【完結】Les Amants d'un Jour / 2016年12月、フランスにて 作:山口 遼
「ねーねー、志貴、生きてる?」
「………」
「あっちで倒れてた代行者、手当てしといたから命は大丈夫だと思う。あれ、手当てしてよかったんだよね?」
「………」
「おーい、志貴ー? 呼吸してるから生きてることはわかってるんだからねー、おーい」
「………」
「むー。なによ、久しぶりの再会なのに、まだ無視するわけ? 返事しないと、こちょこちょしちゃうぞ?」
む、無茶苦茶言ってやがる、この馬鹿女。この状態でくすぐられたりなんかしたら、確実に死ぬ。激痛と馬鹿らしさで神経が焼き切れて、廃人一直線だ。
こっちだって返事もしたいし、いろいろ問い詰めたいところではある。しかし、まったく、驚くほど完全に、身体が言うことを聞いてくれない。
心臓はいまだに早鐘を打っているし、実は呼吸するたびに全身が痛い。呻きをあげようとすると、なお痛い。あまりにも酷使された腹いせに、全身の細胞が俺に反旗を翻しているようだ。いっそ気絶してしまえと思うが、それさえ激痛に妨げられる。
それでも、なんとか唇を開けて、
「……生きてるよ。けど、喋るのもつらい」
「あ、そうなの? ……ホントだ。たしかに、全身バッキバキみたいね。すごいね志貴、それでまだ意識があるなんて」
怪物みたーい、と笑っている。なんだかひどいことを言われた。おまえ、いったいどういう神経してるんだ、と言いかけて口を閉じる。身体が、何か温かいモノに包まれているような……。
「はい、これでちょっとはマシ?」
「……え?」
目を開ける。瞼を開けても痛みがない。全快とはいかないまでも、どうやら立って歩ける程度には回復している。
「なん、で?」
「んー。詳しい説明をしている余裕はないんだけど。簡単に言うと、志貴の死徒化ってロアの奴と同化していることが原因でしょ? そのロアはわたしの死徒だから、あいつにかかわっている部分の修復ならできるっていうだけの話かな」
なるほど、わからん。
「わからんが、助かった。ありがとう」
向き直って、頭を下げる。それから、いいよいいよーとにこやかに手を振るアルクェイドを凝視する。
「って……なに? わたし、なんかヘン?」
きょとんとしてわずかに頬を染めている。その柔らかそうな頬に手を伸ばし、
「えい」
「ふぇ?」
思いっきり、横に引っ張った。
むにーん、と伸びる頬肉。ついでにもう片方もつまんで引っ張ってみる。
「
痛みはないのか、不思議そうに笑っている。わからん。なんで両頬をぐいーっと引っ張られているのに、コイツはそれでもこんなにハッキリ美人なんだ? 変顔とかそういう概念がない。あまりにも人智を越えた美貌である。
両手を離すと、なになにー、いまのなんだったのー? と楽し気に聞いてくる。あたりに散乱した岩の破片や瓦礫がなければ、状況を忘れてしまいそうになる笑顔だった。
「別に。夢じゃないよなって確認しただけ」
「ふつう、そういうのって自分の頬でやるもんじゃない?」
「……自分のでやったら痛いだろ?」
「あ、なるほど。志貴、あったまいー!」
なぜか納得してくれた。まさか、なんとなくアルクェイドに触りたくなったのだ、なんてことは言えない。先輩に知られたらエラいことだ。具体的にいうと、死ぬ。
「ところでアルクェイド」
「なに?」
「……あー、その」
いざ問いただそうとすると、何をどう確認すればいいのかわからなくなってしまう。こいつが本物のアルクェイドだとして、なぜこんなところにいるか、そもそもなぜ城から出ているのか、吸血衝動はどうなっているのか、などなど、聞くべきことは山ほどある。
だっていうのに。
「おまえ、元気か?」
俺はなぜか、そんな質問をしてしまった。
アルクェイドは驚いたように目を見開き、それから爆発的に笑いだした。
「あはは、なにそれ? 志貴、面白ーい! 他に聞くこといっぱいあるんじゃないの?」
「う、うるさいな。そんなに笑うことないだろ馬鹿」
目じりに涙を溜めて腹を抱えて笑うアルクェイドを見ていると、自分の質問がどれだけ下らなかったのか見せつけられるようで、赤面してしまう。
いや、だって気になったんだから仕方がない。うん。とはいえ。
「ま、まあこうして来てくれたんだから元気に決まってるよな。えっと、それじゃあ質問なんだけど……」
「元気じゃないよ?」
「――は?」
「わたし、元気じゃないよ、志貴」
元気なわけないじゃん、と相変わらずアルクェイドは笑っている。その笑顔が、あまりにも綺麗で、美しすぎるから。
だから、かえって、彼女が嘘を言っていないのだと、わかってしまった。
「アル、クェイド?」
「さっきも言ったけど、あんまり細かいことを話している余裕はないの。うん。わたしも残念だけど、さすがにわたしを構築するのは手に余るみたいで」
「ちょ、待て。お前、さっきから何を言って……」
言い募る俺の唇に人差し指を当てて、彼女はまた笑った。ひどく儚げに、残念そうに。
今にも消えてしまいそうな、雪のように。
「ねえ、志貴?」
その顔を、覚えている。
その笑顔を、俺は覚えている。
記憶の中にあるものと、寸分たがわぬ美しい微笑だけを残し。
「な――んだ?」
「今回は、これでおしまい」
言葉が出ない。何度も何度も夢に見た、憎らしくてでたらめで、自由で奔放で、誰より美しかったその女は目を細め。
「あと一回くらいは、機会があるかもね」
今生の名残を惜しむように、霧となって掻き消えた。
「待っ、アル――!」
手を伸ばす。掴んだのは、幻影。握りしめた拳の中には、残り香さえもない。
「なにが、どうなって――」
混乱に膝をつく。相変わらずのデタラメにもほどがある。いきなり出てきたと思ったらいきなり消えるとか、そんなのアリか?
死ぬかと思った瞬間に、頼んでもいないのに現れて、敵をまとめて引きちぎってしまった。月から抜け出してきたような美貌はそのままで、太陽のように明るい笑顔もそのままで、けれど、致命的にすれ違ってしまった俺たちの運命。
聞きたいことも、言いたいことも、山ほどあった。次に会えたらあれを言ってやろう、これをしてやろうと、ひそかに考えを溜め込んでいた。せっかくの再会だったのに、俺はその予定を何一つ叶えることができなかった。
「そんなの――ないだろ」
涙さえ出ない。再会の喜びも、この喪失感も、まだ現実感を伴っては実感できていない。なんだかずっと、悲しい夢を見ていたような、ぽっかりと胸に穴が開いたような頼りなさ。
だから、忙しなさすぎる数分の再会が俺にもたらしたのは、情緒をぐちゃぐちゃにかき乱す、混乱だけだった。
――馬鹿ね。
その俺の背後に、まるで見えない影となって寄り添うように、気配があった。それがあまりにも優し気で、あたたかくて、懐かしかったから、引っ込んでいた涙があふれ出す。
――泣かないで志貴。
「……え?」
――だってあなたには、大切な人がいるんでしょう?
気配は去った。声はもう聞こえない。なのに、呼ばれている。俺の名前を呼ぶ声がする。
優しい言葉に励まされて顔を上げる。高度を増す太陽の下、すでに流れを取り戻した大河の向こうに、おぼろな人影が見えた。
傷だらけだ。左腕にはもう感覚もないだろう。髪は乱れ、服は汚れ、肌は血だらけ。けれど、誰より愛しいその人は、自らの傷すべてを顧みず、こちらに向かって駆けてくる。なんて危なっかしい。岩を跳び、水を越え、泥をはね上げて、一目散に俺だけを――。
ああ、そうだ。
俺には、大切な人がいる。
あの夜、お前を拒んででも、欲しいと願った人がいる。欲しいと願った幸福がある。
その人を、少しでも、幸せにしたくて。
他の誰でもない。俺自身のために、俺は彼女に、幸せになってもらいたくて――。
「遠野くん……!」
「先輩」
息を切らし、涙を涸らし、そしてその人は、俺のところに来てくれた。
向かい合って立つ。戦場ではあれほど頼もしいのに、こうして向き合うと少女のようだ。俺を見上げ、乱れた息をそのままに、彼女は震える声を励まして。
「遠野くん、怪我は、いえ。いったい何が。違う。そうじゃなくて、ここで何が、でもなくて、ええと、わたし、わからなくて。ただ、遠野くん、遠野くんが……」
「先輩」
「あ――」
頭を振り乱して混乱する先輩を、正面から抱きしめる。びくりと震える身体。こわばっていたのは一瞬だけ。やがて先輩は、俺に身をゆだねるように脱力した。
痛みはあるか。抱きしめて大丈夫なのだろうか。頭をよぎった戸惑いを、回された右腕が振り払ってくれた。
ほっと息をつく。肌は冷え切っている。でも、鼓動は力強かった。どくんどくんと、先輩の心臓は脈打っている。
生きてますよ、と。ここにいますよ、と。
その音で、俺に伝えるように。
「会いたかった。良かった、先輩が無事で」
「――遠野、くん?」
「うん。なんでだろうな。たった一晩。それほど離れていたわけじゃなかったのに、こうしていると、長い夜を越えてきたみたいだ」
「……はい」
先輩の身体が震える。こんな華奢な身体だけで、彼女は孤独な夜を越えてきた。故郷を思っただろう。ノエルを思っただろう。自らの罪に苦しんだことだろう。未来への希望がその心を苛んだことだろう。
けれど、そのすべてを踏みにじって、先輩はここにいる。あらゆる絶望を越え、それでも、血と肉を白い骨にまとい、彼女はここに。
「つらかったでしょう」
「――いえ」
「痛かったでしょう」
「――いえ」
「寒かったでしょう」
「――いいえ」
でも、大丈夫。
「よく頑張ったね、シエル」
「――っ!」
胸に痛みが走る。先輩は歯を食いしばり、嗚咽をかみ殺し、俺の胸を掴んだ。肩を震わせて、頭を伏せて、俺の胸を叩いた。何度も何度も、そこに隠された救いを求めるように、俺の胸をノックし続けた。
「どうして……!」
その背を、俺は撫で続けた。
「どうして、遠野くん、は……!」
彼女がすべての激情を吐き出せるように。
自責の念で押しつぶされてしまわないように。
「いつだって、そんなに、わたしに、優しく……!」
ゆっくりと、何度でも、いつまでも。
俺は、先輩の背中を撫で続けた。
***
――告白すれば。
俺にはいまだに、未練があるんだ。
きっと、先輩にはバレてるね。でも、あの夜、ノエルの魔眼に閉じ込められたあなたに声をかけた夜から、俺はずっと、いまだに未練を振り払えない。
後悔、じゃない。だって、悔やんでない。それしか道がなかったことはわかってる。こうなることだって、あの夜にもうわかってた。何度やり直したって、これ以上のハッピーエンドがなかったことはわかってる。幾千幾万、何度あの夜を繰り返しても、俺は一度だって、あれ以外の結末を望まない。
だから、そう。これはただの愚痴。運命に対して、神様に対して、文句を言いたいだけの話。
だって、ああ、願うことさえ侮辱だろう?
あなたさえ、そんなに強い人でなかったのなら、もっと幸福になれたのに、なんて。
自分は悪くなかったのだと。仕方がなかったのだと。運が悪かっただけなのだと。贖罪は済んだのだと。最善は尽くしたのだと。あれ以上に、誰に何ができたのだろう、と。逃れる手があったのなら教えてほしい、と。
そんな当たり前のことを言えるような人だったなら、こんなにつらくはなかった。
あなたがそう叫んだとして、誰にだって否定はできない。できなかったはずだ。だって言い訳でも、開き直りでもない。それは、事実だったから。誰にも否定しようのない、たしかな歴史だから。
けれど、事実と真実は違う。あなたは、心がバラバラになりそうな痛みに耐えて、唇を噛んで、震える身体に鞭打って、泣き出しそうな自分を説き伏せて、それを真実にはしなかった。
ふざけるなと叫んで。
その事実を、甘えだと、斬って捨てたんだ。
――ねえ、先輩。
思うことがあるんだ。
そうであれば、どんなに良かったのだろうと。
それを、誰だってそう思いたくなる事実を、あなた以外のすべての人がそうしたであろう事実を、あなたこそが真実だとしていれば、どれほど楽だったのだろうと。
けれど、あなたは
どれほど苦しくても、どれほど痛くても、血を吐いてでも、命をなげうってでも、向き合うことをやめなかった。自分自身を痛めつけるように、決して自分を赦さなかった。
この二年間、そんな先輩に寄り添い続けた。その姿を、俺は間近で見続けた。欲しかったはずの日常を投げ捨てて、戦場に駆けるあなたの手を握り続けた。痛みに泣く、悪夢に苦しむ、後悔に溺れるあなたの身体を抱きしめて、幾度の夜を越えただろう。抱きしめることしかできない自分の腕を、何度呪っただろう。
結局のところ、どうしようもない。死ぬほどに苦しむとわかっていても、自分の未来を赦せない。遠野志貴は、そういうシエルに惚れてしまったのだから。
――ねえ、先輩。
この二年、俺に、できたことはあったかな?
あなたの荷物を、俺は背負うことができない。それはあなただけの真実だ。引き取ってあげることも、代わりに捨ててあげることも、俺にはできない。誰だって、自分の荷物は自分で背負うしかない。
だから、俺にできることはひとつだけ。
せめて、背に負ったモノの重さに倒れそうになるあなたの背を、支えてあげたかった。
本当に、死ぬほど悔しい。
そうでなければ、手に入った幸せがあった。幸福な日々があった。宿命を忘れられれば、俺たちの日々は明るかった。あなたの笑顔は陰らなかった。
ああ、そうだ。ごまかせない。そういうものが、俺は欲しかった。死ぬほど欲しかったんだ。あなたが、もう少しだけ、ほんの少しだけでも、強くなかったら手に入っていたはずの夢だった。
だけど、あなたはあなただから。先輩は、俺の先輩は、そういう人だったから。
だから、俺も、諦められた。焦がれるほどにまぶしい幸せに、そんなものはいらないんだと、歯を食いしばって首を振れた。
だって、誇らしいと思う。どれほど傷ついても、自分であることを捨てなかったあなたを。過去の自分を見捨てず、未来の自分に甘えなかったあなたを。
俺は、誇らしいと思う。
世界中の誰が弾劾しても。
俺は、そんな先輩を尊敬している。
傷つくとわかっていて。
封じたはずの傷が開くとわかっていて。
それでも、先輩はここに来た。いなくなってしまった誰かの何かを守るために、それでもあなたはここに来た。
その強さを。
悲しいほど綺麗なあなたの
俺は、心から、尊敬している。
――だから、先輩。
俺は、これからも先輩に寄り添っていく。寄り添わせてほしい。傷つき、倒れ、涙し、血を流すあなたの姿を見るのはつらいけど。
そのあなたに手を差し伸べるのは、俺でありたいから。
倒れそうなあなたの杖であり、目であり、声であり、光であるのは、俺であってほしいから。
なにをかみ殺してでも、俺はそのことを恨まない。俺はこれまでも、これからも、そのことを、血を吐くように、それでも。
――幸せと、呼ぶから。
だからありがとう。
俺に、幸せをくれてありがとう。
先輩。
あなたが俺を、人間にしてくれた――。