遇が改善されないなら逃げ出そう、そう決意して戻ったのだという。
しかしそれは叶わなかった。
それは鎮守府自体が無くなっていたからだ。
響が任務で沖にいる間に、深海のバケモノがその鎮守府を襲ったのだという。
そこの司令官は艦娘たちを無理な運用を強いていたというが、逆にそれが仇となったのだ。
実入りのいい遠征にほとんどの艦隊を行かせ、かつ有力な艦娘のほとんどが鎮守府にいない状況だったという訳だ。
襲いくるたくさんの深海のバケモノ。
彼女の鎮守府は成すすべなく消えてしまったとのこと。
それだけならば自業自得だと言えるが、話はそこからだったのだ。
暁たちの話によると、その鎮守府がある場所は、この村から北に数百キロの場所で、バケモノたちはその周囲を荒らしまわったら、きっと南下してくるのだと言うのだ。
それはつまり、この村が襲われる可能性が高いという事になる。
私の嫌な予感は当たり、そしてこの世界の現実を、本当の意味で受け入れる決断をしなければいけないようだ。
それに暁が響を直すために呼んだ人形のような少女――――彼女もまた妖精らしいのだが、暁が彼女を呼んだことにより、あの倉庫を中心に鎮守府が作られる事になるという。
それが妖精の役割であり、存在理由なのだから。
暁が祈るような表情をしていたのは、後から聞けば祈っていたわけではなく、こうなることを予感した彼女が、私にたいして済まないという気持ちになったからなのだった。
なんとも優しい兵器である。
そして冒頭の状況につながるわけだ。
ここを守るために、または私の役に立とうとするために、彼女たちは私に決断を迫る。
村長をはじめ、村人たちに危機を知らせるために外へ出た私に縋りつくように。
「本当に困ったなァ……」
何度目かになる同じセリフを私は呟く。
それは心の中では既にどうしなければいけないかを分かっているから。
だとしても私は怖いのだ。
村人が脆くも蹂躙されることが。
あるいは彼女たちが傷つくことが。
そして一人法師に戻ってしまうことが――――
私はなんて独善的な人間なのだろう。
それを恥じるも止めることもまた、出来ない。
「司令官……」
二人の苦しそうな表情が私を射ぬく。
知っているのだろう。私が彼女たちが言う、艦娘たちを使役する素養とやらがあるのなら。
私が苦悩していることを。
それでも危機はすぐそばにある。
だから私は……
「暁、響、行くぞ」
「暁の出番ね? 見てなさい」
「司令官、作戦命令を」
前に踏み出してみることにしたのだ。